待ちぼうけ

 散歩というよりも、行く当てもなくそこらへんをほっつき歩いている。そんな毎日が仕事をやめてからずいぶんと続いている。虚しいからだ。起きてから寝るまで、いや夢の中でさえも、ずっと虚しいから。それを誤魔化すようにほっつき歩いている。
 真っ昼間の駅前。歩き疲れて広場のベンチに腰掛ける。近くで学生服の若者たちが、俺の耳まではっきり聞こえてくるほど大声で騒がしく喋っている。
「なあ、さっきのネットニュース見たか? またミサイルだってよ」
「またー。あの国もしつこいね」
「でもミサイルなんか降ってきたことねえじゃん。本気で撃ってんの」
「威嚇射撃ってやつじゃないの」
「何を威嚇してんだよー。ほんと低能民族の国がそばにあんの困るわー」
 耳障りにげらげらと笑う。俺はそちらのほうをちらちら見やりながら、そのミサイル、こいつらの頭上に降ってこないかなと思う。そうしたら俺も一緒に吹っ飛んで死ぬわけだけれども、そうなったらそうなったで、とても本望なことだと思った。
 そうだ、ミサイルが降ってくればいいのだ。ミサイルですべて吹っ飛ばされてしまえばいいのだ。誰かの幸福も不幸も、自分の虚しさもこのしょうもない人生も、何もかも圧倒的な爆発によって粉々に消し飛んでしまえばいい。日本が滅んで、日本だけではなくて世界が滅んで、いっそのこと宇宙まで無に還ってしまえばいい。
 そう考えて、俺はまた心臓をぎゅっと締め付けられるような感情になる。知っている。こんなのは自主的にこの世から消えられないことへの言い訳だと、自分に対する言い訳だと、俺は誰よりもよく知っている。消えたきゃ一人で消えればいい。いつでも、どこでも、人間なんて簡単に人生をリタイアできる。それができないのは、そうすることが怖いのは、俺が生きたいからではなくて、生きないという選択をする勇気もないからで。
 俺だって頑張って生きないを選択しようとした。太い縄を買ったのだ。すぐに切れてしまったりしないように、わざわざネット通販で丈夫なやつを買った。それを家の梁に括り付けて、椅子の上に乗って。輪っかにした縄に首を通すところまではできたのだ。でもそこからが。そこからが難しくて。何度も椅子を蹴り飛ばそうとして、でも足は意思に反して踏ん張ってしまって。がたがたと揺れるばかりで一向に倒れなくて。ようやく倒れたと思ったら、俺の身体ごと後ろにひっくり返って。梁から垂れ下がった縄はぷらぷらと揺れていて。俺は床にしたたかに背中を叩きつけて・・・・・・それっきりだ。首に縄を通すこともやっていない。縄は梁に括り付けらたままで、ときおり風もないのにぷらぷら揺れるばかりだった。
 気づけば俺は待ってばかりだった。いつか来るだろうと自分の番を待っていたら、いつも希望のものは来なくて、全然いらないものばかり押し付けられた。仕事をやめたときだって、あのときは自分の意志でそうしたとばかりに思っていたけれど、あれだってアホみたいに待ちぼうけていた俺に対して送り付けられた赤紙のようなものだった。
 俺が仕事をやめると言ったとき、上司は妙に嬉しそうな顔をしていた。同僚だって驚く素振り一つ見せなかった。どいつもこいつも何となく察していたのだ。待ちぼうけていた俺の末路を。俺は仕事ができなかった。付き合いがいいわけでもなかった。それでも図々しく待っていたのだ。自分が変わることでさえ、自主的にやらずとも時がなんとかしてくれるのではないかと、何かの拍子でひょいと奇跡が起きたりするのではないかと。その結果だ。その結果が今だ。そして今も待ちぼうけている。死ぬことを。
 待っていればいつか死ねるだろう。人は必ず死ぬのだ。それは間違いない。でも今のこの感情の中で。今すぐ生きるのをやめたいというこの感情の中で、俺はいつまで待たなくてはいけないのだろう。いつまでまた待ちぼうけていないといけないのだろう。
 本当は。本当は待ちぼうける必要なんてない。生きるのをやめたいならやめればいい。仕事をやめたときみたいに。今度こそ待った末の結果ではなくて、自主的に。でも俺はやはり待つことしかできない。せめて早く。なるべく早くこの世界の何かが自分のことを殺してくれることを願いながら、俺は今日も待ちぼうけている。
 人々の話し声に笑い声。たくさんの足音、靴音。車のエンジン音。自転車のベルの音。救急車だかパトカーだかのサイレン音。雑踏。喧噪。雑音。その合間を縫うようして、何かひゅーっと落ちてくるような音が聞こえた気がして、はっと見上げる。しかし、そこにはミサイルも隕石も降ってくる気配はなくて、ただ雲がいくつか浮かぶ青い空が広がっている。

待ちぼうけ

待ちぼうけ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-19

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