青の夢

螺旋


 目を開くと自分は夜空にいた。白地に水色のピンストライプ柄のパジャマのままだ。その柔らかいパジャマも短い黒髪が吹き上がる風にゆらめいている。何故こんな高いところにいるのだろう? 分からなかった。
 上を見上げると渦巻く星がきらめいている。そして包まれてもいた。光りは青かったり、白かったり銀色だったりする。星が風に吹き荒れるごとにきらめいているのだった。
 ずっと見上げていると、だんだんと風が渦を巻き始め体を包み、そして僕を軸に螺旋を描きながら竜巻の様に勢いがついていって星さえもそれに流されてぐるぐると回り始めた。そのずっと先で何かの星雲が回っている。ゆっくり、ゆっくりと……。

 気がつくと、硝子でできたような床に転がっていた。暗いあたりを見回すとどこまでも暗いけれど向こうは群青に光っていて、夜に向かって陽が傾いているのだと分かった。視線を落とすと床に自分が白く浮くように映っていて、その下は底の無い空のようだった。咄嗟に身を固めたのはもしかしたらこの床が薄くて少ししたことでひびが入り落ちて行ってしまうかもしれないと思った恐怖からだ。
 とりあえずゆっくり立ち上がり、膝に手を当て何かが光ってスパークする床下を見た。僕が映るもっと先に、いくつもの光りの粒がぶつかり合って強い輝きをそれごとに放っては花火の様に消えていくのだ。どれも青い光りや白い光りで、花火の鮮やかさこそは無いけれど、どれも小粒のサファイアやダイヤモンドみたいだ。
 しばらくは微笑んで見つめていた。
 だが、何かの音に顔を上げると向こうから空を滑り近付く誰かに気づいた。
「あんた、そこにいたら危ない。今に星が生まれるぞ!」
 その言葉で脳裏に理科か科学で習ったビッグバンから超新星が生まれる経緯が一気に渦巻いて駆け巡って想起された。
 その男はレトロな自転車でここまでやってくると、ハンドルにつけたラッパを吹き鳴らして耳をそばだてた。まるで郵便局員のような格好の男だ。夜警なのかもしれない。
「よし。お前以外はいないようだ。早くついて来い」
 男が普段は荷物が乗るのだろうところを指差し、僕は星が生まれる瞬間に巻き込まれたらひとたまりも無いと思って急いで乗り込み、また自転車は夜空を滑空していった。
 ずっとずっと上まで駆け上がっていき、硝子の床を見下ろした。するとそれは金の縁がされた円盤の床で、その先でスパークする光りはどんどんと大きくなっていってだんだんとたくさんに増えていった。
 男が必死にこぎながらも肩越しに見てきて、色付きのゴーグルを渡していた。それをはめろという事だろう。頷いてはめると、上に星空に浮く門が見えてきた。
 周りを見ると、他の数人の者達も一輪車だったり馬車だったり馬などでその夜空の上部にある門に向かって駈けて行っているのだ。
「彼らは一体誰なんだ」
 言ったとたんに背後が激しく眩く光り、男が「振り向いたらいけない!!」と怒鳴って門へと一目散に吸い込まれていった。
「門を閉ざせ!!」
 大人数の男達の声で目を開くと左右から太い縄を引く筋肉の男達が扉を閉ざしていった。激しい音が轟き細くなった隙間から風が渦巻いて扉が揺れ動き、そしてこのパステルカラーの雲に占領された明るい場所に響き渡るとしっかりと閉ざされた扉は不動のように動かなくなった。
「やれやれ。今回の任務も無事にやってのけたぞ」
 自転車の男が言い、馬車や馬や一輪車だとかから下りてくる者達はそれぞれ何か籠を持っていた。あれはなんだろうと思ってじっと見ていると、男が言った。
「あれはエッセンスだよ。星が生まれる瞬間に役目ごとにばら撒いていくのさ」
「星って……何の?」
 まさか宇宙の星でもあるまい、それとも生命の生まれる瞬間の、自分達は細胞になってしまっているのか、僕は瞬きを続けて眉を寄せていたので男がハッハッハと笑いながら歩いていった。
 僕の頭に浮かんだのは、「輪廻転生」という言葉だった。
 宇宙の星でも生命でもなかったなら、魂の生まれ変わる場所……スピリッツ・バンクなのではないか、と……。
 天井も壁も無いこの空間を見渡した。うっすらと淡いピンクかかったこの場所はまるで優しい色の夕暮れと同じ色で、弾力のある大量の雲もその色に染まっている。人々はどやどやと帰っていき、だんだんと雲に入っていって見えなくなって行った。
 そちらへ急いで走って行く。雲の内側にでも柔らかな雲のベッドだとか何かでもあるのか、どんどん進む視界にうず高い雲が近付き、そしてその雲に視野は占領されていきなんの感触も無くすうっと視野が真っ白になって入っていく……。

