Fate/defective パラノイド【第一話】

第一話 二〇二〇年 三月二十日 二十時

 普通の一軒屋の一室で、それは執り行われた。部屋は世間一般と称される者たちには理解不能な道具や本が散乱している。高価そうな鉱石や、英語や象形文字・魔方陣の書かれた本。濃紺の液体の入ったフラスコなど、多種多様だ。一体、何に使われるものなのか。それを知っているものは一般の枠からは遠く離れた人種だけだろう。
 そして、部屋には謎めいた品々の用いられ方を知る青年が一人。手を触れるのも憚られるような繊細な品も、勝手を知っているようにテキパキと横に退けて目的の物を探した。
「ああ、これだ」
 青年が手にしたのは茶色に着色された硝子製の大きな瓶だ。中には液体が入っているが、見た目の何倍も重い。自分が扱う魔術には用いないため、どこにあるのかすっかり忘れていたのだが、すぐに見つかって彼は胸を撫で下ろした。そして、未だ尻込みしている自分を叱責した。
 先ほど見つけた瓶に、魔方陣のメモに呪文。そしてルーン石。全てそろっているのだ。もう後戻りなど出来ないだろう。御代佑。愛しい妹と尊敬する教授の後押しもあるのだ。何故、戸惑う?
 当たり前だろう。きっと今、人生で初めて佑は、自らの意思をもって行動を起こす。やれと言われたことはやった。やめろと言われたことはやめた。良い子にしていれば報われるだろうと思った心は、人々の無関心が打ち砕いた。それでも手放したくなかった絵筆のために、妹たちの勧めがあったとはいえ自らの決断でもって戦うことを決めた。十九年生きて、きっと、初めて。
 自らの意思で、瓶の中身――水銀を魔術工房の床に垂らす行為ですら、佑は背徳感を覚えた。震える右手を反対の手で押さえ、佑はたっぷりと時間をかけてサーヴァントの召喚を行うための魔方陣を描いた。中心には、教授から送られ妹の結に渡されたルーンストーンのピアス。陣の最後の円を閉じて大きく息を吐き出したとき、佑は自分が息を止めていたことにようやっと気づき呼吸を整えた。大きく深呼吸をして、間もなく呪文の一節を詠唱し始めた。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公――」
 これでもう、本当に後には引けない。
 魔方陣が光を放ち始め、淡い光は少しずつ、少しずつ強くなっていく。眼鏡越しの光が眩しかった。
「降り立つ風には壁を……四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
 声が震えそうになるたびに、大きく息を吸って整えた。ああ、この先の詠唱は気をつけないと、間違えてしまう。
閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する――――」
 巻き起こる風に髪が巻き上げられていく。長い前髪が風の流れに逆らわずに舞って、晒された額が涼しかった。あと少し。そう自分を奮い立たせて、残りの数節を詠みあげた。

 ――――告げる
 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。
 誓いを此処に。
 我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。
 汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――

 詠唱を終えた瞬間、目の前の陣が目を開けていられない程に光輝き、この家全体を揺らすような衝撃が巻き起こった。工房の物が幾つか倒れ、佑は急激に体内から消失した魔力の所為か揺れの所為か尻餅をついた。痛むところをさすっていると目の前に大きな影があることに気づいて顔を上げる。
 見上げた先には背の高い男が、魔方陣の中央に立っていた。サーヴァントの召喚に成功したのだ。片目を深い紫の髪に隠した男は、目の前で座り込む佑を見つけはっきりと告げた。御代佑が、マスターになった事実を。
「サーヴァント、ランサー。召喚に応じ参上した。お前が、マスターだな」
 同時に右手の甲にひりつく痛みを感じた。見るとそこにはランサーを使役した証である令呪が刻まれていて、その模様が佑に事実を確かに知覚させた。
 手の甲を見つめ動かない佑に「大丈夫か?」と一声かけたランサーは、手を差し伸べてあっさりと名を告げた。まだこちらは何も言っていないというのに。
「俺の真名は、ケルトハル・マク・ウテヒル。――って、言ってもわかんないか」
 こちらを信じて疑わぬ、赤とも青ともつかぬ水晶のような瞳が少し困ったように細められて、眉は「ハ」の字に曲がった。幸い佑はケルトハルという名を知っていたので、自嘲混じりの呟きに応える。
「……わかるよ。文献を読んだことがある」
 そのとき見たのは武器の魔槍のほうだったが、彼がランサーのクラスを賜ったというなら間違いはないだろう。ルーンストーンのピアスという、選ばれるサーヴァントが絞りきれないような聖遺物で、偶然にも名を知っていたケルトハルを召喚したというのは、縁があったということなのだろうか。
 差し出された手を取って立ち上がる。彼の背はそれでも高くて、佑の頭一つほども差があった。
「僕は、御代佑。一応、君のマスターだ」
 遠慮がちな声に「一応ってなんだよ。ちゃんとマスターだよ。安心しな」と笑う彼の顔を見て、とても久しぶりに胸の内が軽くなった気がしたが、佑はその不思議な心地が何か、まだわからなかった。

