アルゴル~悪魔の光り~
Algol ~Damon star~
妖精たちが森の夜宴に戯れるこの季節。美しい星が天を埋め尽くしている。彼女たち妖精の女王が見上げる先にも輝いていた。こずえの先に、アルゴルの星が。
<悪魔の光>という異名を持つアルゴル星は、ペルセウス座が手に持つ蛇女メドゥーサの顔に位置する星の名だ。
「アルゴルの星が……今宵はまるでわたしに語りかけるように輝いている」
ここは森林。
精霊の女王は星空を眺め、木々の幹によりかかる。和やかさから来るうつらうつらとする瞳で。狭い肩に流れる金髪はうねり、白いエンパイアドレスは彼女の柔らかな痩身を包む。
草地に座り、葉陰の向こうにちらちらと光るアルゴルの星を見つめていた。神話のメドゥーサにちなんだあの妖しげな星を。それを見つめる瞳は水色。それはまるでメドゥーサの流した涙色を映しているかのような澄んだ色。
夏の虫は静寂を味方して、妖精たちの耳を楽しませていた。夜露にぬれた草花は静かに頭をたれ、明るい星光に照らされ彼女たちの目を楽しませる。
「わたくしがあの星を取って来て差し上げましょう」
夜の花の宴にいた一人の妖精が横に立てかける弓矢を手に立ち上がり、みなが彼女を見上げて笑った。
「美しいメドゥーサさんに威嚇されておしまいよ。あなた」
「恐くはないわ」
言い伝えでは、メドゥーサは勇者ペルセウスに退治されたという。だが、元は実に美しい女性だったことを知る者はどれほどいるだろうか? 遠い昔メドゥーサはポセイドンに見初められアテネ神殿に連れ去られた。宮殿を汚されたことに怒った女神アテネは、彼女の美しい髪を蛇に変えてしまった。それらの辛い過去はメドゥーサを洞窟へと追い込む。そこを涙の砦にして。
時が経ち、勇者ペルセウスは人を石に変える妖魔メドゥーサを退治しにやってきた。それは奇しくも彼女を辛い生の哀しみから開放することになる。そのメドゥーサの純粋な心は、天誅後に純白のペガサスとなって流れた血液から生み出される。ペルセウスは彼女の首を掴み、飛び立つペガサスを捕まえて持ち去った。
後に、勇者ペルセウスは人助けのためにメドゥーサの血から生まれたペガサスに乗り海の妖怪退治する。メドゥーサの目を見せることで妖怪を石に変え、岩礁に拘束された少女を救った。
思うに、純白の美しいペガサスはメドゥーサの心が創り出した美しさだったのではないだろうか? そして開放された後の分身だったのではないだろうか。
そんな伝説のある蛇女メドゥーサの首を鷲づかみにしたペルセウスの姿が、星座として位置づけられているのだが……。
「ペルセウスも酷い人ね……。未だに美しい娘の変わり果てた首を掲げて夜空にきらめいているんだもの。まるで瞬くアルゴルの星は彼女が恥らう姿。石に変わった者達にさえ涙を流し世を哀れんでいる姿にも見える」
ペルセウス座が持つメドゥーサの瞳として「アルゴル」は光り輝き、その星は<悪魔の光>との異名を持っている。それは不可思議に星の大きさが変幻するからだ。他の天体がその星の周りを三日に一度の周期ごとに回って重なることで、そのアルゴルが大きく見えたり小さく見えたりするのだった。
「見ていらっしゃいペルセウス」
弓矢を持つ妖精は凛と立ち細い弓矢をきりきりと引き、蛇頭を鷲掴むペルセウスの手元に向けて矢を射った。彼が驚いて乙女の首をうっかり離すように。
金に光り星明りをうける一本の矢は、たちまち天体に流れ星の如く線を描き、彼女達は行方を見届けた。
だが、その矢は天の川へ届くまでにすらすらと弧をえがいて森の彼方へ落ちていく。
「………」
彼女達は未だ輝くペルセウス座を見上げ、弓矢の妖精は腰を下ろした横に弓矢を静かに置いた。
果物を食べながら妖精たちは涼んでおり、その一房の葡萄をアルゴルに掲げた。まるでその葡萄の下方から涙が滴るかのようにアルゴルは楚々と光っている。星の雫……。
「何を語りかけておられるよう聴こえたのですか。今宵の哀しきアルゴルの星は」
「どのようなことかしらね……。ただ、どこかわたしたちの宴へと若かりし乙女のころの様に加わりたがっているかのようで」
「それではわたくしが彼女をこの場へとお連れ致しましょう」
竪琴を爪弾いていた妖精がすっと立ち上がる。唄でペルセウスを惑わし、少しの間だけ彼女をここへと連れてこさせようというのだ。
他の妖精たちは顔を見合わせ言った。
「おやめなさいな。あなた。ペルセウスはペガサスをお供に出来たし、メドゥーサを哀しみから一時開放しはしたけれど、それは彼が乙女心を知ってのことではないわ。それなのに女の歌で惑わされるかどうか」
それでも妖精は微笑み唄い始めた。
「ペルセウスさん
あなたの腕は剣を手に
あなたの手は首を持ち
その耳には救出を求める乙女達の声
けれどよく見て
あなたの可愛いお気に入りのメドゥーサは
乙女達を救いながらも恐れているの
強張る彼女の眼
鋭い彼女の顔
それは自分の姿を哀れんで
慈悲をいつかはと願う乙女心が泣き悲しむ顔にも見えなくて?