 うなって目を覚ますと、僕は暗がりにいた。
 柔らかな布団に包まれている。
「あれ」
 見回しながら肘をつくと、そこは自分の部屋だった。見慣れた、よく体に馴染む感覚。
「夢か」
 また頬を腕に埋めて目を綴じて、先ほどの夢の続きを見ようと試みた。だが、感覚がつかめ無い。すぐそこまであるのに。眠気はそれでもゆるやかに残っていて、パジャマの袖を見て目を綴じた。
「眠りへ落ちて行く」
 誰かの声が聞こえた気がした。ああ、レトロな自転車のおじさんか。だが強い眠気で落ちて行く。
 夢の生まれる瞬間……だったのだと思った。それだ。夢の終わりと始まりの狭間、これからまた何か夢を見るのに違いない。記憶と記憶がぶつかりあって行く、脳内のシナプスの光りだったのだと……。


左舷


 僕はどこまでもつづく海を見ながらオールを漕いでいた。小舟はずっと水面を滑っているのだ。
「広いなあ」
 すぐそこの滑らかに波打つ世界。それは岸辺から見るより穏やかで、ときどき魚たちが足もとを泳いでいく姿も見えるほどだ。浅瀬ではなく深い深い海のはずなのに、心は下の下まで見透かせるほど。
 そういえば、僕は一体いつからこうやってオールを漕ぎ続けているのだろう? 遥か昔からか、それとも岸辺からながめた青い海の記憶からそこまで時は経っていないのか。
 ただただ天候は落ち着いていて静かな海に、カポ、カポという舟を操り水面を掻く音と、それと自分のゼイゼイという乾き疲労しきった呼吸が交互に鼓膜を占領する。どうやら水も飲まずに体力を要している。
 時々見上げる空に海鳥が飛んでいくときは高い声で鳴いて、自分はこの地上に僕だけではないのだと安心させてくれた。
「ああ、全く。僕はどこの島を探しているんだろう」
 硬質の船底は僕の体を支えるが、いかんせん舟の上は心情もあいまってかゆらりゆらりと時々揺れた。それでも確実にオールは舟を前へ前へと押し出してくれている。
「やあやあ」
 僕は辺りを見回して潮風を受けながら声の主を探した。
「やあやあ」
 ポチャンという音と共に一瞬声がして、また消えていく。
 背後を振りかえって、一瞬視界に銀の光りが映りこんで海に消えていった。
「あれ。魚さんかい」
 僕はオールから手を離してヘリに両手を掛け、水面から先ほどから見えている海を覗いた。魚はひれを使ってゆっくりスピードを緩めていく舟の周りに来てひらひらと手の様に振ってきた。
「ここから先は気をつけないと、海妖怪につれてかれるよ」
「妖怪?」
 僕はハハハと笑って顔を上げた。滑稽なしゃべり方で言う魚は声がまるで変声期を使ったようにぴろぴろ聞こえ、まったくの危険さを感じないのだ。
「それは会ってみたいなあ」
 オールを手にすると、途端に魚達は舟の左側へと寄りかたまるように移動して僕を瞬きさせた。
 顔を右側へ向けると、先ほどまでなかった筈の張りぼての見上げる程の船が浮かんでいた。
「え?」
