捨てた女

 誰かもう分かっているんでしょう?私はあなたが捨てた女で出来た女。分かる?
目の前に座るわたしに似た女はそう言った。目の前にある喫茶店の特製アイスコーヒーの氷が、カランと音を立てて溶けた音が聞こえた。
 くだらない…、隣の席の女子二人組の甲高い声が耳に入って、お決まりの口癖を頭でつぶやく。
今日何度この口癖をつぶやいただろうか。そんな自分が嫌になって、お昼をいつもの同期達とのランチを断って一人でここに来たというのに。
隣の席では近況報告のような会話をしているが、そこには相手に対する否定的な言葉は出てこない。そんな会話に寒気を覚える。
その代わりに近況報告には誰か嫌いな人物が出てきては、その人物をひどく貶す事がルールの如く二人でひどい言葉を重ね続ける。
そんな二人は可愛らしい容姿をしていることが、女をより感じさせられた。
注文したセットが私の目の前に届く。アイスコーヒーとトースト。サラダのセットは食欲をそそられる。
ちらりとまた、彼女たちに目がいってしまう。20歳くらいだろうか。二人顔を寄せて自撮りをしている姿にわたしは目を背けた。
わたしの10年前の光景だ。自分が好きだと言えたあの時。着飾った分だけ自分に好意を寄せてくれると勘違いしていたあの頃。
今のわたしなら何というだろう。そんな努力は男の性欲には意味を持たない、なんて卑屈なアドバイスをしてしまうかもしれない。
また、心のなかでひとつ、くだらないと呟いてしまう。
目の前にさっと影が落ちた。頬杖をついて隣を見ていた目線を目の前に向ける。
知らない女性がなぜか、わたしの目の前に座っていた。
「相席、いいですか?」
戸惑うわたしに構わず涼しい顔でそういう彼女に、わたしはたどたどしく頷いた。
「え、ええ…結構ですが…」
なかなかここで相席をすることもないし、わたしなら満席の日には諦めて帰ってしまう質なので、こういう思い切りのいい女性には少し驚いてしまう。
美人でもないし、ぱっとするタイプにも見えないが、何故かモテる典型の顔だ。自分をわかってるような女の子。
20代だろうか、大学生にも見えるカジュアルな子だった。
注文を終えても彼女はメニューを暇そうに見ている。
隣でまた大きな笑い声が聞こえた。自宅のようなテンションで彼女たちは笑っている。
若い…
「若い…ですよね」
わたしはハッとその彼女の言葉に顔をあげた。自分の言葉が一瞬漏れたのかと思いヒヤリと汗が流れた。
「あなたも十分若いじゃない」
つい、言葉を交わしてしまったことに、少し失敗してしまったと思った。所詮相席なのに。
「かもしれませんね。ああやって笑うことは楽しいですからね。ああやって楽しさをアピール出来るんですよね。自分たちの」
「アピール?」
つい言葉が漏れる。
「ええ、アピール。私たちは楽しいの充実してるの。いいでしょう?楽しんでる私を羨ましがって。そう言ってるの」
彼女はそうシニカルに笑った。
「女の子は皆武装をしてる。自分が女の子と知ってる子はね。可愛さに憧れ、それを手に入れた子達は自信を手に入れるの」
わたしはゴクリと息を飲む。
「私は悪くないもの、大事な大事な友達達だってそう言ってる。彼は間違ってる。ね、私はこんなに泣いてしまっているのに。」
「男は信じられない。自分を否定するくらいなら、男はみんな酷いって事にしてしまおうと箱に仕舞って捨ててしまうの」
「そんな話を何十回も聞かされた女の子達は彼女に飽きるわ。そんな女の子たちを彼女はこういうの。軽薄な友達だったって」
「また、そうして彼女は箱に仕舞って捨てるわ」
「そうしていって、誰かのためにお洒落を止めて、誰かの為に可愛いカフェに行くことも無くなって、誰かのために可愛い部屋をつくるのもやめてしまうの」
「誰かの為にしていた事は一人になったら、どれも必要がなくなってしまったの」
早く、注文はまだ来ないのか。
「そして年下の後輩たちの子の声が聞こえるの。あの人女捨ててますよねって」
わたしは震える声でシニカルに笑う彼女に言った。
「あなたは誰なの…?」
「誰かもう分かっているんでしょう?私はあなたが捨てた女で出来た女。分かる?」
目の前の彼女はあの頃のわたしによく似ていた。

「お待たせしました、アイスコーヒー、トーストサラダセットです」
ハッとその声に目を向ける。私の目の前にはアイスコーヒーとトースト。そしてサラダのセットが並べられた。
目の前には誰も居ない。夢を見ていたのか…?
冷や汗が前髪をべっとりと濡らし、ハンカチで拭う。
隣からの甲高い笑い声がやけに耳につく。頭が痛い。
紛らわすようにアイスコーヒーとトーストに手を付ける。
そうすると何故か、彼女のあのシニカルな笑顔と声が囁かれるようにまた過ぎった。
「また、そうして彼女は箱に仕舞って捨てるわ」
私の意志で捨てた女は、実は彼女の言う通りずっと前に違うものに紛れて、捨てられてしまったのではないだろうか。
捨てたものはもう一度取り戻せるだろうか。それとも…。

わたしは、その日初めてサラダを残した。

捨てた女

捨てた女

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-04

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