「医療用AIに医者が仕事を奪われて行くちょっと先の未来の話(タイトル未定)」SF小説

久々に小説を書こうと思い立ち、とりあえずネット上に公開して見ました。
仮に、閲覧数が多かったり好評をいただいて需要がありそうであれば、ネット上での更新を続けたいと思います!

①学会会場にて。

「我がMM総合医療センターでは、AI導入から5年、ついにAIによる手術率が100%に到達いたしました。この成果により、年間手術数は5年前の5倍。再手術数や医療費は、このグラフの通り大幅に減少しました」
MM総合医療センターの相葉院長は、大型スクリーンに映し出されたグラフに目をやった後、まるで砥石で磨いたかのごとく白く輝く美しい歯列を観客達に見せながら自信ありげな顔で笑った。
その笑顔は聴衆からの何らかのレスポンスを期待しているように見え、客もそれに呼応するようにして観客席から賞賛の拍手が巻き起こった。
AIによる手術率100%。その数値に至った病院はMM総合医療センターが日本初であり、その名は間違いなく日本の医療の歴史に刻まれることになるだろう。医療界の新たな時代の幕開けだった。
「また、平均手術時間もこのように著明に減少しています」
スクリーンに映し出されていたスライドが変わった。
AI導入直後から年々、数値が右肩下がりに減少しているグラフがスライドいっぱいに拡大されて貼り付けられていた。
「もうすっかり、AI様〜!って感じになっちゃってるな」
医療ジャーナル誌の記者、馬場が、カメラに収めた相葉の顔写真を確認しながら呟いた。
彼の歯はとても黄色い。彼は一日に15杯ものコーヒーを飲むらしいーー彼の歯の色素沈着の原因は間違いなくその習慣にあるだろう、と馬場の相方である斎藤は思っていた。
「先輩、良い歯磨き粉教えましょうか?」
「おい、人の話を聞け。なんでお前は俺の歯見て会話してんだよ。流れ的に、これまでのAIの変遷の話に花咲かせる時間だろうが」
「なんか、この5年くらいで一気に来ましたよねえ、AI導入ラッシュ」
「不自然なまでに突然会話のピントを合わせて来るな」
「もう、医者は要らないんですかね」
馬場は、カメラのレンズを交換しながら小さくため息をつく。
歯は黄色いけど口は臭くないんだよな、と斎藤は心の中で思った。
「実際、医学部の人気は急速に落ちてるからな。俺がまだ20代の頃は、上位の国公立医学部なら偏差値は軒並み70を超えるレベルで人気だったが」
「僕の受験期だと50くらいまで落ちてましたね」
「それが時代の流れってもんかね。怖いわ」
「苦労して勉強して医学部入っても、その先に待つのはAIに仕事が食いつぶされた泥沼ってわけですよね。辛いなあ」
「だから俺もジャーナリストになったわけだが。まあどの業界も変わらんけどな。医療に限ったことじゃない」
「AIが急速に成長して、AIができる仕事の幅が格段と増えましたもんねえ。あ、かりんとう食べます?」
「馬鹿野郎、場内飲食厳禁だ。なんで持ち込んでんだ」
「いや、お腹空くかなと思って」
「しまえよ。出禁になっちゃうだろ」
相葉はAI導入後の病院の功績について、先程のスライドから移動しないまま喋り続けている。
「電卓が発明されて間もない頃はさ。電卓とそろばんが一体化してる商品とかあったんだぜ」
「なんですか急に。てかそれ、電卓あればそろばんなんて要らなくないですか」
「そう思うだろ。でもなー、昔の人は電卓を信じてなかったんだよ。電卓はあくまでそろばんを簡単にしただけで、本当に正確なのはそろばんだと思ってたんだ」
「マジですか。電卓は信用されてなかったんですねえ」
「医療用AIも同じさ」
馬場は言った。
「つい10年ほど前までは、みんな、AIよりも生身の医者の方が正確な診断、治療ができると思ってたんだ。AIなんてアテにならんってな。手術なんてもってのほか。だけど、みんな気付いちまった。AIの方がより正確で、より迅速で、より安全で、より勤勉だってことに」
「人間は、勝てるところが何一つありませんね」
「いずれ、医者ゼロの病院ができるかもしれねえな」
「まあ、ありえない話じゃないっすよね」
「AIに何か大きな欠陥でも見つからねえ限りな」
「そんなんないでしょう、もう何年もやってんですから」
「まあな」
「てか、かりんとうはダメでもガムくらいはいいですよね?」
「本当はダメって言いたいところだがいいにしてやる。どんだけ口が寂しいんだ」
「常に唾液出し続けていたいんですよ僕」
「飲食の動機が理解できねえよ」
「え、唾液って虫歯とか口臭予防とかに大事なんすよ。唾液は常に出していたいんです」
「かりんとう食ってるほうが絶対虫歯のリスク高いだろ馬鹿か」
相葉のプレゼンは、内容から察するに終盤に差しかかっているようだった。これを聴き終えたら社に戻って軽く内容をまとめて今日の馬場達の仕事は終わりだ。相葉の後もあと2人の演者が控えているが、記事になりそうなものではない。
「……というわけで、AIは我々人類にとっての光なのです。そして我がMM総合医療センターは、新たな目標を掲げました。それは」
相葉が親指と人差し指の指尖をくっつけ、輪にして聴衆に見せた。
「5年後までに医者ゼロの病院を目指すということです」
おおっ、と観客席からどよめきが起こる。
「すげえこと言うな、あいつ」
「馬場さんの言った通りになりそうじゃないですか?」
「ああ、そうだな」
「これは記事になりますね」
「帰ってまとめるぞ」
「はい。社ならかりんとう食べれますしね」
相葉のプレゼンは程なくして終わった。質疑応答の時間で相葉に何個か質問が投げかけられ、彼はその質問の全てを当たり障りなく答えた。議長の「まだ質問したい方もおられるとは思いますが、時間の関係上〜云々」という定形文で相葉のプレゼン時間は終了した。
それと同時に記者達が次々と席を立ち、まるで競い合うようにして我先にと会場を後にしていく。馬場たちのような月刊の雑誌記者と違い、リアルタイムネットニュースの記者は情報の鮮度が重要なので、競い合っているのは事実だろう。
「やっぱり相葉目当ての記者がほとんどでしたね。僕らも帰ります?」
「そうだな。まあ焦る必要もないが……。次の演者は……新内先生?知らないな」
「題目も『AIによる医療のこれから』なんて、大した内容じゃないっすよ絶対。抄録にも内容載ってないですし」
「ん」
しかし、馬場はなんとなくそれが気になった。それが数十年間医療ジャーナルの記者として医学を追いかけてきた彼なりの勘なのかわからないが、彼はなんとなく、新内のプレゼンを聞いてみたくなった。
