クリスマスプレゼントは雑木林に置いておく

取り返しのつかないことでも、考え方によって楽になることもあるのかもしれません。

 僕が始めてまともな恋愛を体験したのは、中学二年生になってからのことだった。
 僕としては恋人同士になったつもりだったのだが、実際のところ相手がどう思っていたのかは、今では知る由もない。それに思い返せば、僕らが密に交流していたのはわずか半年ほどのことだった。
 これから語ることはもうかなり昔のことであるが、今でも心のどこかで煙を上げて、僕の胸を焦がしている。

 僕の初恋の相手の名前はミズキという。彼女は表では快活な振りをしていたが、腹には暗さを抱えているタイプだった。誰より気遣い上手で「本当の気遣いとは相手に気取られない種類のものだ」と僕に教えてくれた人物である。
 見た目はそれなりだが、笑顔だけはとびきり可愛い。そんな子だった。

 ミズキと出会ったのは、たしか晴れ晴れとした日が少なくなり、ぽつぽつとした雨の季節が始まった頃だったと思う。
 ある休日、僕が意味もなく市街を徘徊していた時、偶然にも小学校の頃の同級生に会った。彼女は私立の中学校に進学したので幾分久しぶりだったが、以前と変わらない様子だったのでつい話しかけてしまったのだ。そのとき、僕の同級生と一緒にショッピング街を見て回っていたのがミズキだった。
 その時に何を話したのか詳しくは覚えていないのだが、僕らの会話は意外に盛り上がり、互いに連絡先を交換しあった。それが始まりだった。

 当時、僕もミズキも携帯電話を持っていなかったので僕らの通信はパソコンを介したものだった。
 はじめは一日に一回メールを行き来させる程度の間柄だったのだが、いつのまにか部活が終わってから夜寝るまで、特に用事のない日はずっとチャットのように話をする仲になっていた。話の内容は、勉強のことから趣味嗜好のことまで様々だったが、くだらないことを真面目に考えて話し合うというのが僕らのお気に入りだった。
 例えば、僕が「今日水星のことを学校で習ったんだけど、もし水星人がいたら何食っていると思う?」と聞くと、ミズキは「イメージ的に考えたらゼリーみたいなぷるぷるしたものばっかり食べて、それだけで生きていそう。でも調べてみたら水星には水がないから、そんな水星人は故郷で生きられないね」といった感じで、どちらかが適当なお題を出して自分の感性で答える。そのあと実際的に考察してみたり、ファンタジーにのめり込んだり、雰囲気に任せて自由だった。
 ミズキが答えることはいつも僕の頭の中にないことだったのだが、不思議としっくり納得できることが多くて、とても楽しく、僕はこの時間が大好きだった。

 家に帰ったらパソコンを起動し、ミズキと会話をする。そんなバーチャルな関係が一ヶ月か二ヶ月くらいは続いたと思う。
 あるとき、突然例の同級生から連絡が来て、ミズキと僕と三人で遊ぶことになった。その頃には僕はもうミズキのことがほとんど好きになっていたので、会えると思うと嬉しかったのを覚えている。
 メールをもらった次の週の日曜日、僕らはショッピング街の洋食屋で再会した。
 緊張していたのか時間はあっという間に過ぎてしまい、気付いた時には別れの時間になっていた。あんなに沢山のことを話し合って来たのに、直接会うことはなかったので距離の取り方に苦労した記憶がいまも残っている。

 こんな風に友人の取り計らいもあってか、僕らはだんだんと休日に二人で出かけるようになった。
 これまでに僕はデートした経験などなかったので、とりあえず映画館に行ってみたり、公園に行ってみたり、てんやわんやだった。助かったことに、彼女は僕と直接会って話せるだけで嬉しかったらしい。なので、どこに行くのかということにはあまり頓着していないように見えた。

