すくえぬ おもい
小さい頃、金魚を飼ったことがある。
私も何か飼ってみたい。そんな幼気で純粋な動機だったような気がする。
私のそんな願いが叶ったのは、近所の夏祭りが開催されるその日だった。金魚掬いを催している露店を目にした私は、母の手を引いて駆け寄った。
奥に座るサングラスの中年男性に数百円を手渡し、替わりにポイを受け取る。
小さな私の手に収まるその網は、さながら勇者の剣のように勇ましく、今ポイを見て、改めて感じる心許なさなど微塵もなかった。
その勇気を持つ私に、出来ないことなどあるはずがなかった。
帰り道、母親と手を繋ぐ反対に、掬った君はいた。袋に詰め込んでしまっている君は、狭いのか、どこか疲れているように見えた。
一通りの準備を終えた私は、用意された小さな水槽に君を放つ。君は少し不安そうに、この大海原というには少し物足りない、けれども当時の私には夢の詰まった、小さくも大きい水槽を泳ぎだしたんだ。
それからというもの、私は君にありったけの愛情を注いだ。餌も欠かさず、勿論、水の手入れも。君は私の至れり尽くせりに少し困惑していたのかな。なかなか元気そうには見えなかった。
それから一週間ほど経ったある朝。菓子パン片手に、私は今日も眺めようと水槽に向かう。
しかし、そこにいたのは、疲れている君でもなく、困惑していた君でもなかった。
力なく水面に浮かぶ、忘れたくも忘れられぬ、君の亡骸。
君を掬った私は、君を救えなかった。
金魚掬いの金魚が、掬いやすいように弱らせて放たれている、という事実を知ったのは、それから程なくしてだった。
すくえぬ おもい