虹朗と虹朗のかーちゃん

かーちゃん、オレ、かーちゃんを選んで良かった

「この夏の暑さは格別やわ。」
スーパーからの帰り道、緩やかな上り坂。
荷物を載せた自転車を押して歩きながら藍子は言った。
「大阪は毎年、こんなんかいな?」
お腹の赤子が今日も良くしゃべる。
「今年、特別よ、あんたがお腹におるからな。余計暑く感じるわ」
「『ワタクシ』のせいやな、ごめ。」
「あんたのせいちゃうて。こればっかりは、しゃーないわ」
藍子も釣られて普通に返事をしてしまう。
キョロキョロと周囲を見渡す。
よっしゃ、周り誰もおらん。
「『ワタクシ』ちゃん?今は話してくれていいよ。」
藍子は言った。
「あんたが胎児やゆうこと忘れて、つい、返事してまうから、
他の人のおる時に話しかけんとってな。
一人でしゃべっとたら、あほや思われるわ。」
いつも、言うてるのに『ワタクシ』は気にせず、脳に語りかけてくる。
「かーちゃん、ぼちぼち、『ワタクシ』の名前考えてくれた?」
よう、喋る子や。
「まだまだ。図書館で名付けの本借りてくるから、もう、ちょいかかるわ」
「かっちょええ名前、つけてや」
古風な名前にしよ、とおもてる。男の子やったら○○平とか、○之介とかあんた、希望は?」
「古風かええな。最近ようある『こうき』とか、『ゆうき』とかやめてや」
「あんた、細かい事までよう知ってるな。はよ、男の子か女の子か教えてや」
『ワタクシ』にもよう分からんねん」
「でも、あんたは男が持つべきもんは持ってる見たいやな」
藍子は先日のエコー検査の画面を思い出す。
あの影がへその緒じゃなかったら、
「あんた、男の子やわ。」
ワタクシはちょっと考え、『光』、キ○キの光○みたいでええやん。
『ワタクシ』業界大好きやし、『光』を希望いたします」
「ブー!おあいにく様、うちの名字はドウ〇トではなく、
ヤマダでございます」
「あかんか!」
そう言って『ワタクシ』は藍子のお腹の中でゲラゲラ笑った。
親子漫才ではない。
とりあえず、明るすぎる子供らしい。
これは、山田藍子(30・専業主婦)と、
胎児、『ワタクシ』との会話なのです。
『ワタクシ』が喋るのは、
藍子と『ワタクシ』だけの秘密。なのに『ワタクシ』は人目を一向に気にしていない。
藍子は最近、胎児の『ワタクシ』とほぼ一日中喋っていて、
もうこの日常になれてしまったけど、生まれた瞬間に、
「『ワタクシ』『おかーちゃん、おとーちゃんに、おおきに!』って言いながらうまれるで。
『ハーイ!』みたいな感じ」
胎児の今からそんな怖い事を言う。
やっと家に着いた、
自転車をマンションの駐輪場にとめる。
スーパーまで最近遠くかんじる。
「『ワタクシ』ちゃん、あんた、重たいわ。」
と本音をいったらワタクシがまた、ケラケラ笑った。
「おかん、すまんなー。」
とりあえずは、明るい家庭になりそうや。

