Forget me not.

ワスレナグサは英語で「Forget me not」
花言葉は、私を忘れないで。
この言葉が素敵だな、好きだな、と思ったのがきっかけで書き始めました。
また青が好きなので、ワスレナグサは好きな花のひとつです☺︎

絶対に忘れたくない人はいますか?

人は、死ねばいつか忘れられていく。
織田信長やマザーテレサなんかの偉人は、教科書や資料集にきちりと収まっているけれど。それもきっと、全てが真実ではないと思う。

もしも私が死んだら、何が残るのだろう。誰が、泣いてくれるのだろう。

そういうことを、たまに思い出したように考える。

「藍、忘れ物はない?」
お弁当箱を手渡しながら、ママが言った。
軽く首を振り、白いマフラーに顔を埋める。
「そう、じゃあ気をつけて行ってらっしゃい」
「行ってきます」
重い、学校指定の革のショルダーバックを肩から下げる。
今日は木曜日だから、七時間授業。しかも、四時間目は体育。ため息が、白い吐息となって漏れ出た。
―――学校行くのだるいな
そんなことを思いながらも、前へと進む足は止まることを知らない。ザクザクと雪を踏みしめ、容赦なく足先を冷やしていく。
ふと、いつもの見知った道に、いつもとは違うものが目についた。
―――あんな祠、あったっけ?
それは、人一人がやっと通れそうな小道の奥にちょこんと置かれていた。赤い屋根で下は緑。白いペンキで書かれた窓のような線。その前には、お供え物一つなく、雪が今にも祠を覆い隠そうと降り積もっている。
ちょっとの好奇心。
私はその祠を近くに行って見てみたいと思った。さり気なさを装って、そっとその小道に入り込む。体を縦にして、鞄を胸に抱く。
ドキドキドキ
別に悪いことをしている訳ではないのに、心臓が早鐘を打った。いつものありふれた日常とはちがう何かが、起こる期待。そして、少しの不安。それでも、私の足は学校に向いていたときより軽やかに進む。
祠の前まで来た。先程は気づかなかったが、祠の周りは少し開けていて、歩いてきた道よりも倍くらい広い。それにしても、この祠は思っていたより古ぼけていた。塗装は禿げ、木が所々剥き出しになっている。年季の入った雰囲気に、はて?と首を傾げる。
この祠は、そんなに古くからここにあったのだろうか?今まで気づかなかっただけで、ひっそりとここにあったのだろうか。それとも、古い祠を誰かが持ってきて置いたのか。
それにしても・・・花の一輪、お菓子の一つ、何かしらあればいいのに。そう思い、ランチバッグのチャックをかじかむ手で開け、中から飴玉を三つ程取り出して、そっと祠の前に置いた。
神様のお供え物にしては少しショボイけど、無いよりはマシよね。
そんなことを心の中で考えて、手を合わせ、目を瞑る。雪が睫毛に優しく降り積もっては、じんわりと消えていく。
(へぇ・・・)
声がした。
どこからかは分からない。
でも、聞こえた。
怖くなって、引き返そうとすっくと立ち上がった。
「・・・え?」
そこは、一面の雪景色。
往来を歩く人の影すら見えない。人のがやがやとした喧騒も聞こえない。ただ、雪がしんしんと降り積もっていくだけ。
目の前には、先ほどと寸分違わず小さな祠がちんまりとあるだけ。
もしかしたら、思っていたよりこの祠のある場所が遠かったのかもしれない。雪も降って、積もって雰囲気が変わっただけかもしれない。
そう思い直し、そっと足を前へ前へと出す。その足は・・・少し、震えていた。寒さだけではない。帰れない恐怖が、考えまいとしていても胸の内に湧き出てきてしまう。
「ねぇ」
突然聞こえた声に、肩がびくっと上がった。声のした方に目をやると、同じ年くらいの男の子がこちらを見ていた。
「そっちじゃない、こっち。」
私の手首をパシリと掴んだ彼の手の冷たさにビックリした。
彼はいつから、ここにいたんだろう。どうして私の帰り道が、こっちだと分かるんだろう。ズンズンと迷わず足を止めない様子が…少し、怖い。
パシッ!
気がついたら、手を振り払って足を止めていた。
「・・・帰り道は、自分で探します。」
「・・・」
彼は怒っているのか、黙ってこちらを見た。私より頭半分くらい高い彼の視線が痛くて、サッと目を逸らした。
「どこから来たかも分からないくせに。」
ボソッと呟かれた言葉は、図星なんだけど。
でもまぁ、ここを見つけたのも何かの縁。見知らぬ景色とは言え、全く知らない土地に来たわけでもなし。そんなに歩いていないんだから、帰ろうと思えば帰れるはずだ。
「帰ろうと思っても、帰れない、帰らずの地・・・。」
 心を読まれたような、静かな物言いにゾクリとした。
ふと彼の持っている包み紙に目がつく。それは、さっき私がお供えしてきた飴玉!いつの間に‼
視線に気づいたのか、相手はバツが悪そうにグシャリと包み紙を潰した。
「とにかく!この道を真っ直ぐだから。」
それだけ言うと、くるりと背を向けどこかへ行ってしまった。私は気を取り直して、足跡一つない目の前の新雪に足を踏み出した。