地上には緑のまどろみ
天には数多のきらめき
いつかは開放して差し上げて
彼女が元の姿で報われどこかで輝けるように
ペルセウスさん
あなたの愛はどこにあり
あなたの目は愛を知り
その顔には勇猛な優しさ忍ばせるなら聴いて
それをよく見て
あなたの綺麗なお供にしてるペガサスは
乙女達を救いながらも思ってるの
わが身を産んだ者は
泣き顔のメドゥーサ
彼は彼女の姿を哀れんで
共にどこまでも彼と武勇の道を決意しているようにも思えなくて?
我等はまどろみのさなか
天の輝きを見上げて
ときに憂鬱にもなるのです
彼女が元の姿で報われどこかで輝けるまでを」
竪琴から静かに指を離し彼女はしばらく見守った。夜風はゆるやかに髪を揺らす。
しかし、ペルセウス座は不動の態で光り、頭上の巨大なペガサス座を見続けているのみだ。
ペルセウスはうっすらとした雲に流れ隠れていき、再び現れ今度はアルゴルを薄く隠していった。その雲はメドゥーサの涙を拭うことは出来ない……。
妖精の女王は葡萄酒の金杯を傾け、肘掛に横たわったまま目を綴じた。
「森もさやけし啼いている」
泉の横にくつろぐ妖精の一人が応えた。
「はい。女王さま。今宵はとても静かな刻を紡いでおります」
彼女達が乙女の星を見上げているとき、何処からか男達の声が聞こえた。
「あら。森や木の精たちかしら」
弓矢を持った妖精はそちらの茂みを見ては、彼らなら持つことは無い明かりがちらちら見えたことで姿勢を低く立ち上がった。
「彼らではないわ」妖精たちは女王の周りへと集まった。
それはこの森から離れた村に住む青年達だった。彼らは言う。
「ああ。そうさ。俺はあの夜空に光るペルセウス並に勇気があるからなあ」
「あの恐ろしい悪魔の光を発するアルゴール星を見てみろ。お前はあの光の恐怖に惑わされずにあの子を救い出せるか?」
若者達は三名で森を歩いている。なにやら深刻なのかそうでないのか分からない口調だ。
竪琴から指を外し静かにしては夏虫たちの声に潜む妖精は木陰から近付いてくる声を息を潜め見守っていた。
「エネイディケの無謀がなければ今頃は王が彼女を連れて行かなかったろうさ。あの王は若くて血気盛んな乙女が好きだからな。お前から彼女を奪ってまで女王の座を与えて俺達の手の届かないところへ……」
「この手に盾とメドゥーサの首さえ持っていれば、取り戻せるさ」
「それならペルセウスに来てもらうか? 歌を歌うといい」
木々の草花の薫りをかぎながら一人の若者が婚約者を連れて行かれた若者を見た。
「おお ペルセウスよ!
我の悲しみを 打ちひしがれた心を見てくれ
この打撃をわが身の様に
私は永久の愛と願っていた乙女を奪われ
お前のその勇猛な腕を持っていればと思っている
おお メドゥーサよ!
