同調率99%の少女(21) - 鎮守府Aの物語
=== 20 鎮守府の日々3 ===
那珂VS川内・神通の演習試合は終わった。川内型の戦いに駆逐艦達、五十鈴達、教師達、提督達は様々な思いを得る。那珂もまた、自分達の訓練体制に反省を覚えた。今後の訓練について議論の場を設けるよう根回しをし始める。
登場人物
<鎮守府Aのメンツ>
軽巡洋艦那珂(本名:光主那美恵)
鎮守府Aに在籍する川内型の艦娘。後輩である川内と神通の教育がもっとも気がかり。二人の成長のためなら二人を叩きのめして厳しくあたることも辞さない。それでも明るく振る舞ってフォローを忘れない。夏休み、艦娘の仕事の合間に高校の用事もしっかりこなす。
軽巡洋艦川内(本名:内田流留)
鎮守府Aに在籍する川内型のネームシップの艦娘。基本訓練を卒業して気が大きくなって思わず那珂に食って掛かったが、本気で那珂に反発したいわけではない。普段の訓練では自身のゲーム・マンガ知識を活用しようとする。夜でも深海棲艦の姿を捉えられる、暗視能力の持ち主。すっかり艦娘の仕事にハマってしまい、高校の夏休みの宿題を忘れがち。
軽巡洋艦神通(本名:神先幸)
鎮守府Aに在籍する川内型の艦娘。同期である川内に置いてかれまいと強い意志を見せることもあり、精神面での強さ・素質はある。その真面目さ・洞察力を見入られ、普段の訓練の監督役に抜擢される。
夏休みの宿題は早々に終わらせているので、艦娘の活動にしっかり腰を据えている。
軽巡洋艦五十鈴(本名:五十嵐凛花)
鎮守府Aに在籍する長良型の艦娘。同局で最初の軽巡洋艦艦娘。那珂とともに川内・神通の基本訓練の監督役を務めた経験を活かし、今度着任する長良・名取の訓練に注力する。普段の訓練の監督役に那珂とともになる予定だったが、その役目を神通と時雨に譲った。
軽巡洋艦長良(本名:黒田良)
鎮守府Aに着任することになった艦娘。五十鈴とはリアルで友人。頭はよろしくないが、運動神経は抜群で底抜けに明るい。
軽巡洋艦名取(本名:副島宮子)
黒田良とともに鎮守府Aに着任することになった艦娘。五十鈴とはリアルで友人。気が弱く押しにも弱いが、性格正反対の五十鈴や長良とは仲良く明るく交流を持っている。
駆逐艦五月雨(本名:早川皐月)
鎮守府Aの最初の艦娘。秘書艦。内に秘めるポテンシャルは高いのだが、早川家の血筋なのかうっかりドジが多々あるためイマイチ他のメンバーに埋もれがち。那珂はその事を見抜いている。
駆逐艦時雨(本名:五条時雨)
鎮守府Aに在籍する白露型の艦娘。夏休み前半に両親と旅行に長々と行っていたためか、他のメンバーが川内・神通と仲良くなっているのにやや戸惑っている。神通とともに普段の訓練の監督役に任命された。
駆逐艦村雨(本名:村木真純)
鎮守府Aに在籍する白露型の艦娘。艦娘としての能力は駆逐艦組としては実はトップクラスだが、本人のマイペースな性格があってあまり発揮されることはない。姉の影響でヘアセットが得意なので、恰好のおもちゃ否モデルの神通のヘアセットを率先して担当している。
駆逐艦夕立(本名:立川夕音)
鎮守府Aに在籍する白露型の艦娘。相手が誰でも自由奔放。川内と同じく夜でも深海棲艦の姿を捉えられる、暗視能力の持ち主。
駆逐艦不知火(本名:知田智子)
鎮守府Aに在籍する白露型の艦娘。五月雨の次に着任した。艦娘の時だけでなく、普段の中学校生活でも寡黙。フィーリングが合った神通に割とべったり。彼女が別の艦娘に言及すると静かな嫉妬を見せる。自身の中学校の艦娘部顧問、石井桂子の態度に苦労させられている。
重巡洋艦妙高(本名:黒崎(藤沢)妙子
鎮守府Aに在籍する妙高型の艦娘。唯一の重巡洋艦。五月雨の代わりに秘書艦になることも多い。鎮守府Aの近所に住んでいる関係上、割とすばやく帰宅・出勤が可能。家事があるため普段の訓練では皆に加われないことがあるが、見た目と雰囲気に似合わず運動神経や機転が利くため、練度の遅れはほとんどないどころか、自然と少女たちの先をゆく。年代のためか、少女たちの訓練構築を提督らと共にレビューする側の立場に立つ。
工作艦明石(本名:明石奈緒)
鎮守府Aに在籍する艦娘。艤装装着者制度上、国や主要団体と技術的な提携を行っている製造会社の社員であり、同社から工作艦明石として鎮守府に派遣され、工廠の工廠長を務める。技術的な面では他の誰よりも頼りにされている。本人的にも割と面倒見がよく気さくなので、少女たちの訓練のレビューにもたまに顔を出す。
工廠の技師達
明石とともに製造会社から派遣されている社員。年齢性別様々だが、女性が多い。二人ほど男性がいる。女性陣は艦娘全員と比較的仲良く、男性二人は提督と仲がよいが、そのうち老齢に近い男性は艦娘達から実は提督以上に慕われている。少女たちが遅くまで鎮守府にいるときは、最低二人は遅くまで鎮守府に残っている。
提督(本名:西脇栄馬)
鎮守府Aを管理する代表。正式名称は深海棲艦対策局千葉第二支局、支局長。普段のIT企業社員としての仕事も忙しいため、鎮守府Aの艦娘の訓練内容については基本的には本人たちに任せている。とはいえ内容のレビューなどの足回りは忘れずにこなす。
<鎮守府Aに協力する人々>
四ツ原阿賀奈(将来の軽巡洋艦阿賀野)
那珂・川内・神通の通う高校の教師。艦娘部顧問。那珂らにせがまれて久々に鎮守府に姿を見せる。すっとぼけているように見えるが、重要な局面ではしっかりと生徒を諭せる面倒見の良い女性。
黒崎理沙(将来の重巡洋艦羽黒)
五月雨・時雨・村雨・夕立の通う中学校の教師。同校の艦娘部顧問。従姉の妙子が鎮守府Aに在籍していることはつい最近知った。知り合いがいて恥ずかしいと思う半面、安心している。
石井桂子(将来の軽空母隼鷹)
不知火の通う中学校の教師。鎮守府に姿を見せるときは不自然なくらいの丁寧さとしとやかさを何十にもまとって来るが、不知火に突かれると割とすぐボロを出す。
公開訓練に向けて
川内の早とちりから始まった議論の脱線、そして川内・神通両名のデモ戦闘は結果は那珂の勝利に終わった。結果としては負けたが、川内と神通はともに良い気分で感情が高ぶっていた。
それは当事者の二人であるだけではなく、見学していた五月雨や時雨たちにも影響を与えていた。
プールサイドに近づいてデモ戦闘終わりの雑談をしていた那珂たち。
「ほら三人とも、その面白すぎる格好は先生方に申し訳ないから、早く工廠に戻って洗い流してきなさい。」
「「「はい。」」」
提督からの指摘に那珂たちは返事をすると、プールサイドには上がらず三人揃って反転してプールを横切り、演習用水路から工廠へと戻っていった。明石は那珂たちのアフターケアのため先に戻っていき、残りの皆は提督がその場の音頭を取って連れて正規の出入り口からプールを後にして工廠へと戻った。
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提督らが工廠に寄って数分後、体中のペイントを洗い流して半乾きになった那珂たちが工廠の奥から出てきた。
「や~や~提督。ゴメンゴメン待ったぁ?」
「いや、今さっき来たところだよ。」
「アハハ!なんか今のやり取り、デートみたいだよね~?」
自身が意図していなかった思わぬやり取りに那珂はケラケラと笑って提督に向かって言い表した。すると提督はつられて笑うがコホンと咳を一つしてすぐに真面目な表情に戻す。
「この後の予定はどうするんだ?」
提督の言葉を聞いて那珂は皆から少し離れ、提督を手招きする。
「そーだねぇ、ホントならさっきの話し合いをもうちょっと内容詰めて、今日時点の内容として発表するところまでを先生方に見てもらいたいって思ってたの。話し合いだけずっと見ててもらっても先生方に悪いだろーから、今日は早めに切り上げるつもりだったの。」
「なるほど。ところでなんで離れて話す必要が?」
提督のやんわりとしたツッコミに那珂は真面目な言いよどみをして遠慮がちに言う。
「だってぇ……あたしの最初の考えとは違う流れになっちゃったし、あの場であたしもついつい川内ちゃんに乗って少しキレちゃったし。あたしの考え聞かれちゃったら、“あんた、偉ぶってるけど指導力ないじゃないの。”って思われちゃうし先生たちにも迷惑かけて申し訳ないよぉ。」
「……そんなこと思われないと思うけどな。考え過ぎだって。君ってそんな心配性だったっけ?」
「なにおぅ!?」
提督の何げない鋭い指摘に那珂はわざとらしく大きめに腕を振り上げて叩くリアクションする。提督は乾いた笑いをしながら落ち着きはなって那珂を宥める。対する那珂ももちろん本気ではない。
「……まぁなんですかねぇ。本来はってことだから。さすがのあたしも一試合したからちょっと疲れたよ。提督の口から音頭お願いね?」
「あぁわかった。」
那珂から割りと本気半分冗談半分の疲労気味の言葉を聞いた提督は皆のもとに戻り説明をした。教師たちは納得の意を見せるが、艦娘たちは同じではない。
「あたしたちぜーんぜん疲れてないしぃ~、むしろさっきの川内さんたちみたいに演習試合したいっぽい!」
真っ先に不満を口から漏らしたのは夕立だ。ピョンピョンと小刻みに跳ねてカラリと言う彼女に続けとばかりに回りからも声が響き始める。
「今回ばかりはゆうに賛成です。僕も……ちょっと動きたいです。」
「そうねぇ。私もひと暴れしたい感じぃ~。」
時雨が珍しく夕立を叱らない言葉で続き、村雨も上半身を軽く左右に振ってストレッチしながら同意見を示す。三人が口々に欲すると、理沙がそれに反応した。
「ちょっと……三人とも?西脇さんや那珂さんにご迷惑かかってしまいます……よ? え?」
言い終わる前に理沙は服の裾をクイッと引っ張られているのに気づいた。その方向には五月雨がいる。服の裾を軽くつまみ、五月雨は理沙をやや垂れ下がり気味のくりっとした目で上目遣いしている。
「え……と。早川さんも?」
「エヘヘ。はい。私もなんだかやる気たっぷりなんです!」
五月雨こと早川皐月は学校ではおっとりほんわかマイペースながらも体育以外の授業はすべてに堅実にこなして成績も良い。しかし熱く取り組む光景を教師である理沙は見たことがない。そのため、先の三人に続いて五月雨も意志強く言い出したことに驚きを隠せない。
理沙が戸惑っていると、理沙の従姉である妙高こと黒崎妙子が助け舟を出した。
「理沙、いいではないですか。せっかくあなたの生徒たちがやる気になってるんですもの。」
「……お姉ちゃんがそう言うなら。」
理沙はひそめていた眉を水平に戻し、提督に向かってお辞儀をしながら丁寧に言った。
「あの……西脇さん。うちの生徒たちがこう言ってるのですが、私からもお願いしてよろしいでしょうか。」
提督はその言葉を聞いてさらに五月雨たち艦娘の顔をザッと眺め見る。それぞれ表向きの表情は違えど、うちに秘める思いは4人とも同じに提督は感じられ、小さくため息をついて返事をした。
「別に構わないですよ。あとは那珂がどう答えるかがね……。」
と言葉を濁しながら右斜め後ろに立っていた那珂の方へチラリと視線を送る。那珂は五月雨たちのやる気っぷりを一緒に見ていたため、提督の視線を受けるとすぐにニコリと笑顔で返した。
「ん、いいよ。せっかくみんながやる気出してくれてるんだもの。ここで年上のあたしたちがへばってたらいけないのですよ。あたしはいいとして、二人はどーお?」
川内と神通は那珂から視線と言葉を受けて顔を見合わせてから答える。
「あたしも構いませんよ。てか体力はまだまだ有り余ってますし。」
「わ、私は……ちょっと休んでからなら。」
二人の意見を聞いて那珂は改めて提督と理沙に向かって回答する。
「というわけなので、前言撤回! あたしたちもこのまま引き続き訓練することにしました!」
那珂が承諾の意を示すと、理沙は笑顔で小さくため息をつく。そして振り返って五月雨たちに伝えた。
「皆さん、いいそうですよ。ご迷惑にならないようしてくださいね。」
理沙の許可にやったぁと四人とも飛び跳ねて喜び、そして理沙に向かってタックルして抱きつきあう。教師である理沙はそれをされるがままにしている。側にいた提督や那珂の目には、微笑ましい教師と教え子愛だなぁと映ると同時に、にこやかな笑顔の中に相当無理してるというのが容易に見て取れた。
提督は五月雨たちの直接の保護者たる理沙を尊重して、那珂は他校の先生と生徒のことなのであえて触れずにいた。
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那珂や提督らが理沙そして五月雨たちとワイワイ話している間、唯一意見を発していない不知火がジーっと自分を見ているのに神通は気がついた。相変わらずの無表情である。明確に言えないが、その視線に犬のような感覚を覚える。ただし、子犬というわけではない。
神通が不知火の方をハッキリと向いてニコリと笑顔で無言の問いかけをすると、不知火は隣にいた桂子をチラリと見上げた。
「ん?智田も……コホン。智田さんも皆さんと訓練したいのかしら?」
「(コクコク)」
その後二人とも小声でやり取りをし始めたのをなんとなしに神通は見続ける。バラすな!だのうっせぇ!だのあんたは!などと妙に乱暴な声が聞こえてきたが、神通は努めて何も聞いてないことを自身に言い聞かせる。余計な事を知るとろくな事がない。こういうとき自分の大人しさは非常に便利だ。そう思って神通は意識を不知火だけに向ける。
そして不知火と目が合うと、それに気づいた隣の教師が声をかけてきた。
「え~と誰っつったけあんた。……コホン、どなたとおっしゃったかしら?」
「神先幸と、申します。……艦娘名は神通です。」
「そう。この智田からお話は伺っていますわ。うちの智田は感情を表に出すのが苦手な子なの。そんな子があなたのことを必死になって話すのよ。もう面白いったら……コホコホ。え~、この娘が他校の人間を慕うのは珍しいのよ。あなた高校生よね?ぜひうちの生徒の良い手本になってくださらないかしら。あなたの先輩の那珂さんのようにね。」
「は、はい……善処します。」
一人で他校の、知らない大人と対面する羽目になるなんて……。よりによって一番苦手な流れに踏み込んでしまった。神通は諦めが混じる鬱屈した表情を一瞬浮かべる。対する桂子は他校とはいえ学生の態度には慣れているのか、神通が上手く隠せたと思い込んでいる、あまり相手によろしくない表情を見て怪訝な顔をするもすぐににこやかな、ただし自然ではない笑顔で神通にさらに話しかけてきた。
「神通さんは学校ではお友達とはどういうお付き合いをしているのかしら?」
「え……と。それは、どういう意味……で?」
何の脈絡もなくなんて話題を出してくるんだこの先生は。神通はてっきり艦娘絡みの話題が続くとばかり思っていた。その矢先にこの問いかけ。取り乱さないわけがない。しかし表向き神通は努めて平静を装い相手の出方を待つ。
「いや~……ええと、艦娘になった他校の生徒の素行が知りたいのですよ。特に他意はございませんわ。オホホ。」
神通はその言い回しに既視感を覚えた。そういえば人を食って掛かる言い方をする人物が身近にいたっけと。しかし今はその人物の援護射撃がほしい。そう願って視線を送ろうとするが、彼の女は桂子と不知火によって塞がれていて見えない。上半身と頭をわずかに傾けても無駄だ。
神通はおとなしくその問いに答えることにした。
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神通が桂子と不知火に捕まっている間、那珂は話を進めていた。
「それじゃあ皆に確認ね。これから行う訓練は、午前中に決めた中のいずれかをしたいと思います。皆さん色々やりたいことあるでしょーが、せっかく先生方に見てもらうんだもの。基本中の基本である、航行訓練、つまり水上移動をしたいんだけど、どーかな皆?」
真っ先に口を開いたのはやはり川内と夕立だ。
「えー、めっちゃ基本じゃないですか。今更な気もするなぁ。」
「ホント。そー思うっぽい。なんか普通に駆けっこを先生に見せる感じがするよー。」
そんな二人に時雨がツッコむ。ちなみに川内へのツッコミをするはずの神通はまだ桂子に捕まっていた。
「ゆうも川内さんも……。まだ艦娘になっていない先生方に艦娘のなんたるかを見せるには、やっぱり基本の部分から見せないといけないと思うよ。」
「そうねぇ。私は那珂さんに賛成よ。」
村雨も頷いて同意する。
次に五十鈴が口を開く。
「私からもその基本をお願いしたいわね。ここにいる二人にとっても、良い手本だと思うの。」
そう言って五十鈴が両隣にいた良と宮子の肩を叩く。不意に振られて二人とも焦るが、すぐに五十鈴の言葉を追認して頷いた。
「そういえばそうでしたね~。お二人が次に着任される方々なんですもんね!私たちが頑張ってお手本にならないといけませんね!」
フンス、と鼻息を荒げて立てて意気込んだのは五月雨だ。その仕草に時雨や村雨、そして那珂はフフッと微笑する。
「それじゃあみんなの同意を得られたってことで、今日の……公開訓練ってところかな。公開訓練は水上航行にしよ。ってことで、おーい、神通ちゃん?話聞いてたァ~?いいかな?」
「へっ? ……は、はい!」
那珂は桂子と不知火と話し込んでいる(ように見えた)神通に呼びかける。神通は、やっと先輩からの助け舟が来たことに多大な安堵感を得て心の中でため息を吐きそうだった。しかしさすがに目の前の教師に対して失礼な反応だと気づいたので口では吐かずに鼻で空気を吐き出して緊張を解く。
そんな目の前の様を教師は逃さない。
「細かいお話はまた次の機会にいたしましょうね。それから……神先つったっけ……さんと言ったわね。あなたもう少し声を張ったほうがいいわよ。自分の意見くらいキビキビ口を開いて言いなさいな。」
「は、はい……ゴメンナサイ。」
「うちの智田が同級生の友人以外を慕うなんて珍しいんだから、もっとシャキッとなさい。」
桂子はそう叱りつけて、神通の肩に手をポンと置いて抜き去って提督らのもとへと歩いて行った。一同から離れていた場所にいるのは、神通と不知火だけになった。
顔が強張ったままの神通に不知火がそうっと近寄り、ペコリと頭を下げて言った。
「ごめんなさい。桂子先生は、実は熱血タイプなので。」
不知火の説明にいまいち要領を得ないといった様子で悄気げた表情をしてしまうが、神通は本当に泣きそうになるのをあと一歩で堪えて作り笑いを返す。
「だ、大丈夫ですから。さ、行きましょう。」
そう言って神通は振り向き、不知火と揃って那珂のもとへと歩み寄っていった。
いつの間に他校の先生と話せるようになったんだろうと那珂は一瞬勘ぐる。側に寄ってきた神通の顔にひどく疲れた色が見えた。それが先刻の試合のものではないことは確かだとなんとなく察したが、まぁそれも成長だろうと、そう判断してあえて触れずに気に留めないことにした。
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その日、教師らに見せる訓練を水上航行に決めた那珂たちは早速工廠の奥へと艤装を装着しに戻り、10人の艦娘揃って演習用プールへと向かった。
プールへと向かう前の準備の最中、那珂は初めて艦娘として動く様を見ることになる妙高に話しかけた。
「そーいえば妙高さんは、重巡洋艦の艦娘なんですよね?」
「えぇ、そうです。」
「重巡洋艦ってどんな戦い方っていうか、動き方できるんでしょーか?」
那珂の素朴な疑問。妙高はそれにクスリと微笑む。
「フフッ。多分みなさんと変わりませんよ。明石さんや提督によると、私の妙高の艤装は相当燃料や弾薬エネルギーを費やすとかで、なんだか申し訳なくて。ですのであまり出撃や本格的なアクションはしたことないんです。だからこうして若い子に混じって訓練をするの、とっても楽しみなんですよ。」
「へぇ~そうなんですかぁ。訓練だけじゃなくていつか一緒に出撃したいです!」
妙高は那珂の素直な要望に、言葉なく笑顔で頷いて返事とした。
艤装を装着し終えた那珂が妙高のそれを見てみると、なにやら自分たち川内型の艤装と似ている感覚を覚える。
「あ~、妙高さんの艤装も、もしかして端子に装着させるタイプなんですか?」
「えぇ、そうですね。あら?よく見たら那珂さんと同じみたいですね。」
那珂と妙高のやり取りに気づいた川内が興味ありげに近づいてくる。
「おー、妙高さんの艤装ってそういうのなんだ。あたしたちみたいに動きやすそ~。ね、神通。そう思わない?」
「(コクリ)」
若い娘三人から急に注目されて妙高はやや頬を赤らめて反応を返す。
「そう言ってもらえるとなんだか嬉しいですね。あまり意識したことなかったから不思議な感覚です。おそらく細かい使い方はもうあなた達のほうが詳しいでしょうし、おばさんに教えてもらえると助かります。」
少し感じた妙高の茶目っ気。那珂は心からの笑いを浮かべてツッコむ。
「アハハ!もー妙高さんってば!自分でそんなこと言ったらダメですよぉ!」
「そーですよ妙高さん。ぶっちゃけあたしのママより数十倍は美人ですよ!それにあたしや神通でも2週間であれだけ動けるようになったんですから、らくしょ~ですよらくしょ~。」
川内たちの会話に、側で耳を澄ませていたのか女性技師が話に入ってきた。
「あ、そうそう。那珂ちゃんたち聞いてないかもしれないけど妙高さん、訓練を本来3週間で終わらせるところを約半分の期間で全部終わらせたすごい人ですよ。」
「えっ、マジですか!? あたし達なんか目じゃないじゃん……。」速攻で反応したのは川内だ。
「へぇ~!それじゃあまさにスーパー主婦艦娘って感じですねぇ~。やっぱお艦だ~。」
「んもぅ、二人とも……。○○さんも余計な事おっしゃらないでください。」
那珂と女性技師から妙な賞賛を受けた妙高はさらに照れを見せ、しとやかに苦笑する。
那珂たちはまだ見ぬ妙高の立ち居振る舞いにも期待しつつ、教師たちへ全員の訓練の様を効果的に見せられるよう意気込むのだった。
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演習用プールに出た合計10人はブイや的、その他必要道具を持って姿を現した。プールサイドには提督が先に来ており、先程の那珂たちの演習試合と同じようにプールサイドの庇の下に教師たち三人と二人の少女を招いていた。
提督の隣には阿賀奈が、理沙と桂子は阿賀奈の隣の椅子に腰掛けている。五十鈴の友人であり、この後艦娘となる良と宮子は遠慮しているのか、教師たちから1つ分椅子のスペースを空けて立って見ている。
ブイをどのように配置するか那珂と五十鈴、そして神通と時雨が考え悩んでいると、そこでハキっと提案してきたのは川内だった。
「○○っていうバイクゲームがあるんですけど、カラーコーンやいろんなアイテムでコースが形作られてるんですよ。艦船を模したあたしたちがやるってんなら、そーいうコースづくりが必須でしょ!?でしょ!?」
「あ~はいはい。あんたのゲーム知識はわかったから。だから早くそのコースの指示頂戴な。」
「アハハ。五十鈴ちゃん口悪いなぁ。川内ちゃんの知識すっごく助かるよ。その案採用!」
身を乗り出して案を提示してくる川内に根負けした五十鈴と那珂はそれぞれ違う反応で川内の案を受け入れる。
提督らと一緒に来ていた明石は今回もやはり訓練全体の進行の判定・サポート役を買って出た。事前に明石に水上航行訓練の意図や流れを明石に伝えていた那珂は、プールサイドにいる彼女の目から、自分たちがブイと的で形作るコース全体を俯瞰してもらいながらコースの設置を急いだ。コースの仔細とポイントは那珂の口から明石と女性技師に伝えられ、訓練の準備が進められることとなった。
プールには2レーンのコースが作られた。最初にブイが一定間隔にまっすぐ配置されたゾーン、そこを越えると半径数mをランダムに動く的のゾーン、そしてジグザグにブイが配置されたゾーンと三部構成になっている。
一度に二人でコースを巡ることになるため、那珂はその順番とペアを決めるべく音頭を取り始めた。川内は五十鈴と、神通は不知火と、五月雨は夕立と、村雨は時雨と、そして那珂は妙高と一緒の回に決まった。
「さて、みんな。これから水上航行訓練を始めたいと思います。と言っても今のみんなからすればひっじょーに簡単だと思います。」
「そうだそうだー!」
「そうっぽいー!」
今までのことなどすっかり忘れてヤジ飛ばしをする川内と夕立。那珂は二人のことはガン無視して話を続ける。
「簡単なんですが、一般人に見てもらう艦娘の活動としては、もっともシンプルで効果的なものだと思います。先生方に、あたしたち生徒が艦娘としてどのように活動しているのか、見てもらいましょー。ここまではいいかな、みんな?」
那珂が全員に目配せをすると、五十鈴を始めとして神通、妙高、そして五月雨らが返事をして頷く。
「今日は水上航行だけど、これからしばらくは先生方の都合があえば随時あたしたちの訓練の様子を見て頂く予定です。この次は砲撃、とか次は回避、とか。」
「あなたのことだからただ見てもらうだけじゃないんでしょ?」
五十鈴が確認のため思ったことを口にすると、那珂はエヘヘと微笑する。
「うん。事前に明石さんたちに、今回の訓練のチェック項目を伝えています。ちょーっとばっかし外野に一苦労してもらうことになるけど、それによってあたしたちの動きの良し悪しが数値化できるはずです。同じことを今後の訓練でもやるつもりです。」
「お~!実感湧いてきた。つまりRPGとかのステータス化ですね!」
「うんうん、川内ちゃん的確なたとえありがとー。」
那珂の素直な感心の様に川内はエヘヘと照れ笑いを浮かべた。
「それじゃあこれから走ってもらうけど、明石さんと技師の○○さんに頼んでちゃーんと録画してもらいます。恥ずかしいことになっても後世に残るのでそのつもりでコースを疾走してください。」
「うわぁ~、那珂さんすっげぇプレッシャー。」
「う……そういうの、私ダメです。」
川内と神通がそれぞれの思いを口にすると、五月雨たちもワイワイと言い表して意気込みを語り合う。
「これであたしが時雨やますみんより上ってことがはっきりわかるっぽい?さみよりかは当然上だとしてぇ~。」
「わ、私だって負けないもん!」
「そうだね。運動神経は確かにゆうのほうが上だけど、艦娘としてはなんだか負けたくないね。」
「ゆうにはっきり負けるのはなんか癪に障るわね。艦娘が単に運動神経いいだけじゃダメってところ証明しましょ。ね、時雨、さみ。」
「うん。ホラホラ、さみもいつまでも膨れてないで。」
時雨が頬をつっつくと、わざとらしくぷしゅ~と空気を吐いて五月雨は夕立に対する対抗心の表向きの表現を隠し、静かに燃やすことにした。
一方、神通は中学生組で唯一他校の不知火と隣り合ってこれからの展開を話していた。
「基本に立ち返りましたね。」
「はい。」
「最初の頃、私、うまくイメージできなくて……。それで猛ダッシュして気絶しちゃったことあるんです。」
「最初のうちは、そういうものです。」
「不知火さん……も?」
「(コクコク)」
自分の出来だけが特殊なのではなさそうだ。年下だが先輩艦娘の無口な告白に神通は安堵感を持った。
それにしてもこの不知火という少女、イマイチ表向きの表情が読めない。口数が少ないし声にあまり感情を出さないがゆえに五月雨や夕立らに上手く混ざれないでいるように見える。しかしその傍から見ればそんなボッチな状況を、別段気にしている様子もない。
本当のところはどうなのか推し量れないが、きっと内面は強い娘なのだろう。ただ、何回か感情をモロに出したことがある。おそらく我慢のキャパシティを超えた時だったりするのか、神通は隣にいる少女をチラリと見てそう付け加える。
自身も口下手で口数が少ないと自覚しているし、なおかつ友達が少ないことでの痛手や空気感は知っている。だからこそ、同じ匂いのするこの少女ともっと仲良くなりたい。
傷の舐め合いと言ってしまえば言い方は悪いのはわかっている。唯一の親友の和子も自身と似た感じだったため、すぐに仲良くなれた(と思っている)。同じ雰囲気の人となら気が楽だ。どんな形にせよ人付き合いなのだ。きっと那珂さんだってとやかくは言わないはず。
神通はそこで思考を締めくくった。那珂の号令が響き渡ったからだ。ここからは真面目に取り組まねば。発せられた冗談のとおり、みっともない様を不知火はもちろん、四ツ原先生、そして二人の他校の先生にも晒してしまいかねない。絶対にミスはできない。
神通は目の前でワイワイと強く意気込む川内、さらに目の前で笑顔のプレッシャー攻撃をしてくる那珂、そして一同それぞれにサッと眼球運動だけの視線を送り、静かな闘志を燃やし始める。
そして10人の、水上航行訓練をはじめとする公開訓練のパイロット運用が始まった。
公開訓練(導)
水上航行訓練でブイにぶつからない・揺らさない、針路を邪魔する的を上手く避ける。そしてジグザグなブイを安定して避けながらなるべく早く行って帰ってくる。そして帰り道も同じ。なとかつタイムも測る。
いきなりコースを進むのは第一陣の二人に悪いと思い、那珂はコースの実演をすることにした。その際、神通にも試走することを指示した。
驚き戸惑う神通だったが、那珂の期待に満ちた眼差しと不知火の背中押しもあり、意を決して臨むことにした。
「単なる実演だから上手くやろうとか思わなくていいからね。あたしが最初に行くから、その動きを追ってみてね。」
「は、はい。」
那珂が発進し始めた。3つのゾーンを適度に水しぶきを立てて移動するその姿は、別段美しいとも思われない、普通の航行の仕方であった。那珂の見せ方は、自分の様よりもコースを巡るという動きに意識を向けさせるためのものだった。
「……っと、こんなところかな。さーて神通ちゃん。みんなを代表してコースを実演して見せてね。」
そう言葉をかける那珂に対してもはや声を発さず、頭を縦に振ることで全ての返事として神通はスタート地点に立った。
そして発進し始めた神通は、最初のゾーンを那珂よりもゆっくりめのスピード、的がウロウロする次のゾーンを一度目はぶつかりそうになって背面に飛び退いて様子を見た後、一気に速度を上げて的をかわして次に進む。最後のジグザグのゾーンは最初と同じスピードでブイを連続してかわして折り返し、最初のゾーンまで無難に戻るという実演を行った。
神通が戻ってくると、那珂は肩をポンと触れるのみで、見ていた全員に向けて説明を再開した。
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「それじゃーまずは川内ちゃんと五十鈴ちゃんから。後のみんなもちゃーんと見ておいてね。」
川内と五十鈴がスタート地点に立つ。それを見た那珂は普段の声調子で全員に指示を出した後、号令をかけた。
「そりゃー、先手必勝!!」
ズザバァアアア!!
