イルカと泳ぐのが夢だった

「イルカと泳ぐのが夢だった」
と言って、おねえちゃんがある日とつぜん会社を辞めて、イルカと泳ぐために知らない国へ旅立ってしまったとき、わたしは十七才だった。
 十七才のわたしは、飼っている犬と会話ができた。マオ、というなまえの犬で、これまたある日とつぜん、おねえちゃんが連れて帰ってきたのだった。拾ってきたのか、もらってきたのか、はたまた買ってきたのかも、おねえちゃんは教えてくれなかったけれど、マオ、というなまえであることだけは、教えてくれた。
「ごしゅじんさまのごはんは、おいしくないですね」
 マオはときどき、そう呟いた。わたしは、シッ、と人差し指を立て、くちびるにあてる仕草をしたけれど、ごしゅじんさま(つまり、おねえちゃん)にはマオの言葉がわからないのだから、訝しむのは当然のことだったけれど、わたしが、なんでもない、と首を振れば、おねえちゃんは、そう、と頷いて、じぶんで焼いた焼き魚を、もくもくとたべるのだった。
(おねえちゃんは、たぶん、わたしのことが、きらいなんだ)
 わたしは、たまに思った。
 はっきり言われたことはないけれど、おそらくそうだろうと感じる瞬間が、幾度かあった。たとえば、食卓のテーブルにわたしの箸だけ、並べるのを忘れられたとき。そのときは、まだ、おとうさんも、おかあさんも、いたけれど、仕事で忙しいふたりにかわって、大学生だったおねえちゃんが、夕食の支度をしていた。一度目は、きっと忘れちゃったんだな、と思って気にしなかったけれど、続けて二度、三度、四度とあったときは、(もしかして、わざと?)と怪しんだ。
 洗濯物がかえってこないときも、あった。おかあさんがまちがえて、わたしの花柄のスカートを、おねえちゃんの部屋のクローゼットに入れてしまったとき。おねえちゃんはまいにち、クローゼットから洋服を選ぶのに、わたしのスカートがしまってあることには、まるで気がつかなかった。半月が過ぎ、着ようと思ったらない、そこそこお気に入りの花柄のスカートを探し回って、発見したのだった。そのときも、わたしはおねえちゃんに、どうして気づかなかったの?、と問い詰めたけれど、おねえちゃんは、ごめんね、と謝るばかりで、その、ごめんね、も、どこかうわの空で、それ以上はなにも言わなかった。
「でも、ごしゅじんさまは、だいすきですよ、あなたのこと」
 おねえちゃんにきらわれているかもしれないことを、マオに話したところ、マオ曰く、そういうことらしかった。
 うそだぁ、と言ったわたしに、マオは、ほんとうですよ、と尻尾を左右に激しく振りながら、主張した。
「ごしゅじんさまは、ただ、すき、をあらわすのが、にがてなひとなのです」
 たしかに、好き、に限らず、おねえちゃんは感情をおもてにだすのが、苦手のようだった。
 静かに笑い、おおきな声で怒ることはない。楽しそうにしているところを見たことがないし、おねえちゃんの泣き顔も、わたしは知らない。
 ぼぉっとしていることは、よくあった。話を聞いているのか、いないのか、ときどき、ほんとうに聞いてた?、とたずねると、聞いてたよ、とおねえちゃんは言い切った。
「それから、あなたは、とてもやさしいひとですね」
 ごしゅじんさまをきずつけないよう、ていねいにことばをえらんでいる。
 わたしは、そうかな、と思った。それは、たぶん、おとうさんとおかあさんが、長期の海外出張でいないから。けんか、したくないから。ふたりだけの、姉妹だから。
 理由を並べ立ててみたけれど、どれも取って付けたように感じられた。よくわからん。わたしは言った。マオは、
「よくわからんでも、いいとおもいます」
と、なにやらえらぶった調子で、犬用の、骨のおもちゃをくちにくわえ、がじがじと噛んだ。
 それから、結局、ほんとうに、わたしのことがきらいなのか、どうなのか、わからないまま、おねえちゃんは夢を叶えるために、海を渡ってしまった。
 おねえちゃんがほんとうに、イルカと泳げたのかも、不明だ。どこの国に、いるのかも。
 でも、半年に一度、手紙が来るので、どこかの国で生きているということは、わかった。
 手紙にはかならず、きれいな色の貝殻や、変わった形の石ころや、干からびて白くなったヒトデなんかが添えられ、文面はいつも淡々としていて、みじかかった。(ワニは意外とうまい。なんて書かれていたことも、あった)
 十八才になったら、マオと話すことができなくなってしまった。マオは、わんわん、としか吠えなかった。ごはんほしい、も、おさんぽにつれていってください、も、わからなくなり、十九才になっても、マオが発する言葉は、ただの犬の鳴き声でしかなかった。
 もしかしたら、マオは、もともと、わんわんと、ふつうの犬のように吠えていただけかもしれない、と考えた。わたしが、マオの、わんわん、を、あたまのなかで都合よく変換していたのかも、しれない。そう考えると、しっくりきたし、でも、しっくりくるのも、なんだかなぁ、と思った。
 おかあさんが一時帰国したときにも、おねえちゃんはいなかった。
 夢を叶えるために旅立った、と云ったら、おかあさんは「まぁ、いいじゃない」と笑った。笑って、納豆ごはんをたべて、連続ドラマの五話を観て、生活費をおいて、ふたたび行ってしまった。
 マオは、この頃、じぶんのベッドから、あんまり動かない。
 おねえちゃんのことを、ごしゅじんさま、と呼ぶマオの声が、わたしは好きだった。

イルカと泳ぐのが夢だった

イルカと泳ぐのが夢だった

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-20

CC BY-NC-ND
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