あの日から、私はその祠が気になった。
あの日、あの人の言うとおり、あのまま真っ直ぐと歩き続けたら、元の往来に戻っていて、祠は何事も無かったかのようにそこにあった。
それから、チラチラとこの小道を確認するのが日課になってしまった。その祠はいつ見ても、そこに忘れ去られたようにぽつんとあった。それを見ると、どこかホッとするような不思議な安心感を覚える。
「あのさぁ、困るんだよね」
夕方の街の喧騒の中、一際はっきりと聞こえたその声はどこか聞き覚えがあった。きょろりと辺りを見回すと、私の前方五メートルに、あの時の男の子が突っ立っていた。
「あ・・・」
あの時の、そう続けようとして相手が何やら怒っていることに気づいた。私を見る目は厳しいし、声にも怒気が含まれていた。
―――この人、何か苦手。
軽く会釈をしてやり過ごそうとしたら、相手はなおもイラついたように言葉を続けた。
「だから、困るんだよ。もうあの場所のことは忘れたほうがいいよ」
 すぐに、あの祠のことを言っているのは分かった。でも、何でこの人が困るの?
「・・・何のことですか?」
 ツンとしらばっくれると相手は、イライラしたように癖のない髪の毛をかきまぜた。
「はあ、これだから人間は・・あー面倒くさい。だから、こんなこと・・」
 ぶつぶつと文句を言う相手に、どうしたらいいか分からず、相手を観察する。
 色素の薄い癖のない髪は、肩のあたりで切り揃えられている。切れ長の目は、どこか冷めていた。白い肌に、紺のダッフルコートがよく映えていた。違和感のない恰好をしているはずなのに、どこか不自然に感じた。
「ねえ、君はさ、そう簡単に囚われちゃいけないんだ。だからもう、あの祠のことは気にしない方がいいんだよ」
わかる?と小さい子にでも諭すように言われて、体がカッと熱くなるのを感じた。
「何で、あなたにそんなこと言われないといけないんですか?」
 あの祠は、私にとって、もうお気に入りの場所だ。あの日以来、小道に入ることはなくとも、毎朝ちらりと見ては、気持ちが楽になった。その場所を、何でこんなわけのわからない人に咎められなければいけないんだ。