「くっ!? まーた乱暴な……。」
五十鈴が愚痴をこぼすほど、川内のスタートダッシュとその後の進み方は乱暴な様だった。まるで基本訓練当時のコース巡りの時のようだ。呆れながらも五十鈴は自分のペースを保つことを心に言い聞かせて進む。
一方乱暴なスタートダッシュをした川内は最初のゾーンをやはり乱暴に進み、ポイントであったブイにぶつからないという点はかろうじてクリアしたが、激しく揺らして近辺の水域を波立たせていた。
続いて的のゾーン。那珂ばりにジャンプしてかわそうと目論んだ川内だが、それは豪快に失敗した。数歩水面を歩いて後退し、助走をつけた形で姿勢を思い切り低くしてダッシュする。
「うー……そりゃああああ……あうっ!?」
川内は顔からプールの水面に着水してそのまま沈んで全身を水中に沈める形になった。タイミングを見計らったつもりが、左足が的のてっぺんに当たって勢いが完全に殺されたのだ。頭からの沈没後、足の艤装の主機で浮くも姿勢を戻すのに手間どる。そんな川内を横目に、タイミングよくかつ素早く的をかわすことに成功した五十鈴が同じラインを通り過ぎていく。
「お先に。あんた全然学んでいないのね。」
冷やかしの言葉を投げかけて五十鈴は最後のジグザグゾーンに突入していった。
「う……だってだって、主人公のバイクだって豪快にウィリー走行して障害物かわすことあるんですよぉ。」
川内の物言いはすでに誰も聞かれていない。
その後五十鈴が折り返して戻ってきた後、数十秒して川内が戻ってくるという結果に落ち着いた。最後に焦りに焦り飛ばしすぎた結果、ゴールライン手前でジャンプして豪快に海中に飛び込むというおまけが付いたゴールだった。
「ちっくしょー。的を上手く飛び越えられればなぁ。五十鈴さんに楽勝で勝てたのにぃ。」
水面に胸から上だけ出して悔しがる川内を鼻で一笑する五十鈴。ため息の後に止めの言葉を発した。
「あんた、那珂と似てるわ。ちょっといいカッコしたがりなの。あの先輩にしてこの後輩あり、ね。」
「ふっふっふ。それは褒め言葉として受け取っておきますよ。」
止めが止めになっていないが、それでも川内としては感じるものがあった。
--
次に神通と不知火の並走が始まる。
試走で一度やっているので航行すること自体に緊張はないが、それでも緊張している神通。原因は並走する不知火だ。
「し、不知火さん、頑張りましょう……ね。」
「……。」
神通が何か語りかけても不知火は一切反応しない。まるでお前なぞ眼中にないと言わんばかりの雰囲気だった。無視されているという現実が神通を戸惑わせる。三度話しかける神通に向かって、不知火はポツリとつぶやいて再び口を閉じる。
「あ、あの……このコースはですね……」
「神通さん、不知火は、勝負と思ったことに対しては、友達にだって絶対に、容赦はしないつもりです。だから、神通さんとはいえ手加減致しません。」
不知火から感じる、異様なまでの闘志。つぶやきながらも視線はコースから一切外さない集中力。神通はまたしても知り合いについて初めて見る一面に驚き戸惑うことしかできない。
人は、話しかけられることを絶対的に嫌うタイミングがある。神通も口数が少ないタイプなだけにそれがよくわかる。
これから何かに取り掛かろうと集中し始めた時だ。
つまり今の不知火にとって、神通自身は慕い慕われる存在ではなく、鬱陶しい存在でしかないかあるいはライバルなのだ。これはもはや自分も無理に話しかけるべきではない。神通は不知火から視線を外し、目の前のコースを見定めることにした。
「いいかな二人とも。それじゃーはじめ!」
那珂の号令が響き渡った。
神通は試走の時と同じようにスピード緩やかに、そして試走の時よりも丁寧にブイを避けて蛇行していく。不知火はというと、神通の3倍の速度でもってブイを連続して素早く、かつキビキビとかわして進んでいった。速度・丁寧さ・各ポイントどれをとっても神通よりはるかに上だ。
((不知火さん、すごい。速いのに、綺麗。前の那珂さんほどじゃないけど、すごい……。))
神通は不知火の立ち居振る舞いに見とれた。先日の自由演習の時は味方であったがゆえに気にしたことはなかったが、ライバルとなって戦うとなるとこれが本気の一端なのか。神通は遅れて最初のゾーンを超えて的のゾーンに突入した。
不知火はすでに的を華麗にかわして最後のジグザグゾーンに突入している。神通が的を避けるタイミングを見計らっていると、その先で不知火はジグザグのブイをやや低速になって突入しその後一度も速度を落とさずにサクサクかわして進んでみせている。
ようやく的をかわし終えてジグザグゾーンに入った神通の視界の先にはすでに不知火はなく、背後からゴールしたという本人の声と那珂の合図が響き渡った。
それから遅れること数十秒してようやく神通は最初のゾーンの入り口、つまりコースのスタートラインに戻ってきた。
「ゴール! 神通ちゃんもゴールぅ~!」
那珂の合図に周囲が沸き立つ。そして神通はゴールしたと同時に徐行まで速度を落とし、ほっと胸をなでおろして完全に停止した。
--
神通が胸に手を置いたままフゥフゥと息をしていると不知火が近寄ってきた。チラリと視線を向けると、不知火は語りかけてきた。
「思い切ってください。」
「へ?」
「神通さんは、足りない。もっと私に、向かってきてもいい。さっきの那珂さんとの試合のように、私にもしてほしい。」
そう言うと不知火は頬を赤らめる。なぜ今このタイミングで?と神通は思った。正直疲れも相まって突然の文句に混乱から抜け出せそうにない。
実のところ不知火は、神通が想像していたような大人しい性格の持ち主とは違う。この少女の思う人付き合いは、必要以上にベタベタ、密やかに寄り添い続けるわけではない。彼女は時には接する友人を突き放してでも、その友人のために行動を起こしたいという信念なのだ。
もちろん不知火個人の感性で寄り添いたいと思える存在は、神通のようにおり、その態度にも表れるが、それでも不知火本人の根本は変わらない。好きになった相手にはベタベタ、ではない。
ただ神通が不知火の本当の考え方を知るよしもなく。
仲良しこよしで辛いものは見たくない、適度な距離間でのなぁなぁの人付き合いを欲している自分とは違うのかも、程度に感ずるだけであった。
神通はふと思い出したことがあった。
以前懇親会の席で、不知火は友人の名前を数人挙げていた。高校での友人が和子しかいない自分とは何もかも違う。
必要とあらば私はガツンとアタックするから、お前もガツンとしてこい、という意思表示・メッセージを不知火は目線で送り続けるが、それを上手く口からの表現に載せられない。
不知火は口下手で感情表現が苦手な自分を呪った。
そしてそんな不知火の鋭いガン飛ばしを食らい続けていた神通は、目の前の少女の思いは、きっと何か裏があると察することにし、必死で返事を考えていた。
目の前がクラクラする。同じ無口・大人しいタイプだと勝手に決めつけていたが、これはどうやら違うぞ。
どう返せばいいんだろう……。
とりあえず謝って、決意を表しておけばいいか。神通は不知火の真意を完全に理解することはできなかった。
「ご、ゴメンなさい……。私、不知火さんに、負けないよう頑張ります。」
「(コクリ)」
神通がオドオドアタフタした雰囲気で意気込むと、不知火は満足気な表情で言葉なく頷いた。
((お、神通ちゃんと不知火ちゃん、なんか親しげ~。いいねいいね。じゅんちょーに仲良くして競い合ってねぇ~。))
離れたところから見ていた那珂は二人が話す様子を見て、後輩の成長をまた一つ微笑ましく思うのだった。
--
次に五月雨と夕立、続いて村雨と時雨がコースを疾走した。
五月雨と夕立の並走では恒例のツッコケを五月雨が衆目に晒すことになったが、意外にもその後はバランス良く姿勢とスピードを維持して夕立に迫る。プレッシャーを一定以上感じると頭に血が上って途端に慌てる質の夕立は、まさかの五月雨に越されそうになって今回も一気に混乱し始める。
結果として夕立はそのまま先にゴールをしたが、復路でガシガシとブイに当たりまくっての見苦しいゴールだった。対する五月雨は最初のミス以外は意外にも穏やかな水上航行となった。
そして最後、那珂と妙高の水上航行の並走の番となった。
--
「うっし、最後は妙高さんとかぁ。頑張りましょ~ね、妙高さん!」
「えぇ。よろしくお願い致しますね。」
お互い笑顔で意気込みを交わし合った。
((妙高おば……おっと、妙高お姉さんの水上航行かぁ。ワクワクする。様子見てみよっと。))
那珂は表面上もウズウズしていたが、それ以上に内心遥かに気持ちが高ぶってウズウズしていた。
「それでは、はじめ!!」
那珂の代わりに明石が合図をした。
ズザバァーーー
那珂は意識の半分はコースに、もう半分は右隣りのコースを疾走する妙高に向ける。那珂があっという間に第一のゾーンを抜けて的を待つほんのわずかな間で右をチラリと見ると、なんとすでに妙高も同じように的を待っている状態だった。那珂は最初のゾーンはかなり荒っぽいスピードとかわし方ながらもポイントを確実にこなしていた。それは那珂自身、早々に他人に真似できない大胆さと丁寧さを両立させたものだと誇っているテクニックだった。
しかしながら妙高は那珂がハッと気づくとほとんど同じスピードとタイミングでクリアしていた。
((ほっほう。妙高さん、お歳の割にやるなぁ。それならこうだ!))
那珂は軽くしゃがんで溜めを作り、低空ジャンプで的をかわす。そしてスピードは一切緩めずに最後のジグザグゾーンを進む。極力な蛇行をするには意識を集中させないと危ないため那珂は妙高を気にするのを一旦やめる。
復路に入った際に自然に左に視線を向けると、ジグザグゾーンに入った妙高の、まるで氷上を滑るフィギュアスケーターのような華麗な身のこなしでジグザグを一切スピードを緩めずに進む姿を捉えた。
((え、なに妙高さん!? すっごい~きれ~!))
正直言って身のこなし方は負けた、那珂はそう感じた。しかしスピードと全体的なバランス感覚としては負けとは思わない。負けず嫌いな那珂だが、身のこなし方だけは素直に負けを認める気になった。
那珂はアイドル目指してダンスなども学んできたが、スケートは未経験。妙高のあの滑り方は経験者だということは想像に難くない。経験者に勝とうなぞ思わない。自身に知識や経験がないゆえに、無理な勝負は挑まない。そういう考え方なので那珂は妙高には唯一のポイント以外では絶対勝とうという意欲で最後まで突き進むことにした。
「ゴール!那珂ちゃん一番! ……っと、妙高さんもゴール! うわぁ~、二人のタイム差は1秒切ってます。那珂ちゃんに追いつけるなんて妙高さんさすがですね~。」
明石の宣言が響き渡る。
自身の後にゴールした妙高を真正面に見た那珂は彼女がゴールしてすぐに近寄り、手を握ってはしゃぐ。
「妙高さん!すっごいじゃないですか!あたし結構飛ばしたつもりなんですけど。それにすごい綺麗でしたよ、あの動き方。もしかしてスケートとかやってました?」
「えぇ、フィギュアスケートやってましたけど、学生時代の話ですよ。もう10年以上前ですもの。」
「それでもあれだけ動けるなんて、あたしサッと見ただけですけど、見とれちゃいましたよ。あのまま惚れてたらコースで転んでたかも~。」
「もう~那珂さんったら。」
那珂の無邪気な感動の様を間近で受けて妙高は艶やかに照れを見せて微笑んでいた。
--
全員が水上航行をし終わってプールサイドの庇近くに集まった。明石と技師は提督に動画を見せながらポイントを説明している。那珂たち学生の艦娘らはそれぞれの学校の教師の前に駆け寄って感想や報告をしあう。後に残ったのは妙高と五十鈴、そして五十鈴の友人の良と宮子だけだ。
妙高の水上航行の様を見て感動したのは並走していた那珂だけではなかった。五十鈴ら3人も感動表現を表し、妙高を照れまくらせていた。
その後教師たちは生徒たちの訓練についての最初の感想を言い合った。
「みんなすごかったわ~。先生ビックリ!光主さんも内田さんも見てて気持ちよかったわぁ~。先生、学生時代は陸上やってたから、競技のこと思い出しちゃった。」
阿賀奈は那珂と川内の訓練の様子に触れてまるで子供のように喜び湧く。
そんな光景の脇で、神通は先生が自分のことに触れなかったことに気づいてみんなの背後で隠れて悄気げる。まぁ当然か、と諦めていたその時、阿賀奈の口が再び開いた。
「それに神先さんも見事でした。なんていうのかな、ナイスガッツ? でもね~、もうちょっと光主さんや内田さんみたいに動いてくれたら、見応えあったかな~って思うの。あれだっけ? 神先さんスポーツ苦手なんだっけ?」
矢継ぎ早に感想と問いかけをする阿賀奈。神通はアタフタしながらも阿賀奈の程度の弱い問いに答える。
「え……と、あの。スポーツほとんど経験がないので、あまり感覚わからないというか。」
「そっか。それじゃあ夏休みは艦娘以外にもスポーツしましょ?なんだったら先生、陸上教えちゃうわよ?」
「あ……えと、あの……その。」
オロオロする神通を見かねたのは川内だ。親友であり同僚であり姉妹艦である神通を優しくフォローしながら阿賀奈に対して言った。
「アハハ。先生ってば。そのくらいにしてあげてくださいよ。神通にはあたしがついて毎日自主練してあげてるんです。あたしに任せておいてって。」
「そっかそっか。二人ともすっかり仲良しさんなんだね。先生嬉しいなぁ~。うん。それじゃあ任せちゃうわよ。」
川内は言葉なくこめかみに手刀を当てて冗談めいた敬礼をして返事とした。
その後五月雨たちに対しては理沙が、不知火に対しては桂子が言葉をかける。
一通り教師陣から感想を受け取った艦娘たちは、那珂の合図の下、訓練の本筋に戻った。
「それじゃあみんな。今日の訓練は終わりだよ。ザッと動画見せてもらったと思うけど、この後はみんなで記録動画見て、この人のここがよかった、悪かったとか話し合いたいと思います。いいかな?」
「お~、なんかちゃんとした部活っぽくなってきましたね。」
「(コクリ)」
軽巡艦娘たちに続いて駆逐艦艦娘たちも相槌を打ち合う。
その光景を数歩離れた場所から見ていた提督は満足気な表情を浮かべてウンウンと頷いた。皆に音頭を取り終わった那珂はそんな提督にチラリと視線を送り、言葉をかけた。
「それじゃー提督ぅ。責任者としてし~っかりあたしたちのこと、視姦するよーに打ち合わせの最後まで観察し・て・ね?」
アハハハと苦笑が回りから溢れる。相変わらずの那珂の茶化しを伴った素直な願い事に提督も苦笑いを浮かべて返事をした。
「ハハッ……女の子がそんな単語使いやめなさいっての。わかってるから。俺が最後は判断して君たちを評価しないといけないんだからね。」
「わかってるならよろしー。あたしたちや先生方が色々話し合ってもさ、結局のところ提督が全てなんだからね?ウリウリ!」
さらなるツッコミを言葉と合わせて肘でする那珂。提督は那珂のその仕草にたじろいでもはや頷くことしかできない。
場所を演習用プールから会議室に舞台を移した那珂たちの打ち合わせの中、教師たちや五十鈴の友人二人、明石らとともに外野席で色々と肝を冷やしながら艦娘たちを見守る提督の姿があった。
少女たちの試行錯誤
公開訓練は翌日再び、とはならなかった。教師陣の都合もあるからだ。とはいえ那珂たちは初回に出しあった案の訓練をひとまず全部こなすことを決めたので、教師が来ない日でも取り組む。
全く監視の目がないわけではない。教師陣が来られない場合は明石と提督が、そして主婦のため毎回出られるわけではない妙高が大人代表追加として少女たちの訓練の様を第三者視点で観察に参加することになった。
提案された訓練の2案目を那珂たちがこなした日の夕方、訓練を記録した艦娘たちのビデオを見返していた提督は確認のために残っていた那珂・神通・時雨・明石に告げた。
「数値化すると言うならさ、防衛省が配布している艤装装着者の評価チェックシートじゃダメなのか?あれなら国の管理システム使って簡単にできるぞ?ていうか最終的にあれに直しているの俺なんだけどな。ぶっちゃけ二度手間になるの、嫌なんだよ。」
愚痴混じりに提督が紹介するシートを那珂は以前一度だけ見せてもらったことがあった。淡白で変に小難しい表現で評価項目が列挙されている記入式のシート用紙だった。普通に読んでもわかりづらいし、そんな大事な内容を未だに紙で記入させるなよと言いたくなるアナログ式のものだ。国のチェックシート用紙は、まだまだ現代ITっ子気分な提督はもちろん那珂たちですら、その記入が煩わしいものだった。
しかし艦娘の管理者としては国に提出するのにそれを使わないといけないのが辛い。彼の気持ちとしては、様々な表現で報告してくる艦娘たちの自己評価を、いかにしてチェックシートに合わせて意訳するかが辛いので、どうせ数値化すると決めたのなら国のデフォルトフォーマットであるそれに従ってくれよというのが本音である。しかし一度艦娘たちに自由に報告していいと言った以上はそれを守り通すのが筋という思いは譲れない。その本音をわかっていたのは、明石だけあった。那珂たち三人は今この場でそれを初めて聞いた。
「……というわけさ。だから本音としては、君たちの段階からデフォルトのフォーマットに従って欲しいんだ。けどこんなわかりづらいシートを記入させるのは心苦しい。俺の矛盾する気持ち、わかってくれるかい?」
わざとらしく泣き真似をして那珂に泣きつく提督。それを見て苦笑していた那珂はしばらく唸ったのち答え始めた。
「ん~~。確かにあのシートをあたしたちが付けるってなったらあたしはもちろん嫌だけど、夕立ちゃんや川内ちゃんあたりが猛反発しそうだよね~?。」
那珂の想定に全員がウンウンと頷く。もはや件の二人の反応は好例なのだ。
「今までのままやるとなると、結局のところ提督の負担が地味に大きいってことなんですよね?」
そう明石が尋ねると提督は首を縦に振った。次に時雨が口を開いた。
「僕達が実際にやってみて評価しやすいチェック表とかのほうがいいですよね?評価項目がわかりやすくないと数値化できないし、かといって変なチェック項目にすると本当のチェックシートと違いが出来てしまって提督が大変になってしまいますし。」
ずっと俯いて思案していた神通が顔と片手を上げた。那珂は言葉で触れて促す。
「はい、神通ちゃん。」
「あの、提督の……本業の方でそういうある内容から別の内容に置き換えるシステムってないのでしょうか。私、ITとかよくわからないので上手く喩えられないのですが、例えば私達がこれから作るチェックシートの内容を、自動的に国のチェックシートに置き換えてくれる仕組みとか……あればいいなって。」
神通の発言に那珂たちはポカーンとした。
言い終わってから神通が那珂たちの顔を見渡すと、唖然としている。何かまずいことを言ったのかもと不安がもたげてくるが、その不安はすぐに解消される。
「そっか!そーだよ!あたしたちはあたしたちでチェックシートを付けて、それを自動的に変換できればいいんだよ!」
「そうですね。そういうのがあれば提督の負担も減るでしょうね。」
那珂の反応に続いて時雨もニコリと笑顔になって相槌を打つ。
少女たちに続いて好反応を示したのは明石だ。
「そうですねぇ。そういうのはむしろ提督の本職ですし、ていうか提督ご自身が作ればいいんじゃないですか?」
「おいおい。そう簡単に言わないでくれよ。」
「だったらさ、提督の会社の人に手伝ってもらえばいいんじゃないの?」
サラリと案を出す那珂。提督はその案に低い唸り声を短く発して考えこみ、そして再び口を開く。
「まぁ、どうせやるんだったらうちの会社の利益になるようなことをしたいな。つうか俺が営業かぁ……。はぁ。苦手なんだよなぁ~。」
「何言ってるんですか提督。西脇栄馬支局長が、西脇さんの会社にとってお客様になるんですよ。」
「いやだから、俺が自分の会社の立場では営業となって、なおかつお客様の立場にもなってるって、すごく複雑な気持ちだよ。うちの社員とやりづれぇよ。」
「提督ぅ~!そこはどーんと構えて、ふんぞり返るくらいの勢いでイこーよ、ね!?」
提督の反応に面白みを感じたのか、那珂はノッて茶化した。
ノリノリで提督を茶化す那珂と明石のことを、神通と時雨は苦笑いを浮かべて眺めていることしかできないでいる。しかしさすがに話の逸脱に若干の苛立ちを覚えた時雨がピシャリと言葉で三人を叩く。
「三人とも!そろそろ話を進めましょう。提督も、押されてないでちゃんと言い返してよ。」
「あぁ、ゴメンゴメン。まぁ冗談抜きの話、もしうちの会社に仕事としてくれるんなら、ちゃんと発注するし、俺が橋渡しとなって話を進める。ただその前に、お客様である俺らの要件、つまりやりたいこと、俺の会社にお願いしたいことをまとめておかないといけないんだ。那珂だったら生徒会の仕事で似た経験あるんじゃないかな?何か仕事をお願いされるにしたって、まずは相手が何をしたいのかはっきり言ってくれないと困るよってこと。」
「うん。なんとなくわかるよ。」
「俺の会社だって、相手が自分のやりたいことをハッキリ言ってくれないようだと、受注の返事を出せないし見積もり……つまり相手からの依頼を受けるかどうかの調査をすることすらできないんだ。だからこそ、まずはすでにやった2つの訓練で君たちが求める評価のチェックシートを作り上げて欲しい。まずはそれがたたき台。開発会社に発注するための材料となるんだ。今日以後は、国のチェックシートと違う違わない等はひとまず気にしないでいい。わかったね?」
「うん、わかった。」
「「はい。」」
提督が真面目な様相になったので那珂たち三人も気持ちを切り替えて返事をした。残る明石もその様子を柔らかい笑顔を浮かべつつも真面目に視線を向けている。
これからやるべきことの道筋が見えてきた。それは今まで自分たちだけ決めようとしていた道ではあり得なかった明確さが見えてきたため、那珂たちは俄然やる気に満ちる。
那珂は相談役の時雨と神通に早速指示を出した。
「それじゃー二人とも。ひとまず今日までの2つの訓練の評価ポイントを自分の考えでいいからザッとメールでもレポート用紙でもなんでもいいからまとめて書き出しておいて。時雨ちゃんは秘書艦の五月雨ちゃんと話し合っていいからね。神通ちゃんは……五十鈴ちゃんに相談しちゃうと迷惑かけちゃうかもだから、まずはあたしと。報告だけは五十鈴ちゃんにする形で。」
再び二人からの返事を聞いた那珂はその言葉のあと、ウンウンと頷いて満足気にパタリと雰囲気を変えてだらけモードに切り替わった。神通と時雨が苦笑して、提督と明石がニヤケ顔で見ている。
「ハハッ。三人ともご苦労様。今日はこの辺でいいから、帰って休みなさい。」
「「「はい。」」」
提督が優しく声をかけると那珂はもちろん、神通と時雨も照れを浮かべてはにかんだ。
三人は提督から促された通り、この日は打ち合わせが終わると三人揃ってすぐに帰路につく。結局、作業の本格始動は翌日からとなった。
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翌日、公開訓練を見に来た教師たちは艦娘たちの砲撃する光景を見学した。艦娘たちは先日一度行っているが、これもまた基本の技術なので、改めて教師たちの前で披露したいという願いから率先して取り組みがされた。
一通り砲撃を見せた後、打ち合わせの段になり那珂は先日提督らと話し合った内容を全員に伝えた。ただし評価チェックシート変換のシステム開発云々の話については提督から待ったがかかったため、那珂が伝えることができたのはあくまでも自分たち独自の評価チェックシートのたたき台公開までだ。
那珂が代表してそれらを説明し、時雨と神通が作った仮のチェックシートは全員(教師含む)に配布され、それぞれの視点からの確認が始まった。
なお、この日は五十鈴ら三人の姿はなかったため、時雨と神通は最終的には那珂を頼ることになる。
「ねぇ神通さ。ここの評価の言い方、あたし嫌いだなぁ。できれば***ってしてほしい。」
「えっ? ……うー、は、はい。変えてみます。」
「あ~ついでにここも。てかこういう評価のされ方嫌い。これやめて。それとね……」
「コラコラ川内ちゃん、そんなに挙げると全部消えちゃう勢いだよ!好き嫌いはいけません!」
「うえぇ~。は~い。」