「すごい揺れがしたけど……って」
 ランサーを連れて佑が魔術工房から出ると、目の前にはエプロンを着け布巾で手を拭っている結が立っていた。先ほどランサーを召喚したときの揺れで心配になって来てしまったらしかった。結は突如家の中にいる見知らぬ男を見て、微かな怯えと戸惑いを見せつつ佑に問いかける。
「どちら様?」
「彼が、召喚したサーヴァント。使い魔だよ。ランサー……槍使いなんだ」
 佑が手でランサーを示しながら簡単な紹介をすると、彼女は物珍しそうにランサーの爪先から頭までをゆっくりと観察した。シンプルなブーツの質感、外套の澄んだ濃い紫と編まれた三つ編みの髪質。耳元で揺れるのは、教授が用意したルーンのピアスだろうか。意志を宿して生き生きとした瞳に、目が合うと自然に微笑まれた。衣服も髪も肌も表情も、微かに感じる浮世離れした雰囲気以外には何の違和感も感じられない。結は教授から普通の使い魔ではないと説明を受けていたが元々普通の使い魔が理解できなかったため、サーヴァントの想像が全く出来なかったのだ。彼女は嘆息して呟いた。
「す、すごい。普通の人間に近いというか……」
 その様子に苦笑してランサーは、頭をかいた。目の前の少女が竜やら蛸やらの非人間的想像を抱いていたのならば、とんだ勘違いだ。
「お嬢ちゃんはどんな想像を抱いてたんだか……佑、この子は?」
「妹の結だよ。魔術師ではないけれど」
 自己紹介が済んでいないことに気がついた結は、背筋を伸ばして恭しくお辞儀をした。挨拶をする声は、先ほどとは打って変わってとても硬い。神聖なとても偉大な人物ではないかと彼女は萎縮した。
「あ、ご紹介に預かりました。御代結、です」
「そんな硬くなるなよ。俺はケルトハル・マク・ウテヒル。簡単に言うと毒槍使いだ」
 その様子にまた笑って、ケルトハルは自らの真の名を告げた。英霊は弱点を晒さぬためにあまり真名を明かしたがらないものではなかったか。佑は軽く首を傾げたが、相手がマスターである自分の親族だからかと何となく納得した。
 挨拶も済ませ、結は夕飯の準備に戻るかと思われたが。踵を返そうとした足を止めて、困った顔をして振り返った。長い髪が柔らかく揺れた。
「どうしよう兄さん。お夕飯の魚、二匹しかないよ」
 ケルトハルさんの分がない。と肩を落とす彼女に、佑とケルトハルは顔を見合わせた。
「それなら心配しなくても、俺は飯食わなくても平気だからよ。気を落とすな? なぁ、佑」
 サーヴァントはマスターからもらえる魔力の供給以外のエネルギーは基本必要ない。だから飲食も睡眠も必要がないのだ。その旨を妹に伝えたが、彼女は食い下がってきた。曰く、必要がないのと食べられないのは別、とのことで。
「食べられないわけじゃないんですよね? それなら、ちゃんとご飯の用意をしたほうが……私、買ってくるね」
「八時過ぎてるよ!?」
「それでも!」
 結はエプロンを外しながら玄関へ向かおうと、二人の横をすり抜けた。待って、と佑が声をかける前に、ケルトハルの声が制する。
「――なら、俺たちで行こうぜ? マスター」
 すでに時刻は夜八時をとうに越えている。今の時代夜遅くまでやっているスーパーもあるものの……佑の言いたいことをわかっているのか、横に控える槍使いは彼の言葉を代弁するように代替案を出した。
「女の子を夜に出歩かせられないだろ? それに比べて佑にはサーヴァントの護衛付き。強盗だろうがなんだろうが追い払ってやるよ」
 使い魔らしく、な? と自信ありげに腰に手を添えて言い放つケルトハルに、結も折れてお使いを頼むことになった。