 それは和紙が張られて船体は黒塗りに上部は青のラインがはいって、錨までくくりつけられている。僕はついおかしくて見上げながら笑っていた。
 けど、その沈まない張りぼての上からまるで綿で出来たような海賊風の水兵が現れて剣をかまえて僕を見ている。
「そこの勇者よ! お前が志を共にすればわれらと共に海妖怪をこえようではないか!」
 これまた変声期を使ったようなワレワレ声で僕はついに彼らを見上げながら吹き出してしまった。
 そしたら船員たちは張りぼてからどんどん落ちてきて小舟めがけて降って来たのだ。
「うわあ!」
 慌てて定員オーバーになる前に自分で海に飛び込むべきか、サーベルを避けるべく飛び込むべきか駆け巡ったうちにぽんぽんぽんと音も無く実は小さかったその綿でできた水兵たちが舟に落ちてきて、一匹……、いや、一人だけ場所を違えて海に背を上に浮かんでいる。それを腕を伸ばして引き上げてあげた。
「感謝をしよう!」
 小さな水兵たちは並んで言い、敬礼してきたので僕も咄嗟に敬礼した。先ほどまで舟の片側に隠れていた魚をちらりと肩越しに見ると、誰もが揃ってヒレで敬礼していてまるでくすくす変な水兵たちをおかしげに笑うように口をぱくぱくさせている。
 僕が向き直ると、水兵は船に合図をおくった。するとフェルトを連ねた縄が投げ込まれ、それを手早く小舟の縄に繋いだのだ。それは見事にリアルなブーリン結び(航海結び)で、その結び目と綿の水兵を二度見した。
「進め!」
 張りぼて船から掛け声が上がり、汽笛が鳴らされ緩んでいた縄がぴんと張った。
「………」
「すすめー!」
 ぴんと張ったままで、船は張りぼてのまま重い僕の乗る舟を動かすことなどできないのだった。

 僕の乗る小舟は和紙製の張りぼての船を引っ張りながらオールを漕ぎつづけていた。もはや思いのほか力がある犬に縄で「早く早く散歩」と路を引っ張られる飼い主を連れて行ってるペットの感じはこうなのではないかと思いながらも漕いでいた。
「海妖怪って何なのかな」
 訊ねたがだんまり渋く黙り込んだ水兵たちはまるでただの綿になったように喋らなかった。
「どうしたんだい?」
 それを見回すと、僕は首を傾げて自分がパジャマなのに気づいた。白地に水色のピンストライプが入ったやわらかいもので、首を傾げてまた顔を上げる。
 すると、僕の枕元にサイドテーブルにおいてあったスノーボールが落ちていたのだ。それは黒に青いラインの入った船に青い目の小さな水兵たちを乗せたもので、今は逆さの斜め上に雪となる白い粒が沈んでいてまるで先ほどまでいた海の上空に広がる雲みたいだった。青い水面がそれで現れていて、僕はそれを正しい位置に戻してあげた。
「あれ。まさか」
 その船には元は無かったはずの小舟がくっついていた。
「海妖怪……て」
 僕は思い当たって分かった。
「スノーボールを覗いていた僕のことか!」
 まるでガラスボールのなかからあのぴろぴろ声やワレワレ声が聞こえてくるかのようだった。また妖怪が現れたぞ! と。

