いつか君に私の気持ちを…
01. 本の虫とピアニストの卵
離れ離れになるのは、きっと避けられない運命だったのだろう。
好きな人に「好き」と伝えられることが、どんなに幸運なことか。
好きな人の近くに居られることが、どんなに幸せなことか。
――それらを叶えられなくなって初めて、私は思い知った。
***
外は晴天、雲一つない綺麗な空。
青一色だった世界は、徐々にオレンジ色に変わる。
天気がいいからといって外に出るわけでもなく、放課後、私は図書室で過ごしていた。
ただ居座っているのではなく、図書委員の仕事があるから。
貸出管理、返却が滞っている生徒への通知書作成、棚の整理もろもろ。
幼い頃から『本の虫』と呼ばれるほど、読書好きな私にはうってつけの場所と役割だ。
今日は人の出入りが緩やかで、ほとんど仕事もなく、カウンターでずっと本を読んでいた。
ふと時計を見ると、18時20分だ。
「そろそろかな……」
もうすぐ戸締りの時間であると同時に、ある日課の時間でもある。
期待しながら待っていると、図書室のドアが開いた。
「よし、今日も間に合った! 奥菜さん、お疲れさま」
顔を出したのは、同じクラスの御門刹那くん。
ほぼ毎日、この時間に図書室に現れる。
そして、私はそれを楽しみに待っている。
男子生徒の中で、唯一普通に話せる相手だ。
「御門くんもお疲れさま。練習、終わったの?」
「うん。奥菜さんに薦めてもらったこの本、おもしろかったよ。ありがとう」
御門くんは、毎日1冊の読書をすることを決めているらしく、昨日私が薦めたミステリーは読み切ってしまったようだ。
それなりの文量があるのだけど、さすがの速読力だ。
差し出された本を受け取り、返却作業をしていると、御門くんはそわそわしだした。
「あのさ、同じ作家さんでオススメの本、ある?」
「あ、うん。内容はかなり後ろ暗い感じのだけど、それでもいい?」
「いいよ、おもしろそう」
カウンターから出て、目的の本を迷わず取りに行った。
彼に聞かれた時のために、いくつかの本は見繕ってあるからだ。
そんな用意周到さを自分で呆れながら、でも心は躍っていた。
一日の中で、この時間が一番楽しい。
「はい、これ」
「ありがとう。同じくらいの文量があるね」
貸出処理をした本を渡すと、御門くんはパラパラと中身をめくり、嬉しそうに笑う。
それにしても、毎日1冊ずつ借りるのは非効率ではないのだろうか。
彼の読む速さなら、数冊まとめて借りても、返却までには充分間に合う。
そう思って、過去に聞いたことがあるのだけど、「図書室に来るのが楽しいから」という返答だった。
楽しい要素の中に私が含まれているのかな、なんて変に期待してしまったけれど、特に進展はない。
「さて、じゃあ帰りますか」
「うん。ばいばい」
「……奥菜さんは、もう終わり?」
「そうだよ。閉める時間」
時計を指さすと、18時30分――終了時刻だ。
「じゃあ、途中まで一緒に帰る?」
「……え」
突然の誘いに、私はぽかんとした。
今までなら、「すぐにでも帰って本を読みたい」と言っていた人が、どういう心境の変化だろうか。
「い、いいの?」
「もちろん。俺が誘ってるんだから」
はは、と御門くんが笑う。
いつも素敵な笑顔だけれど、今日は窓から差し込んだ夕陽に照らされて、より一層輝いて見えた。
***
「そういえば、次のピアノのコンクール、いつ?」
帰り道を、隣同士で並んで歩く。
初めての体験で、若干パニック状態ではあるけれど、なんとか話題を振ってみた。
御門くんは、ピアノがとてつもなく上手い。
2歳から始めて、高校3年生の今に至るまで、練習を欠かしたことはないそうだ。
賞をとることも多くて、家にはトロフィーと賞状の保管庫があるらしい。
「再来月の半ば。だいぶ仕上がってはきてる」
「そっか。家に帰っても練習漬けなのに、読書時間をよく捻出できるね?」
「練習と勉強と読書は、時間をきっちり分けてるから、大丈夫」
「どんなハイスペック……」
「そうでもないよ。奥菜さんだって、家事とか図書委員とか頑張ってるわけだし」
「私のは、比べものにならないというか」
「俺は料理も洗濯の仕方も全く分からないし」
「それを言ったら、私だってピアノ弾けない」
2人して立ち止まり、ぷっと吹き出した。
「はい、無限ループ。お互いに謙遜やめよう」
「そうだね」
私の家は、母親がいない。
