循環バス
「次は××前。次は××前でございます」
バスの運転手の声に反応した老婆は下車を知らせるボタンを押した。車内にアナウンスが流れた。老婆は運転中にも関わらず座席を立って扉の前まで歩いた。木の棒のように頼りない脚で人にぶつかりながら進んだ。
バスの車体が揺れる。手すりを握る老婆も揺れる。痩せこけた体だ。遥か昔、子を産んだとは信じられまい。驚く様子もなく揺れる。髪の毛が乱れても気にせず揺れる。無表情の老婆の瞳は焦点が合っていない。ぎょろりと目を開くと顔に皺がいくつも出来上がる。黒眼はやや濁っていた。
目の前の女を覗き込む仕草をするが、それは女を見ているのではない。人間の深淵に潜む憎悪と恐怖と狂気とそれから死を見つめていた。老婆はいつものようにそれを見つけるのだ。厭きたと言っても現れる。蝿に似た嫌悪感を持っている。
老婆は気付いていない。女や運転手が老婆をどのように見つめいているのか。老婆の感情のない目と今にもよだれを垂らしそうな緩んだ口、判断力の落ちた頭脳を蝿と似た嫌悪感で彼らは見ていた。老婆がいつも見ているものと同じだ。老婆は自分を見失っていた。
老婆が自分を見失っているからなんだと言うのだ。運転手はバス停に止まることしかできないし、女は男に媚びを売ることしか能がない。揺らされるままに揺れている。揺れた分だけ馬鹿になる。遠いか近いかの違いに過ぎないのだ。
循環バス