「・・・あれは、僕のだから。」

 悲し気に伏せられた瞳。まつ毛に雪がふわりふわりと積もっていく。
「とにかく!もう忘れてよ?」
 そう言い捨てると、くるりと私に背を向けて行ってしまった。
―――わけが分からない。
 一体、彼は誰なんだろう。どうして、あんなことを言うのだろう。そして、あの悲し気な瞳が何よりも気にかかった。私は普段、他人にあまり執着しない。人に何も求めないから、期待しすぎることもない。薄情というか、冷めているというか。そんな私の心に彼の瞳は嫌に心に残った。
―――また、会えるのだろうか?
 この心のもやもやを、晴らしたい。特に深刻な悩みを抱えているわけではない。それは、自分がよく分かっている。家も学校も、人並みに楽しく生活していると思う。パパは心配性で口うるさいけれど、愛情深い良いパパだし。学校も、苦手な子がいたり、人間関係が面倒だと思う時はあったけれど、それなりに友達もいて楽しくやってる。体育の時間は憂鬱だけれども、国語と歴史の授業は好き。高校生活、残り少ない青春をまあまあ謳歌している方だと思う。クラスの可愛い子がよくやるJK感溢れるプリクラとかインスタ映えの写真は、私のカメラロールにはほぼない。けど、ちゃんと女子高生をしているつもり。だって、そうじゃないと困る。もう、あと少しで高校を卒業するのだから。
 私は、何にこんなにも心を乱されているのだろう。いつかの現代文の授業でやった『檸檬』の主人公のよう。
 ―――えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦燥と言おうか、嫌悪と言おうかーー
 私にはこの人の本当の気持ちは分からない。でも、えたいの知れない塊は、どこか理解できる。彼の肺尖カタルや借金に比べれば、私の問題は本当にえたいが知れない。そして程度の低いものだと思う。だって私は至って健康体だし、金持ちではないけれど、生活に困っているわけではないのだから。
 それでも感じる、この胸の内のもやもやとした塊。そうだ。この塊が、あの祠を見るとどこか落ち着くんだ。この発見に、私は噴き出したくなった。人の目があるから、なんとか堪えたけれど。だって、まんまじゃないか。『檸檬』の男と。彼にも、お気に入りの場所があるーー八百屋だ――で、買った檸檬は街を軽やかに歩けるくらい、彼を元気づけた。
私も、この謎の祠を見ると胸の内にあるざわめきが治まる。理由は本当に分からない。別段、祠が大好きというわけでもないのに。あの祠が発する不思議な空気に、浄化でもされたんだろうか?
これは、はっきりさせないと気が済みそうにない。明日、あそこに行こう。そう心に決めて、家路を急いだ。
次の日の朝、目が覚めると雪が降っていた。こんもり積もっているそれは、どこか生き物のように感じられる。冷たくなった鼻先を軽く擦りながら布団から出て、支度をする。朝の五時は、まだ暗い。適当にパンで朝食を済ませ、書置きをして家を出た。
冬のこの時間帯は、人っ子一人いない。少し、怖くなって歩を早める。途中のコンビニでお昼ごはん用におにぎりを二つ買った。コンビニのビニール袋をガサゴソいわせながら、まだ足跡のついていない雪道を目的地までわき目も振らずひたすら歩き続ける。
祠は、あの長い小道の奥で、雪に埋もれながらも、きちんとそこにあった。
息を吸う。
冷たい空気が肺に流れ込む。
息を吐く。
 白くて少しあたたかい。
 よし、と心の中で気合を入れて一歩踏み出した。
 ―――あの日にタイムスリップしたみたい。
 そう思った。だって、何もかもあの日と同じ。違うのは、私がコンビニの袋をぶら下げていることぐらい。半分ほど歩いて、後ろを振り返る。あ、と声が出た。ちょうど、後ろの景色がぐにゃりと歪んだところだった。何かの力に吸い込まれていくみたいにして、いつもの道はあの時と同じように消え、そこにはただただ白い雪景色が広がるばかりだった。あの時は、気づかなかったけど、周りを見渡せば木々がお生い茂る、森の空き地のような所だった。
「また君なの?」
 呆れたような声がして、祠の上にあの子が座っていた。お尻、冷たくないのかな、なんてどうでもいい心配事が浮かんでは消えた。
「おはよ」
 とりあえずは、挨拶だと思って笑って声をかけてみた。
「お、はよ」
 どこかぎこちない挨拶を返してくれたのが嬉しくて、サクサクと雪を踏みしめて近寄った。