今一度お前のその恐ろしい姿で憎き相手に分からせるんだ
この打撃を終わらせるため
でも私は自分で行くよ 彼女を迎えに行くよ
だから夜空の内は見守っているのだよ」
「この勇士を!」
「若きデベルシスの姿を!」
「王に打ち砕かれなきゃいいんだがな……」
「何か言ったか?」
「この勇士を!」
「若きデベルシスの姿を!」
若者達はあれこれと言い合い、そして泉まで来た。
きよらかな泉には夜の天体を美しく映し、細やかな星は木々の縁取りの陰に囲くらくわれている。彼らの影も映り、星座を見ているようだ。
「さあ。俺はこの森を越えた先に待つ城への攻防を控えて眠るとするか」
「頭脳も必要だぞ。女を取り返すには……」
「それがデベルシスには可能かなあ」
「何か言ったか?」
「おお ペルセウスよ!」
「それが明日の俺の重なる勇士だ!」
彼らは眠る場所を確保し、瞬きの元で眠りに落ちた。
弓矢を持つ妖精が静かに木々の間から現れ男達を見る。彼らは細身で大きな犬を一匹連れていた。
「まあ……彼らは言い放題。我等にはメドゥーサは哀しみの象徴に見え、恋する若者達にはペルセウスはあこがれの者に見える。瞳の星がなおも惑わす妖し気な光りに映るのかしら? この目には酷な運命に打ち奮えて見えるのに」
今尚、星は静かに光りを投げかける。堂々としたなかにも気品すら伺えた。
「どうする? 取られた乙女を連れ戻しにわざわざ危険な目に会いに行かせる前に、私達で惑わしては」
悪戯好きの妖精が猫のような上目でくすりと肩越しに言った。
「まあ。あなたったら、本当に男が好きね」
「それも若くて無茶をしてばかりの子達ばかり」
「今回ばかりはそれはよしておいたほうがよさそうよ」
女王がアルゴルを見上げながら言い、妖精は微笑み聞かなかった。
「試すのよ。愛する女の子を救い出したいという彼らの勇気をね。メドゥーサを助けてあげたいあなた達にも分かるでしょう?」
「ものは言い様ね。ただただあなたの場合は若い子で遊びたいだけのくせに」
「ふふ」
魅力的に微笑み、悪戯好きの妖精が夢心地の彼らへと歩き近付いていく。
彼女は肩越しに視線を向けると、竪琴の妖精も仕方なしに協力してやることにした。ゆったりと小夜曲を爪弾く。弓矢の妖精が歌声を滑らせた。
「若者よ ほら この夜唄を聴いて
眠りにむさぼり乙女を夢見てないで
もう少し美しい星を見てはいかが
わたしの目にも輝く光
悪魔の光りにも劣らない魅力のわたしの瞳の輝きを
とくと見てほしい
若者よ さあ 目覚めなさい
明日のことなど忘れてしまえ
もう少し森でくつろいではいかが
こちらの宴にくわわって共に歌い
あのアルゴルの星を称えようではありませんこと
若者よ ああ 美味しい果実をお食べ
目覚めたあなたに差し上げましょう……」
悪戯好きの妖精は微笑みながら唄い、緑の葉枝で彼らの頬や鼻先を一なでする。
「ううん。唄が聴こえる……なんとも美しい声だ」
「奔放にして、自由な」
若者達は目覚め、妖精たちは跳んで隠れた。彼らは夢心地のさなかで森を見回した。茂みから顔を覗かせる妖精は囁き歌う。
「こちらへいらっしゃい」
その声はどこからともなく聴こえる声となって彼らの耳に届いた。声に惑わされ、彼らは歩き出す。
妖精のしわざで犬は眠っていた。若者達は声をたどって木々の間を歩いていく。
「どこだ? どこだ?」
身を潜める妖精は彼らを唄で森の深いほうへといざなっていく。
悪戯好きの妖精を天体から見ているのはメドゥーサだった。彼女は微かなため息紛れにそれを見守った。
今の自分には海神ポセイドンを惑わせた美貌があるわけではない。プライドも崩され、姿さえも変えられた。そして乙女達の悪戯心や若者達の果敢な言動を見聞きしているだけ。時に廻ってくる星に隠れて自らの境遇から現実逃避できるけれど、その星は周期毎に去って行き地上の彼らにこの姿をさらしてしまう。地上の彼らは姿を消したり表したりする星を悪魔の光と言うが、彼女にとっての悪魔の星とは現実を隠すだけではなく包み隠さず見せて分からせて来る巡っては戻ってくる星のことだった。それでもどうだろう? その代わりに、三日に一度は彼女にとても美しい青の惑星をその時にはとくと見せてくれるではないか。