足音

 ぽつりぽつり
 コートの男がポケットに両手を突っ込み、街路灯の下にいる。
 夕立で降った雨にぬれた路を見下ろしてる横顔はしわが刻まれ、暗い目元をしていた。
 革靴のかかとでとんとんと音を鳴らしてその靴先の革も光沢を受けていた。
 横目でじろりと見てくると、顔を上げてまっすぐ見てくる。
「よく、きたな」
 待ちわびたという風に体をむけてきた。男の背後は左右に家が並び、その奥はゆるいカーブになっていて闇が染みている。その暗がりは男の存在自体に思え、俺は立ち尽くしたまま口を一文字に噤んでいた。
 ぽつんぽつん
 街路灯から水滴が落ちて、水溜りにはねている。
「俺はまだ行かないよ」
 だが男は片手を出して「いいんだよ」と手招きし、その黒い陰がゆらゆらと地面に揺れていた。
「まるであんた、死神みたいだ」
「ははは」
 男は笑い、ソフトキャップをとって鷹揚にお辞儀したのが男の雰囲気ではなかった。
「やめてくれ。まるで行儀良いファーストじゃあるまいし」
「死神でもなければ、ファーストでもない。さあ、行くぞ」
 俺は歩き出し、明かりのある場所から灰色の薄闇へ、そして暗がりは何もはねない闇へと飲まれて行った。その闇に包まれて、背後からぴしゃんぴしゃんと音が響く。ほかは男の靴音だ。水滴の音が響いている。
 肩越しに背後を振り返る。
 街路灯の周りだけが照らされて、闇に何があるか分からなくなっている。壁際の巨大なゴミ箱も、見えない。俺が先ほど捨てたもの。
 俺は履き崩したスニーカーで歩いていく。
「それで、どうするつもりでいる」
 声に我に返る。
 証拠の品を袋に入れて、布にくるんだまでのことを思い出していた。
 もしも、あれがゴミ箱を見に来た男達に渡れば俺はもう日の目はせいせい浴びれないだろう。この男が言うようにどうするかという判断もままならないままに、隠れ住んで逃げ続ける運命だ。
「今なら引き返せるぞ」
「あんたは誰なんだ」
 俺の足音はスニーカーだから響かない。かつん、かつん……という音が響くだけ。気味が悪いほどしっかりと心を打って俺の心音に合わさるようだった。
「まさか誰も俺みたいな若造があんな大発見したもの持ってたなんて思わないさ」
 男の気配だけを頼りに歩いていく。壁にぶち当たることも無く。
 だがここがはたして街並なのか、どこか違う世界への淵なのかなどは分からない。
 いますぐ走って戻り袋のなかみを取り戻したっていい。それなら自分はこれからもまた普通に生きていけるのだ。
「あんなもの、本物なんて思う奴もいないかもしれないじゃないか。歴史が変わるかもしれないなんて言われたが」
 旅先で見つけただけだった。テントの杭を打っていた。何かに気がつき、掘り返したら箱が出てきた。それはアルミの缶で、それを空けた瞬間に異様な工芸品が出てきたのだ。それには後にしらべたらエジプト文字で何か書かれ、古めかしいそれは妖しく太陽の光りを受けていた。
 きっと持ち主が人目が着く前に処分したんだろう。それか、時を見て発表するために保管しておいたものを俺は勝手に持ち帰ったのだ。数ヶ月してニュースが流れた。それは男が精神病になり変なことをわめき散らして騒ぎになったとかで、そのまま精神科にいれられた。元々大学教授で古代研究をしてたらしく研究データが発見された。
 それは俺が掘り出した品物に関してのものだった。
 俺は警察に届けようと思ったが、その前からそれを見せていた奴がそれを反対した。今思えばそいつは工芸品の美しさに魅せられてしまっていたんだろう。そいつは勝手に闇市場に連絡をとり、それをそいつらに引き渡そうと言いはじめた。
 一世一代の出土品を持っていかれた男は狂った。だが、原因はそれだろうか? まさか、あの工芸品も持っていたからなのも原因じゃないのか? エジプトの出土品には手を出すなとは伝わっているらしいのだが……。
 闇は続いた。
 もしかして、俺も今微かに狂い始めているのかもしれない。男は本当はいもしなく、あの出土品を手にしたことで幻覚を見てこれから淵までいくのかもしれない……。
「エジプト時代の出土品は、闇に出回ればどうなるか」
 警察に突き出せば、もしかしたら精神を崩した男が元に戻るかもしれない。一人の人生を壊すなど俺に本当にこのまま出来るわけが無い。
「………。俺は戻る」
 背後をむいて走り出した。
 どんどん明かりが近付いてくる。視界が走って揺れているのが分かるぐらい明るくなってきた。俺は街路灯下を通り、ゴミ箱の蓋を開けた。
「無い」
 俺は背後を振り返り、闇市の男達の気配を探った。
「もう持っていったのか!」
 肩に手を置かれた。ゆっくり振り返ると、男の笑顔があった。
 頭の片隅でこの男は気を違えた教授に違いない、と思った。分からないが、そこから俺の意識は遠のいていった。
 耳にはぽつんぽつんという音が最後に響いた。