「まあ20分くらい帰るのが遅れるだけだ。聞いてってもいいだろ」
「えー。まあ、いいですけど」
「かりんとう奢ってやるから」
「どうせ奢るならステーキにしてくださいよ」
「なんだそれ」
「かりんとうは、人に奢られてまで食べたいくらい好きってわけじゃないんですよねー」
「知らねえよ」
「ま、仕方ないのでかりんとうで手を打ちましょう」
帰る気満々でカメラをバッグに収納していた斎藤は、渋い顔を見せつつも再びカメラを取り出した。
大ホールの客席を埋め尽くすほど居た聴衆のほとんどが姿を消し、会場に残って居るのは15人程度になった。その全てが医師で、メディア関連の人間は一人も居ない。
ということは、新内という医師がここで何か重大な発表をすれば馬場達の大手柄ということになるだろうが、その可能性は万に一つもありはしないだろうと斎藤は思った。もしそうなら、題目はもっとキャッチーなものでなくてはならない。
10分ほど待つと、演者らしき者が壇上に上がった。そして、「新内です」と名乗った。
斎藤の予想に反して、新内という医者は女だった。髪はボサボサ、メガネをかけていて、なんだかうだつのあがらなそうな顔をしているな、というのが第一印象だった。当直後の医者はみんなあんな感じだが、この学会で演者として参加している以上、彼女が当直明けである可能性は低かった。
プレゼンテーションが始まるというのに、大型スクリーンには何も映っていない。
「まさか口頭だけでプレゼンすんのか?」
馬場が少し怒り口調で呟く。
「やっぱり、ロクなプレゼンじゃないすよこれ」
「そうかもな。帰るか?」
「ありですね」
帰るか?と言いつつも馬場は腰を浮かすことをためらった。むしろ、口頭のみのプレゼンという希少性に、なんらかの期待を抱きつつあった。
彼等が帰るかどうか判断しあぐねている間に、新内は喋り始めた。
「人が少なくて良かったです」
開口一番、彼女はそう言った。まるで、聴衆が多いと不都合であるかのような口ぶりだった。
彼女は意を決するように大きく息を吸い込むと、言葉を続けた。
「もしこの中に記者さんがいるなら、記事にしないでください。私はただ、より多くのデータを集めるために、他の医師の方々と情報共有したく、この発表を行うことを決意したに過ぎません」
仰々しい滑り出しとともに発表は始まった。そして彼女は、次に発した言葉で、聴衆全体を大きく動揺させた。
「まだ可能性の段階ではありますが、私が今回発表したいのはーー医療用AIの欠陥について、です」
「来た、来た来た!」
馬場は思わず興奮して身を乗り出した。予想通り、いや、予想以上の単語が彼女の口から飛び出てきた。
記事にしないわけがあるか。
記者を舐めてもらっては困る。
新内は続けた。
「AIによる手術は、どの病院でも行われているものではありますが、多くの症例はAI設備の整った特定機能病院で行われ、術後フォローは近隣の市中病院で行われるのが一般的です。私は清良病院という病院で外科医として働かせていただいていますが、当院にも毎年多くのAI術後患者が紹介されてきます。多くの患者は術後経過良好、何事もなく通院期間を終了します。
しかしながら、中には再手術が必要な方もいます。
そこで私は、この5年間で紹介を受けたAI術後患者のうち、再手術を施行された患者45人のデータを分析してみました。すると、その45人には、ある一つの奇妙な共通点が存在していることがわかりました。データの母数が少ないため、他院の医師にも協力していただき、およそ1500人の再手術患者のデータを集計したところで、私は一つの可能性に行き着きました。医療用AIの欠陥ーーいや、欠陥というよりも」
新内は早めの口調でそこまで言うと、一旦間を置いた。
彼女は、次に発するべき言葉を口にすることの是非を自らに問いかけ、逡巡しているように見えた。
「欠陥というよりも、むしろ、意図的な失敗ーー」
バシン、という大きめな音が鳴り響いて、突如会場が闇に包まれた。馬場達は突然のことに困惑したが、それがただの停電であると気付くまでに時間はかからなかった。
「停電です。危険ですので、その場を動かないでください」
会場職員の張り詰めた肉声が大ホールにこだました。観客席からも困惑や狼藉の声が上がり、暗闇の中で音だけが忙しなく飛び交っていた。
「おいおいふざけんなよいい加減にしろよ」
馬場は抄録を床に投げつけた。このタイミングで停電なんて、間が悪いにもほどがある。
「ちょっとタイミング悪すぎですねー。停電の原因なんでしょうね」
「知るか」
「意図的な停電だったりして」
「んなわけあるか」
「えー。新内先生の発表を阻止するための妨害工作とか。ありそうじゃないですかー」
「お前はすぐそうやって事を大きく捉えようとする癖があるよな」
「記者なんて針小棒大の典型例じゃないですか?」
「お前はたまにそうやって正論で殴って来るよな」
馬場はふうーっと長いため息をついた。斎藤も同じようにため息をかぶせた。
「新内先生、今、意図的な失敗、って言いましたよね?」
「言ったな」
「どういうことなんですか」
「知るか。とっとと電気をつけて再開しやがれクソ」
「これで今日の講演は終了ですとか言ったら嫌ですね」
「そしたら新内本人に直接聞きに行くだけだけだがな」
全国普及率は既に60%を超える医療用AIーーそこに重大な欠陥が本当に存在するのなら、これは大スクープになる。しかしこれまで一度もそう言った報告がない以上、新内医師一人の妄言の可能性の方が高い、と馬場は冷静に捉えていた。
しかも、意図的な失敗って。
妄言者が言いそうなことではある。
医療用AIメーカーは、たった一度でも欠陥品を世に出してしまえば、まず間違いなく倒産に追い込まれる。患者の命をクリティカルな部分で握る以上、欠陥品はすなわち患者の死を意味するからだ。そのため、AIが世に出るまでには、多くの段階に分割された検査や試験を全て通過する必要があり、その時点でクリティカルな欠陥の可能性はほぼ排除されているはずだった。
まあ。
事実かどうかはさして重要ではないのが雑誌というものだ。
聴衆に与えるインパクトのでかさとか勢いとか、そういうところで雑誌の売れ行きは変わる。たとえ重大な欠陥などないのだとしてもーーAIに欠陥の可能性か?新内医師が指摘!この見出しだけでバカ売れする。
そして仮にそれが真実ではなかったとしても、記事が責められることはなく、それを大した裏付けもなく発表した新内医師に責任の所在が求められる。
