赤色のメロディ
01. 冴えないバンドマン
スポットライトの熱と、バンドマンの熱と、会場の熱は――必ずしも比例しない。
中央で歌う彼は、必死に何かを伝えようとしているけれど、オーディエンスは談笑したり、ドリンクで乾杯したりと興味を持っていなかった。
週末の暇つぶし、もとい、私の趣味はアマチュアバンドのライブを聞きに行くこと。
今夜もまた、対バン形式のライブに参戦していた。
目的のバンドの演奏が終わった後に出てきたのは、『From Dusk Till Dawn』という、名前だけはやたら凝っている男性4人組。
ボーカルは可もなく不可もなく普通の歌声、微動だにせず淡々と奏でるベース、歪みに酔っているギター、とにかく激しく叩くドラム。
アンバランス、というのだろうか。
歌詞も英語が多くて、何を言っているのか、いまいちよく分からない。
メロディラインが良ければ乗り易いものの、それもない。
つまらない、その一言に尽きる。
さっさとドリンクもらって帰ろうか、と思いつつも、最前列でバーに寄りかかって聞いていた。
ふと、ボーカルと目が合う。
「たとえ応援していないバンドでも、ちゃんと聞いてくれる。僕はそういう人が好きです」
間奏が流れている隙にそう言ったボーカルは、私の頭から帽子をとった。
お気に入りの、赤い帽子。
「あっ」
「~~♪」
ボーカルはそのまま私の帽子を被り、また歌い始めた。
女性用の帽子だし、小さいし、これもまた彼に似合っていない。
けれど、彼はとても楽しそうに歌っている。
他の人たちはあまり興味を示していないというのに。
それだけで、彼の存在はある意味特殊だった。
「か、返してくださいっ」
歓声も拍手も少ない中、私はボーカルに向かって小さくそう言った。
「ごめんね。はい」
彼はにこっと笑って、私の頭に帽子を戻した。
と同時に――ぐっと屈みこんで、背伸びしている私の頬にキスをした。
「へぁっ!?」
「ははっ。聞いてくれてありがとうございました」
「な、なな……!!」
変な声が出てしまったけれど、気にしている暇はない。
頬を押さえて驚いていると、彼らはステージを去って行った。
私と彼の、束の間の出来事。
それを目撃していた人は、ほぼいないに等しい。
***
「なんだったのよ、一体……」
ライブ後は、近くの居酒屋で一杯飲んで帰る。
それが習慣になっていた。
と言っても、アルコールを飲めるようになったのも、つい最近だ。
枝豆をつまみに、女性1人でビールをあおる――傍から見たら、寂しい女だと思うだろう。
「朱ちゃん、今日はせせり食べる?」
「あ、はい。お願いします!」
店長にもすっかり名前を覚えられてしまった。
それだけ通っているということだ。
「にしても、初対面の女にキスする? 普通」
先程のことを思い出しては、変に心に引っかかっていた。
そりゃ確かに、バンドマンとしてはまだまだでも、話し方とか雰囲気とか、あと顔とか――いいなと思う部分はあったけれど。
20年そこそこ生きてきて、初対面の相手にあんなことをされたのは、海外にホームステイした時ぐらいか。
「あ、海外育ちか! やたら英語が多かったし」
合点がいったと思っていると、居酒屋の入り口が開いて、誰かが入ってきた。
店長の「らっしゃーい!」が大きく響く中、いつもなら気にも留めないのだけれど、なんだか気になって振り向く。
「あ」
「……あ、さっきの! 帽子の人!」
「あ、はは」
よりによって、あの冴えない4人組が入ってきた。
人懐っこい笑みを浮かべて、ボーカルが近づいてくる。
不意に心臓が跳ねた。
「1人ですか?」
「そう、ですけど」
「俺らと一緒にどうですか?」
「え、いや。結構です……」
「まあ、そう言わず」
よく言えば積極的、悪く言えば厚顔無恥。
彼はカウンターに座る私の隣を陣取ると、店員にビールを注文した。
「おーい、巡ー! 座敷空いたって!」
「後で行くー!」
仲間が呼んだにも関わらず、彼は移動せずに居座っている。
「何のご用でしょうか」
「俺たちの演奏、真剣に聞いてくれてありがとうございました」
「はぁ」
真剣に、というよりは退屈そうに聞いていたはずなのだけど。
彼にはそう映らなかったらしい。
「あの箱でのライブは初めてだったんだけど、よく来てるんですか?」
「はい。週末だけ」
「そっか。じゃあ、次回も出ようかな」
「…………」
人気やライブハウスの収益を考えたら、もう呼ばれない可能性もありますよ、と言いかけて止めた。
頑張ろうとしている人たちの出鼻を挫くようなことは、したくない。
「えっと、名前。教えてもらってもいいですか?」
急に名前聞くとか、会話下手か!とツッコミたくもなるけれど、断るのも気が引けた。
しぶしぶ、口を開く。
「……朱です。染谷朱」
「朱さん、ですね。僕は梅原巡といいます」
よろしく、と言って彼は手を差し出した。
02. チャラくない?