率直な意見をぶつける川内に慌てて対応する神通の姿があり、そんな意見をぶつけまくる川内を那珂が叱るところまでが一連の流れとして繰り返しあった。
また別の光景では夕立が不知火を巻き込んでコソコソ話し、突飛な批判を時雨に思い切りぶつける姿もあった。
そして艦娘ら生徒たちが話し合う脇では教師たちが生徒たちの様子を監視し、かつ自身らも意見をかわしあっていた。
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ある項目を見ていた川内が神通に意見を言っている。またふざけた意見なのかと那珂は勘ぐって注意しようと身を乗り出す。
「コラー!川内ちゃん、またぁ?」
「うわぁ! 違います。違いますって! 今度は真面目な意見。」
「ホントーにぃ?」
目をひそめてジトリと川内を見つめる那珂。川内は先輩のややマジ怒りが混じっているかもしれない視線を受けて焦りながら説明する。
「いやぁ、ここの言い方なんですけどね。“水上航行、直進”の欄。やや駆け足とか全速力とか書いてありますけど、速度の言い方は艦船にはちゃーんとあるんだって言いたかったんですよ。」
川内のゲーム・漫画由来知識が発動した瞬間だった。那珂はやや憤りを交えていた視線を解消し、興味深々に川内を見ることにした。先輩の態度が変わったことを見届けると、川内はコホンと咳払いをしてから続けた。すると自然と那珂以外の艦娘たちの視線も集まる。
「150~60年前の日本海軍の艦船や、ちょっと前の海自の護衛艦って、微速とか原速とか、第○戦速とかそういう言い方でスピードを表していたんですよ。」
「ほ~、それもゲームで知ったの?」と一言で那珂が確認する。
「はい。ゲームならこの手の用語は当たり前のように使われてますし。ちなみに船のスピードはノットで示すのって那珂さん知ってました?」
那珂は頭を横に振って言葉なく否定を示す。
「す、すごいわね……川内ちゃん、もしかして軍事物のマニアだったりする?」
さすがに明石もあっけにとられるほどの偏った知識だった。普通の人ならば絶対知らないであろう艦船に関する知識をその後もペラペラと口にし始める。
「ほ、ホラホラ川内。そのへんでやめとこう。君がすごいってのはわかったから、な?」
これは止まらないということを、自身もそういう傾向があるゆえにいち早く気づいた提督が川内を止めるべく慌ててやんわりとしたツッコミを入れた。
落ち着いた川内が那珂の再確認の意味が込められた視線を受けて、提案する。
「えーと、つまりあたしが言いたいのは、そういうスピードとか動き方を示す合図をあたしたちも決めようってことです。」
川内の周囲がざわつく。そのざわつきの声色は反対ではなくあきらかに賛成的な良い質だった。最初に口を思いっきり開いて意見を述べたのは夕立だ。それに時雨も続く。
「賛成賛成! 川内さんやっぱさすが~っぽい!絶対楽しそ~!!」
「いいですね、そういう言い換える表現。」
「でしょ~!単に数値でスピード言われるより絶対良いと思わない!?」
好評な声ばかりのためもはや興奮状態でノリノリの川内。そんな川内に村雨が問うた。
「それで、その本当の艦船の用語をそのまま使うんですかぁ?」
「あたしとしてはそれがいいかなって思うんだ。だってさ、一般人のあたしたちが急に15ノットで進むよ!とか言ったって、すぐに対応できないじゃん。それにあたし数学マジ苦手だし、数字っぽいの見聞きするのだけで、も~嫌。そこでさ、原速で進むよ!とか言ってみんな切り替えたらかっこ良くない!?」
夕立はわかるわかると激しく頷く。二人は苦手分野まで気が合うのか……とツッコミ役の時雨と神通は密かに頭を悩ます。しかし二人ともツッコミ&心配役なぞ一切気にしない性格なのは誰の目にも明らかだった。
那珂も概ね川内の案に賛成だ。艦を模した機械を身につけ、艦の記録情報由来の能力を発揮する自分たちの存在としてはこの上なくフィットする用語だ。
しかしその“艦”に縛られすぎるのを懸念していた。
「うんうん。いいと思うね~。さすが川内ちゃん、その手の知識では頼もし~。でも一つあたしの考え言っていいかな?」
「おぉ!はい、お願いします!」
「ぶっちゃけさ、いくら艦娘とはいえ、ただのJKやJCなあたしたちや時雨ちゃんたちがさ、その第○戦速で!とか言うのってなんかしっくりこないというか、女の子らしくないっていうか……うーん、この気持ち分かってもらえるかなぁ~~?」
わざとらしく頭を揺らして腕を組んで身体を揺り動かして悩むフリをする。変に勘ぐられるかと若干の不安を持っていたが、その意見は満場一致で受け入れられた。言い出しっぺの川内も同意見だった。
「あぁ~確かにそうかも。」と川内。
「……はい、私も、そのまま使うのはどうかと思ってました。」と神通。
「なんか私たちの秘密の暗号みたいにするってことですよね~~?」
と、五月雨も理解できたようで、若干の喩えを交える。
「まぁそんなとこ。あたしたちが使いやすい言い方に変えるってことで分かってもらえれば。」
那珂の補足を受けて、ワイワイと意見を出し合う艦娘たち。
しばらく案が飛び交うがその表現方法や由来とするイメージが中々定まらない。そのような時、ある発言で話し合いの方向は一気に光を見出す。
そのきっかけを作ったのは不知火だった。那珂や川内・夕立たちがワイワイ話し合う最中、彼女の簡潔な意見が響き渡った。
--
「乗り物が、分かりやすい。」
那珂たちの話し合うはしゃいだ軽い声がピタリと止まる。注目が一身に集まるも不知火は一切微動だにせず再び口を動かす。
「あるスピードまでを、連想。例えるのは乗り物。」
相変わらずの断片的な区切り区切りの言葉。不知火のその発言をフォローすべく神通が口を開いた。
「なるほど。例えば……バイクとか車とか、でしょうか。」
不知火はコクリと頷く。続いて五月雨がさらに喩えて言い出した。
「わぁ~なんかわかりやすくていいですね~。それじゃあたとえば、自転車ってしたなら、普段の1.2倍くらいのスピードを出して進むようにするとかかな~?」
「あ~なるほど。それいいわねぇ。自転車が1.2倍なら、バイクが1.5倍のスピードとか決めておけば、相対的になってすぐにスピードを調整しやすいかもしれないわねぇ。」
五月雨の案に賛同して村雨がさらに表現を広げる。それに時雨もウンウンと頷いて賛同を示す。夕立も
「そーたい?なにそれ?」
と理解できてないながらもどうにか賛同を示そうとする。
「……授業で習ったはずだよゆうも。絶対と相対。相対っていうのは他との関係で成り立つ物事のことだよ。」
「あは~。時雨サンキュー。あったまいいっぽい~。」
「ゆうちゃん……さすがに私だってわかるよそれくらい。」
「さみうっさい!」「ふえぇ!!?」
時雨から丁寧な説明を受けて呆けたままではあるが、ようやく感心を見せる夕立。五月雨も時雨に乗って突っ込んでみたが、逆に牙を剥かれて脅かし返された。
そんな中学生組のやり取りを見て苦笑を浮かべる那珂が最後に口を開いた。
「アハハ。皆不知火ちゃんのその例え、気に入ったみたいだね。あたしもそれでいいと思う。後は実際のスピードをどんな乗り物に例えるかだよね。あたしとしては……」
そうして再び活発化した話し合いの末、評価チェックシートに合わせて艦娘のスピード表現・指示の形も定まっていく。
--
西脇提督は、まだ艦娘が時雨・村雨たち駆逐艦艦娘4人程度までしかいない頃に海自由来の指示・号令系統を一通り調べて教えたことを思い出した。皆パッとした反応を見せず、一斉に拒否してきたためにそれ以上教えることはしなかった。
今の今まで五月雨たちは単純な知識としての指示・号令を忘れていたが、もはや誰も気にしない。今回の言い換えの提案によって、その知識は興味津々なもので上書きされようとしていた。
少女たちの打ち合わせを外野で見ていた提督は、
((きっと五月雨たちは完全に忘れてるんだろうな。))
というズバリ正解を心の中で苦笑いながらも思って、温かい視線を送ることにした。
その後は各乗り物の速さのイメージに合わせて、どのくらいの速度に相当させるかが話し合われた。神通は那珂の指示でこれまで出た案をまとめて述べつつ、最後に提案を付け加えた。
「……このようになりました。あの……私思ったのですが、この中で基準を決めませんか?」
「基準?」川内がすぐに反応して聞き返す。
「はい。私たちが出撃して、普通に移動するときの速度を決めて、そこから分けたほうが使いやすいと思うのです。」
「ほほぅ、なるほどねぇ。神通ちゃんってば鋭くて良い視点~。」
茶化し気味の那珂の評価ではあるが、神通の指摘は本当に的確だと感じていた。神通はやや照れながら続ける。
「ここで出てきたスクーターが一番真ん中だと、思うんです。自転車よりも早くて、車やバイクよりも遅いかと。なんとなく、真ん中かな……と。」
「なんとなくって。神通にしては曖昧なイメージだなぁ~。」
「う……。」
「でもぉ、いいですよね~スクーター。確かにこの乗り物の中では中間なイメージありますぅ。」
「うん、いいと思う。そんな感じだね。」
「私は、もともとそう思ってた。神通さんは、さすが。」
村雨が感想を言うと時雨と不知火、そして他のメンツも次々に頷いて賛同していく。
それをきっかけに他の候補である乗り物もスクーターから何倍にするのか、相対的な速度のイメージから案が出され、練りこまれて定められていった。
ただひとつ、最上位の速度表現としたリニアに相当する速度については、当初那珂が4~5倍と提案したが明石からストップがかかった。
「え~なんでなの、明石さん?」
「艤装のメンテをする私たちからするとですね、あまり何倍とか勝手に決められても正直困るんです。艤装の主機、つまりエンジン部分には一応限界となる最大速度とか出力値が定められています。那珂ちゃんたちが等倍速を実際は厳密にどのくらいの速度で表現したいのかわかりませんけど、あまりに倍数を高めてくれちゃうと、意外と最大速度に達しちゃうと思うんです。それに艦によって最大速力は異なります。技師である我々からお願いしたいのは、あまり最大の出力をするような分類やシーンを設けないで欲しいんです。最大出力を続けると、機械には悪いんですよ。」
明石の指摘は正論だった。機械系統はまったくわからない那珂たちだったが一応理解できた。
「え~う~。それじゃあもっとぼかして可能な限りの全速力とか?」
「いえいえ。そこはもうちょっと言い表してもいいですよ。」
それでも悩む那珂に対して、見かねた提督がフォローの提案をする。
「なぁ明石さん。そこは逆に提案してもいいんじゃないかな。艤装の最大出力に対してどのくらいまでOKです、とかさ。」
「そうですねぇ……。」
提督の機転もあり、明石から告げられたのは、“主機の最大速度(出力)の80%”だった。
「……くらいですかね。この程度ならかなり高出力ですし、なおかつエンジン部分への負担も通常は気にしないでいいレベルまで抑えられます。」
「わかりました。それじゃあ、その80%というのにします。いいかな、みんな?」
那珂が返事を求めると、川内たちは全員肯定の返事を出した。
そうして、鎮守府Aにおける速度指示・表現の原案が決まった。そしてそれは評価チェックシートにも反映される。
「それじゃあ、随分脱線したけど、水上航行の評価では、この速度指示を適切に反映して実際に出して使い分けることができるかどうか、という項目もいれよっか?」
「はい。」
水上航行のチェックシートを作った神通がメモ書きして、案をまとめ直した。
すなわち、
停止=停止
徐行=限りなく停止に近い速度
歩行=1/4
自転車=1/2
スクーター=10ノット(1倍)
バイク=1.5
車=2
電車=2.5
リニア=艤装の主機の最大速度(出力)の80%
となった。
等倍つまり通常速度の区分たるスクーターは、10ノットと決められた。計算あるいは明石や教師陣からスクーターの一般的な速度を確認した結果、大体このくらいの速度で問題ないだろうと那珂たちは踏んだためだ。
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艦娘の艤装は脳波制御により考えたことを様々な思考パターン毎に判断して出力を変える、まさに人体のように動的に出力が調整可能な代物である。考えて出した速度はスマートウォッチ等の艦娘制度用のステータスアプリで数値化されるため確認できるが、大半の鎮守府の艦娘はなんだかんだと理由を付けてそれを見ない。おおよそ本人同士の感覚で合わせているのが現状である。
もちろん厳格に規定されて運用しているケースもある。鎮守府Aの面々も、その例に入ろうとしていた。
艦娘はあくまで実際の艦船相当の能力を発揮する機械を装備した人間であって、本当の艦船ではない。当然主機も本当の艦船のそれとは根本から異なるため、本来の主機に由来する指示・号令系統は艦娘の艤装の使用方法と艦隊運用にはそぐわない。
海上自衛隊と合同の任務をする可能性が全ての鎮守府の艦娘の艦隊にありうるため、海自の指示系統・号令も教育上一応教えられるが、それはあくまでも補助的な知識程度であり、通常の艦娘の運用上の必須項目ではない。
そもそも艤装装着者に応募して着任する人間は鎮守府で基本訓練を終わるまでその手の知識には馴染みがない一般市民である。そのため習いたての高揚感に任せて最初の数回の任務で使ったり、普段の会話に混ぜる冗談・その場のノリで使うなどでしかない。そう言ったまれなケースでない限りは海自由来の指示系統・号令はほとんど意識されないのが現状である。
結果として、艦娘の行動のための指示や号令は各鎮守府に任されている。国としても、深海棲艦を領海のギリギリまでに押しとどめておけるなら、現場の戦闘技術・方針までは問わないことにしている。そこには艤装装着者の集団はあくまで軍ではないという日本政府のアピールが見え隠れしていた。
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この日、案を揉まれて形を見せた評価チェックシートはまず水上航行と砲撃の二つ向けのものだけだが、早速そのチェックシートを用いた訓練、評価チェックシートの評価をすることになった。
砲撃の評価チェックシートを用いた砲撃訓練は、滞り無く進んだ。
チェックシートはそれぞれの教師が手に持ち、明石や技師達に砲撃時のポイントと見方を教わりながらつけ進められた。一番頼りなさげな阿賀奈を含めて、曲りなりにも教鞭をとったことのある三人のため、艦娘となった生徒たちの砲撃の評価をスラスラと進めていく。
評価が出された。砲撃では、那珂・時雨・不知火が最上位点数組だ。次点で川内・妙高・村雨・五月雨。最下位組は夕立・神通という順位付けだ。
なお、五十鈴はこの日は不参加のため後日となったが、最上位組の時雨と不知火の間に位置する総合的な出来だった。
「ん~~、神先さぁん。もうちょっと頑張ってほしいなぁ~。」
「は、はい……申し訳ございません。」
集まってきた艦娘のうち神通に、チェックシートを付け終わった阿賀奈がほんわかと鼓舞する。そんな先生を見て普段の倍は申し訳なさそうに悄気げる。
「ううん。次頑張ってくれればいいのよ~。それにしてもみんなが作ったこのチェックシート、なかなか分かりやすくていいと思うわ~。まだちょっと荒いところがあるけど、艦娘になってない先生でも、神先さんたちをあっという間に評価できたし。あなた達が主役なんだから、これからもこのチェックシートと一緒に頑張っていってね?期待してるわよぉ~。」
「はい!」
自分のできの悪さを指摘される一方で褒められる・気をかけてもらえる面もある。神通はまるで学校で成績を褒められたかのごとく感じ、気分が良くなった。やはり先生が鎮守府、艦娘がらみでもいてくれると非常に張り合いが出て個人的にはやりやすい。
神通は自分でも気づかぬうちに自然な笑みをこぼしていた。それを川内の指摘で気づく。
「お、神通ってば嬉しそ。先生に褒められるのそんなに嬉しかったんだ。」
「……(コクコク)」
そのやり取りを見た阿賀奈が今度は川内に矛先を向ける。
「内田さんは結構いい点なんじゃないかしら。このままがんばってね。」
「お~、はいはい。」
「学校の勉強も成績もこれくらい熱心で点数よかったらいいのにねぇ~。ゲームで歴史や軍事の知識たくさん持ってるんだからさぁ~?」
阿賀奈の評価のあと、すかさず茶化しを入れたのは那珂だ。雰囲気と流れ的に茶化さずにはいられなかったからだ。そんな先輩に川内はハッキリと言い返す。
「あのですね、歴オタや軍オタの皆がみんな、学校の成績もいいわけじゃないですからね! 好きな分野が出てきたって学校の勉強は別です。あ・た・し・はぁ~……ハッキリ言って日本史も世界史も苦手だぁ!!」
ビシリッと、人差し指を立てて天を指して言う川内。
「ちょ、ちょっと川内ちゃん!先生がいる前でその発言はいけませ~ん!」
「い、威張って言うことではないかと……。」
さすがに後輩の今の言葉は教師のいる前ではまずいと思い咎める那珂と、苦手教科を堂々と教師の前で宣言するなどなんて人だと呆れる神通の二人だったが時すでに遅し。阿賀奈は那珂のノリを意識してかせずか、似た雰囲気(多大にふんわり成分がトッピングされた)でわざとらしくて微塵も怖さを感じさせない叱り方で川内を責めるのだった。
そんな那珂たちの一方で、五月雨や不知火らとそれぞれの教師も似たようなやり取りで評価をしあっていた。
速力指示の実践
その日の夕方、水上航行訓練のために海に出た那珂たち。プールではないのは、自分達で決めた速度表現・指示を実際に試し・計るためだ。そのためにはプールでは手狭すぎた。
那珂たちが試運転代わりに自由に航行している側、堤防の向こうでは提督と三人の教師、そして技師の女性が見ている。明石は別件の仕事が舞い込んできたためこの場では欠席した。
プラス、夕方以降は五十鈴が姿を現した。遅れての参加のためチェックシートの概要までは伝え聞いていたが、その後の指示系統の話までは五十鈴は知らずにいた。そのため海上で那珂・神通・時雨からざっと話を聞いて五十鈴は状況をようやく共有できた。
「なるほどね。確かに私達らしくて良いかもしれないわね。……個人的には微速とか第一戦速とか黒10とかそういう言い方したかったけど。」
「おっ、五十鈴さん。もしかして海自の指示系統勉強してたんですか?」
川内が調子よく尋ねると、五十鈴はため息一つついてから面倒くさそうに言い返した。
「私はあんたと違って事前に勉強を欠かさないんだからね。舐めないでよ。」
ピシャリと五十鈴が川内に言い放つと、川内の側にいた那珂が
「アハハ……五十鈴ちゃんいちいち厳しい~。」
と言ってさすがに後輩の肩を持ってその場の雰囲気を和ませた。
五十鈴も加わって那珂たちは改めて速力指示の実践を始めた。
「それじゃあ等倍速のスクーターからいくよ。おおよそ10ノット。一般的なスクーター……でわかりづらかったら、自転車をわりと力強く漕いで出す速度って覚えてもらえばいいハズだよ。」
「よっし!まずはあたしからだ!!」
意気込んで早速スピードを出そうとする川内を那珂は服の襟を背後から掴んで止める。
「ちょーっと待った!なーんでいきなり猛ダッシュしちゃうような勢いっぷりなのさぁ?」
「ハハッ、なんかついノリで。」
「はいはい。他の皆はこのかわうちちゃんみたいに慌てないでね~。」
川内の服の襟をパッと放したあと那珂は他の艦娘たちに向かって改めて音頭を取った。クスクスと失笑が蔓延するも、川内は頭をポリポリと掻いてその笑いを意に介さない。那珂はハァと溜息をついた後続けた。
「普段通りのって言ってもなかなか難しいと思うから、ちゃんと計ろう。あそこにいるおっさんの力をちょっとばかり借ります。ねぇ~提督ぅ~!!」
「なんだー?」
「今からあたしが行くところに来てー。」
提督を呼んだ那珂は堤防ごしに彼に説明し、河口から約50mほど離れた場所に提督を呼び寄せた。次に那珂は技師の女性を呼び、自身がまっすぐ河口、つまり堤防沿いの道の袋小路まで進み、そこに技師を移動させた。
「○○さーん!」
「はーい?」
「すみませんけど、ここであたしたちのタイムを計ってもらえますか?」
「あ、もしかして提督がいらっしゃるところからここまでってこと?」
「はい、そーです。」
そうして外野に手伝ってもらうことを説明した後、再び海上にいる艦娘たちに向かう。
「提督がいるところから○○さんがいるところまでをまっすぐ進んでもらいます。50mあるので、体育の50m走とかあんな感じでやってもらえればいいかなぁ。」
「なるほどね。でも50mって距離はどうなのかしら。帯に短し襷に長しじゃない?」と五十鈴。
「上は全速力に近い区分まで計るから、距離はこれくらいがいいと思うの。まぁ一度やってみよーよ?」
「えぇ、わかったわ。」
五十鈴を始めとして他の艦娘たちも相槌を打つ。
そして自分たちで決めた速度指示の表現にしたがってその後2時間近くかけて実際の航行速度を調整して直線50mを往復し続けた。
さすがに2時間も提督や女性技師を付き合わせるのに気が引けた那珂は、最初の数回のみ彼らに手伝ってもらい、その後はローテーションを組んで自分たちで所定の位置について進めた。
提督や女性技師がその後別件の仕事で戻っても、三人の教師は堤防沿いから生徒たちの様子をジッと眺めていた。
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「よし、神通ちゃんのリニアまで終わり!これで全員のスピード測り終わったよ。おーい、時雨ちゃーん、戻ってきていいよー。」
「はーい。」
「これで全員分の動画とタイム揃ったよね~?」
速度指示の実践の記録は時雨の担当になっていた。時雨は女性技師から引き継いでいたタブレットとスピードガンの画面ロックを解除し、その中の一覧にある全員分の記録を再びザッと眺めて確認している。
「……はい、問題なさそうです。」
時雨が那珂に視線を送ると、那珂は笑顔で視線を返し、そして全員に向かい直して言った。
「みんな、お疲れ様~。最初はちょっとブレブレだったけど、みんな後半はコツを掴んだようで問題ないかな?」
「はーい。」手を伸ばして答える川内。
「さすがに……思いっきり走ると……同調してても……はぁはぁ。疲れ……まふ。」
「アラアラ。神通さん大丈夫?」
「神通さん!」
最後にリニアの速力を実践した神通は、まるで全速力で陸上を走ったかのように激しく息切れを起こし、倒れ込みそうになる。それを妙高が背後から支え、不知火が心配そうに無表情で見つめている。
「神通ってば、同調してても体力ないの~? あんたは普通の体力づくりが必要だよ。また明日からあたしと特訓する?」
「(コクコク)」
川内が冗談めかして冷やかしの言葉を投げつつ、気遣って誘うと、神通は言葉なくコクコクと連続して頷いて意思を示した。
「あ、それじゃあ僕もご一緒していいですか?」と時雨が自主練への参加を申し込んできた。それに不知火が当然と言わんばかりに
「神通さんが。だったらわたしも。」
と無表情で参加の意思を示す。密かに尊敬して慕いたく思っていた二人が協力の意思を示してきたので神通は、まだ呼吸が途切れ途切れのため声を出せないので無言でコクコクと頷いて二人の参加を歓迎した。
「ゆうたちも一緒にやろうよ?」
時雨は夕立や五月雨らを誘ってみたが、3人の反応はイマイチだった。
「あたしはめんどいっぽいからパース。」
「う~ん、秘書艦の仕事もあるからなぁ~。朝から疲れるのはちょっと……。」
「神通さんのことは二人に任せるわぁ。」
やる気に欠ける親友3人の反応に時雨は苦笑いを浮かべるしかできなかった。そんな時雨と間接的に話題にされた神通に対して那珂がフォローする。
「アハハ。みんなもうわかってると思うけど、同調してても体力まではパワーアップしないからね~。神通ちゃんのことは川内ちゃんたちにお任せしちゃいます!お願いね?」
「「はい。」」
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そして那珂は再び会話の主導権を取り戻した。
「さて、あとでみんなの動画と記録は提督に頼んでちゃんとした記録に残してもらうから、今回出した速力を忘れないように何度も練習してね。それじゃあ今日はおわ……」
