朝日の眠る空

夢の中でただ会話するだけの創作BL。儚い系の話が書きたかった。未練たらたらなだけの話。逢瀬って響きがいいよね。
腐ってない方Uターン推奨。

 閉じられた瞼を開くと見慣れた、しかし名前の知らない男がそこにいた。俺は決まりきった挨拶をする。
「……こんばんは」
「こんばんは、先生」
 これは夢だな、と俺は確信する。

 今日目が覚めたのは喫茶店だった。店内ははっきり言って狭く、薄暗い。吊るされた橙色の電球は頼りなさげに辺りを照らしていた。地下にあるのだろうか、外界からの光は一寸も入ってこない。さながら悪党たちの取引現場を思わせる。しかし、目前の男はこのような場所に不釣り合いなほど温厚な笑顔を絶やすことはなかった。
 さて、目が覚めた、というのはいささか語弊がある。ここは現実ではなく、俺の作り出した夢の世界だからだ。だが、夢は自身の願望を移すとも言うが俺にこのような願望は一切ない。俺はこういう喫茶店はあまりいい趣味とは思えないし、第一まず男と二人っきりで喫茶店に入ろうとはしないだろう。では何故か、と言われても俺は答えかねる。自分だって毎晩のように見るこの奇妙な夢の説明をできずにいるのだ。全く見ず知らずの男と二人で見覚えのない街を闊歩する夢。それも始まりはこの喫茶店に限らず、あらゆる場所で夢が始まるのだ。今晩も謎は深まるばかりである。
「先生、今日はどこに行こうか」
 彼は俺を呼ぶときに先生、と呼ぶのだ。けれど敬語は使わないし、見た限り彼と自分は歳が近いように思える。それなのに自分が先生と呼ばれるのはひどく違和感を感じた。どちらかと言えば、しっかりとスーツに身を包みまじめな印象を与える彼ののほうがよっぽど先生という言葉が似合う。
 もはや定型文と化した挨拶の後のこの問答もお決まりだ。どこに行くかと聞かれても俺はこの街をよく知らない。存在しているかもわからない場所に何があるのか全く見当もつかない。
「どこでもいいよ」
 いつもと変わらない返答にも関わらず彼は微笑みを絶やさない。しかし今日連れていく場所には悩んでしまったらしく、手を顎の下に置いて考える素振りを見せた。悩ませてしまった小さな罪悪感でちくりと針で刺されるような感覚を覚える。誤魔化すようにいつの間にやら手元にあったコーヒーを口に含んだ。苦みと酸味が口の中を伝う。夢でも味はしっかりとわかるらしい。
 何も見るものなどないのに逸らした目線を元に戻せば、未だうんうんと考えあぐねている彼の姿が飛び込んできた。悪いことをしてしまったかと少し苦笑をこぼす。
「……そうだなあ。水族館とか?」
 思わず口をついて出た提案に我ながら頭を抱える。なんだよ水族館って。デートか。男女でもあるまいし。
 彼を見やれば少し驚いたような顔をしていた。だがすぐにいつもの柔らかな表情に戻し、じゃあ行こうかと席を立つ。気づけばお互いにコーヒーは空になっていた。