黒穴


 もしもそれを見つけたら、山のなかなら蛇の穴かな、それとも他の動物かなと思うことだろう。それが例え木だったら、キツツキのおうちかもしれないしはたまたリスかもしれない。
 今、ハヤノウェのの目の前にある穴は、家の壁にぽっかりとこぶし大に開いた穴だった。
 はて、これは何だろう? と思う。確かに藁も混じっているような土を練り固めた自然の土壁の集落なら、なにか動物が掘り進めたのだろうと思うかもしれないし、実際その主が顔を見せてせわしなく藁を運んだり餌を運ぶ姿をみることだろう。それでもハヤノウェの住んでいる家は硬質の壁に囲まれた部屋だった。
 彼はまじまじと見ながら、しばらくしてフォークを手に持ってくると穴の前に来てその先を暗い穴へと入れてみた。
「うわ」
 まるで引っ張られて回転するような力を感じてフォークをすぐに引っ込め、瞬きをした。近付いたら危ないだろうか? 少し怖いと思いながらもあたりを見回し、ふと横の窓から緑の木々の揺れる空を見る。鳥が飛んでいく。いつもの平穏な日曜日だ。だからこそこの穴の出現に戸惑った。確かに非日常なことが起きて疲れた日に起きてもここまでした事例は今まで無い。
 まさか吸い込まれやしないだろうな。不明だ。もし帰ってこれないと困る。猫の餌やりもある。
 しっかりと壁に両手を当てて、足を踏ん張った。膝を壁に付けると覗く覚悟を決めて片目を穴に近づけた。
「………」
 暗がりはただただ暗くて、よく分からない。多少、宇宙と繋がって銀河や惑星が回っているのではと期待してもいたのだが、顔を離しながらも夜に覗けば天体が見れるのかもしれないとも思った。それか万華鏡を覗いたように美しい世界が回っているなら素敵なのだが。
 穴から離れ、何も起こらなかったので肩越しに見た。
 これは人を選ぶ穴だろうか? もしも老人が覗けば若かりし思い出が輝いて目の前で幕を開くだろうか? 猫が覗けば望みどおりの獲物が駆け回って見えるだろうか? それは眩しい水面の先に泳ぐ銀魚を目を光らせ狙う子猫の様に。
 だがフォークは選ばれて自分は選ばれなかったことに納得せずに、覗くだけではなく手を入れればいいのか、人体以外の物質なら反応するのかといろいろめぐらせてから、悔しいので手を突っ込んで見る事にした。そのことで穴のなかの住人が怒って夜に出てきて寝込みの自分を頭をバシバシ叩いて攻撃してきたら嫌なのだが。
 彼は思い切って手を突っ込んでみた。
「うわ!」
 凄い勢いで肩までぐんっと引っ張られ、その腕は風がごうごう当たってきている。このままでは何か飛んできているものに触れても怖いので、それが硬質なものだったり、逆に妙に柔らかいものでも怖いし腕を必死に曲げこんだ。だが、壁があると思ったのに反して異次元か何かは分からない空間は壁が無かった。なので仕方なく腕を曲げこむだけ曲げこんで守った。
「何やってるんだ?」
 涙目で肩越しに見ると、呆れた顔のドチャンガがいた。
