DOLL ~Louis and doll~

選択肢型9ルート分岐サウンドノベル<DOLL>

スタート★林間学校★カインも林間学校★人形が僕を見て微笑んだ

僕「綺麗な人形を贈られて?」
カイン「女の人のね」
 静かに僕の心にしまわれた大切な恋心は、いつだって誰かしらのふとした一言でいとも簡単に僕の透明の檻から掴み取られ、心の奥から連れ戻されるものだったんだ。
 それは本当、無垢な顔して見上げてきている。それが恋心であって、あの子の存在のようであって、僕のもう一人の悩める姿。
 粉雪が舞う間際で。
 あの冬のことを思い出して、僕の背は自然とまっすぐに伸びた。
 それは冬の帳もまだ深く深く地を凍らせている季節。
 僕はとある人形と雪原で語り合っては、そして恋をしていた。
 この伸ばした背と共に反射的に頬を染めてしまうこの心を、どうしたらいいというのだろう。
 だって、スイスの地にまでは子供の僕では簡単に会いに行くことは出来ない。
 大人になるまでにあの人形の肖像が心の内に揺らめいていってしまうのはいやだ。
 まるで不動の氷のようにずっとあり続けるならいいのに。
 そうしたら、人形への恋だって誰かに笑われずにいつか本物になるかもしれない。輝ける真実の恋心として。
 小学舎からの帰り路に立ち寄った初夏の緑が揺れる庭で今、僕らはいる。
 二年生の時からクラスメートのカインの家だ。透明の硝子にソーダ水をもらっていた。気泡が弾けてミントの葉が爽やかに薫る。
 泡の立つグラスを透かして光りと影の木漏れ日が揺れる、向こうの芝の鮮やかさ。
 カインは言う。
カイン「日本の親戚のお姉さんがね、モデルになった人形なんだって」
 人形といえば、名前。それが僕は気になって仕方がなかった。
僕「日本人の女の子の名前はなんていうの?」
カイン「瑠璃川 月っていうんだ。英語だと、Moon - River lapis lazuli っていう意味の名前なんだ」
 僕は一瞬にして夢想した。その日本の女の人はきっと、麗しい瞳をして黒くたゆたう長い髪をした人。
 瑠璃色をした雰囲気のよく似合う人なのだと。
 冬の夜も、この初夏の美しい季節だって、それに夏の紺碧の海だって似合うに違いない。
 それが、人形になっているというのだ……。
 カインは緑の森に囲まれる芝生の庭でにっこり笑った。
カイン「ルイ」
 僕は呼ばれてカインを見た
カイン「もう五年生の夏の合宿でどっちにするか決めた?」
 僕らの学校は林間学校ならエジンバラ、臨海学校ならアイルランドまで飛ぶことになっていた。
僕「どうしようかなあ。林間学校か、臨海学校かあ……」

★林間学校 To doll3-a

僕「うーん。林間学校を選ぼうかな」
 実は、去年のスキー教室で僕は例の人形に出会って恋をした。その一週間は毎日その人形と話した。
 だからなのか、林間の雰囲気と恋は僕のなかで結びついているように思う。
 カインは僕が冬の丘で美しい人形に恋をしていた事実は知らない。他の誰も。
 僕らだけの秘密の時間だった。
 それでも、今でも不思議に思うことばっかりだ。だって、夜が深まった月の夜の会話はまるで雪の結晶のようだった
 儚くもさらさらとして、それでどこまでも降り積もる言葉に思えた。
 夢だったのかなんて分からない。夢であってもかまわないよ。心に偽りなんて無いから。
 もし、僕らがあてがられた部屋で眠りについて、そこから幕が開きはじめた夢の世界のことだとしても。
 僕は冬の思い出を描いていたけれど、いきなりヒヤッとした頬に驚いて我に返った。
 カインが白い家を背に緑の庭で悪戯小僧っぽく僕を見てきていた。
カイン「何か考えごとしてる」
 僕の頬にソーダグラスの水滴が流れていった。まさか人形に恋していたなんて言えないから、口ごもってビスケットを食べてごまかした。
僕「カインはどっちにするの?」

分岐 ★カインも林間学校 To doll4-a

カイン「エジンバラに行きたいから、林間学校。歴史の教科書でピーターラビットがあったから」
 カインはよく教科書を見ている。だから授業でも予習復習がなってるし、よく手も挙げている。
 ピーターラビットのところはまだまだでこの夏期のハーフターム後にやるんじゃないだろうか。
僕「カインももしかして、人形とかぬいぐるみが好きなの?」
カイン「僕……、<も>?」
 僕はしまったと思って首を横に振った。
カイン「本当、女子みたいな遊びが好きだなあ。スイスのスキー場でもさ、ロッジの人形ずっと女子と一緒になって見てたけど」
 カインがおかしそうにくすりと笑った。
カイン「もしかしたら、エジンバラでも何かあるかもね」
 僕は何か見透かされてるような気がしてドキドキしていた。
カイン「じゃあ、見せてあげるよ。さっき言ってた親戚のお姉さんがモデルになった人形!」
 僕は素直に笑顔になってカインを見た。
僕「見せて!」

★To doll5-A

 カインの平屋建ての白い家は入るととても涼しい。大きな窓からは揺れる緑がのぞむ。
 奥の部屋は玄関から見えるぐらい開放的で、その緑に囲まれて池がキラキラと光っていた。
 その先はやっぱり森が続いている。
 左に曲がっていくと廊下を歩いてリビングに来た。
 僕はまず、新しく加わっている絵画を見上げた。それは黒髪の女の人が三人で写っている絵だ。
 その下に置かれているのが、生けられた薔薇の花に囲まれた人形だった。
僕「この人形? この絵の人と似てる」
 歩いていく毎に薔薇が近づいて、その甘い薫りがする。僕は目を光らせていた。
 リビングはカインの部屋に行くまでに通るぐらいで、あまり入ったりしなかったけど、目には入るから何が増えているのかぐらいは分かった。
カイン「瑠璃川家の三姉妹だよ。月お姉さんは真ん中。ほら、一番左の人は一番上のお姉さんで、名前は愛お姉さん」
 そのアイという女の人はすらりと細くて涼しげな顔立ちをしている。シンプルな紺色のビロードドレスを着ていて、手には柔らかな淡いピンク色のカップ咲きローズを持っていた。
カイン「右の女の人が末っ子の綺羅お姉さん」
 キラという女の人は大体十三歳ぐらいのお姉さんで、一番可愛い笑顔をしている。薄紫色の分厚いシルク系のドレスを着ていて、それには薔薇の柄がさされていた。
僕「じゃあ、真ん中に座っている人が月さんだね」
 僕は胸をときめかせた。
カイン「うん。彼女がこの人形の人だよ」
 その人は夜のような黒いレースのドレスを着ていて、凛とした顔立ちをしているのに目が潤っている。
 強い光を発する瞳で見据えてきていた。
 彼女達の背後には雪をいただく連峰が続き、淡い色の冬の水空が広がっている。
 長女の手に持っている薔薇は、時々冬季にも咲くことがある薔薇だと知っていた。
僕「あの山は日本の山?」
カイン「うん。飛騨山脈っていうらしいよ。日本では北アルプスって呼ばれているみたい。たしか別荘を持っているみたいで」
 僕は絵画から、その下に飾られた人形を見る。
僕「………」
 息を呑んでまじまじと見た。黒い瞳。黒い髪。絵の人たちと同じ色の。
 長女は長い髪をストレートにしていて、末娘は長い髪を緩いウェーブにしている。
 そして次女の月さんの髪は、意外にもボブヘアだった。
 ボブヘアはさらさらとした質感まで手に取るように絵画には表現されていて、そして作られた人形もボブヘアだ。
 白いレースのドレスを着ていて、髪には目も醒めるような瑠璃色のカチューシャをした人形。
 黒い革のブーツを履いて、繊細な手指を揃えている。黒い瞳は微笑みを湛える唇と共に光っていた。

★To doll6-1

カイン「何か飲む? パパのブランデーはお尻叩かれるから出せないけど」
僕「もうカインは。大人になりたい大人になりたいっていうのは分かるけど、まだまだチビなんだからさ」
 いつでもカインは大人から子供っぽく扱われるとふてくされる。
カイン「僕はクラスでも一番背が高いんだから、きっと大人になったら酒の量もがぶがぶ行くと思う。あはは」
 僕は逆に平均的な背丈だ。大人への憧れはあまりないからお酒と聞いてもぱっとしないのは当たり前だ。
僕「変なのー」
カイン「何か飲む?」
 カインはお酒の味でも想像しているのかうれしそうな横顔をしている。
 「ミントティーをお願いね」
僕「ハーブティーもあるんだね。じゃあ僕はいつものオレンジジュースにする。
カイン「ハーブティー?」
 カインはお酒の入った棚を深々と眺めながら唸っていたのを、僕を振り返った。
 僕はその中腰で振り返ったおかしな格好のカインを見て、おかしくてくすっと笑った。
僕「……て、え?」
 僕はどこからともなく聞こえた声に首をかしげた。女の人の声で、キョロキョロする僕の目にはあの人形ぐらいしか喋り出しそうな雰囲気のものはいない。
 そこまで歩いていくと、カインはまだ同じ体勢のまま顔だけで僕を追いかけ見ていた。
 人形は口を閉ざしたままだった。

分岐 ★人形が僕(ルイ)を見て微笑んだ To doll7-3

 僕は引き上がったその淡い色の唇を見た。人形の微笑みを。
僕「君……ハーブティーが好きなの?」
人形「カインのママは私のママと共に幼い頃によくここのお庭でハーブを育てていたの」
 人形がいきなりその薔薇の間にすっくと立ち上がり、膝下の丈の広がるスカートを調えながらボブヘアを揺らして笑った。
人形「あなた、おかしな子ね。私が喋り出しても普通なのね」
 耳の上に花の形の青い石がついた瑠璃色のカチューシャの人形は、その横の黒い硝子玉の瞳と共に光るのでまるで本物の人……、まるで妖精のように思えた。
 顔はビスクで柔らかな曲線を描いて、大人の女性がモデルなのですらっとしている。
 幾輪もの大輪の薔薇を背に立つ彼女。
僕「分かった。君、妖精がついてるんでしょ? スイスで出会った人形も妖精がついてたんだ。冬の妖精とか、雪の妖精が。それで話し掛けて来ていたんだね?」
人形「まあ、驚いた。あなた、私たちのこと知っているのね」
 精巧な手指を口元に当てて、その妖精が乗り移っている人形が台を歩いて行き、美しい柄のワイングラスの向こうに行くと、顔を覗かせてくすりと微笑んだ。
 すると、その金で透かしの絵付けがされたグラスを透かして、透明に近い妖精の羽根が見えた。
 彼女がくるりとスカートを返し回転しながらワイングラスの後ろから出てくると、綺麗な妖精の羽根を背にしていた。
 僕はうれしくなってまじまじと見た。
 それで、カインを振り向いたらカインはオレンジジュースをグラスに注いでいて気づかなかった。
人形「カインは今までずっと私には気づかなかったわ。水の伝達で今囁きが聞こえたけれど、そのスイスの人形についていた妖精も言ってる。その時もあなただけが存在に気づいたんだって」
僕「エマと知り合いなの?」
 水の伝達。その話を知っている。エマからも聞いた事があった。
 水は記憶力があって、物から発される存在感によってそれを記憶するということ。言葉でもそれは現れる。いけない言葉は水質を壊してしまう。けれど、綺麗な言葉を使うと雪の結晶も美しい形に形成される。
 その水の記憶は地球上を取り巻く水分が伝達をして、その読み取ったものの存在がどういった存在なのかを伝えるという話だ。
 だから、美しい言葉や良い言葉をたくさん言うということはとても大切なことなのだ。
人形「あなたがエマと呼んだ妖精は、雪の結晶の妖精だったようよ。私たちはその場所の記憶を読み取ることが出来るの」
僕「君は何の妖精?」
人形「私は葉影に揺れる光の妖精」
 彼女は微笑んだ。
 折り重なる光と陰と葉。いろいろな葉の形の陰が濃い緑や黄緑の葉に射す情景。その間に彼女がいるのだ。
人形「あなた、カインを誘って庭へおいでなさいよ。あそびましょ」
 僕はカインを見た。
僕「カイン。外でジュース飲もうよ!」
カイン「いいよ。オレンジのチョコレート掛けも持ってこう」
 僕らは外に出た。
 僕の横を、すうっと、何か透明できらきらとしたものが通って行った気がした。
 白い家の裏の庭に出ると、森や池を背景にした草花の広場に光が踊っていた。小花はいろいろな種類が自生しているからどれも楽しい。
 池はきらきらと光っていた。明るい森はどこまでも続いている。
 僕は光が射すそれらの草花を見ながら微笑んだ。
 そして、透明の何かが透けて見えて、首をかしげた。
 それはブロンドの長い髪をした小さな小さな女の子で、薄衣を纏っていた。透明の羽根を背にして。
 草花の光と折り重なる陰の間際に浮かんで、微笑んでいる。羽根を動かしながら。
妖精「あそびましょう!」
 妖精は天に羽ばたいて行き、僕が見上げるとたくさんの妖精たちが現れて青い空に舞い始めた。
僕「わあ……! 綺麗だ……」

★ To doll8-5

 妖精たちは不思議な光りのような言語で話している。
 それは花の声なのかもしれない。植物や、空気が発する透明度の高い信号。
 ナチュラルシグナル……それは僕らの周りで常に発されているものなのだ。
 繊細に感じ取って大切なメッセージを自然世界から読み取る事はとても大切なことなのだ。
 心から僕らも透明であることでそれらは入り込んできて、とても美しい物事に気づくことが出来る尊さ。
 僕はこの庭で生きてきたカインももしかしたら幼い頃は妖精たちと遊んでいたはずだと核心する。
 きっといっぱい転んで、泣いて、走り回って、迷子になってきたかもしれないけれど、その時にそっと妖精や精霊や何かの霊体は現れて、そっと伝えてくれたり、シグナルを送ってあげたり、気付きを与えてくれたりしてくれていたはずだ。
 風の力、光りの力、木々の波長、水のシグナル、動物たちの行動、いろいろな無垢な力やサバイバルの本能が様々なことを教えてくれることだろう。
 自然を大切にして生きるということがどんなに重要なことなのかを感じることが出来る。
 妖精たちは見た目は僕らと同じ姿をして見えるけれど、もしかしたら本来の姿である花や光り、木や空気というものに宿る魂や力を、僕らは理解しやすいように具現化して人の形に見えていても、それらを同じように感じる水の流れや雨、闇や星は全く違ったふうにそれらを感じ取るのではないだろうか。視覚的なものに限らず、触感や雰囲気で、一番身近な具現で表現される。
 明らかにキリシタンの信じる天使だって人が考えたから人の形なのであって、その観念が人以外の物ならばそれは科学的な根拠に裏づけされた超自然的な必然か偶然の生み出す恵みや現象になるのだろう。