あれは妊娠5ヶ月に入った時の事。
藍子は「戌の日」に主治医に安産祈願の帯を巻いてもらっていた。
過去に流産しているから、悲しみを乗り越え、
『ワタクシ』はやっと授かった待望の子供だった。
横には安定期に入ったことを喜ぶ夫がいた。
「山田さん、終わりましたよ」
「やれやれ、やっとかいな」
声が聞こえる。
どうやら藍子だけに聞こえる声のようだ。
「こりゃ、きっついわ。勘弁してーな」
皆さん、何も聞こえないらしく素の表情。
この声はなに?この不思議な声は、藍子にしか聞こえないみたいだった。
「かーちゃん、『ワタクシ』きっついから、家帰ったらすぐ、ほどいてや、頼むで」
「山田さん、今日はこれ、家まで巻いたまま帰って下さい」
看護士さんが優しく言ってくれる。
「ほんま、きっつう。安産祈願とか面倒やっちゅうねん。縁起でもないわ」
豊には聞こえてないみたいで、
「藍子、お疲れ、さ、家に、帰ろうか?」
藍子のお腹に手を置き、笑っている。
今の声は・・・何?『ワタクシ』って?
私しか聞こえないの?天の声かしら。
「豊、聞こえへん?、声、さっきから。ずっとな。『ワタクシの。』」
「『ワタクシ?』そらみみちゃうか?」
「違うよ。さっきから。確かに、お腹の赤ちゃんが。」
「かなり疲れてるわ。帰って休もか」
豊は優しく藍子の背中を押す。
「とーちゃんは、聞こえへんねんな。『ワタクシ』のこと」
また、この声だ。残念そうな。
本当にそこにいるん?言葉にせずに話しかけてみる、通じるみたいや。
「よ!聞こえてくれた。嬉しいわ。始めましてやな!」
「は、は、は、はじめまして」
「緊張せんでええで。いえーい!ドーナッツ星から来ました!
もうすぐ生まれる予定です!
とーちゃんとかーちゃんの子供です」
空耳ちゃうわ!お腹の赤ちゃんの声や!」
藍子が理解した途端、
「かーちゃん、ほな!また、あとで」
その日はそれきり声は途絶えた。
その日を境に『ワタクシ』は頻繁に話しかけてくるようになった。
妊娠35週に入ったあたりから、
『ワタクシ』は機関銃の様にしゃべるようになった。
『かーちゃん、今日は『ねーちゃん』からの伝言を持って帰って来ました!』
『ねーちゃん』って?
「『つかさ』ねーちゃん」
『ねーちゃん?』
『つかさ?』
3か月半で流産してしまった私の赤ちゃん?
確かに、『つかさ』と名付けようとなんとなく思っていた。
なんで、この赤ちゃんが知っているの?
「ともだち!」
『ワタクシ』はつかさのともだちらしい。
「あの?『ワタクシ』ちゃん?
一番肝心なことを聞きたいんやけど。」
「いいよ!」
「『ワタクシ』の話、かーちゃん全部信じるわ。
『つかさ』は怒ってなかったんかな?不注意で流れてしまった事」
「ねーちゃんも、怒ってなかったで。それより、ねーちゃんは、かーちゃんを心配してた。
ドーナッツ星で『アタクシ』がどのお母さんのお腹の中に入ろうか迷っていたら、
『あの、おおさかのおかーさんが優しいから、あの人のお腹に入りなさい』
って教えてくれた、
せやから『アタクシ』山田豊さんと、
藍子さんの子供になりにきました!
ドーナッツ星って、何?
「『アタクシ』たちの星。言うても輝いてないから誰も知らんけどな」
ケタケタケタ。
笑ってる場合ちゃいまんがな。
「この星での名前が決まるまで、『アタクシちゃん』って呼んでや」
「お、おっけい!」
 「子供は親を選んで生まれてくる・・・『つかさ』ねーちゃんが言うとった。
 つかさが、そんなことを。
 辛くなって、藍子は台所で泣いてしまった。
「しんみりさせて、ごめんな。」
「『ワタクシ』ちゃん、ありがとう。
「ついでに言うけどや、かーちゃん、これ以上、自分を責めんとってーや。
ほんまは最近まで毎日、泣いとったやろ。」
「それも、知ってるんや。」
「何年も前の話やん。かーちゃんが泣いてるより、
笑って方が絶対に喜ぶから。」
「ありがとう。うわあーーーーーーん。」
「子供の泣き方やな、かーちゃん。」
『ワタクシ』は笑いながら言った。
「かーちゃんは大きい子供や。」

『ワタクシ』との喋り倒す毎日は、
それから10月末まで続いた。
名前も、藍子と『ワタクシ』が二人で考え豊には報告だけした。
「『虹朗』に決めたわ。ヤマダニジロウ!』」
虹朗は生まれたとたん、藍子に話しかけることをやめて、
普通の赤ちゃんになった。
一番面白かったのは、看護士さんに。
「さあ、あなたの赤ちゃんですよ!」
と、対面させてもらった時、虹朗が片目を瞑って、
ハアイ!とーちゃん、かーちゃん!と言うような顔をしていた事だ。
あの顔を思い出すと、藍子は今でも笑ってしまう。