◇◇◇

 春の少し肌寒い空気が体を震わせる。厚手のジャンパーを着ていて良かった。佑は歩道橋の上で空を見上げながら思った。空は地上の明かりに打ち勝った星が数える程度だが見えた。月は朝を過ぎてから沈み始める下弦の月だったため、今は見ることができない。薄暗い夜だった。
 振り返って見ると後ろを歩くランサーは、自分の着ているコートの裾や布地を面白そうに眺めていた。必要な言語や現代の知識は聖杯が付与してくれるらしく、彼は流暢に日本語を話し、街を走る車や夜を彩る電光掲示板にも驚いた顔を見せなかった。しかし自分がその現代の技術の一片を身に纏っていることは興味深いらしく、外に出る前から、時々服を手の先から足の先まで感心したような顔で見つめていた。
「服のサイズ合って良かった」
 佑はその様子が少し面白くて、軽く微笑んでランサーに声をかけた。
「ああ……これは?」
「父さんの。出張に持って行かなかった分」
 家を出る際は忙しなく、佑の服にしては大きすぎるそれらが誰のものなのか聞きそびれていたが、ランサーはなるほどと納得した。しかし家には両親の姿は見えず、妹も夕飯の魚は“二匹”と言っていた。
「そういえば、二人で暮らしてるのか……」
「う、うん。父さんは仕事で滅多に帰ってこなくて、母さんは渡英して時計塔の方に行ってる」
 ああ、まずかった。佑の前髪と眼鏡で隠された澄んだ色の瞳が翳っているのを見て、ランサーはマスターとの距離感を測りかねた。サーヴァントとマスターの正しい距離なぞ知らない。いきなり手を差し出して真名を告げたのは、少々馴れ馴れしかっただろうかとランサーは考えていた。
「二人で、大変だなぁ」
 話を少し逸らすように二人暮らしの苦労を思いやる。佑は眉を寄せて自らを嘲る笑みを浮かべた。
「でも家事はほとんど妹がやってくれてて。本当に申し訳が立たないよ」
 ランサーはこの一時間にも満たぬ間で、マスターである佑の性格を少しずつ把握し始めていた。おそらく彼は、人に意見をするのが苦手で、自分のことを過小評価する男だ。ランサーが親族とはいえ妹に出会ってすぐに真名を告げたとき、咎めるとはいかずとも微かに戸惑った様子だった。それは「簡単に真名を言うな」と言いたかったのかもしれないし、「真名を言って大丈夫なのか」とこちらを気遣った視線だったのかもしれない。きっと後者だろう。どちらにしても、何か言いたげな様子だった。
 そして、常に自分に自信がなさそうにしている。召喚時も“一応”マスターなどというなんとも頼りない挨拶を頂いてしまった。先ほどの台詞も、“自分は何も成せていない”とでも言うような口ぶりだった。ただ気が弱いだけの男と表現するには、真下を向くような俯き加減や揺れて定まらない視線は少々度が過ぎる。
 沈黙が続いた所為か、目の前の彼は心配そうにこちらを眺めていた。顔には何かまずいことでも言ってしまったかと書いてある。意外と読みやすいものだ。
「聞いてもいいか?」
「うん。何? ハル」
 佑は家を出る前に決めたランサーの愛称を呼んだ。ケルトハルでは呼びにくいのではないかと言ったら、佑が提案してきた呼び方だった。妙に耳に馴染む愛称を受け取って、彼はどうしても訊きたかったことを声に出した。
「……どうしてマスターは聖杯戦争に参加するのかなって」
 少しだけ戸惑ってしまったのは何故か。主人の佑の性格が早くも移りでもしたのかと、震える声帯に文句をつけたくなった。
 佑は目を丸くして、言葉を詰まらせる。
「物騒なこととか、苦手そうだからよ……言いたくないならいいけど」
 ケルトハルは何故、佑の性格が気に掛かっているのか。それは聖杯戦争に参加していることにあった。優柔不断を極めているらしい彼が、どうして進んで命を懸けた舞台に参加するのか。魔術師だからと言ってしまえば簡単だが、そのような単純な理由で危険を冒すようには見えない。きっと何か理由があるはずなのだ。
 ケルトハルはマスターの気持ちを尊重したい。そのためにも訊いておきたいのだ。良きサーヴァントとマスターの関係になることができそうな彼だから。何が欲しくて、何のための聖杯戦争なのかを。
 佑はこの場に似合う言葉を紡ぎ出そうと必死に頭を働かせる。
 誤魔化す? 誤魔化すって何を。何と言ったら正しいのだろう。でもきっと“言われたから”なんて愚かな真実では、サーヴァントを従えるのに足る理由にならない。
「その……別段、深い意味はなくて」
「安心しろよ。どんな理由でも怒らねぇし、認めてやるから」
 ああ、矮小な理由に憤慨するような英霊じゃないじゃないか。ハルは。
 この一時間と少しで彼の優しい性格はよくわかったのに。短い間でも形成された信頼を裏切ったようで、佑はさらに恥ずかしくなった。
 佑は意を決したように事のいきさつを話した。渡英の準備が進まない佑を見かねて、妹の結が師である教授に相談しにいったこと。そこで聖杯戦争に佑が参加することで、功績を上げて多少の自由を認めてもらう。つまりは、渡英を中止してもらおう。というわがままな理由を。
 話を静かに聴いていたケルトハルは、それでもそこに佑の意志が乗せられていないことに気づいた。だから彼が傷つかぬよう注意して、努めて柔らかく伝えた。
「言われただけで参加するほど、簡単なものじゃねぇだろ?」
 最後に参加を決めたのは佑だったはずだ。少しでも、今を変えたいと思うのなら。そこには彼の意思が存在する。
 歩道橋の中心。橋下は多くの車が往来している。佑の声は雑音に紛れて消えてしまいそうなほど小さかったが、ケルトハルにはよく通って聞こえた。
「その、認められるかもって……」
 絵を描いていたかった。確かにそれも動機だ。ロンドンへは「必要なものだけ持って来なさい」と言われているのに、母の前で画材を出せるような根性はなかった。続ける気力の削がれた物を本当に捨てるつもりだった。けれども、その心の支え一つのために危険な橋を渡ろうと思ったわけではない。
 妹に差し出されたチャンスは、この先も細々と生きていくための“手段”を守るためじゃなかった。妹が与えてくれてそれは僕が地に足をつけて生きていくための――“証明”ただひとつ。
「こんな僕でも、何かできるんだって。証明……したかった、のかなって」
 ただ言うことを聞いているだけの、それでも見向きもされない人形のような透明人間じゃなくて、確固たる意志で歩く強い人間に。なりたくて。
 佑の言葉を掻き消そうとする橋下のノイズを、ケルトハルが笑い飛ばした。
「良いじゃねぇか! 何を尻込みする必要があるんだ? もっと胸張れよ」
 流石は自分を喚んだマスターだ。話を聞いておいてよかった。
 佑の肩を軽く叩いて励ましの気持ちを送った。彼は驚いた様子だったが、やがて丸くなった瞳を細めて破顔した。佑の顔は暗い夜道にも映える明るいものに変わっていて、ケルトハルは心底安堵する。
「ハルに言われるとなんか、元気出る気がする」