 そして、そんな関係が何ヶ月も続いた。
 と言っても、実際には何回目かのデートで彼女が僕の手を握ってきたし、さらにその何回か後の時には初めてキスをした。でも僕らの関係は「そんな関係」と言うしかなく、お互いの気持ちを交換して恋人という何かになっている訳ではなかった。
 僕は、いまさら恋人関係を確認し合う作業なんてしなくても良いと思っていたのだが、あるとき姉に聞いてみたら、そんなことはありえないと非難されてしまった。僕はショックを受けた。さらに、告白し合っていないのなら、恋人だと思っているのは僕だけなのかもしれないと言われた。なんとも珍妙な気分だった。
 その頃は11月末、ちょうどクリスマスが近づいていたので、僕はクリスマスに告白しようと決めた。覚えたてのネット検索術を駆使して、ミズキが気に入りそうなアクセサリーを探した。街を駆けずり回って、やっと納得のいくネックレスを手に入れた。もう12月になっていた。

 男としての無責任さを姉に非難されてからもミズキとは何度か遊んでいた。
 はじめの頃はなんだか不安な気持ちでいっぱいだったが、彼女から手を繋いでくるたび、彼女からキスをしてくるたび、僕の告白はきっとうまく行くと自信がついていった。
 何度か、もういま告白してしまっていいんじゃないか?という気持ちになったのだが、僕の頭の頑なな部分が邪魔をして、クリスマスまでは言わないと固く決意してしまった。

 ミズキとのクリスマス前、最期のデート。二人で、二人だけのクリスマス会をする約束をした。日にちは12月26日。僕の部活の試合の次の日だった。待ち合わせは12時、最寄りの駅から20分ほど電車に乗った少し都会の駅で。合流したあと何処かへお昼を食べに行く予定だった。

 恥ずかしい話かもしれないが、この頃の僕は中学生的自己陶酔感を抱えていた。周りの人たちとは違って自分には恋人のような人がいる。女の子の手の柔らかさを知っている。女の子の唇の味を知っている。友人にミズキの話をしたことはなかったが、心の中にそんな優越感を持っていた。
 彼女とキスをする度に、僕はミズキと一体になったように感じていた。僕がミズキに、ミズキが僕に引かれているような気がして心地よかった。自分ではない誰かと一体になる感覚。陶酔感。僕はきっと健全な中学生だったのだ。

 デート当日、僕は30分も前に待ち合わせ場所についてしまった。緊張していた。何度も駅の時計を確認した。だが、30分待っても彼女は現れなかった。とても珍しいことだった。彼女は時間には厳格な方だったから。
 待ち合わせ時間を30分すぎても彼女はこなかった。僕たちのつながりはパソコンだけで、連絡したくても連絡できなかった。パソコンを見てみたくても、家までは遠すぎた。口が乾いていった。
 そして、1時間待っても2時間待っても彼女はこなかった。僕は諦め始めていた。だが、希望を捨てきれず彼女を待っていた。彼女が遅れているのだとしたらどんな理由なのか。彼女がこないとしたらどんな理由なのか。僕は必死で頭を働かせていた。
 3時になっても彼女はこなかった。僕の体は冷え切っていたし、もう自動販売機にあるあたたかい飲み物はほとんど飲んでしまっていた。僕は惨めだった。
 その頃には僕は確信していた。きっと振られたのだ。ミズキを待たせて、待たせて、待たせた結果、その報いとして今度は僕が待たされているんだ、と。
 手に持っていたプレゼントの紙袋を握りしめた。こんなに何かを待ったのは人生で初めてだ。
 僕は陽が落ちるまで彼女を待つことにした。
 でも陽が落ちても、あたりが真っ暗になっても彼女がそこに来ることはなかった。

 帰ると決めてからは必死だった。命を燃やし尽くすほど急いで家に帰った。帰路の中で、パソコンの電源を入れて、メールをチェックする動作を何度もシュミレーションした。もう何時間も頭の中がぐるぐるしていて周りの景色なんて目に入っていなかった。
 僕はパソコンのメールソフトを起動して、何度も受信を確認した。だが、受信ボックスには何のメールも来ていなかった。訳が分からなかったが、やっぱり僕は失恋したのだと思ってベッドに入り、涙を流した。
 次の日、もうそれ以上待つのは嫌だったがメールを送ってみることにした。確か文面はこんな感じだ。
 『昨日はどうしたかな。駅前広場の近くのベンチで待っていたんだけど、会えなかったね』
 悩みに悩んだ末の文面だった。もう返信はないだろうと思いながらも、何度も何度も受信ボックスを確認した。気が狂いそうになるほど確認した。だが、メールはこなかった。