「いや、壁に穴が……。腕が抜けないんだ」
「馬鹿だなあ。それに突っ込んだら駄目じゃないか。学校で教わらなかったのか?」
「え? どの時限で受ける授業だよ」
「HRでも運動会でも習うだろう」
 ドチャンガが呆れながらぐいぐい引っ張ってくれてようやく腕が穴から出てきた。
「どういう事?」
「心の闇の節穴だよ」
「え?」
「どうせ寝てたんだろう。話の時に。これは不安を感じたり、心にぽっかり穴が開いたり、安堵したりしたときに出てくる穴だよ。普通は心に開くんだけど、時々こうやって壁とか床に開くんだ。不安が大きかったらそのまま落っこちてしばらく帰ってこれないね。悲しんでるから」
「誰だそんな穴を開けたのは」
「お前が日曜日だから気が抜けたんじゃないか?」
 ドチャンガはやれやれ首を振ってキッチンスペースへ歩いていった。
「俺の幼馴染もかれこれ五ヶ月穴にはまって出てきたがらない。全く、あいつの心の闇ポケットは深かったんだ。それに気づかなかったんだけどな」
「へ、へえ……」
 ハヤノウェは肩越しに穴を見ながら頷いた。
「ほら。紅茶」
「あ。ありがとう。いただくよ」
 一緒にお菓子も出して食べ始める。
「ああ。おいしい」
 ハヤノウェが言ったとき、ほっと心の空間が埋まったのか穴が狭くなった。
「さっきフォークが吸い込まれかけた」
「気をつけろよ。穴の内部は大きな空間になってて繋がってる。俺の幼馴染にフォークがぶつかったら傷害罪だからな。まあ、もしかしたら他の誰かが膝抱えながらも甘いものでも喰いたいと思ってて引き合ったのかもしれないけど」
 ハヤノウェは冷静に話すドチャンガの顔を見ながら相槌をうち、ビスケットを手に集めて小さくなった穴に持って行った。
「食べろよ」
 声を掛け、ビスケットを穴に放り投げた。それは勢いよく木っ端微塵にならない程度に吹き飛んでいってすぐに見えなくなっていった。
「誰かが食べたかな」
「どうだろうな」
 ドチャンガは紅茶を傾け、ほっと息をついて窓の風景を見た。
 今日も一日平穏にすぎていく。


葉芽



 僕は土の下で眠っている。まあるくなって、目をとじて。
 生まれる前から僕らは成長している。土は僕を包み込んで、時々凋落する水を与えてくれるんだ。
 その僕の横にはカブトムシの幼虫が同じように眠ってるんだ。それに、時々ミミズ君が来て土を食べながら進んでいく。
 ここにいると、僕らの季節がまだ先だと分かる。土の表面は地上の気温が伝わってきて、季節によって水分量もちがえば栄養も少し変わる。
 もう少しここで眠ってよう……。

 雪に閉ざされた土の下ではとても静かな世界で、闇しかないけどとても安心するんだ。木々も眠っていて、活動を休めている真冬。
 僕らには雪の上をあるく者達の音さえ今は響いてこない。土の下のエネルギーを受けながら、眠っている。ずっと眠っていると時の感覚が分からなくなり、そして気が遠のくように熟睡の時期に入るんだ。
 まだまだ、眠っていよう。