学会めぐりをして記事を書くだけの仕事は、責任がないのが気楽なところだ。
再び、バシン、という大きめな音を立てて電灯に光が宿った。急な視野の明転に、馬場はわずかなめまいを覚えた。
「あれ、新内がいませんね」
斎藤の言葉を受けて壇上を見て見ると、確かに新内の姿がなくなっていた。
「なんでいねえんだよ」
「暗いの怖くて逃げちゃったとか」
「暗いの怖い奴が夜の病院で当直できるかよ」
「うわ、馬場さんたまに正論っぽい理論で殴ってきますよね」
「うるせえな」
「新内医師のプレゼンテーションはこれにて終了です。次の発表は15分後になります」
「はあ!?」
議長の言葉を受けて、馬場は思わず大きな声をあげた。馬場に限らず、観客席にも大きなざわめきが起こった。
「おかしすぎるだろ。ありえねえ」
「新内先生、停電で気絶でもしちゃったんですかね」
「あの女医がそんなタマに見えたか?あれは夜のER控え室で電気つけずにカップラーメン食ってても平気なタイプだぜ」
「いや、その例えはちょっとよくわかんないですけど」
「まあしかしこの場合、新内本人に何かがあったと考える方が適切かもしれねえな」
「うわあー、発表の妨害工作されちゃったとかですかね!」
「だから、そう事を大きく捉えるんじゃねえよ。とにかく、行くぞ」
馬場は勢いよく腰をあげた。それを見た斎藤が、えっ?と短く声をあげた。
「どこ行くんですか」
「決まってんだろ。新内本人に会いに行くんだよ」
「なるほど、そりゃそうか」
斎藤も笑って立ち上がると、二人は演者控え室へと向かった。

②清良病院にて。

「お〜い、西野くん。寝ちゃダメだよ〜ん」
遠くから声が聞こえる。自身の持てる極限の可愛さで鳴いてはみたものの、重ねた年月には抗えないオスの老猫のような、なんというか全身の至る所が痒くなる厭わしい声だった。
半覚醒状態の朦朧とする意識のなかで西野が半目を開けると、彼の視界いっぱいに渡邊の顔が映し出された。
「すっ、すみません!」
渡邉の顔を見るやいなや、西野の意識は急速に覚醒した。まさに居眠りしている現場を、外科部長である渡邊に現行犯で取り押さえられたのだから、第一声が謝罪文であることは至極当然の反応だった。
「手術中の居眠りはダメだよ〜。ちゃんと見てないと。僕が怒られちゃうんだから」
「すみません……」
「知ってる?院長って怒らせると怖いんだわ。この前とか、僕が患者さんと好きな女優の話で盛り上がってたら突然病室に入ってきてさあ。『何遊んでんだクソッタレ!給料泥棒!』ってメチャクチャ怒鳴られたんだよ。しかも患者の前で」
「大変でしたね……」
「そ。もう怒られたくないの。だから居眠りはダメ」
「申し訳ないです……」
「ま、気持ちはわかるけどねえ〜。AIがやってる手術を何時間も見るの、苦痛でしかないよね」
西野は、渡邊もまた手術監督の最中によく居眠りしていることを知っていた。
彼は基本的にテキトー人間で、「ま、テキトーにやっといて」というのが彼のカンファでの口癖であるが、そんな彼が西野の居眠りを注意したのは、ただ外科部長という立場上、体裁を保たなければいけないという理由からにすぎなかった。
注意以前に、そもそも彼が他の手術室に顔を出すということ自体珍しい。
「君は、新垣結衣と佐々木希、どっちの方が好き?」
「え、誰ですかそれ」
「うっそでしょ。知らないの。これがジェネレーションギャプってやつかぁ……。
昔の女優だよ。もう引退したもんなあ」
「すみません、知らないです……」
「時代の流れを感じるわ、ほんと」
「すみません」
「僕は新垣結衣派なんだけどその患者さんは佐々木希派で、お互い白熱した議論をしてたところで院長登場。あの日、1ヶ月分くらい怒られたわ」
「災難でしたね」
「ほんとだよ。久々にそういう話出来て嬉しかったのに」
渡邉はふうーっと、わざとらしく長いため息をついた。
「とりあえず今日帰ったら新垣結衣と佐々木希、調べておけよ。あ、別に手術中見てもいいけど。寝るよりはマシだし」
「わ、わかりました……」
「院長にだけ見つからないようにしてね」
「もちろんです」
「で。えっと、今日のこの手術はー、冠動脈の再狭窄で再手術の症例だったっけ。君、バイパス術のオペレーターやったことある?」
術野で忙しなく動くAI搭載手術用ロボットを見つめながら、渡邊は西野に聞いた。
「いや、お恥ずかしながら……無いです」
「西野くんって6年目とかだったっけ」
「そうです」
「じゃあ、まあ仕方ないよね。僕が最後にやったのも10年くらい前だし。
年を経るごとに症例はどんどんAIに取られてさ。
もはや素人みたいな僕達が、手術監督をする意味なんて本当にあるのかなあ」
「……」
手術監督。医者の重要な業務の一つである。
AIの手技にミスが無いかをチェックしたり、万一AIがエラーを起こした場合迅速に対応するため、手術の際は最低でも一名以上の医師を手術室に配置することが法律で定められている。しかし実際の現場でAIがミスをしたりエラーを起こしたりすることは万に一つも無いわけで、形式だけの監督業務に成り下がっていることは全国各地どの病院でも同様である。
「君、今これ何やってるかわかる?」
「えっと……内胸動脈を繋げて……ます?」
「なんで最後ちょっと疑問系なんだよ」
「すみません」
「まあ正解だけど。ちなみにこの前3年目に聞いたらわからなかった」
「あらら」
「仕方ないよねー。もう僕ら指導医側も、若手に手術を教えようって気概が全く無いし。手術の手順を一から教えるのは疲れるし、そもそももう手術する機会自体無いし。教える意味がない」
「大学の実習でも、手術見学はほぼゼロですからね」
「まあ学生のオペ見学は、僕の学生時代でもあんま意味無いような気はしてたけど」
「そうなんですか」
「っていうか、今ふと思い出したんだけど、僕は新垣結衣より本田翼の方が好きだったわ」
「知らないですよ」
「え、じゃあ、橋本環奈は知ってるでしょ?」
「いや、まあ、橋本環奈もわからないですけど」
直後に訪れる暫しの沈黙。西野は会話の逃げ道を探して、新たな話題に切り替えることを試みた。
「ところで先生、どうしてここへいらっしゃったんです?」
西野がそう尋ねると、渡邉は何かを思い出したように小さく手を叩いた。
「そうだそうだ、忘れてた。それを言いにきたんだった。西野、お前にお客さんが来てる」
「お客さんですか?誰だろ」
「医療ジャーナル誌の記者……つってたな。新内の件で聞きたいことがあるって言われた。めんどくさいから『新内のことなら西野の方が知ってると思います』って言った」