「あのさ、この前は私のことを心配して会いに来てくれたんでしょう?なのに、ごめんなさい。」
「いいよ、別に。」
 ツンとした態度は変わらないのに、なぜか頬がほころんだ。
「私ね、この祠好きなんだ。」
 そっと雪を払い、初めて直に触れる。
「へぇ。きっと神様も喜んでるよ。」
 優し気に微笑んだその顔に、私は聞いてみた。
「あなた、誰なの?もしかして神様?」
 雪だけがひたすら降り注ぐ。
「・・・そうだよ。」
 やっぱり、と思った。だって、この人どこか人間っぽさが薄い。
「何の神様なの?」
「―――はじめは、五穀豊穣。」
 ごこくほうじょう?
「次に、このあたりの鎮守として。」
ちんじゅ?
首を傾げる私に気づき、彼は、神様は、説明してくれた。
五穀豊穣とは、穀物、お米が豊かに実ること。昔、この地は不毛の土地でお米が上手く育たなかった。それに困った農民が、祀ってこの祠を作ったのが神様の始まりらしい。そうして、長い時間が過ぎ、気が付くと、この土地の土地神として祀られ、人々に平穏と繁栄をもたらしてきた。鎮守は、守ること。この土地をずっと、見守ってきてくれた神様だそうだ。
「それにしては・・・若いんだね~」
そんな大昔からの神様なら、もう少しお歳を召していそうな・・・。
「うるさいなぁ!神様はね、普通の人間とは時間の進み方が違うんだよ‼」
「神様がうるさい、とかいっていいの?」
「いいんだよ!神様なんだから!」
 ツン!と勢いよくそっぽを向いた拍子に彼の体が、グラリとバランスを崩した。
 咄嗟に受け止めようと、駆け寄り手を目いっぱい伸ばす。が、勢い余って雪の上にスライディングする形になった。
「・・・いてててて」
パララと降り注ぐ粉雪を手でほろいながら、下敷きにしてしまって呆けている神様を見る。
「ごめんね!神様!勢いつけすぎちゃって」
 笑って謝ると、神様は放心状態からハッとしたように私を見た。
「ねえ!君、本物の馬鹿なの⁈僕の下敷きになってたら、絶対痛い思いしてたよ!」
 咄嗟に伸ばした手は、神様が掴んで自分をクッション代わりにして私を守ってくれた。
「だいたいさあ、下は雪なんだよ⁉落ちたって怪我しないだろ!僕なんかは尚更」
「ごめん、ごめん。咄嗟に手が・・。それに、見た目よりご高齢みたいだから、打ちどころが悪かったら大変でしょう?」
 私の言い分に呆れているのか、神様は開いた口がふさがらないみたいだ。
「えい!」
 ボスッ!と雪に倒れこむ。空は、生憎の曇り空。
「ねえ、神様」
「何」
 ため息と共に、ゴロリと神様も私の隣に寝っ転がった。
「庇ってくれてありがとう。」
「はあ・・ドウイタシマシテ。」
「―――ここは、静かでいいね。」
 世界に私と神様と二人きりみたいだ。静かで平和で、優しい世界。
「静かがいいなんて言葉、老後にとっときなよ。」
 バサッと雪を顔にかけられる。
「つっめた!」
「さっきのお返し」
 ニヤリと意地悪く笑った顔にベシンと雪玉を投げてやった。
「つっめた‼」
「へへーん!お返しのお返し」
「君、それ神様に対する冒とくだから!」
 立ち上がって雪玉を丸めている神様から、逃げるように走りまわった。
 数分後お互いが疲れてただ、息切れだけが聞こえてくる。
「お腹、空いたね。」
「・・・そう、だね。今更だけど、君、今日学校行かなくていいの?」
「う。本当今更。今日はいいの!それより、おにぎりあるから食べよ!」
祠の前に置いておいたコンビニ袋を取りに、歩く。
「シャケかおかか」
「おかか」
はい、と渡すとナチュラルに包みを剥がし口に入れる神様の姿に驚く。
「神様っておにぎり食べたことあるの⁉」
「・・・あるよ、おにぎりくらい。昔は、お供え物もたくさんあったし。」
 煩わしそうに言う神様は、おかかのおにぎりを口にもごもご入れたまま言った。
「だって、それは“昔”の話でしょう?そんな昔にコンビニおにぎりなんてないだろうし。」
「神様は、一日中人間たちの生活を見守ってやってんの。だから、人間の食べ物の食べ方知ってたっておかしくないでしょ」
 まあ、そういわれればそうだ。
「だから、私が祠を見てるのが分かったの?」
「まあ、それはここが僕の拠り所でもあるからね。誰がお供え物したか、誰が何を願ったか、とか聞こえてくるんだ。君の場合は、こっちの世界にまで入り込んできたから気になって見てたんだ。」
「・・・そういえば、ここはどこなの?」
「―――ここは、忘れられた所。」
「忘れられた所?何から?」