私を産んだ直後、容体が急変して亡くなったらしい。
それで、父親が一人で育ててくれて、私はできる限りの家事をするようになった。
そのくらいの家庭事情は、御門くんも知っている。
「じゃあ、俺こっちだから」
「うん、また明日」
手を振って、十字路で別れた。
しばらく御門くんの背中を見守っていたけれど、彼はこちらを振り向かなかった。
***
「未久、ちょっといいか」
「お父さん、なに?」
自宅での夕食後、暗い表情で父が私を呼んだ。
大切な話だと察した私は、父のいる食卓の向かい側に、姿勢を正して座る。
「結論から言うと、仕事で昇進試験に合格して、海外赴任が決まった」
「……え」
「赴任先はロンドンだ。未久を1人、日本に残すことは難しいと思ってる」
「だから、お父さんについてきて欲しい」という言葉が、呆然とする私に重くのしかかった。
02. カクシゴト
本音を言えば、日本に残りたい。
英語だって自信がないし、人見知りだし、人付き合いは日本ですら精一杯なのに向こうで馴染めるはずがない。
そして何より――。
「…………」
頭に浮かんだのは、御門くんの顔だった。
彼とはもう会えないし、直接話せなくなるんだ。
放課後の楽しみもなくなる。
お父さんに、言葉を返せない。
「お父さんの勝手な都合で振り回して、本当に申し訳ないと思ってる。でも、こっちで未久に1人暮らしをさせる余裕は、まだないんだ」
そんなことは、充分に分かっている。
お父さんだって、昇進を苦労して掴んだ。
それは、私たち自身の生活のため。
ここは、素直に頷くのが正解なんだ。
「分かった。私は、大丈夫だよ」
「そうか? 未久がそうなら助かるよ」
「だっていつかは、日本に戻って来られるんだよね?」
海外赴任といったって、今まで日本で働いていたのだから、もちろん帰って来られるだろう。
退職まで海外にいろというわけではないだろうし。
それが早ければ、1年や2年だろうか。
期待を持って聞いたけれど、お父さんは渋い顔をした。
「それは、分からない。期間が決められているわけじゃないんだ」
「……え」
「できれば、未久には向こうで大学まで行かせてやりたい。知り合いに紹介してもらっている大学があるから、そこにしないか?」
「…………」
いつ戻って来られるか分からない、ということは。
自分で働いてお金を貯めて、帰ってきて暮らせるくらいの基盤を作れないと無理だ。
それに、私を育ててくれた肉親を1人、海外に置いてくるというのも気が引ける。
渡航というよりは、移住なのだろう。
日本には、さよならしなくちゃならない。
「急にいろいろ言って混乱してるかな」
「……うん」
「ごめんな。高校の先生には、お父さんから連絡しておくから」
「分かった。ありがとう。ごめん、私もう今日は寝るね」
「ああ、おやすみ」
お父さんは心配そうに眉を下げて、私を見ていた。
笑顔を返す余裕は、なかった。
***
「先生、クラスのみんなには、黙っていてほしいです」
翌日の朝、お父さんが担任の先生に連絡したことで、私は職員室に呼び出された。
同じクラスには、御門くんもいる。
彼には絶対に知られたくない――そう思った。
他に親しい人は特にいないのだけれど、湿っぽい雰囲気になるのも、送り出しの雰囲気になるのも嫌だった。
突然のことに先生も驚いていたけれど、私の意思を聞きたかったようだ。
「分かった、それは守るわね。てっきりあなたはこっちで進学したいのだと思っていたのだけど」
「本心ではそうしたいです。でも、父についていくべきだと思ったので」
「親孝行の娘さんだね。学校からの見送りは私だけになるけど、いいかな?」
「はい。残り2ヶ月、よろしくお願いします」
きっちりと頭を下げ、職員室を後にした。
教室に入ると、手帳を開いて今日の日付に×印をつけた。
出発までのカウントダウンだ。
あと59日しかない。
このうち、御門くんに会えるのは何日だろうか。
「奥菜さん、おはよ。今日は早いね」
「! あ、お……おはよう」
手帳を慌てて閉じて、挨拶してくれた御門くんに顔を向ける。
今日も、彼の笑顔は眩しい。
席も、私は窓際、彼は廊下側で離れているのに、たまにこうやって話し掛けてくれるのだ。
そういう優しさが、私はとても好きだ。
「……ん?」
「どうしたの?」
「あ、ううん! なんでもない」
――今、“好き”って思った?