 頑張ってみるよ。と佑は背を向けて買い物道中を再開すべく、一歩前に歩き始めた。足取りは軽く、春の始まりの風を柔らかく受け流していた。ランサーも後に続いて歩き始める。
 歩道橋の終わりまであと数メートルに差し掛かったところで、佑は軽く振り返って訊ねてきた。
「じゃあ、僕からも聞いていい?」
 彼の髪が風に靡いて隠れた空色の瞳と、後ろの髪のシルエットがよく見える。暗がりでは黒にしか見えない髪の。……黒?
「ハルは聖杯で何を――」
 佑の後ろに白銀の光が見えた瞬間にランサーは吼えるように叫んだ。
「佑っ……! 止まれ!」
 ランサーの叫びに咄嗟に踏み出しかけた足を留めた。白銀の鋭い線は佑の鼻先のギリギリで止まっている。
「――はっ」
 眼が像を結べないほど前に突き出された白銀が凶器であると知った瞬間、佑は無意識に数歩後ずさった。後ろに傾きかけた背をランサーが支える。添えられた手は既に武装されており、篭手の堅さが伝わってきた。
「卑怯じゃねぇか。なあ?」
 佑に凶器を突きつけた存在は、ランサーの非難を真っ直ぐ受けても微動だにせず立っている。先ほどまで何もいなかった歩道橋の終わりには、二人の目の前には、時代錯誤の出で立ちをした男がいる。大太刀の如く長い刃をもつ刀を危なげもなく構え、全身を深い夜に溶ける群青で染め上げた一人の侍が。佇まいの隙の無さ。あの侍は、サーヴァントだ。ランサーと同じく、魔術によって喚びだされた英霊。
「すまぬなぁ……ここまで気づかぬものだとは、思わなかったものでな。ああいや、お前たちのことではない。この器に納まる折に賜った術が、ここまでとは知らなんだ」
 この器――クラス。クラススキルか。
 ランサーはそっとマスターを後ろに逃がして、思考を巡らせる。サーヴァントのクラスは、英霊がもつ逸話や武器によって定められる。そして、クラスに応じた恩恵、スキルを取得して召喚される。ケルトハルが良い例だ。毒液に浸し続けなければ持つことすら危うい槍の所有者であることが、彼がランサーのクラスを頂く所以であり、それ以外のクラスに該当する逸話はおそらく存在しない。
 だから目の前の侍も、その手に持つ武器か侍自身の逸話が、該当するクラスに収まるはずなのだ。侍といえばここ日本。日本の長刀は、サーヴァントのクラスに当てはめるなら“剣士”――否。
 あの男はランサーたちがサーヴァントの気配に気づけなかったことを、“クラスによる術”だと言った。気配を遮断できる特性は暗殺者としての能力だ。
「なら、お前はアサシンか」
「いかにも」
 侍は構えを解いて刀を下ろす。男の顔が見えた。鋭く燃える眼光が、ランサーとマスターを射抜く。
「そう警戒しなくてもよい……と言っても理解されないだろうなあ」
「当然だ」
「サーヴァントとやらに為った己の力。見定めたくなったが故、だとしてもか?」
「……だからなんだって言うんだ。俺のマスターに危害を加えたのには違いない」
 ランサーは毒の水面が揺れる得物を目の前の男に突きつける。アサシンは微かに笑ってランサーの殺気を受け流した。そして一人納得したような表情を見せた。
「それもそうか……ではそれでよい。お前はマスターを護る為、私は己の力を見定める為。仕合いをしようではないか」
 スッと音無く足を半歩後ろにずらして構えたアサシンに、ランサーは今にも飛び出しそうになる体を抑えた。相手の手は見えない。ここは見極めるべきだ。
「サーヴァント、アサシン。真名は佐々木小次郎。お前に仕合いを申し込む」
「フン。簡単に言いやがるのな。真名」
 つい先ほどの自分を棚に上げるような発言を、ランサーは吐き捨てた。行為は同じでも、敵に晒すのと味方に晒すのでは天と地ほどの差がある。佑が「有名な日本の剣士の名だ。気をつけて」とランサーに呟いた。体が緊張で強張る気がした。
「刃を交える相手に名を告げないというのはなぁ……しかしこちらの都合故、聞き流してくれてかまわぬ」
 余裕の表情でこちらを迎え撃つアサシンは、ふと後ろを気にかけるように目を動かした。何も無い空間、いや歩道橋の階段か。板に阻まれたそこに向かって声をかけた。
「マスター。荒事に巻き込んでしまった事。すまないと思っている。仕合いの勝利……それで勘弁願おう」
 マスターに侘びを入れ、口を引き結んだアサシンが初めて敵意を顕わにして、手に持つ刀を握りこんだ。苛立ちに任せるような声をランサーは叩きつけ、地を蹴った。
「始めから勝つって決め付けてんじゃ――ねぇよ!!」
 ランサーが禍々しい紫の靄を引き連れた得物の穂先を先手必勝とばかりに突いた。機動力には自信があった彼は、しかしその先の空間に動体がいないことに目を見張った。そして、首元から胴にかけてが冷たい殺気に捕らえられていることに気づく。ひたり、と敵の刃が当てられた。
「終わりか? ランサー」
「……なっ」
 ランサーの俊敏な槍の一突きを、避けるだけならばまだしも侍は避けた上で懐に入り込みその長すぎる刃をあてがったのだ。早すぎる。
 咄嗟にランサーは槍のリーチを使い、アサシンを薙ぎ払った。しかしアサシンが後ずさった方向には佑がいた。
 焦りが募り、アサシンの得物をこちらに向かわせるように連撃を繰り出す。こちらは毒槍。掠らせるだけでも相手には手痛い傷になる。そのはずだが、全て白銀の刃と俊敏な回避に阻まれかわされる。胴を抉るように突いた槍は、刀に弾かれ。その合間にはこちらを横一線に斬ろうとする長い得物に間合いを離された。ならば足元と掬わんと薙いだものは颯爽とかわされ、微かに着物の裾を引っ掻いた程度にしかならなかった。
「うむ。なかなか」
「嘘つけ」
 まるでこちらを賞賛するようでいて、その声には冷静さを感じる。
「いんや? その槍。技。侮ってなどいない……!」
 大振りが来る。確かに刀の長さを考慮し余りある幅で避けたはずが、ランサーの頬を侍の切っ先が掠めた。相手が大股で間を詰め、下からの斬り上げを行ったのだ。二手を一手に縮めたその俊敏さは留まることを知らず、今度はこちらの番と言わんばかりの技を見せつける。攻守は逆転した。
 斬り上げによる隙など無かった。無いように見えたのではない。遅延一つ無く刃がランサーに降りかかる。頭を狙った刃を避けて、槍を細い盾として前に出すと四度金属を叩きつけた甲高い音が聞こえた。
 まさか、今の数瞬で……?
 瞬きの間にアサシンがこちらに突きを放つのが見えた。咄嗟に槍の向きを変えると左脇腹を狙った刃が穂先に当たって滑る。向きを変えて来る胴を払う斬撃を跳躍してかわすと、ランサーは呆然として戦闘を見守っていた佑の真後ろに着地した。早口に佑に囁く。
「あぶねぇから、離れておけ」
 佑がいるのは先ほど二人で話し合った歩道橋の真ん中だ。これ以上激しい戦闘になれば彼を巻き込んでしまう。庇いながら戦えるほどの余裕を相手がくれそうにはない。その証拠にマスターを逃がそうとした手は槍を持ち直さざるを得なくなった。アサシンがこちらに垂直に斬り込んできたからだ。相手はマスターに危害を加える気はないようで真っ直ぐランサーに向かってきた。それだけが救いか。

