幻想槐花
第1話 邂逅
「ねぇ、蝶野さん。ちょっと顔かして?」
いつもと何の変りもない放課後。
ただ毎日を平凡に暮らしたい。
高校に来て、たくさん勉強して、いつかは目指す大学に入って……唯一の家族であるおばあちゃんを安心させてあげたい。
しかし、そんな思いはいつも砕かれそうになる。
今日もまた、数名の女子生徒に呼び出された。
人気のない非常階段に連れて来られ、今から浴びせられるであろう、罵声に耐える準備をした。
「模試で1位取ったからって調子に乗りすぎ」
「あんたがいると教室が暗くなるんだけど。いいかげん消えてくれない?」
「無理無理。学校だけが生きがいだから、この子。かばってくれる友達すらいないもんね」
あははと高笑いする声が聞こえる。
彼女たちの鬱憤のはけ口はいつも私だった。
確かに、模試で1位を取った時に先生に褒められはしたけれど、私がそれをひけらかしたり、調子に乗ったりなんてしていない。
私が少しでも目立とうものなら、彼女たちは全力で阻止してくる。
そして、体には傷を残さないように、じわじわと言葉で攻撃するのだ。
もう何度目だろうか。
逆らっても、更に煽ることになるのは明白だ。
疲れた、と思う。
自分を追いかけてくる彼女たちは、どうあがいても敵わない相手に嫉妬しているだけなのだと、私は知っている。
公立の進学校で、常に上位を争う位置に、私がいるのが羨ましくてたまらないのだ。
「…………」
「あれー。びびっちゃった?」
いつも中心にいる女子が近づいて私の顔を覗き込んだ。
視線が合う。
『憎らしくてたまらない』という目をしている。
《あんたさえいなくなれば、あたしが上位にいけるのに!》
私の頭の中で響く彼女の声。
これは、ただそう思ったのではなく、本当にその女子生徒の心を読み取っているのだ。
私には、普通では考えられない能力――『目が合った人物の気持ちや考えを読み取る』力が備わっていた。
10年前、おじいちゃんが病死した後、すぐに発現したのだ。
世間一般で言う、超能力とでも言うのだろうか。
他人から聞こえてくる心の声は、私には苦痛以外の何物でもなかった。
人と目を合わせるのが怖い。
16歳になった今でも、友達の1人すらいないのはこの能力のせいだ、と思いたかった。
「何か言い返したら? 黙ってると、私らが一方的に言い寄ってるみたいじゃない」
このままだと状況は悪化するばかりだ。
なんと返そうか、と少し考えて口を開く。
「こんなことをしている暇があれば、勉強に充てた方がもっと効率的かと思いますが」
「……! このっ!」
《むかつくむかつくむかつく!》
売り言葉に買い言葉。
それは確実に彼女の逆鱗に触れた。
彼女は私の髪を掴むと、近くに置いてあったバケツを見つけてそこに連れて行く。
わずか数秒間の出来事。
バケツの水の中に私の頭が沈む。
後頭部を押さえつけられているから、頭を起こせない。
暴れると、両肩を押され、余計に拘束が強くなった。
まずい、と本格的に身の危険を感じた。
必死で抵抗しようとしたその時、急に拘束が解かれ、限界寸前だった私は少しの水を飲んでしまった。
けほけほと咳き込んで、目を開ける。
「公立では有名な進学校だと聞いていたのだが、残念だ」
「同じ女として言わせてもらうわ。最っ低!」
目を拭って、声のした方を見ると、そこには見知らぬ制服を着た男女2人がいた。
女子生徒たちは自分たちの悪事が見つかったことに驚き、そして2人が私をかばうように立ちはだかるのを見て、そそくさと逃げて行った。
「あ、ありがとうございました……」
この辺りでは見かけない制服に身を包んだ2人は、保健室に私に連れ添って来てくれた。
生徒会の役員交流か何かだろうか。
放課後にこうやって外部の生徒が入ってくることは珍しい。
「偶然出くわしたから良かったが、危なかったぞ」
「そうだよー」
入学した時から続く嫌がらせ。
ここまで手を出されたのは初めてだが、先程の出来事を思い出すと鳥肌が立つ。
本当にこの2人が助けてくれなかったら……。
ベッドに腰掛けて、こぶしをぎゅっと握る。
顔を上げて話しかけようかと思ったが、止めた。
心の中では、この2人ですら何を思っているか分からない。
みじめなやつだと憐れんでいるかもしれない。
ここは根暗なやつとしてやり過ごそう、と思い直した。
「本当に、ありがとうございました……」
それだけ言って2人を追い返そうとしたが、男子生徒が唐突に、かつ意外なことを口にした。
「ちょうどいい。僕たちは人を探している。蝶野銘梨さんという人なんだが、君は知らないか?」
「えっ?」
あまりにも突然すぎて、あっけにとられた。
沈黙が続く。
私が答えないでいるから、彼はその沈黙を違う方に捉えたようだ。
「決して怪しい者ではない」と付け加えた。
「諒、あたしたちが先に名乗らないと」
片方の女子生徒は、私を見てにっこりと笑う。
思わず目を合わせてしまった私は、少しの間をおいて異変に気付いた。
「あたしは東海林弥重。ここから遠い田舎の、鬼灯市というところから来たの。ちなみに3年生ね。この制服はその市にある私立高校のものよ」
私は、自分がおかしくなったのかと思った。
彼女の、心が読めないのだ。
目をまじまじと見つめても、何も感じないし、聞こえない。
「僕の名前は真田諒。同じく3年生だ。ここにいる弥重は仕事仲間といったところか」
私が驚き言葉を失っている中、今度は彼が淡々と自己紹介を済ます。
混乱する頭で、もしかしたら能力が消えたのかもしれないと思った私は、実験的に彼とも視線を合わせてみた。
《ここで少しでも釣果があるといいが》
真田さんの心の声は聞こえる。
しかし、彼女の――東海林さんの心の声は聞こえない。
初めての出来事に、頭がまとまらない。
「それで、あなたの名前は?」
穏やかに、そして笑顔を崩さないまま東海林さんが聞いた。
彼女の余裕をまとった雰囲気は、もう自分が蝶野銘梨であることを見抜いているような、そんな感じがした。
答えようか、どうしようか。
手が震える。
嘘は通用しないだろう。
――意を決して、口を開いた。
幻想槐花