いやいやいや。
それは、人間としての“好き”であって、恋愛感情じゃない。
だって、彼は誰にでも優しいから。
勘違いしちゃダメだ。
「すごい勢いで顔が変わってるけど」
「え!? 何が?」
「ははっ、変な百面相!」
「笑わないでよ」
「冗談だよ。あ、昨日借りた本もおもしろかった! まさかあの人が犯人だとは思わなかったよ」
「すごいよね。私もミスリードだって分からなかった」
本の話になると、途端に盛り上がる。
軽口を叩きつつ自然に話せるのは、やはり彼しかいない。
この時間は、今となってはとても貴重なものになってしまった。
「……奥菜さん、今日はなんか元気ない?」
「え? 元気だよ?」
「でも、神妙な顔をしてるというか。俺の勘違いならいいけど」
「気のせい、気のせい」
笑って誤魔化した。
でも同時に、やっぱり彼には話しておくべきかもしれないとも思った。
黙って私がいなくなったら、御門くんは「裏切られた」と感じるだろうから。
一方で、知られたくないという気持ちもまだある。
もう会えないと知ったその時、彼に関係を切り離されるのが怖い。
「御門くんは……留学とか、どう思う?」
それとなく、聞いてみた。
「奥菜さん、留学したいの?」
「うん。いずれはって考えている、というか……経済的にけっこう厳しいけどね」
「俺もいつかはって思ってるよ。ピアノの勉強で留学したいんだ。そのまま海外で活動できたら万々歳だし」
「! あ、そう、だよね。本場はやっぱり違うだろうし」
「あはは。一緒の留学先になったら、おもしろいのにね」
私が海外に行って、いつか日本に戻って来られたとして。
そこに、御門くんはいないかもしれない。
私はゆっくり頷いて、微笑んだ。
――心に芽生え始めた“何か”に、必死に蓋をしながら。
03. 私のために
今日も18時30分を迎えた頃、図書室の戸締りをしながら、ふと窓の外を見た。
向かいの校舎が実習棟になっていて、その1階に音楽室がある。
御門くんは、まだそこにいるのだろうか。
もしかしたら、返却が間に合わなくて、こっちに向かってきている最中かも知れない。
そう思いつつ、閉じた窓を再び開ける。
じっと音楽室の方を見ていると、そこの窓も突然開いた。
「あ」
開けたのは、御門くんだ。
遠くて分かりづらいけれど、髪型と雰囲気で分かる。
私が見ていたことに気付いていたのか、手を振った後、「こちらにおいで」と言いたげに合図された。
「えーっと、私……?」
自分を指さして確認すると、御門くんがぶんぶんと首を縦に振る。
呼ばれているのだと分かって、私は頭の上で大きな丸を作った。
急いで戸締りを終わらせ、図書室の鍵を閉めると、足早に実習棟に向かった。
***
はやる心臓を抑えながら音楽室のドアを開けると、ピアノの軽やかな音がした。
弾いているのは、もちろん御門くんだ。
右手で奏でる高音のオブリガートと、左手の旋律。
緩急をつけて弾く御門くんは、とても楽しそうだ。
クラシック音楽に明るいわけではないけれど、今までに聞いたことのない、明るくてきらきらした素敵な曲だった。
「素敵な曲だね。なんていう曲なの?」
弾き終わった彼に拍手を送りつつ、質問してみた。
「曲名はまだない。けど、作曲者は俺」
「え!?」
「俺が作った」
「す……すごい! 作曲もできるんだ!」
「自分で作曲したものだけを演奏するコンクールもあるから。そのためにね」
確かに、譜面台には手書きの楽譜が置いてあった。
私には読めないオタマジャクシが、所狭しと並んでいる。
あちこち鉛筆で書きこまれているせいで、余白よりも黒の面積の方が多いんじゃないかというくらいだ。
「今日、本返しに行けなくてごめんね。練習に夢中になってたら、いつの間にか時間が過ぎてて」
「謝らなくていいよ」
「いや、奥菜さんと話す時間なくなったと思って焦ったんだ。でも、窓を開けたら、奥菜さんがこっちを見てたから、ラッキーだった」