 さらに次の日、12月28日。彼女のメールアドレスから僕にメールが来た。だが、メールを出したのは彼女の妹で、とても丁寧な文章だった。妹の名前は柚香だったと思う。
 メールの内容は確かこんな感じだった。
『初めまして、私はミズキの妹の柚香と申します。姉のパソコンを調べたら、メールが来ていたので見てしまいました。これまでのやりとりも見てしまいました。ごめんなさい。
 とても伝えにくいことなのですが、25日の夜、姉は自動車事故に巻き込まれて病院に運び込まれました。そのあと、26日の朝まで生死を彷徨い、お昼頃に息を引き取りました。
 突然のことで家族もまだ整理が付いていない状態なのですが、姉が最近よくパソコンにかじりついていたのを思い出して、起動してみたのです。そしたらあなたとのやりとりが残っていました。あなたは姉の恋人ですか?もしそうなら是非ご連絡ください』

 メールを見てからはあっという間だった。僕は書いてあった番号に電話し、事の顛末を聞き、制服を来て、彼女の家に初めて向かった。親御さんも妹さんも、彼女に親しい男友達がいることなど知らなかったらしく、僕とのメールのことを知ったときには大層驚いたらしかった。彼女の両親も妹も、表面上はとても暖かく僕を迎えてくれたが、本人不在のままでどう対応していいのかわからない様子だった。僕の方も、ミズキがいないままで彼女の家族に会っている自分がなんだか奇妙であり、所在のなさも加わって頭がおかしくなりそうだった。
 数時間の滞在のあと、家に帰ってから、僕はまずもらってきた塩の小袋を開けて、舐めた。しょっぱかった。そして次に顔を洗った。多分三度か四度洗った。まだ混乱していた。
 そして、いつものようにパソコンの前に座り、メールソフトを起動した。だが、いつもと違ってミズキからのメールは来ていなかった。

 次の日、僕は朝早く例の待ち合わせ場所に向かった。
 数日前と同じ場所に立って、彼女を待ってみた。
 不思議と僕は落ち着いていた。少し立ち尽くして、安心している自分を見つけた。僕は失恋などしていなかったのだ。何もなければ、僕たちはここで会って、恋人同士になっていたのだ。そう思うと、僕の心は震えた。
 だが同時に、どこかからピシっと音がして、世界が無機質になったように感じた。これまで見えていた世界が全部ハリボテで、誰かの合図と共に真の世界が姿を現したような、そんな感覚を抱いた。
 世界が変貌を遂げる音を聞いているうちに、僕の目は眩んで立てなくなってしまった。やっとの思いでベンチに座って、一呼吸、二呼吸。何度も深く息をした。
 そしてあの不快な音が聞こえなくなっていることを確認した後、血相を変えてそこから飛び出した。怯えるように電車に乗り、家に帰って布団にくるまった。全く未知の世界に飛び出してしまったようで、僕は怖かった。

 しばらくして、またメールの受信ボックスを開いた。柚香ちゃんからメールが来ていた。ミズキが僕に渡そうとしていたと思われるものが見つかったので、家に来て欲しいとのことだった。僕はゆっくりと彼女の家に向かった。
 親御さんたちは出かけていたようで、家には柚香ちゃんだけだった。彼女から紙袋を受け取ると、お互いに何も言わずに、目を合わせていた。僕ははっとして目をそらすと、申し訳なさそうな顔を作って「ありがとうね」と言った。
 柚香ちゃんの家から少し歩いたあと、手頃な公園が見つかったのでそこでプレゼントの箱を開けた。ネックレスが入っていた。考えることは同じか、と笑ってしまっていた。僕にはまだ彼女がいなくなった実感がなかった。何日も会えないことなんて、僕たちにとっては珍しいことではないのだから。
 僕は家に帰って、また受信ボックスを確認した。

