My Baby
私を連れて逃げて
お腹の赤ちゃんは今日も元気に暴れまくっている。
「イタイ、痛いってば!」
思わず、声が出てしまう。
「本当に元気だなあ。やっぱり男の子じゃないか?」
TVを見ていた夫が隣の部屋からお腹の赤ちゃんに話しかける。
「はやく、出て来いよ~」
結婚5年目にしてはじめて授かった子供、
みんな、赤ちゃんの誕生が待ちどうしくてたまらないのだ。
「元気で生まれて来いよ。パパは待ってるぞ」
夫は言う、30歳離れたあなたの弟かも知れないけどね。
「イタイ…本当にイタイ、イタイ」
やんちゃで元気な子に育つに違いない。
「来月が楽しみだなあ、雪絵さん。頑張ってくれよ」
お義父さんがにこやかに私の隣に座る。
私たち夫婦は夫の父と同居している、同居を始めて5年近くになる。
お義父さん「修司」さん…。
その手に触れたくて私は気がおかしくなりそうになる。
こんなに近くにいるのに触ることさえ出来ない。
「お義父さん、心配して下さってありがとうございます」
今は、「修司」さんとは言わない。
「この子が生まれたら、私もおじいちゃんだ」
お義父さんは笑顔で私のお腹にそっと触れる。
夫も義父もO型だった、私もO型だから、
まずここから、ばれる心配はなかった。
私たち夫婦には4年間、子供が出来なくて、
夫は一度医師から「元気な精子が殆どない」と診断された事がある。
この子はほぼ間違いなく、「お父さん」の子供だ。
数か月前、妊娠がわかったとき、私は一瞬、生唾をゴクリと飲み込み、
とっさに「奇跡」「神様からのプレゼント」と言う言葉で全てを丸め込んだ。
夫はもちろん、お義父さんまで、私は欺いている。
姑は一昨年他界していたから、家に勘の鋭い人間はいなくて助かっていた。
うちの男どもはまったく鈍感だった。
その点、女は勘が鋭く、怖い。
私は、必ず、うまくやって見せる。
子供も夫も義夫も私は手放さない。
「ねえ。修司さん」
夫が会社に行くと私は修司さんにやっと好きなだけ甘えることが出来る。
「雪絵…こっちにおいで」
ソファーの上で抱きしめてもらう。
修司さんはもうすぐ59歳になる。
修司さんは、定年前は私が通っていた高校で、
英語の教師をしていた、
優しくて素敵な高井先生は女子生徒に人気があった。
私は、高井先生の息子、同学年の高井和哉とつきあっていて、そ
の付き合いをオープンにしていた。
でも、愛しているのは「高井先生」だった。私は自分さえ欺く必要があった。
結婚したのは、高井くんと私が25歳になる年だった。
地元の小さな神社で式をあげ、ハワイに新婚旅行に行った。
旅行は義理の両親も一緒に行った。
今は夫になった「高井くん」と姑の麻子が遠くのショッピングセンターに買い物に行っている隙に、
私とお義父さんははじめて結ばれた。
結婚してからは全て安泰していた。
高井くんは一人っ子だったから、
「同居して欲しい」と姑に言われたときも、
笑顔で快諾した。
高井先生と暮らせるなんて!
本当に私は嬉しかったのだ。
一昨年、姑が突然亡くなり、
今ではお義父さんと呼ぶようになった高井先生も定年を迎え、
家にいるようになった。
昼間、密かに思いを寄せ合っている男性と2人きり。
何という芳醇な時間だろう。
私とお義父さんは毎日のように関係を持つようになった。
私と「修司さん」の赤ちゃん、二人の間の…。
お腹をさすって見る。
「修司さん、今日も私とこの子をあたためてくれますか」
出産当日まで毎日私たちは抱きあった。
何度でも私たちは何かを確かめあうように抱きあった。
男の子が生まれた。
「雅之」とお義父さんが名前を付けてくれ、
すべては私の思うように廻って行った。
月日は流れ、雅之も少しずつ言葉がわかるようになって来た。
私と「修司さん」は、今度は雅之を欺く必要があった。
雅之は言葉は理解は出来るけどカタコトもしゃべらない、
そんな感じだった。
雅之に隠れて関係を持つのもそれはそれで、スリルがあり、
私とお義父さんはそれを楽しんでさえいた。
あるとき、珍しくお義父さんをおいて、親子三人で車で出かけた。
渋滞に疲れて家に帰ると、雅之が真っ先にお義父さんに
「オトウサン、タダイマ」
と駆け寄って行った。
我が家では、雅之に夫の事をパパ、
お義父さんのことを「オトウサン」と呼ばせていた。
「オトウサン、ダッコ」
「お出かけは、楽しかったか?」
「うん」
「そうか、そうか」
「でも、オトウサンはユキエがいなくてさみしかったでしょ」
雅之は言った。
音をたてて、血の気が引いて行く。
「いつも、レイゾーコのおとなりで、オトウサンと、
ユキエはチュウをナンカイもしてるもんね。ナカヨシなんだね。ユキエとオトウサン」
お義父さん…。
私を連れて逃げて。
My Baby