★ To doll9-b

 それなら、あの僕に語りかけてきたスイスで出会った人形エマは何者なのだろうか。
 僕は思い出す。
 ロッジで目を奪われたその人形は、夕食の時間が来ても忘れる事が出来ずに、ふと夜に部屋を抜け出して見に行った。
 ひっそりとしたラウンジは受付カウンターと多くの人が座れるボックス席が並んでいた。壁沿いの円卓に置かれた人形。影の内では神秘的に見えた。
 僕は歩いていき、人形の前に来た。その時に自然と心にエマという言葉が浮かんだ。エマと呼ぶと、人形は僕に微笑んだ。
 人形に宿った魂が雪の妖精と同調して、偶然僕に見つけられて語り合うことにシンクロしたのかもしれない。
僕「カイン」
カイン「うん?」
僕「もし叶わない恋があるかもしれなかったら、カインならどうする?」
 カインは僕をしばらく見てから、微笑んだ。
カイン「自分を信じ続けるかな。恋心を信じ続けるってさ、けっこう辛い事あるけどその力ってすごいパワーだから」
僕「もし辛いのが続いたら?」
カイン「人生ってね、長いんだよ。その恋を大切にしながら生きたら他の人にも優しくなれるだろ? それに生きている内に叶わないものが叶う方法だって出てくるさ。気長に待てるよ」
僕「それが人形でも?」
 カインは庭を見渡していた顔を僕に向けた。
カイン「僕なら持ち主に掛けあってみるかなあ。それか本気ならその人形のいる所に大人になったら引っ越すよ。人形とかへの愛情って、心や人形自体の所有もその一つなんじゃないかな。今からならそのために努力が出来るじゃないか。スイスのスキー場で見かけた人形だろ?」
 僕は目を丸くして耳を染めた。
カイン「成人したらいくらでもスキー場で働けるよ。スイス語だって今から勉強できるし、スキーシーズン以外の仕事だっていろいろ調べればその後の学校の選び方だって決められる。人形職人になってもいいし、酪農の路に行ってもいい。自然植物研究員になってもいいし、スイスの植物関係の博士になるのもいい。生き物を研究する事もできる。時々訪れたいんだったらスキー客で訪れるのも、趣味で一年を通して出来る登山者になるのもいいんじゃないかな。他にやりたいことがあるなら。そうやって何かしら人形との接点を持つように自分なら考えるな」
 僕の空になったオレンジジュースと、カインのレモネードのグラスはそれを透かして植物が鮮やかだ。
僕「いくらでも方法はあるんだね」
カイン「大変なことも多いと思うけどね、僕はルカが酪農家になったり植物博士になったり登山家になったりしても応援するよ。もちろんあの綺麗な人形を出来れば持ち主に譲ってもらったりできるならいいんだけどね」
 僕は真剣に応えてくれたカインにうれしくなってにっこり微笑んだ。
僕「笑われたらどうしようって思った」
カイン「笑わないさ! 僕のパパときたら石の人魚に恋してたぐらいだからね。恋心は不思議なものだって思うもの」
僕「うん」
 蝶が飛び交う。光りを縫って飛ぶ交う……。
 光りを縫って手を伸ばして会いに行けたら伝えよう。恋してる事をエマに。

★ To doll10-AA

カイン「僕もね、自然エネルギーの研究員になろうって思ってるんだ」
僕「へえ、一体どんな?」
カイン「自然エネルギーといったら、風力や太陽光、太陽熱、地熱、水力、苔力、バイオエネルギーとかいろいろあるよね。僕はまずはじめにソーラーパネル付の水素自動車とかがあったらいいと思うんだ。天気の良い日は車両の屋根のソーラーパネルで充電や電気を作る事が出来るしそれを家のコンセントに繋いで家で使う事もできる。出先で充電も出来る。それに、バッテリーと共に蓄電器をいろいろな種類で作れたらって思うんだ。もしも電動式スクーターなら、冬場の暖気や蓄電が出来ない場合は三本ぐらいの充電地バッテリーを屋内で充電しておいて、出掛けるときにセットして一本ずつ使えるようにするとか。電池というのは蓄電システムに応用できると思うから。それに、海流発電とかかな。でもそれだと海洋の環境配慮を考えないと生けないし、設置工事も大掛かりになる。海流が流れてるからね。それにスクリューに海の生物が巻き込まれては生けないから鉄柵が必要になるし、定期的に藻などを取り除かなければならない。自然保護のことを考えると海流発電は考え物だと思うけどね。苔が発する酸素でバイオエネルギーを培養できるからそれをいろいろな街中に設置したらいいと思うんだ。透明なタンクとしてね。そしたら綺麗な空気だって苔から作られるし、街の景観だって緑で目に優しいだろ? それで海洋生物の養殖の場をどこかの場所に作るんじゃなくて、街中に作ることも出来るんだ。長い長い透明のパイプを街に廻らせて、所々蓋を取り付けて、海水をポンプ式で流れさせれば養殖魚たちは回遊し続けることが出来る。蓋から餌だってやれる。パイプ毎にいろいろな魚類が育てられるんだ。エビもね。いかに環境や自然を守る事を軸にするかが重要なんだ」
 僕はカインがいろいろなことを考えていることを聞いていた。
カイン「一番良いのは、やっぱり自給自足のテント暮らしかな。皆が必要最低限のものだけで生きる事。それが一番地球環境にいいよ。人がいる以上はね。自分で野菜育ててさ、場所に寄ったら鏡とフライパンで昼に調理だって太陽光で出来るんだ。動物たちの住みかの森林を守ることが大前提だからね。調理をせずに食べられるとなったらやっぱり野菜だよ」
僕「じゃあ、その時はお互いにそれを実行できる大人になってようね」
 カインは僕に明るく微笑んだ。
カイン「自然を想う心があれば、誰だって地球と自然を護れるよ」
 カインは青い空に目を映した。
カイン「今の僕等の生活ってさ、何を言ってもいろいろ揃いすぎてるじゃない? 僕、自分が成人したらテント暮らししようかなって思ってるんだ。質素に暮らすことを学ばなければと心から思ってるから。エネルギーのことを考えることはどんな場所でも出来ると思うんだ」
 動物保護だってあるんだ。それに自然保護団体をつくることも。
 緑が風に揺れて青い空に映える。植物の薫りはとても優しい。
 僕は微笑んで共に見上げた。

スタート★林間学校★カインも林間学校★人形は薔薇のベッドに倒れた

僕「綺麗な人形を贈られて?」
カイン「女の人のね」
 静かに僕の心にしまわれた大切な恋心は、いつだって誰かしらのふとした一言でいとも簡単に僕の透明の檻から掴み取られ、心の奥から連れ戻されるものだったんだ。
 それは本当、無垢な顔して見上げてきている。それが恋心であって、あの子の存在のようであって、僕のもう一人の悩める姿。
 粉雪が舞う間際で。
 あの冬のことを思い出して、僕の背は自然とまっすぐに伸びた。
 それは冬の帳もまだ深く深く地を凍らせている季節。
 僕はとある人形と雪原で語り合っては、そして恋をしていた。
 この伸ばした背と共に反射的に頬を染めてしまうこの心を、どうしたらいいというのだろう。
 だって、スイスの地にまでは子供の僕では簡単に会いに行くことは出来ない。
 大人になるまでにあの人形の肖像が心の内に揺らめいていってしまうのはいやだ。
 まるで不動の氷のようにずっとあり続けるならいいのに。
 そうしたら、人形への恋だって誰かに笑われずにいつか本物になるかもしれない。輝ける真実の恋心として。
 小学舎からの帰り路に立ち寄った初夏の緑が揺れる庭で今、僕らはいる。
 二年生の時からクラスメートのカインの家だ。透明の硝子にソーダ水をもらっていた。気泡が弾けてミントの葉が爽やかに薫る。
 泡の立つグラスを透かして光りと影の木漏れ日が揺れる、向こうの芝の鮮やかさ。
 カインは言う。
カイン「日本の親戚のお姉さんがね、モデルになった人形なんだって」
 人形といえば、名前。それが僕は気になって仕方がなかった。
僕「日本人の女の子の名前はなんていうの?」
カイン「瑠璃川 月っていうんだ。英語だと、Moon - River lapis lazuli っていう意味の名前なんだ」
 僕は一瞬にして夢想した。その日本の女の人はきっと、麗しい瞳をして黒くたゆたう長い髪をした人。
 瑠璃色をした雰囲気のよく似合う人なのだと。
 冬の夜も、この初夏の美しい季節だって、それに夏の紺碧の海だって似合うに違いない。
 それが、人形になっているというのだ……。
 カインは緑の森に囲まれる芝生の庭でにっこり笑った。
カイン「ルイ」
 僕は呼ばれてカインを見た
カイン「もう五年生の夏の合宿でどっちにするか決めた?」
 僕らの学校は林間学校ならエジンバラ、臨海学校ならアイルランドまで飛ぶことになっていた。
僕「どうしようかなあ。林間学校か、臨海学校かあ……」

★林間学校 To doll3-a

僕「うーん。林間学校を選ぼうかな」
 実は、去年のスキー教室で僕は例の人形に出会って恋をした。その一週間は毎日その人形と話した。
 だからなのか、林間の雰囲気と恋は僕のなかで結びついているように思う。
 カインは僕が冬の丘で美しい人形に恋をしていた事実は知らない。他の誰も。
 僕らだけの秘密の時間だった。
 それでも、今でも不思議に思うことばっかりだ。だって、夜が深まった月の夜の会話はまるで雪の結晶のようだった
 儚くもさらさらとして、それでどこまでも降り積もる言葉に思えた。
 夢だったのかなんて分からない。夢であってもかまわないよ。心に偽りなんて無いから。
 もし、僕らがあてがられた部屋で眠りについて、そこから幕が開きはじめた夢の世界のことだとしても。
 僕は冬の思い出を描いていたけれど、いきなりヒヤッとした頬に驚いて我に返った。
 カインが白い家を背に緑の庭で悪戯小僧っぽく僕を見てきていた。
カイン「何か考えごとしてる」
 僕の頬にソーダグラスの水滴が流れていった。まさか人形に恋していたなんて言えないから、口ごもってビスケットを食べてごまかした。
僕「カインはどっちにするの?」

分岐 ★カインも林間学校 To doll4-a

カイン「エジンバラに行きたいから、林間学校。歴史の教科書でピーターラビットがあったから」
 カインはよく教科書を見ている。だから授業でも予習復習がなってるし、よく手も挙げている。
 ピーターラビットのところはまだまだでこの夏期のハーフターム後にやるんじゃないだろうか。
僕「カインももしかして、人形とかぬいぐるみが好きなの?」
カイン「僕……、<も>?」
 僕はしまったと思って首を横に振った。
カイン「本当、女子みたいな遊びが好きだなあ。スイスのスキー場でもさ、ロッジの人形ずっと女子と一緒になって見てたけど」
 カインがおかしそうにくすりと笑った。
カイン「もしかしたら、エジンバラでも何かあるかもね」
 僕は何か見透かされてるような気がしてドキドキしていた。
カイン「じゃあ、見せてあげるよ。さっき言ってた親戚のお姉さんがモデルになった人形!」
 僕は素直に笑顔になってカインを見た。
僕「見せて!」

★To doll5-A

 カインの平屋建ての白い家は入るととても涼しい。大きな窓からは揺れる緑がのぞむ。
 奥の部屋は玄関から見えるぐらい開放的で、その緑に囲まれて池がキラキラと光っていた。
 その先はやっぱり森が続いている。
 左に曲がっていくと廊下を歩いてリビングに来た。
 僕はまず、新しく加わっている絵画を見上げた。それは黒髪の女の人が三人で写っている絵だ。
 その下に置かれているのが、生けられた薔薇の花に囲まれた人形だった。
僕「この人形? この絵の人と似てる」
 歩いていく毎に薔薇が近づいて、その甘い薫りがする。僕は目を光らせていた。
 リビングはカインの部屋に行くまでに通るぐらいで、あまり入ったりしなかったけど、目には入るから何が増えているのかぐらいは分かった。
カイン「瑠璃川家の三姉妹だよ。月お姉さんは真ん中。ほら、一番左の人は一番上のお姉さんで、名前は愛お姉さん」
 そのアイという女の人はすらりと細くて涼しげな顔立ちをしている。シンプルな紺色のビロードドレスを着ていて、手には柔らかな淡いピンク色のカップ咲きローズを持っていた。
カイン「右の女の人が末っ子の綺羅お姉さん」
 キラという女の人は大体十三歳ぐらいのお姉さんで、一番可愛い笑顔をしている。薄紫色の分厚いシルク系のドレスを着ていて、それには薔薇の柄がさされていた。
僕「じゃあ、真ん中に座っている人が月さんだね」
 僕は胸をときめかせた。
カイン「うん。彼女がこの人形の人だよ」
 その人は夜のような黒いレースのドレスを着ていて、凛とした顔立ちをしているのに目が潤っている。
 強い光を発する瞳で見据えてきていた。
 彼女達の背後には雪をいただく連峰が続き、淡い色の冬の水空が広がっている。
 長女の手に持っている薔薇は、時々冬季にも咲くことがある薔薇だと知っていた。
僕「あの山は日本の山?」
カイン「うん。飛騨山脈っていうらしいよ。日本では北アルプスって呼ばれているみたい。たしか別荘を持っているみたいで」
 僕は絵画から、その下に飾られた人形を見る。
僕「………」
 息を呑んでまじまじと見た。黒い瞳。黒い髪。絵の人たちと同じ色の。
 長女は長い髪をストレートにしていて、末娘は長い髪を緩いウェーブにしている。
 そして次女の月さんの髪は、意外にもボブヘアだった。
 ボブヘアはさらさらとした質感まで手に取るように絵画には表現されていて、そして作られた人形もボブヘアだ。
 白いレースのドレスを着ていて、髪には目も醒めるような瑠璃色のカチューシャをした人形。
 黒い革のブーツを履いて、繊細な手指を揃えている。黒い瞳は微笑みを湛える唇と共に光っていた。

★To doll6-1

カイン「何か飲む? パパのブランデーはお尻叩かれるから出せないけど」
僕「もうカインは。大人になりたい大人になりたいっていうのは分かるけど、まだまだチビなんだからさ」
 いつでもカインは大人から子供っぽく扱われるとふてくされる。
カイン「僕はクラスでも一番背が高いんだから、きっと大人になったら酒の量もがぶがぶ行くと思う。あはは」
 僕は逆に平均的な背丈だ。大人への憧れはあまりないからお酒と聞いてもぱっとしないのは当たり前だ。
僕「変なのー」
カイン「何か飲む?」
 カインはお酒の味でも想像しているのかうれしそうな横顔をしている。
 「ミントティーをお願いね」
僕「ハーブティーもあるんだね。じゃあ僕はいつものオレンジジュースにする。
カイン「ハーブティー?」
 カインはお酒の入った棚を深々と眺めながら唸っていたのを、僕を振り返った。
 僕はその中腰で振り返ったおかしな格好のカインを見て、おかしくてくすっと笑った。
僕「……て、え?」
 僕はどこからともなく聞こえた声に首をかしげた。女の人の声で、キョロキョロする僕の目にはあの人形ぐらいしか喋り出しそうな雰囲気のものはいない。
 そこまで歩いていくと、カインはまだ同じ体勢のまま顔だけで僕を追いかけ見ていた。
 人形は口を閉ざしたままだった。

分岐 ★ 人形は薔薇のベッドに倒れた To doll7-4

 人形が黒のボブヘアを引き連れて薔薇の寝台へと倒れていく。絵画のように衣装を黒のレースドレスに変えて行きながら。
 僕はとっさに手を伸ばしていた。
 人形の手を取ろうと。
 僕の視野が暗がりになっていき、紅の薔薇の花弁が舞って人形の手を掴み、そして僕さえも同じ大きさになっていた。
 一緒に幾輪もの薔薇の間にうずもれて、僕は顔を挙げて人形を見た。
 でも、その人形は月さんになっていた。絵画の黒紫のレースドレスに、さらさらのボブで、こげ茶色の瞳をしたレッドルージュの月さん。
月「私を連れ出して」
 薔薇の咽返る甘い甘い薫りに包まれて、僕の両手を掴んで訴える月さんを見た。
僕「それは、エジンバラに?」
 澄んだ闇はどこまでも続くかのようで、薔薇の彩と共に月さんの美しさが僕を虜にした。その瞳も魅力的だ
 そして繋がれた手はそのまままた斜めかしいで行き、僕らは駆けて行った。
 廊下を走って、カインの家の廊下の先のドアを開けたら、その先は来たことがまだ無い夜の森になっていた。