 何が起きているのか。目では追えない槍と刀の攻防を佑は棒立ちになって見ていた。ランサーが先手で仕掛けてから今の今まで数分も経っていないはずだ。もしかしたら数十秒程度の出来事だったかもしれない。次元が違う。
 ハッとして、佑はランサーの言う通りに歩道橋を渡りきった。サーヴァント同士の戦いに橋の最初と最後程度の距離ではあまり変わらないかもしれないが、アサシンの極められた剣技の間合いに入ることはない。
 その間にも二人の激しい戦いは続いている。ほんの数秒で何度鋭い金属音を聞いただろうか。ランサーの紫の三つ編みと、アサシンの一つに括られた群青の髪が二人の動きに着いていけずに色濃い残像となっている。
 一息吐くだけの時間で打ち鳴らす数を増やす音に魅入られて、佑は横からスッと動いた人影に反応が後れた。
「す、すげぇよ……アサシン……! あんなの漫画でしか見られないって!」
 興奮した様子の男はこちらに気づかずにふらりと歩道橋を数歩渡った。男は長袖のトレーナーとスラックス一枚だけの肌寒い格好で、服越しにでも手足の細さが分かった。アサシンのマスターか。
 男は右に左にと不安定に足を踏み出している。また一歩踏み出して、体が大きく右に傾いた。佑は咄嗟に男の体を支える。
「大丈夫ですか……?」
 男は急に触れてきた相手に驚いて身を引いた。欄干に背をついて、佑と目が合う。
 そうか、僕たちは敵同士だった。迂闊すぎただろうか。
「あ……ごめん、えっと……」
 男もまた敵同士であるにも関わらず、謝罪を述べた。夜の暗がりの所為か、男の顔色は少し悪いように見える。様子を観察していると、男の手がズボンの生地を皺になるほど掴んで震えているのが分かる。さらには周りの車の音でよく聞こえなかったが、息が上がっているようで肩が大きく上下していた。
「具合、悪いんですか……?」
「あ……これ、は……いつものことで」
 話すこともやっとな男がそう呟いたとき、一際大きく金属が打たれたような音がした。橋が揺れて軋む音がする。先ほどまでそこまで不安定ではなかった橋が。
「あっ……!?」
 男の目が驚愕に見開かれる。欄干に寄りかかっているはずの男が遠のいた。所々腐っていた欄干が壊れて男の場所だけ壊れて外れたのだ。佑の動きが止まったのは驚いたその一瞬だけだった。先ほどと同じように咄嗟に男に手を伸ばした。
「マスター!?」
 ランサーの槍を弾いたアサシンは相手の肩越しにマスターの非常事態に気づいた。声に弾かれるように振り向いたランサーも、二つの人影が橋の上から落下していく姿を捉える。下は車道。それも交通量の多い道路。先ほども大きなトラックが連なって走り去っていくのが見えた。背筋が凍りついて息が止まった。
 サーヴァントたちは事故現場に駆け寄って下の道路に人影を探した。ランサーは道路の先、一台の大型トラックを見つめる。とっくに橋を通過した銀色の箱の上には黒い何かが乗っかっていた。ランサーは胸を撫で下ろす。打撲しているかもしれないが、車に轢かれるよりも何倍もマシだ。唯一の不安はアサシンのマスターだが、恐らく好戦的ではない。ならばマスターを迎えに行けば済む話だ。
「アサシン。あのトラックの上だ」
「私も見た。勝敗はまたいずれ……」
 アサシンも安堵の息を吐いて相手に勝負も延期を告げる。しかしその声は他に気を取られたようで尻すぼみになっていった。アサシンが見つめるのは腐り落ちた欄干の根元と手すりの四ヵ所。欄干の鉄とは異なる物体が刺さっている。白い粒子になりほとんど消えかかっていたが、そのシルエットはまるで矢のように見えた。
「……」
 アサシンが群青の瞳で睨みつけた場所は、既に何の痕跡も残っていない。
 外したか。もしくはこちらを弄んでいるのか。後者だろうとアサシンは思った。四度も放った矢がマスターの身を一度も貫くことがないなどありえない。しかし敵襲を許すとは、自分も少々熱くなりすぎたようだ。
 アサシンは身を翻して歩道橋を後にした。胸に巣食う奇妙なざわつきを一歩踏み出すごとに振り払いながら。今はただマスターと無事合流することだけを考えて。

