お人形さんごっこ
茸短編小説です。PDF縦書きでお読みください。
八十を越えた今、不思議と小さい頃のことよく思い出す。記憶が脳のどのような仕組みなのか私はいっこうに知らないが、七十年もの前のことをよく脳の中にしまっておけるものである。
私は小学校にあがる前、秋田の山奥の小さな村で育った。おじいちゃんとおばあちゃんに育てられたのである。父親が飛行機事故で若くして死に、母親はかなりうれっこのデザイナーで自分の事務所を東京にかまえ、ヨーローッパを中心に飛び回っていた。そういうこともあり、母親の実家にあずけられたのである。
母親の実家は医者の家で、祖父が内科を開業し、祖母は看護婦であった。祖父は村の人たちに頼られる存在で、内科と銘打ってあったが、何でも屋である。目もみれば耳も見る。産婆が忙しい時には産婆にもなった。母はそこの一人娘である。
そういう家であったので、私は特に不自由な暮しをしたわけではなく、祖父も祖母も優しいし、平凡な幸せの日々であったわけである。
ただ、遊ぶ相手がいなかった。
近くの家にその頃の私と同じくらいの年齢の子供がいなかった。お手伝いさんが時に相手をしてくれたが、お手伝いさんも医師と看護婦すなわち、祖父母の用事を言い付かることが多く、私といる時間をそんなにとれるわけではなかった。
そのようなことで、私は飼われていた猫と遊ぶことが多かった。祖父の家には三匹の三毛猫がいた。代々三毛猫を飼っていたという。おばあちゃん猫の玉、その娘の小春、その娘すなわち玉の孫の蛍がいた。玉の母猫は空といって、私は会ったことはない。私が意識するようになって始めて会ったのが玉である。三毛猫たちから産まれた子供は皆もらわれていった。ということになっていたが、祖父が医師であることから安楽死させていた可能性はある。
ともかくいつも猫がいて、なでたり話しかけたりしていた。
夏の終わり、その日はちょっと蒸し暑い日であった。猫と遊ぼうと思って探していると、三匹そろって家を出るところであった。庭に出た三匹は裏山に向かって歩いていった。
私も急いで下駄を履くと、猫の後を追った。
裏山も祖父のものであったが、とても手入れが行き届いており、下草はきれいに刈られ、中に踏み込むとすーっと涼しい空気が私の周りを包んだ。その日の蒸し暑さを忘れさせてくれる。もっと早くくればよかったと思ったことを覚えている。もしかすると、一人で入ってはいけませんよと言われていたのかもしれない。
猫は三匹が一列になって、林の中の斜面を登っていった。林の中には少しばかり広々とした明るい場所があった。木が切り出されており、切り株が転々とあった。ここも下草が刈られていて、きれいなところだった。
猫たちがその広場に入っていくところが見えた。
広場にはきれいな茸が生えている。名前など分かりはしないが、赤色、黄色、白、茶色、面白い形をした茸を見ることができた。
私がいくと、三匹の猫は大きな切り株の上で丸まっていた。その切り株は三匹の猫が乗っていても、まだ広い余裕のあるとても大きなものであった。きっと、何百年、何千年も生きていた大きな杉の木であったのであろう。
猫は涼しくて気持ちの良いこの場所を知っていたのである。時々家にいないことがあったが、ここに来ていたのに違いない。
私も腰掛けて猫の頭をなでたり、尾っぽにさわったり、猫たちの気を引こうとしたのだが、猫たちはぐっすりと寝いっていて、家にいるときのように、見上げたり、こすりついたりしてくれなかった。むしろ、尾っぽをパタンパタンさせて、私の手を振り払った。
つまらなくなった私は一人でお人形さんごっこを始めたのである。
いろいろな葉っぱを拾ってきて、三匹の猫が丸まって寝ている脇に並べた。葉っぱが赤ちゃんをくるむ着物のつもりになっていた。さて、なにを赤ちゃんに見立てようか、私はあたりを見渡した。羊歯や名もわからない草が生えているが、とても赤ちゃんには見えない。周りに細い茸がたくさん生えている。茸は赤ちゃん的だがこの茸はむかない。ふと目を遠くにやると、杉の木の根本に白っぽいものが見えた。そばに寄ってみると、白い茸の頭が吹きたまった落ち葉の中から顔を出している。私は葉っぱをどかしてみた。その茸は真っ白なキユーピーさんのようなつるんとした頭をしていて、ふっくらした幹は胴体のようであった。
