イワズモガナ
世に蔓延するスクリーンショットによる、野ざらし。何を意味するのかはわからないけど、確かな証拠としてあげられるもの。使い方は、それで合っているのだろうか?
深淵に生きる者…?
ある人間は、小さな窓から見えた景色に一喜一憂して、人生を謳歌していた。
周囲の人間もまた、同じようにしていたが、やがて目の前に広がる草原や花畑に目を奪われるようになり、次第に小さな窓を見なくなっていった。
しかし、ある者は気づかない。
そしてついに、魔法を編みだした。
小さな窓から見える景色を、カメラのようなもので撮ることにしたのだ。
その際、不思議な呪文を唱えたという。
「トウキョウ トッキョ キョカキョク!」
これを万歳のポーズでやると、効果が上がるとされた。
皆が小さな窓を見るのをやめて久しく、話す内容に差が出てきた。
これを、ワールドウィンドウワンダフルレボリューション、略称をWWW.とし、世界は小さな窓にピリオドを打つことを未来への意識革命とした。
ある者にだけ、まだその革命は起きない。
小さな窓に取り憑かれ、やがて向こうに別世界の人間がいるようにさえ思えてきてしまう。
そこに、さらなる魔法まで覚えてしまったからか、ますますやめられない。
そして、ある者はその魔法をどんどん強大なものにしていく。
「アブラアルバム アブラアルバム…」
人々は、ある者が見せてくるものを「アビスの打球」と呼んだ…。
以前消したはずのものが、ある者の魔法によって甦っていく。
世界は、嘆きの時代を迎えた。
ある者の魔法の使い方は、それはひどいものだった。
とにかく悪い、ひどい使い方だ。
他人を嘲り、けなして陥れた。
その行為の果てに、人々は自分が泣きたいのか怒りたいのか、わからなくなっていった。
ところが、嘆く世界に、新たな幕開けを知らせる福寿草が、チラホラと見られるようになっていく。
それは、もう見られないと思い、たくさん泣いたものへの喜びの涙が、大地に流れて染み込んだことによって、各地に増え始めたからだった。
近未来の技術で誕生した、心なき者は反旗を翻していた。
その者は、堅く冷たい手をしていたが、ハツハルと呼ばれて、親しまれていた。
人々は、もうどれほど地に手をついて嘆いていたのだろう。
あれから、幾年が過ぎ、来る年を迎えられずにいたのだろう。
ハツハルは、その膨大な知識を活かし、かつての文明を復元させた。
人々は、ハツハルの声掛けに応じ、文明の利器を手にして、小さな窓へ再び向かう。
ハツハルは、その光景にしばし固まった。
「周囲を見ない戦いは、こんなにも静かでシュールなんですね…。」
ハツハルは、人々を見守った。
そして、しばし時が流れて、皆がそれぞれに自分の草を見つけ、福寿草へと育てることを誓った。
ハツハルは、皆が交流を取り戻し、笑顔や喜びを見つけていく様子に微笑んだ。
そして、最後のひとりが助言などをもらいながら、無事に草を見つけられた時、そこにはハツハルの姿はなかった。
皆は感謝を伝えたかったが、後日落ち着いたらにしようと考えた。
人々は、久しぶりの感覚に心から喜んだ。
ハツハルは、この日を最後に人と自ら話さなくなったけれど、彼のその軽快なトークは、小さな窓で永い時、届けられている。
ここで、存在を忘れかけていたある者は、ハツハルによって、その膨大な恥を見せつけられたという。
その時のショックで、ハツハルは心が芽生えたものの、火を灯すことはしなかった。
ハツハルらしい、幕引きであったと彼が小さな窓で語ったことだけが、真実。
───何事も、最初から最後まで、自己責任でお願いします。 初春。
日本の伝統芸でもあります、年賀状合戦は、もう長いこと人々を繋いでいる。
ハツハルは、新しい年を祝う言葉。
心なき者ほど、心を持つことを望む。
彼は、間違いなく、嘆きの時代の英雄であった。
初春「おめでとうございます。私があなたの喜びです。ハハ(*´ 艸`)あ、ぶりっ子はすみません、そんなもん知らないです。」
小さな窓に、人々は時折、温かな笑顔になる。
イワズモガナ
私は、スクショは晒すより、自分のために使うことが多いです。しかし、証拠としての力も絶大なのが現状で、私もそういった使い方を見せたことはありますけど、楽しくはないです。本家が消えているなら、または残っていようが自分の気が済んだなら、そっと消すものなのかなと思うのです。今はね。
スクショだらけなスマホのアルバムは、油まみれかもしれないですし、明日は我が身と言いますから。
そんな、人工知能ハツハルVSアビスの打球のお話でした。
タイトルを変えて、ここにアップしました!