◇◇◇

 歩道橋を視認できる距離にあるビルの屋上。視認できるといっても、それはサーヴァントの特に視力の良いもの、狙撃手のような特性をもつものだけが仔細を把握できるような距離だった。そこには先ほどまでの様子を逐一観察していた者たちがいた。
 橋の上からサーヴァント二騎が立ち去ったのを見て、武士のような姿をした少年が声を発する。
「あれで、良かったのですか」
 矢をつがえていた腕を下ろして、少年は振りむいた。少年の後ろには緩く編んだ金髪を夜風に目一杯晒して、気持ちよさそうにしている女性がいた。日の本の生まれではありえない金髪と碧眼が少年をうっとりと見つめた。赤い眼鏡越しの瞳、その色は良く映えた。
「ええ。ええ。スバラシイ働きでしたワ」
 こちらを肯定する甘い瞳と言葉に少年は黙り込む。先ほど、腐り今にも壊れそうな橋にトドメの矢を放ったのはこの少年だった。あれはもちろん外したのではない。己の主人の命だったのだ。本来彼の腕ならばあの二人を貫く必中の矢を放つことも容易だったが、それを許さなかったのは主人の女の方だった。彼女はうんうんと頷いて、それでは本題と話を変える。
「デハ、ワタシではよく見えませんデシタので、彼らのことを教えてチョウダイ?」
 妖しく笑う己の主人の命令に、少年は頭の中で整理していた事柄を述べる。
「はい。一騎はランサーでした。ランサーは槍先に靄のようなものを纏わせており、ただの槍使いとは思えません」
 槍に妖気を纏ったランサー。妖気どころか掠っただけで呪いを振りまくような類であれば。弓兵である自分は間合いを詰められればひとたまりも無い。
「もう一騎は……あれは、日本刀を武器としたサーヴァント。セイバーか……いやセイバーにしては放つ魔力が弱い……確たる証拠がないので仮に剣士と呼びましょう。剣士はランサーをも凌ぐ俊敏性をもち、剣技に隙も後れも“全く”ありませんでした。もし僕らの居場所を突き止められていたら、危ないかもしれません」
 あの俊敏性が剣技のみに通じるスキルであれば、なんてことはないものだ。しかし、剣士の純粋な速度であれば、何キロも離れたこの場所を突き止め、追いつかれる可能性は否めない。用心するべきだろう。
「そう……それではマスターは? 何かわかったカシラ?」
 さらなる詳細を女は求めてきた。少年は首を傾げる。
「何か、ですか」
「そう。何でもイイのです。どこか可笑しかった? 強そうだった? 感じたことを何でも。ワタシはそれがとーっても知りたいのです!」
 もう十分成熟した大人である彼女は、それでも無邪気に少年に問いかけた。楽しげな彼女の言いつけを少年が破る道理はない。特筆することはありませんが、と前置きして先ほどのマスターたちの所感を述べた。
「ランサーのマスターは十代後半の青年に見えました。特別魔力を感じたり、異常があったりはしませんでした。至って普通の魔術師かと」
 強いて言うならば、お人好しだろうか。敵対しているマスターを助けるために自ら飛び込んでいった。彼らが落ちたすぐあとにトラックが走っていたことと、二騎のサーヴァントが消滅していないことを考えればトラックの上に落ちて無事だったのだろう。
「そしてもう片方。剣士のマスターですが。彼は二十代後半か、それ以上。大分弱っていたように見えましたが、その割には魔力不足だったようには見えませんでした。剣士も万全で戦っていたことを考えれば、寧ろ魔力量は多い。魔術回路か魔術刻印の影響で体に何か問題が生じている、といったところでしょうか」
「そこまで分かれば十分デス! 流石はアーチャー!」
 女はアーチャーを強く抱きしめる。好きなものを愛でるように深い笑みを浮かべた口元は妖艶ながら美しい。アーチャーは前後からくる圧迫感に先ほどの冷静な態度は崩れていった。
「はっ離れてください! 痛いですカガリ!」
「クールなアーチャーも素敵ですが、慌てるアーチャーもとってもキュート!」
 カガリと呼ばれた女は十分にアーチャーを抱きしめたあと、そっと体を離す。満足のいった顔を見つめて、アーチャーはまだ消化しきれていない疑問をそのままぶつけた。
「しかし、本当にあれで良いのですか? そんなにマスターが気に掛かるなら、あのまま仕留めれば良かったのでは」
 彼女だって聖杯が欲しいはずだ。でなければ聖杯戦争に参加する意味が無い。ならば、勝てる相手をわざと逃がすことはないだろう。それに、アサシンには恐らく弓兵が潜伏していたことがばれている。この目で見た。放った矢が魔力を失い残滓となる瞬間、それをアサシンが発見したところを。これによってアーチャーへの対策をとられてしまえば、勝てる戦も勝てなくなる。
 カガリは、一体何を考えているのだろう。
「そのことね? 今はまだ見極めているのデス。それに……」
 カガリは白い両の手をそっとアーチャーの肩に添える。その手は壊れそうなものを扱うようで、さっきまでの彼女とは比べ物にならないほど繊細だった。
「こんな素敵なアーチャーと逢えたのに、すぐに終わってしまったら……淋しいでショウ?」
 少しだけ泣きそうな声に聞こえたのは、弓兵の錯覚か。まだ彼女と過ごした時間はそう長くはなく、知らないことも多いけれど。アーチャーはこの聖杯戦争で、彼女と共にこの地を駆けると既に決意していた。
「貴女がそう言うのなら、僕は何も。ただ、何を考えているのかくらいは教えてくださいね? 意図が読めなくては困ります」
「ええ。ええ。分かったワ! だからアナタも帰ったらアナタのお話をまた聞かせて? 何度でも」
「ですが、僕が覚えているのは貴女も知っているようなものばかりですよ」