次に虹朗が『ワタクシ』口調で語りかけてきたのは生まれてから4年後だった。
「かーちゃん、お腹に赤ちゃんいてるで」
4歳の虹之介は言った。
「赤ちゃんが二人おる」
「え、双子ちゃん!?」
「うん」
「虹朗、なんでわかるん?」
「昨日、オレが、スカウトしてきた。」
虹朗は自慢げに言った。虹朗は夢の中で、
時々、ドーナッツ星に帰っているらしい。
「優しいおとうさんとおかあさんがおるでー、ってこの家を推薦しといた。」
「それは、ありがとう」
「かーちゃん、オレ、かーちゃんを選んで良かった。
オレ、毎日、嬉しいもん。
楽しいもん。だから、あの子らをスカウトしてん。
一緒に遊ぶ弟が欲しかったから」
「へへっ」と虹朗は笑った。
「泣いたらあかん。山田虹朗、歌います!」
『ウキウキ、ドキドキ、ドーナッツ!』
「※#$!ж☆%~♬」と、
たまに虹朗はドーナッツ星の星の歌を歌ってくれる。
「かーちゃん、ちなみに、男2人」
「また、男か!」
そう言って私と虹朗はゲラゲラ笑った。
 
双子たち、一朗と吾朗が生まれてからは、
『ワタクシ』口調で脳に直接話しかけてくることはすっかりなくなった。
 双子たちは、中1くらいから二人とも彼女を作ってそっちが忙しそうだったし、
虹朗はすっかり無口な大人になって
『ワタクシ』口調で脳に話しかけてくることもなくなった。

虹朗の声がする。
「かーちゃん。そんな薄着で風邪ひくで。」
「ああ、虹朗。かーちゃん、いつもの夢みとったわ。」
「『ワタクシ』時代の時の事、かーちゃん、覚えてる?」
「慣れたら楽しい妊娠生活やったわ。」
「おれ、かーちゃんに決めてよかったわ。
今度生まれてくるときはやっぱり、またかーちゃんの子供がいいな。」
「なんやの、お別れみたいに」
虹朗は言った。
「ドーナッツ星に帰らないとあかんねん。」
「え・・・。」
「ドーナッツ星に帰って、
ぜーんぶの赤ちゃんがやさしいお父さんとお母さんのとこに行く、
幸せになる、その、手伝いせなあかんねん。
かーちゃん、ごめんな」
「虹朗。あんた、えー男になったねえ」
「かーちゃんのおかげやで、全―――部」
「うん。みーんなを幸せにしてあげて」
「かーちゃん、後、三日はこっちにおれるから、
晩御飯、カレー、宅配ピザ、回転ずしにして。」
「あんた、今どきの子やなあ。」
私は天使を育ててたんや、
天使のおかーちゃんやったんやなあ。
虹朗は、死ぬんとちゃう、ドーナッツ星に帰るんや。
「※#$!ж☆%~♬」虹朗を真似て、
藍子は泣きながら歌ってみた。

数日後、藍子の作ったカレーライスと、宅配ピザを食べ、
家族みんなで回転ずしに寿司を食べに行った日の翌朝、
虹朗は起きて来なかった。

やっと慣れた、虹朗のいない朝。
「かーちゃん、おはよー。」
一朗と吾朗が二階から起きて来て言った。
「アサメシ、いらんから、行って来るわ。」
「にーちゃんに手あわさんと!」
不思議そうな顔で双子がまじまじ、私を見ている。
「なんのこと?」
「何って、虹朗の事に決まってるやないの。あんたらの、お兄ちゃん!」
「にじろう?」
「だから、にーちゃんに手合わせてから行きや。」
「かーちゃん、しっかりしてや。」
「俺らに、にーちゃんなんかおらんやん。」
「一朗と俺、二人兄弟やで?」
ほな、行って来るわ、と、双子は学校に行き、
藍子は一人になった。
虹朗。
あんたは、ほんまに優しい、優しすぎるくらい優しい子で、
流産した私の事を見ていられなくて、
地球に降りてきてくれたんやなあ?
毎日、毎日、かーちゃんは一人でないとったもんなあ。
「つかさ」の事も虹朗が教えてくれた。
虹朗、ありがとう。
ドーナッツ星に帰ったのは、
一朗と吾朗に恵まれて、
双子が大きくなって、かーちゃんがもう大丈夫やから?
虹朗の笑顔がぼんやりと浮かぶ。
「どないしたん、かーちゃん、ほら、笑って笑って」
いつも元気をくれた虹朗。
双子の子育てを手伝ってくれたり、
いつも一緒にいてくれた虹朗。
全部、全部、かーちゃんの為に。
虹朗はそこにおってくれた。
家族写真からも、アルバムからも、
皆の記憶からも、虹朗は自然に消えて行った。
豊や、一朗、吾朗の記憶の中からも。
「かーちゃん、元気だしーな」
「かーちゃん、笑ってーな」
虹朗の笑顔が胸に焼き付けても焼き付けても消えて行く。           

虹朗と虹朗のかーちゃん

虹朗と虹朗のかーちゃん

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-01

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