★ To doll8-4

 大輪の薔薇が降りしきる夕暮れの森だった。
 眩しい夕陽が射していて、それで落ち続ける薔薇の花を光らせたり、濃い影を落とさせたりしているのだ。
 座りこんで黒いクラシカルなドレスで泣いている女性の背中が白く浮いていた。
 僕はそこまで歩いて行った。
僕「大丈夫? どうしたの? なんで連れ去られたいの?」
 それは紛れも無い月さんだった。ボブの髪を揺らして顔をあげると、涙で濡れたその頬は夕陽の緋色を映して黒い瞳はめらめらと揺れている。
 僕はいたたまれなくなっておでこにキスをしてあげた。
僕「無理には聞かないよ」
 草地にスカートをふわっとさせて座りこむ月さんはとても年上の女の人には思えないほど泣いているけれど、それでもとても綺麗な人だった。僕はドキドキした。
僕「一緒に森を歩こう? ほら、薔薇が降ってきてて不思議だね。とても綺麗だし、鼻を近づけると甘く薫るんだ」
 宇宙から舞い降りてきた花なのだろうか? 見上げる曙の空は遠い遠い、遥か彼方から薔薇が降りしきる。それは月さんのことも囲って、彩っていた。
 さっきまでの優しげに微笑んでいた顔は、空元気だったのだろうか? 軽やかな白いレースの装いは心を隠すための白さだったのだろうか? 悲しみをかくして、本当は陰のなかに浸っていたのかもしれない。
僕「薔薇星雲からの贈り物かもしれないよ。この薔薇、月さんの髪によく似合う」
 そんなに泣くものだから、天もなぐさめてあげたくなったのだろう。
 森の葉を照らす陽はどんどんと色を深くして、紫色のグラデーションも加わり始めた。
月「心を入れてもらいたいの。人形の心よ。私、作っていただいたのに、心を落としてしまった。だから、一緒に探していただけない」
 僕はこくりと頷いた。
僕「そしたら、君の微笑みは戻ってくるんだね」
 黒もシックでとてもよく似合うけれど、やっぱりさっきのエレガントな白のドレスで笑っててもらいたい。
 僕は立ち上がった月さんを見上げた。やっぱり大人だから背が高かったから見上げていると首が痛くなって顔を戻した。
 彼女が立ち上がると、その横にランタンが現れた。
 彼女はそれを掲げて僕と一緒に歩いていく。
 陽炎になっていく夕陽は一滴の強烈な光を発するメノウとなって稜線の間際に光って、そして月さんが掲げたランタンの硝子の先に重なって眩く暮れていく。
 だんだんと暗くなって行くと、ランタンの灯りがほのかに揺れて陽の魂を宿したようで、夕陽は今度はアイルランドへ向かっていくんだ。
 薔薇は今度は夜の色に染まっていく。夜露と共に薫り始めた。

★ To doll9-a

 夢の幕というものは暗くて、安心感があって闇の先には何かの明りが潜んでいる。
 それらが幾重にも折り重なって、そしてそれを丁寧に辿るように歩いていくと少しずつ開かれる。それは甘美さを引き連れていた。
 闇に浮かぶ薔薇の花弁は薫りが立ち昇る。
 ぼうっとしたランタンの灯りを頼りに歩いていくと、黒いドレスの陰が立ち止まって動かなくなった。
 見上げると、全く動かずに静止している。肘の部分継ぎ目の間接がある。そしてこちらをかたんと振り向いた。
 硝子玉の黒い瞳が傾けられた顔によって頬にかかる黒髪の横、睫を引き連れて閉じて開かれる。ランタンの灯りが広がって、泣いて見えた。硬質な頬にも灯火を広げて。
 「また、心が一つ、落ちた……」
 僕は薔薇の花弁を見回した。大きな人形はぎこちなく動いてまた顔を傾けたまま背を向けた。
 「どこかしら、私の心は……薔薇の花弁にうずもれてる。闇に紛れてる。誰かに連れ去られて、探し出せない」
 僕は不安がる人形のお姉さんの手を握ってあげたら、人形の手なのでその繊細な指を見た。見上げると睫の陰が頬に落ちて、その上の瞳が濡れて光る。陰影が広がる。
 僕が辺りを見回すと、何かが落ちていた。それは拳ぐらいの大きさの光る石だった。
 物音がしてお姉さんを振り返ると、同じような淡い光を発する石が落ちた。それが薔薇の花になっていき、花弁が開いて他の花弁に交わった。
 顔を戻すと、既に見つけた最初の光る石は薔薇の花弁になっていた。
 見回す。地面を埋め尽くすこの薔薇の花弁全てがお姉さんの心なんだ。
 僕はどうしたらこの心が彼女の内側に戻るのかを考え始めた。
 僕は辺りを見回して、何かの箱を見つける。
 無意識にそこへ歩いて行って、箱を開けると花弁をどんどんと手に掴んで入れはじめた。
 向こうに鳥篭を見つける。そちらに走って行って鳥の変わりにどんどん花弁を入れて行って、それは一定量を越えると鳥になって行って、どんどん詰め込むとどんどん鳥に変わって行って薔薇の花弁の羽根を舞わせて葉陰が重なる空へ飛んで行ってしまう。お姉さんはそれを見てはらりt涙を落とした。鳥篭では方法が違ったんだ。
 ぴかっと光った手鏡を見つけてそれを覗きこむと、いきなり黒い陰が笑って見えて驚いて手を放すと薔薇の花弁が舞ってうずもれた。ひらりと何枚か薔薇が舞う姿を鏡面に映して。
 木の枝に掛かった綺麗な色のスカーフを見つけて、それを背伸びして掴み取ると、花弁をそれに詰め始めた。そうすると薔薇の柄になってふわっと薫り、いきなり蛇に変わって僕は手を放して尻餅をついた。
 遥か向こうに灯りのついた石の小屋が見える。
 箱を抱えるお姉さんの手を引っ張って走っていくと、ドアを開けた。
 その途端に薔薇の花弁があふれ出て来て僕らは埋もれて目を開くともっとたくさんの薔薇の花弁が広がってしまっていた。せっかく集めた心の欠片を全て元に戻してしまったのだ。
 またかき集めながら小屋に詰めて行って、どんどんと背後が明るくなって来る。それは朝日の眩しさ。
 振り返ると、お姉さんは箱を抱えたまま佇んで光を背に影を長く長く伸ばしていた。
 必死になる僕を見て、その傾いた顔は涙を流していたけれど、微笑んでいた。
 転がった鳥篭、朝日に照らされて光る手鏡、ドアを閉ざしても窓が花弁に埋め尽くされた小屋、木の枝に停まって僕らを見下ろして来ている鳥達……。
 僕はなんだか顔が緩んで、紅に佇む彼女に笑っていた。黒かったドレスは、純白に変わっていた。
 森の木々の先には空と緑の大地。そして甘い花の薫りの風にあおられて、薔薇の花弁は花嵐となって渦巻き吹かれて行った。
 薔薇の花弁は淡いピンク色から、美しい純白の花弁へと変わって空の向こうへ溶け込んで行った。

★ To doll10-a

 僕は目を覚ますとカインの家の庭にいた。
僕「あれ」
 カインはランタンに灯りを照らして回っている。それにグラスのキャンドルにも。
カイン「今日は泊まってくだろ? 遅くなったし家に連絡しなよ」
僕「あ、うん」
 いつから僕は眠ってたんだろう。しっかり者のカインが僕の上にタオルケットを掛けてくれていた。
僕「寝ちゃってたんだね」
カイン「けどいろいろ楽しかったね」
 やっぱりいろいろなところに行ったんだ。それで疲れてねむっちゃったみたいだった。
カイン「ママが夕食を庭で食べようって言っていた」
 僕はキャンドルを灯し終わったカインに頷いた。星が光っている。森は夜の影となっていた。
 空の星と所々に灯るキャンドルの浮かんだような明りは今にも夜の妖精が踊り出す雰囲気だった。
 星を金属の棒で鳴らしながら、歌うのだろう……。
 僕らはいろいろな夜の神話を語り合った。
 さやさやと涼しい風は、夜が深まると共に冷たい風になっていく。
 人形たちとの恋が、僕の心に残って行きながら、今に透明の箱になって光るのだろう。
 スイスで出会った人形も、月さんの人形とも。

スタート★林間学校★カインは臨海学校★また眠りへ戻る

僕「綺麗な人形を贈られて?」
カイン「女の人のね」
 静かに僕の心にしまわれた大切な恋心は、いつだって誰かしらのふとした一言でいとも簡単に僕の透明の檻から掴み取られ、心の奥から連れ戻されるものだったんだ。
 それは本当、無垢な顔して見上げてきている。それが恋心であって、あの子の存在のようであって、僕のもう一人の悩める姿。
 粉雪が舞う間際で。
 あの冬のことを思い出して、僕の背は自然とまっすぐに伸びた。
 それは冬の帳もまだ深く深く地を凍らせている季節。
 僕はとある人形と雪原で語り合っては、そして恋をしていた。
 この伸ばした背と共に反射的に頬を染めてしまうこの心を、どうしたらいいというのだろう。
 だって、スイスの地にまでは子供の僕では簡単に会いに行くことは出来ない。
 大人になるまでにあの人形の肖像が心の内に揺らめいていってしまうのはいやだ。
 まるで不動の氷のようにずっとあり続けるならいいのに。
 そうしたら、人形への恋だって誰かに笑われずにいつか本物になるかもしれない。輝ける真実の恋心として。
 小学舎からの帰り路に立ち寄った初夏の緑が揺れる庭で今、僕らはいる。
 二年生の時からクラスメートのカインの家だ。透明の硝子にソーダ水をもらっていた。気泡が弾けてミントの葉が爽やかに薫る。
 泡の立つグラスを透かして光りと影の木漏れ日が揺れる、向こうの芝の鮮やかさ。
 カインは言う。
カイン「日本の親戚のお姉さんがね、モデルになった人形なんだって」
 人形といえば、名前。それが僕は気になって仕方がなかった。
僕「日本人の女の子の名前はなんていうの?」
カイン「瑠璃川 月っていうんだ。英語だと、Moon - River lapis lazuli っていう意味の名前なんだ」
 僕は一瞬にして夢想した。その日本の女の人はきっと、麗しい瞳をして黒くたゆたう長い髪をした人。
 瑠璃色をした雰囲気のよく似合う人なのだと。
 冬の夜も、この初夏の美しい季節だって、それに夏の紺碧の海だって似合うに違いない。
 それが、人形になっているというのだ……。
 カインは緑の森に囲まれる芝生の庭でにっこり笑った。
カイン「ルイ」
 僕は呼ばれてカインを見た
カイン「もう五年生の夏の合宿でどっちにするか決めた?」
 僕らの学校は林間学校ならエジンバラ、臨海学校ならアイルランドまで飛ぶことになっていた。
僕「どうしようかなあ。林間学校か、臨海学校かあ……」

分岐 ★林間学校 To doll3-a

僕「うーん。林間学校を選ぼうかな」
 実は、去年のスキー教室で僕は例の人形に出会って恋をした。その一週間は毎日その人形と話した。
 だからなのか、林間の雰囲気と恋は僕のなかで結びついているように思う。
 カインは僕が冬の丘で美しい人形に恋をしていた事実は知らない。他の誰も。
 僕らだけの秘密の時間だった。
 それでも、今でも不思議に思うことばっかりだ。だって、夜が深まった月の夜の会話はまるで雪の結晶のようだった
 儚くもさらさらとして、それでどこまでも降り積もる言葉に思えた。
 夢だったのかなんて分からない。夢であってもかまわないよ。心に偽りなんて無いから。
 もし、僕らがあてがられた部屋で眠りについて、そこから幕が開きはじめた夢の世界のことだとしても。
 僕は冬の思い出を描いていたけれど、いきなりヒヤッとした頬に驚いて我に返った。
 カインが白い家を背に緑の庭で悪戯小僧っぽく僕を見てきていた。
カイン「何か考えごとしてる」
 僕の頬にソーダグラスの水滴が流れていった。まさか人形に恋していたなんて言えないから、口ごもってビスケットを食べてごまかした。
僕「カインはどっちにするの?」

分岐 ★カインは臨海学校 To doll4-b

カイン「去年はスキー教室に行ったから、今年は海の合宿に行くって決めてたんだ」
僕「そっかあ。おたがい楽しいことがあると良いね」
カイン「この前、その親戚のお姉さんに聞いたんだ。ティル・ナ・ノーグっていう海の先にある国の話。それでなんか行きたくなってさ」
 僕はまたドキッとした。ルリカワ・ツキという女の人。
 人形のモデルにもなって、綺麗な名前で、それで僕らも知らないような知識もあるらしい。
僕「その女の人って、イギリスにはこないの?」
カイン「稀に来ることもあるよ。あ、そうだ! 人形を見せるよ!」
 カインは意気揚々と白い家に走っていく。僕も小鳥たちが空を駆ける下を追いかけた。
 森からはさわさわとさやけし音が鳴る。

★ To doll5-B

 カインは大きなネムの木が枝垂れるように屋根を覆う白い家の裏手へ走って行った。
 僕も着いていく。
 裏手に来ると、そこは苔が蒸す小さな池が碧色を湛えている。
 囲う草地は今の季節のいろいろな野生の草花が咲き乱れていて、何種類咲いているのかも数え切れないほどだ。
 池には石の橋が架かっていて、そこに立つといつも森の緑に囲まれたように錯覚する。風も凪いで静かなときなら、夜は満天の星に囲まれたような夢の気分に浸れるのだ。
 そこから見る白い家や、その上にぽんぽんと咲くピンク色のネムの花はとても可愛らしかった。
 その碧を湛える池は今はきらきらとそよ風を受けて水面が光っている。
 その横には小さなサマーハウスが建てられている。
 カインはそこへ入って行った。
 そのハウスは池を眺めながらまどろめる部屋が一つあるだけで、そこにはソファーやベンチ、椅子や紅茶道具のハイボールの棚があり、広めのテーブルが置かれている。
 そして壁には青い夜に三日月が挙がった水彩画が飾られているのだ。
 僕は目を奪われるように人形を見つけた。そして歩いて行った。
 瑠璃色のドレスを着た人形。長い黒髪を変わった風にエレガントにアレンジしていて、優しげな微笑みを湛えた人形。
僕「変わった肌質なんだね。ビスクドールだと思ってた」
カイン「日本人形の肌質みたいだよ。糊粉っていう牡蠣貝の粉を練って、表面に塗って磨いてあるんだって。それを華やかな西洋の風合いの顔立ちや髪型、衣装を着せたんだって」
 瑠璃色のドレスを着た瑠璃川月さんの人形は、まるで大海原をいだいて微笑んでいるかのように見えた。
 壁に飾られた絵画とマッチして、それは夜。そして今から僕らを夢に誘ってくれるかのような。

★ To doll6-2

 僕がじっと人形を見つめていると、何かゆったりとした音楽と声が聞こえた気がした。
 まるで夜の妖精みたいな人形。
 きっと月光に照らされる森で、白い花が群集する場所をきらきらと舞うんだ。
 みんなが寝静まった時刻に。
 音楽はゆらゆらと揺れて、僕の視野を染めていく。
僕「………」

 ふっと目を覚ますと、そこは合宿所だった。
 首をかしげて見回すと、夢だったと分った。
 ここはエジンバラで、林間学校に来て二日目。今日はレクリエーションで疲れたから他の二人はベッドでそれぞれぐっすり眠っていた。
僕「さっき、カインが夢に出てきた気がするけど……」
 まだ微かにある夢の記憶はたくさんのネムの花が暗がりに舞い踊っていた。碧の池の記憶もあった。
 カインもいまさらながら林間学校に来れば良かったって思ってたのかな。学校で手を挙げるときに何回か迷っていたのを結局は臨海学校を選んでいたから。