 それでもいい。そう笑顔で告げる彼女の腕を引いた。急激に迫った殺意が彼女に向いていることに気づいたからだ。
 まさか、あの剣士がここまで……?
 咄嗟に矢をつがえて睨んだ場所を射抜こうとした。鋭い音が鳴って矢が弾かれる。当たりだ。
 姿を現したのは日本刀を持った群青の侍ではなかった。真っ黒な外套で身を包み、顔全体を仮面で覆った謎の人物が、二人の数歩先に降り立った。新手のサーヴァントか。苛立ちを隠そうともしない声がその人物から洩れる。男の声だった。
「何故……気づかれ……ああ、忌々しい……」
「奇襲は失敗。残念でしたね」
 煽ったつもりはなかったが、男は殺気を隠そうともせず真っ直ぐアーチャーに、その奥にいるマスターに突進してきた。矢を二、三と放ったが男の手に弾かれた。ナイフのような凶器を持っているらしい。薙ぐように切りかかってくる相手の手を弓を持つ手で阻む、サーヴァントの攻撃。なのに思った以上に防ぐのが易い。それは相手も予想外だったようで息を呑む音が仮面越しに聞こえた。舌打ちをして、鋭い敵意をこちらに向ける。
「君に用は無いんだ。退いてくれないか弓兵」
「退くわけがないでしょう」
 サーヴァントは腕に力を込めてアーチャーを押し出そうとする。体格が違いすぎて段々と上から抑えつけられるような体勢になった。両手が塞がれては矢を放つこともできない。手を打たねばと思案している間に、相手が腹に蹴りを入れてきた。バランスが崩れて床に倒れこむ。咄嗟に叫ぶ。
「マスター……!」
 敵のサーヴァントはカガリに向かって刃を突きたてようとした。その瞬間彼女の笑みが深まる。
 相手の刃が彼女の肩に触れているのにも関わらず、一向に切れる様子がない。
Danke(ありがとう)……アーチャー。おかげで防御が間に合いマシタ」
 サーヴァントの手は震えて、強い力が掛かっているのがわかる。まるで堅くて切れない素材を相手にしているようだ。アーチャーは合点がいった。あれは錬金術の組成変換。自分の皮膚や衣服の組成変換によって敵の凶器を防いだらしい。
 マスターはアーチャーの安堵も敵の動揺も気づいていない様子で、目の前の仮面の男に呑気にも話し始める。
「アナタが何のサーヴァントなのか……どんな物語を持っているのか……とても興味深いけれど。それ以上に」
 彼女の碧眼は好奇で彩られ、弧を描いた唇がそっと開いた。
「アナタはどこで“ソレ”を知ったのカシラ……ワタシを狙うのも、“知っている”からでショウ?」
 仮面の男の手がピタリと止まった。そしてアーチャーは己の主人から語られる、意味のわからない話にただ耳を傾けることしかできなかった。金縛りにあったように。
 カガリは、この聖杯戦争の何かを知っている……? 一体何を。
「けど……残念デスガ、ワタシは“違い”ます! 他を当たって欲しいワ! 冤罪ヨ!」
「……どうやってそれを証明する。そんなの出来ないだろう」
 ずっと黙りこくっていた男がやっと反応を示す。低く唸って今度は得物で胸を突こうとするが、それも同じく錬金術による防御で阻まれる。サーヴァントは息を荒く吐いた。
「何度やっても無駄デス! アナタ、はぐれなのカシラ? でしたらワタシがマスター代わりにでも――」
 力不足をはぐれサーヴァントが故なのかと揶揄するような言葉に、サーヴァントは手を止めて離脱する。そのままビルの屋上から飛び降りて、姿を消した。危機が去ったマスターは相手が消えた後ろを振り向いて、少しつまらなさそうに言う。
「クラスも真名も知りたかったのに、つまらないワ!」
 自分が危機に瀕していたことなど無かったかのように話すカガリに、アーチャーはカッとなって立ち上がった。金縛りにあったような体は、今はもう自由に動かせる。
「な、何言ってるんですか! 逆上して宝具を使われたら!」
「そしたら真名が判りますネ!」
「違います! 危ないでしょう!? 僕が不甲斐無いばかりに!」
 怪我はないかと肩に触れてカガリの体を診て、傷一つないことが判るとアーチャーは漸く肩の力を抜いた。カガリは肩に乗せられた手をそっと掴んで握りこむ。
「ごめんなさい……アーチャー。でもワタシは止まれない。ワタシのこと、嫌いになりマシタか?」
 縋るような目で言われたら、アーチャーは説教も説得もすることができなかった。もとより召喚されたそのときから、アーチャーのマスターはカガリただ一人だ。自分を共に戦うアーチャーとして認めてくれた彼女を否定するつもりは毛頭ない。
「そんなことで嫌いになりませんよ。ただ、帰ったら聖杯戦争について洗いざらい吐いてもらいます」
「アラ? 別に隠していた訳じゃありまセン! 断じて!」
 少しだけ、儚く見えていた彼女の顔は今、満面の笑みで彩られる。星明りすら少ない夜に、その笑顔は少し眩しく見えた。

 電信柱から、電信柱へ。住宅の合間を縫って、時折屋根に降り立って。それだけの行為が酷く億劫だ。黒い外套が纏わりつくようで気持ち悪い。視界がうっすらと暗いのは、着けている仮面の所為なのか、魔力不足の所為なのか。それすら判別がつかない。
 ただの魔術師の言葉に逃げるように離脱して数分。仮面を着けたサーヴァントは、自分の想像以上の能力低下に辟易していた。隠れて奇襲を仕掛けようとしたときもそうだ。あのとき自分は“宝具を使っていた”のだ。姿を隠すことのできるマントを。だのにアーチャーは場所を察知して矢を放ってきた。宝具が宝具として機能していない? いや、宝具の出力が下がっているみたいだった。
 アーチャーやそのマスターを攻撃したときもだ。その力がどこかに霧散するような感覚を覚えた。壷のどこかから水が漏れているように。力が、魔力が、注いでも注いでも少しづつ零れ落ちていく。
 しかしその理由はあの弓兵のマスターが言ったような理由ではない。それだけは確かだった。
 忌々しいことに、まだ自分のマスターは生きている。サーヴァントはそれを知っていた。
 サーヴァントは唯一心に決めたマスター以外には従うまいと思い、召喚された瞬間に己のマスターを名乗ろうとする人間を殺害しようとした。例え自分の存在を保つことが出来ずに消滅するとしても。自分の認めたただ一人のマスター以外に、マスターなどと言われたくはないし言いたくなかったのだ。
 しかしその場にマスターは居らず、自分ではマスターの居場所を辿ることが出来なかった。弱体化している己の霊基。隠匿の魔術でも使っているのか居場所の判らぬ忌々しいマスター。サーヴァントは召喚した場にいた男の、胡散臭い冷笑を思い出して舌打ちした。
「あの男も……絶対に殺す……それに」
 口に出すのも憚られてサーヴァントは数拍置いてまた「殺す」と唸った。
 隠れて己のマスターになった臆病者め。絶対に殺してやる。
「僕のマスターは君だけだ、杏路(あろ)
 だから、マスターを殺して。聖杯も“見つけだして”。自分の本当のマスターに生き返ってもらうのだ。
 力を入れたところから抜けていく、奇妙な感覚を無視して。よろめきかけた足を憎悪によって奮い立たせた。

