マーガレット
01. 色恋沙汰なんて
年齢が同じ、住んでいるマンションが同じ、通っている保育園も同じ。
ありふれているような、もしかしたら特別かもしれない境遇で、僕たち3人は出会った。
俗に言う、“幼馴染み”というやつだ。
幼い頃からいつも一緒にいると、いろいろと感覚が麻痺するもので。
男だとか、女だとか、そういう性別の壁を僕たちは気にしていなかった。
それなのに――いつの間にか歯車が狂ってしまった。
もっと早く、“彼女の気持ちを彼女の口から”聞けたなら。
僕が、彼女の気持ちに気付くことができていれば。
たらればの話をしてもしょうがないことは分かっていても、後悔は心に深く染みを残す。
前を向きたい僕が、選ぶべき最善の方法は、未だに分からない。
『僕たちの後悔の物語』は、高校3年生になったばかりの春に遡る。
***
新緑が眩しい季節になった。
新学期、新学年とはいえ、未だに受験生だという実感はわかない。
「いってきまーす」
いつも通りに朝の支度を終え、母に作ってもらった弁当を鞄に入れて、マンションのエントランスに向かう。
待ち合わせ場所にしている休憩用のソファには、愛綺が既に座っていた。
スマホを片手に、なにやら必死に文字を打ち込んでいる。
「おはよ、愛綺」
「! あ、実理か。おはよ」
僕の言葉に、一瞬驚いたように顔を上げた愛綺は、すぐにスマホの画面を暗くした。
他人に見られたくないものでも映っていたのだろう。
特に気にすることなく、僕は周りを見回した。
「萌愛は、まだ来てない、か」
「『寝坊したから間に合わないかも』って連絡あった」
「え。僕にはきてないけど」
「知られるのが恥ずかしいんじゃない? 萌愛も一応女の子だし」
愛綺は、乱れなく結われているツインテールの片方を、指で遊びながら言った。
性格はさばさばとしていてクールなのだけど、このツインテールだけは幼い頃から変わらない。
見た目とのギャップは、かなりある方だと思う。
「ここで愛綺に聞いたから、意味なかったね」
「そうね。後で私から謝っておくわ」
僕が笑うと、愛綺は肩をすくめた。
「2人とも~! ごめんね~!」
エレベーターの方から聞き慣れた声がして、萌愛が走ってきた。
ぴょこぴょこと、寝癖のついた髪が跳ねている。
「おはよう~! 急いで準備したんだけど……」
「おはよう。そんなに待ってないから大丈夫」
「よくこの短時間で準備したわね……」
「えへへ。よかったー」
胸を撫で下ろし、元気な笑顔を見せる萌愛だが、跳ねた髪の毛が大変気になる。
落ち着いて鏡を見る暇もなかったのだろう。
無意識のうちに、手が伸びた。
「へっ? 実理くん?」
「あー、これ水とかつけないと直らないやつだ」
萌愛が戸惑うのを無視して、寝癖を何度か撫でつけてみたが、最終的にぴょこっと戻ってしまう。
僕の身長なら、萌愛の頭頂部に易々と触れることはできるのだけれど、いかんせん相手が手ごわい。
「えっ! もしかして寝癖?」
「2人とも、早く学校行くよ。寝癖は諦めな」
「でも恥ずかしいよー!」
「じゃあ寝坊するなっつの」
「はは」
愛綺と萌愛、2人が並んで歩き出し、僕もそれに続いた。
いつもの朝だった。
***
最高学年にもなれば、僕たち3人の関係は多くの生徒たち、教員たちに知れ渡っている。
だから、だれも疑問を口にしないし、ましてや「両手に花だ」とからかわれるなんてこともない。
一度教室に入ってしまえば、僕は2人とは別行動になる。
つまり、2人と一緒なのは登下校だけ。
僕にだって、人並みに男の友達はいるし、愛綺と萌愛にも仲のいい友達がいるようだ。
「なあ、瀬尾」
「ん?」
