被愛妄想
主人公、モデルがいます。
彼女が事務所に抹殺される前に、世界で一番彼女のことを愛している僕がやるんだ
両腕に力を入れる。
「もっと、強く、締めて・・・」
巡が言う。
「これでは死ねない」
ありったけの力を振り絞って長いコードを、
後ろから薬で眠らせた巡(めぐり)の細い首にかけ、
正面で、一度、交差させてから、更に強く締める。
もっと、力を込めろ!
誰かが僕に、命じて来る。
これは、運命だ!
たじろぐな。
彼女が事務所に抹殺される前に、世界で一番彼女のことを愛している僕がやるんだ。
巡、君を、一番愛しているのは僕だ。
「巡・・・。巡・・・。巡。巡」
涙が溢れ出る。
「こうするしか、なかったんだ。僕と君を終わらせるには」
恭介は、緑川巡の死体を、抱きしめる。
まだ温かい。
その温もりが、恐ろしくて恭介は巡の死体から慌てて両手を放す。
恭介の前に、バランスを失った、美しい死体がゴロン、と重く転がった。
さっきまで、生きていた巡を冷たい死体にしたのは僕だ。
ああ、忘れていた、警察に、電話を。
一体、なんと言えばいい?
この35歳の無職の冴えない僕が、
10年以上密かに交際を続けていた歌手の「緑川巡」を殺しましたと、
それだけ、言えばいいのか?
誰が信じる?
そんな話?
この年になっても、家の離れに住み、親の脛を齧っている、
無職無収入の中年男・・・それが僕だった。
巡がこんな僕を好いていてくれたから僕たちは15年繋がっていたんだ。
「彼女の後を追え」
誰かが僕に囁く。
人は殺せても、自殺する勇気はない、
それが、僕だった。
警察には、明日、自首しよう。
冬だ。
急に死体は腐らない。
そう、思ったら気が軽くなりとりあえず、
離れの鍵を閉めて母屋に晩飯を食いに行くことにした。
「緑川巡」の歌う歌は全て僕へのメッセージだった。
巡はバックに大きい組織のいる、所謂、ヤクザ絡みの事務所に所属していたから、
それに耐えられなかったのか、巡は時々、脱走していた。
巡の作る歌詞は、
「ここを飛び出したい」
「自由を手に入れたい」
「私が還るのはあなたのところ」
歌詞は全て愛する僕へのメッセージに溢れていた。
脱走を図ろうとしては、連れ戻され、
また、無理やり歌わされるのが巡の毎日だった。
とりあえず、一晩、巡と一緒に過ごす事にした。
巡に毛布を掛けた。
寒かったら、言ってくれ、愛する巡。
警察には明日電話しよう。
僕が巡を殺したんだ。
今夜だけ巡は僕だけのものだ。
気が付けば僕は取調室にいた。
何かが有った気がする、そうだ、僕は巡を絞め殺して自首しに来ているのだ。
巡はもう焼かれてしまったのだろうか。
巡の・・・骨が欲しかった。
僕はぼんやりと思った。
「だからね、和泉さん。緑川巡さんは今日も元気でTVで歌っていますよ」
何を言っているのだろうか、この若い刑事は。
「巡は僕が殺しました。彼女もそれを望んでいた」
僕は言った。
この刑事の僕を見る目は何だ?
「10年以上も愛しあっていたんだ、巡は芸能界から逃げたがっていた。
僕は巡を助けたかった。
でも、連れ戻され監禁される可能性が高い。
だから、巡を殺したんです。殺してくれと頼まれた。
そして、今、自首しに『ここ』に来ている。今は悔いています」
「長野さん」
まだ若い方の刑事が年配の刑事に向かって言った。
「彼の言っている『巡の死体』って・・・」
「あのマネキンの事だ。今はアマ○ンで3000円弱で手に入る」
「全て単なる彼の妄想です。死体もないし、
当の緑川巡さんは、今日も元気でTVで歌っていますよ。
部屋にはマネキンが転がっていただけだ。
「20歳の時から、歌手の「緑川巡」と恋愛関係に・・・」
「あったようだ『空想の世界』でだけだが」
「被愛妄想ってやつですか」
「案外な沢山いるんだ、こういう奴が」
15年間も空想の中だけで恋愛をし、果ては本当に殺しちまう。
今回は良かったよ、細いテグスがマネキンの首に巻きついていただけだ。
この男はこの恋に取り憑かれたまま死んでいくのだろう。
きっと命の最後の瞬間まで、彼女を殺した自分自身を呪い恨みながら。
被愛妄想
被害にあったのがマネキンで良かった!