「僕に全振りしたんですか……」
「事実じゃん?新内はお前の大学の先輩でもあるんだし」
「まあそうですけど……」
「とりあえず行ってこい。この手術は僕が見といてやるから」
「わかりました」
サボりたいだけじゃないですか?という言葉を喉元で留め、西野は手術室を後にした。
手を洗い、着替えてから、記者の待つ院長室に入った。2人の男がソファに腰掛けており、自然な流れで西野はその対面に座った。
「あ、どうもどうも。お忙しい中すみません」
一人が、例えるのならジンジャーハイの色合い程度に黄ばんだ歯を見せながら愛想笑いを浮かべ、軽く会釈した。これからジンジャーハイを飲む時はこの男が頭をちらつくのか、と思うと、西野はこの男と出会ったことを後悔した。その隣に座る男はまだ30代くらいだろう。
名刺を交換し、歯がジンジャーハイの男は馬場、もう一人が斎藤という名前であることを知った。
「つまらないものですが、これ」
斎藤が紙袋を差し出して来る。
「かりんとうです」
「かりんとうですか」
「ええ、僕、かりんとうが好きで」
「ああそうですか。ありがとうございます」
西野は紙袋を受け取ると椅子の脇に置き、二人に向き直った。
「それで、お話というのは」
「はい。お宅の病院に勤めている新内先生、という方について、お話を伺いたいと思いましてね」
「はい」
「率直にお尋ねしまして、今、新内先生がどこにいらっしゃるか、おわかりになりますかね?西野先生」
西野は軽くため息をついた。これは、既に他方から何度も受けている質問だ。警察にも、院長にも、渡邉部長にも同様に尋ねられたが、全て同じように答えた。
「いいえわかりません」
「わからない?」
「はい。我々も困っているんです。新内先生は部長に次いでナンバー2の優秀な外科医でしたから、その戦力が欠けたのはかなり痛いんです」
「ということは、病院にも連絡が来ていないと?」
「そうです。あの新内先生が無断欠勤するなんてありえないので、みんな心配しているんです」
「無断欠勤するようなタイプではないと」
「はい」
「病院に来なくなったのはいつからですか?」
「あの学会の次の日からですね」
「なるほど。やはりあの学会の後からですか」
馬場は神妙に相槌を打った。一方の斎藤は、なんとなく能天気な感じがする。
「あの、かりんとう、食べてみてください。美味しいですよ」
「え、今ですか?」
「ええ」
斎藤が食べたいだけでは……と思いつつも、紙袋からかりんとうを取り出した。確かにでかくてうまそうなかりんとうだった。袋を開け、かりんとうを2つほどつまんだ後に、どうぞ、と言って二人に、というか斎藤に袋の口を向けた。
「じゃ、じゃあ失礼して」
「お前なんで取材先の病院でかりんとう食おうとしてんだ」
「え、だって、どうぞって言われたから……」
「言われたから……じゃねえよ。社に戻って食え」
「あ、いいですよ。別に。どうぞ食べてください。かりんとう」
西野の勧めを受け、斎藤は馬場の表情を伺いながらもかりんとうをつまんだ。
「……では、新内先生が学会で発表する内容について、西野先生はなにか聞いていませんでしたか?」
「ん〜、内容については何も聞いてないですけど……」
「内容に限らず、知っていることであればなんでも構いません」
「大したことじゃないですけど。あの発表は、かなり急に決まったんですよ、確か。
それで、その日の新内先生の業務が全部僕に回って来て、大変だなあと思ってたんです」
「急に?」
「題目募集終了後だったのに、無理やりねじ込んだんじゃなかったかなあ。学会内の知り合いに頼んで。
なんか早く研究結果を世間に出したいみたいでした。よくわかんないですけど。新内先生がそんなすごい研究してるなんて聞いたこともなかったんで、なんなんだろ、とは思いました」
「その発表について、何か言ってませんでしたか?」
「うーん、発表について何かっていうのはあんまり覚えてないですけど……。でも、学会前はよく独り言言ってましたね。かなりイラついた感じで。ストレス溜まってるなーと思って見てました。てかこのかりんとううまいですね」
「ですよね!」
斎藤が嬉しそうに同意した。
場に似つかわしくない陽気な情調の斎藤を横目に、神妙な面持ちで馬場は続けた。
「お口に合って良かったです。ところで、新内先生が学会で、姿を消す直前になんて言ったか、西野先生はご存知ですか?」
「いや、知らないです。もう一個かりんとう無いですか?」
「あの……」
「あ。ありますよ。僕の分のつもりで買いましたけど、差し上げます」
斎藤が自分のビジネスバッグから新たに2袋のかりんとうを取り出し、西野に渡した。
二人のかりんとうのやり取りに構うことなく、馬場は続けた。
「新内先生はこんなようなことを言ったんです。
AIには欠陥があるかもしれない、欠陥というよりむしろ、AIは意図的に手術を失敗していると」
「新内先生が?」
西野は眼を丸くした。
新内は外科部の中でも極めて聡明で厳しい女医だった。渡邉部長と対比し、院内では「外科の裏部長は新内だ」と揶揄されることもあるくらいだった。そんな彼女が、そのような妄言まがいの発言をするなど、西野には信じられなかった。
「その言葉を放った直後に会場は停電し、新内先生は行方不明になったんですよ。ちょっと変だと思いませんか」
「そうですね……。ちょっと信じられません。新内先生はそんなことを言うような人じゃないですし」
「なんかこう、妄想癖があるとか、虚言癖があるとか、突然逃げ出したりする癖があるとか、そう言った人では無いんですよね?」
「もちろん。というかその真逆です。冗談は通じない方ですし、あの人がどこかから逃げ出す姿なんて見たことがない」
「なるほど。そうなるとやっぱり、彼女の所在や言葉の真意が気になるところですね。
どこか、彼女の居場所で心当たりのあるところは?」
「家とか、大学とか?そのくらいしか思いつきません。プライベートでの付き合いは全然ないので」
「わかりました」
「もし見つかったら、当院にもご連絡ください」
「そりゃもちろんですよ。じゃあ次は、家とか、友人関係とかを当たってみましょうかね。
失礼ながら、新内先生はご結婚されているんですかね?」
「いやぁ……」
西野は言葉を濁した。
「聞いたこともないなあ。というか、怖くて聞けませんよ。その話題、地雷埋まってる可能性高いんですから」
「確かにそうですね」
「そうですよ。結婚なんて……あ」
西野はかりんとうに手を伸ばす動作の最中突然、小さく声を上げた。
「どうしました?」
