小さな少女とおおきなそれ
「おやおや、これはずいぶんと珍しい」
”おおきなそれ”は少女を見て呟いた。
少女はずいぶんと走って、走って、気がつけば深い森の奥へと迷い込んでいた。
草木を掻き分け森を彷徨うこと数時間、細い獣道を辿った先に、少女は古びた建物を見つけた。
建物の造形から大社造の神社が想像できたが、外壁はひどく色褪せ、特徴的な茅葺の屋根も残念なまでに朽ち果てていた。
恐らくはもう何十年もの間、誰にも手入れされずに放置され続けてきたのであろう。
少女は好奇心からか、神社の本殿であろう建物まで伸びる階段を上っていった。
一段上る度に老朽化した階段が軋み、まるで何かが呻き声でもあげているような不快な音をあげた。
けれど、少女は怖くなどなかった。
少女は階段を上りきると、あたりを見渡した。
本殿を囲む廊下の床板は腐り、天井を見ればあちらこちらで蜘蛛の巣が張り巡らされている。
まるでお化け屋敷のような薄気味悪さが漂う場所であったが、それでも少女は別に怖くなどなかった。
少女は本殿の周囲を一通り歩き回ると、最後に本殿の中を覗き見ようと古びた観音開きの戸へと手をかけた。
そんな時、少女の頭上から”おおきなそれ”の声が聞こえてきたのである。
”おおきなそれ”の声に少しだけ驚き、少女は後ずさるように後方へと身を引いたが、背後にあった柱がそれを阻んだ。
少女は声が聞こえてきた頭上の方へとゆっくり視線を移した。
「・・・だれ?神様?」
少女は動じずに平然とした顔で”おおきなそれ”へと話しかけた。
「おや?私がわかるのかい?」
「だれって聞いた、質問こたえて」
「え?・・・ああ、これはすまない」
少女が驚くことなく淡々と聞くもので、”おおきなそれ”の方が少々驚いてしまった。
「私は・・・うーん何だったか・・・なんとも今はもう思い出せないが、神様なんて大それた存在じゃないのは確かだ」
「変なの」
「そうか・・・そうだ、私は変なのかもしれない、なんだかとてもうれしいのだ」
「うれしい?」
少女は”おおきなそれ”を見上げながら首を傾げた。
「あぁ、こうやって御喋りするのが久しぶりだからかもしれない」
「お友達いないの?」
”おおきなそれ”は少し考え込んだあとに答えた。
「うん、きっといない、恐らく私はそれとは相反するものだ」
「ふーん、よくわかんない」
「しかし、おもしろい子だ、私が怖くないのかい?」
「ぜーんぜん、怖いことなんか何もない」
少女は何の迷いもなく即答した。
本当に少女は怖くなどなかった。
少女は物心がついてから、一度だって怖いと感じることなどなかった。
「そうかい、ならせっかく来てくれたんだ、ひとつと言わずにたくさん話しでもしよう」
少女は一度だけこくりと頷き”おおきなそれ”の話しを聞いてあげる事にした。
それから”おおきなそれ”は色々な事を少女に話した。
昔はたくさんの人たちがやってきて、たくさん話しをしたこと。
やって来る人たちが抱える悩みをたくさん聞いてあげたこと。
両親を亡くした幼子。
友達の輪からつまはじきにされた子供。
連れ合いに先立たれた老人。
職を失い行き場をなくした浪人などなど。
”おおきなそれ”は、いつも彼らの助けになれるよう、たくさんのことをしてあげたこと。
そして・・・いつしか誰も来なくなったこと。
「どうして誰も来なくなったの?」
少女は気がつけば”おおきなそれ”の話しを夢中で聞いていた。
”おおきなそれ”は少女の問いに対して少し考えた後、冷たい声色で答えた。
「きっと、みんなの中から私がいなくなったのだ」
少女は”おおきなそれ”が言った言葉の意味がわからなかった。
「それから、私は毎日がたまらなくつまらなくって、たまらなく苦しい気持ちが続いて、何年経ってもそれが無くならない」
「それ、きっと寂しいんだよ」
「寂しい?・・・そうか・・・これは寂しいのか」
「私が友達になってあげる、これからもお話し聞いてあげるよ」
「君が?」
「私、友達も親も親戚も知り合いだっていないし、一緒だよ」
「なら・・・君は寂しくはないのかい?」
「ぜーんぜん?だって最初からいなかったんだもん」
「なるほど・・・では君にとって私は、はじめての友達か」
「うん」
「私も、そう言ってくれたのは君がはじめてだったか」
少女は”おおきなそれ”へと手を伸ばした。
”おおきなそれ”も応えるように少女の方へと身を寄せた。
その瞬間、少女の後ろから突き抜けるような風が吹いた。
”おおきなそれ”は、その風にあたると徐々に塵となっていった。
少女は”おおきなそれ”をただ黙ってじっと見つめていた。
やがて”おおきなそれ”は完全に塵となって風に舞い、消え去った。
それから少女は何度かここを訪れたが、”おおきなそれ”と二度と会うことはなかった。
けれど少女は”おおきなそれ”と出会い、寂しさと怖さを知った。
小さな少女とおおきなそれ
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