昼休み、屋上で弁当を食べていると、友達の1人が声を掛けてきた。
「ぶっちゃけさ、あの2人とは全くそういう関係にはならないの?」
「そういう関係って?」
「恋とかさ、好きとかさ、それを飛び越えた関係とかさ……」
「……ないな」
呆れ気味に返答しつつ、2人の顔を思い浮かべる。
こういう質問をされるのは久しぶりだ。
僕が2人に恋愛感情を持っていないというのは、周知の事実だと思っていたのに、やはりまだ疑う人間はいるのだろう。
「っていうかお前ずるいよ……人気の2人を侍らせて登下校とか」
「ただの幼馴染みなんだけど。侍らせてないし」
はーっと溜め息をついて、ふと友達の発言が引っかかった。
「愛綺と萌愛が、人気?」
「知らないの? いいなーって言ってるやつ、いっぱいいるよ。瀬尾の前では遠慮して言わないだけで」
「……初耳」
今まで気付かなかったとは、鈍感にも程がある。
確かに、萌愛も愛綺も、客観的に見て顔面偏差値は高いはずだ。
萌愛は、アイドルになるのが夢で、自分磨きを怠らないタイプ。
顔は少し丸っこいけれど、柔和な顔つきで目が大きい。
愛綺の顔は猫目が特徴的で、色白で、シャープな輪郭だ。
加えて、あの目立つツインテール。
――2人とも、モテるのか。
それに対して、冴えない僕。
なんだかちょっと、申し訳なくなってきた。
「俺、愛綺ちゃんを狙ってるんだけどさ、話しかけていい?」
「自由にしなよ。僕には関係ない」
「よっしゃ。これで瀬尾は邪魔するなよ?」
「はいはい」
色恋沙汰は、僕には縁の無いこと。
そう思っていた矢先のことだった。
――僕の靴箱に、ラブレターが入っていた。
02. 僕には無縁だと思っていた
「入れる場所を間違えた、のかな?」
生まれてこのかた告白されたことのない僕は、まず手違いを疑った。
勇気を出して手紙を書いたであろう本人が、僕みたいなやつに渡してしまったなんて知ったらがっかりするだろう。
正しい所に入れてあげようと思い、靴の上に置かれた手紙を手に取って裏返した。
ピンク色のかわいらしい封筒に、花型のシールが貼られていて。
右下に『瀬尾くんへ』と宛書があった。
「え、僕?」
ではこれは、ラブレターではないのでは?
そう思うくらい信じられないことだ。
「実理、なにやってんの?」
「うわっ!」
靴箱の前で突っ立っていたら、背後から声を掛けられて飛び上がった。
「愛綺か……びっくりした」
「ぼーっとしてるからじゃん。萌愛ももうすぐ来るって」
「わ、分かった」
咄嗟に、手紙を背中側に隠した。
別に見られてもいいのだけど、愛綺や萌愛に見つかるのは、気恥ずかしいというかなんというか。
でも、どういう反応をするのか、見てみたい気もする。
「……ラブレターでももらった?」
「ん!? え、な、なんで……」
「必死に背中に隠してるから。別に私たちは気にしないし、早く読んだら?」
見破られて焦ったのも束の間、愛綺はそっけなくそう言った。
なんだ、もっと驚くとかからかうとか、あるんじゃないのか。
少し落胆しながら、封を開けた。
差出人は、隣のクラスの藤村さんという女の子。
明日の放課後、大切な話があるから屋上に来て欲しいと書いてあった。
もう疑いようがない――これは十中八九、告白だろう。
それにしても、藤村さんとはどこかで接点があっただろうか。
失礼かもしれないが、それすらも覚えてないくらいに、彼女の存在は薄かった。
「2人ともごめん~! また待たせちゃって……」
こちらに駆けてくる萌愛の声で我に返り、手紙を鞄へとしまった。
萌愛もきっと気にしないだろうけど、「告白オーケーするべきだよ!」とか言い出しそうなので、見せるのはやめておく。