◇◇◇

 大通りを抜けて、静かで小さな人気のない公園へ。病人と思しき男を連れて何とか佑は誰も見つからずに落ち着ける場所に出ることができた。
 橋の欄干に落ちたとき、大型トラックが丁度真下を通った。その上に放り出された二人は、交差点で速度を緩めた車から魔術で姿を隠して脱出したのだ。あまり人のいるところではサーヴァントとも合流できない。人通りの少ないあるいは人の居ない場所へ行こうとして、佑は敵対しているはずのアサシンのマスターに肩を貸しながら進んだ。何かを意識してのことではなかった。
 そこで誰も居ない公園を見つけて、ベンチにアサシンのマスターを座らせたところで頭に働きかけてくる声を知覚した。ランサーだ。テレパシーのような魔術を用いてこちらを心配する声が聞こえた。耳にスピーカーなどを着けているわけではないのに、佑は自然と耳に手を当てて会話を始める。アサシンのマスターはその様子をぼんやりと観察していた。
「ランサー? こっちは大丈夫。うん。アサシンのマスターもいる……危なくないよ」
 場所は。佑は辺りを見回して公園の場所を伝えた。連絡が終わったあたりで、ベンチに座っていた男は未だ調子が良くないのか胸の辺りを押さえて佑に問いかけた。掠れた声は困惑しているようだった。
「どうして。どうして俺を助けたんだ。聖杯戦争って、魔術師の殺し合い。なんだろ?」
 言葉を発するたびに男は、上半身の関節を襲う痛みに耐えた。生きるだけでやっとなこの男。自ら手を下さずとも、偶然にも橋から落ちていく姿を黙って見送ればよかっただろうに。
「俺は……こんなだし。いつでも殺せたし、さっきも見捨てればよかったじゃないか」
 自らへの殺意を欲するように男は捲し立てる。何故、何故生かしたのか。柔らかな優しさが男の琴線に触れた。苦しみからか悲しみからか、顔を歪めたアサシンのマスターを見て佑は答えに窮した。打算があってのことではない。強いて言うならば。
「あ、えと。体が、勝手に……って言うのもあるんですけど」
 助けなければという条件反射以上に、佑はあの場で人を切り捨てることができようもなかったのだ。彼は自分の望みが、命よりも重いとは思っていなかったから。
「僕は、聖杯にかける望みとか……ない……というか本当に大した理由じゃないので、そんなことで人が亡くなるのは嫌で……って何言ってるんだろう……すいません」
 謝る佑に対して、男は少し考える素振りをしてそっと呟いた。頭をよぎったのは群青の侍だ。
「望みに大きいも小さいも無い」
「えっ……?」
「あ……」
 顔を上げて佑は目を丸くした。目が合ってしまったアサシンのマスターは、首を傾げる目の前の人間にどう答えていいのかわからない。話に耳を傾けてくれる人など今までいなかった男は、急に恥ずかしくなって誤魔化すように饒舌になった。
「あ、いや俺じゃなくてアサシンが、そう言ってくれて! 俺も聖杯にはそんな凄いことを望むわけじゃなくて」
 むしろその逆だ、なんて初対面の男に言いはしなかった。男は魔術師であるが故に、聖杯を忌避しながらも欲していた。後に続く言葉が見つからず、しどろもどろになりながらも男は真面目に話を聴いてくれる目の前の人に訴えた。
「で、でも。俺が、生きるためには必要なんだ。聖杯が」
「生きる……」
「お、俺……らしくちゃんと生きたいから、そのためには多分聖杯が要る……でも、聖杯に望まなくても叶うんじゃないかってくらい、小さいことだと思ったんだ」
 聖杯なんて大仰なものにかけるような願いは無い。聖杯戦争に参加する資格はあるのだろうか。佑は男が自分と同じような迷いを胸に抱いて、この戦いに臨んでいることを察した。
 男は言い終わるとさっきまでの必死な様子の顔をふっと緩めて、目を細めた。
「でも、アサシンは願いに些細も何もないって。ははは、受け売りだな」
 緊張の糸が解けたように、アサシンのマスターは体の力を抜いた。
「悪いな。敵なのにこんなどうでもいいことを聞かせて」
 苦笑いをして俯いてしまった男を前に、佑は男の、アサシンの受け売りだと言った言葉を反芻していた。
 願いに大きいとか小さいとか、下らないとか立派とか。そんなのは関係ないんだ。だって。
 だって自分も、アサシンのマスターも、今の状況を変えようと足掻き始めた。そんな風に人を動かすのであれば、生きる意味を見出せるのであれば、その願いは正しい。素敵なものなのだろう。
「アサシンのマスター……さん」
 どう呼べばいいのか迷って、結局そのまま口に出した。顔を上げた男に、先ほどと同じように頭を下げた。けれど今度は謝罪ではない。
「ありがとうございます」
「えっ」
 突然また頭を下げた佑に、男は硬直する。佑は顔を上げて見た呆けた表情に少し笑いそうになった。佑の未だ揺れていた戦うことへの惑いを、しっかりと払ってくれた最後の人だとは男は思ってもないだろう。それぐらい、安心したのだ。その謝意を確かに自分の言葉で述べる。
「僕も、自分らしく生きるってことをずっと忘れてて。それで、聖杯戦争をきっかけにしようと思ったんです。同じ人がいて、ホッとしました」
 温かい感情を素直に向けられて、男は照れくさくなった。体中を這い回る違和感や痛み、その他の体調不良が一瞬軽くなったように感じた。
「あ、あはは。お、同じか! そっか!」
 調子に乗って立ち上がってよろけた。貧血を起こしたような眩暈に、倒れそうになる体をまた佑が支えた。
「あっ」
 再び支えられた事実に照れくさそうに笑って、男は佑の腕を優しく取った。
「俺、太田伸一。助けてくれて、心配してくれて。ありがとな」
「い、いえ。どういたしまして。僕は、御代佑と言います」
 聖杯戦争のマスター相手に自己紹介なんて、きっと可笑しいんだろうな。佑も伸一も同じようなことを思って曖昧な笑みを浮かべる。
「マスター!」
 そのとき真に迫るような声が二人の耳に入ってきた。佑が後ろを振り向く。ランサーの声だ。
 伸一も声は聞こえないながらも、公園の向かいの路地を見た。青みの強い衣服を纏い、刀を背負った男がいる。アサシンだ。
 二人は共にサーヴァントの元に向かおうとして、もう一度顔を見合わせる。双方すっきりとした顔で頷きあった。
「また、会わないといいな」
「はい。会ったら……お互い全力で」
 再会したときは、二人は完全な敵同士になる。そのときは本気で今日の勝負の続きを行おう。約束にもならない言葉はしかし、二人の胸にそっと刻まれていた。

Fate/defective パラノイド【第一話】

Fate/defective パラノイド【第一話】

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2018-03-19

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