分岐 ★ また眠りへ戻る To doll7-a

 僕は再びくわしく思い出せない夢の続きを見ようと枕に頬を乗せた。
 目を閉じると、睡魔が僕を連れて行って引き返していく。だんだんとその輪郭を取り戻しながら……。
 僕はふらっとして台に手をついて、頭を振ると目の前に瑠璃色の美しいドレスを来た人形がいる。
 アレンジされた黒髪の飾りは黒い石で作られた蝶だ。
カイン「これはね、後ろに螺子がついているんだ。それでこの箱に載せると踊るんだよ」
 僕は横に来たカインを見た。
僕「あれ」
 カインの横顔を見ながら首をかしげた。
 カインのいる向こうには大きな扉窓から豊かな緑の庭と橋が架かる池が広がって、林の木々が横たわっている。この場所が霧に包まれるととても幻想的なのを知っている。
カイン「どうしたの?」
 カインは人形の螺子を回しながら僕を見た。
僕「さっき、何か夢を見てたみたいなんだ。今思い出した。なんだろう。暗がりの部屋で、夢のなかでも眠たいなあって思って夢を見てたんだって思ってたんだ」
 カインはハハハと笑って僕の肩をぽんぽん叩いた。
カイン「立ちながら眠ってるなんてルカらしいよ! 四年生の運動会の時も緊張し過ぎてリレー待ちの時に立ちながらにして寝てたもんね」
僕「あれは気絶してたんだよ」
 カインがおかしそうに笑うから僕もつられて笑った。窓から見える小鳥のいる庭に兎が現れて、笑い声にサマーハウスにいる僕らを見てまた茂みへと戻って行った。
 カインがソファーに座って円卓の上の綺麗な箱を膝に乗せた。その蓋を開けると、人形の足の裏をセットした。
僕「わあ」
 すると人形が動き初めて、繊細に動き始めたのだ。
 周りには金の鳥や鏡台、取っ手つきのアイマスク、それにメリーゴーランドの馬、星や顔のある月まで立ち上がり現れて、音楽に乗せて星は回転したり、馬は上下したり、人形にアイマスクは手に取られたり、月は半円のロマンティックな装飾の盤に満月から三日月、新月までをスライドしていく。そして夜から朝になり、アイマスクを目元に填めた人形の横で回転盤が月を廻らせて、人形は小首をかしげて鏡台に姿を映して微笑んでいる。
僕「カラクリ人形なんだね」
カイン「月お姉さんが人形師にこういうのを作ってもらいたいってオーダーしたんだ」
僕「綺麗だなあ」
カイン「僕のママの誕生日に贈ってくれたんだ」
僕「素敵だね」
 僕は舞踏会のように踊り出した人形に見惚れていた。
僕「庭に出してあげようよ。きっと、森を背景にしたらまた綺麗だよ」
 人形がきっと悦ぶと思って僕らは庭に持って行った。
 草地にそっと置くと、オルゴールが美しく空に響き渡り始める。林の木々を背景に踊る人形。瑠璃色のドレス。そして池を背景にして優雅に踊る……。
カイン「ルイ。人形に恋をしているんだね」
僕「………」
 僕はふと、カインを見た。
カイン「はは! そんな顔しなくて大丈夫だよ!」
 僕は耳を染めて人形を見た。首をかしげた人形は目元からアイマスクを外してくるくる回る。

★ To doll8-a

 僕らは草地に頬杖を着いたり座ったりしながら林を背景に踊る瑠璃色のドレスの人形を見ていた。
 その人形を見ていると、音楽がまるで音符になって空を跳ねているように見えるから不思議だった。
 オルゴールは《ライラックに揺られて》《夢の端を追いかけて》《私は訪ねる 放浪の人を》《湖面のきらめき》へと変わって行く。
 僕がずっと見ていると、驚いて頬杖から顔を浮かせた。
 人形がとんっと円盤の上で回ると、草地の上に降りたのだ。
 そしたら黒猫がやってきて落ちた仮面の横にいる人形に擦り寄って、青い目をしていた。
 一緒に向こうに行こうとしている。
 ひらひらと青い蝶がひらめき始めた。
 イングランドでは見かけない種類の蝶だということを知っている。密林の蝶だからだ。
 僕は不思議で見上げながら、カインと顔を見合わせた。
カイン「着いて行こう」
僕「うん」
 僕らは囁き合って、優雅に踊りながら歩いていく人形を追いかける。
カイン「僕、眠ってるのかな」
僕「カインったら、僕じゃあるまいし」
 僕はあきれてカインを見て、それで付いて行った。自分であとから「あれ?」と思って「まあいいや」と言って人形の背を追いかける。
 瑠璃色のドレスで踊る人形の横を黒猫が、そして周りには青い蝶が数羽はためきながら舞っていて、林の木々の情景が彼女達を包んでいる。
 池の横につくと、青を湛える湖面にすーっとつま先を滑らせて行ったから鏡のように人形が映って、波紋を広げて行った。橋の下をくぐって僕らは対岸に走った。
 人形はすでに林に入っていっていた。

★ To doll9-A

 深い色をした美しい蝶が舞う姿。
 僕は追い始めた。
 綺麗な旋律が鳴り響く林のなか。
 不可思議な言語の歌。
だんだんと森は深く、木の背丈は高くなったりとても太くなったりしはじめた。まるで幽玄の霊が出てきそうな程の雰囲気に。
 濃密な空気が僕を包む。
 振り返ると、僕は一人になっていた。
僕「あれ……。どこかに隠れたの?」
 僕の声がこだましただけだった。
 また振り返って、見上げながら歩く。しとしとと、時々高い木の葉の上から水滴がぽたぽたと透明に落ちてくる。
 草花は湿り気を含んで苔むして来た。
 見回して歩くと、誰かがいる気配がした。先程追いかけていた蝶はどこへ飛んで行ったのだろう。
 向こうの岩の上に、何かの陰が見えて顔を向けた。
 凛とした眼差しを向けてくる、それはオオカミだった。
 とても深い森の奥で柔らかく長い尾を一振りすると、その長い足元に小さい子供のオオカミが現れて、オオカミはその子供の首をくわえてからすぐにまた岩の向こうへ走って行った。
 その奥のもっと深い深い森へ隠れるように走って行った。
 僕はずっとその光と葉の庇が揺れる先を見続けていた。
 鳥が羽ばたく音に顔を向けると、木の上から木の葉が舞い降りてくる。弧を描いてくるくると。
 顔を戻して巨木の間を歩いて行った。
 しばらく歩くと、河の音がさやさやと聴こえ始めるから走って行った。
 岩場を階段みたいにあっちにこっちに登っていくと、下に河が流れていた。音が大きくなる。
僕「……?」
 僕は河の向こう側に、ここにあるのには不自然な姿鏡を見つけた。
 それは森を映していて、そして、僕を映している。
 なんで鏡があるのだろう? この辺りにはもしかして誰かの小屋や舘がひっそりとあり、そこの女の人か誰かが運び込んだのだろうか?
 僕が僕を見ている。
 首をかしげると、鏡の僕は傾げなかった。
 え?
 鏡には僕以外にもいろいろと映っていた。
 妖精、瑠璃色のドレスの人形、背の高い精霊の男の人、黒猫、そして青い蝶が舞う。
 僕は振り返った。
 向こうで妖精たちは弧になって踊り、そして瑠璃色の人形を囲って花を舞わせている。精霊たちはクリスタルの声で不思議な言語の歌をうたい、ハープや楽器が鳴らされて、黒猫は浮かぶ光を追いかけ飛び跳ねて、蝶は軽やかに舞った。
 そして、その奥に、鏡に映っていたはずの僕がいた……。
 僕は同じ体勢で驚いて背後を見て」また顔を戻すと同じ格好で瞬きを繰り返す。彼らの歌い踊る間際は透明な空気があって。
 もとから鏡など無かった。僕は同じ僕を見ていたのだ。

★ To doll10-A

 その森は高い高い木のうえから雫が落ちてくる。
 僕は遥か上を見上げた。妖精が飛んでいて、小人が笑い話をしている。怪魚は河を何度も跳ねていた。
 向こうでは僕が一緒に踊っている。
 森はなんて不思議なんだろう。
 僕が歩いていくと、同じ顔と同じ背格好の僕がまるで元から双子だったみたいに手を取り合って回った。キノコを担いだ小人や胞子にくしゃみをするドワーフ、精霊は低い声で笑っていた。
 森の魂が宿って形になっているのだろうか?
 全ての森は本当な深い場所で繋がっているのかもしれない。
 僕らは現れたペガサスの背に乗って、天の川を駆け巡る。下に小さなカインを見つけた。カインに手を振り馬は駆ける。
 このままスイスまで行けるんじゃないだろうか。海を越えて、山を越えて。
 僕の望みは空を飛んで、ペガサスは巨大な羽根を広げ風に乗って滑空して行った。眩しいぐらいに大きな月が挙がる。山々を照らして、雪の山をきらきら光らせる月光。そして鋭い頂を越えた。
 僕は丘に降り立った。
 ペガサスは羽根を閉じて、こうべを垂れる。
 冬は雪に閉ざされた山は今の時期は遠くのアルプスを真っ白に染め上げて青くて、そして丘は緑だ。
 僕は駆けていった。
 歌が聴こえる。僕が名づけた人形、エマの声。
 ハミングが聴こえる。
 夜の緑の丘でエマはいた。山ヤギやマーモットと跳ねて踊っていた。
 そして僕を硝子の目で見た。
 会えるんだ。エマにはこうやって、会えるんだ。森と森を繋いで、ちょっとした声に気がつけば……。
 高原は涼しい。ずっと月明かりに僕等は踊る。

スタート★林間学校★カインは臨海学校★部屋を出る

僕「綺麗な人形を贈られて?」
カイン「女の人のね」
 静かに僕の心にしまわれた大切な恋心は、いつだって誰かしらのふとした一言でいとも簡単に僕の透明の檻から掴み取られ、心の奥から連れ戻されるものだったんだ。
 それは本当、無垢な顔して見上げてきている。それが恋心であって、あの子の存在のようであって、僕のもう一人の悩める姿。
 粉雪が舞う間際で。
 あの冬のことを思い出して、僕の背は自然とまっすぐに伸びた。
 それは冬の帳もまだ深く深く地を凍らせている季節。
 僕はとある人形と雪原で語り合っては、そして恋をしていた。
 この伸ばした背と共に反射的に頬を染めてしまうこの心を、どうしたらいいというのだろう。
 だって、スイスの地にまでは子供の僕では簡単に会いに行くことは出来ない。
 大人になるまでにあの人形の肖像が心の内に揺らめいていってしまうのはいやだ。
 まるで不動の氷のようにずっとあり続けるならいいのに。
 そうしたら、人形への恋だって誰かに笑われずにいつか本物になるかもしれない。輝ける真実の恋心として。
 小学舎からの帰り路に立ち寄った初夏の緑が揺れる庭で今、僕らはいる。
 二年生の時からクラスメートのカインの家だ。透明の硝子にソーダ水をもらっていた。気泡が弾けてミントの葉が爽やかに薫る。
 泡の立つグラスを透かして光りと影の木漏れ日が揺れる、向こうの芝の鮮やかさ。
 カインは言う。
カイン「日本の親戚のお姉さんがね、モデルになった人形なんだって」
 人形といえば、名前。それが僕は気になって仕方がなかった。
僕「日本人の女の子の名前はなんていうの?」
カイン「瑠璃川 月っていうんだ。英語だと、Moon - River lapis lazuli っていう意味の名前なんだ」
 僕は一瞬にして夢想した。その日本の女の人はきっと、麗しい瞳をして黒くたゆたう長い髪をした人。
 瑠璃色をした雰囲気のよく似合う人なのだと。
 冬の夜も、この初夏の美しい季節だって、それに夏の紺碧の海だって似合うに違いない。
 それが、人形になっているというのだ……。
 カインは緑の森に囲まれる芝生の庭でにっこり笑った。
カイン「ルイ」
 僕は呼ばれてカインを見た
カイン「もう五年生の夏の合宿でどっちにするか決めた?」
 僕らの学校は林間学校ならエジンバラ、臨海学校ならアイルランドまで飛ぶことになっていた。
僕「どうしようかなあ。林間学校か、臨海学校かあ……」

分岐 ★林間学校 To doll3-a

僕「うーん。林間学校を選ぼうかな」
 実は、去年のスキー教室で僕は例の人形に出会って恋をした。その一週間は毎日その人形と話した。
 だからなのか、林間の雰囲気と恋は僕のなかで結びついているように思う。
 カインは僕が冬の丘で美しい人形に恋をしていた事実は知らない。他の誰も。
 僕らだけの秘密の時間だった。
 それでも、今でも不思議に思うことばっかりだ。だって、夜が深まった月の夜の会話はまるで雪の結晶のようだった
 儚くもさらさらとして、それでどこまでも降り積もる言葉に思えた。
 夢だったのかなんて分からない。夢であってもかまわないよ。心に偽りなんて無いから。
 もし、僕らがあてがられた部屋で眠りについて、そこから幕が開きはじめた夢の世界のことだとしても。
 僕は冬の思い出を描いていたけれど、いきなりヒヤッとした頬に驚いて我に返った。
 カインが白い家を背に緑の庭で悪戯小僧っぽく僕を見てきていた。
カイン「何か考えごとしてる」
 僕の頬にソーダグラスの水滴が流れていった。まさか人形に恋していたなんて言えないから、口ごもってビスケットを食べてごまかした。
僕「カインはどっちにするの?」

分岐 ★カインは臨海学校 To doll4-b

カイン「去年はスキー教室に行ったから、今年は海の合宿に行くって決めてたんだ」
僕「そっかあ。おたがい楽しいことがあると良いね」
カイン「この前、その親戚のお姉さんに聞いたんだ。ティル・ナ・ノーグっていう海の先にある国の話。それでなんか行きたくなってさ」
 僕はまたドキッとした。ルリカワ・ツキという女の人。
 人形のモデルにもなって、綺麗な名前で、それで僕らも知らないような知識もあるらしい。
僕「その女の人って、イギリスにはこないの?」
カイン「稀に来ることもあるよ。あ、そうだ! 人形を見せるよ!」
 カインは意気揚々と白い家に走っていく。僕も小鳥たちが空を駆ける下を追いかけた。
 森からはさわさわとさやけし音が鳴る。

★ To doll5-B

 カインは大きなネムの木が枝垂れるように屋根を覆う白い家の裏手へ走って行った。
 僕も着いていく。
 裏手に来ると、そこは苔が蒸す小さな池が碧色を湛えている。
 囲う草地は今の季節のいろいろな野生の草花が咲き乱れていて、何種類咲いているのかも数え切れないほどだ。
 池には石の橋が架かっていて、そこに立つといつも森の緑に囲まれたように錯覚する。風も凪いで静かなときなら、夜は満天の星に囲まれたような夢の気分に浸れるのだ。
 そこから見る白い家や、その上にぽんぽんと咲くピンク色のネムの花はとても可愛らしかった。
 その碧を湛える池は今はきらきらとそよ風を受けて水面が光っている。
 その横には小さなサマーハウスが建てられている。
 カインはそこへ入って行った。
 そのハウスは池を眺めながらまどろめる部屋が一つあるだけで、そこにはソファーやベンチ、椅子や紅茶道具のハイボールの棚があり、広めのテーブルが置かれている。
 そして壁には青い夜に三日月が挙がった水彩画が飾られているのだ。
 僕は目を奪われるように人形を見つけた。そして歩いて行った。
 瑠璃色のドレスを着た人形。長い黒髪を変わった風にエレガントにアレンジしていて、優しげな微笑みを湛えた人形。
僕「変わった肌質なんだね。ビスクドールだと思ってた」
カイン「日本人形の肌質みたいだよ。糊粉っていう牡蠣貝の粉を練って、表面に塗って磨いてあるんだって。それを華やかな西洋の風合いの顔立ちや髪型、衣装を着せたんだって」
 瑠璃色のドレスを着た瑠璃川月さんの人形は、まるで大海原をいだいて微笑んでいるかのように見えた。
 壁に飾られた絵画とマッチして、それは夜。そして今から僕らを夢に誘ってくれるかのような。