「全てから。」

ゾクリ。
今更背筋に、寒さとはまた別の震えが走った。
「怖い?」
神様はそんな私を見てせせら笑った。
「ううん」
 首を振って、相手を正面から見つめる。
「怖くない。」
 ここに来れるということは、きっと、今の私もそんな世界に、片足を突っ込んでいるのだろう。
「私も、忘れられるのかなあ」
 時が経ってしまったら、全てから・・・。
「うん。そうだよ。」
 神様は、何てことも無いという風に頷いた。
「君が革命を起こしたりしないかぎりね」
「革命かあ・・・」
「ふふ、起こしてみる?」
 いたずらっ子のようにそう言う神様に、笑って首を横に振った。
「私ね、夢ってないの。やりたいことも、なーんもないの。」
 神様は黙って、私の言葉に耳を傾けていた。
「進路決めるときも、物語が好きだから文学部、なんてノリだし。ははっ、おかしいよね。」
「全然。」
「え?」
「全然、おかしくなんかない。」
 真っ直ぐに私を見る双眸には、強い光が宿っていた。思わず、目を逸らす。
「好きだから、それでいいじゃん。人間は理屈っぽく考えすぎなんだよ。人生なんて、あっという間なんだから、未来への不安より、過去の出来事より、後悔しないよう今を大事にしなよ。」
ふわりと、私の周りの空気が軽くなった。
「はあ~、やっぱ神様なんだね。」
「え?」
「こころが軽くなった!」
 笑うと、彼も笑ってくれた。
さっき、豊作とか土地の平和とかを守っているって言ってたけど、私は今の言葉が一番すごいなって思った。春から、頑張るためにも今いろいろ楽しもうって思えた。
 神様、すごい。
「ほら、悩み解決したんなら帰りな。もうすぐ、逢魔が時だ。」
「黄昏時、の言い方の方が風情があって私は、好きだなあ」
 逢魔が時、黄昏時、とは両者とも昼と夜の境目の、夕方の時間帯を指す。
「どっちでもいいよ。のんびりしてると、魔物に逢うよ。ここは、そういう可能性の高い場所なんだから。」
「えっ!」
 からかっていただけじゃないのか!
「これあげる」
神様がどこからか出してきたものは、小さな手のひらサイズの雪うさぎだった。
「わあ!かわいい!」
 目は、なんてんの赤い実で、耳は、椿の肉厚な緑の葉っぱ。
「その雪うさぎは、君を守ってくれる。だから、安心して帰りなよ。」
「ありがとう。神様が作ったの?ふふ、何か可愛い。」
「あ~もう、早く帰りなって。」
 耳の先がほんのり赤くなっている様子にクスッと笑みが零れた。
「また明日、来てもいい?」
「だから、人は簡単に来ちゃいけないんだってば!」
「でも、ここに来ればあなたに会えるんだよね?お願い!私が、高校を卒業するまでは来てもいいって言って!ここに来たら、私何かを得ることが出来そう。ずっと忘れていた何かを・・・。」
 自分でもびっくりした。ここに来たいという一心で、口からそんな言葉が出てきた。
「はあ、好きにすれば。」
 神様は呆れたように、止めるのを諦めてくれた。
「でも、学校にはちゃんと行くんだよ。分かった?」
「うん!またね!神様」
 手を大きく振りながら、神様の示してくれた道を真っ直ぐ進んでいくと、いつの間にか往来に出た。がやがやと人や車の声がやけに騒々しく聞こえた。
 その次の日も私は毎日神様に会いに行った。
「また君なの」
 神様は、呆れながらもいつも相手をしてくれた。
「神様、一人だとさみしいでしょ?」
からかうように笑って言ったのは、きっと、自分が寂しいということを隠すため。