「ねぇ那珂。」
「ん、なぁに?」
「どうせ速力指示まで決めたなら、フォーメーションや陣形も考えてみない?」
那珂が話を締めようとしたところに、五十鈴が口を挟んだ。那珂は五十鈴の提案に興味ありげに耳を傾ける。
「今の私達が本当の艦船みたいに速力指示を決めるならさ、本当の艦隊に倣って……並び方って言えばいいのかしら? バスケやバレーボールみたいにフォーメーションを決めたら効果的なんじゃないかって思うの。」
那珂はもちろん、川内や神通も五十鈴の話に耳を傾けて真面目に聞き入っている。そんな周囲の反応を見ながら五十鈴は続けた。
「今まで私達はただなんとなく並んで動いて、これまでの任務に挑んでいたと思うの。どうかしら?」
五十鈴の提案は那珂自身も頭の片隅で考えていたことだった。艦船をモチーフにした艦娘が艦隊のフォーメーションつまり陣形まで真似るのは自然な発想だ。
しかし艦船・艦隊という先入観に囚われたくない意志を強く持っていた那珂は、五十鈴の提案に半分拒否反応を示したかった。とはいえ艦娘の大事な要素となりうるものを個人的な感情でふいにしたくない。そう冷静に思い返す那珂は五十鈴の言葉をやや反応を濁しながら飲み込むことにした。
「そーだね。確かにあんまり意識したことなかったかも。艤装装着者の教科書にも進行方向にまっすぐ並ぶ単縦陣とかいうのしか書かれてなかったし。なんとなくで今までやってきたからね。」
那珂と五十鈴の会話に質問で割り込んできたのは時雨だ。
「あの……よろしいですか?」
「ん、時雨ちゃんなぁに?」
「陣形っていっても僕達、艤装装着者の教科書では那珂さんが今おっしゃった単縦陣しか習ってませんよ。他の陣形に何があるのか知らないんですけど。それも他の鎮守府では教えられたりするんでしょうか?」
時雨の質問は的を得ていたのか、隣や2~3歩背後にいた五月雨らがウンウンと頷く。そんな時雨に触発されたのか神通は口を挟んだ。
「確かに。あとで提督に聞くべきかと。」
「あ~、提督はダメ。あの人、艦隊の知識ないって言ってたもん。多分あたしたちとそう変わらない知識レベルだと思う。」
那珂は悪びれた様子なく、さり気なく提督の現状を貶しながら明かす。
那珂たちがあれやこれやと話し合う脇で、身体をウズウズさせて聞いていた川内が両手を挙げて注目を集めた後発言してきた。
「はいはい!あたしに良い考えがあります!!」
「なぁに、川内ちゃん?」
川内の発言・提案パターンがすでにわかっていた那珂や五十鈴はまたアレかと思ったが、あえて黙って聞くことにした。
「陣形の知識ならお任せくださいよ!○○や□□っていう大海戦ゲームがあるんですけど、ゲーム中の説明が詳しくて初心者向きなんです。それにガイドブックがこれまたわかりやすくて読んでて楽しいのなんのって。結構オススメなんですよ!」
「……あんたさ、何が言いたいの?ゲームを勧めたいの?なんなのよ。」
五十鈴がピシャリと言って催促する。すると川内はフンスと鼻息一つ鳴らしてようやく本題を口にし始めた。
「だ~か~ら。ガイドブックに艦隊の陣形とか動き方、これって艦隊運動っていうらしいんですけど載ってるんです。それ見れば、小難しく考えなくても楽しく覚えられると思うんですよ。どうですか!?」
水を得た魚のように川内は目をキラキラさせながら拳を強く握って話す。五十鈴はもちろん、那珂もあっけにとられるが、結構役に立つ知識かもと期待を持って反応する。
「つまり、それをあたしたちが見ればいいってことかな?」
「はい。それさえ見れば色々検索する手間省けると思うんですよ。っていうくらいまとまって載ってるんで。」
「じゃあ帰りに本屋寄って見ていこ。川内ちゃん、この後一緒に帰ろ?お買い物お買い物~。」
「はい!!」
使えるものならなんでもいいや。この後輩の知識は自分が捌いて活用の場を与えてあげるべきだ。
そう那珂は開き直って思うことにした。
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その日の訓練とチェックシートの実践をひとまず終えた那珂たちは工廠へと戻り、各々の教師たちと一緒の本館へと戻って締めの打ち合わせを済ませた。
五月雨は秘書艦の仕事を続けようとしたが、提督から帰るよう促され、時雨たちや教師の理沙と揃って帰っていった。途中までは妙高も一緒だ。
不知火と教師の桂子も揃って帰り、残るは那珂たちとなった。
着替え終わり、普段の姿に戻った那美恵は同じく更衣室で着替え中の流留と幸、そして座って待っている阿賀奈に尋ねた。
「あたしはこの後流留ちゃんとお買い物していくんだけど、二人はどうします?」
「あ、あの……本屋行くのであれば、私も。」
「先生はまっすぐ帰るわ。先生がいたらあなたたちも楽しめないでしょうし~。お邪魔をしたらいけないものね~。」
「アハハ。先生ってば。別にかまいませんよ。てかむしろ先生の普段のこと知りたいので、一緒に買物行きましょ~よ~!」
招き猫のように手をクイクイッと招く仕草をして阿賀奈を誘い込む。すると最初は遠慮がちに拒んでいたが、コロッと態度を180度変えて阿賀奈は乗り出してきた。
「し、仕方ないわね~!そこまで生徒に頼られちゃうんなら、先生としては行かないといけませんね!夏休み中の生徒たちの素行を見守るのも役目だものね、うん!」
満面の笑みで那美恵たちに迫る勢いの阿賀奈。この日、那美恵たち三人+教師は、傍から見れば仲良し同世代四人組の雰囲気を醸しだしたまま隣の駅の大手ショッピングモールに寄り道し、目的の本やその他ショッピングを堪能して帰路についた。
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那美恵は流留から艦隊運動のイロハがわかりやすく書かれているというゲームのガイドブックを教えてもらった。その内容はゲーム好きの流留が張り切ってオススメしてきたのも納得の、非常に興味深い本だった。
那美恵はこんなマニアックなゲームもあったんだ、と初めて買うゲーム関連の書籍に心臓の鼓動がやや駆け足になる。ふとチラリと隣でジーっと見ている後輩に視線を移すと、期待の眼差しが視界に飛び込んできた。
(さあなみえさんもゲームにハマりましょう!)
そんな勝手な声が勝手に聞こえてきた気がしたが、眼差しも心の声も一切無視して冷静に振る舞いレジに直行した。
「あ~、これでなみえさんもゲーマーの仲間入りかぁ~。先輩に影響与えられて嬉しいなぁ。」
「ちょ、ちょっと流留ちゃん? あたしはあなたみたいにハマったりしないんだからねぇ!! あくまでもJKにも読みやすい資料として注目したかっただけなんだから。」
言い訳がましく那美恵が言うと、流留は不敵な笑みをこぼしながら那美恵の肩をポンポンと叩いてニンマリと喜と楽が入り混じった表情を浮かべた。さすがの那美恵も、含みを持った怪しい笑顔を向ける流留に対し、たじろぐしかなかった。
それにしてもただのゲーム書籍でこんなに分厚いのはなんでなんだろう?
疑問を持ったのでそれとなく流留に尋ねてみると、シミュレーションゲームならこんなものだという、知ってる者しかわからない達観した表現が返ってきた。釈然としないが、自身が参考にしたいのはあくまでも現実の艦隊運動や陣形に関わるコラム部分。ザッと眺めて流留に尋ねると、全体の20%ほどのページ数だという。ゲーム部分など興味ない部分はそもそも読まなければいいと判断し、購入後、バッグに本をさっさと仕舞い、流留や幸たちの求める買い物に続くことにした。
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本を読み進めてから数日経った。
その間の訓練は、先日と同じ流れでチェックシート作成・議論、チェックシートを用いた公開訓練という流れを繰り返した。
本も読み進めて知識を深める一方、普段の訓練の内容のすり合わせにも注力する。 本当の艦隊運動の知識なのかどうか疑問を感じたところは改めてネットで検索して知識を補完する。時々流留と話をし、後輩の知識と認識合わせをする。資料が足りないと感じた時は独自に資料集めも重ねる。
ある日、その日の訓練が終わり、艤装を仕舞って工廠内で皆で一休みしている間、那珂は相談役の神通と時雨を呼び寄せて自身の考えを明かして相談してみた。
「ねぇ二人とも、聞いてくれるかな。前に五十鈴ちゃんから提案してもらったフォーメーションとか艦隊運動のこと、そろそろ案を試してみたいの。」
「(コクリ)いいと、思います。」
「はい。皆集めますか?」
神通、そして時雨は賛同の意を示して聞き入る体勢を構える。
「ううん。まずは二人と提督に。ホントなら五十鈴ちゃんもいてくれると助かるんだけど、もうすぐ長良ちゃんと名取ちゃんになるあの二人の着任の準備でいそがしそーだからさ。」
「そうですね。五十鈴さんの分は僕たちでなんとかしましょう。」
時雨が相槌を打つ。
那珂が頼りたかった五十鈴は、長良となる黒田良、名取となる副島宮子の着任の準備等でこの一週間の間の訓練も休む頻度が増えていた。着任式が目前に迫っているのだ。そのためこの日の訓練にも五十鈴の姿はない。
那珂は神通と時雨を連れて提督のいる執務室へと足を運んだ。執務室には提督と妙高がいた。五月雨が訓練に終始参加する代わり、主婦業後に比較的時間があるために、妙高がこの日の秘書艦だ。
那珂は提督と妙高を含めた四人に案を説明し始めた。
「……というわけなの。参考になって面白かったよ。陣形も艤装装着者の教科書で乗っていたのは、どうやら艦隊のもっとも基本となる陣形の“単縦陣”ってやつで、他にも“単横陣”とか“輪形陣”とか、“弓形陣”とかあるみたい。でもね、一通り読んでみて思ったのは、あたしたちは人間じゃんってこと。」
「……と、言いますと?」
那珂の言いたいことのポイントが掴めず、神通はすぐに尋ねた。
「うん。よくよく考えたらさ、あたしたち艦娘は戦う場所が海ってだけの人間なのです。そこでね、お船じゃないあたしたちが参考にするべきなのは、陸上戦の陣形も含めた、幅広い意味での陣形なんだと思うの。実際に陣形組んだとしても、相手にするのはお船の常識なんて通用しないかもしれない化物だよね。だから、今までの常識に囚われた戦術ではいけないと思うの。」
那珂はしゃべっていて、これはどれほどの鎮守府の艦娘たちが通ってきた議論の道なんだろうと思った。ややもすると同じことの繰り返しをしてしまっているんじゃなかろうかとも。
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結局のところ、那珂が感じた不安は日本の艦娘の大半に当てはまることであった。
日本における艦娘事情は、軍隊化、対人の兵士・私兵化、戦力化を避けるために一般人からの公募で成り立ったものの影響が色濃く出ているためだ。
それは日本以外の国の政府の艦娘への捉え方にも影響しているが、軍隊が明示的に存在できる国では常備軍と対化物向けの艦娘という集団の境界線は日本ほど厳格ではない。よって外国の艦娘には本職が軍人という人間もざらにいる。そもそも、艦娘(艤装装着者)の集団が一部隊となっている軍を持つ国さえある。
従って、軍事力とみなされかねない艦娘は、外国と日本では少々捉え方が異なる。
第二次大戦以後の特有の勢力と根付いた感情による影響に支配された日本では、2080年代でもその影響は色濃く残っていた。艦娘・艤装装着者を軍隊と結び付けられないよう印象付ける。印象付けなければ、日本から始まった艦娘制度ではあるが、世論の風当たりによって日本では立ち行かなくなる危険性がある。そうなると領海侵入、そして沿岸の領土と国民が人外に脅かされかねない。一部の国民感情と某国との外交関係 or 物理的な被害どちらを考慮するか、日本政府にはそういう意味合いの天秤もかかっていた。
日本において艦娘・艤装装着者は深海棲艦対策局という防衛大臣認可の下の組織に属するが自衛軍ではない。あくまで国がバックボーンの害獣駆除の専門の団体扱いだ。資格者も自衛隊や政府関係者からは極力出さず国民が主役。ただ対人ではないにしろ戦うことになるため、危険性の問題もある。そして一歩間違えれば徴兵制かと囚われかねない要素にも神経質にならざるを得なかった。そのためあくまでも志願制としての根回しを日本政府はほうぼうにしていた。
実際の性能は人体に合わせて制御されているとはいえ、日本帝国海軍の当時の軍艦の性能相当を発揮しうるスペックの艦娘用の艤装(正式名称は人体装着用小型艤装装置群)を身につけた人間は、その一人でもあらゆる軍事ユニットの脅威となっていた。150年前の艦船ベースの戦闘力と、現代の護衛艦の戦闘力ではもはや天と地ほどの開きがあるが、人の身に適用するという意味では、150年前のデータでも問題なかった。
戦闘技術がない一般人でも技術A由来の同調の仕組みにフィットさえすれば十分に戦えるほどの装備なのだ。あまりにも脅威の戦闘能力を有してしまうため、初期の艦娘の艤装の開発段階ではパワードスーツの文字通り、単体で史上最強の存在となってしまった。実際、初期2~3年の艦娘は、試験的に対人陸戦向けとして脅威の戦闘力を発揮したケースがあった。害獣駆除レベルの人外の化物に対し、過剰な戦闘力ではないか、と開発チームを支援した各国の要人からの懸念の声が集中したため何度かの仕様変更を余儀なくされていた。艦娘の艤装の仕様が安定化した現代でも一般レベルの格闘家はおろか歴戦の自衛隊隊員、日本以外の国の熟練兵士にも匹敵か遥かに超える戦闘能力を得られるため、喉から手が出るほど要望されるパワードスーツ扱いなのが、現代の艦娘用の艤装だ。
そんな水準にまで仕立てあげた艤装を揃えた時点で、艦娘に志願する国民の危険は十分に低下させられると計算され、またそれは初期の艦娘の戦績からも証明することができた。後は化物と戦うことになる国民の生活保障を手厚くすれば印象づけは完成だ。数々の思惑を込めて根回しし、問題非難の声を上がらなくさせようやく艦娘制度は日本から産声を上げ、歩き始めた。
初期の艦娘の初陣と勝利は国民の大半と海外へと大々的に公表され、初めての人外との戦いの幕開けが日本からなされたことを知らしめられた。その結果、20~30年経った今では浸透しきったがゆえの知らぬ者・興味のない者、危機感を持たぬ者もいるという、息をするように当たり前という状況だ。
日本政府と艤装開発チームとそれを支援した要人達の目論見とプライドは上手く絡みあって守られたことになる。
目論見が功を奏して、日本の艦娘・艤装装着者は常に一般人からの公募で成り立つようになり、安全性・ゲーム性(スポーツの一貫としての)のアピールが効果的に働いて世論の批判が(表向きは)でなくなった。
一人でも本物の軍艦並の能力を発揮して戦うことができるというメリットの裏で、デメリットも発生した。それが、艦娘誕生以後20年の間に日本の艦娘には戦術の継承と蓄積が進まずにいることである。
人の身で軍艦相当のパワーを発揮できるが、本物の軍艦ではないために艦船の常識は通用しないし、一般人はそのような知識を貯め込もうとはしなかった。身につくのは最低限のチームプレーたる戦術止まりである。日本国としては一般人の戦闘を明示的に推奨したわけではないし、艦娘制度と深海棲艦の関係はあくまで害獣駆除レベルの認知であり戦争行為ではない。自衛隊との関わりも明示したわけではないので、同制度の対策局と担当者(艦娘・艤装装着者)に対しての戦闘技術・戦術に口出しはできなかった。
結果、後から艦娘制度を採用して深海棲艦との戦いに乗り出した欧米諸国の艦娘に根本の戦術で劣るようになってしまった。彼の国らは、深海棲艦との戦いを害獣駆除程度とは位置づけていないからだ。
とはいえ艦娘を持てない国がほとんどのアジア地域では、日本の艦娘の力量とその技術レベルは優位性を高く誇っている。
日本は周辺の国々からも頼られているが、それは素直に頼られてると受け取れる状況ではない。
一時期明確な海軍を持って紛争地域に実効支配の手を伸ばし始めた隣国は、世界中から非難と抗議を浴びながらもその手を広げていた。大国であるがゆえに本格的な戦争に持ち込みたくない欧米諸国やアジアの国々とのにらみ合いという実質的な冷戦が続いて数十年経ち、そこに深海棲艦が現れた。
隣国は人間の国相手ではなく、深海棲艦という化物相手にコテンパンに伸されてプライドをズタズタに破壊され、海軍力も制海権の主張の声も失い、以降海上進出を極端なまでに避けるようになった。その代わりに、自国の領海直前までの防衛は太平洋に直接接している日本などの島国が担当するのが当たり前と乱暴に公の場で主張し、暗に防衛の肩代わりを求めるようになった。その乱暴な物言いが許されるのは隣国が経済的にも無視できない巨大な存在になって久しいためでもあった。
そんな事情もあり、日本は頼られるというよりも、危険への盾にさせられているという見方をする有識者もいる。
世界の事情など知らない一端の女子高生である那珂を始めとして川内や神通、そして時雨ら学生は車輪の再発明をしようとしていた。しかしそれは日本という特殊な事情を持つ国であることももちろんだが、それよりも何よりも、鎮守府A自体が出来て未だ一年に満たない生まれたても同然の、艦娘(艤装装着者)の組織ということが強く影響していた。
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「……でね、あたしとしては速力指示のように、あたしたち独自のフォーメーションや艦隊運動を作りたいッて思うの。もちろんあたしたちはズブの素人だから、まずは基本的な艦隊運動やフォーメーションを学ぶ必要があるけど、それにのめり込む必要はなくってね。」
そんな那珂の思いをすぐに理解したのは神通だ。
「前に行った自由演習の時の、輸送側と妨害側のフォーメーションですね。」
「そー!そー!そうなのよ、神通ちゃん。あんな感じでとりあえずなんとなくでもいいから試して、鎮守府Aの艦娘の戦術として固めていきたいの。」
「すみません。僕はそれ知らないので……。」
時雨が話題に入れず、申し訳なさそうにボソッと言う。そんな時雨をフォローすべく那珂はブンブンと頭を横に振ってから言った。
「ううん。気にしないでよ。またみんなでやろうと思ってるから。その時は時雨ちゃんも一緒だよ。」
時雨は言葉なくコクリと頷く。
「那珂の言いたいことは分かったよ。君はやっぱ熱いな。頼れる生徒会長ならぬ、裏の秘書艦ってところか?」
「んああぁ~、そんな変な称号はいらないよぉ~~! 恥ずかしいってばぁ!」
「ハハッ。いいじゃないか。そういうの、俺は好きだよ。よし、俺も協力しよう。資料集めを手伝うよ。」
ドキッとさせられる。
まったくこの男性(ひと)は……。世間的には大してイケメンでもないくせにいちいち人の心を惑わせる言動をするんだから。
あたし以外の娘をもそうやって惑わしてきたのかと思うとイライラもするが。
提督の言に那珂は意図せぬからかいを受けて内心乱されて頬を膨らませてプリプリと怒って見せ、仕返しとばかりにツッコミを交える。
「も~。提督の提案ありがたいよぅ。でもね、あたしは提督からこういうお話と指示をもらいたかったよ?」
那珂がそう言うと、実は神通らも同じ心境だったのか、ウンウンと頷きそして提督を見る。4人分の視線が一身に集まった提督はこめかみ付近をポリポリと掻いて隠しきれぬ照れを見せる。
「コホン。わかった、わかったよ。俺も勉強しておくよ。当然、那珂は一緒に勉強してくれたり手伝ってくれるんだろ?」
「アハハ。そりゃーもちろん。手取り足取り……ね?」
またよからぬ流れになりそうな危険な匂いを感じた提督は再び咳払いをして話を強制的に打ち切る試みをした。
もちろん今の那珂も脱線をし続ける気はない。
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「この一連の訓練は……そ~だなぁ~。艦隊運動の訓練とでもしよっか。内容は……二人や妙高さんはどんなことをしたいですか?」
急に話を振られて顔を見合わせる三人。最初に口を開いたのは妙高だ。
「そうですね。集団行動ということであれば、まずは並んで同じ動きを流れるようにするところから始めたいですね。」
「揃えて動くのは大事ですよね。陣形をする前に何度か練習したいです。……そういうの苦手な友人がいるので。」
「あ、多分私の同期も……そんな気がします。」
時雨と神通のさりげない揶揄に那珂はタハハと苦笑する。
「まずは教科書にもあった単縦陣っていうので、色んな動き方を繰り返し練習しよ。陣形は今後あたしたち三人でまずは骨組みを考えていけばいいかなって思うの。」
「応用は……ひとまず置いといて、基本からということですね。」
神通がそう呟くと那珂はコクリと頷いた。続く勢いで那珂は提督に視線を向けた。
「それじゃ提督にも一つ宿題。」
「ん、なんだい?」
「あたしが読んだ本を読んでおいて。一応付箋紙貼っておいたから読んで欲しいところはすぐわかると思うの。」
「あぁ。お安い御用だ。他にはなにかあるかい?」
「ん~っとね。提督が都合のいい日だけでいいから、あたしと神通ちゃん・時雨ちゃんの話し合いに参加してほしいの。いいかな?」
「あぁもちろん。その時は五月雨も加えていいかな?もちろん彼女が秘書艦の勤務しているときだけど。あの娘には色んな物を吸収してもらいたいんだ。」
提督がした追加の提案。特に断る理由もなく、むしろ那珂もそうしたい思いだったので二つ返事で承諾した。
その後打ち合わせは艦隊運動の訓練の基本設計から始まり、本来の訓練の残りのカリキュラムを詰める流れで進めた。
個々の訓練自体は問題ない。チェックシートの効果は先の訓練によってそれなりに効果が実証された。あとは艦隊運動という、今までなんとなしに形だけ真似てみた陣形もどきを、明確な仕組みとして整える。そうでなければ未だ人が少ない鎮守府Aの艦娘では数で勝る深海棲艦に勝って担当海域の安全を守ることなどできない。数少ない自分たちで効率よく戦いを進めるには、やはりきちんとした戦術は必要だ。参考になるのはやはり他の鎮守府の艦娘だ。
他の鎮守府の艦娘たちの戦い方を知りたい。身を持って感じたい。
那珂は打ち合わせを進める間の脳の別の箇所で、そのように考えていた。
艦隊らしく
翌々日、訓練のために海上に出た那珂たち。教師たちはこの日おらず、完全に自分たちのためだけの本格訓練となる。那珂は訓練開始前にその日の訓練の説明を皆にし始めた。
「みんな、ちょっと聞いてくれるかな?今日は砲雷撃の総合訓練の予定だったけど変更して、また水上航行訓練にします。」
那珂の両隣には時雨と神通が近寄って立ち並んだ。それに向かって立つ残りの艦娘たち。まずは川内が口を開いた。
「えー!?また?前にやってからそんなに日開けてないですよ。」
「あたしもまた水上航行なんて嫌!他の訓練がいいっぽいぃ~!」
「まぁまぁ。ただの水上航行の訓練じゃないよ。それはね……艦隊運動の訓練です。川内ちゃんならやりたいこと、分かってもらえるんじゃないかなぁ?」
川内と夕立の早速の文句をなだめながら那珂は話を進める。
「艦隊運動って……艦船が揃って行動するあの動きですよね? 那珂さんに提案しといたあたしが言うのもなんですけど、本当の船じゃないあたしたちが並んで動くのって意味あるんですかねぇ?」
川内の指摘。それは那珂も思っていたことそのままだった。後輩の着眼点が単にゲーム由来の興味・知識止まりじゃなくてよかった。那珂は少しだけ安心する。
「そこはホラ。普通の部活みたいにさ。球技とかにもあるでしょ?対戦するためのルールや戦術。そーいう感じで、あたしたちもこの艦娘の活動をしっかり見据えて決めていきたいと思うの。そのための今日はお試しってこと。」
前々から那珂は皆に話題として触れてはいたが、相談役の二人と妙高以外はイマイチパッとした反応を示さない。那珂が一般の部活動を例えに挙げたことでようやくそれらしい反応を示し出す。
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「私、体育とかでもチームプレーって苦手なんですよね……。」開口一番苦手を独白する五月雨。