私は喜んで白い茸をそうっと摘みとった。
手の平に乗ったその白い茸は見れば見るほど赤ちゃんに似てきた。
切り株の上に並べた葉っぱの上に白い茸を横たえると、茸の柄を包んだ。赤ちゃんに着物を着せたつもりになったのである。
「はい、ねんねしなさい」
と言って、私は葉っぱでくるんだ茸をさすったり、持ち上げて揺らしたりしたのである。
しばらく茸人形に話しかけたり、抱きあげたりして遊んでいたのだと思う。葉っぱに包んだ茸を切り株の上におろし、「さーしばらくお昼寝よ」と言って、手を離したとき、いきなり、三匹の猫が目を覚ました。猫たちは立ち上がると、いっせいに毛を逆立てて、白い茸にうーっと唸ったのである。
私は赤ちゃんが噛まれては大変と思い、
「いじめちゃだめ、家に帰りなさい」と猫を切り株から追い出した記憶がある。
猫たちは助かったといった様子で一目散に家に戻っていった。
そのとき、私は子供だったこともあり、猫のおかしな様子に気がつかなかった。
白い茸を寝かしつけて、切り株から降りると、周りを歩いてみた。ちょっとはずれるといろいろな茸があった。茶碗のような茸をとり、切り株に戻ると、それを並べた。落ちていた松の葉を箸に見立てて、小さなドングリと松ぼっくりをそれに乗せて、おやつよと、白い茸に声をかけた。
しばらく遊ぶと、白い茸を葉っぱでくるんで、生えていた木の下にもどし、おとなしくお寝んねしていなさいと言って家に戻った。
明くる日も広場にいき、不思議とそのままであった白い茸を拾って、また、切り株の上で白い茸にいろいろな葉っぱを着せ、お人形さんごっこをした。
このように、毎日のように裏山でお人形さんごっこに熱を上げていたのである。
なぜか、家に帰ると、必ず三匹の猫が私の周りによってきて、私の着ている物に鼻をつけふすふすと匂いを嗅いだ。
そんなある日、いつものように裏山に行き、広場に入ると、おばあちゃん猫の玉が白い茸を齧っているところだった。
「あ、玉、だめだめ」
私が白い茸をとり返そうと近づくと、玉はきょろっと大きな目をむけて、白い茸を咥えて逃げてしまった。
「あーあ」とがっかりしていると、白い茸のあったところに、また白い茸が生えていた。
私はその白い茸をとって人形遊びをはじめた。
その日、家に帰ると、祖母が私の顔を見て、言いにくそうな目をして、哀しそうに言った。
「玉ちゃん死んじゃったのよ」
私はびっくりした。その頃の私は死ということを必ずしも理解していなかった。猫はいつまでも私のそばにいるものと思っていた。
居間にいくと、座布団の上に死んだ玉が横たわり、手ぬぐいがかけられていた。
「もう、いい年だったからね」
祖母は手ぬぐいをとって見せてくれた。玉は手足をダラーンとさせて、ぐた―っと寝ていた。
これが死というものなのだと子どもながらに感じたのだが、なぜか悲しくならなかった。これが私の性格なのである。
ふっと、玉が白い茸を食べていたことが頭の中をよぎったが、そのことは言わなかった。
玉の死んだ明くる日も裏山に行った。
すると、今度は小春が杉の木の根元から顔を出している白い茸を齧っていた。
「だーめ」私は小春を追い払おうと思って走っていくと、玉と同じように、かぶりついて、ちぎってもって行ってしまった。
しかし、私が見ている間に、白い茸はその場にすぐに生えてきた。私にとって、白い茸があればそれでよかったのである。白い茸をお人形さんに見立てて、遊んでいると、小春のことは全く忘れてしまっていた。
小春はそのことがあって以来、家には戻ってこなかった。
祖母は玉が逝ってしまったので悲しくなって家出したのだろうと言っていた。
しかし、私は薄々感じていた。この茸は食べてはいけないものなのだ。
次の日、家を出て裏山に行こうとすると、おとなしい蛍が私の上着を咥えて引っ張った。
「なにするの、蛍」と蛍をしかったような記憶がある。蛍はしばらく咥えていたがあきらめたかのように口から放した。