「ねえ、神様。私がここに来て、落ち着くのは、ここが忘れ去られた場所だからかな。みんなに忘れられて、誰にも囚われない自由さを感じるからかな?」
「さあね」
「私は、何ができるんだろう。何を残せるんだろう。って、考えるの。ねえ、神様はどう
「うるさい‼うじうじうじうじ!もううんざりなんだよ!人に囚われるのは不自由なだけじゃないだろ!優しさとか、ぬくもりとか、そういうのは生きている人間が使うからこそ意味があるんだ。死んだらもう、抱きしめてもぬくもりは感じないし、声だって届かない。これを自由と、君は言うのか⁈」
 神様のその声は、激しい怒りにも、激しい悲しみにも聞こえた。
「かみ、さまは・・・初めから神様じゃなかったの・・?」
「・・・神様ですらない。」
「え?」
「・・・僕は、君にずっと嘘を吐いてきたんだ。僕は、神様なんて大それた存在じゃない。この祠の神様は、もうだいぶ前に消えちゃったよ。」
「消えた・・・?」
「人の願いから生まれた神様は、信じてくれる人がいなくなると、消えてしまうんだ。そして、この祠の神様は光になって消えてった。僕は・・・ただの成仏できない幽霊みたいなものなんだ。」
「ゆう、れい?」
 ぺたりと腰が抜けて、その場にへたりこむ。
「驚かせて、ごめん・・・もし、本当のことを言ったら、君はもう、ここに来てはくれないだろうと思った。そして、もう二度と僕に笑いかけてくれないだろう・・・。そう思ったら、もう、言えなかった。生身の人間である君が、ここに何度も来るのはよくないと知りながらも、強く止められなかった。今日来てくれたら、明日は、明後日はと君が来るのを心待ちにしてしまう自分がいた。」
 静かに言葉を紡ぐ姿が、いつもの私の知っている神様じゃなく普通の男の子に見えた。
「・・・ずっと、羨ましかった。生きている人間が。どうして僕は、あっけなく信号無視をした馬鹿な運転手に轢かれて、命を落とさなければいけなかったのか、どうして、どうして僕なんだ、と。死んでなお、この世界にいることも、不可解で、ただただ虚しかった。この祠の本当の神様は、そんな僕を見つけて、ここに置いてくれた。人への憎悪や現世への心残りで、悪霊に成り果てようとしていた僕に居場所と優しさをくれた。その神様に報いるために、神様が消えた後も、この祠を長い間ずっと守ってきた。そんなとき、君に出会った。」
 そう言って、彼は私を見て優しく微笑んだ。
「人並み以上に悩む君だからこそ、毎日が楽しそうでもあり、苦しそうでもあった。そんな君の心の拠り所のような存在になれて本当に僕は・・嬉しかったんだ。まるで、普通に人として生きている気にさえなった。この何もかもから忘れ去られた地に、色を運んで来てくれたのは、君だけだったんだ。・・・だから、言えなかった。ごめんね、僕のエゴだ。」
「そんなこと」
 頭を振ろうとした私に、ふいに彼の右手が近づいてきて、思わず目をつぶった。その手は、耳の上辺りの髪の毛をサラリと撫ぜて、すぐに離れていった。
「この花は、この森の奥にある花畑に咲いている花なんだ。いつも、摘んでは照れくさくて祠に飾れなかった花。君によく似合ってる。」
 頭に軽く触れて、見ると今彼の手が触れたところに、淡いブルーの小さな花がそっとつけられていた。
「あ、ありがとう」
 彼の言葉に頬が熱くなるのを感じて下を見た。
「最後まで、名も聞けなかった君に、この花を贈るね。」
「最後って!」