 僕は自分が何なのかを知っている。
 ただただ巨大な自然のエネルギーを受けながら僕らは『発芽』する。
 粒子の土をどんどん昇っていって、ゆっくりゆっくりと、そして時々水がしみこんでここまでやってくる。土の粒子をくぐりながら。
 ミミズたちも土を食べて排泄して柔らかくなっていく僕らのベッド。
 そして僕らはこうべをもたげてすっくと明るい地表に首を現す。
 僕らは自分が何なのかを知っている。
 けれど、僕らの外の世界をまだ知らない。どこに僕らは芽吹くのか、どんなところで生きるのか。
 少しずつ、地表の明るさに包まれ始める……。

 まぶたを閉じながら、顔を現した。
 暗かったけれど、少しずつ挙がっていく『朝』の気温と共に出てくる僕ら。緑色のその顔をすっくと上げて、まだまだ目を開けられない。昼の明るさがほしい。僕らのまぶたを開けさせるから。
 けれどまぶたを透かして明るさは分かる。どんな世界だろう。
 風を今でも感じるしさらさらとした水が僕のまぶたを鼓舞する。そして身体を残した地表にその水はしみこんでいくのが分かる。

 幼虫さん。少しの間、君の顔とさようなら。また会いましょう。

 昼の太陽。僕は眩しげに目をそっと開いた。
 葉芽の僕は小さな小さな身体だけれど、青い空が見えた。真っ白い太陽が眩しくて、うれしくなった。
 しばらくは陽に照らされながら、栄養をたくさん吸い込んだ。
 こんにちは太陽。こんにちは地表の世界。
 眩しさに目が慣れ始めると、僕はあたりを見回した。
 たくさんの仲間が生命の声を挙げて発芽している。まだ眠ったものや首をもたげるもの、まぶたを閉じているもの、それに、僕と同じく葉芽を開いているものもいて、それぞれが違う声を発している。
 うれしくなってあたりを見回した。すると、寝ぼけた大きな木がたくさん回りを囲っている。緑の葉を芽吹き始めている。彼らの手の平を開き始めている。

 僕らはどんどんと首を伸ばしていった。いろいろな鳴き声や自然界の音が聞こえる。風に僕らはゆらゆら、夜の露を受けて重くもたれて、陽に照らされると光合成を始める。
 蟻が体を昇ってきてあたりを見回したりしている。
 どんどんと次の花を咲かせる準備に入っている僕らは、蕾を膨らませ始める。

 「まあ。美しいこと」
 声がする。
 僕は驚いて見上げた。
 とっても素敵な羽根を広げたものがふよふよと飛んでいるのだ。
「どらどら、ちょっと失礼」
「あなたはどなた? 綺麗だね」
「わたしは蝶さ」
 ひらひらと舞いながら彼女は言った。
「あなたもとても美しい子だよ。純白の柔らかな花弁がまた素敵」
 蝶は青空がよく映える。緑の木々の周りも飛んでいった。気品があった。

 土から生まれた幼虫は、歩いていって巨大な木に登っていくと、どんどんと蛹になって行った。
 そして季節が来て孵化をする。
 カブトムシは夏の陽を浴びて、夢に現れて、そしてとても近くにいて安心感があったものの記憶を追った。
 『一輪草』の花だと知っていた。水の記憶が教えてくれていた。
 カブトムシはしばらくいろいろなところを見ていた。一輪草がどんな花の子だったのか、少し楽しみにしていたのは声が聞こえたかだらった。
 『幼虫さん。少しの間、君の顔とさようなら。また会いましょう』
 季節が流れていって、またきっと芽吹くのだろう……その頃は、自分は他のカブトムシを見つけて卵を産んで新しい一輪草の赤ちゃんと土で育ち、再会を夢見るのだろう……。
 眩い太陽、緑の濃い木々。昆虫達の世界と生命の声。
 謳歌しながら恋をするため青空に飛んでいく……。

青の夢

青の夢

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-06

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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