#リプでもらった台詞でお話を書く

「空っぽだね、」

 持っていた花束を、暗い水面に向かって投げ入れた。手のひらを離れた花束は、するり、と、風をすり抜けて、音もたてずに水面に落ちる。波紋があらわれて、そして消えて。持ち手に結ばれていた淡いみず色のリボンが、もともとそこにあったみたいに浮かんでいる。みず色。私の好きな色だった。隣を見ると、驚きをそのまま張り付けた顔をしたおとこが、眼球が落ちてしまうのではないかと心配になるくらい目を見開いて、身を乗り出して、水面を見つめている。


「どうして」


 ぎり、と、音を出しそうな固い動きで、おとこは私を見やった。その瞳に、怒りや非難の色など全くなくて、ただ、「どうして」と私に問いかけていた。そのぽっかりとした瞳に映る私は、いつもとそう変わらないまぬけそうな表情をしていた。まぬけ。ふと、「まぬけ」とはどんな語源なのだろうと、思う。空っぽな脳みそで、そんなことばかり気になった。髪に巻きつく風はつめたい。


 口を開かない私に、おとこがしびれを切らしてように、「なあ、」と肩を掴む。その手のひらは壊れ物を扱うみたいに優しい。



「どうして、なんで、」
「ねえ、私、花束なんて貰うのはじめて。嬉しいのかな、私」
「……は?」
「捨てたら嬉しさが際立つものだと思っていたけど。わからないや」
「何、言ってんだよ……」
「要らないものは、持たなくていい」
「は?」
「要らないものは持たなくていい。そうでしょう?」


 
 要らないものは、持たなくていい。

 母の口癖。とおい昔に消えた母を思い出そうとするたびに、色褪せた残像のような記憶が現れて、そう言った。要らないものは、持たなくていい。私が赤ん坊のときの服も、おもちゃも、靴も、写真も、何もかも。母はそう言って半透明のごみ袋に投げ入れた。要らない、要らない。家の思い出が染みついたものをすべて捨てていく母に、父は「何をしているんだ!」と怒鳴った。おとことは正反対に、力強い声で、母を非難した。


「だって、要らないじゃない。何もかも」
「何が要らないんだ!」
「要らないでしょう。こんな容れものなんて」
「容れもの?」
「大事なのは、思い出よ。その記憶。私たちのなかにあるもの。その容れものなんて要らない」

 形があるから無くならないって安心して、その存在すら忘れちゃうだけよ、と。


 家中のものを片っ端から捨てた母はとても幸せに満ちた、満足気な顔をして、その数年後、静かに家を出た。家を、言葉通り、もぬけの殻にして。使っていた食器も、タオルも、カーテンさえ無くなっていた。朝。何もない家を見回して、思わず玄関を飛び出して走っていったその先に、それらは置かれていた。半透明の袋に守られて。ごみ捨て場だった。ちゃんと家の中に置いて行かれたのに、捨てられているのは自分のようだった。



「形だけあるものなんて要らないでしょう。いま、きっと私は嬉しいはずで、でもわからないから、要らないものを捨てたらわかるんじゃないかって」


 幸せそうな顔できるかなって思ったんだけど。でも、わからないや。ごめんね。でもね、きっと、あの花束ね。


「空っぽだね、」


 だって、今、私の心に何にも残っていないもの。



 おとこは眉をしかめて、そして何かを言いかけて、その唇を閉ざした。あきらめた。そう言われたみたいに、おとこの手のひらは私の肩を滑り落ちる。もう一度、水面を見やって、背を向けた。私を振り向くことなく歩いていく。そのこぶしは痛々しいほどに握られていた。


 母は私も、そして父も要らなくなったのかもしれない。じゅうぶんな思い出を吸収したから、もう空っぽになった私たちに要はなくなって、だから捨てた。

 要らないものは、持たなくていい。もう一度つぶやいて、おとこの後を追った。

 花束はずっと、同じ場所に浮かんでいた。


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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-13

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