ところが、私が林の中に入っていつもの所に行き着くと、蛍がすでに白い茸を食べていた。食べてしまうと、また、白い茸が生えてきた。蛍はそれも食べた。私は呆然とみていたが、やっと「だめ」と蛍を追い払った。蛍は白い茸をだいぶ食べたようで、お腹が重そうに膨らんでいた。蛍はよたよたと、家にもどっていった。
その日、家に戻ると、やはり蛍も死んでいた。
「立て続けに、三毛猫がいなくなっちまった、どうしたことだろう、災いがなければよいが」
祖母は悲しそうに呟(つぶや)いた。
三匹の三毛猫がいなくなってしばらくしてからであった。私のお人形さん遊びはますます楽しくなってきた。黄色や赤色の枯れ葉が混じるようになり、白い茸に色とりどりの着物を着せることができたからだ。
秋も深まったその日は、秋なのに五月のような青空で晴れ上がり、温かく、気持ちの良い風がそよいでいた。
赤や黄色や茶色の葉っぱを重ね、敷き詰めた切り株の上に白い茸を横たえて、拾った山栗で栗ご飯を作るまねごとをしていたときである。
真っ白な茸が、次第に黒っぽくなって、傘の部分に角が生え大きな口ができて赤い目で私を見た。
と思ったら、あっというまに、それが真っ黒な猫に変わったのである。切り株の上には、大人の黒い猫が横たわり、黄色い目で私を見ていた。
そうっと、頭をなでてみると、にゃああと私を見ながら低音で鳴いた。
喉のごろごろとなるのが聞こえてきた。
白い茸がなくなってしまった私は、杉の木の根元の生えていたところにいってみた。しかし、もう白い茸は生えてこなかった。しばらくの間、見ていたが、茸が出てくる様子はなかった。
黒い猫は私の脇にいた。私にこすりついてくると見上げた。
私は人形遊びができなくなったこともあったので、猫を連れてそのまま家に帰った。黒い猫が私についてくると、祖母は喜んで黒い猫を抱き上げて頬すりをした。
「慣れているね、かわいい猫だね、きっと、三毛猫たちがいなくなったので、天がくれたんだよ、飼ってやろうね」
祖母はその当時貴重だったミルクを皿に入れて猫に与えた。
黒い猫はお行儀よく、ミルクをペチャペチャなめた。
「この猫はお利口だよ」
祖母は黒猫が気に入ったようだった。
それから黒猫は私の陰のようにいつも私についてきた。
白い茸が黒猫に変わっていくときのあの顔が、ここにいる私を作り出したのだろう。今になってよくわかる。
八十歳の誕生日を過ぎて今日で三日目、何年も執行されなかった私の死刑が明後日に行われる。
私は三人の亭主と、その家族を巧妙に毒殺した。祖父の山の中で、あの白い茸を再び見つけ、それを使ったのである。
最初の結婚は大成功で、やり手の主人は一代で小さな国の年間予算ほどもの資産を作り出した。それでも、私はその主人を毒殺した。そうしたくなったのである。お金が欲しいわけではなかった。私にとり付いたあの黒猫の中にいるものがそうさせた。そのあとも、工夫を凝らしてまわりの人間を殺してきた。黒猫はとても喜んだ。
二人目の亭主は大きな病院の院長だった。三人目は参議院議員である。
黒猫は昨日も私の独房に入ってきた。どこらかともなく現れて、こう言ったのである。
「おまえさんが、絞首刑になるのを見るのが楽しみなんだ、最後の仕上げさ」
なぜ私の毒殺が世間にわかったのか。絶対にわかるはずのないものが知られたのは、この黒猫の証言だった。この黒猫は最後の夫の母親に化けて、私が毒を入れたのをみたと警察に言ったのである。最初はなんだかわからなかったが、あるはずがない白い茸を干したものが私のドレッサーの中にあった、と訴えたのである。この黒猫は主人の母を亡き者にし、化けているのである。
夜になるとこうして、私の元にやってくると、
「おまえが死ぬのを私一人ではやく見たいのだ」
そう言って、白い茸を食べるように差し出すのである。
しかし、私は食べない。死刑になるつもりである。
そう言うと、黒猫はこう答えるのである。
「おまえが首をくくられるのを見るのだっていいさ」
黒猫は最後の主人の母親の姿に変わって私の前に立つのである。
ニタニタと笑って。
こうやって、私の人生が作られてきたのである。
「茸人形」所収 2018年発行予定 33部限定 一粒書房
お人形さんごっこ