 何日か過ぎて、新しい年が来た。Happy New Year!
 僕はいつも通りだったように見えたと思う。姉と一緒に初売りに行って、雑煮を食べて、黒豆食べ競争をした。去年までと同じだ。家族と過ごした。
 そして1月3日、僕はやることがなくなって市街をほっつき歩いた。意味なく歩いていた。そのはずなのに、気付いたらショッピングセンターに寄ってしまっていた。脳を介さずに脚が動き、いつもの雑貨屋に入ってしまった。そして、ミズキが好きそうな水色のブローチを見つけてしまった。
 気付くのが遅かった。いつのまにか僕は涙を流していた。
 脳が激しく命令を送り、走って店を出た。走って走った。人と目を合わせないようにして走った。息が続かなくて死にそうだった。
 見慣れた建物が目に入ってきた。僕の家だ。誰もいなかった。
 僕の顔はぐしゃぐしゃだった。涙が出てきて止まらなかった。そしてパソコンのメールを確認せずに布団に入った。初めて味合う気分だった。何かが喉につかえて咳き込んだ。自分の胃液だった。僕は泣きながら、吐き出したくないものを全部外に出した。

 何時間か経った後、僕の世界は変わっていた。自分が鉱物か金属で出来ているような感覚だった。何故いつもと同じように腕や足を動かせるのか不思議だった。
 外に出て、人を見た。彼らもまた無機物で出来ているようだった。何か不思議なエネルギーに操られて、どこかへ向かっていた。まじまじと顔を見つめる僕をみて、ある人が不快な顔をした。そうか。きっとおかしいのは僕の方なんだ。そう思ってまた家に入った。
 そのあと何日か、ぼーっとしているとふと涙が流れてきて、悲しみを感じた。でも何で自分は悲しいのか判然としなかった。彼女が待ち合わせにこなかったからなのか、彼女ともう会えないからなのか、あとになってプレゼントを贈ってきたからなのか。それとも自分がおかしくなってしまったからなのか、世界が無機質になってしまったからなのか。何にもわからないまま、僕は、ただ泣いた。

 1月が終わって2月になる頃、僕は新しい世界で生きることに慣れ始めていた。自分が無機物になって、無機の世界に生きているという確信があったが、それを気取らせるような振る舞いは決してしなかった。むしろ、世界は有機的に出来ていて、生気みたいなエネルギーに満ちていると信じているような、そんな風に生活した。みんなに僕がすこし元気になったと言われるようになった。前よりも人に優しく出来るようになって、みんな良くしてくれた。でもそれは全部作り物だった。僕は完全に心を閉ざし、数年後、オリオン座好きの女の子に会うまで心を開くことはなかった。

 ある朝、僕は二人のクリスマスプレゼントを持って駅に向かった。心は多分落ち着いていた。
 電車に乗って、例の駅を通り過ぎて、確か二回くらい乗り換えをした。そして、初めて名前を聞く駅で降りた。
 ひとけの少なそうな方へと進んでいき、坂を登り、林のようなところに出た。古びた公園のようなところだったと思う。
 僕はクリスマスプレゼントを掴み、公園の端の雑木林に投げ込んだ。これまでにない力で。
 どこに落ちたかも確かめないまま、振り返り、まっすぐ駅に帰った。そしていつのまにか家に帰っていた。
 僕の恋はこのとき終わった。

 僕はいまでもその駅がなんという駅だったのか思い出せない。そればかりか、初恋の女の子に告白するために何日もかけて用意したネックレスのデザインや、初恋の女の子がくれた最後のプレゼントの形すら忘れてしまった。中学を卒業した時にメールを全て消してしまったので、本当にこんなことがあったのかすら、僕の中で怪しくなっている。
 何年か経って、思い出の品物を探しに行ったこともあるのだが、記憶が抜け落ちてしまって、どうにもできなかった。だから僕は置いておくことにしたのだ。公園に行った時は放り投げて捨ててしまってもいいような気分だったのだが、いまは違う。僕たちの記憶はあの雑木林でまだ生きている。
 実際にいまでもそこにあるのか、本当にこんなことがあったのか、それは確かではないが、それはもう考えても仕方がない。僕は、僕らのクリスマスプレゼントを雑木林に置いておくことにした。

クリスマスプレゼントは雑木林に置いておく

クリスマスプレゼントは雑木林に置いておく

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-16

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