辺り一面に人がいる。
その数分の心を探すことを無理にしようとしない方が良いという決断を下すのに生涯をかけてきた様な気がするのだ。
父と母、そして弟。
私の家族分の心を探すのにも苦労した。
はたまた、自分の心を探すのにも苦労しているのだからと他者と私の間に心いう物質的な距離感を訴えてはみるが、どうも、証明することは難しいようだ。



不思議だと一言で表してしまうには忍びないほど、私という主観に踊らされるのだ。
世間という客観的な事実において、そこに主観を収めるという苦痛にも慣れが生まれるのだと遠回しに慣れにさえ気づいてないであろう大人が力説する現実というものに、甚だしいほどの嫌気がさす。
学歴という生きていくときの線路を走ることのみが成功への道であると仮定された今を否定するために足掻いて傷ついた私みたいなものは、ただの馬鹿者だと嘲笑われているかのように心が軋む。
その音を聞けるのは、自然の法則により私だけなのだ。その特別感に酔えるほど馬鹿にもなりきれないようだ。
世間で馬鹿者であろうと、脳はしっかりしていて、世間にどう思われているのか認識してしまう愚かな自分にまた嫌気がさすのだ。
何もないのだと見せびらかすことは、論理的に無理だ。
ない事を証明するのは難しい。
あるものをないように見せる馬鹿が私には一番賢く思えて仕方なかった。
悲しくないのに泣ける、楽しくないのに笑えるその惨めささえも愛している人間らしい人間が怖いように思えた。
生きる為に生きることを苦とせず働く働き者に尊敬の念を覚えると同時に、耐えようのない悲しみに襲われるのだ。
意味という儚いものに頼りながら生きてきた私にとって無意味さえ愛し、そこに意味を見え出せる人間らしい人間に勝てるものはなかった。
生きることに執着しているその一点において、私は敗北したのだ。
生きることを苦としない人間に誇りを持てるほど、私は人間に愛を覚える暇もなかったのだ何とも言えない肯定にまた、虚しさを感じるだけのことであった。
普通を装って普通に溺れて死んでゆくそこに、どんな普通を訴えようかと悩みながら私は生きるという最大の難問に答えを見つけられずにいたのだ。
楽しいから生きるのか、問いたいのだ。そのようなことに想いを馳せている私が可笑しいのだろうかと。
変わった感性という邪魔なものの中でしか生きていけない私は世間でも邪魔であることは間違いなく、忌み嫌われる存在であることも間違いないのだ。
そのせいなのか、それは分からないが、いつもどこかに孤独という言葉が見え隠れてしているような気がしてならないのだ。

幸福へのよくが一気になくなる。
食欲とも無縁になり、睡眠欲だけがわたしを安定させる。
生きるのいうことが恐怖へとすり替わったいま、現実から逃れれる術は眠ることだけなのだ。
他者と比較される事もなく、また凡ゆる柵から逃れられるのだから。
凡ゆる事を忘れてしまいたいという感情に遠くはなく、またもっと近くを言えば、私というこの固定された恐怖を生み出す醜い生き物を忘れたかったのだろうと私は私でありながら、少し離れたら視点で距離感を把握するのだ。
幸せというどうしても欲しがるそれを私は私に譲る事が出来ないのだ。
この表現の可笑しさよりも、私は他の可笑しさに違和感を覚えていることに心底呆れていたのだと思う。
新しいこと服を買い喜ぶ弟、
美味しいものを食べ喜ぶ母、
自分の快楽をこよなく求める父、
私はどこにそれを求めて良いのか、分からないのだ。
喜びとなる材料というものに出会う事を望んでいないような気がしてならないのだ。
貧しい生活の中で落胆した心を少し心地よく思っている私がいるような気がしていることに、私は恐怖心を抱くことさえ許されないような気がしているのだ。
苦しみという最大の武器が、ここにある。
あると言う安心感。
私は、これを頼りに生きてきたのだ。何もない今を埋めてくれた苦しみに頼り生きてきたのだ。
それさえ、なくなり何もないと言うことに魘される毎日が酷く恐ろしく思えるのだ。
けれど、苦しみとは歩み寄れる訳もなく、その苦しみに呑まれてしまう時の方が多く、
そこに私は死という最大の快楽を見つけてしまったのだ。
私は私という恐怖を生み出す、また悲しみや孤独さえも生み出す最大の醜い塊から解放される術を見つけてしまったのだ。
憐れみ、蔑まれるよりも、私はそちらの方がまだこの世界で見つける僅かな幸福よりも幸福であるという感情に支配されていたのだ。

雨が降り続いていた。
こんなにも涙を素直に流せる空を羨ましいとさえ思った。
生きているという勝手な思い込みさえしていないようで、あるがままな姿に少しだけ、いいや大分嫉妬していた。
だから、その姿を見ないようにと傘を差したのだ。
綺麗な涙などと無視をして。
そして、また醜いなと比較しないようにしていた時点以前に比較されていたことに気づき、人間の最も深い承認欲求が欠損したのだと涙を流せないということが明らかに示す。
そして、綺麗になりたいという欲すら許せなくなるのだ。
つまり、醜い塊から馳せられる全ては醜いもの意外になりようがないのだ。
それを挽回しようと涙を流せど、削れた醜さは周りを汚染し、それによって私も苦しむことになるとこを知るのだ。
そして、それを拒めるほど確かなものなどないと惨めさだけが残ったまま生きる意味を追うことに魘されるのだ。
何度目であろう。
泣きながら朝目が覚めたのは。また、卑屈な日々が続いていくのだと落胆している私を私はどこでみているのだろう。
どこでもなく、深い欲の中で目を開いているような情景が浮かび、身震いせずにはいられなかった。


私は恐怖心以外を意味以外に私に与えることが出来ないのだと悟ったのだ。
利口そうなフリをして、ただ逃げたのだと言われても仕方ないのであろう。
けれど、ここに書いた全てに私は脅迫を受け、そして身ぐるみ剥がされ、無となった。
それにより、世間との間の距離感は崩れ、また私と心の間の距離感さえ埋めるほどの欲が欠乏したのだ。
そして、その先にあるのはたった一つ、
誰もが平等いう形に当てはめるそれに幸福を埋めて、不条理を隠しているだけのそこに、私は人生を放棄したのだと
清々しさと共にここに綴る。
意味もワケもないこの一点に。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-13

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