「そういえば……」
「何か思い出したんですか?」
「いや、大したことではないかもしれませんけど。学会行く前日だったかな。なんか新内先生独り言呟いてたんですよね。『やっぱり、遺伝子……』とか『遺伝子が重要か……』とか。
なんか遺伝子って言葉をやたら使ってました。
それ聞いて、まさか新内先生、精子バンクにでも登録したんじゃないかと思ってビビった覚えがあります。孤独に耐えかねて、いよいよ精子バンクの精子提供で子供を作ろうとしてるんじゃないかって」
「遺伝子、ですか」
馬場は与えられた情報を咀嚼するように少し考える素振りを見せた後、メモに”遺伝子”と記した。
「情報、ありがとうございます。これでまた一つ、洗わないといけないところができました」
「なにか思い当たるところでも?」
「まだ勘ってレベルですが一応」
馬場はふふ、と息を漏らすように笑った後、メモをポケットへと雑にしまってバッグに手をかけた。
「最後に、これは無理なお願いかもしれませんが、新内先生の私物、たとえばノートPCなんかを拝見させていただくことはできないでしょうか?」
「それは無理です。患者情報が入っていることもあるだろうし、そもそも僕でさえアンタッチャブルですよ」
「そうですよね。ダメ元でお聞きしました。失礼しました」
馬場と斎藤は丁重にお礼を述べた後、院長室を後にした。

③軟禁部屋にて。

新内は軟禁されていた。
どこかもわからないマンションの一角。
雨戸が打ち付けられた1LDKの一部屋だけが、今彼女の移動できる最大限度の区画だった。
「……え、え」
新内は戸惑いの表情を浮かべながら、視線を宙で泳がしていた。
その様子から、既に2週間にわたる軟禁生活が、彼女の精神に何らかの影響を及ぼしていることは明白だった。
「いやいや、ちょっと待ってちょっと待って。違う違う」
彼女は苛立ちを隠すことなく吐き捨てるように呟いた。
「呟いた。じゃなくて。3章にしてもう私の出番が来るの?っていう戸惑いね、これは。
この小説、馬場と斎藤っていう記者が少しずつ謎に近づいて行く長編ストーリーじゃないの?二人が物語の核心へと近づいたところで満を辞して私が登場して謎解明って流れになるんじゃないの?」
新内は錯乱しているようだった。言葉はおよそ意味をなしていなかった。
おそらく彼女自身、己の口から継いで出て来る言葉の一言一句を理解していないだろう。
「理解してるわよ。適当なナレーションを入れるな。アンタに喋ってんのよこれ」
部屋の中は彼女以外誰の姿も無いのに、彼女の視界にだけは誰か別の人間が映し出されている様子だった。
「じゃなくて。アンタと対話してんの。私は」
…………。
「おい、なんか反応しなさい」
……世の小説の技法の一つとして、”メタ発言”というものがある。小説の世界を二次元とするなら、それを書く作家の立ち位置は三次元である。そして二次元の世界の住人であるはずの登場人物が、認知できるはずのない三次元の世界へ言及する発言のことを”メタ発言”と呼ぶ。
小説において笑いを誘う技法の一種だが、これを多用すると世界観が崩壊する諸刃の剣である。そして今まさにこの小説は、新内の独断によって発せられたメタ発言により、この小説の持つ厳かな世界観が崩壊させられつつあるのだった。
「何が厳かな世界観よ。最初っからコントまがいの掛け合いばっかりだったじゃない」
うるさいなこの女。早くメタ発言をやめろ。
「私は、なんで私がこのタイミングで出るのか聞きたいだけなのよ」
『小説って、長編にすると読んでくれる人減っちゃうし〜』という製作者側の勝手な都合により、作者の強い意志が働いて短編小説にしようとしているなどとは、苦労して謎を解明しようとしてくれている馬場や斎藤には言えるはずもない。
「はあ、本当に勝手な理由ね」
うるさいなこの女。冒頭からここまでメタ発言しかしていない。
西野の語っていた『聡明で厳格な人』という人格設定とまるで違うではないか。
「人前ではそう見せてるけど、私本当は、アラフォーになった今でも毎日出勤前にBL小説10分だけ読むような人間なのよ!悪い?」
頼んでもないのにどうして自虐した。
てか、ちゃんと婚活しろ。じゃないと、新内のキャラが『BL小説読んでるアラフォー独身女』で固定されちゃうぞ。
「え、やっぱり私って独身の設定なの!?せめてバツイチ子持ちってことにしてくれない!?」
その時、玄関のドアが開く音がした。続いて、ステッキのように硬い靴音が小気味よく響いてきた。
誰かが、部屋へ入ってくる。
他者の訪問は、彼女がこの部屋に閉じ込められて二週間が経過して、初めてのことだった。
「犯人……よね。普通に考えて」
新内がこの部屋に閉じ込められたのは二週間前の学会の日。学会発表の最中、突然照明が落ちたと思った次の瞬間には気を失い、気付けばこの部屋に閉じ込められていた。
玄関のドアは外側から施錠され、スマホやPCなど外界との連絡手段は全て奪われていた。
外界との連絡手段も無ければ、他者からの接触も無かったが、冷蔵庫には大量の食糧が備蓄され、部屋には本やテレビなどの娯楽もあることから、彼女を軟禁した犯人の動機は、新内を外界と遮断するという一点にのみあるよう推察された。
彼女はこの二週間、この居心地の良い1LDKのマンションの一部屋で、いつもとは少し違う日常生活を送っただけだった。
常人であれば、底気味悪いこの状況に戦慄し萎縮するだろうが、新内という女性に限って言えば、この二週間を比較的満喫していた。
「仕事からも解放されたしね。BL小説読めなかったのが辛いけど」
「独り言ですか?」
リビングの入口に一人の男が立っていた。40代半ばくらいの紳士的な風貌をした男だった。
肌艶が良く、高級そうなスーツに身を包んでいる。普段から新内が好んで読んでいる、執事系のBL本に登場しそうな、受けに見せかけた攻めタイプのキャラクターだ。
「すごい。全然怖がってないんですね。さすが度胸がある。女性外科医らしい」
「むしろ楽しいわよ」
「いやあ、すごいな。さすがとしか言いようがない。とりあえず、入らせてもらいますよ」
男は軽く頭を下げリビングの中へと入ると、中央に位置する三人掛けソファの右端を指差した。
「ここ、座っても?」
「どうぞ」
「どうも」
男はソファに静かに腰掛けた。
その所作はまさしく訓練された執事のようで、新内は独りでに萌えた。
「ご挨拶遅れて申し訳ありませんでした。本当はもっと早く来るつもりだったのですが」
「それはご丁寧にどうも。挨拶って、アンタが犯人じゃないの?」