「え~!?五月雨ちゃんは協調性ありそうだし、上手くやれそうなイメージあるけどなぁ。」
「うー。私としてはとってもやる気あるし、チームメートの指示もわかっててちゃんとやってるつもりなんですけど、いっつも皆に怒られちゃうんです。」
苦手から繰り広げられるその度の周りからの訓戒を五月雨は語る。しかしその雰囲気は特段暗いものではなく、ネガティブながらも明るい雰囲気の愚痴だった。聞いている那珂はもちろん、五月雨の友人たる時雨たちもすぐに励ます姿勢に切り替わる。
「さみはのんびりやだからね。とはいえ頭で思ったらもうちょっとだけ早く体を動かすことを心がけるといいよ。クラスのみんなもさみのことわかってくれてるハズだし、そんなきつくあたらないと思うんだけど。どうなの、ますみちゃん?」
「そうねぇ~。私達同じクラスの女子はいいけど、男子はさみのことからかう目的でわざと突っかかってくる気があるわねぇ。」
「さみは合同体育の時でも一番足引っ張るっぽい~。もっとしっかりしてよね~!」
そう言い放つ夕立を時雨が小突いた。
「ゆうは人のこと言えないよ。ゆうはいつだって勝手に動くじゃないか。さみとは別のベクトルで足引っ張ってるんだからね。」
「……やっぱり私、みんなの足引っ張ってるんだね。時雨ちゃんもそう思ってたんだぁ~……。」
「あ、いや!その……。」
自身の言い方に素早く気づかれて時雨は珍しく取り乱して五月雨に弁解すべくアタフタする。仕方なしとばかりに村雨が間をとりなして仲良し4人組の雰囲気は保たれた。
中学生組のやりとりを見て那珂は微笑ましく感じるも、コホンと咳払いをして続けた。
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「まぁ色々ありそうな五月雨ちゃんのことはみんながフォローしてあげてくださいなということで。あたしたちだって今この場では同じだよ。学校の体育以外で、みんなで揃って行動を起こすことの大事さを改めて学ぶ必要があります。そろそろあたしたちも……ね、はい、時雨ちゃん続きどうぞ。」
「えっ!?」
那珂にいきなり振られ、焦りを僅かに表面に醸し出しつつも時雨は呼吸を整えて、補足のため口を動かし始めた。本来ならば五十鈴がする役割だが、この日もいないために相談役の時雨と神通のどちらかがメインアシスタント代わりなのだ。
「……今まではなんとなく列を作って出撃や依頼任務をこなしてきたと思うけど、ちゃんとした動き方を決めるのは大事だと僕も思います。そろそろ僕達も、ちゃんとしたチームでの動き方やフォーメーションを決めたい、効率よく強くなりたい。そんな思いを那珂さん、神通さんと共有しました。ですので皆さん、簡単なことからでもいいので、着実に実践して行きましょう。」
時雨の真面目な発言にその場の全員が相槌を打つ。
一人、神通はこのあと何か喋るハメになるのかと肝を冷やしてチラリと那珂を見たが、先輩たる那珂は神通の視線に笑顔で目を細めてウンウンと頷くのみだった。つまるところ那珂が期待していた発言をすべて時雨がしたため、那珂としても無理に神通を喋らせるつもりはなかった。
両者の思惑が合致した結果、神通はホッと胸をなでおろし、改めて時雨の視線の先の艦娘たちに安心して視線も戻すこととなった。
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那珂たちは艦娘の出撃時のチームの推奨最大人数である6人ごとにまとまって艦隊運動を練習し始めた。あぶれた者は、実践する6人のチェック役となる。
初回は指導役として那珂、神通、時雨が訓練をする6人を見ることとなった。訓練側の6人は次の構成だ。
旗艦、川内
不知火
夕立
村雨
五月雨
妙高
「川内ちゃん、あなたが旗艦やってね。って言っても特に何するわけでもないよ。必要があったらみんなの先頭に立ってもらうだけ。」
「あ~、まぁなんとなくわかります。とりあえずやってみますわ。」
川内から特に悩ましくなくカラッと元気な返事をもらったので那珂は完全に任せることにした。
そして那珂は時雨・神通と資料を見合わせ、宣言した。
「それじゃー始めるよ。最初は6人縦か横に並んで、速力を合わせて移動してみよっか!」
そう言って那珂は神通に指示を出し、今いる海上、河口近くから堤防に沿って消波ブロック手前まで行かせた。
「あたしはここに立ってゴール地点の役割をします。神通ちゃんはスタート地点の役割で、時雨ちゃんはみんながちゃんと目標通りに移動しているか、並走してチェックしてもらいます。時雨ちゃんには悪いけど、ちょっとばかり疲れる役割をやってもらうけど、いいかな?」
「えぇ、構いません。僕がちゃんとみんなを見ます。」
那珂は時雨の返事に頷いて、改めて6人に向き合った。
「あたしのいる位置から神通ちゃんのところまで行ったら、今度は逆に戻ってきてね。まずは一度やってみよ。」
那珂の合図で川内たち6人はスタート地点たる、河口、那珂の数歩前に横一列に並んだ。6人と同じ列で数m離れた位置には時雨が経ち、身体の向きは前、顔と視線は6人に向けている。
「よーい、スタート!」
スタートの合図代わりに那珂は機銃を天に向けてガガガッと打ち上げた。その意味に気づいた川内は右にいた5人に向かって掛け声をかける。
「行くよみんな。まずは速力、スクーターからだ!」
「「「「「はい。」」」」」
そうして始まった、速力を合わせての横一列の同時移動。
やはり初回ならでは、てんでバラバラのスタート、若干揃うもまだグダグダの途中、フィニッシュはなぜか不知火と競い合い、旗艦川内を追い抜いて真っ先にゴールする夕立・不知火、そしてゴール手前で急停止しようとしてコケて隣にいた妙高に支えてもらう五月雨という展開が繰り広げられた。唯一そろっていたのは川内と村雨の二人だけである。
ゴール地点の役目を担っていた神通はそのあまりのまとまらなさ具合に苦笑いするのも忘れて感情のない眼力で6人を眺めた。
その光景にはチェック役の時雨も呆れ果てるほど。そしてスタート地点にいて50m以上離れていた那珂もおおよそそのグダグダっぷりを間近で見ていたかのように頭をガクッと傾けて大げさに呆れた仕草をする。
ゴール地点では時雨が神通に近寄ってこの結果をどう捉えるべきか不安を口にしあっている。
「じ、神通さん。こ……これはどうしましょう?あまりにも……。」
「は、はい。」
神通は川内に近づいて彼女にだけ聞こえるように指摘し始めた。
「あの……川内さん。」
「うん、神通。わかってる。わかってるよ、あんたの言いたいこと。さすがのあたしもこの揃わなさは呆れたよ。艦隊運動ってものをみんなわかってないや。」
「川内さんは旗艦なのですから、みんなにビシっと……言って下さい。」
皆まで言うなとばかりに川内は神通の指摘を遮るように手の平を向けて言った。さすがに元ネタ提供者だけあってわかっているのは助かる、神通は密かにそう感心していた。
「そ、それでは皆さん、那珂さんのところまで同じように揃って戻って下さい。」
時雨がそう促すと、川内は5人に方向転換させ、綺麗な横一列になったあと、合図をして進みだした。
移動しながら川内は並走している不知火と夕立に向かって注意をした。
「二人とも、今度はあたしを追い抜かないでね。旗艦のあたしが先頭なんだから。」
「ぽ~い!」
「(コクリ)さっきのは夕立が吹っかけてきたから。」
「も~、艦隊のことならゲームで知ってるあたしに任せてっての。そもそも艦隊運動ってのはね……」
ゲーム由来の艦隊知識をひけらかし始める川内。次から次へと飛び出す新鮮な小ネタに駆逐艦二人は熱心に聞き入る。
自身の得意分野であるネタの話に聞き入る年下の少女二人のため、川内は悦に浸って気持ちよくなり、口舌も滑らかになって止まる気配を見せない。そのためゴール地点にいる那珂の声も届かない。もちろん背後から那珂の声が響くようになっても気づかない。
「おーい。ちょっと?川内ちゃーん? ……そこのかわうちちゃ~ん!」
那珂の叫びも虚しく、川内と駆逐艦二人は、残りの三人を差し置いてそのまま進み河口を向こう岸まで到達し、さらには隣町の管理下にある海浜公園の沿海へと突入していく。
完全に聞こえていない。これはもはや制裁が必要だ。
那珂は残った3人と戻ってきた神通・時雨に小声で合図し、川内へは神通、夕立へは時雨に手持ちの主砲の照準を向けさせた。
もちろん実弾ではなくペイント弾だ。不知火を狙わなかったのは、おそらく二人に感化されて意図せず巻き込まれたのだろうという恩赦の意味を込めていた。
ドゥ!ドゥ!
「うあっ!」
「きゃっ!」
「!?」
突然背後から撃たれて度肝を抜かれた川内たち三人。狙われていない不知火も両隣の二人の様子が一変したのでほぼ同タイミングで驚きを見せる。
三人が一斉に後ろを向くと、数十m後ろで神通と時雨が主砲を構え、二人の間で那珂が腕を組んでほぼ仁王立ちしている姿がそこにあった。
撃ってきたやつを振り返った瞬間に怒鳴りつけてやろうかと川内はいきり立つ勢いだったが、振り返った瞬間に逆に怒鳴りそうなオーラを醸し出していた那珂のために瞬時に萎縮した。
那珂は無言で手招きをする。それを見た川内は慌てて隣にいる駆逐艦二人に言った。
「も、戻ろう二人とも!」
「「は、はい!」」
ピュ~っと言う効果音がしそうな慌てた移動の仕方をしながら戻ってきた二人に、那珂はあえて触れずに次の訓練を言いつけた。
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その後列を揃えての前進は、メンバーを変えて6人編成、次に人数を減らしてチームを増やして個別練習として進めあった。チェックシートが完成していないために当事者たちの主観的な評価になるが、単純な艦隊運動では、那珂、妙高、神通、村雨、時雨、不知火は互いに揃えることに問題なかった。いまいちだったのは、残る川内、五月雨、そして夕立だ。
元々からして他人に合わせて行動するのが苦手な夕立は誰の目にも明らかな結果だった。川内は旗艦として先頭に立って動く分にはよいが、他人に合わせるとなると、夕立と同様にムラが出てしまうのだった。とはいえ川内は本来の艦船の艦隊運動の意味を知っているために、意識しようとしている意欲だけはある。その意欲だけは評価した。
それから五月雨は単に、意識と意欲はあれど身体がついていけていない。指導役の那珂・神通、そして時雨は三人をそう捉えた。
悄気げる五月雨を励ますべく取り囲む那珂と時雨たち。神通もその輪に加わりたかったが、自身も大概運動音痴な面があるため、励ます者が逆に励まし返されるかもしれないと余計な心配を持ち、動かしかけた上半身をすぐにまっすぐに戻してその場に留まる。
そのうち五月雨を囲む集団の中から那珂の声がハッキリと漏れてきた。
「あの二人はどーしようもないからほっとくとして、五月雨ちゃんはね~~うーん。どーしよっかなぁ。」
「あれ?あたしたち地味に馬鹿にされてね?」
「っぽい!」
当の二人の反応を無視して那珂は頭を傾け思案する仕草をした。そして頭をまっすぐに戻し考えを述べた。
「そだ!神通ちゃん、それから村雨ちゃん!」
「はぁい。」
「は、はい!」
もはやかかわらなくてもいいやと思い始めた矢先、那珂から指名が入って神通は飛び上がらんばかりにビクッとさせて首・頭・視線を那珂の方に向ける。
「今のところ二人が一番他の人に合わせるの上手いから、五月雨ちゃんのサポートお願いできるかな?」
「わかりましたぁ。ていうか私はもともとそのつもりでしたし。」
「わ、わかりました。精一杯頑張ります。」
願ってもない筋運びだ。神通は心の中でホッと安堵の息を吐く。自分と同じように運動が苦手そうなのであれば、自分の訓練の様が目立たずに済む。
実のところ神通は他人に合わせるのが特別上手いというわけではなく、単に回りの行動に合わさっていたというのが正解であった。この2~3時間ほどの艦隊運動の訓練時の速力が自身の体力に対して十分余裕を持てる水準であったため、その余裕でもってなんとかしのげていたに過ぎない。
速力をもっと上げた状態での訓練が続けばどうなるかわからない。だからこそ今不出来な五月雨と一緒に訓練し、さりげなく自身の技量もレベルアップして回りに取り残されないようにしておきたい。
そういう考えを神通は抱いていた。そんな神通に那珂はすべてが全て気づいていたわけではないが、疲労の様子から伺える雰囲気的になんとなく怪しいものを感じたので、あえて神通を五月雨につけることにした。
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午前の訓練が終わり昼休憩を取った後、那珂たちは再び海上に出た。
午前終了間際に決めた特別編成により、神通は五月雨・村雨と組むことになった。川内・夕立の問題児ペアに那珂と不知火がつき、残る時雨と妙高はそれぞれのチームの監視役となった。
全体の音頭は時雨が取る。
「それでは両チームとも、移動始めて下さい。」
時雨が指示を出すと、那珂のチームと神通のチームはそれぞれの速力指示でもって動き出した。
「それでは、徐行からやってみましょう。それなら合わせられますよね?」
「はい!私、頑張っちゃいますから!」
「まぁ、それならさみでもさすがに……ね。」
いつでもすぐに無理なく停止できるほどの速力でもってゆっくりと前進し始めた神通たち三人。さすがに超スロースピードであれば、五月雨も他二人にピッタリと合わせて移動できている。それをしばらく見届けた神通は指示を出した。
「次は歩行でいきます。」
「「はい。」」
歩行の速力区分でも五月雨は問題ない。そして自転車でも同じだ。通常速度よりも下の速力でもってしばらく海上をいったりきたり。ひとしきり海上を縦横無尽に動いて移動能力を確認した神通は、いよいよ通常速度であるスクーターを指示した。
「それでは通常速度、スクーターで行きます。」
五月雨と村雨は全く不安のない声色で返事をする。
しかし、スクーターになった途端、五月雨はある時は遅れ、ある時は神通を微妙に追い抜く様を見せ始めた。
神通はすぐに気づいた。しばらくスクーターの速力指示でぐるぐる周り続け、徐行の指示を出し、そして停止してから打ち明けた。
「わかりました。五月雨さんの問題。」
「はい、なんでしょう?」
五月雨の返事の後に続く村雨は言葉なくコクリと頷いて神通の言葉を待つ。
「五月雨さんは、きっと速力をまだ正しく維持できていないのだと思います。ですから、安定しないのだと、思います。もっと自分の中の速力のイメージを強く意識してみてください。」
神通は指摘を口にしながら、先に五月雨に抱いていた初期の問題点の見方を改めた。同調して動く艤装と装着者たる自分たち。五月雨には意識も意欲もある。実は体力的な面でも問題ないのだろう。しかし彼女の本当の問題は、速力のイメージが安定していないことなのだろうと察した。身体がついていけなくなるのはもっと後の部分。体力が切れれば見た目にもハッキリ現れるし思考も不安定になる。自身の経験上その様はわかっていたので、それに惑わされていた感がある。
彼女は元来マイペースだ。醸しだされる雰囲気でもわかる。そして今まで(学校の体育以外で)他人に合わせて行動を起こすという経験がない。だから無理に合わせようとすると途端に不安定になる。伝え聞くようにドジが多くなる。
きっとそういう性分なのだ。
よく今までやってこられたな……神通は密かに呆れたが、当然口に出して言えるわけがない。仮にも最初の艦娘であって大先輩だ。
チクチクと指摘をしておいて、申し訳ない気持ちを抱いたが口が止まらない。しかし決め事はきちんとしておきたい神通の性格が彼女の口の動きを滑らかにさせていた。一通り喋り終わって気が済んで我に返った後、最後に一言謝った。
「……というわけだと思います。……あ、若輩者が偉そうに、ゴメンなさい。」
「い、いえいえ!艦娘としては無駄に経験が長いってだけですし。……実は私、神通さんに叱られて、ちょっとうれしいんです。高校生のお姉さんに何か言ってもらえる経験って、普段ないので。」
神通の説教の最中、悄気げた表情をしていた五月雨は謝罪の言葉が飛び込んできた瞬間、顔を上げて作り笑いを浮かべてそう言った。
年下に気を使わせてしまった。この中で一番下っ端なのに、総合的な能力も高くないのに大先輩をやり込めてしまった。五月雨に返された後神通はネガティブな思念に支配されかける。
そんな神通を現実に戻したのは村雨の言葉だった。
「んもう、神通さん! 自分でさみのことを注意しておきながらそんなに逆に悄気げないでくださいよぉ。私たちは指導してくださる那珂さんや神通さん・時雨を頼ってるんですからぁ。」
「は、はい! ゴメン……なさい。」
再び悄気げる神通に村雨は肩で息をしてため息を吐いた。片手は五月雨の肩に乗せて暗に親友へも注意を促す。
神通は深呼吸をし、改めて二人に向き直して言葉をかけた。
「そ、それでは再開しましょう。……そうですね。私を旗艦と仮定して、私に間隔を合わせてみましょう。」
「神通さんにですか?速力は?」
「速力は気にしないでいいです。私は速力スクーターで行きますので、お二人は私を目で追って合わせるだけでいいです。」
神通の思いつき。
それは指示された速力をひとりひとりが守るのではなく、旗艦が出した速力に合わせるというものだった。他人に合わせるのが苦手なのであれば、経験を積んでもらうしかない。神通にしてみると、自分に合わせてもらえるという、自分から遅れても気づきにくくなるという目論見があっての提案だった。
「な~るほどぉ。神通さん、それいいアイデアじゃないですかぁ~。」
村雨がすぐに察した。察したのは艦隊運動の意味の面だけであることを神通は密かに願いつつ、村雨の相槌に頷き返す。
「これがうまくいけば……旗艦だけが明確に管理を意識するだけで済み、メンバーは仲間との距離感や位置だけを注意すればいいはずです。もちろん速力指示を明確に合わせるのも大事ですが、まずは仲間同士で合わせて動けるようになるという達成感が必要なのだと思います。やってみましょう。」
「「はい!」」
神通の提案で、五月雨と村雨は動き始めた。神通は先頭を進み、二人は神通の左右で、人一人が横たわった位の後ろに位置し、くの字のように陣形を取って移動を繰り返した。
「え~と、なんとか神通さんに合わせられてるような気がします。どうですか?」
斜め後ろから声が聞こえる。神通は左後ろにチラリと振り返って距離感を見る。本人が言うとおり、出だしの時と間隔はほとんど変わっていないように見える。
やはりこのやり方は正解かもしれない。神通はそう確信めいた感覚を覚えた。
つまりマイペースな人でも、絶対の動作よりも相対の動作を意識させれば実際の速力はどうであれ、他人と合わせて動けるようになる。
考えてみれば、自身の神通の艤装の性能と五月雨・村雨の艤装の性能は異なるのだ。元になった軍艦の性能も文献で見る限りは、艦種もそうだが性能が異なっていた。だとしたら軍艦を模した艤装を装着している自分たちの発揮する能力も違って当然なのだ。
能力・性能が異なる複数人それぞれが速力スクーターとして前進しつつメンバー同士で揃って動くなんて無理な話。
先輩である那珂がどこまで気づいているかは知らない。が、少なくとも今の自分としては、この速力指示や艦隊運動の基準は、少なくとも旗艦=リーダーとなる者が明確に意識していればいいという考えを貫き通したい。それでチームが揃って動けるのであれば、結果オーライなのだから。
それは神通自身、逆の立場でも思うことだった。自分で速力スクーター、速力バイクなどと意識しつつ、仲間との距離感をも意識して動くなんて器用なことが続けられるほど意識と身体の動きは良くないと感じていた。リーダーが“あたしに合わせてついてこい”と言って、その人に合わせるだけのほうがよほどやりやすい。とはいえ性能の違いで遅れることも当たり前のように発生するだろうが……。
そう考える思考の端で、逆の立場だったら、自分の体力のなさが原因で自分だけが遅れて艦隊というチームプレイから逸脱することもきっとあるだろうと危惧する面もあった。
頭をブンブンと振って前方を見続ける。両端の二人のことはもはや気にしない。二人がなんだかんだで優秀なのはわかっている。遅れずについてきていると信じているから神通は左右を見ない。
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神通チームの様子を見ていた時雨と妙高は、三人が一端停止して話し込んでいたと思ったら、途端に動きが良くなったことに目を見張った。
時雨は、急に良くなったそのコツを後で神通から教えてもらおうと期待を持って眺めていた。
そしてやや笑みを含んだ表情で別のチーム、那珂のチームに視線を移した。
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「神通ちゃんたちはあっちで任せるので、こっちはあたしと不知火ちゃんが加わるよ。」
「お~!那珂さんお手柔らかに~。」
「に~。」
二人揃って手のひらをヒラヒラと浮かせて返事をする川内と夕立。そのやる気のなさそうなふざけた様に那珂はイラっとしたが、その苛立ちを普段の声調子で隠して音頭を取ることに注力することにした。
「はいはい。二人のためにあたしと不知火ちゃんという優秀コンビが付き合ってあげるんだから、感謝してよね~。」
川内と夕立は「え~」だの「那珂さん言い過ぎ」などと笑いながら愚痴をこぼす。
「それじゃあみんなで速力歩行から行くよ。スピードに乗ってきたら合図するから、それまではあたしについてくる形でいいから。」
はーいと返事をする二人とコクリと無言で頷く一人。それを見届けて那珂は前方を見、そして前進し始めた。
ほどなくして速力歩行たる速度に達した那珂。両隣を見ると、不知火は問題なく揃っているが、川内と夕立はそれぞれ前に出すぎていたり、1~2歩分余計に前後にずれている。
那珂はそれぞれが速力を意識して進むことの問題に最初から気づいていた。それは速力指示を決めた時から薄々感づいていたことだった。
--
本来の艦船のように機械的に速力をあわせるということは艦娘には難しい。同じ機械といえど、客観的に操作して速力を調整できる本来の艦船、対して主観的に速力を己の精神力と思考で伝達させて調整する艦娘の艤装。指示の同じ使い方は無理な話だった。
スマートウェアのアプリで速度の表示を見れば済むことだが、どのメーカーのスマートウェアをどこにどういう形の物をつけるかは人それぞれだ。装着とアプリのインストールは義務付けられてはいるが、その形状までは定められていない。機械音痴な人もいる。全員が全員スマートウェアのアプリの表示を逐一見て速力を調整できるほど器用ではない可能性を十分考慮に入れないといけない。
だからこそ、感覚で速力を掴みそして艦隊を組む他の艦娘との相対関係を意識させなければならない。そういう教育が必要なのだ。とはいえ、(世間一般的な鎮守府で)機械的に艦娘の艦隊運動を合わせる試みがなされているのも事実である。
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ただそれを川内と夕立にどう言えば理解して実践してもらえるか。那珂は言い出すタイミングを見計らっていた。あちらのチームは全員わかっていそうで楽そうだなぁ、と那珂は心の中でため息を吐き、自分が指導すべき艦娘たちを視界に収める。
やはり遅れが広がったり進みすぎた自身を戻そうと四苦八苦している。
仕方なく、那珂は演技することにした。
「あ~~、二人がバッラバラだから、あたしなんだかやる気なくなっちゃったかも。ちょっとスピード落とそ~っと。」
「「え?」」
「!?」
三人が三人とも呆気にとられて那珂の方を見る。三人の反応は無視し、那珂は三人の中で一番厄介そうな夕立の足元をチラリと見て、そして自身のスピードを緩めた。
結果として、那珂は夕立と並んだ。
「ちょ、那珂さん!?やる気なくなったって!ひどくないですかぁ!? あたし頑張ってますよ?なんでぇ?」
そういう川内はもともと那珂がいた位置関係より前に進みすぎていたため、一番後方にいた夕立と並走する形になっていた那珂を見るべく振り向く。