 顔を上げた時には、もう、誰もいなかった。

「待って・・・待ってよ!ここにいて!どこにも行かないで‼お願い、私を一人にしないで・・・たとえ、あなたががゆうれいでも、おばけでも、何だってよかった‼だって・・私にとってはずっと、神様だった・・。神様だったんだよ‼だから!お願い・・戻ってきてよ!また、話聞いてよ!私のそばで・・笑っててよ」
 その日私は、今まで出したこともないような大声でずっと叫び続けた。でも、どんなに叫んでも、どんなに泣いても、彼は戻って来てはくれなかった。気が付いたら、黄昏時で私はいつの間にか街の往来に一人、立っていた。きっと、彼が私を帰したのだろうと思った。祠は、きちんとそこにある。私は、いつものようにその祠に近づいた。でも、いつまでたっても街の喧騒は聞こえるし、どんなに歩いても、あの場所に辿り着くことなく、行き止まりを迎えた。
「コンクリートの壁なんて・・今までなかったのになあ・・。」
 私の小さな声は、往来の人の声に掻き消された。
 
 人は、いつか忘れられていく。
 流れる時間の多さに埋もれて。
 私も死んだら、忘れられていくのだろう。
 でも今はーーー

「忘れものはない?大丈夫?」
 母がいつもより念入りに聞いてきた。
「えっと・・あ!あれあれ。」
バッグの中にあれがないことに気が付き、慌ててパンプスを脱いで、自室へ戻る。机の引き出しを開け、目当てのものを手に取る。それは、彼との思いでの花や雪うさぎのかけらーーナンテンの実や椿の葉――が詰まった瓶だった。
あの日、彼がくれた花の名は、ワスレナグサ。花言葉は、『私を忘れないで』『真実の愛』
どうでもいいことかもしれないが、なぜ彼は、春から夏にかけて咲く花を、冬に摘むことができたのだろうと、後から不思議に思った。あの日以来、行けないあの場所はやはり不思議な力を持っていたのだろうか?
「藍~?早くしないと大事な授賞式に遅れるわよ~?」
階下からの母の声に、瓶をバッグに放り込み、返事をして階段を駆け足で降りた。
「じゃあ、忘れ物は無いね?」
「うん!行ってきます!」
 しっかりね、という母の声を背に聞きながら、私は前を向いて歩いて行った。
 あの出来事から、かなりの年月が経った。私は、あれから本を書くようになり、彼との思い出を綴った本が、栄えある文学賞を受賞してしまったのだ。何でこんな言い方をするのかというと、私は読んでもらうため、ではなく、ほぼほぼ、自分が彼のことを忘れないようにするために書いたから、読者に少し申し訳ない。けれど、本を書くことは、目に見えない不確かな思いや感情を目に見えるものへと蒸留させるようなもので、とても楽しいと思った。
 そして、今日はその授賞式。お守りの瓶を持って、いざ会場へと向かう。
 会場に着き、お世話になった担当さんに挨拶をしていたら、すぐに授賞式が始まった。式が無事に終わり、いろいろな人がおめでとう、と声をかけてくれた。自分の書いたものが認められて、とても満たされた、幸せな気持ちになった。
「先生、これ。」
 そろそろお開きかという頃に、担当のもりやさんが、首を傾げながら花束らしい包みを手渡してきた。
「ありがとうございます」
 その様子にこちらも首を傾げながらも、受け取った。
「 何か、会場の外に置いてあったらしいんだけど。花が花だから、先生のファンじゃないかって、先生⁈」
私を呼び止める声を背中で受けながら、私は走った。淡い青色の小さな花束を持って、無我夢中で走った。
彼が、来てくれた。
そう考えただけで、気持ちがはやり、少し高いヒールのパンプスをもどかしく感じた。
 貰った花はあの日に彼がくれた花と同じ、ワスレナグサだった。
・・・カツン!
「おわああああ⁈」
 ヒールのある靴で全力疾走は無理があった。躓き、盛大に転んでしまった。
「いててて・・・・」
 会場から駆け出してきたから、服はフォーマルな濃い青のドレスで、靴も走りには向かない青いラメのパンプス。手には、花束。
 少々注目を浴びても、仕方がない。周りの視線が痛いが、サッと周囲を見回す。
 ―――早計だったかな。
 辺りに彼らしき人は見当たらず、ため息を吐いた。今更、こんなことで落ち込んではだめなのに、期待度が大きかった分、涙が一粒零れた。せっかく、メイクした顔も、巻いた綺麗な髪も、全部ぐしゃぐしゃになった。転んだ膝からは、血が出ていて痛い。ものすごく、痛い。そう感じるのは、傷だけのせいではないだろう。いつまでもここに座っているわけにはいかないのに、立って会場に戻る気力も湧いてこなかった。
「先生!急にいなくならないでくださいよ!びっくりするじゃないですか‼」
 顔を上げると、案の定そこにはもりやさんがいた。
「ご、ごめんなさい」
「あ~もう、そんな靴で走るから」
呆れながも、立てますか?と手を差し伸べてくれた。その手を取り、立ち上がろうと足に力を入れる。が、立てない。転んだ拍子にどこか捻ったのか、立とうと力を入れるが足がプルプルと震えるだけだ。
「もしかして捻っちゃいました?」
「はい・・・すみません・・」
 情けない。いい大人が、ヒールで走って転んだなんて・・。
ただワスレナグサの花というだけで、彼だという確証はないのに。
 「えっ!先生⁉」
 「え?」
 もりやさんのびっくりした声に、何事かと顔を上げる。
 「どうかしましたか?」
 「どうかしたって・・先生、泣いてるじゃないですか」
 困った顔で言いにくそうにそんなことを言う敏腕編集者の言葉に、自分の頬を触るとなぜか濡れていた。