「犯人……とはちょっと違いますが、まあそうといえばそうなんでしょうねえ。私、こういう者でございます」
男は胸ポケットから名刺を取り出した。白地に明朝体で身分と氏名だけが書かれた簡素な作りだった。
「M-AIクリエイション専務取締役……の桜井さん?」
「左様でございます」
「お偉いさんじゃない」
M-AIクリエイションといえば、医療用AIメーカー最大手の企業である。その専務取締役となれば、AI業界内でも重鎮と称される立ち位置の人間だろう。
「アンタみたいなお偉いさんが、どうして私を軟禁するのよ」
「情報を隠蔽しないといけないので、すみません。先生にはご迷惑をおかけしております」
桜井は深々と頭を下げた。
その振る舞いはどこか演技がかっていて、本心と行動は必ずしも連動していないように見えた。
「隠蔽しないといけないので……って」
「ええ、先生が学会で発表しようとした内容のことです」
「やけにすんなりと認めるわね」
「ここまでやっている以上、今更取り繕う必要もないので」
「まあその通りね」
「ところで、先生って、いわゆる腐女子ってやつですか?」
「ブフォッ」
新内は思わず咳き込んだ。桜井があまりにも自然な流れで問うてきたものだから、身構える時間が無かった。
「え、い、いや、なんで?」
「私の娘もそれらしいんですけどね。いやあちょっと私には理解できない世界なので。娘の理解者になるにはどうしたらいいのかお聞きしたいと思いまして」
「いや、そうじゃなくて。なんで私が腐女子だって知ってるのか聞いてんの」
「ああ、それはだって、先生の御宅を調べさせていただいたからですよ」
「……は?え?」
「先生のご自宅を拝見させていただいた時は驚きました……。あの、なんていうんでしたっけ?ボーイズラブ小説?でしたっけ。の数!本棚に収まらず、床にもたくさん散らばっていて」
「やめて!やめて!やめなさい!」
「一冊だけちょっと中身を拝見させていただきましたが……その、なんというか。ああ、こういう世界を好きな人もいるんだなあって」
「それ以上言うのはやめなさい!」
新内は思わず床に突っ伏した。
私以外の人間が、あの部屋に入るなんて。私の人生の黒い物の全てが詰まっているあの部屋に。
見られちゃいけないものがたくさんあるあの部屋に。
「あ、すみません。やっぱり見られたくないものなんですか?それは本当に申し訳ないことをしました。
でも安心してください。本はちゃんと元通りに戻してありますし、そのことは口外しないことをお約束いたします」「そういう問題じゃない」
「いやあ、本当にごめんなさい。でも、いいと思いますよ?趣味は人それぞれですし、何を隠そう私の娘も……」
「もうこの話終わりにしませんか!?!?!?」
新内は涙目で叫んだ。鬼の目にも涙である。
「はい、この話終わり!終わりで!話変えます!」
「わかりました」
「今日は何しに来たんですか!?私を殺しにきたんですか?というか殺して?いっそ殺して!?」
「いや、まさか。殺すんだったらとっくに殺してますよ……。そんなことはしません。
今日は、これからのスケジュールについてお伝えしておこうと思いましてお伺いさせていただきました」
「これからのスケジュール?」
「はい。貴方にはもう3ヶ月、このマンションで生活していただきます。3ヶ月後は解放します。
それを伝えにきました。ゴールが見えるマラソンの方が、楽でしょう?」
「解放……?ってことは、ここから出られるの?」
「ええ」
「情報隠蔽するのがアンタたちの目的じゃないの?アンタたちは私が外に出たら困るんじゃない?」
「いや、大丈夫です。3ヶ月後なら」
「3ヶ月って、その間に何があるの」
「日本全国のAI普及率が90%になります」
90%。現在の普及率が60%であるから、たった3ヶ月の間に30%も増加するということになる。
「現在抱える注文全ての納品終了が3ヶ月後なんです。その時には、普及率が90%になるというのが我々の計算です」
「変ね。それだけ普及した後に私が欠陥を指摘したら、それこそ取り返しのつかない大問題になっちゃうじゃない」
「普及率が90%を超えた場合、情報隠蔽に国が加担することになります。そうすれば、もう貴方が何を言おうと情報は出回らない。だから、3ヶ月後です」
「……国?やけに大きな話になるわね」
「既に一部の政府高官と話はつけてあります」
「ありえない。政府ぐるみで欠陥を隠蔽していることがバレたらそれこそ大問題。国がそんな厄介なことに協力するわけがない」
「本当にそう思いますか?」
「思うわね」
「残念ですがそれは先生、見通しが甘い」
「なに?」
「ご説明しましょう」
桜井は襟を正して新内に向き直った。
「AIが全国の病院に90%以上普及した状態で、欠陥が発覚する。すると、その全てのAIがリコールされることになり、短く見積もっても3ヶ月はAIが使えない状態になるんですね」
「ええ」
「でも今の医師たちはAIに骨抜きにされた経験の浅い方ばかりでしょう?虫垂炎の手術くらいならできるかもしれませんけどね〜。基本的に、予定されていたオペは全て中止になるでしょう。緊急手術もできなくなる。
今の時代の医療は、AIが無くなると機能しなくなるようなシステムに構築されてしまっているんですよ。
その状態の3ヶ月。どうなると思います?」
「……人がたくさん死ぬわね」
「そうなんです。患者は手術を受けられずどんどん死んでいく。AIのリコールのせいで。命だけじゃない。
その期間の賠償金も膨大な額になるでしょう。主には、病院の維持費と患者への慰謝料の支払いになりますかね。その賠償責任はどこへ行くか。
我々メーカーだけでなく、AIを認可した国家もまた、同じように責任が問われることになるでしょう」
「だからって、欠陥の事実を隠蔽していいことにはならないわよ」
「その欠陥が、クリティカルなものならまあそうですよね。そもそも隠蔽はできないだろうし、リコールもやむなしです。しかし、この欠陥自体、そんなに大したものではないですし」
「大したものでしょう?」
「そうですか?我々にはそうは思えません」
「……AIが、”命の選別”を行っているのよ。AIが、命に優劣をつけてるの!」
新内は思わず声を荒げた。
しかし興奮する新内とは対照的に、桜井は冷静沈着に、冷たい微笑みを口元にほんのり浮かべた。
「命の選別……ですか。なるほどそうかもしれません。
ですがこれは、今の日本社会にとって、大事な選別なのかもしれませんよ。新内先生も、全く理解できないというわけではないでしょう」