川内は、那珂がなぜ夕立と並走しているのかまったく意識にない。そのため自身が抱いた疑問をストレートにぶつけることしかしない。
そんな川内に那珂は言い返した。
「だ~ってさぁ。今日は午前から結構繰り返しやってるけど、中々揃えてくれないしさぁ。あたしの指導役に立ってないのかなぁ~って自信なくなるのですよ。言ってわかってもらえるか、那珂ちゃん不安で仕方ありませ~ん。」
のらりくらりと軽い調子で喋っている間にも4人はひたすら移動している。隣にいる夕立は川内と同じくブーブーと文句を垂れておりそして速度も安定しない。そんな様子を片目で追って那珂は自身の速力を調整する。結果として那珂は依然として夕立とほぼ同列で並走している。
「あ。」
突然不知火が一言発した。そしてやや速度を緩めて夕立・那珂と同じ列に揃える。那珂は不知火と視線を絡ませ合うと、不知火の気づいたことに気づいた。そしてあえて彼女に声をかけることはせずわずかに頭を上下させてすぐに視線を川内のいる方向に戻した。
不知火が自分の位置を調整した結果、4人のうち川内だけがずれた単横陣になっていた。しばらく微妙なズレの単横陣のままグルグル回って移動し続ける。川内は後ろに三人いる形になっていたので、たまに背中をもぞもぞと動かしてチラッと振り返る。
「あのさ~、那珂さんに他二人とも。なんであたしだけ前なの?しかも三人ピッチリ並んでるし。みんなホントに速力スクーターでやってんの? なんかあたしだけずれてるみたいじゃん。」
事実あんただけズレてるんだよ。
那珂はそうツッコミを乱暴に入れた。あくまで心の中だけであって、実際の口調では終始軽やかな普段の声調子を保っている。
「あたしはね、夕立ちゃんに合わせてるの。」
続けざまに不知火がボソッと言った。
「私は、那珂さんに。」
ついでに夕立が口を開く。
「あたしは~~てきとーに速力スクーターっぽく進んでるだけ~。」
川内はそんな三人の様子に唖然とした。川内は急停止して振り返った。
「なにそれ!?みんなちゃんとやってよ! 那珂さんもやる気なくなったとか言って夕立ちゃんに合わせてないでさぁ!」
「タハハ。川内ちゃんに怒られちゃった。」
おどけてみせる那珂に川内はイラッとして眉をひそめ眉間にシワを寄せて睨みつける。
「あのさ~、那珂さんのそーいう態度が嫌なんですよ。那珂さんのことだからなんか企んでるんでしょ? そーいうのさ、あたし理解するの苦手なんだから、言う時はきちんと言ってくださいよ。そういう人を食って掛かるの、すっげぇ苛つくんですよね、あたし。」
そう言うと川内はわざと片足を思い切り上げた後、海面に落とした。水しぶきがあたりに飛び散る。一番近くにいた夕立の左足脛から太ももにかけてピシャっと海水がかかった。
「っぽい!? 川内さ~ん!なにするのよぅ!」
「あぁ、ゴメンゴメン。今のは那珂さんに向けてやったつもりなのよ。」
明らかな敵意をむき出しにする川内に、那珂は軽さを抑えて丁寧にしかしため息混じりに言った。
「自分で気づいてくれると嬉しかったんだけどなぁ。わかったよ。ちゃんと言うね。一人ひとりが速力指示を守っても、きちんと揃わないのは当たり前かなって思うの。」
「は? 何言ってんの? 速力を合わせてやろうって言ったの那珂さんじゃん。」
那珂のセリフが気に入らなかったのか、恫喝気味に強く突っ込む川内。しかし那珂も負けてはいない。ややドスを効かせた声で注意して続ける。
「うん、今はあたしが喋ってるんだから口挟まないでね。……あたしたちは機械じゃなくて人間なんだから、速力を合わせようって言っても、それぞれ基準とする速度も艤装の性能も違うんだから、揃わないのは当たり前ってこと。ここまではおっけぃ?」
「……まぁ、なんとなく。」
「?」
夕立は呆けて川内と那珂に視線をいったりきたりさせている。夕立の後ろにそうっと近づいてきていた不知火が肩をチョンチョンと叩き、耳打ちした。
駆逐艦二人の行動を気に留めず那珂は言葉を続ける。自身が思っていたことを、川内たちに向けて噛み砕いて伝えていく。その説明にすぐにコクコクと頷いて相槌を打って聞き入っているのは不知火で、川内と夕立は数拍置いてから頷いてようやく理解したという表情を見せた。
しかし川内は納得はできていない色をその表情に浮かべる。
「だったらさ、最初から言ってくださいよ。あたしはもちろんだけど、みんながみんなそれに気がつけるわけじゃないんだからさ。」
「ゴメンね。でもあたしはこうも思うんだ。人間、一度は自分の身で体験して思い知って初めて物事の本質に気づけるんだって。失敗や経験から学ぶのは凡人だとは言われるけど、あたしはそれをダメダメなことだとは思わないの。物事の間違いに気づいて正しい道に進めるなら、少なくとも物事の二つの面を真に理解して先に進めるんだから、失敗しないで何でもできる一握りの本当の天才よりも、成長という意味では倍以上の経験と学習をできるんじゃないかって。世の中の殆どの人は凡人なんだからそれを恥じることはなくてね、あたしたちはその学び方を十分活用すべきだと思うの。だからまずそのままを伝えて、みんなに訓練し始めてもらったの。」
那珂の説明にいまだ納得を見せない川内は言い放った。
「その言い分だと那珂さんは天才だってことですよね? 先にそーいうことわかっててさ。な~んかやる気なくすのこっちですよ。」
「うんうん。」
川内の言葉に同意を示したのは夕立だ。とはいえこの娘は慕う川内の行動に単になんでも同意したいだけというのがだんだんわかっていたので那珂は無視した。
「川内ちゃんには期待してたんだけどなぁ~。ゲームとかで艦隊の結構知識あるみたいだから。」
「……悪かったですね。どうせあたしの知識は漫画やゲームの内容の受け売りですよ。」
そう言いながらそっぽを向く川内。那珂は小さくため息をついて川内に向けて追加の言葉を投げかけた。
「悪いとかダメとか言いたいんじゃないの。川内ちゃんにはその知識を艦娘の世界での本物にしてほしいから、もっといろいろ体験してほしいってだけ。今はこの中で一番経験が足りてないけど、今のうちなんだよ?」
「今のうちって、何がです?」
「強くなるために、どんな覚え方するのも、うっかり間違えるのも、周りに迷惑かけるのも、全部許してもらえる期間がってこと。この後長良ちゃんや名取ちゃんっていう二人が入るまではあなたはまだ新人なんだから、そういう新人の特権ってところかな。」
そう那珂が言い締めると、川内は黙りこくって俯く。
「川内ちゃんはちょっと訓練進めるだけで、すぐに周りを引っ張っていけるようになる素質を持っている気がするんだ。だから期待しているんだよ? ホントならあなた自身で気づいて欲しいところだけど、川内ちゃんがちゃんと言って欲しいっていうのであれば、あたしはあたしが気づいたことをきちんと教えてあげる。それをあなたの身にできるかはあなた自身だから、教えた後は見守ることしかできないけどね。」
那珂が言葉を締め終わってもなお、川内は俯いていた。しかしその表情はさきほどまで出していた苛立ちや不服の色ではない。
やはり、と那珂はあることに気づいた。川内は、口だけ、理屈だけで教えてもダメなのだ。多少は荒っぽくぶつかり合わないと本当の意味で彼女の理解を促すことはできない。物分りが悪いと言えなくもない。
最後に思ったのは、デモ戦闘以来、妙につっかかってくることが増えたなぁという感想だった。しかしそれは那珂にとっては腹の立つ存在という意味ではなく、きちんと本音をぶつけてくれる好ましい存在という意味だ。
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言ってくれなきゃわからない。そう意見した川内だったが、その後の那珂の説教を聞いていて、本当にそれでいいのかと自問自答をしたくなった。
本当に先輩那珂に重要な思考を頼っていていいのか?
自分は本当に指示されたことをこなしていくだけでいいのか?
かつて自分の全てであった日常生活では、親しくしたい・助けたいと思った相手には自ら直情的に動いた。その結果がこの前までのいじめ直前までの状態だ。誰も彼も異性である自分を同志のように慕って仲良くしてくれていた。
あれから数週間、自分は艦娘という世界に次なる日常生活の安定を求めて飛び込んだ。まだかつての日常のように好きな相手はいない。提督と明石さんしか、いや、夕立ちゃんもだけど。
そういう人たちのためにまだ率先して動いて何かを成したことはない気がする。その人たちのためでなくとも、自分から何か進んで事を成したことなどない。
そして特権や新人のうちだからとフォローされた。イラつく。そんなことで甘えてていいのか。自分で動かないから先輩に馬鹿にされているのかもしれない。
なんとかしてこのふざけた軽い感じの先輩を見返したい。どうすれば見返せるのか。
川内は那珂に説教される中、自分なりに真面目に今後の自分を見つめようとしていた。
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「……というわけだからね。ちゃんと教えたから、今度は川内ちゃんがあたしたちを指揮して艦隊運動をさせてみて。」
「お願いしま~す!」
「ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。」
川内は那珂から彼女が想定する、艦娘の艦隊運動の重要ポイントを一通り教わった。那珂の言葉に続いて夕立そして不知火が願い入れてくる。これで言い逃れはできなくなったことに心の端でやや焦りが生まれる。
こういうきちんとした物事は神通が得意だろうになぁと思い遠く離れた場所で練習しているはずの神通チームにチラリと視線を送る。するとやはりというべきか、神通は五月雨と村雨を率いていつのまにか安定して揃った艦隊運動を見せている。
てっきりその指導に四苦八苦しているのかとおもいきや、そんな様子は微塵も感じられない。神通のことだから、早々にうまいやり方で教えて実践させたのだろう。
川内は遠目で見て成功している神通に安心と同時に嫉妬もしていた。
あたしは運動神経的には神通はもちろん那珂さんよりも良いんだから、なんとかなる。リーダーシップだってあの神通にできてあたしにできないわけがない。
そう奮起して川内は返事をした。
「よっし、やってやりますよ。那珂さんの期待に答えてお釣りをもらう勢いでやってやります。神通に負けてられないし!」
川内が掛け声をあげると夕立が真っ先に続き、その後那珂と不知火が声を揃えて反応した。
自己嫌悪に陥りかけ、那珂と神通に対抗心を燃やした川内は、勢いはあれどお世辞にも適切とは言いがたい荒いやり方ではあるが、艦隊運動を指揮し始めた。フィーリングが合う夕立は早々に理解を示して従い、不知火はやや戸惑いながらも従ってどうにか動きを合わせる。そして那珂は後輩の下手くそ過ぎるリーダーシップの実行に心の中で苦笑しつつも温かい目で見守ることを決め、川内の指示の意を想像で補ってなんとか合わせた。
那珂は川内のよろしくなかった点をすべて記憶しておくのを忘れない。訓練終了後にまとめて発表し、川内に反省点として促して指導役としての責務を果たした。
他の艦娘、しかも同僚の神通がすぐ側で聞いている場で自身の悪点をあけすけに指摘された川内は恥をかかされたことに苛立ち、またしても那珂に苛立ちと水掛けをぶつける。今度は二人の間に他人はいないため、水しぶきは那珂に向かって跳ねるが、ギリギリで届かない。
「あたしさぁ、皆の前で何か言われるの好きじゃないんですよね。説教するなら個別にしてくださいよ。那珂さんってば、人の気持ちあんま気にしてくれないでしょ?」
川内がまたしても食らいついてきた。彼女の言葉に那珂は心臓をチクリと刺されたような感覚を覚えてやや慌てた風に言葉を返す。
「……! ご、ゴメンね。そっかそっか。気をつけるよ。」
食らいついてきたこと自体は那珂にとってさしたる問題ではない。那珂の心にグサリと来たのは、サラリと指摘されたことであった。親友に続いてついに後輩にまでも言われてしまった……と、那珂は心の中で悄気げ、動揺しながらもどうにか普段通りを努める。が、100%の普段の口調では言い返せなかった。
時雨や夕立たちがまぁまぁと表面上での仲裁をして川内を落ちつかせている間、神通は静かに那珂と川内の二人に向かって複雑な表情の視線を送っていた。
二人が喧嘩してしまうようなことになってほしくない。その胸中は冷や冷やだ。ただ、自分の思わぬ出来の良さも川内の対抗心と不和を増長させかねない要素だということには気づかなかった。
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その日の訓練が終わった。他のメンツを訓練終わりに先に入浴しに行かせ、那珂、そして時雨と神通の三人は更衣室に残り、評価をまとめあっていた。艦隊運動の訓練の初日としてまずまずの出だしだろうと。
那珂が発表したこと、それに神通はため息にも近い感情の息を吐いてから感想を述べる。
「あ……やはり、そうだったんですか。私も、途中でそれに気づきました。」
「ん?やはりって、神通ちゃん?」
2~3秒ほど言葉を飲み込んでから打ち明ける。すると那珂は若干目を見開いて驚きを示した。
「お~さすが神通ちゃん。いいねいいね~。あなたのそーいうところ、期待してるよ。」
那珂のストレートな賞賛に神通は素直に照れて俯く。今までは顔を隠せていた前髪はヘアスタイルチェンジ以来、横に流されていたので、彼女の照れは完全に隠れない。そのため那珂と時雨は神通が照れる様をしっかり見る形になり、微笑ましい感情が湧き上がり、自然と笑顔を神通に向ける形になる。
「いいな~神通さん。褒めてもらえて。僕もみんなから遅れた分、もっと頑張って取り戻さないと。」
フンッと意気込む時雨。
「アハハ。時雨ちゃんはあの中では一番しっかりしてるだろーから、実はあたし最初っから頼りにしてるんだよ?まぁ時雨ちゃんの全体的な実力を見たわけじゃないからぶっちゃけわからないところだらけだけど。」
「ハハ。それじゃあそれは追々ってことですね。」
時雨と那珂は揃って笑い合う。
中学生組の中では一番冷静・落ち着いていて物腰も穏やか、しかし仲間に突っ込むときはスパっと突っ込む、那珂たちから見れば中学生組の頼れる存在な駆逐艦時雨こと五条時雨だが、やはり歳相応な部分があるのか、那珂から評価されてぎこちないながらも照れを交えた年頃の笑顔を全面に見せた。
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翌日、翌々日と続いて艦隊運動の訓練に取り組んだ。一度始めた艦隊運動の訓練は、思いの外皆のツボにハマったのか、揃って動くことのまさに部活動・団体行動の感覚に酔いしれたのか、多少、二人ほどから愚痴や文句はあれど滞り無く進むこととなった。本来の予定では回避や雷撃訓練、対空訓練などを予定していたが、それらは日を別にしてまとめて実施された。
那珂は、川内から指摘された“言ってくれなきゃわからないこともある”、という内容のセリフに強く反省し、次の日からは全員に本当の意味とやり方を伝えた。その結果、未だに根に持ってる川内以外は好意的な感想と賛同の意志を示してきた。
ただ一人、川内は悩んでいた。那珂の指導方針やその効率性、そして自身の訓練取り組み時の自主性のなさに疑問を持っていたのだ。
いつからこうなった?
艦娘になってからというものの、自主的に何か行って他人に結果を見せたことはない気がする。
わかってはいたがそれを解決出来るだけの発想が出てこない。訓練に取り組む川内は、表向きは苛立った表情をたまに醸しだす程度なので、他の艦娘からは単に不機嫌そうにしている、としか捉えられない。
同じ新人のはずなのに訓練指導役として神通が那珂に取り立てられ、早々に最古参の艦娘の五月雨を始めとして皆に受け入れられ、自主的にみんなの訓練を組み立てている。川内はその差が気に入らない。
短絡的で馬鹿で配慮ができないのは昔から周りに言われていたし、自身の成長の結果なので今更どうしようもないが、やはり納得行かない。そもそも艦隊運動や速力など、艦隊的な要素を教えたのは自分だという自負がある。神通にも嫉妬するが、神通を優遇している那珂にも嫉妬している。
やり場のない怒りやもどかしさが川内の周りの空気を澱ませていた。
楽しいことをして気分を一新したい。ゲームや漫画を楽しむことも考えるが、艦娘のこともなんだかんだで楽しい出来事の一つだ。朝楽しく訓練に参加し始め、途中で思い知らされて勝手にいじける、帰る頃には靄々した気持ちで帰宅する。
そんな悪循環。川内は隠し・ごまかしきれていないわだかまりを胸の一部に秘めてはいたが、夕立を始めとして他の皆とどうにか明るく接するよう努めた。
そうしてある日、鎮守府Aは新たな艦娘の着任を迎えた。
長良型の着任
艦隊運動の訓練を始めてから数日後、長良と名取の着任式が開催された。
自身の姉妹艦にリアル友人の二人が同調に合格し着任するとあって、五十鈴は試験後から二人のサポートに右往左往していた。
五十鈴は訓練には参加できない日が続いたが那珂および神通と時雨がこまめな連絡を入れたおかげで、練度は別として訓練の構築に関わる状況は知識としてほぼリアルタイムで共有できていた。
着任式は正午手前に開催となった。その日の訓練は自動的に午前なしである。
そのために那珂は、着任式が始まる時間の1時間ほど前に鎮守府へと入った。もちろん川内と神通三人揃ってのんびりとした鎮守府入りだ。
待機室に行くと、そこには自分らが知らぬ(人物としてはすでに知っている)姿の二人がいた。プラス、その二人から数歩離れた場所には五十鈴がいる。
そんな三人の回りを五月雨たち駆逐艦らが囲んでワイワイとはしゃいでいた。
「あ、那珂さ~ん!川内さん、神通さん!見てくださいよ~!」
待機室に那珂たちが姿を表すと、すぐさま五月雨が声をかけてくる。彼女が指し示したい存在はすぐにわかるが、念のため尋ねてみた。
「ん、どーしたのかな、五月雨ちゃん?」
「じゃ~ん!黒田さんと副島さんの、ついに艦娘の制服バージョンですよ!すごいですね~。」
両手で二人を指し示し、誇らしげな表情を浮かべる五月雨。なんで君が自慢げなの……とツッコミたかったがそれは野暮だろうと、ツッコミ魂を飲み込んで五月雨の言葉を素直に受け入れることにした。
「お~~!りょーちゃん!みやちゃん!凛花ちゃんとおそろ~!」
「アハハ~ありがとーなみえちゃん!」
「あ、ありがとうございます、なみえさん。」
那珂は二人に駆け寄り、両手を合わせあって喜び合う。良と宮子は那珂に向かって本名で呼んで柔らかい感謝を示す。
そんな先輩の姿を目の当たりにした川内と神通は、いつのまに五十鈴の友達と仲良くなったのだろうと首を傾げる。
そんな後輩二人の目の前で那珂は五十鈴・長良・名取ら三人と同学年同士でしばらく雑談していた。
しばらくして五十鈴たち三人と五月雨・時雨は提督に呼ばれて待機室を出て行った。そろそろ着任式が近い。そう感じたのは呼ばれて出て行った主役の二人+一人以外も同じだ。
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川内と神通は五十鈴に率いられて出て行く長良と名取の後ろ姿をボーッと眺めていた。その背中、そして立場。つい1ヶ月程前は自分たちだった。自分たちこそが主役で、誰からも注目される期待の星だと高揚感を感じていたあの時。
「あの……川内さん。」
「なぁに?」
「なんか……不思議な感じ、しませんか?」
「ん~、やっぱ神通も?」
「もってことは、川内さんも感じていたんですか?」
川内は神通からの問いかけに鼻を鳴らしながらエヘヘと微笑して答えた。
「うん。ちょっと前はさ、鎮守府に着任した新人はあたしたち二人で、注目されるある意味スターとかアイドルだったじゃん。それが今や次の新人さんを迎え入れる立場なんだよね。なんていうんだっけ、こういう時にふさわしい言い方。」
「感慨深いとか、です。」
「そうそう、それそれ。なんかさ、あたしたちまだまともに戦えないのに、新人来ちゃっていいのかねぇって、そう思わない?」
そう言って川内は今まで扉に向けていた視線を始めて自身の隣にいた神通に向ける。その視線の移動にすぐに気づいた神通は川内をやや見上げる形で視線を絡めて返した。
「はい、うかうかしてると、長良さんたちに、追いぬかれちゃいそうです。」
「そーそー。それが不安なんだよね。しかもあの二人那美恵さんや凛花さんと同じ学年じゃん。先輩だよ先輩。余計な気苦労増えるの嫌なんだよね~。」
そう川内が言うと、神通がその言い方がツボに入ったのか、クスッと笑みをこぼした。意図せず神通の笑いを誘い、笑顔を生み出すことに成功した川内はつられて笑顔で返した。
クスクスと笑い合っていると、遠巻きに夕立が自身を見ていることに川内は気づいた。そして当然の反応として、夕立が声を上げて駆け寄ってきた。
「あ~、川内さんの笑い顔ひっさしぶりに見たっぽいー!」
「うおっ、なにさ?」
自身の意図せぬ面に変なタイミングで話題に触れられるのが苦手な川内は焦りを見せる。そんな川内の行動のタイミングなぞ気にしない夕立はすぐに言葉を続けた。
「だってさ~、ちょっと前まで川内さんってば、朝は無表情かちょっと変な笑った顔、夜はしかめっ面だったっぽい。見てて面白かったけど、あたしとしてはなんかヤだな~って思ってたの。でも今日は朝からニコニコであたしもなんか嬉しいの!」
「うあ~、夕立ちゃんってば意外と人見てるなぁ~。恥ずかしいけど、なんかありがとね。」
「エヘヘ~なんかわからないけど、どーいたしまして~!」
夕立の言の捉えどころがわからず苦笑しつつ首をかしげる川内。しかし自身をよく見てくれ、それなりに心配してくれている人が(那珂や神通以外に)いたことに心の中でホッとし、恥ずかしげながらもカラッと明るく返すのだった。
五十鈴ら長良型の3人が出て行った後の待機室、那珂たちはその後内線で提督と五月雨から呼ばれるまでおしゃべりを楽しんだ。
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そして着任式が開かれた。その場所は川内・那珂・神通、そして時雨たち既存の艦娘たちなら誰もが経験済みの場所、本館のロビーである。
提督が挨拶と儀礼的な言葉を長良となる黒田良、名取となる副島宮子に投げかける。二人の間には五十鈴こと五十嵐凛花が立っている。その構図は那珂たちと全く同じである。つい1ヶ月近く前はあの場に自分たちが立っていて、鎮守府Aの皆に迎え入れられていた。そんな自分たちが今度は新たな艦娘を迎え入れる立場になっている。
那珂はそれが面白おかしく、そして人のつながりが増えることに心躍る思いで眺める。
川内は気楽にやれた新人としての自分の存在が薄く弱くなっていくことに恐々としていた。社交的な性格ではあるが、那珂ほど誰とでも仲良くなることができる質ではなく、人の好き嫌いが激しい川内は、新たな艦娘を100%の喜びで迎え入れられない。
そして神通は、先ほど川内が言った“(学年的な)先輩が増える・余計な気苦労が多くなる”言葉を思い浮かべ、それを先ほどよりも現実味ある感情として抱く。しかし新たな出会いが全てが全て不安というわけではない。艦娘にならなければ、おそらく今頃は唯一の友人、毛内和子と密やかに遊ぶ程度が自身の社交性の限界であった。そんな仮定と比べると、今のなんと世界観の広いことか。
自分が変わったという見方では自身が持てないが、周りが変化していくことで、自身が変わったような錯覚を得る。それは満足できる錯覚だ。
不思議な感覚が取れない。面白い。
神通は自然と両手を胸のあたりに出し、パチパチと手の平同士をぶつけて賞賛の音を発し始めていた。その時は提督のいつものキメ台詞が決まり、長良と名取となる少女らを一同が迎え入れるアクションを取るまさにそのタイミングだった。
結果的に、神通は誰よりも早く率先して拍手を投げかけていた。
神通に続き、那珂が拍手する。神通の率先した拍手に驚いた川内は他の艦娘たちが拍手し始めてからようやく続く流れとなった。