初対面の人、しかも男性の手を握るのは何だか憚られて戸惑っていると、タイミング良く彼のビールが運ばれてきた。
「あ、乾杯ならいいですけど」
「分かった。じゃあ、乾杯」
中身も半分くらいになったグラスを、梅原さんと合わせる。
彼はきんきんに冷えたビールに口をつけると、幸せそうに目を細めた。
「あー、ライブ後のビールはうまい……」
一仕事終えた後の達成感を覚えるということは、本人はあれで精一杯やっているのだろう。
私の本当の感想を伝えるのは、やめておいて正解だと思った。
どうせもう、関わることもないだろうし。
それなら、気になることは今のうちに聞いておこう。
「ちょっと聞きたいことあるんですけど」
「なんですか?」
「どうして、私の頬にキスしたんですか?」
「え……なんというか、ノリ? 嬉しかったんで」
「はぁ、なるほど」
「もしかして、不快でした?」
「あー……えっと……」
肯定も否定もできず、曖昧に笑って返す。
そういう配慮ができるなら、最初からしないで欲しい。
――変な人だ。
「いつも、ああいうファンサ? してるんですか?」
「いや、今日は調子に乗りすぎたんで……初めてです。ほんと、ごめんなさい」
「別に、謝らなくても……」
「ほんと? 許してくれます?」
「まぁ、はい」
「よかった……訴えられたらどうしようかと」
「はは、大袈裟ですよ」
簡単に許してしまったけれど、これでよかったんだ。
互いに気持ちよく終わらせることができる。
「年齢、聞いてもいいですか?」
今度の質問に、飲んでいたビールを噴きだしそうになった。
この人、何もかも唐突だ。
調子が狂う。
というか普通、女性にずけずけと年齢を聞く?
「20歳です。大学3年」
「えっ、若っ! 僕より4つも下だ……」
「いくつに見えたんですか?」
「大人っぽいし、同じくらいかと思ってました。じゃあ、敬語じゃなくてもいいですか」
「はい、お構いなく」
「朱さんは、ロックが好きなの?」
許可したとはいえ、急にタメ口になると馴れ馴れしく感じる。
名前を『朱ちゃん』で呼ばれなかっただけマシか。
「そうですね。邦ロックも洋ロックも聞きますけど、生の演奏を聞くのが一番好きです」
「ロックいいよね。僕も、小さい時にイギリスで本場の演奏を聞いて、絶対にバンドやるって決めたんだ」
「あ、海外生まれですか?」
「うん。小学生まであっちに」
まさかの海外生まれ予想が当たった。
ということは、英語も流暢だろう。
ちょっとずつ、梅原さんに興味がわいてきた。
「朱さんは、演奏する側にはならないの?」
「あー、えっと。大学で音楽科専攻で、クラシックのピアノが主なんで。余裕はないですね」
「え、ピアノ弾けるの? すごいな」
「人前で堂々と歌えるのもすごいと思いますよ」
「あはは、照れるな。まだまだ下手なんだけどね」
自覚はあったんだ、と思いつつ、黙っておいた。
「音楽科って、作曲の練習もするの?」
「はい」
「えっ、じゃあさ。俺が作った曲、ダメ出しとかしてくれない? 感想もらえるだけでもいいから」
「え!? えーっと……」
どこまでも想像の斜め上を行く人だ。
そして、私に一体何のメリットがあるのか。
「お願い! このとおり! メンバーもみんな作曲は疎くて、新曲聞かせても『いいんじゃない?』しか言わないんだよね」
両手を合わせて、拝むように頼む梅原さん。
どうも断りづらく、「感想だけなら」と、受けることにした。
「いいですけど、そんな頻繁じゃないですよね?」
「うん。1曲1曲をじっくり作るタイプだから」
「やりとりは、どうしますか?」
「スマホで音楽ファイルを送受信、いいかな?」
「……はい」
連絡先を交換する羽目になったけれど、直接会うわけでないのなら、いいだろう。
私のアドレス帳に、『梅原 巡』が追加された。
――こんなつもりではなかったのだけれど。
1つのバンドを応援するくらいならやってもいいかなと、前向きに考えていた。
「おい、巡。いつこっち来るんだよ」
「あ、ごめん」
座敷に行ったと思われるメンバーが、梅原さんを呼びに来た。
そして、私の方をじっと見る。
「もしかして、さっきの赤い帽子の人?」
「はい、そうです」
「俺たちの演奏、聞いてくれてありがとね。巡、楽屋で『かわいい子いた!』ってめちゃめちゃ嬉しそうだったから」
「ばっ! そういうこと言うなって!」
「あ……はい」
間接的に褒められて、悪い気はしない。
『かわいい』なんて男の人に言われたのは、いつ以来だろう。
恥ずかしくて頬を掻いていると、梅原さんはあたふたと移動の準備を始めた。
これ以上暴露されたくない話でもあるのだろうか。
「まーでも? 彼女がいるのに、浮気はいけないですな~、巡さん?」
「えっ! してないって!」
「ほんとかなー?」
「…………」
――彼女、いるんだ。
頬にキスされて、連絡先交換して、曲を聞く約束して、かわいいとまで言ってもらえて。
どこかで自惚れていたのかもしれない。
まあ、人生そんな上手くいくことないよね。
にしても、彼女がいるのにその態度って、チャラくない?
ふつふつと怒りが込み上げてきて、私はそれを必死に噛み殺した。
「じゃあね、朱さん。連絡するね」
「はい。お疲れさまでした」
無機質にそれだけ言って、私はビールのおかわりを注文した。
赤色のメロディ