★ To doll6-2

 僕がじっと人形を見つめていると、何かゆったりとした音楽と声が聞こえた気がした。
 まるで夜の妖精みたいな人形。
 きっと月光に照らされる森で、白い花が群集する場所をきらきらと舞うんだ。
 みんなが寝静まった時刻に。
 音楽はゆらゆらと揺れて、僕の視野を染めていく。
僕「………」

 ふっと目を覚ますと、そこは合宿所だった。
 首をかしげて見回すと、夢だったと分った。
 ここはエジンバラで、林間学校に来て二日目。今日はレクリエーションで疲れたから他の二人はベッドでそれぞれぐっすり眠っていた。
僕「さっき、カインが夢に出てきた気がするけど……」
 まだ微かにある夢の記憶はたくさんのネムの花が暗がりに舞い踊っていた。碧の池の記憶もあった。
 カインもいまさらながら林間学校に来れば良かったって思ってたのかな。学校で手を挙げるときに何回か迷っていたのを結局は臨海学校を選んでいたから。

分岐 ★部屋を出る To doll7-b

 僕はベッドから降りて部屋を出た。
 あの旋律が聴こえたから。
 廊下に出ると他の皆が三人ずつ眠る部屋のドアが並んでいる。僕は静かに歩いて行って、先生がいないことを確認しながら外に出た。
 辺りは星がきらめいていて、風がさやさやと流れている。
僕「………」
 僕は青く淡い光が浮かんで移動していくのを追いかけて行った。
 僕は夜も紫のヘザーの花が揺れる草地を歩いて、森の方へ向かって行った。
 まるで引き寄せられるように。
 エジンバラの森を歩いて行くと、森のステップに辿り着いた。
 そこには等身大になった瑠璃色の衣装を纏う女の人が踊っていた。薄ピンク色の蝶の羽根を背につけて、その周りを青い光をまとった小さな妖精たちが舞いように飛び、踊っている。
 その妖精たちの発する青い光でその場はほんのりと明るくなっていた.。
 夏の森の薫りが鼻腔を充たす。透明な水の流れが宙をうねるように移動していっている。その水には綺麗な色の魚が泳いでいたり、夏の花弁が滑って行ったりしている。
 草地にはアザミやノバラが見えて、幾つもそれらの花を纏ったり腕に抱える妖精たちは天の星と一体化しようとするかのように飛んでいる。
 その青い光が星と重なるとすうっと光が増して、そしてひらひらと花弁を舞わせてゆらゆら草地に戻ってくる。
 輪をつくって踊ったり、フェアリーテールの歌をうたいながら。
 一人の妖精が僕の所まで笑顔で羽根をひらめかせやってきて、可愛らしい花をくれた。
 僕の頬も妖精の女の子の頬も青い光がふわっと広がって、笑顔になった。
僕「どうもありがとう」
 妖精はまたフェアリーサークルの方へ戻って行った。
 また他の妖精が来て他の花を僕にくれて、戻って行って、それらはいつの間にかみんなのくれた花で冠になっていた。僕の頭にそれが乗って、妖精に招かれて彼女達とともに踊り始めた。
 回転するように見回しながら踊ると、暗い暗い森を背景に妖精たちが浮かんで踊っている。花の歌、川の歌、夏の歌、草の歌、湖畔の歌……。
 水色たっだり黄緑色の瞳を光らせながら踊っている。
 瑠璃色の衣装の女の人はバレエを美しく踊り始めた。軽やかなロマンチックチュチュの衣装に変わっていて、まるで神聖な精霊のようだ。森に住まう深い青を司るようだ。
 だんだんと涼しさが増して、霧が出始めたみたいだった。
 うっすらと流れてくる霧は、彼女たちの纏う青い光をしんみりと広げさせる。そして霧の流れる先、その前を幾重にも重ねて妖精たちが青い光と共に飛び、舞っている。
 星のきらめきもだんだんと霧に包まれていき、木々の黒い輪郭も朧気になってきた。

★ To doll8-b

 霧に包まれてしまって、そこかしこからいろいろな声が聞こえる。それらは妖精たちの言葉なのか、不明の言語を喋っていた。
 そしてそれらがだんだんと聴こえなくなっていき、僕は一人になってしまったんじゃないかと思った。
 もしもこっちの合宿にカインも来ていたら、妖精の言葉が分かっていたかもしれない。カインは物知りだから。
 何を話し合っていたんだろう。
 分からないけれど、それはとても神秘的でロマンティックな声だった。本当に妖精たちが喋り出すような。
 そして、何かを案ずるような、危険を察知して身を潜めるような声にも思えた。
 まさか、霧が晴れたら妖精たちがみんな蜘蛛の巣にひっかかって足一本で吊るされて逆さにされてなどいないだろうなあ、と思いながらも濃霧を歩いていく。
 ひんやりとする霧はさらさらとしていて、肌に水滴を残していく。
 心地良かった。森の神聖な薫りに包まれる。しばらくそこに立ち止まり、目をつぶった。
 心の美しい音楽が聞こえてくる。それはすぐに浮かんだ。何も考えることが無いと、好きな旋律が心を充たしてくれる。
 夢の淵に来たようで、感覚はまどろむ。
 どこからともなく、さっきの歌が聞こえる。妖精たちの歌。
 目を開くと、柔らかな草地の上にしとりと夜霧に濡れた人形。何故か、白色の服を着ていた。髪もボブヘアになっている。
 僕はその白レースのドレスを来た月さんの人形を見つめた。
 それはやはり冒され難い神秘があって、口元は微笑んでいるというのにそれだからこそ感じるなんらかの淋しさがある。触れる事を躊躇ったけれど、大切にそっと拾いあげて抱き寄せた。
 瞼を閉じて頬を寄せると、ひんやりと冷たい人形は、瞳を見るとやはり微笑んでいる。
 白いレースのドレスの腰を黒いビスチェで絞っていて、黒いブーツを履いているから今にも軽快に踊り出したり、馬に乗って駆け回りそうでもある。
 瑠璃色のドレスで長い髪をアレンジしていた先ほどまでの人形が姿を変えたのかな? それとも違うのだろうか。
 もしかしたら、この人形はスイスで出会った人形、『エマ』の姿を変えた人形なのかもしれない。
僕「エマ」
 しかし、呼びかけても応答が無い。エマなら話始めるはずなのに。
 エマの瞳の色を思い出す。深く青い瞳をした黒髪の人形。硝子玉の青は本当に透き通っていて、魅了させられた。
僕「うわ!」
 いきなり誰かに当たって僕は尻餅をついた。
僕「?」
 人影がいる。でも顔も姿も分からなくて、輪郭だけだ。僕と同じ年齢ぐらいの。
 だから、合宿所から抜け出してきた子が他にもいたんだと思った。転んだ拍子に落ちた人形を持ってその人影は歩いて行ってしまった.。
 僕は暗がりで追いかける事もできずにいた。さっきの白いドレスの人形はあの子のだったのかもしれない。
 ようやく霧が晴れ始めて、木々の輪郭が見え始めた。それと共に微かに草原の情景が向こうに見え始める。森より明るくて、そちらは星明りが照らしていた。霧は森を流れて行って、自分もわりと歩いていたのだと分かった。
 ヘザーの紫の向こうに合宿所が見える。僕は森を見回す。
 瑠璃色の服を着た人形は静かにそこに立っていた。
 僕は微笑んで歩いていく。現れた星明りは細やかな満天のミルキーウェイによって、人形の頬をなめらかに照らしている。
 ああ、なんて綺麗なんだろう。白い糊粉を塗られたその顔。そしてルージュは妖しげで、黒い瞳は麗しい。
 先ほどまで踊って愉しんでいたからか、髪はほどけて背に長く流れている。横に咲くアザミやノバラが彼女を彩った。まるで守っているかのように。それなら僕は彼女を連れ去る敵だろうか、守り事を引き継ぐ騎士だろうか?
 さあ、そろそろ部屋に帰らないと、先生が来るかな。
 僕は充分人形も遊んだだろうから、連れて戻る事にした。ノバラの鋭い棘は彼女のドレスにくっきりとした影を落としていて、僕はそっと横に手をさし入れて抱き上げた。
 森から出て、草原を歩いていく。甘い薫りに包まれながら、夢へと誘われるように。夜露で足元が濡れていく。それも心地良かった。
 静かに合宿所の廊下を歩くと、ドアを締めて濡れた靴下を脱いでからベッドに入った。
 人形はサイドテーブルの棚に入れた。
 急激な眠気に落ちていく。

★ To doll9-bb

 僕が夢を見ていると気づいたのは、薄暗い闇がそこにあったからだ。
 その先で青いドレスで踊る月さんの人形と、そして、ああ……あれは……。
 うねる髪を翻して、回転している。瞳を光らせて。あれは、エマ……。
 僕が恋する人形が今踊っている。月さんの人形と一緒に。
僕はうとうとしていて、もっと踊りを見たいのに睡魔が僕の頬を撫でて眠らせようとする。
睡魔「ほら眠れ。小僧、とっとと眠って夢も見ずに朝を迎えるんだ」
僕「もっと夢見てたいよぉ。うーん眠い」
 夢で寝ているというのに夢で眠たいと言っているおかしな自分に重い目をこじあけて、ぼんやりする先の二人の人形の踊りを見る。
 ああ、眠る瞬間のこの間隔はとても好きだ。眠りたく無いけどとてもふわふわとして眠くて、全ての柔らかさに包まれている。その先の鮮やかな踊りや舞いは、僕の耳や感覚を研ぎ澄ませて僕を誘惑するんだ。
 そして、睡魔も僕の前に立ちはだかって瞼という姿に変わって黒い身で僕のみたいものを隠してくる。
睡魔「眠れ、静かに眠りの世界へ向かうんだ。静寂の世界へ。雪に閉ざされた冬の世界は樹木も冬眠している、その眠れる原生の世界へ……」
 ああ、それなら僕も、行ってみたい……。

★ To doll10-BB

 「だから雪の結晶というものは、わたしの乗る舟にもなるの。天からゆらゆらと舞い降りる」
 声が聞こえる。
 僕は夢の淵で柔らかな毛布に包まりながら、まだまだ夜になると冷える空気に触れる頬。
僕「それなら、君の衣装も雪の結晶なの?」
 ああ、エマの声だろうか。とても、とても懐かしいのに、すぐのように思い出せる。
エマ「わたしは雪の結晶の妖精。あなたと話したくて、エマ人形の体を借りたのよ」
 僕は目を開き、辺りを見回した。あの雪原。あの星の輝き。
エマ「あなたは、みんなから少し離れたところにある大木を見上げたわね。雪に覆われた針葉樹の眠った幹にその手を触れて、ふとわたしを見つけたの」
 去年のスイスのスキー場。はじめは全く滑れなくて、みんな男子はどんどん上達して行くのに悔しくて、鼻を紅くしながら悔しくて独りスキー場横の森の入り口に来たんだった。
 それで、何か綺麗な音が聴こえた。寂しくて、もっとみんなと滑れるようになりたくて、そんなことばかりに頭が占領されてたから、その透明感のある不思議な音に気づいた時、一瞬で心が澄みきった気がした。
 頭上まで下がってきた葉の上に雪が乗って、それできらきらと光っていた。陽を受けて。
 それで見つけた。僕の心にそっと近寄ってくるような、雪の結晶。
 『美しいな……雪の結晶だ』
 僕はそこではじめて微笑んで、その結晶を見つめた。心がまるで浄化されていったあの瞬間。
エマ「美しいという言葉は、とても大切な言葉なの……。あの時は、美しい言葉をかけてくれて、どうもありがとう」
 粉雪のような声。ああ、なんてやはり僕の心を癒してくれるのだろう。
 毎夜、毎夜エマは僕に美しい話を聞かせてくれた。星のこと、雪の話や、冬の動物たちのお話や彼等の愛のお話を。
 彼女がいて僕は緊張がほぐれてどんどんスキーを滑れるようになった。カインもほめてくれた。
僕「きみはずっといてくれていたんだね」
 エマは微笑んで頷いた。はじめて、彼女が表情を持つのを見た。人形の微笑んだ顔は口も動かなかったから。
 人形は瞳を動かし僕を見た。そして、その背後からすうっと、純白の薄衣、雪の結晶を纏った女の子が現れた。
僕「ああ、エマ。君の本当の姿なんだね」
 なんと綺麗なのだろう。息を呑むほどに。
 彼女は闇に銀の光を広げた。
エマ「わたしたちは雪のある場所に住むことが出来るの。お願い。自然の世界を大切にして。地球を愛してほしいの。わたしたちは踊って入られる。粉雪に乗って、舞う雪の結晶に乗って。動物たちの節度ある生き方を思い出して。人としても自然の摂理に生きる大切さを思い出して。あなたは、あなた方も地球の子供なのだから、地球を愛して」
 雪の結晶の妖精は、闇の天から降り時はじめた雪の結晶に乗って、僕に舞を見せてくれる。
 僕を取り囲んで降りしきる結晶。妖精たちが現れて結晶に乗って舞っている。
 ずっと、僕は見続ける。とても尊くて。

スタート★臨海学校★森の奥へ行かない★僕はそのまま倒れこんだみたいだ

僕「綺麗な人形を贈られて?」
カイン「女の人のね」
 静かに僕の心にしまわれた大切な恋心は、いつだって誰かしらのふとした一言でいとも簡単に僕の透明の檻から掴み取られ、心の奥から連れ戻されるものだったんだ。
 それは本当、無垢な顔して見上げてきている。それが恋心であって、あの子の存在のようであって、僕のもう一人の悩める姿。
 粉雪が舞う間際で。
 あの冬のことを思い出して、僕の背は自然とまっすぐに伸びた。
 それは冬の帳もまだ深く深く地を凍らせている季節。
 僕はとある人形と雪原で語り合っては、そして恋をしていた。
 この伸ばした背と共に反射的に頬を染めてしまうこの心を、どうしたらいいというのだろう。
 だって、スイスの地にまでは子供の僕では簡単に会いに行くことは出来ない。
 大人になるまでにあの人形の肖像が心の内に揺らめいていってしまうのはいやだ。
 まるで不動の氷のようにずっとあり続けるならいいのに。
 そうしたら、人形への恋だって誰かに笑われずにいつか本物になるかもしれない。輝ける真実の恋心として。
 小学舎からの帰り路に立ち寄った初夏の緑が揺れる庭で今、僕らはいる。
 二年生の時からクラスメートのカインの家だ。透明の硝子にソーダ水をもらっていた。気泡が弾けてミントの葉が爽やかに薫る。
 泡の立つグラスを透かして光りと影の木漏れ日が揺れる、向こうの芝の鮮やかさ。
 カインは言う。
カイン「日本の親戚のお姉さんがね、モデルになった人形なんだって」
 人形といえば、名前。それが僕は気になって仕方がなかった。
僕「日本人の女の子の名前はなんていうの?」
カイン「瑠璃川 月っていうんだ。英語だと、Moon - River lapis lazuli っていう意味の名前なんだ」
 僕は一瞬にして夢想した。その日本の女の人はきっと、麗しい瞳をして黒くたゆたう長い髪をした人。
 瑠璃色をした雰囲気のよく似合う人なのだと。
 冬の夜も、この初夏の美しい季節だって、それに夏の紺碧の海だって似合うに違いない。
 それが、人形になっているというのだ……。
 カインは緑の森に囲まれる芝生の庭でにっこり笑った。
カイン「ルイ」
 僕は呼ばれてカインを見た
カイン「もう五年生の夏の合宿でどっちにするか決めた?」
 僕らの学校は林間学校ならエジンバラ、臨海学校ならアイルランドまで飛ぶことになっていた。
僕「どうしようかなあ。林間学校か、臨海学校かあ……」

