書くことをやめたら何か実りがあるの?
書くことをやめたら何か実りがあるのだろうか?わからない。
今自分は、札幌駅の西改札口を通って少し歩き、左に曲がった所にあるロ ッテリアで、偉そうに陣取ってMacBook Proのキーを叩いている。コーヒー 一杯で済ませるのは少々申し訳ない気もするが、仕方がない、先程すぐ近く のマクドナルドで昼飯は頂いてしまった。マクドナルドからロッテリアをハシゴ、というのは覚えている限りではさすがに初めての経験である。
書くことをやめたら、今後の生活の中で何か実りがあるのだろうか。現在 は外の通路に面した席でホットコーヒーのカップを優雅に、さながらミス・ マープルのように持ち上げ、啜ろうとして舌を火傷したところだ。顔をしかめ つつ「ミス・マープルが飲んでいたのは紅茶だったかも」という疑念が生じ、それからミス・マープルの出てくるミステリ小説群をそもそもほぼ読ん だことがないので、本当のところは全くわからない事を思い出す。NHKの教 育チャンネルで昔アニメをやっていたなという程度の認識しかなく、それだ って数話観ただけで「この婆さんはしたり顔で座って茶を飲むだけで何様な のだ」と身も蓋もない反感を抱いていたような覚えがなくもない。作者とミ ステリファンには心よりお詫びしたい。クラシック的な推理小説も、いつか 挑戦したいとは思ってるんですが、なかなか。ともかく、実際マープルとい う名前の、遠く時空を隔て、フィクションとノンフィクションの境目を飛び 越えたところに存在する老婦人が、一体何を飲んでいたのだかは判然としない。自分がこうして無意義な文章をつらつらと連ねていく理由と同じくらい には。それとも、観察眼に優れた貴婦人ならば推察してくれるのだろうか。
今はこの、特に終着点も決めずに書き始めた文を現在進行形で書き続けて いて、ラップトップの脇に無造作に放っておいたiPhoneと、中空を介して結 ばれたイヤホンが耳には装着されてあり、そこからはGorillazが延々と聴こえ てくる。森羅万象に通ずる真理とは即ち空であり、非実在のバンドが奏でる 楽曲であっても、空を通じてイヤホンに流れ込む。正確にはBluetooth接続な のだが、Bluetoothだって空に通ずるものであるのだから「空」と表現しても 差し支えなかろう。色即是空、テクノロジーもまた然り。
と、強引にも程がある締め括りを考えている間に、身体はロッテリアのシートからJRの温かい座席に移動している。実はこの後、友人の家へ出向いて酒を飲む約束があるのだ。僕と僕の友人たちが通う大学は札幌市ではなく、自家用車で40分ほどかかる地の果てに聳え立っており、別の街からや ってきた生徒の大半はその近辺に住む。今日遊ぶ人間たちもその例に漏れ ず、僕が片道一時間半かけてお邪魔することになる。列車での移動自体は好 きなのだが、運行する本数が限られるために結構な不便を強いられてしまう。
画面から視線を外して、窓の外を眺めてみる。今日はよく晴れていて、出 かけるにはいい日和だ。伸びをして尻の位置を直す。そういえば、座面が温かいだけで非常にありがたいと思うようになったのはいつからだっけ。高校 生になった頃かもしれない。JRも地下鉄もなく、交通機関といえば理由も 説明もなく常に遅刻し続ける路線バスしかない札幌の隅っこで育った身であ り、中学を卒業するまで列車というようなものはあまり利用してこなかった から。高校に通う三年間は本当に、筆舌に尽くし難いほど大変だった。毎日 誰かを殺したいほど憎むか、自分さえ消えればとベソをかいていたし、年が 過ぎゆき太陽と熱が遠ざかると、輪を掛けて酷くなった。学校と駅との間を 往復するバスに乗るとお腹を壊したり、汗が止まらなくなる。だから徒歩で の登下校も頻繁にしたし、歩道に汚らしい白色で覆われてもそれは続いた。 そんな季節には、地下鉄でうまい具合に座席を確保して、尻や背中に温もり を感じるだけで、少しは慰めになるのだった。
現在は午前五時半、結局一睡もせずに「桃太郎電鉄」を二十年分プレイした反動で、死体じみた表情で友人宅を後にして、始発電車に揺られながらこ れを書いている。この世の底かというほど暗くて寒く、停車する度に開くド アを恨めしく思う。
震えているのは自分だとわかっているけれど、疲労と寒さが極まって世界 ごと揺れている気がしてくる。責め苛む外部刺激から意識を逸らしたく、 Twitterを眺めたりLINEを開くのだが、誰も起きている気配がない。当たり 前だ。大概の人間は寝ているし、朝五時に起きる用事のあるのはインターネットにかまける時間の無い生活を送っている人物が多数だろう。仕方がないのでラップトップを開いて、またこれを書いている。