「…………」
理解はできる。できなくもない、という程度。
だが、命は平等だ。
そう教えられてきたし、そう思っている。それが道徳的に正解の解答。
「この欠陥に気付いた時、新内先生はどう思ったんですか?」
「私は……」
彼女が”それ”に気付いたのは、清良病院に紹介されたAI術後患者のうち再手術を施行された45人の遺伝子解析の結果が検査機関から送られてきた時だった。
彼らに共通する一つの傾向。
奇妙に思った彼女は、それが偶然であることを否定するためにより多くのデータを集めた。患者をAI術後の予後不良群と予後良好群に分け、1500人の患者を対象として遺伝子解析を行った。
そして、彼女は確信に至った。予後不良群に存在するある傾向は、決して偶然ではないことの確信を得た。
患者間に存在した、一つの共通点。
近年同定された、アルツハイマー型認知症を重篤化させる原因遺伝子の発現量。
AI術後の予後不良群は一般人と比べてその発現量が遥かに多くーーそのため彼らは、見当識や記銘力の障害は愚か、日常生活動作にまで支障をきたしうる重篤な認知症を、近い将来に発症するであろうことがーー共通していた。

④伊藤の自宅にて。

「おー、どうもどうも。貴方たちが、なんだっけ。なんとかっていう医療ジャーナル誌の記者さん?」
馬場と斎藤は、ある人物の自宅へと案内されていた。
M-AIクリエイション医療用AI開発部の元部長で、3年ほど前に退職した伊藤という男の自宅だった。
馬場は3日前に彼に取材を申し込み、アポイントを取り付けていた。
「ええ。私が馬場で、こちらが斎藤です」
「斎藤さんと、ババァさんね」
「馬場です」
「だから、ババァさんでしょ?」
「馬場です」
「だからそう言ってるじゃん、ババァさんって」
「なんか、ちょっとイントネーションが……いえ、なんでもないです。よろしくお願いします」
「斎藤です、よろしくお願いします。こちら、かりんと」
「出さなくていい」
馬場は素早い動きで斎藤を制すると、綺麗に包装されたマスクメロンの入った紙袋を差し出した。
「こちら、つまらないものですが」
「あ、お気遣いどうもー。え、メロンかー。高そうなメロンだけど、ごめん僕、メロン食べれなくて……。
かりんとうとかでよかったんだけど……」
「かりんとうあります!」
まるで押さえつけられていたバネが跳ね上がるかのごとく、斎藤は素早い動きでかりんとうを差し出した。
「おー!かりんとう!」
嬉々としてかりんとうを受け取る伊藤を前にして、斎藤が馬場に向けた得意げな表情は、馬場の人生においても上位に食い込むストレッサーになりそうだった。
「で、今日はどういったご用件?かりんとうもらったし、質問なんでも答えるよ〜」
「いや、かりんとうにそこまでの価値無いですよ……」
「何言ってんですか馬場さん。このかりんとう、本当にうまいんですから」
「お前は喋らなくていい」
「えー、ひどい」
「伊藤さん、まずは、こちらをご覧いただけますか」
馬場は自身のビジネスバッグから、ある資料を取り出してテーブルの上に載せた。
伊藤は訝しげにその資料を覗き込む。
「これは……遺伝子解析結果?」
「これ、ある病院の医師が、遺伝子解析の検査機関に依頼していた1500人分の遺伝子解析の結果をまとめた資料なんですがね。AI術後の予後不良群に、共通点があるんですよ」
「重篤な認知症のリスク因子保持者っていう共通点?」
「え?」
馬場は拍子抜けした。
伊藤はてっきり白を切ると予想していただけに、用意していた言葉は状況に適切ではなかった。
「そ、そんなあっさり認めちゃうんですか?」
「え、ダメだった?ここはもっと勿体ぶった方が良かった?」
「いや、そういうわけではないですけど……」
「え、やり直すよ。共通点!?そんなの知らん!みたいな感じでいい?」
「いや、やり直さなくていいですけど……。てっきり口止めされてるものかと思っていたので」
「もういいんじゃない?多分。あんた達が何言ったって無駄だろうし」
「無駄?」
「うん。無駄だと思うよー。
昔、『スマホやりすぎると認知症になります!』みたいな話がテレビで取り上げられたことあったでしょ。
あの時、信じる人もいたけどまたガセかって取り合わない人の方が多かった。
それと同じで、ババァさん達がもし『AIに欠陥!』なんて記事を書いたところで、またガセかってなるだけさ」
馬場のイントネーションは気になったが、それを指摘しても話が進まないので彼は無視することに決めた。
「たとえ証拠があっても?」
「情報隠蔽のために国が動いてるらしいよ。そのレベルの隠蔽を、ただのジャーナル誌が暴くのは無理だよ。
今の時代、ただでさえメディアは信用されてないんだから」
「…………」
「メディアとAI、どっちが信用されてるかって言うと、まあ間違いなくAIでしょ」
時代の流れとともにメディアが持つ影響力が衰退していることは、数十年記者として出版社に身を置く馬場が一番良くわかっていた。今の時代の国民は、新聞やジャーナル誌、報道番組を、眉唾物のゴシップ誌程度のものと同列に捉えている。
「だからまあ、知りたいことがあればなんでも教えますけど。どうぞ」
「……では質問します。この欠陥、メーカーが意図的に仕組んだものなんですか?」
馬場の質問に、伊藤は首を横に振った。
「違う。もとはといえば、僕一人の犯行だね。僕が単独で、そうなるようにプログラムを書き換えた」
「伊藤さんが?」
「ええ。僕って、開発部の部長でしょ。だから簡単だったの。他の社員にバレずにプログラム書き換えるなんてことは。検査段階のAIのプログラムを、また1から解析し直すなんてことしないし」
「具体的に、どう書き換えたんですか?」
「ん〜、簡単に言うとねえ。
AIに術前の患者の脳MRIを分析させて、重篤な認知症のリスクがある人の手術は失敗するようにさせたの」
「……もうちょっと具体的に教えてください」
「AIってさ。賢いのよ。あいつら、何億枚っていう脳MRIの画像を学習してるから、どんな人間の脳にはどんな傾向があるかとか、わかっちゃうわけ。俺ら人間にはわからないレベルの微妙な違いもね」
「画像だけで、病気のリスクがわかるってことですか」
「そー。僕は特に認知症に焦点を当てて、重症認知症リスクのある患者の脳MRIを見たら、手術を失敗するようにプログラムしたの。失敗って言っても、もちろん人間にはわからないレベルでね。
何回も言うけど、あいつら賢いから。失敗も完璧に再現できる。何億ってオペ記録を学習してるわけで、どんな手術が失敗するのかもちゃんと知ってる。