分岐 ★臨海学校3-2

僕「うーん。僕は臨海学校にしようかな」
 もしもアイルランドでの合宿を選ぶなら、去年スキー教室に参加した人以外はパスポートを作るようにと先生にホームルームで言われていた。
 もともと僕はパスポートは持ってるからいいんだけれど。
 それに、海で泳いだり、キャンプを張ってバーベキューをしたり、砂浜でボールスポーツを愉しんでもいい。
 アイルランドの海は夏でも冷たいから、思い切り体育をしまくっていれば、さっきのカインの話で思い出した恋の思い出も癒されるかもしれない。
カイン「エリスも臨海学校って言ってたなあ……僕も海の合宿えらぼうかな」
 エリスはカインが好きな女子だ。
 どこかぼうっと笑っている子で、冬に行ったスイスのスキー教室でもカインが彼女に付き添って滑り方を教えてあげていた。
 僕はというと、そのスキー教室で出会った人形とずっと話していたのを思い出す。
 ロッジに置かれていた人形で、青い目をしていた。それは、深い海を思わせる。
 だから臨海学校を選んでたのかな。今はスキーシーズンではなくてその人形に会いに行けないその変わりに。

★ To doll4

 僕らは芝生の広がる庭を囲う森を歩くことにした。
 この時期は大きな広葉樹が揺れる下ですごすのが丁度いいこともあるし、ピクニックとか森を歩くのも楽しい。
僕「きっとエリスは泳げないから、一緒に泳ぐの教えてあげなよ。そしたらまた仲良くなれるんじゃない?」
 木漏れ日の下を歩きながら頬をうれしそうに微笑ませるカインを小突いて笑った。
 心では、自分には手に取れる場所に好きな子がいないことを考えていた。
 見上げる空は時々葉影から切り抜かれると深い青に見えて、海の色やあの人形の瞳の色に似ている。
 僕らの恋はカインの方は叶うかもしれなくても、僕の方は……夢か現かも不確かな相手なのだから。
 僕らはマザーグースの森の歌を歌いながら歩いた。
 僕は少しぶっきらぼうになって歌っていたのかもしれない。
「  森の中のジプシーと
   My mother said that I never should,
   遊んじゃダメと母さんは言った
   Play with the gypsies in the wood,
   森は暗く 草は緑
   The wood was dark; the grass was green,
   タンバリン持ってサリーが来た
   In came Sally with a tambourine  」 ※歌詞・マザーグースより引用
 まるで僕の気持ちはタンバリンを打ち鳴らして心を誤魔化そうと必死になるように焦っていた。
 というよりも、タンバリンみたいに心は早鐘を打っていた。足元は乱舞してるわけでも無いのに視線は今の僕を取り繕うようにキョロキョロしていた。
 きっと、みんなちゃんとした恋する相手を見つけるんだ。海に行って気を紛らわそうとするんじゃなくて。
 それでも初夏の森は僕を優しく包んでくれる。
 緑の蒸せる小川がくねって流れるところまで来ると、いつもはその横の小屋から釣堀を出してくる。
カイン「今日は小川を飛び越えてもっと先に行こう」
僕「森の先に行くの?」
 僕はあまりこの奥までは行った事は無い。カインの家の森だし、僕の家はかなり離れているから。
 一体どうなっているんだろう。たしか、泉がどこかにある話は聞いた。それに、洞窟もずっと先にあるって聞いたことがあった。

分岐 ★森の奥へ行かない To doll5-C

カイン「じゃあ、人形見に行く?」
僕「見たい」
カイン「じゃあ着いておいでよ!」
 森を走って戻りながら、明暗が視野を繰り返し反転させる。
 緑、木々、そして光と影と木漏れ日……。光の柱、地面に描かれる影絵と、揺らめく葉枝。
 マザーグースのジプシーの歌が、僕の鼓膜にこだまする。
 僕の恋は叶わない。人形への恋だから。
 変だな。こんなことで幸せなカインにジェラシーを感じるだなんて。
 その現れたジプシーが連れて行くのはカインと僕のことで、カインには悪戯なジプシー人形に見えて森の奥まで惑わされていってしまうんだ。
 いや、違う。僕の目に前に現れたジプシーは人形になって僕をおびき出して、そして泉の底へと誘おうとするに違いない。
 カインにはそれは現れたエリスと微笑ましく手を取り合って僕が沈んでるなんて思わない泉の横に座って語らって……。
 僕は変な考えを走りながら頭を振って振り払ったから、視界が揺れてよろめいた。一瞬視界が暗くなる。

分岐 ★僕はそのまま倒れこんだみたいだ To doll6-a

 僕はふらっと膝を崩して自分の草地に落ちた影を見ると、意識が奪われて行った。
 なにか強引な意識に引っ張られて行ったように。
 そこでカインの声が頭の隅で聞こえた気がしたけど、強い眠気のようなもので目を閉じると、暗がりになった。

 頭がゆらゆらとして、目を覚ますとまだ暗かった。
 身体を起こすと辺りを見回す。
僕「カイン?」
 誰もいない。それに、夜になっているみたいだ。
僕「どこ?」
 一気に不安になったけど、よく上を見上げると、木々の葉の折り重なる先にたしかに空がかすかに見えた。
 どうやら深い森で目覚めただけで、まだ昼間みたいだ。一安心した。
 けど、カインはどこに行ったんだろう。
 僕はどっちが森の入り口か分からなくて、戻る方向を見失っていた。とにかく歩く。
僕「こっちかな」
 確かめながら歩いていくけど、来た路が分からなくなったら一番困るから何かを目印にすることにした。
 森にはいろいろなものがあった。木の実や木々の下の密集して咲く花、それに石ころとか。それに綺麗な羽根も落ちていたりした。
 もしも鳥が見つけて持って行っても大丈夫なように、間隔をばらばらにして置いて行く。
僕「………」
 僕は泉を木々の先に見つけて走って行った。
 結構奥の方まで来ていたんだ。泉があるということは。
 だとしたら、よく来るわけだし周りを探って行けば人が通りやすい通り道があるかもしれない。
 木々の先に出て泉に出ると、思いのほか美しくて圧巻させられた。
 何本かの木が幹だけになって泉には立っている。透明な水は全てを透かしていて、その下からはこぽこぽと砂を押し上げて水が沸き出ている様もいくつも見えた。
 泉に立つ木々の間を小魚がたくさん泳いでいて、そして泉はとても深かった。どこまでも透かす。
 雲が走って行く青い空が広がっていて、しばらくはここにいたくなった。
 木の幹に寄りかかって、うとうととし始めていた。
 耳元に何か聞こえる……。
 女の人の声、だろうか。そして、パンパン、パパン、という音。リリリンという音……。

 僕は目を覚ますと、驚いて目を見開いた。
 暗がりの、そこは水に囲まれたところだった。
 でも息は出来る。ここは、泉の底?
 暗がりの向こうに、長い長い苔が何本も立ち上がって揺らめいている。
 それが月光がさし始めたことで露になった。
 気泡をあげながら揺らめく黄緑色の長い長い藻の森。
僕「!」
 その藻に絡まって揺られている、カイン。白い頬と閉じた瞼。ゆらめくブロンド。口からはまるで息をしているみたいに気泡が細かく上がりつづけている。
 自分の足元を見た。僕の足も藻が絡まってゆらゆら揺れていた……。

★ To doll7-1

 僕は足の藻を解こうとするけど、絡まっていて手間取った。
 まるで人魚や魚になったようだ。どうしたというのだろう。
 前にカインが僕は魚のように泳げると言っていたのを思い出す。今はゆらゆら揺られて、まるで安眠しているみたいだった。
 水面を見上げる。月が眩しかった。それに、木々の黒い陰が切り抜かれたように周りを囲っている。
僕「……?」
 音がまた聞こえた。たしか、シャンシャン、リリリン、パパンパンと。
 それに美しい歌声も聞こえる。
僕「?」
 泉から見上げる岸辺に影が動いた。それは誰かが踊っているみたいだった。
 ああ、思い出した。意識が遠のいて夢と現の間を惑っていたとき、僕はふらふらと歩いて行った。
 それは綺麗な浅黒い肌をした女の人のあとを。彩りのある裾が広がったスカートを翻していた。
 黒髪をまとめていて、上から綺麗なシルクや金の装飾を掛けていた。腰をくねらせたり回転したり、手を打ち鳴らしたり、タンバリンを鳴らしながら。
 おいで、こっちへいらっしゃい、と言っていた。
 恋の行く末を占ってあげるよと言っていた。僕は着いて行ったんだ。
 僕は人形との恋の話をその女性に言っていた。魅力的な顔のジプシーだった。
 石をいくつか皮の袋から出して、それで何かを占っていた。
 僕はその間にもその人形にまた会いに行きたいとばかり言っていた気がする。ずっとずっと、同じことを繰り返して言っていた。
 人形に会いたい、スイスで出会った人形だった、その人形に会いたくて、声がまた聞きたくて、誰も信じてもらわなくたってかまわない、それでも会いに行きたいんだ、あの子は黒髪に黒い目をしていてビロードとシルクの服を着ていた、大きな目で、ロッジのオーナーがライン川の宝石博物館へ行った時に気に行って同じような人形を手に入れたんだと言っていたその人形に会いたいんだ、会いたいんだ会いたいんだその人形に、そういえば、あなたはその美しい人形に少し似ているね……
 僕に会いに来てくれたのか、それとも泉から現れた悪戯な精なのか、僕の恋を占うのが僕が恋をするあの子だなのだなんて。
 僕はその時、恋焦がれてそのジプシーの女の人に抱きついていた。
 会いたかったよ、ずっと忘れたふりしてたよ。冬の季節いろいろ話し合ったね。雪が覆ったあの木々の森。星の神話、月の翳り、雪の結晶の美しさ、それを君の髪に飾ってたんだっけね。森の木々の妖精たちの話、それに小人たちの話も。冬の精霊の話もした。
 ジプシーの女の人は僕のブロンドの髪を撫でてくれた。
 森で出会ったジプシー。マザーグースのあの歌、その歌とは違って思えた。
 それで、僕は首を大きく振って離れて行ったんだ。
 その人形は僕が名前をつけて呼んでいたんだ。どこの国の人形か分からなかったけど、スイスで出会ったから。
僕「エマ」
 その時ジプシーは応えた。
 「私はローナよ」
 まるで暗い森にぱっと咲いたような花のジプシー。ローナ。
 その目元はエキゾチックな琥珀色で、僕から微笑んで逃れるようにスカートを翻して耳飾を揺らして踊り回って森の奥へ行ってしまう。
 僕は追いかけた。
 それで、泉が見えてきても月が出てなかったから気づかずに足を滑らせたのだった。
 僕はゆらゆら揺られながら、泉の底からこぽこぽと上がりつづける湧き水の気泡が月に照らされて細かい銀色の玉のように水面まで行きついて行く様と、周りで踊るローナの陰が射して藻の柱に陰の柱を映す様を見ていた。
 鮮やかな黄緑色と、それに踊るシルエット……。
ローナ「どこへ行ったの。坊や。先ほどまで恋を占っていたあのブロンドの坊やは。緑の硝子玉のような目をして、まるで人形みたいな笑顔で笑う坊やは」
 岸辺の周りをまるで蝶々や花のように舞うジプシー。
 僕の足はいつの間にか藻がほどけていて、カインの方まで泳いで行った。
 足の藻を解いてあげて、そのカインの目が開かれる。水に浸かってるからいつもより白く見える肌に現れた黄緑色の瞳が僕を見た。
 僕らは水面へ向けて泳いで行く。
 岸辺に顔を出すと、ローナはどこかへ行ってしまっていた。

★ To doll8-1

 僕らは泳いで夜の泉から柔らかな草地に両手をついた。草は月明かりを受けて光っている。
 水滴がぽたぽたと光を纏いながら落ちて行った。
 横にカインがあがって、僕は差し出された手を見上げた。
僕「ありがとう」
 でも、いつもみたいにカインは笑わずに、ただただ表情が無かった。
 カインはいつでも微笑んでる。それに弱い子にも優しいし、弱い子ほど守ってあげたくなる性質だ。
 よく黄緑に揺れる森も似合うんだ。
 僕は引き上げられて暗い森を見回した。
僕「さっきはどうしようかと思ったよ。カインも藻を絡ませてさ」
 でもカインは喋らないまま森を見回して歩いていく。僕は慌てて走って行った。走ると風が出来るから濡れた服で寒くなってくしゃみをする。
 森に入ると視野が暗くなるのに、カインはまっすぐと歩いていく。思った通り、泉の周辺には人が通れる路があってそこを通って行った。きっと森番が定期的に管理しているんだろう。
 夜のふくろうの啼き声がしんみりと響く。でも、それはぬくもりを感じる声にも聴こえた。
 ただ、自分たちが小さかったら連れ去られるんだよと以前カインが言っていた。
 どこまでも歩いていくと、アスレチックがある場所に出た。
 そこは夜の色に染まっている。旗も、ティピー型のテントも、遊具も、吊るされた大きなボールも。
 僕は辺りを見回した。
僕「ここがカインが言ってたアスレチック? すごいところだね!」
 でもカインはそこも突っ切って行ってしまうから慌てて追いかける。どうしたというんだろう。
 また暗い森を歩いて行った。ずっと歩いていると、僕は疲れてきて眠気が訪れる。
僕「待ってよ……、カイン、速いよ」
 僕はうとうととしながら目をこすり追いかける。もう眠いよ……。

 僕が誰かの声で気がつくと、眩しさに目を細めて視野の草地を見た。
 昆虫が歩いている。虫たちの視界っておもしろいんだな……。昆虫たちには草の森だった。
カイン「おい。転んだりして、大丈夫か?」
僕「え?」
 体を起こすとカインが笑って手を差し伸べていた。
カイン「いきなりで驚いたよ」
 夢でも見てたのかな。おかしいなあ。たしかにあの美しいジプシーの女の人はいたんだけれど。それに、優しく頭を撫でてくれた感触も残ってる。
 僕は起き上がってから笑った。
僕「ハハ、ごめんごめん」
 僕らはまた走って庭に戻って行った。

★ To doll9-2

 僕はそろそろ帰ることにした。
僕「そろそろ家に帰るよ」
カイン「そうだな。もうこんな時間か。また次は森の奥まで行こう」
僕「うん。今日も楽しかったよ! じゃあね!」
カイン「また明日学校で」
 僕は自転車に跨って滑走して行った。
 カインの家から僕の家は離れていて、その間はカインの家族の敷地の森と、その横のセインさんの家の敷地の林が続く。その先に三、四件の家が離れて立ち並んで、その一番先に僕の家がある。
 その奥はまた林が続いていた。その林の小路を行くと、学校がある小さな村に出る。
 だんだんと薄暗くなって来た。宵のうちに帰れば一番星の輝きのもと帰ってこれる。
 それを見上げながら走らせた。
 薔薇の門を潜ると白い花が薫る。
 レンガが並ぶ路を行くと自転車をいつもの場所に置いた。庭はまだ明るい宵の内に花が少し夜色に染まりはじめていた。微笑んでそれを見回してから玄関をくぐる。
僕「ただいま」
ママ「あら。お帰り。今日は遅かったのね」
僕「うん。ああ、疲れちゃったよ。走り回ったんだ」
ママ「今夕食の用意をするわね」
 僕が席につくとすぐに夕食が出てきた。それを食べる。
ママ「明日は学校は午前で終わりでしょ? 星を見上げるパイを久しぶりに作っておくわね。午後のおやつに食べなさい」
僕「うん」
ママ「そんなに急いで食べて」
僕「お腹空いちゃってさ。ああ、おいしかった! ごちそうさま」
ママ「はいはい。今日は宿題あるの?」
僕「やってくるね」
ママ「ええ」
 僕は部屋に戻るとなんだか眠くなって宿題も放って眠ることにした。
 僕はすぐに眠りに落ちた。