「貸し切りだね」
 何度目かになる彼の車でのドライブを終え、水族館に入るや否や彼はそう言った。館内に自分たち以外の客は見当たらず、辺りは海底のようにしんと静まり返っている。あまり意識はしたことはなかったが、この夢の中に俺と彼以外の人間は出てきたことはなかった。さっきまでいた喫茶店だって例外じゃない。
「先生は水族館が好きなの?」
「好きだよ。まあ、水族館っていうか、海が好きなのかもしれないけど」
 お前は? と聞き返す。
「水族館も海も好き。綺麗だよね。幻想的っていうか」
 でも僕は、と付け加えて力強く、僕は空が好きだと言った。空は空でも、特に夜の星空が好きなのだ、と。この町に朝が訪れたことはない。いつも夜の中だ。しかし、彼の望む星は一つも浮かんでいることはなかった。それなのになぜ彼は星が好きだと言えるのだろう。
「じゃあ次会うときは星を見に行こうか」
 戯れにそう言えば彼の口元が緩む。所詮夢だ。星がある場所だってきっとあるに違いない。けれど、彼も夢の中だけの産物だということを忘れていた自分に思わず自嘲する。現実にいたら友達にでもなれたのだろうか。そうであってほしいなと笑みが溢れた。
「どうして毎晩、お前が出てくるんだろうな」
 談笑が一段落着き、一呼吸おいて沈黙が流れる。魚が泳ぐ大きな水槽を眺めながら一人ごちた。この夢の中に、現実の話を持ち出すのは今日が初めてだった、とふと思いながら、彼を見やる。
「お前は一体誰なんだ?」
 ただ名前を聞こうとしただけだった。しかし彼は面持ちを暗くして目を伏せる。今度は長い沈黙が訪れ、いたたまれなくなる。
「知らなくていいよ」
 なんて悲痛な顔をするんだろう。魚たちを眺めながら俺とは目を合わせることはなく、もう一度確かな声で知らなくていい、と呟いた。それは幼子をたしなめるような声色に酷く似ていた。
「外に行こうか」
 言われるまま外へ出て、イルカのプールのそばにある観客席に腰かけた。彼を直視することができず空を見上げる。
 比喩じゃなく、空は文字通り黒く塗りつぶされていた。彼の望む星なんて見えるはずもなかった。現実のものとかけ離れた光景をまざまざと見せつけられて、ここは現実なんかじゃないと思い知る。

「先生が僕のことを覚えていないのは、きっと忘れたかったからなんだろうね」
 まだ好きだよと、言われた瞬間に今まで霞がかっていたものがすべて消えた。
 どくんと体が脈打つ。人の心はどこにあるのだろう。この心臓が動くのはこの恋のためなんだろうか。お互いにどうしようもない恋をしている。それでも、俺は彼の隣にいることはできないのだ。それぐらいひどいことをしてしまった。

 生徒は入れない学校の屋上で、彼は俺に好きだと、確かに言った。ごめんなさい、とも。夜の帳はすっかり落ちて、あたりは闇に包まれていた。ちょうど新月の日だったと思う。俺は声も出ないくらいに戸惑っていた。
 思いを告げられた次の日、彼は気まずそうに昨日のことは忘れてくれと囁いた。
 しかしその酷く苦しそうに笑う顔が脳裏に焼き付いてしまった。臆病な俺はそれに乗じて、何もなかったように、これからも何もないように、頷いてしまったのだ。けれどその瞳から熱が冷めることはなかった。俺はそれをどう扱えば良いのかわからなかったし、それからはまるでお互いが割れ物に触れるように接していた。気づけば自分も同じ種類の熱を持っていることに気が付いた。
 同性同士。たったそれだけで心には重しがのしかかり、息も詰まる思いがした。きっと一時の勘違いだ。お互いに忘れられればどんなに楽だったろうか。
 そうしているうちに俺の異動が決まり、何も告げずに彼の前から立ち去ったのだ。今思えばただの逃げでしかない。
 悪いことをした。本当にすまないことをした。 
(……朝だ)
 今まで一度も昇ることのなかった星が昇る。それはどの星よりも大きく光に満ちた太陽だ。光がプールに水に反射してきらきらと煌めく。同時に、それが昇りきることは夢の終わりを意味していた。
 これはきっと罰だ。一方的に別れを告げた俺にはもう合わせる顔がない。この場所で会うことも叶わないだろう。本当のお前にもう一度会いたい。そう強く願えば、体は勝手に動いていた。
 互いが触れている時間はきっと一秒もなかった。自身のかさついた唇は震えていて、それが酷く恥ずかしかった。
「ごめんな」
 どうかこれで、お前の熱を俺が全て攫ってしまえたら。

朝日の眠る空

朝日の眠る空

最近おかしな夢を見るようになった男の話。 腐向けですので苦手な方Uターン。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-24

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