どんな風に縫ったら縫合不全が起こるとか、どんな風にステント入れたら再狭窄するとかね。
積み重ねられたオペ記録を分析して、狙って失敗できる。人にはわからないレベルのところでミスをして。
つまりAIには、完全犯罪が可能ってわけだな」
「AIは、殺人犯としても優秀ってわけですか」
「うまくまとめたねー。さすが記者」
伊藤は笑顔で手を叩く。
「んで、AIの設計図さえできちゃえば後は簡単でしょ。大量生産のラインに乗っちゃえばもう誰も気付かない」
「治験段階でバレる可能性は?」
「バレるわけないでしょ。画像で病気のリスクまで分析できるのはAIしかいないんだから」
「もし患者の遺伝子解析をされたら、バレる可能性もあったんじゃないですか?」
「普通遺伝子解析なんてしないし。
そもそもねえ、Aっていう因子とBっていう結果の関連性を示すってすごい難しいことなんだよ?記者屋さんならわかるでしょ。
『認知症のリスク因子を持つからAI術後の予後が悪い』なんて、そう簡単に証明できないの」
「確かに……」
「例えば、『胸がでかいからモテる』って仮説、これ本当の意味で証明できる?無理でしょ。
胸がでかい人は美意識が高くて顔が可愛いのかもしれない、胸がでかい人は自信があるから性格がいいのかもしれない、だからモテるのかもしれない。そういう、交絡因子ってやつを排除するのは難しいんだよ」
「ちょっと例えがアレですが……言わんとすることはわかりますけど」
「とにかく、関連性の証明ってめっちゃくちゃ難しいわけ。だから、まあバレてもいいやって思ってたんだけどね。
会社の上層部はナーバスになって女医を一人軟禁したって噂だけど」
「新内先生ですね。もう見つかりましたけど」
「ああ、解放されたんだ。よかったね」
伊藤は無機質な口調でそう言った。馬場は質問を続けた。
「で、結果として、伊藤さんによるプログラムの書き換えは、バレることもなく全国の病院へ普及し、殺人AIが全国に配置されたと」
「まあ、そうだね」
馬場はあえて、『殺人AI』という強い単語を使用した。
伊藤のやったことは、殺人とそれほど遜色ないと彼は思ったからだ。
「この件は、貴方単独の犯行ということなんですか?」
「そうだね。まあ最初はね。医療用AIの普及率が50%を超えたあたりで、僕は上層部にこの話を伝えた。
そのせいで僕は解雇されたけど、上層部がこの件を隠蔽するだろうことはわかってた」
「どうしてですか?」
「だって、きっとバレないだろうし、もう引き返せないじゃん。全国にあるAI総リコールなんて無理に決まってるでしょ」
「会社が潰れますね」
「まず間違いなくね」
伊藤は、背をソファにもたれかけた。
「で、戦犯の僕は会社から追放されて、こうして一人田舎で暮らすことになりましたとさ。めでたしめでたし。って感じで、物語は終わるのかな」
「いや、まだ終わりませんよ」
「他に何か聞きたいことあるの?」
「ありますよ」
「なに?」
「動機です。動機を教えてください」
「なるほど動機ね……。ミステリー小説なら、読者が一番気になるところだよね」
伊藤は小さく笑うと、その悲しげな視線を、目の前にいる歯の黄色い男から窓の外に映る青い海へ移した。
「昔、『安楽死法』ってのが話題になったよね」
「10年くらい前の……」
当時のメディアはその話でもちきりだった。
「たしか、人権団体などに批判されて廃案になりましたよね」
「そ。医療現場を見たこともない、介護で苦しんだこともない人達が、『命は平等だ』なんていう、誰も否定できない正論で殴ってきて。一部の反対勢力だけがうるさく声を上げて、法案を好意的に捉えていた国民のほとんどはサイレントマジョリティだった。
安楽死法は、限界を迎えていた日本の超高齢社会に差した一筋の光だったのに、闇の中へ消えたんだよ」
伊藤は、僕ね、と続けた。
「僕ね、実は昔医者だったんだよね。まだAIなんて無い頃。まあー、めっちゃ激務でさ。実家なんて帰る暇も無かった。祖母は常時介護の必要な認知症患者だったんだけど、その介護は全て母に任せていた。
申し訳ないとずっと思ってはいたけど、僕にも仕事があったから、どうすることもできなかったんだ。
そして、ある日突然母が自殺した」
「自殺……ですか」
「介護疲れね。あの時の絶望が、僕の動機かなあ」
伊藤はそう言って、自虐的に笑った。
「これで、物語は終わり?」
「そうですね。もう質問もありません」
窓の外の海は、眩しい太陽光に照らされて、キラキラと、水平線まで美しく輝いていた。

「医療用AIに医者が仕事を奪われて行くちょっと先の未来の話(タイトル未定)」SF小説

貴方が今この文章を読んでいると言うことは、この小説を最後まで読んでくれたということでしょうーーーーどうもみなさんこんにちは、鷹音です。
勢いで書き殴ったものなので、ちょっとおふざけが過ぎたかも?とちょっとだけ反省しています。ちょっとだけ。
今回のこの小説は、まあ完全に僕の妄想なわけですが、愚筆ながらこの小説で伝えたかったこともあります。
伝えたかったことをわかりやすく箇条書きで書きますね(あとがきの革命)
・医師の仕事がAIに奪われていくことへの不安
・AIの信頼性
・AIが広まった後の不安
・高齢社会ならではの問題
今回のお話は、伊藤っていう犯人がいて、AIの欠陥は彼の手による意図的なものだったわけですが、そんなことは起こらないにしても。
もしAIが広まって、もうAI無しじゃ医療はできない〜〜!みたいな状況になった後に、むちゃくちゃヤバイ欠陥が見つかったらどうすんだろ?と思う気持ちはありますね〜。まあそんなことは無いように、何重にも何重にも厳格な検査や試験が行われるんでしょう。
医者は今激務なので、AIが医者の負担を減らしてくれるのならWin-Winの関係になりえますから、不安もある側面、期待も大きいですよね。
これからどうなっていくんでしょう。誰にも予想できません。
というわけで、鷹音でした。読んでくださったみなさん、本当にありがとうございました。

「医療用AIに医者が仕事を奪われて行くちょっと先の未来の話(タイトル未定)」SF小説

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-04

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. ①学会会場にて。
  2. ②清良病院にて。
  3. ③軟禁部屋にて。
  4. ④伊藤の自宅にて。