★ To doll10-1

「 夢はお伽の
 恋は現の
 そして紡がれ
 音楽になる 」
 誰かの歌が聴こえる。
 僕は意識だけ目を覚まして、旋律の端っこを掴もうとした。
 僕も踊りたい。踊って飛びまわりたい。
 でも眠くて仕方が無いし、今日は睡魔が僕を眠りの奥に連れて行ってる。
 ああ、僕はなんてばかなんだ。
 スイスで出会った人形……エマの声じゃないか。
 僕は目を開いた。
 そこにはエマがいた。
 エマは今日の森を背景にしている。スイスの雪山とはまた種類が違う森。
 一緒に踊り始めた。
 夢でも会えるんだ。それがうれしかった。
 青い空に澄んだ声が響く。さらさらと頬を掠める光り。揺らめく木々は初夏の薫り。
 光と陰が乱舞する木漏れ日の間で二人踊り続けた。
 いつのまにか、カインも、それに人形の月さんも踊って小鳥が囀る。
 柔らかな草地のうえで。

スタート★臨海学校★森の奥へ行かない★僕は立ち止まって膝に手をついた★紅い急須に入れられた甘酒を着物

僕「綺麗な人形を贈られて?」
カイン「女の人のね」
 静かに僕の心にしまわれた大切な恋心は、いつだって誰かしらのふとした一言でいとも簡単に僕の透明の檻から掴み取られ、心の奥から連れ戻されるものだったんだ。
 それは本当、無垢な顔して見上げてきている。それが恋心であって、あの子の存在のようであって、僕のもう一人の悩める姿。
 粉雪が舞う間際で。
 あの冬のことを思い出して、僕の背は自然とまっすぐに伸びた。
 それは冬の帳もまだ深く深く地を凍らせている季節。
 僕はとある人形と雪原で語り合っては、そして恋をしていた。
 この伸ばした背と共に反射的に頬を染めてしまうこの心を、どうしたらいいというのだろう。
 だって、スイスの地にまでは子供の僕では簡単に会いに行くことは出来ない。
 大人になるまでにあの人形の肖像が心の内に揺らめいていってしまうのはいやだ。
 まるで不動の氷のようにずっとあり続けるならいいのに。
 そうしたら、人形への恋だって誰かに笑われずにいつか本物になるかもしれない。輝ける真実の恋心として。
 小学舎からの帰り路に立ち寄った初夏の緑が揺れる庭で今、僕らはいる。
 二年生の時からクラスメートのカインの家だ。透明の硝子にソーダ水をもらっていた。気泡が弾けてミントの葉が爽やかに薫る。
 泡の立つグラスを透かして光りと影の木漏れ日が揺れる、向こうの芝の鮮やかさ。
 カインは言う。
カイン「日本の親戚のお姉さんがね、モデルになった人形なんだって」
 人形といえば、名前。それが僕は気になって仕方がなかった。
僕「日本人の女の子の名前はなんていうの?」
カイン「瑠璃川 月っていうんだ。英語だと、Moon - River lapis lazuli っていう意味の名前なんだ」
 僕は一瞬にして夢想した。その日本の女の人はきっと、麗しい瞳をして黒くたゆたう長い髪をした人。
 瑠璃色をした雰囲気のよく似合う人なのだと。
 冬の夜も、この初夏の美しい季節だって、それに夏の紺碧の海だって似合うに違いない。
 それが、人形になっているというのだ……。
 カインは緑の森に囲まれる芝生の庭でにっこり笑った。
カイン「ルイ」
 僕は呼ばれてカインを見た
カイン「もう五年生の夏の合宿でどっちにするか決めた?」
 僕らの学校は林間学校ならエジンバラ、臨海学校ならアイルランドまで飛ぶことになっていた。
僕「どうしようかなあ。林間学校か、臨海学校かあ……」

分岐 ★臨海学校3-2

僕「うーん。僕は臨海学校にしようかな」
 もしもアイルランドでの合宿を選ぶなら、去年スキー教室に参加した人以外はパスポートを作るようにと先生にホームルームで言われていた。
 もともと僕はパスポートは持ってるからいいんだけれど。
 それに、海で泳いだり、キャンプを張ってバーベキューをしたり、砂浜でボールスポーツを愉しんでもいい。
 アイルランドの海は夏でも冷たいから、思い切り体育をしまくっていれば、さっきのカインの話で思い出した恋の思い出も癒されるかもしれない。
カイン「エリスも臨海学校って言ってたなあ……僕も海の合宿えらぼうかな」
 エリスはカインが好きな女子だ。
 どこかぼうっと笑っている子で、冬に行ったスイスのスキー教室でもカインが彼女に付き添って滑り方を教えてあげていた。
 僕はというと、そのスキー教室で出会った人形とずっと話していたのを思い出す。
 ロッジに置かれていた人形で、青い目をしていた。それは、深い海を思わせる。
 だから臨海学校を選んでたのかな。今はスキーシーズンではなくてその人形に会いに行けないその変わりに。

★ To doll4

 僕らは芝生の広がる庭を囲う森を歩くことにした。
 この時期は大きな広葉樹が揺れる下ですごすのが丁度いいこともあるし、ピクニックとか森を歩くのも楽しい。
僕「きっとエリスは泳げないから、一緒に泳ぐの教えてあげなよ。そしたらまた仲良くなれるんじゃない?」
 木漏れ日の下を歩きながら頬をうれしそうに微笑ませるカインを小突いて笑った。
 心では、自分には手に取れる場所に好きな子がいないことを考えていた。
 見上げる空は時々葉影から切り抜かれると深い青に見えて、海の色やあの人形の瞳の色に似ている。
 僕らの恋はカインの方は叶うかもしれなくても、僕の方は……夢か現かも不確かな相手なのだから。
 僕らはマザーグースの森の歌を歌いながら歩いた。
 僕は少しぶっきらぼうになって歌っていたのかもしれない。
「  森の中のジプシーと
   My mother said that I never should,
   遊んじゃダメと母さんは言った
   Play with the gypsies in the wood,
   森は暗く 草は緑
   The wood was dark; the grass was green,
   タンバリン持ってサリーが来た
   In came Sally with a tambourine  」 ※歌詞・マザーグースより引用
 まるで僕の気持ちはタンバリンを打ち鳴らして心を誤魔化そうと必死になるように焦っていた。
 というよりも、タンバリンみたいに心は早鐘を打っていた。足元は乱舞してるわけでも無いのに視線は今の僕を取り繕うようにキョロキョロしていた。
 きっと、みんなちゃんとした恋する相手を見つけるんだ。海に行って気を紛らわそうとするんじゃなくて。
 それでも初夏の森は僕を優しく包んでくれる。
 緑の蒸せる小川がくねって流れるところまで来ると、いつもはその横の小屋から釣堀を出してくる。
カイン「今日は小川を飛び越えてもっと先に行こう」
僕「森の先に行くの?」
 僕はあまりこの奥までは行った事は無い。カインの家の森だし、僕の家はかなり離れているから。
 一体どうなっているんだろう。たしか、泉がどこかにある話は聞いた。それに、洞窟もずっと先にあるって聞いたことがあった。

分岐 ★森の奥へ行かない To doll5-C

カイン「じゃあ、人形見に行く?」
僕「見たい」
カイン「じゃあ着いておいでよ!」
 森を走って戻りながら、明暗が視野を繰り返し反転させる。
 緑、木々、そして光と影と木漏れ日……。光の柱、地面に描かれる影絵と、揺らめく葉枝。
 マザーグースのジプシーの歌が、僕の鼓膜にこだまする。
 僕の恋は叶わない。人形への恋だから。
 変だな。こんなことで幸せなカインにジェラシーを感じるだなんて。
 その現れたジプシーが連れて行くのはカインと僕のことで、カインには悪戯なジプシー人形に見えて森の奥まで惑わされていってしまうんだ。
 いや、違う。僕の目に前に現れたジプシーは人形になって僕をおびき出して、そして泉の底へと誘おうとするに違いない。
 カインにはそれは現れたエリスと微笑ましく手を取り合って僕が沈んでるなんて思わない泉の横に座って語らって……。
 僕は変な考えを走りながら頭を振って振り払ったから、視界が揺れてよろめいた。一瞬視界が暗くなる。

分岐 ★僕は立ち止まって膝に手をついた To doll6-b

僕「ま、待ってよ……カイン足が速いよ」
 膝に手を当てて止まり、向こうで振り返ったカインを見た。光りに囲まれて、笑顔で手を振ってきている。
 物知りで、勉強も好きで運動も得意なカインはいつでもリレーや競争も好きなのは、絶対に小さい頃からこの森で気に昇ったり泉で泳いだり駆け回ったりしてきたからなんだ。
 あれだと何がカインを連れてこうとしても、するするとかわして走って逃げていくだろう。僕のさっきまでの変な白昼夢もなく。
 庭に戻ってくると、白い柵が原の上を横断している所まできた。モンシロチョウやモンキチョウがひらひらと柔らかく白い花の周りを舞っているのが見える。
 その柵の先には馬が何頭が走っていた。白い馬が優美でいて猛々しい。
 カインが柵を越えたから僕も越える。
 その向こうにはカインのおじいさんとおばあさんの家があって、カインの伯母さんと従姉妹が住んでいる。
カイン「今から人形を見せてもらいに行こう」
 淡い色のレンガの建物についた。
イヴ「カイン。友達連れてきたのね」
 白い馬で屋敷の裏から現れたのはカインの従姉妹のイヴだった。
カイン「イヴがもらった月お姉さんの人形の話をさっきしたんだ」
イヴ「いいわよ。私の部屋に飾ってあるから、テラスからどうぞ。開いてるわ」
カイン「ありがとう」
 僕らは柳が揺れる横のテラスを進むと、イヴの部屋に入った。
カイン「僕の叔母さんの一人が日本に嫁いだから、月お姉さんは僕達の従姉妹でもあるんだ」
 じゃあ、美人なんだろうな。カインのおばあさんも叔母さんももイヴも、それにカインのママも凄い美人だ。
カイン「どこかなあ」
 イヴの部屋には孔雀とか蝶、薔薇みたいな花が描かれた壷と、それに波の渦巻くような深い青の模様の衝立が増えていた。それは和紙という素材だとカインが教えてくれた。その隅には青銅で出来ていて日本風情のある行灯というランプが下がっていた。
僕「あ! あれは?」
 僕はベッドサイドの円卓をさした。
 そこには一体の人形が飾られている。
カイン「これだよ。着物を来ていて、すごい綺麗だろ?」
僕「うん」
 黒くゆったりしたパーマがかかる腰元までの髪を片方の肩から流していて、耳の横で飾りをつけている。
 その日本の衣装、着物は帯と裾が青い色になっている黒地。それは前を併せずにゆったりと纏っていた。
 その下の着物は厚手の白シルクで、黒紫の帯でしっかり着ている。
 顔立ちは妖しげに微笑を称えて、手には藤の花を下げて持っていた。片方のつま先が裾から覗いて、帯が親指で引っかかる板の様な黒い靴を履いている。
 ミステリアスなルージュの鋭さと、そして光りを宿す黒い瞳。
 やっぱり、凄く美人な人形だ。
 一瞬、僕の心は雪原で夜に語り合った人形に重なったように思った。
 ビロードのドレスを纏ったスキー場の人形。スイスの民族衣装を着た青い目のビスクドールだった。
 着物姿で踊る月人形。スカートを翻してスイスのダンスを踊る人形。まるで姉妹みたい。まるで友達みたい。
 どちらも、蝶々みたいだ……。藤の花房を舞わせて。
 そして月人形だけが回りまわって、あの青い渦の衝立を背後に回転する。あの髪もストレートになって回る……。悪戯に僕を惑わしているみたいに。
 僕は、微笑んでいた……。そちらへ歩いて行きながら。

★ To doll7-2

 気がつくと、世界は深い深い青だった。
 僕は辺りを見回す。
 そこにはカインも佇んでいた。だからそこまで走っていこうとしたら、何かに気づいて顔を向けた。
 ピンク色の小さな花弁が僕の横を通り過ぎて行ったからだ。
カイン「あれは紅葉の木だよ。今は初夏だから鮮やかな黄緑色だろう? それに、向こうの花の木は桜の木。あっちは春の間なんだね。その先にあるのは雪化粧を施した松の木だよ。その冬の間の先にあるのは秋の間。黄葉した山錦が裾を広げているよ……」
 黄緑の葉をつける紅葉はどこからとも無く差し込む日差しで鮮やかな光と葉の形の影を重ねていた。桜の花弁はどこからともなく吹く風に花弁をここまで渦を巻いてここまで舞わせている。沈静の冬の間はとても静かだった。秋の間の方からは動物たちの声が聞こえる。オオカミの遠吠え、トンビの高い鳴き声、鹿の高い鳴き声も。
 そして、僕がカインの横に来て桜の木を見ると、月さんが着物を翻して藤の花房を揺らしながらも舞っていた。花吹雪のその先で、桜の下で、雅に、厳かに。稀に世界の青と、彼女の着物の裾の青が溶け込んでいくようだ。
カイン「月お姉さんは日本舞踊を習っているんだ。僕も何度か見に行ったことがあるけど、本当に素敵だよ。琴を弾く人や、三味線を奏でる人、小鼓を打つ人、横笛を吹く人……」
 カインが言う毎に、それらの人たちが、ぽん、ぽんと太鼓を打った音と共に現れて、月さんが舞う。桜の先の日本……。
 僕らはうっとりと見つめていた。
 そこが、あの青い屏風の世界だとは夢の世界のように気づかずに。

分岐 ★紅い急須に入れられた甘酒を着物のからくり人形がすすめてきた To doll8-2

 僕は白い飲み物を急須から同じ色の平たくて脚のついた酌でもらった。
 カラクリ人形は微笑んだ顔のまま戻っていく。
 カインと顔を見合わせると、それを頂いた。それはとても甘くて安心感のある味だった。
カイン「これは甘酒だよ。日本に嫁いだ叔母さんも作ってくれて、日本のニューイヤーイベントの時も寺院で飲めるんだ」
 僕はそれが気に入ってしまった。着物の下に股割れのキュロットのような物をはいたカラクリ人形がまたやってくると、それを傾けて僕に注いでくれた。
 しばらくは舞を愉しんだ。
 しばらくするとまたやってきて、カラクリ人形は僕の酌に注いで行き、また次を、次をと注がれて次第に顔が火照りはじめた。
 僕は何かお酒が入ってるなと思った。もしかしたらそういう飲み物かもしれなくて、そして僕はお酒が大人になっても弱いのかもしれないと思いながら、いつの間にか注がれているものが白くは無い、透明のとろりとした液体になっていることに今さらながら気づいた。
 既にカインは声に出してはしゃいで走って行って、出ている肌を染めながら踊りに加わっている。
 桜の花弁が舞って、夏の紅葉が橙色になっていって桜が舞い散り緑の葉が茂って行って、冬の木々は吹雪を受けてゆらゆらゆらめき、秋の間の紅葉の山はどんどんと冬の木の枝になって色づいた葉を舞わせて行っては粉雪をまとってゆく……。
 カインはその世界で小振りのオオカミや、顔の紅いサル、狐や野うさぎやキジやタヌキたちと弧を描いて踊り始めて、僕はふらふらしながら空を駆ける鷲を見上げていた。
 ああ、とても綺麗な世界なんだ……。
 カラクリ人形は僕の酌に透明の飲み物を注ぎ続けて、僕はにこにこ笑ってカインや動物たちの踊りや、美しい月さんの日本舞踊を眺めながら廻り続ける季節の彩を手をたたいて愉しんだ。
カイン「かごめ かごめ かごのなかのとりは いついつであう
    よあけのばんに つるとかめがすべった うしろのしょうめん だあれ」

