リズム

彼女はお気に入りのロッキングチェアーに深々と腰をかけ気持ちよさそうに船をこいでいる。あたたかな昼下がり。
残念ながら彼女は自分は何か特別なことができるに違いないという思考の持ち主で(中二病と名付けられている現代病の一つだ)変わり者としても有名だった。そしてその変わり者ぶりが彼女の思想をより強調し病気が益々進行するという悪循環をもたらしていた。
しかしながらそんな彼女は奇跡的に何人かのごく少数ではあるが理解のある友人を持っていた。不幸中の幸いと言ってもよいだろう。
その少ない友人の殆どは、もしも万が一彼女が特別なことが成功したら恩恵が受けられるかもしれないという下心で彼女に付き合っていたが、それは「もし万が一に」という考えであっても彼女自身に何か特別なものを見出しているということになるのでやっぱり理解のある友人という考えで間違ってはいないだろう。
私がそんなことを考えても考えなくてもこのように文字に著さなくてもそんなことは彼女にとってどうでもよいことなのかもしれない。
実際彼女の友人の多くは無口な彼女のぽつりとした独り言のようなお喋りの中で時々頭を縦に振る運動をするだけだった。
話を聞いてもらえているかは彼女にとって大して問題ではなかった。
しかしそんな何人かの友人のおかげで彼女は耐えがたいほどの孤独と向き合う必要がなくなったのだ。
彼女はロッキングチェアーに座ると必ず、生まれてから一度しか会ったことが無い祖父母のすがたを思い出した。記憶は強化され美化された。
彼女の祖父母は山の奥に住んでいた。山奥でも平野同様都市ガスが引かれ電気も水道も通っていた。チェーンのスーパーに行くのに車を必要とするが、至って普通の生活をしていた。ただひとつ驚くほどに口数が少ないことを除いては。
その姿はまだ幼かった彼女にさえ、もの珍しく、大きな違和感を与えた。二人はその地域では部屋数の比較的少ない平屋の家の中の同じ部屋に居ながら、祖母はひたすら絵を描き、祖父は木片にボンドをくっ付けるという各々の作業を遂行していた。
歯車のついた古い機械仕掛けの人形のような危なっかしいリズムを持っていた。三拍子と四拍子が常に同居しているみたいだ。
彼女という孫が訪れてきてもそのリズムに寸分の狂いも見せなかった。
彼女はいつもそんな祖父母のすがたを思い出した。
祖母の絵の具を混ぜるぐちゅぐちゅという音やカンバスに筆を押しつけるときの音。祖父が茶色で三角の木片に真っ黄色のボンドのチューブから白い色を木片に押し出してそれをくっつける動作。永遠と途切れることなく続くその光景を思い出すことで彼女は癒されていたのだ。

夕方外から子供の声が聞こえ、カレーの香りが何処からともなく町内中に広まる頃彼女のつかの間の幸福は途切れてしまう。
玄関ドアーの開く音が聞こえ、次にただいま、という甲高い声。バタバタと不用意に音を立てる。静かで空気が死同然に停止していた彼女のチェアーの周りに痛ましい生の香りが漂う。
ただいま、桜子。今日はね、あのね…
彼女の母はここぞとばかりに彼女一人に対して話しかける。長距離水泳の選手のように見事な息継ぎをしながらずっとずっと話し続ける。
たとい彼女が反応を示さなかったとしてもそれは母にとって大した問題ではないのだ。
甲高い声、
黄色の絵の具。
木工用ボンド。
意味のない会話、
祖母のしわしわの手、
祖父のまなざし。
母の言葉のボールに打たれっぱなしの間彼女は祖父母のあれこれを必死で思い出し思考と精神の平静を保った。
強化され美化された記憶の隅々、例えば秒針が時刻を刻む音やその時計がかかっている柱の傷跡、のっかている埃の白い点点なんかを思い出した。

ある日彼女はまたロッキングチェアーに座って外を眺めていた。
外の景色は雨模様だった。優しい雨が降り続いていた。彼女は自分でも何故だかは分からないが疲れ果てていた。
彼女は殆ど言葉を発しないが、その眼はどんよりとしていたし、頬にも少し陰りがあるように思えた。
彼女はまたいつものように祖父母のことを思い出していた。
少しだけうたたねをした。
夕方、そこへ母が帰宅をする。くしくも母の声によって夢の世界から引き戻されてしまう。
「寝てたの?」
母は笑顔で話しかけるが、その笑みをみて何故か「鬼に似ている」と思った。
それでも終わらない母の話に耳を傾けた。
彼女は優しい女の子だった。特に学校で飼っているものや植えてあるものに対して、その優しさが惜しみなく発揮された。
病気のせいであまり登校できないのであるが、
登校した際はカチカチと音のなる時計がはめられた腕で草取りをしたり、保健室にある金魚の水槽の掃除をしていたりした。
学校に行ける日の心はとても穏やかだった。

ある日彼女はまたお気に入りのロッキングチェアーに腰をかけ、前後に揺れながら考え事をしていた。
もちろんそれはいつものように反復を繰り返して美化された祖父母のことだ。
腕からは絶えず秒針が時間の経過を知らせていた。
頭の中がいつもに増して空洞になっている気がした。
いろんなものから発せられるリズムが響いているような気がした。
そうして「もしかしたら何らかの新しい才能がまた生まれたのかもしれない」と思った。「他の人が持たない特別な能力が。」
ちょっとずつ、その音が大きくなる気がした。
比例して彼女は嬉しくなった。

そうやって時間を過ごしていると母の帰宅する時間になった
「そろそろかしら、」そう思った直後玄関ドアーの音が聞こえ、バタバタと廊下を駆けてやってきた。
チェアーに座る彼女の顔を覗き込み、
いつものように彼女に何かを話している、ようだ、
しかし彼女には何も聞こえない。
口パクの母がやっぱり口を必死に動かしている。
カチカチと時計が時間を刻む。
それに0.5秒差で母の時計も音を刻む。
母の口パクが見える、
母の頬笑みが見える、
ロッキングチェアーの軋む音が聞こえる、
自分の心拍音が聞こえる、
母の口パクが見える。
もうひとつ、心拍音が聞こえる、
母の心拍音かもしれない。
いろんな音が頭の中でリズムを刻んで行く。
しかし母の声だけが、どれだけ耳を澄ませても聞こえない。
口の両端に白い唾の気泡を溜めこんで口を必死で動かし続ける母を流し眼で見てから目を閉じる、
祖父母の危ういリズムを思い出す、 脳内で更にリズムが生まれ、重ねられていく。

彼女はなんだかおかしくなって、笑った。
母が不思議な表情を浮かべて何かを話しかけてきているようだが
そんなものは彼女の耳に届かない。
笑ったら少しだけ心臓の動く音が早くなった。


(2011/11/21)

リズム

リズム

リズムに敏感になっていたとき

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-09-14

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