前段までを読み返して思ったが、「書くことをやめたら何か実りがあるの か」というのはあまりに漠としていた問いだ。大体にして、どうしてそんな疑問を抱くに至ったかという説明がまるでなされていない。これでは自分でも 混乱してしまう。
まず、書けない。もう半年ほど、きちんとした小説なりエッセイ的な文な りを書いていない。一時期Tumblrに日記じみたものをアップしていたけれ ど、あれはまた別物だ。
僕は書けないで苦しんでいるが、周りの人間は別段困った様子ではない。 「ファンです」と言ってきた人からも、特に声援はない。当たり前だ。それ ぞれの暮らしがあり、優先順位がある。それでも寂しい。必要がないと言わ れた気になる。
それから才能の無さを実感させられる出来事があったのも大きい。どう考 えても破綻しているのだが、何をやってもそれなりに成果を上げ、そこそこ周 囲に好かれるという人間が身内におり、そいつが大して真剣でもない文章の 方面でも評価されている事を知って、大変なショックを受けてしまったのだ。まあ人それぞれ歩幅が違うのだから仕方がないのだが、あまりにもあん まりで全部嫌になって、「もう文章を書くのなんて止めにしたほうがいいの では?」という気分になってしまったのである。
文章を書いている最中は楽しい。到達地点の決まっているレポートや、オ チがはっきりした実体験は、一度勢いさえつけばそのまま転がっていける。 また、嫌な事を忘れたり、反対に掘り返し、敢えて「愉快なもの」として扱 ったりすることで、感情の捌け口、現実からの逃げ場として意外なほど機能してくれる。
一方で、書くことによる害もあって、身体も心も凄まじく追い詰められる 事がある。とりわけ小説は非常に書くのが辛い。オチが決まっていても、書 いている最中に自分の表現力の無さにうんざりする。いつも似たようなこと ばかり打ち込んでいる気になってくるし、一旦悩みだすともう手が止まるの だ。それ以上進まないので、仕方なしに細部を推敲して、推敲して、終いには 「こんな話は無理ばかりだし、何も面白くないじゃないか」とファイルごと 削除する。特にここ半年はそんな夜ばかりだった。
それと、これは創作をやる人間の業だと思うのだが、締め切りがないと作業に向き合っていられない事がある。締め切りがない状態で書き始めても、 学業やアルバイトが忙しくなってくると中断せざるを得なくなり、落ち着い た時には以降の展開など綺麗に忘れている。かといって締め切りに追われている時期は、カフェインや酒でドーピングし、朝方まで作業に打ち込む事も ざらだから、一応の完成を見た時にはすっかり心身共に擦り切れかけている のだ。
なのに何故書き続けるのかは自分でもわからない。ただ、僕にとって書く ことは、自己愛を増幅させる手段ではあると思う。言葉に触れていると、幼 い頃自室で何時間もレゴブロックのコンテナをかき混ぜていた時の気持ちを思い出す。あの頃は自分の作る物が(どんなに無意味で脆いものであれ)好 きだった。あれから色んな事があって、自分の行為や発信を素直に肯定でき なくなったけれど、文章を書いている間だけはいい気分でいられる。
散々辛い辛いと言ってしまった手前、この辺りのニュアンスを伝えるのが 少々難しいのだが、強いて喩えるとしたら長距離走だろうか。数周も走れば とにかく苦しい、だるい時間が始まる。途中から、あと何分走ればいいの か、そもそもこの苦行には終わりがあるのかわからなくなる。
しかしある瞬間から、突然「気持ちいい」と感じるようになるのだ。走っ ているのが気持ちいい。先程までの渋難が嘘のようだ。それからは吹き付け る風が労りに、地面の反発が後押しに思え、無条件かつ無制限に居場所を獲 得したような感覚が、全身に拡がっていく。愛されている実感が湧き、自分 を愛していると口に出してもいい気になる。だが、終わりは必ずやってくるも ので、一旦ゴールした後に残されるのは乳酸の溜まった両足の鈍痛と、酷い 息苦しさだけだ。記録は自分の意識と切り離され、あの時感じた肯定感も消 えてなくなってしまう。それでも何度もトラックに立って、レースに挑むの は、その時の心地よさをもう一度味わいたいからだ。
と、ここまで書いてようやくわかったが、要はエンドルフィン中毒なのである。僕の場合、快楽物質の分泌を促す行動が、たまたまドラッグでもマラ ソンでもなく文章を書く、そういう事だったらしい。いつかの時点で、脳内 の日本語を並べ替えて一定の意味のあるまとまりを作れば合法的にトリップ できるのを身体が覚えてしまったんだろう。それで大抵の場合はうまくキマ らずに、バッドトリップで唸っている。高尚な理由など一つもなく、救いよ うがないジャンキーだった。