「あ! えっと、それはですね……今日は来ないのかなーと思って見てただけで」
「うん、分かってるよ」
必死で取り繕う私を、御門くんがくすくすと笑う。
偶然私に気付いてくれたのかも、なんて気持ちが浮ついていたところに、「ラッキーだった」なんて言われたら、嫌でも意識してしまう。
こんなにも、思わせぶりが得意な人だっただろうか。
「さてと、曲の披露もできたことだし、帰ろっか」
「うん」
「ちょっとは元気出た?」
「……え?」
「朝は『気のせい』って言ってたけど、授業中も上の空だったし、体育で転ぶし。心配してたんだよ」
「そうだったんだ……。ありがとう」
じゃあ、ここに呼んで曲を聞かせてくれたのも、全部私のためだったのだろうか。
じーんと、胸に嬉しさが広がる。
「何かあったなら、話聞くよ? 全部じゃなくても、断片的でもいいから」
「お父さんとちょっと喧嘩しちゃっただけ。大丈夫だよ」
「そうなの? 奥菜さんが喧嘩なんて、想像つかないな」
嘘をつくためにお父さんを利用してしまって、ちょっと心苦しいけれど。
本当のことは、いくら御門くんでも言うことはできない。
「早く仲直りできるといいね」
「うん。努力する」
***
昨日と同じく、夕陽に照らされた帰り道を2人で歩く。
ちょうど1日前は、海外渡航の話なんて予想すらしていなくて、本当に平凡だったのに。
たった24時間のうちに、こんなにも状況が変わってしまうものなんだ。
「今朝、留学の話をしてたけどさ」
「えっ……うん」
「奥菜さんの夢って、何?」
「夢……」
留学の話を深く聞かれるかと思ってひやひやしたけれど、どうやら御門くんの興味は将来の夢にあるようだ。
彼の夢はもちろんピアニストだろう。
私は、一体何になりたいのだろうか。
「まだ漠然と、だけど。本とか、言葉に関わる仕事をしたいかな」
「ああ、分かる。図書館の司書とか国語の先生とか、向いてそう」
「そう?」
ぱっと思いつきで言ったのに、御門くんは納得したように頷いて笑った。
そんな反応をされたら、本当にそういう職業を目指したくなってしまう。
我ながら単純だけれど、御門くんの言葉が元気をくれる魔法のようだった。
他愛ない会話から、安らぎをくれるこの人に会えるのも、残りわずか。
「じゃあ、今日もここで」
「うん。また、明日ね」
別れたのも、昨日と同じ十字路。
ただ、1つだけ違ったのは――。
「あれ? どうしたの?」
「あっ。ごめん、無意識に見てた……」
御門くんの後ろ姿を見送っていたら、振り返って不思議な顔をした。
「まだ俺に用事あった?」
「そ、そういうわけじゃないんだ! 本当になんとなく……」
「ふーん」
口角を上げて、何やら楽しそうに笑う御門くんは、片手を挙げて手を振った。
「これ言ってなかった。ばいばい」
「! あ、ばいばい」
つられて手を振り返すと、御門くんは頷いて、今度こそ背を向けて歩き出す。
私は、再び見送ることはせず、踵を返して自宅への道を急いだ。
頬が、熱い。
04. 気になるから
「未久、気持ちは落ち着いた?」
夕食時、お父さんからそう聞かれた。
昨夜は取り乱してしまって、お父さんを不安にさせてしまった。
今日はそのことを謝らなきゃ。
「うん。一晩考えたら、ようやく実感がわいて。昨夜はごめんね」
「謝らなくていいよ。未久が受け入れてくれて、よかった」
「海外生活、楽しみだよ。なかなかできない経験だし。英語の勉強も頑張らなきゃ」
「そう言ってくれて嬉しいよ。でも、あまり気を張らなくていいからね」
「分かった」
お父さんは、いつだって優しい。
私のことを大事に想ってくれているのが分かるからこそ、悲しませたくないし、我が儘も言いたくなかった。
私は、正しい判断をしている。
間違ってなんかいないんだ。
「担任の先生から連絡をもらったんだけど、学校のお友達には言わないつもりなの?」
「あ、うん。湿っぽい雰囲気になるのが嫌で……」