パチパチと四方八方から歓迎の音が響き渡るロビーの間で、既存の艦娘らの輪の中にいた三人が意気込みを述べた。
「ありがとー!皆さん!あ、先輩か。先輩方~!長良としてあたしがんばりまーす!」
「あの!あの!名取として頑張ります。皆さんの足を引っ張らないよう努力します!よろしくお願いしますー!」
「皆、私の親友であり、姉妹艦であるこの二人を、どうかよろしくお願いします。」
最後に言葉を締めたのは五十鈴だった。二人のしゃべりの至らなさをかばうようにしゃべるその様は、真面目な彼女らしい。
さすがの那珂もこの場では軽口を叩いて茶化すようなことはせず、その代わりニンマリとした含みのある笑顔で五十鈴を見るに留めた。
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ロビーでの着任式が拍手喝采のうちに締まり、本館内はいつもの静けさを取り戻した。今回は取り立てて特別な意味を持たない通常の着任として提督が捉えていたため、前回川内たちがもてなされたような食事会としての懇親会はなかった。
それでは当事者に悪いと感じたのか、提督は五十鈴ら三人を呼び寄せ、夕食の約束をとりつけて三人を喜ばせた。
もちろん那珂たちはあずかり知らぬ話である。
長良型と川内型の少女たち
長良と名取の二人が着任して数日経った。那珂をリーダーとした既存の艦娘たちと五十鈴ら長良型の三人はその数日、別行動を取っていた。那珂たちは海で、五十鈴たちは演習用プールでの基本訓練である。
着任式以後の流れを経験済みの川内と神通はこの数日の長良と名取の様子を、自分たちの訓練の合間にプールの外からチラ見していた。学年的には先輩で、なおかつ五十鈴の友人という自身らにはなんの繋がりもない他人とはいえ、艦娘としては後輩。気にならないといえば嘘だ。
那珂は何かと理由をつけて長良たちの訓練を見学しに行く二人のことをあえて黙認した。一応自分たちの訓練のノルマはこなしているし、これから後輩となる人物を見るのは、ある意味自身らを客観的に見る良い機会だと判断したためだ。
「あはは~水上移動って楽し~ね~!あたし艦娘になってよかったぁ~~!」
「あ!あ! ……きゃあ!!」
川内と神通が見たのは、着任からまだ2~3日しか経っていないのに自由自在にプールの上を移動しまくる長良と、バランスを崩して水面で転んでびしょ濡れの名取の姿だった。
自分たちを見ているようで、なんだか微笑ましく、そして苦い感情を抱いた。今まではなんとなく嫉妬の念を抱いていたが、現実の彼女らの姿を見ると応援したくなってくる。
川内と神通は一通り彼女らの訓練の様を見て、自然とお互い見つめあう。
「アハハ……なんか、いいね、あの二人。」
「なんだか、少し前の私達を見ているようです。」
「そうそう。そういえば神通ってば、水上移動の時は超~へっぴり腰だったよねぇ~。そんで大暴走で気絶とか。」
「!! そ、そんなこと言うなら……川内さんだって綺麗に曲がれなくて那珂さんたちを怒らせてたじゃないですか……!」
お互いの汚点を指摘し合い、そしてクスクスを微笑を漏らす。
「それにしても……」
再び川内が視線を戻した先では、五十鈴が長良と名取に厳しい指導の声をぶつけまくっていた。
「ホラ良!ちゃんと指示通りに動きなさい。あ~もう、宮子はバランス気をつけなさいって何度も言ってるでしょ!」
「五十鈴さんこえぇ~~。あたしたちの時と全然違うじゃん。」
「多分、ご友人だから、気楽に接することができるんだと、思います。」
二人が真っ先に思ったのは、五十鈴の口調や振る舞いが、自身らの基本訓練に付き合っていた時の彼女のそれよりも、スパルタ気味ということだ。
「そういうもんかねぇ~。誰とでも同じような接し方なのは那美恵さんくらいな気がするけどね。ま、あたしは神通とだったらすごく気楽だよ。他の娘はやや、まだ、ほんのすこ~しだけ緊張してるんだ。神通はどう?」
いきなり告白めいた、ドキッとさせられる発言してきた川内に、神通は誇張でない、彼女の素の思いを聞いて通常の照れを超えた恥ずかしさを覚えた。
何気ない一言だけれども、神通に取ってみればものすごく重い。そして今すぐ泣き笑いたくなるほどの感情の沸き立ちも覚えるものだ。
とはいえ突然泣き出すのはまた恥ずかしい。なんとか我慢して、この同僚に言ってやらねば。
「わた、私に取ってみたら、せ、川内さんも……不思議と安心して付き合えるどうry……お、お友達、です。和子ちゃんとは違うタイプですけど……二人とも私には大切なお友達です。」
隠しきれなかったのか、神通の顔は真っ赤に染まりあがっていた。さすがの川内もその色が示す神通の感情に気づいた。
「アハハ。言ってくれるねぇ。ありがとね。あたしさ、実は不安だったんだよ。」
「え?」
「神通にとってみたらさ、あたしは毛内さんとは全然違うタイプじゃん? そんなあたしが側をウロチョロして気兼ね無く話しかけたり馴れ馴れしくしたりさ。実は心の中では嫌われてるんじゃないか!?とか、そういう不安をこんなあたしでも感じることはあるのですよ。」
川内の自身に対する気持ち。始めて知った。そしてそれがどこまで本気でどこまで照れ隠しのための冗談なのか判別がつかない。付ける必要はないだろうとすぐに思ったが。
川内こと内田流留は己の感情に正直なのはこれまでの短い日数ではあるがわかっていた。だから照れが混じっていてもその気持ちは確かに本物。裏がないから、その言葉を全て受け入れられる気がする。
神通はそう思い、川内の不安をどうにか払拭してあげるべく言葉を返した。
「せんd……内田さんのこと、迷惑だとか馴れ馴れしいだとは思ったことはありません。私、気づいたんです。」
「?」
「変われない私を変えてくれるのは、やっぱり周りの人なんだって。私は……自分で決断したことなんてなくて、結局那珂さんの指示や川内さんの影響を受けてるだけに過ぎません。平凡な生活しかしてなかった私がここまでやってこられたのは那珂さんや川内さんのおかげだと思ってます。だから、これからも……こんな私に仲良く、して……ほしぃ…で
「あたしはするよ、仲良く。」
神通が言い終わる前に川内は口を挟んで言い返す。
「ぶっちゃけさ、あの学校で同性の友達っていったらあんたしかいないだもん。あたしを必要としてくれる友達がいるなら、あたしはいつだって全力でその人のためになりたい。だから、あたしは神通……ううん、さっちゃんとずっと親友でありたい。こちらこそ仲良くしてよね。あたしを見捨てるなんてしたら、ゆっるさないんだからね~~?」
「フフ……はい。もちろんです。」
--
「あら、二人ともどうしたの、そんなところで?」
「「え?」」
クスクスアハハと微笑みあう二人は、プールのフェンスの先、プールサイドに上がってきていた五十鈴に気づかれた。こっそり眺めているだけの予定が気づかれてしまったことに神通は狼狽えるが、川内がスパっと返事をした。
「新人二人の様子を見に来たんですよ。せ・ん・ぱ・いとしてね。アハハ。」
自分の言い回しにこらえきれず語尾に笑いを混ぜる川内。そんな少女を見てフェンス越しに五十鈴がツッコミの言葉を投げつけた。
「ふん。いっぱしの先輩になったつもりでいるなんていいご身分ね。」
「うえぇ~。五十鈴さんさっきから見てると、なんか厳しいんですけど~? あたしたちの時は手ぬいてましたか?」
肩をすくめてややおどけて愚痴る川内に、五十鈴は肩で息をしながら答える。
「はぁ……。あのね。あんたたちのときは立場が違うの。あの時はあくまでも那珂が指導者・訓練の主役はあなたたち、あたしは単なるサポート役。今回は私が指導者。立場が違えば振る舞い方も違うのは当然でしょ。」
「そういうもんですかね?」
「そういうものよ。……そうだ、二人とも今時間あるかしら?」
「え?」
「え……と、なんでしょうか?」
突然の五十鈴の問いかけに神通もようやく口を開いて反応する。確かにこの日の訓練のノルマは達成しているので二人とも暇ができている。だからプール設備の外側から眺めていた。
「こっちへいらっしゃい。帰るまで時間あるなら、二人の訓練に付き合ってよ。」
五十鈴の提案。二人はそれぞれの反応を示す。
「お~、いいんですか?」
「え……でも。」
「いいからいらっしゃいな。特に、神通はあなたの訓練の時付いて見てあげていたからその恩があるはずよ。それをちゃーんと返してもらいましょうか。」
「えぇ!?そ、そんなぁ……。」
「ちょっと五十鈴さん、そんな言い方ないんじゃない?神通だって真面目にやってたんだし。」
「恩とかそういうのは冗談よ。良……長良はいいとしてもね、宮子……名取は多分神通あなた以上にヤバイから、似た経験をした者として、側で見て力になってほしいのよ。」
そう言って後ろを振り向いて視線誘導した五十鈴につられて二人がプールの水面に浮く長良と名取を見る。するとさきほど来た当時とさほど変わらずの様をしていた。
察した神通は苦笑しながら言葉を発した。
「そ、そのようですね……。でも上の学年の先輩になんて、私緊張します。」
「気にしないでいいわよ。あの娘もたいがい大人しいし、多分ウマが合う気がするわ。一度来てみなさいよ。」
「あの五十鈴さんがお願いしてくれてるんだから、行ってみようよ、ね?」
「……そこまで言うなら、はい。」
神通が承諾の意を示すと、五十鈴の口の両端はさらにつり上がって笑顔を倍にする。
その場を後にし、工廠に入って艤装を装備して演習用プールにやってきた川内と神通は、プールサイドで休憩していた長良と名取、その二人と初めてまともに会話をすることになった。
「あ~!確か川内ちゃんと神通ちゃんだっけ?なみえちゃんの後輩の。」
出会って一番に声をかけてきたのは長良だった。その軽さに既視感を覚えて一気に戸惑う川内と神通だが、努めて平然と返すことにした。
「はい。○○高校の一年、内田流留です。川内やってます。」
「私も○○高校の一年、神先幸と申します。神通を担当しています。」
「アハハ。あたし黒田良。□□高校の二年だよ。これからは長良って呼んでね!」
「わた、私も□□高校です。二年生の副島宮子っていいます。名取って呼んでください。」
「先輩方、訓練はどーですか?」
「アハハ! 艦娘としてはむしろそっちのほうが先輩じゃん。学年とか気にしないでいいよ~。あたしはこの水上移動はけっこー慣れたかなぁ。艦娘って楽しいね!」
「……私は、ダメです~。クスン。」
全く正反対の反応を示す長良と名取。その二人を見て川内たちは苦笑する。
「アハハ。あたしと神通も今の長良さんと名取さんのようでしたから。まだ始まったばかりなんですし、気楽にいきましょうよ、ね?」
「あの……名取さん。」
「はい!?」
神通が名取の方を見て口を開くと、名取は緊張の面持ちで視線を向けた。その挙動に神通も一気に緊張を高める。学年を気にしないでとは言われたが、そういう本来の立場を払拭することができない神通はとても川内や長良のように振る舞うことなどできない。
緊張が相手にも伝わる。つまり神通と名取は二人ともお互いの緊張に敏感に反応して緊張の連鎖を作り出してしまっていた。
それでも艦娘としては先輩である意識でどうにか正気を保てた神通が主導権を握り、喋り始める。
「名取さんの動き、見させていただきました。私も名取さんとほとんど一緒だったので、きっと……お力になれると思います。で、ですから……。」
「あ、はい。……はい。こちらこそアドバイスお願いします……ね?」
傍から見れば反応の差は変わらないが、神通に取ってみれば打ち解けられたかも、と思える微妙な空気の破壊ができたと感じた。ぎこちないながらも笑顔を名取に返してみた。すると名取も微笑み返した。
しばらくして五十鈴が四人の前に立って手をパンパンと叩いて合図をした。
「それじゃあ再開よ。川内、あなたには長良と競争してもらいたいの。」
「「競争?」」
川内と長良は声を揃えて反芻した。
「そう。長良はかなり自由に動けるようになってるから、川内とプールを回ってタイムを競い合ってほしいの。」
「へぇ~いいねそれ。さっすがりんちゃん!あたしそれやりたーい!」
「はぁ。ま~いいですけど。別に勝ってもいいんですよね?」
川内はニヤリとかすかに笑みを見せすでにやる気満々な反応をアピールする。それに対して五十鈴は言葉なくコクリと頷いて肯定した。
そして今度は神通と名取の方を見る。
「それから神通には、私と一緒に名取の水上移動の手ほどきをしてもらいます。いいわね?」
「はい。」
「うぇぇ……あの、えとえと。よろしくお願いしますね?」
ピシっと返事をする神通と、オドオドと返事をする名取。
それぞれの役割を得た川内と神通は、休憩に付き合ってだらけていた気持ちをすでに完全に切り替え、新人二人の訓練に臨むことにした。
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川内は長良とともに、五十鈴に指定されたプールの端まで移動した。指示どおりにプールを周回すると、神通らのいる水域は避けて、うまく回って一周。今いるポイントまで戻ってくる流れとなる。
「え~と、それじゃあ長良さん。いきますよ。あたしは新人だからって遠慮するつもりはないし、絶対負けませんから。」
「アハハ。よろしくね~川内ちゃん。」
川内の心境は複雑だった。この長良という少女(学年的には先輩)は前々から五十鈴に話を聞いていたし、仲良くなってみたいという想いがあった。しかしいざ本当に顔を合わせてみると、訓練の進み具合は実は自分と対して変わらぬ進捗。これはライバルになりかねない。後から来た新人に追い抜かされるのはまっぴらごめんだという敵対心が川内の心を占め始める。駆け出しぺーぺーのうちに実力を見せつけ、この先輩を自分に従わせてやる。
自分を完膚なきまでに叩きのめして実力で従わせることができるのは、先輩である那珂以外にはいないのだから、他のやつには絶対負ける訳にはいかない。ここで叩きのめす。
今の川内には自身の最近の訓練の至らなさを別の方向にぶつける方向性が必要だった。そういう思いも湧き上がってきたので、今回の五十鈴の提案は渡りに船なのだ。
もはや隣にいる長良の方を見ない。川内は眼光鋭く目の前のプールの波が立っていない静かな水面を見る。
そして自身で合図をした。
「よーい、スタート。」
ズザババアアアア!!!!
川内は最初から速力電車をイメージしてロケットスタートを試みる。今回は空母艦娘の訓練施設との仕切りが閉まっているため、プールの全長は50mほどしかない。わずか数秒のうちにプールの端まで到達した。身を左によじり下半身に重心を置き身をかがめ、スライディングばりに足の向きを変えて水面でブレーキを効かせる。仕切りの壁ギリギリで停止すると、その勢いと溜めを殺すことなく今度は進行方向を左へと向けてダッシュした。プールの横幅は一般的な50mプールのそれと対して変わらぬ幅のため、今度はスピードを半減する。つまり速力バイクでプールを横切り、再び左に見をよじって方向転換をしつつ速力を高めるイメージをした。
川内はまたしても激しく水をかき分けて波を発生させながらスタート地点目指してダッシュした。
結果、長良はそんな川内に追いつけずに遅れること数十秒経ってからスタート地点に戻ることとなった。
無理をしすぎた。そう感じるのはたやすかった。戻ってくる長良を待つわずかな間、川内は肩でハァハァと息をして整える。ようやく戻ってきた長良は裏表のない笑顔を保ったままだ。
「アハハ。川内ちゃん速いね~。あたしビックリしちゃった。訓練して強くなるとそれだけ速くなれるんだね~。あたしも頑張らないと。良いお手本見せてくれてありがとーね!」
「は? な、なんで悔しがらないんですか?勝負に負けたんですよ?」
競争だったのに負けたことをまったく意に介さずに破顔しながら意気込みを述べる長良に、川内はカチンときた。そんな川内にやはりまったく意に介さずにキョトンとした顔で長良は反論する。
「え~、逆になんで~?あたしは艦娘なりたてホヤホヤなんだし、先輩に勝てないの当たり前じゃん。あたしはこうして負けたから次はもっとこうやってこーしよ~って思って頑張れるんだし、結果オーライだよ。だからあたしと勝負してくれてありがとーって素直に思えるから、別に今は悔しくないかな~。」
その口ぶりと気の持ちように川内はさらにイラッと来た。那珂の態度に似ている。この(学年的には)先輩、素でこう思っているのか。あの人から裏の企みや思考能力をマイナスした感じかも。そう川内は捉えた。
企んで小馬鹿にされるより、天然でやられるほうが反応に困る・厄介だ。
もう少しこの長良という少女を観察したほうがいいかもしれない。川内はハァと溜息をついて話を進めることにした。
「まぁいいです。さっきも言ったように、あたしは手を抜きませんから、もう一度同じように競争しましょう。訓練を終えた艦娘がどれだけやれるのか、今のうちに身を持って体験してください。」
「アハハ。は~い、よろしくね、川内ちゃん!」
脅しをかけても全然気にしない。なんなんだこの女は。アホなのか。アホの娘なのか。裏表のない性格がこれほど自身の感情に響くとは思わなかった。これならまだ夕立のほうが接しやすい。あっちもアホの娘っぽいけど、ウマが合うから別に構わない。自分も大概馬鹿なのだから。
しかしこの女は違う。
あぁ、多分あたしはこの長良こと黒田良という先輩は苦手なタイプだわ。
川内は長良の訓練に初めて付き合ったこの時、第一印象をそう決めてしまった。
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川内と長良が(ある種一方的な競争)をしていたそのプールの一角では、神通が五十鈴とともに名取の訓練のサポートをし始めていた。
始めてからどれくらい経ったのか、神通はすでに時間を気にするのをやめていた。というよりもする暇がないくらい、目の前で足元がおぼつかずに転びまくる名取が気になって仕方がない。
「あの……先輩。進むときは○○するときのようなイメージを強くするんです。艤装は、強いイメージがあれば本人に多少バランス感覚がなくても十分に補ってくれる……はずなんですが。」
「うぅ……ゴメンなさい、ゴメンなさい!あたしほんっと運動とか苦手なんです。」
制服の下の自前と思われる下着が一部透けて見える状態にまでびしょ濡れになりながらも再び水面に立つ名取。何度やらせても基本となる、停止状態からの発進ができていない。何度同じことを伝えたかわからない。さすがの神通もイライラとまではしないがもどかしい気持ちで心あふれていた。それと同時に自身がどれほど恵まれていたのか、若干悦に浸る。
((先輩には悪いけど、私はまだ運動もできるタイプだった。ちょっと自信がついたな。))
抱いた思いは決して口にはせず、アドバイスになりそうなことを必死に考える。ふと五十鈴と目が合う。すると五十鈴は見透かしたかのごとくその言葉を口にした。
「これならまだ神通のほうがよかったわね。あなたは運動苦手じゃなくて、単に経験がないから苦手そうに見えただけですもの。宮子ったら、ほんっきで運動ダメなのよ。体育の授業でも下へのトップクラスでダメダメ。どうしようもないわ。艤装が十分にサポートしてくれる艦娘ならこの娘でもできるかと思ったけど……ダメね。宮子は体育以外の成績はいいのに、なんでそこまで運動はからっきしなのかしらね?」
友人からの辛辣な言葉を受けて名取は水面で立ってはいるが首から上がガクリと下がってうなだれてしまった。鼻をすする音がかすかに聞こえる。
なんだ?
友人同士とはいえこんな辛い当たり方をしていいのか。さっきから聞いていれば飛び出してくるのは友人であるはずの名取こと副島宮子に対する悪評だ。五十鈴の言い方に頭に血が上った神通は自分の思ったことなぞ棚に置き、意識するより前に声にした。
「あの……そんな言い方、やめてください。運動苦手な人の気持ち、五十鈴さんは……考えたことあるんですか?」
「え、神通?」
「神通ちゃん?」
神通の眼差しは眉をひそめてやや細めの眼光で鋭く五十鈴に向かう。五十鈴は初めて見た年下の少女の怒り具合にその身を固めた。
「頭で考えても、身体がついていけないんです。五十鈴さんや那珂さんたちには当たり前のことなんでしょうけど、私や多分名取さんにとってみれば、その当たり前のことが、頭と身体で連携できないから辛いんです。やるせないんです。いくら練習しても、人にはできないことだってあるんです。」
神通の静かな怒りに、身体の硬直を解凍した五十鈴は一切臆することなく反論する。
「でも神通、あなたはできたのよ。私から言わせてもらえばね、あなたたち二人は基本同じなの。けれど二人の決定的な差は、宮子にはそのできないことをなんとかしてやろうっていう気概が足りないのよ。それが神通には合ったし行動の端々からそれを感じることができたの。それが宮子ときたら……。ずっとこのままだと長良型の訓練期間の限界の3週間をすぐに超えてあのイベントに参加できないのは確実ね。」
「い、五十鈴さん!!なんでお友達にそんなにあたるんですか!?」
やや裏返った大声がプール設備一帯に響いた。
プールを回っていた川内と長良が遠巻きながらも驚いてその足を止めて視線を向けた。視線が集まっても、今の神通には気にする心の余裕がなかった。
「なんでお友達に……厳しく、できるんですか。出来ないかもしれないお友達をそんな言い方で……見限らないでください……。」
俯く神通。神通と五十鈴の間に立つ位置にいた名取は突然の口論が始まったことで呆気にとられている。それでもどうにかハッと正気に戻り、今にも泣きそうな顔をして俯いている神通に水面を歩いて近寄る。
「あの……神通ちゃん? 私は平気だよ。りんちゃんから怒られるのいつものことだもの。鈍臭いのも私自身わかってることだから。だから……あなたが気にする必要なんて、ないんだよ?」
自身がかばって慰めているつもりが、逆に慰め返された。神通は眉をひそめたまま、目つきの鋭さを解いて泣きそうな表情を保ったまま顔をあげ、名取そして五十鈴に視線を行ったり来たりさせる。
そんな神通を目の当たりにして五十鈴がため息混じりに言った。
「私たちにとっては日常茶飯事の接し方なんだから、神通あなたが必要以上に過敏に反応しないでもいいのよ。これが私たちの日常なのよ」
「……私、余計なお節介……なのですか?」
「……端的に言えばそうね。」
五十鈴のその一言を聞いて神通は顔を赤らめ、そしてうなだれた。しかし収まりが付かない。そして五十鈴の態度も気に入らない。名取の一瞬の感情の様を見れば、今さっきの取り繕いが本心ではないことくらいわかる。友達だからといって我慢する、そんなのはダメだ。
「名取さん。」
「はい!?」
「いくら友達だからって、自身の尊厳を傷つけられて黙って我慢しているの、ダメです。そんなのよくありません。」
「神通ちゃん……。」
名取は神通のへそ付近から顔めざして視線をゆっくりと上げる。
「友達でも、怒るときは怒っていいのだと、思います。あ……先輩にこんな説教じみたことするなんて、ゴメンなさい。でも、あなたの気持ちを本当に理解しないで教えようとする人に私はあなたを任せたくない。私が、名取さんの訓練を全部指導してあげたいくらいです。」
「言うようになったわね神通。あんた、私にケンカ売ってるの?」
「!! そ、そんなつもりでは……。」
心穏やかに聞き続けるつもりだった五十鈴だが、遠回しに悪し様に言われてさすがに瞬間的に怒りを露わにした。神通は調子に乗って色々言い過ぎたとすぐに反省し、勢いを萎縮させる。
「まぁいいわ。もともと宮子のサポートはあなたにお願いしたかったし、きっかけはどうであれ乗り気になってくれるのなら何よりよ。」
五十鈴は本当の考えを白状する。その言葉には自身が頼られているというハッキリした意味が感じ取られるが、素直に喜べない。名取に言い放った言葉は紛れも無く本心だからだ。
良い人だと思っていた五十鈴の印象にヒビが入った気がした。いくら友達とはいえ、心の奥であのように考えていた人に、名取のためになる教育ができるのか。いやできるわけがない。
同じく出来の悪かった自分であれば名取のためになれる。同じ境遇だからこそ気持ちを理解して、彼女が真に頼れる存在になることだってできる。
この人“名取”には私がついていないときっとダメだ!