地上の者たちはメドゥーサの逸話を恐ろしい神話と語る事が多いけれど、時にあの妖精たちの様に心を分かってくれる者たちもいる。それだけでもどれほど心は救われるだろう。
時々、今宵の妖精の女王はこちらを見つめてくる。優しいまなざしをしていた。
メドゥーサは可憐に生きる者たちを羨望の眼差しで見つめていた。その顔は蛇の髪を鷲掴まれ嘆きの顔をしてはいても。
メドゥーサは心で思った。この心を分かっていただいて有り難うございます……。あなた方がいつまでも美しい森で遊べますように。精霊の女王へと心で呼びかけた。
森では悪戯好きの妖精が若者達を惑わし、夜霧の流れ始めたその先へ進んで行く。そして時に天体を流れる薄絹の雲は森を隠し星のきらめくこの場所から見えなくする。そしてまた風で現しては彼らを洞窟へいざなったようだ。
「さあ。こちらよこちら……」
声に惑わされた若者達はそこが洞窟とも知らずに幻を追うように進んでは、夜霧はそこまでは届かなくなっていた。
肌寒さが占める洞窟は彼らを目覚めさせる。
「ああ、ここはまるで……」
「ああ。本当だ」
彼らは辺りの岩窟を見回し、本能的に身を低くして警戒した。
「まるであのメドゥーサが現れそうな洞窟ではないか」
明かりを手に掲げて注意深く見回す彼らだったが、彼ら自身の陰が大きく揺れただけでも驚く始末だった。
これでは王から乙女を奪い返せるのかしらねと妖精は息をつき、光りの影の間から森の薫りを彼らに届けて恐怖をやわらげさせた。木々や草花の発する露の薫りが彼らを優しく包む。
驚かせてやろうと妖精は大きな葉っぱの仮面をつけて草の衣をまとっては低い声で言った。
「お前達は誰だ」
厳かな声に若者達はおのおの辺りを見回し、そして大きな影に驚いて腰を低くした。
妖精は声を変えて言う。
「若い人。この岩の溜め水をごらんになって。わたしの顔が映ってよ」
「我妻を奪いに来た者たちか!!」
若者達は驚いて洞窟を見回し、そして黒い影が近付いてきて現れた何者かを見て一人が声をあげて逃げていってしまった。
「な、何者だ! 洞窟の精か!」
「若い人、彼から私を奪ってくださいな。どこにいても私は監視されているのです」
「乙女の声がする」
二人は様子を伺いながら逃げていった友が気になった。
「あれは俺達を誘き寄せるメドゥーサの声か?」
「俺達を石に変えようとするのか」
「いいえ。違います。私は悲しんでいるのですよ。そう思われることが哀しくて、夜空で泣いている姿が見えなくて?」
竪琴の妖精が影から声を真似て言い、悪戯好きの妖精は緑の衣の声で言った。
「ここはお前達の来る場所ではない!!」
「私を助けてくださいな!」
彼らは何かに化かされていると思い、一気に洞窟から逃げ出して行った。
悪戯好きの妖精は彼らのその時の目を見開いた顔を見てけらけらと笑い転げ、竪琴の妖精は呆れてやれやれ首を降った。
「あれでは乙女を救い出せるかどうか。正体の見えるものには立ち向かってゆくのだろうけど、正体の見え無いものには頭脳もなにも無く逃げていってしまった」
若者達は息せき切って夜空を見上げ、ペルセウスの横に光るアルゴルの星を見上げた。
「あれは幻聴だったのだろうか」
「あれは哀しみだったのだろうか」
「そうだ。哀しみだ。俺達は救い出そうとする愛するエネイディケの心を取り返そうとしているのに、同じ女であったメドゥーサの心などは踏みにじっていたのではないか」
「彼女は悪魔なのでは無いのだ」
犬を連れた若者が現れ、彼らを見てこちらへ来た。辺りを見ている。
「洞窟から逃げ延びたんだな」
「明日は待ってはいられない。すぐにでも出発だ!」
「え。どうしたんだいデベルシスの奴は」
若者はどんどんと夜霧の流れる森を明かりを手に歩いていき、一人が止めた。
「きっと妖精にまどわされたのさ! 今夜を出歩いてみろ。この身が危険に晒されるだけだ。ここで休もう」
「賛成だ!」
「ごもっともだ」
「力を蓄えよう」
流れる夜霧は完全に森を包み込み、天の星は寄り一層きらめきを強くしていった。
アルゴルの星はメドゥーサの瞳として一際光り、地上を見つめている。
寝静まった森は、そして妖精たちの静かな小夜曲が響くのみ……。
人物
妖精の女王 森に住まう妖精
弓矢を持つ妖精 果敢な性格