でも、何故「文章」でなければいけないのか、を考えると、切実な理由が なくもない、ような気がする。と、自宅に帰り着いてダラダラ過ごし、丸二 晩経過してようやく続きを書き始めた僕は考えている。筆が乗ってくる予感がする。やっぱりジャンキーと同じだ。『今日はうまく飛べる感じがする』。道具が注射器からキーボードに変わっただけだ。
話を戻す。
昔から、本に囲まれて育った。両親揃って本や漫画が好きで、家には結構 な蔵書があった。絵本も沢山読み聞かせてくれた。本が好きかどうかはまだ わからなくても、身近に感じていたことは確かだった。
小学校に上がって、周りと全然馴染めなくなった。幼稚園の頃から問題の 多い子どもだったのだけれど、一日のほとんどを同年代の人間と過ごすの は、僕にはまだ難しかった。話したり作文を書いたり、勉強をしている時は みんな馬鹿に見えて、でも物理的な動きや原始的な政治が始まると、みんな やけに大人に思えて怖かった。少ない友達と放課後に遊ぶ約束をしても、何 故か待ち合わせ場所には誰もいないことのほうが多かった。流行りのゲーム も持っていなかったから、誰かの家に行ってもついていけなかった。そうい うことが続くうち、より一層読書にのめり込むようになっていった。五年生 くらいになってようやく交友関係が拡がるまで、小学校で好きなのは図書室 だけだった。
やがて、自分の考えた勇者や魔物、恐ろしい帝国の秘密でノートの行を埋めるようになった。卒業文集には将来作家になった自分のことを書いた。物 も言わないし、融通がきかないけれど、それでも当時唯一僕の味方になって くれた物語を、いつか自分でも作りたいと本気で思った。
中学に入っても、高校に合格しても書き続けた。中学では作文のコンクールで賞を貰ったりして、それなりに自信もあったのだが、高校で文芸部に入 部してすべて変わった。いかに自分が「物語」を作るのが下手か思い知らさ れた。まとまりがなく、平坦であり、主題らしい主題も設定せずに書いていた。他の部員が次々コンテストで入賞する中で、結局僕一人が三年間、何の 賞も貰えなかった。部員みんなでエントリーした大会で、自分だけ講評が空 欄で返ってきた時は、本当に書くのを止めようと思った。自分の実力の無さ が悲しかったし、周りの誰もが恨めしかった。途中で全部投げ出して、最悪 な言葉を吐いて場を腐らせ、八つ当たりをし、顔を出さなくなった。
だけど最終的に、書くのは止めなかった。ずっと僕の書いたものを(今となっては世辞かも分からないが)褒めてくれる先輩がいたからだ。あそこで 先輩が、図々しくも駄作ばかり送りつけまくる僕に優しくしてくれて、「(文の雰囲気が)なんとなく大槻ケンヂに似てる」と仰ってくださらなければ『グミ・チョコレート・パイン』を読んだり「風車男ルリヲ」を聴くことも なかったし、僕は多分文章で快楽物質を得るのを諦めて、高校も社会生活も 全部やめて麻薬か何かをやっていた。あの頃僕のスマホのブラウザには、そ ういう類のトピックにまつわるページも幾つかあった。感謝してもしきれな い。お陰様で今も文字中毒をやっています。
随分長々と自分の事を語ってしまったけれど、文芸部時代の事を振り返る ような文は今まで書かないようにしてきたし、僕の中でも整理をつけるのに ちょうどよかったと思う。先程挙げ忘れた書くことの効能として、混沌とし た気持ちや記憶を枠に押し込めて、はみ出した分はばっさりカットできるというのがある。
ともかく、書くことをやめたら実りはあるのかという問いには、今はNO と答える。より厳密に言えば、「書くことで得られる益を、書くこと以外で 代替できる目処が立っていないので、やめるには至らない」が正しい。
自分を大層な人間のように思い込んで、誰に向けるわけでもなくインター ネットで過去をダラダラ垂れ流して、そうやって自分を切り売りする下等な 芸を何年続けるんだよ、と呆れた方もいるだろう。僕もそう思う。自分をあちこち削ってタダ同然で売って、止血するにはいちいち傷口が大きすぎ、また何か勝ち得たわけでもない。でもどうしようもないのだ。その自傷に近い 行為が、現状最も僕の気を慰めてくれる、僕が何者かであるような幻覚を見せてくれるのだから。
あの時「僕も自分の味方になってくれる存在を、自分自身の手で作りた い、そいつが誰かの味方になってほしい」と思っていた少年も、今ではこん な脳内麻薬と承認欲求のジャンキーに成り果てた。でも、有名になれなくと も、職業作家にまではなれなくとも、いつか何処かで昔の僕みたいな子が、 今の僕のような宙ぶらりんな若者が、ちょっとでも救いと捉えてくれたら。 その時僕はただの中毒者でなく、後付けではあるが、達成者になれる気がする。締め括りながら、そんな日を幻視している。
書くことをやめたら何か実りがあるの?