「お疲れ。暗くなってきたし、早く帰ろっか」
「うん! あれ、愛綺ちゃん、何か怒ってる?」
「……別に」
萌愛が愛綺に声を掛けると、愛綺はぷいっと顔を背けて歩き出した。
「待ってよ~」
萌愛も僕もまだ靴に履き替えていなくて、慌てて後を追った。
愛綺は普段から口数は多い方ではないけれど、今日の帰りは特に少なかった。
***
「まだ来てない、か」
翌日、約束の屋上。
雨が降ったらどうするんだろうと思っていたが、運よく快晴だった。
天気予報を確認してから手紙を出したのだろうか。
女の子ってすごいな、とか思っていたら、入口の扉が開く。
「瀬尾くん、来てくれたんだ」
「あ、うん……」
顔を覗かせたのは、手紙の送り主・藤村さん。
長い黒髪が特徴的で、清楚で線の細い美人で、おとなしい感じの子。
幼馴染み2人とは全くタイプが違う。
なぜこんなにも高スペックの子が僕なんかを呼び出したのか、現実に直面した今でも理解できない。
藤村さんは僕の前まで歩いてくると、緊張しているのか、一度深呼吸をした。
「えっと……単刀直入に言います。私は、瀬尾くんが好きです。付き合ってもらえませんか?」
藤村さんの顔は真っ赤で、僕も体が熱くなるのが分かった。
好きだと言われることが、こんなにも嬉しいだなんて。
人生初めての告白(される方)に戸惑いつつも、僕は自分の中で答えを整理した。
イエスかノーでいったら、申し訳ないけれどノーだ。
僕は藤村さんのことをよく知らないし、第一、好きでもないのにオーケーするなんて相手に失礼だ。
「ありがとう。好きって言ってもらえて、とても嬉しいよ。でも、ごめん。付き合うのはできない」
「……そう、だよね」
藤村さんは落胆したように目を伏せた後、無理に笑顔を作った。
「やっぱり、福士さんと山岸さんみたいに、かわいくないとダメなのかな」
「え?」
萌愛と愛綺の名前を挙げて、藤村さんは拗ねた表情を浮かべている。
「どっちが好きなのか、聞いてもいい?」
「あ、いやいや! あの2人は家族みたいなものっていうか、恋愛対象として見てないから……。僕は好きな人すらいないっていうか」
「そうなんだ。じゃあ、私にもまだチャンスはあるかな」
ほんの少しだけ嬉しそうに、藤村さんは呟いた。
藤村さんには、僕よりもずっと素敵な人が見つかりそうなものなのに。
「あのさ、僕のどういうところがいいのか、聞いてもいい?」
「えっ……えーっと。1年生の時に、廊下で重い段ボールを運んでたら、声掛けてくれて。手伝ってくれたの、覚えてない?」
「え、2年前?」
「それで、優しい人だなって思って」
言われてみれば、そういうこともあったような気がする。
ということは、それをきっかけに藤村さんはずっと想ってくれていたということなのか。
「あ、ありがとう、教えてくれて」
「こっちこそ、来てくれてありがとう。これからも、話し掛けるくらいはしていいかな?」
「うん、もちろん」
最後に笑顔を浮かべ、軽く頭を下げた藤村さんは、屋上から出て行った。
とても、いい子だ。
振ってしまって、本当によかったのだろうか。
「うーん……いや、でも進路のこともちゃんと考えなきゃな」
独り言を零していると、屋上の端の方から、ドサッという物音が聞こえた。
「ちょっと萌愛!」
「ご、ごめん愛綺ちゃん!」
様子を見に行く途中で、予想外の2人の声がした。
「は?」
慌てて角を曲がると、萌愛と愛綺が床に倒れ込んでいる。
萌愛が愛綺の上に乗っているような形だ。
「2人とも、何をやってるの?」
僕が聞くと、萌愛は青ざめ、愛綺はしかめっ面をした。
マーガレット