竪琴を持つ妖精 優しい性格
泉の横に座る妖精 静かな性格
悪戯好きの妖精 悪戯な性格
エネイディケ 血気盛んな乙女
王 森の向こうの城の主。エネイディケを奪った
デベルシス エネイディケの許婚
友1 デベルシスの友人でお調子者
友2 デベルシスの友人で少し臆病
メドゥーサ 髪を蛇に帰られてしまった憐れな乙女。星座では頭部で表され、瞳に「アルゴル」の名がある。
ペルセウス 数々の妖怪を倒してきた勇者。メドゥーサの血から生まれたペガサスに跨り、人を石に変える彼女の首を持って出陣する。
メドゥーサは哀しみに暮れていた。
あの美しかった髪は宮殿を汚されたアテネ神によって蛇へと変えられ、彼女は洞窟へと隠れ住むを余儀なくされた。
それなのに、続けざまに勇猛な男達はまるで妖怪の様な彼女を退治しようと躍起になって静かに暮らしたい洞窟へとやってくる。
悲しみに打ちひしがれ顔を歪め泣き彼女はただただ暗がりに佇む。
どうして自分は元は通常の人であったのだと誰が信じよう。神々の動向に翻弄させられ、青春までもを奪われた。これはもう愛する悦びも恋をする心も味わうことなど無縁にされてしまったのだ。
恐ろしい限りの勇者達のあの目。あの気迫。剣を振りかざしてくるあの恐怖。
だが何の力が働いてか、彼女の姿を見た者たちはたちまちその武器を振りかぶった姿のまま石になり、その石造は増えるばかり。
元は彼女以外は無人だった洞窟は、恐怖に慄いた勇者達の顔を現した銅像が佇んでいた。
メドゥーサは哀しみに暮れては涙を落とし続けた。顔は疲れて顔も上げられない。
それでも、時にその歌声は以前のままの美しさを紡ぎだされる瞬間さえあった。
「静かに過ごさせてもらいたい。私の悲しみが深い怒りと恨みへと変わる前に……私を無下に攻撃しないで」
彼女は物音によって顔を振り向かせた。
また妖怪退治という名を引き連れた勇者がやってきたのだろう。
彼女は奥へ奥へと隠れるように白いエンパイアドレスの裾をひきずりながら歩いていった。こないで。こないでと思いながらも。
だが男は鎧を着けた重々しい音を響かせながら迫って、時々石造を見てはうめいている。メドゥーサは逃げつづけ、とうとう突き当たりへ来てしまった。
「私が何をしたというのだろう。ポセイドンに手を出され、アテネの女神には蛇に変えられ、そして恐ろしい男達からこんなに暗い洞窟で命を狙われて男達は石に変わって行くこのやり場の無い怒り、哀しみ……深い涙さえも彼らにはどう映ろうか……」
メドゥーサは涙を流しながらゆがめる顔が怒りと涙のあまりに変わり、そしてそれはもはや怒りだけになってしまいそうだった。
「お前がメドゥーサか!」
洞窟に点在する明かりが何かに反射してメドゥーサは一瞬腕で顔をかばい、そして男を涙の飛ぶ瞳でキッと睨んだ。
だがそれは石造であり、半端に胴の上だけが浮いている。どういうことだろう。
そう思った途端にメドゥーサは一瞬を置いて、視界が洞窟を映したのが分かった。
「………」
瞬きをする。ゆっくり。そして、悲しみからの開放が占領したかに思えた……。意識は薄まり、彼女の目は開いたままに勇者のいる方向を見て止まった。
勇者ペルセウスはよく磨かれた盾を掲げていた先から姿を現し、剣を掲げていた腕を下げた。
メドゥーサの首をはねた剣はその転がる彼女の胴体を写し、そして頭部の蛇たちは静かにうねったまま。
「!」
いきなりの物音にペルセウスは血の溜まる場所を見た。
それはその血の溜まる地面から何かが浮き上がってのことだった。
「何だ、一体」
純白の巨大な羽根が湧き上がり、そしていきなりそこから馬が現れ羽根を広げて勢い良くいなないた。それはペガサスだったのだ。
咄嗟に振り返ったメドゥーサの首は、どこか安堵とした女の顔にも思えたのだった。
純白のペガサスはその乙女メドゥーサの生まれ変わりだとでも言うのか、羽根を広げ天に駈けていく前に慌ててペルセウスはその背に飛び乗り、ペガサスはそれを振り払おうと暴れたがペルセウスは振り落とされなかった。
そして彼らはメドゥーサの洞窟を離れていった。
洞窟には哀しみのメドゥーサの倒れた胴体が横たわるのみ。
ペガサスは天を駈けて行く。
2014.8.9
アルゴル~悪魔の光り~