「でも、未久が突然いなくなったら、驚く子とか悲しむ子がいるんじゃないかな」
「大丈夫。それは最初だけで、みんな、きっとすぐに忘れるから」
「……そう」
すぐに忘れる――時間が経てば誰だって、そうなるはずなんだ。
そう思うと、頭を過るのは、御門くんの顔だった。
彼は、寂しがってくれるだろうか。
でも、他の男子よりも話しやすくて仲良くしてもらっているだけで、特別な繋がりなんてない。
私は彼女でもないのに、何をいい気になっているんだろう。
「未久?」
食事の手を止めていると、お父さんが心配そうな目で私を見つめていた。
「あ、今日の焼き魚、ちょっと塩気が強かったなと思って」
「そうかな? ちょうどいいと思うけど」
「お父さんのためにも、塩分控えめにしないとね」
「こら、年寄り扱いするなー」
誤魔化すのも、笑顔を作るのも、上手にならなきゃ。
お父さんが、ロンドンでのびのびと仕事をするためには、私が足枷になっちゃいけない。
***
手帳のカレンダーに、×印が順調についていき、約1ヶ月が過ぎた頃。
御門くんが図書室に来る頻度は、2日に1回へと減っていた。
コンクールが近づいてきているから、無理もない。
本来なら読書の時間すらもピアノの練習に充てるべきなのに、それでも「本を読まないとやる気が出ないから」なんて言って、通い続けている。
18時20分。
昨日は来られなかったから、今日は来るだろうか。
戸締りをしつつ、音楽室の方を眺めていると、背後でドアの開く音がした。
「奥菜さん、お疲れさま」
「お疲れさま、御門くん」
顔が見えるだけで、嬉しくなってしまうのはなぜだろう。
もうあと1ヶ月くらいしか会えないというのに。
「これもおもしろかったよ。いつもおすすめありがとう」
「うん」
本を受け取って、返却処理を済ませると、御門くんは当然のように次の本を探し始めた。
「本を読むより、ピアノの練習、しなくていいの?」
「こういうのはね、息抜きもしないとダメなんだよ」
「もー! 真剣に心配してるのに!」
「あはは。でも、本当に。時間と成果は比例しないからね。短時間で集中して練習するに限る。勉強でもそうでしょ?」
「ま、まあ、確かに……」
「いろいろコンクールに出てるから分かるんだ。気持ちと体のバランスがとれていると、いい結果を残せることが多い」
「へえー」
気になる背表紙を見つけては、棚に戻していく御門くんの姿を、じっと見つめる。
線の細い、失礼だけど軟なイメージだったのに、体つきはまさしく男性そのものだ。
肩幅だって私よりあるし、背も高いし、指先が細くて綺麗。
不意にドキッとしてしまって、慌てて視線を逸らした。
「ねえ、奥菜さんは、恋愛ものとか読まないの?」
「え……たまに、読むけど。ミステリーとかの方が好きかな」
「そうなんだ。じゃあ、その中からでいいから、おすすめの教えてくれない?」
「御門くんが恋愛もの……」
一方的な思い込みで、彼はそういうものを読まないと思っていた。
意外過ぎて、呆然とする。
「作曲のヒントにしたいんだ」
「あっ! そ、そうだよね!」
「意外だった?」
「ん、まあ……」
「正直だよね」
お気に入りの作家さんの中から、1作品、記憶に残っているものを選んで渡した。
ヒロインが亡くなってしまう、悲恋ものだ。
こういうのはなぜか、ハッピーエンドよりも、バッドエンドの方が強い印象を与える。
御門くんは、これを読んで何を思うのか。
その感想を聞いてみたい。
「90年代の作品なんだね」
「うん。知らない言葉とか出てくると思うけど、時代を抜きにしても、私は好きかな」
「へえ。じゃあ、これにする」
貸出処理を終えると、ちょうど18時30分。
完全に鍵を閉めるため、2人で図書室の外に出た。
この後は、一緒に帰るのが恒例になっている。
「奥菜さんってさ……」
「ん?」
鍵を閉め終えて、振り返る。
御門くんの瞳と、視線が交わった。
「か……彼氏とかいるの?」
いつか君に私の気持ちを…