風のエアリー
春一番の吹く季節には、主人公に幸せになってもらいたいですね。
こつん、と窓ガラスが鳴った。
「エアリー?!」
「何がエアリーだ。この甘ったれが!」
「なに? こんな夜に」
「ふっふっふ……」
悪魔族のサッキュバスは不敵に笑う。朴念仁の彼に、無駄に胸を張ってアピールしているが、まだまだ彼女自身が未熟なため、テンプテーションが効かない! 他に方法も知らないのでいつもこうだ。
パジャマのままの彼は、窓のカギを外すと、彼女を招き入れる。ちなみにここは三階。良く言えば天井裏の四畳半部屋。悪く言えば物置。
まあ、今更ではあるが二人は恋人のようなものなので、こんな月の照る夜更けに部屋へ立ち入られるのも、実際のところ彼にとってはやぶさかではない。もちろん、そんな関係になるまでには、半人前の押しかけサッキュバスがターゲット選びの失敗で、いわゆる草食系男子を選んでしまい、意地になりながら、目的を達せられないままくっついてきた……というわけがある。
(OK.OK.バレンタインのときは処女くれる、とかは参ったけど今日なら……だって夜中の零時を過ぎたら)
彼が期待に頬を緩めていると、エアリーがなにかぶつぶつ言い出した。
彼女は想いと一緒に深く、闇の中へと思考を沈める。
「今日はおまえのたんじょうびというものらしいからな、この時代の習慣に倣って……」
「ちょっと待って……」
「なんだ」
彼は黙って柱の掛け時計を示した。
「まだあと数分残ってる。一六歳の僕は最後まで君と一緒なんだ! これって凄いね」
エアリーはため息をつくと目覚ましを手にとり、彼がかつて教えたように針を動かし、無理やり午前零時にしてしまった。おかげでごく小音でしかけた目覚ましが起動してしまった。
「これでどうだ」
彼女は息を弾ませて微笑んだ。また息を止めて緊張していたらしい。
「違うんだよ、エアリ。そうじゃない」
(せーの)
(ちょっと待って、まだ早いわよ)
(だって、鳴ってるだろう、復活のベルが)
(でもまだ十二時を過ぎてないわ)
(どうでもいいわい、息子よー)
(え? ……て、今、誰かに呼ばれたような)
エアリーはすごいだろう、とばかりにアラームを鳴らし続ける目覚ましを見せつけた。
「なんだよ、まだ理由もいってないのに」
「うるさいな。私がおまえのためにどれだけきりきり舞いさせられたと思うんだ」
「は、話なら後で聞くからさ、ちょびっとだけ待ってくんない? あと数分なんだよ。あと数分で……」
『バーン! 息子よー! ハッピーバースデイ!』
『今日のあなたは最高よー!』
ベッドの上で彼は固まり、呼吸を止めた。どうやら半人前のサッキュバスでなくとも、驚けば呼吸は止まるものらしい。毎年趣向は変わっているが、今日のこの日にエアリーといるのを見られるのはマズイ。
「でわわー!」
奇声を発して彼はドアへ父母を押し戻そうとお札でけん制するが、エアリーは、
「ほほー、この音が鳴ると両親が祝いに来てくれるのか、幽霊の」
彼女はほとんど感心して、目覚ましを振ったり、転がしたり。まるで猫のよう。
『おや、ちょっと早まったかね』
『だから、ちょっと待ってって言ったのに。あなたったら一分一秒も待てないなんて』
『それより、暦では春だが、未だ涼しいこの季節に薄着の、そこな御方はどなたかね』
「でわー、マズイ。エアリー、今はおとなしく引き下がってくれ!」
「わ、私に命令するのか?」
心なしか頬を染めて彼女は反駁しようとした。彼は思いっきり首を横にふる。悪魔族に命令なんかして、魂なぞを持っていかれてはかなわない。
「君、僕の頼みは聞いてくれるんだろう?!」
エアリーはごくん、とのどを鳴らしてうなずいた。まだまだ初心である。
「ふむ、それでは気が進まないが、贈り物を一つやろう。幽体変化、リアルバージョン!」
「あ、まて。ふざけないでくれ、今ここで変なことされちゃ困る――」
彼が言い終わらない内に、エアリーの姿は消えた。同時に重みを伴った両親の体が背中からのしかかって彼の体をベッドに埋めた。
(実体――?)
振り返ってみると、若かりし頃のままの姿形をした両親が、幸せそうに彼を見つめてい
た。
この重み、この暖かさ。
「ててて……ェ」
(ほんもの――?!)
飛びつく彼を両親は受け止めた。ああ、いつまでもこうしていられたら。だけど幽霊だから彼らは朝には帰らなきゃいけない、そうだ。甘えちゃいけない。彼はそれでも動けずにいた。
「一階にいる伯父さん達に見られたら……」
『大丈夫だ』
『いつものように、眠っているわ』
「こういうのが幸せなんて、考えたこともなかったけど……でも、これっていうのもアリなのかも……」
夢みるばかりで、触れることの赦されなかった、両親のぬくもりに彼は歓喜の涙を流した。
完
風のエアリー
ハッピーバースデイ・トゥー・ユー! を込めて。