神通の思いに嘘はない。
ただし、 “この人がいれば私は輝ける” とも思ってしまった。神通は自身の心の闇を無意識に湧き上がらせていた。
--
この日の長良と名取の訓練は1時間ほど経ってから終わり、5人は工廠に戻って艤装を解除した後、待機室へと戻ってきた。そこには那珂が一人で本を読んでいた。
「あれ~?5人とも一緒だったの?訓練終わって二人でどこか行ったからてっきり帰ったのかと思ったよ。」
「実は長良さんと名取さんの訓練を見てたらですね、協力することになりまして、それでこの1時間ほど付き合ってたんですよ。ね、神通。」
「(コクリ)」
「そっかそっかぁ~。五十鈴ちゃんに訓練付き合ってもらってた分、二人で恩返ししないとね~。」
「う……那珂さんもそれ言いますかぁ。」
「え?」
「それ五十鈴さんにも言われたんですよ~。」
本当は神通だけが言われたが、川内が代弁して答えた。それに那珂はケラケラ笑う。
「アハハ!それだけ五十鈴ちゃんから頼りにされてるってことだよぉ。だってあたしと五十鈴ちゃんの二人で教えこんだ期待の星だもの。ね、五十鈴ちゃん。」
「はいはい……そうね。」
「うぅ~ん!五十鈴ちゃん反応が冷たいぉ~~!」
わざとらしいぶりっ子演技をしながら那珂は五十鈴に擦り寄っていく。もちろんその後の五十鈴の反応は川内と神通ならばすでにわかりすぎているものだ。
デコピンされた額をスリスリと撫でながら那珂は五十鈴たちから感想を尋ねる。
「そんで、長良ちゃんと名取ちゃんの訓練はどーお?」
「そうですね~。あたしは長良さんとky
「まぁまぁよ。まだ4日ほどだし、のんびり着実にやらせてもらうわ。」
五十鈴が川内の言葉を遮って那珂の確認に答えた。本当のことは言わないのかと神通は黙って見ていた。
しかし五十鈴の気持ちを考えてみる。同じ鎮守府の仲間とはいえライバルにわざわざ事細かく言う必要もないだろうなと。それ以上を察することはできない。他校とはいえ同じ学年同士、自分ら後輩にが知らぬコミュニケーションもあるだろう。だから神通はこの場では先刻まで保っていた静かな怒りを再発させてズケズケと言うことなどできようがなかった。
自制しよう。
しかしせめてもの訴えで、一度那珂に視線を送った後、ゆっくりと五十鈴に視線を移した。その視線には那珂の時とは全く異なる色合いを称えてみる。五十鈴・長良・名取の後ろに位置することになっていたため、その視線の動きは向かいにいる那珂にしか気づかれなかった。
那珂は一瞬神通のそれに気づきキョトンとするも、すぐに視線を五十鈴たちに戻して会話に意識を戻した。
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その後の6人のおしゃべりは当たり障りない話題に切り替わる。会話の主導権は那珂と長良が互いに握り、そのバトンは行ったり来たりした。
川内とウマが合うと五十鈴がふんだ長良だが、実際には那珂とウマが合ったと残りの四人はすぐに気づいた。そして二人をよく知る互いの組の二人は、うざい(しゃべりの)やつが二倍になったと頭を悩ませる。
そして訓練中は終始暗い顔でモゴモゴと口ごもってしまいには泣きそうな顔をして一歩足りとも移動がままならなかった名取は、二人の会話に笑顔で参加している。口数と声量は少ないが、雰囲気は訓練時とは180度異なるものだ。
学年が同じ、先輩同士だから仲良くなるのもたやすかったのだろう。あくまでそう思うにとどめ、神通はその光景を一歩・二歩も置いて離れた心境で見ていた。
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帰り道、幸は那美恵と電車内に最後まで残った。もともと地元の駅が近かったためであるが、この状況は今の幸にとってありがたかった。
待機室で五十鈴が川内を遮って話をすぐに収束させた話題を、ここで掘り返してみた。
「あの、なみえさん。」
「ん、なぁに?」
「長良さんと名取さんの訓練の話なんですけど。」
那美恵は並んで歩いていたため前かがみになって隣りにいた幸の顔を覗き込むようにして返した。
「うんうん。あの二人がなぁに?」
本当に続けて言おうかどうか一瞬迷ったが、一度開いた口は中断を許さなかった。
「私、名取さんの訓練のサポートをお願いされました。」
「おぉ!凜花ちゃん直々に言われたの?」
「はい。実は私、ここ数日あの二人の訓練を覗いて見てたんです。名取さんは……私から見ても訓練の進み具合がよろしくなくて。それで……」
話しているうちに五十鈴に対する憤りが再発し、結果としてあったこと・思ったことを包み隠さず全て口から零してしまっていた。自身でも珍しいと思えるほど、しゃべり続けた。ひとしきりしゃべり終えて我に返ると、那美恵が珍しく困り顔をしていたのに気づいた。
「そっか。うん。うーん……。」
自身の言葉を思い返すと、ひどく辛辣な表現で貶めていた気がする。気がするだけで口から発して1秒以内に忘れ去っていたので正直思い出すことすら叶わない。
幸の隣では那美恵が眉を若干ひそめて首を左右交互にかしげている。
先輩を困らせてしまった?
謝罪の言葉を必死に考えて発しようとした幸の前に那美恵が言い淀んでいた言葉を再開した。
「あの三人は私たちが知らない関係を築き上げてきたんだろーし、あまり深く首を突っ込むのはどうかな~って思うな。いくら私たちが艦娘としては仲間であってもね。凜花ちゃんの物言いはひどいかなって確かに思うけど、それは彼女なりの考えがきっとあってのことなんだろーし、どうかそんなに怒ったり嫌わないであげて。ね?」
「そ、それは……わかっているつもりです。ですが……。」
「さっちゃんの気持ちはなんとなく分かるよ。でもあまり、みやちゃんに感情移入しすぎると、それはきっと彼女にとってもプレッシャーとかになって辛いことになると思うから、ほどほどにね。」
「は、はい。」
「さっちゃんなら、通常の訓練の指導役も、名取ちゃんの基本訓練のサポートも、両方うまくこなせるってあたし信じてるから。それとこれだけは言っておくね。」
那美恵が一瞬言葉を溜める。すると幸はゴクリと唾を飲み込んでその続きを待つ。
「のめり込み過ぎないでね。30分考えたり試みて行き詰まったら誰かに聞くなり気分転換しましょ。そこんところ上手いことまとめて、あなたと似てる人にも教えてみて……ね? 夏休みもあとちょっとしかないんだし、自分のやるべきことをはっきり意識して、効率良くね。」
幸はいまいち要領を得ないながらも、先輩の貴重なアドバイスとしてそのまま飲み込んでおくことにした。別段何かに急かされているわけでもない。どちらも先輩から依頼されて始めたことだ。しかし目立つ活躍も能力にも自信が持てない自分に期待をかけられてのことだから、なんとしてでもやり遂げてみせる。
通常の訓練の指導(補佐)役は艦娘の皆+自分たちを評価してくれる提督のため、敷いてはこの鎮守府が深海棲艦との戦いに負けないための大事な要素の構築。自分が足手まといにならないためにも、自分が能力をアピールできる方向性を見極めて皆の役に立てるようにするため。
かたや長良と名取の基本訓練のサポートは、自分と同じ匂いを覚えた名取を応援するため、同じ匂いのする人を貶した五十鈴を見返してやるため。
そして
自分が輝くため
にもあの名取を前に進ませてやらなければならない。
那美恵が途中の駅で降りた。ついに幸は一人になった。そして地元の駅で降り、午後7時近いがまだ明るさがほのかに残る夜道を一人でテクテク歩きながら様々な思いを巡らせる。
そんな幸のヘアスタイルは地元の駅についた後にバサバサと解かれ、いつもの雑な前髪・結びに戻っていた。
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那美恵は帰宅後、入浴を済ませ食事を取り、くつろいでいた。最近毎日艦娘のために鎮守府に行っていたため、三千花と直接会わずにメッセンジャーでしか話していない。
たまには声を聞きたい。
そう素直な欲望を持った那美恵は早速電話をかけることにした。
「…はい。なみえ?どうしたの?」
「アハハ。たまにはみっちゃんの声直接聞きたくてさ~。好きだよみっちゃん。」
「……はぁ。いきなり告白とか、そういうのは異性だけにしておきなさい。」
「うえぇ!? あたし今みっちゃんにフラれた!?」
「はいはい、そういうのいいから。それよりも艦娘の方はどうなの? 内田さんと神先さんの訓練は終わったんでしょ? 普段は何してるの?」
そういえば三千花には基本訓練終了後、僅かな状況しか教えていなかった。あえて黙っていたというのもあるが、最近では詳しい報告すら忘れていた。
「うん。今は普段の訓練をみんなでしている最中かな。さっちゃんはね、今はあたしの右腕として絶賛指導役で活躍中~。ながるちゃんは……基本的には自由人だけど、艦隊や戦いの知識をゲームや漫画経由だけど教えてくれるし、最近ではあたしに食らいついてくるようになっててさ、頼もしいなぁ~って。そんな感じ。」
「へぇ~うまくやってるんだ、あの二人。それでなみえ自身ははどうなの?」
「あたしはねぇ~、二人が手がかからなくなってきたし、提督から訓練のリーダー任されたから鎮守府のために色々考え中。そうそう。あたらしい人入ったんだよ。凜花ちゃんの学校のお友達が二人。それでねぇ~……」
その後一方的にこれまでの出来事を話す那美恵。それを三千花は黙って聞いている。那美恵にとってはそれが心から安心できる空気だった。一通りしゃべり終えると、三千花は静かに口を開いた。
「そっか。うん、なんだかなみえが楽しくやってそうでよかったよ。新しい人ともすぐに仲良くなれてるのはさすがなみえらしいし。……うん、よかった。」
「エヘヘ。そーだ、今度一緒にお買い物しに出かけようよ。たまには艦娘のこと忘れて、みっちゃんや○○ちゃんたち同級生と思いっきり遊びたいんだ。」
「いいね。行きましょ。ところであんた宿題とか大丈夫? 艦娘の事にかまけて忘れてたりしないわよね?」
「ふっふっふ。それはダイジョーブ。そんなヘマをするあたしじゃーありませんことはみっちゃんがよーく知ってるでしょ。」
「フフ。それじゃあ安心して遊べるね。まぁ生徒会長さんが宿題課題忘れて二学期迎えたら示しが付かないものね。」
「うわぁ~みっちゃんなんだかプレッシャー与えてくれるなぁ~。意外なこと忘れてそーであたし急に不安ですよ。」
「それじゃあさ、○日は空いてる?出かける前の準備ということで宿題の確認しましょうよ。」
「うん! それ助かるよぉ~。ちょっと都合付けてみる。」
しばらく雑談を続けた後、通話を切断して那美恵は部屋に一人ぼっちになった。
たまには艦娘のことを忘れて遊びたい、その思いは最近膨らみつつある。後輩があっという間に成長を進めたことで、気が抜けたということもあった。
別に艦娘のことに飽きたわけではない。むしろ自分があの鎮守府の艦娘集団の形成に一役買っているという実感が艦娘関連のことに熱中させているのは確かだし、フラれたがあの西脇提督の役に立てているという喜びが胸いっぱいに満たされていてずっと感じていたいと思うのも確かだ。飽きてやめたいだなんてこれっぽっちも思わない。
しかし何かが足りない、忘れてる。艦娘を始めたのは、何か内なる想いがあった気がする。
日常生活、艦娘生活、そのどちらにも欠けている何かを、那美恵はまさにここ最近、忘れていた。それを思い出し取り戻すにはどうするべきか。
流留と幸が艦娘としての在り方で思いを巡らせて悩む中、那美恵は自身のアイデンティティとも言えた何かを取り戻すべく悩んでいた。
鎮守府Aの艦娘教育
川内たちが時々長良型の訓練を覗いていた日々と同じくして、那珂たちは自身の訓練を一通り実践し終え、チェック表が完成間近になっていた。その日、全てのチェックシートを手にして少女たちの考えをレビューしていたのは提督だけではなく、三人の教師もだった。
艦娘たちが発表し、提督と教師たちが真剣な面持ちで資料を見て話し合っているその場所は、以前のような待機室ではなく1階の一番大きな会議室だ。部屋の奥に設置されたホワイトボードの両脇には神通と時雨が立っている。那珂は神通側の二歩隣りで二人を見ている。
ホワイトボードの前の長机は口の形に並んでおり、神通側の長机には川内と阿賀奈、そして五十鈴たち長良型の三人が、時雨側の長机には五月雨を始めとして白露型と理沙、そして不知火と桂子が椅子に座している。
提督と妙高、そして明石はホワイトボードからは真向かいにあたる長机を使っていた。明石はビデオカメラを使って打ち合わせを撮影している。
「……という感じになりました。これをうちの鎮守府の艦娘の能力のチェックシートとしたいと考えています。」
時雨の説明が一段落した。時雨はホワイトボードの対岸にいる神通に目配せをして続きの説明を暗に願い出る。神通はそれを受けて、学年的には上なのだからと本人的には強く意気込みそして口を開いた。
「い、今挙げました訓練の項目とチェックシートで、私たちは一通り実践して、その効果を確かめました。先生方には何回か協力していただきまして、私達はより客観的に、誰にでも判定しやすい評価基準を得たと実感しています。え……と、これをご覧ください。」
そう言って神通は手元にあるタブレットを操作し、ホワイトボードと通信して目的の画面をホワイトボードに映しだした。
そこには4分割されて小さな表が映しだされていた。そのうちの一つを神通はスワイプして選択し、拡大操作する。するとホワイトボード上の表も拡大した。
一番遠くにいた提督と妙高そして明石はやや身を乗り出してその表を食い入る様に見る。
「これは砲撃の総合評価です。那珂さんと五十鈴さんが同点でトップ、時雨さんが次点、その次に妙高さんと不知火さんと並んでいます。この順位と得点を算出したのは、皆さんのお手元にあります、砲撃のチェックシートです。次に雷撃です。トップが那珂さん、夕立さん、その次が川内さん、五十鈴さんと並んでいます。回避・防御は五十鈴さん、那珂さん、不知火さん、村雨さんの順です。その次に……」
神通はそれぞれの訓練の順位の上位者を丁寧に読み上げていく。そこで言及された川内や夕立はそのたびにワイワイとはしゃいで喜び、言及されなければ見違えるように無口になる。他のメンツも度合いは低いが少なからず喜怒哀楽の喜と哀を出しては引っ込めて会議室の空気の寒暖を変化させ、少女達らしい雰囲気の打ち合わせを作り出す。
そして一通り訓練の分類とそれぞれの現状の上位順位の発表が終わった。那珂としてはいちいち事細かに挙げないでもと思っていたが、それも神通なりのやり方かと暖かく見守ることにして、彼女のするがままにさせた。
神通と時雨による解説と発表が一段落すると、三人の教師がそれぞれ口を開いて意見を発し始めた。
「詳しい説明ありがとーね、神先さん。みんなの順位がわかって先生すっごく助かるわぁ。うんうん、この鎮守府の中ではやっぱり光主さんがトップなのねぇ。内田さんは全体的に惜しい感じ、神先さんはなんだか特定の事に長けてるって感じね。三人の特徴がよく見られるようになって先生すっごく嬉しい!」
阿賀奈はチェックシートを見ながら自校の生徒の評価を述べていく。挙げながら那珂たち一人ひとりの顔を見て笑顔を差し向ける。三人は胸の奥をムズムズさせられて恥ずかしさを得るも会釈をして阿賀奈の言葉を受け入れた。
その後、五月雨たちに対しては理沙が、不知火に対しては桂子が評価を述べる。教師たちは自校の生徒たちを以前の公開訓練、最初のチェックシートを用いた訓練の時よりも的確に評価できるようになったことに、生徒たちの成長を垣間見て充実感を得ていた。
三人の教師のそれぞれの評価が言い終わると、締めとして提督が口を開いた。
「うん、なるほど。先生方も評価しやすくなったようだし、俺としても国のチェックシートと大分照らし合わせやすくなった。正直に言うと、こういう資料を君たちみたいな学生がちゃんと作れるのか、不安だったんだ。でも君たちはやってのけた。これなら今後は君たち自身に艦娘の訓練の運用を任せてもいいかなって思えるよ。俺としても助かる。」
「エヘヘ~。ありがと~ね~。まぁあたしたちにかかればらくしょ~ですよ楽勝。」
那珂が冗談交じりに大げさに言うが、やや照れを隠しきれずにそのまま表情に表した。次に隣りで先輩のセリフと空気を感じ取っていた神通がそして時雨も素直に照れ不安も交えて言った。
「任せて……いただけるのは嬉しいですけど恥ずかしいです。本当に私のやり方が、みんなの訓練のためになったのか、未だに不安ですけど……。」
「僕もです。今回那珂さんからちゃんとした役任せてもらえて嬉しかったけど、みんなの事を考えて何か組み立てるって難しいのがよくわかったもの。」
「二人ともご苦労様。君らの不安もわかる。でも実際こうして結果として表れたんだし、自信を持っていいんだぞ。二人の力があったからこそ那珂もみんなを指導できたんだろうし、これからも力を合わせて頑張ってくれ。」
「「はい。」」
「他のみんなもだ。今回は那珂たち三人に指導する役回りを任せたけれど、これから人が増えればそれだけ全体的な見直しも必要になる。その時々には今回の那珂たちと同じようなことや全く新しい役を他の人に任せることもある。なるべく人員……っと。らしい言い方なら艦隊運用と言ったところかな。全体的な艦隊運用を考えて、全員がモチベーションを保てる職場づくりをしたいと考えている。そのためには君たちの力を貸してほしい。どうか、よろしくお願いします。」
提督は深くお辞儀をして艦娘たちそして三人の教師に頭を下げた。全員の視線が提督に集まり、そしてそれぞれが彼に言葉を優しく差し向ける。
「提督ってば真面目~。ま~でも、他人事じゃないしね。あたしたちの職場だもの。あたしたちが決めていいなら願ったり叶ったりだよ。提督が望む鎮守府作り、あたしたちに是非手伝わせてよ。ね、みんな?」
那珂が四方に視線を向けると、川内を始めとして阿賀奈や五十鈴ら、五月雨や不知火ら駆逐艦勢と教師たちも頷いて同意を示した。
提督は自身の力が足りないことを重々承知していた。それを今更ごまかすつもりはなく、正直に目の前の艦娘たちに正直に打ち明けた。
提督の少々の至らなさを誰よりもわかっていた那珂も責めるつもりはなく、逆にそんな馬鹿正直な提督の力を補えることこそが至上の喜びと言える感情を抱いていたので、提督の正直な言葉は那珂の胸の奥までビシビシと突き刺さって感情を揺り動かす。
((この馬鹿みたいにまっすぐな男性(ひと)を、一番に支えてあげたい。))
ただ一つだけ、影を落として那珂はまっすぐ視線を提督に向けた。自分勝手に思うだけではいけないと努めているため、それを忘れないためだ。
提督は頭を上げた後、なんとなしに那珂に目を最初に向ける。視線が絡み合う。那珂の思いなぞわかっていない提督は、真面目くさった表情からようやく綻ばせて苦味を一割ほど伴った微笑みを湛えた。
その傍から見れば単に情けないおっさんの笑い顔とも取られかねない、その熱い胸間の表情に、密かにグッと来ていたのは那珂だけではないが、那珂はそれには気づかなかった。
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全員参加の打ち合わせの後、那珂・神通・時雨・五月雨そして明石が会議室に残された。提督はこの5人に今後の予定を伝えた。
「チェックシートと訓練の内容の件はありがとう。これで対外的に知られても恥ずかしくない水準のものが出来たと思っている。あとはこの訓練や教育方針をどれだけ遂行できるかにかかっている。那珂は二人と一緒に引き続き訓練の指導役に努めてもらいたい。いいね?」
「はーい。」
「「はい。わかりました。」」
那珂の軽い返事に続いて真面目な質の声が二つ提督に向かっていった。
「それからうちの会社にシステム開発を発注するので、五月雨と明石さんにはその折衝、つまりうちの鎮守府の顔としてうちの会社の営業や開発メンバーとの交渉役に当たってもらいたい。いいかな?」
「はい、頑張ります!」
「了解しました。ところで提督はどちらの立場で臨むのですか?」
明石の質問に提督は数秒の沈黙のあと答えた。
「鎮守府の管理者として。つまり対策局側としてだよ。前に自社に戻って上司に今回の事を相談したらさ、客側の立場に専念して接しろ、会社側としてはかかわるなって叱られてしまったよ。」
「アハハ。提督も大変だねぇ~。平社員?」
茶化しの魂が疼いた那珂が軽口を叩いて同情と質問を湧き上がらせる。
「うるせー。一応サブリーダーっていう役職だよ。……まぁ似た経験は、客先に出ていれば一応できるけど、完全に客の立場として、しかも最高責任者の立場になって、自社の人間に向かって立つことになるレベルのものは普通に仕事してたってそうそうあるもんじゃないからな。良い経験になるわ……はぁ。」
提督は那珂に応対しつつも、本気で大きな溜息をつく。艦娘たちはそれぞれ心配を口にし、提督を励ますのだった。
「まぁということで、後日うちの会社から営業担当と開発担当のSEが来る。その前にうちとしては例のイベントに参加するから、ちょっとみんな作業とか忙しくなるだろうけど、よろしく頼むよ。」
「「はい。」」全員返事をする。
「特に五月雨は訓練にも参加してもらいつつの日々の秘書艦業務もやりつつのシステム開発プロジェクトのうちの顔としても振る舞ってもらうから、もし辛かったら妙高さんにいくつかは作業振ってもいいからな?」
「はい。ご迷惑おかけしますけど、私なんとか頑張ってみます。」
「うん、落ち着いてな。無理はしないで。」
提督は念入りに五月雨に気をかける。その様は年の離れた妹か娘への接し方に見て取れた。那珂はそんな五月雨に対してすぐさま自分なりのフォローをした。
「そーだよ五月雨ちゃん。難しそうなのはあたしに任せてくれてもいいよぉ~。あたしはまだまだキャパよゆーだから。」
「アハハ……はい、ありがとうございます。」
五月雨は以前那珂が秘書艦の仕事や役割に就く気はないという意思表示をしていたのを知っていたため、今この時の心変わりにも感じられる掛け声に苦笑いしか返せなかった。もちろん、那珂もその自分の方針は忘れてはいなかったが、五月雨のことは本気で心配だったために少し譲歩したのだった。
とはいえ互いにあまり深く考えずに捉えた。五月雨は素直に頼りたく、那珂は素直に五月雨を可愛がりたかったからだ。
提督は二人の気の掛け合いを見て素直に受け入れた。
「それじゃあ那珂は余裕があったら、後日五月雨と明石さんと一緒にうちの会社の人間との打ち合わせに顔を出してくれ。最初はただの顔合わせみたいなもんだから構えず気楽でいいぞ。」
「はーい。」
その後システム開発の話の余談やそれ以外の今後のスケジュールを話し合い、打ち合わせは終いになった。
那珂は後日、夏休みも終了間近になった日に提督の会社の人間と顔合わせをすることになる。
自分の役割と提督からの期待、そして広がる鎮守府の運用。那珂はいずれにも自分が影響を与えられているかもと自分の境遇に少々酔いしれていた。
想いの面では提督の気持ちを尊重したい。そのため恋愛感情はなるべく持たないように言い聞かせる。未だ気づいていないと思われる後輩を応援するのだ。
だから自分が提督を想うのは、純粋に彼の(国の)仕事の役に立ちたい、一番に影響を与えられる存在でありたいと願う純粋な労の面だ。そうでなければ、純粋に仕事の面で期待をかけてくれていると思われる提督に申し訳が立たないからだ。
那珂の想いはまっすぐに突き進んでいるように思えたが、実際は左右にフラフラヨタヨタとおぼつかない歩みでもって進んでいた。
それは想い人から答えを得られないがゆえの靄が原因だったが、那珂・提督の両者ともそれを明確に解決するタイミングを逃していた。
同調率99%の少女(21) - 鎮守府Aの物語
なお、本作にはオリジナルの挿絵がついています。
小説ということで普段の私の絵とは描き方を変えているため、見づらいかもしれませんがご了承ください。
ここまでの世界観・人物紹介、一括して読みたい方はぜひ 下記のサイトもご参照いただけると幸いです。
世界観・要素の設定は下記にて整理中です。
https://docs.google.com/document/d/1t1XwCFn2ZtX866QEkNf8pnGUv3mikq3lZUEuursWya8/edit?usp=sharing
人物・関係設定はこちらです。
https://docs.google.com/document/d/1xKAM1XekY5DYSROdNw8yD9n45aUuvTgFZ2x-hV_n4bo/edit?usp=sharing
挿絵原画。
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=67763644
鎮守府Aの舞台設定図はこちら。
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=53702745
Googleドキュメント版はこちら。
https://docs.google.com/document/d/1bTdrRY-_6H4e-LpLhtutBaN37yVJzC3fSzFYoyKQNWE/edit?usp=sharing
好きな形式でダウンロードしていただけます。(すべての挿絵付きです。)