 ああ、私、もう彼に会えないのか。

 その涙で、何かがストンと胸に落ちた。私は、彼を忘れない。絶対に再会できると信じている。でも、それはもうーーー
 「――先生、この花、ワスレナグサですよね?先生の本に出てくる。それで、走り出したんですか?」
 もりやさんだけには、あの話が自分の体験談だということを明かしている。信じているかどうかは別だが。
 「はい・・・年がいもなく、期待しちゃいました。アハハ・・」
 「先生、無理に笑わなくてもいいですよ。泣きたいときは泣いてください。作家っていう生き物は、泣けなくなったらおしまいだと俺は思うんです」
 「どうしてそんなこと・・?」
 「恥ずかしい話、俺、初めて先生のデビュー作の『わすれないで』読んで、泣いたんですよ。電車の中だっていうのに、周りを気にせずもう、号泣。」
 クツクツと愉快そうに笑うもりやさんは、どこか楽し気で私も思わずクスリとした。
 「ドラマとか映画とか映像なら泣いたことはあるんですけど、言葉だけで泣かされたのは初めてでした。だから、晴れて先生の担当になれて俺、本当に、すごく嬉しいんですよ」
 いつもはそんなに褒めることのないもりやさんの言葉は、心にホットミルクを注ぎ込まれているように、心地が良くて、私は黙って耳を傾けた。
 「だから、何が言いたいかって言うと・・人を泣かせるくらい心を揺さぶる作品を書くには、書き手自身が感受性の豊かな、やわらかい心を持っていなくちゃいけないと、俺は思うんです。だから、先生の今の涙は絶対、無駄にはなりませんよ。きっと、今後の先生の作品にいい影響をもたらします。この守屋零が保証します!」
 もりやさんの強い輝きを放った瞳と熱い言葉に、別の意味でまた涙が頬を伝った。
 「ふふっ、ありがとうございます。今日は、午後から本屋さんでサイン会でしたよね?」
 よいしょともりやさんにつかまりながら立ち上がる。
いつまでも、座っていては、どこかで見ている彼に笑われてしまう。
 「そうですけど、行けますか?」
 まだ、心配そうにこちらを見るもりやさんを安心させるように笑い飛ばした。
 「大丈夫です!行きましょう!」
 行こう。
 この胸の喪失や悲しみが、いつか消える日が来るのかは分からない。
  でもーー
 私は、あなたを忘れない。
 だから、あなたもどうかーーー
 私を忘れないでね。
                おわり

Forget me not.

この作品の主人公は、ほぼ私自身です。
私自身が思うところを感じるままに、主人公の藍に託しました。高校生の自分にしか書けないものを、今の新鮮な気持ちを自分の好きなものと絡めて書けて、楽しかったです。
読んでくれた人が少しでも、いい話だなと思ってくれることを願って。

Forget me not.

忘れられることが怖いと思う全ての人へ。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-03

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著作権法内での利用のみを許可します。

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