★ To doll9-3

 僕が笑って手をぱちぱちたたいていると、肩を叩かれて我に返って振り返った。
イヴ「あなたたち、何やってるの?」
 イヴがいて、青い屏風の前に座って手をたたいている僕と、それに何か一人で踊っているカインを見て眉をしかめて口をぷるぷるおかしげに震わせていた。
イヴ「ああおかしいわ。あなた達も何か幻想でも見たの?」
僕「え、この屏風の?」
イヴ「まあ、あれは夢だと思ってたのに、本当なのね」
 イヴは肩をすくめてからカインを見た。
カイン「月お姉さんが夢に出てきた……」
 イヴ「彼女、お茶目なところがあるから、きっと何かの魔法でも掛けて夢を見せてきたのかもしれないわね。ふふ」
 カインは「はは。かもね」
 僕は分からずに首をかしげた。
 人形を見ると、以前美しい顔で微笑している……。
僕「あ。もうこんな時間か。明日も学校だから、もうそろそろ帰るよ」
カイン「うん。また明日」
イヴ「気を付けて」
僕「うん。またね!」
 僕はカインと一緒にカインの家まで来て、自転車に乗って帰って行った。
 今日はきっとすぐ眠るだろう。

★ To doll10-B

 緑が揺れる世界。僕は目を奪われて、佇む瑠璃色の着物の女性を見た。
 ゆらゆらと柳や楓、白樺や小楢、ケヤキの葉が重なり合って明るく揺れる。太陽の陽が斜めに差し込んで、彼女はいた。
 一瞬で蘇った。ムーン・リバーラピスラズリの名前が。
 今日は火曜日。カインの家にまた遊びにやってきたのだ。すっかりカインの家の周りに薔薇が咲きはじめていた。
 薔薇色の頬の女性は光沢を浮ける長い黒髪を下ろしていて、まばゆく光る大きな目をしている。顔立ちはカインのママに少し似ていた。黒髪と黒い瞳をして若くなったカインのママという感じだった。
月「カイン。お久しぶり」
カイン「あれ……月お姉さん! イギリスに来たの?」
 僕はうれしげに笑うカインを見た。何故なら、なんて言っているのか分からなかったから。
カイン「僕の友達のエド・ルイ」
 僕の名前が呼ばれたから、自己紹介をした。
僕「僕はエドワルド・ルイ・フォードです」
 綺麗な女の人は英語で話してくれた。
月「カインの従姉の瑠璃川月です。はじめまして、エドワルド」
 僕は満面に微笑んで握手を両手でかわした。
僕「カインからお話し聞いてて、会いたいと思ってたんだ。その日本の服、とっても綺麗ですね」
月「どうもありがとう。お人形を差し上げたお礼にと、本日頂いたの」
カイン「月お姉さんの人形の衣装は、ママが大切にしていたドレスをリメイクした時の残り布をいただいて製作したものだったんだ」
 瑠璃色のその着物は、新月から下弦の月、半月、上弦の月、満月が挿絵で描かれて、たゆたう水流の渦巻く文様が入っている着物だった。深いこげ茶色の帯はまるで樹木の幹みたいで、黒い帯締めは薔薇の帯留がしてあった。漆塗りの
下駄が緑の草花に映えて、鏡みたいに映している。
月「カインにね、これを持ってきたのよ」
カイン「わあ、何?」
 月は日陰に置いてあったものを持ってきた。僕も覗き込む。
月「紅葉の苗木。今の初夏は美しい新緑でしょ?」
カイン「ありがとう! ずっと楓の同じ種のこれが気になってたんだ。京都や寺院によくあって綺麗だったから」
月「ふふ。よろこんでくれると思った。あなた、木が好きだものね」
 カインが横の僕を見た。
カイン「一緒に植えよう。森番に教われば植え方を教えてくれるよ」
僕「うん!」
 可愛い葉をつける苗木を掲げ見た。
僕「子供の木だから葉も小さいの?」
月「紅葉はこの葉の大きさのまま、高く横に広く大人になるのよ。楓とはまた樹形が違うの」
カイン「種はよく似てるんだ」
 僕らはカインが森から呼んできた森番と一緒に道具を用意して紅葉の苗木を植え始めた。月さんは着物が汚れてしまうといけないから、テーブルセットで僕らのために日本のお茶をいれてくれている。
カイン「ママの姉妹が嫁いで行った時、プラタナスとメタセコイアの木を日本の家の庭に植えたんだよ。日本の庭師さんは洋木の管理の勉強もしたみたい」
 カインの家の若い森番は言った。
森番「俺も日本の庭をモチーフにしたボタニックガーデンに親父に連れて行かれたことがあったんだが、その時から日本の木の勉強もしてたんだ。イングリッシュガーデンに植えるなら、紅葉は色が変わるから黄葉するプラタナスや楓は陽樹だがその間に植えると色合いも良い。日本とは気候が違うから紅葉の色づきに差は出てくるんだけどな。水と半日陰を好むから、これらの高木の横なら丁度夏も陰になるからね。グランドカバーになる草花も地面を覆ってるから良いんだ」
 カインはそれらのことをよく聞きいて頷きながら苗植を手伝う。スコップで穴を掘って植えると、森番は森で見かける苔も持ってきて苗木の周りに移植し始めた。
カイン「紅葉はね、赤、橙、黄、黄緑って同じ時期同じ木でグラデーションを楽しめるから、葉も細かいし綺麗だよ」
森播「幼木も黄葉するから今年の秋、だんだんとゆっくり移り変わる様を見るのも良い」
 僕らは背を伸ばして小さな苗木を見た。
僕「可愛いね」
カイン「うん」
 僕らは月さんを振り返った。彼女はうれしげに微笑んで僕らの横の苗木を見た。そしていれてくれた新緑色の日本茶をいただくことにした。甘いお菓子も。黒い練り菓子が入っていて美味しい。それはあんこだと月さんが言った。
 テーブルセットでお茶を頂きながら、森を背景にする苗木はゆるい風に吹かれて揺れていた。木漏れ日を浴びて……。

スタート★臨海学校★森の奥へ行かない★僕は立ち止まって膝に手をついた★僕はふと目を覚ました

僕「綺麗な人形を贈られて?」
カイン「女の人のね」
 静かに僕の心にしまわれた大切な恋心は、いつだって誰かしらのふとした一言でいとも簡単に僕の透明の檻から掴み取られ、心の奥から連れ戻されるものだったんだ。
 それは本当、無垢な顔して見上げてきている。それが恋心であって、あの子の存在のようであって、僕のもう一人の悩める姿。
 粉雪が舞う間際で。
 あの冬のことを思い出して、僕の背は自然とまっすぐに伸びた。
 それは冬の帳もまだ深く深く地を凍らせている季節。
 僕はとある人形と雪原で語り合っては、そして恋をしていた。
 この伸ばした背と共に反射的に頬を染めてしまうこの心を、どうしたらいいというのだろう。
 だって、スイスの地にまでは子供の僕では簡単に会いに行くことは出来ない。
 大人になるまでにあの人形の肖像が心の内に揺らめいていってしまうのはいやだ。
 まるで不動の氷のようにずっとあり続けるならいいのに。
 そうしたら、人形への恋だって誰かに笑われずにいつか本物になるかもしれない。輝ける真実の恋心として。
 小学舎からの帰り路に立ち寄った初夏の緑が揺れる庭で今、僕らはいる。
 二年生の時からクラスメートのカインの家だ。透明の硝子にソーダ水をもらっていた。気泡が弾けてミントの葉が爽やかに薫る。
 泡の立つグラスを透かして光りと影の木漏れ日が揺れる、向こうの芝の鮮やかさ。
 カインは言う。
カイン「日本の親戚のお姉さんがね、モデルになった人形なんだって」
 人形といえば、名前。それが僕は気になって仕方がなかった。
僕「日本人の女の子の名前はなんていうの?」
カイン「瑠璃川 月っていうんだ。英語だと、Moon - River lapis lazuli っていう意味の名前なんだ」
 僕は一瞬にして夢想した。その日本の女の人はきっと、麗しい瞳をして黒くたゆたう長い髪をした人。
 瑠璃色をした雰囲気のよく似合う人なのだと。
 冬の夜も、この初夏の美しい季節だって、それに夏の紺碧の海だって似合うに違いない。
 それが、人形になっているというのだ……。
 カインは緑の森に囲まれる芝生の庭でにっこり笑った。
カイン「ルイ」
 僕は呼ばれてカインを見た
カイン「もう五年生の夏の合宿でどっちにするか決めた?」
 僕らの学校は林間学校ならエジンバラ、臨海学校ならアイルランドまで飛ぶことになっていた。
僕「どうしようかなあ。林間学校か、臨海学校かあ……」

分岐 ★臨海学校3-2

僕「うーん。僕は臨海学校にしようかな」
 もしもアイルランドでの合宿を選ぶなら、去年スキー教室に参加した人以外はパスポートを作るようにと先生にホームルームで言われていた。
 もともと僕はパスポートは持ってるからいいんだけれど。
 それに、海で泳いだり、キャンプを張ってバーベキューをしたり、砂浜でボールスポーツを愉しんでもいい。
 アイルランドの海は夏でも冷たいから、思い切り体育をしまくっていれば、さっきのカインの話で思い出した恋の思い出も癒されるかもしれない。
カイン「エリスも臨海学校って言ってたなあ……僕も海の合宿えらぼうかな」
 エリスはカインが好きな女子だ。
 どこかぼうっと笑っている子で、冬に行ったスイスのスキー教室でもカインが彼女に付き添って滑り方を教えてあげていた。
 僕はというと、そのスキー教室で出会った人形とずっと話していたのを思い出す。
 ロッジに置かれていた人形で、青い目をしていた。それは、深い海を思わせる。
 だから臨海学校を選んでたのかな。今はスキーシーズンではなくてその人形に会いに行けないその変わりに。

★ To doll4

 僕らは芝生の広がる庭を囲う森を歩くことにした。
 この時期は大きな広葉樹が揺れる下ですごすのが丁度いいこともあるし、ピクニックとか森を歩くのも楽しい。
僕「きっとエリスは泳げないから、一緒に泳ぐの教えてあげなよ。そしたらまた仲良くなれるんじゃない?」
 木漏れ日の下を歩きながら頬をうれしそうに微笑ませるカインを小突いて笑った。
 心では、自分には手に取れる場所に好きな子がいないことを考えていた。
 見上げる空は時々葉影から切り抜かれると深い青に見えて、海の色やあの人形の瞳の色に似ている。
 僕らの恋はカインの方は叶うかもしれなくても、僕の方は……夢か現かも不確かな相手なのだから。
 僕らはマザーグースの森の歌を歌いながら歩いた。
 僕は少しぶっきらぼうになって歌っていたのかもしれない。
「  森の中のジプシーと
   My mother said that I never should,
   遊んじゃダメと母さんは言った
   Play with the gypsies in the wood,
   森は暗く 草は緑
   The wood was dark; the grass was green,
   タンバリン持ってサリーが来た
   In came Sally with a tambourine  」 ※歌詞・マザーグースより引用
 まるで僕の気持ちはタンバリンを打ち鳴らして心を誤魔化そうと必死になるように焦っていた。
 というよりも、タンバリンみたいに心は早鐘を打っていた。足元は乱舞してるわけでも無いのに視線は今の僕を取り繕うようにキョロキョロしていた。
 きっと、みんなちゃんとした恋する相手を見つけるんだ。海に行って気を紛らわそうとするんじゃなくて。
 それでも初夏の森は僕を優しく包んでくれる。
 緑の蒸せる小川がくねって流れるところまで来ると、いつもはその横の小屋から釣堀を出してくる。
カイン「今日は小川を飛び越えてもっと先に行こう」
僕「森の先に行くの?」
 僕はあまりこの奥までは行った事は無い。カインの家の森だし、僕の家はかなり離れているから。
 一体どうなっているんだろう。たしか、泉がどこかにある話は聞いた。それに、洞窟もずっと先にあるって聞いたことがあった。

分岐 ★森の奥へ行かない To doll5-C

カイン「じゃあ、人形見に行く?」
僕「見たい」
カイン「じゃあ着いておいでよ!」
 森を走って戻りながら、明暗が視野を繰り返し反転させる。
 緑、木々、そして光と影と木漏れ日……。光の柱、地面に描かれる影絵と、揺らめく葉枝。
 マザーグースのジプシーの歌が、僕の鼓膜にこだまする。
 僕の恋は叶わない。人形への恋だから。
 変だな。こんなことで幸せなカインにジェラシーを感じるだなんて。
 その現れたジプシーが連れて行くのはカインと僕のことで、カインには悪戯なジプシー人形に見えて森の奥まで惑わされていってしまうんだ。
 いや、違う。僕の目に前に現れたジプシーは人形になって僕をおびき出して、そして泉の底へと誘おうとするに違いない。
 カインにはそれは現れたエリスと微笑ましく手を取り合って僕が沈んでるなんて思わない泉の横に座って語らって……。
 僕は変な考えを走りながら頭を振って振り払ったから、視界が揺れてよろめいた。一瞬視界が暗くなる。

分岐 ★僕は立ち止まって膝に手をついた To doll6-b

僕「ま、待ってよ……カイン足が速いよ」
 膝に手を当てて止まり、向こうで振り返ったカインを見た。光りに囲まれて、笑顔で手を振ってきている。
 物知りで、勉強も好きで運動も得意なカインはいつでもリレーや競争も好きなのは、絶対に小さい頃からこの森で気に昇ったり泉で泳いだり駆け回ったりしてきたからなんだ。
 あれだと何がカインを連れてこうとしても、するするとかわして走って逃げていくだろう。僕のさっきまでの変な白昼夢もなく。
 庭に戻ってくると、白い柵が原の上を横断している所まできた。モンシロチョウやモンキチョウがひらひらと柔らかく白い花の周りを舞っているのが見える。
 その柵の先には馬が何頭が走っていた。白い馬が優美でいて猛々しい。
 カインが柵を越えたから僕も越える。
 その向こうにはカインのおじいさんとおばあさんの家があって、カインの伯母さんと従姉妹が住んでいる。
カイン「今から人形を見せてもらいに行こう」
 淡い色のレンガの建物についた。
イヴ「カイン。友達連れてきたのね」
 白い馬で屋敷の裏から現れたのはカインの従姉妹のイヴだった。
カイン「イヴがもらった月お姉さんの人形の話をさっきしたんだ」
イヴ「いいわよ。私の部屋に飾ってあるから、テラスからどうぞ。開いてるわ」
カイン「ありがとう」
 僕らは柳が揺れる横のテラスを進むと、イヴの部屋に入った。
カイン「僕の叔母さんの一人が日本に嫁いだから、月お姉さんは僕達の従姉妹でもあるんだ」
 じゃあ、美人なんだろうな。カインのおばあさんも叔母さんももイヴも、それにカインのママも凄い美人だ。
カイン「どこかなあ」
 イヴの部屋には孔雀とか蝶、薔薇みたいな花が描かれた壷と、それに波の渦巻くような深い青の模様の衝立が増えていた。それは和紙という素材だとカインが教えてくれた。その隅には青銅で出来ていて日本風情のある行灯というランプが下がっていた。
僕「あ! あれは?」
 僕はベッドサイドの円卓をさした。
 そこには一体の人形が飾られている。
カイン「これだよ。着物を来ていて、すごい綺麗だろ?」
僕「うん」
 黒くゆったりしたパーマがかかる腰元までの髪を片方の肩から流していて、耳の横で飾りをつけている。
 その日本の衣装、着物は帯と裾が青い色になっている黒地。それは前を併せずにゆったりと纏っていた。
 その下の着物は厚手の白シルクで、黒紫の帯でしっかり着ている。
 顔立ちは妖しげに微笑を称えて、手には藤の花を下げて持っていた。片方のつま先が裾から覗いて、帯が親指で引っかかる板の様な黒い靴を履いている。
 ミステリアスなルージュの鋭さと、そして光りを宿す黒い瞳。
 やっぱり、凄く美人な人形だ。
 一瞬、僕の心は雪原で夜に語り合った人形に重なったように思った。
 ビロードのドレスを纏ったスキー場の人形。スイスの民族衣装を着た青い目のビスクドールだった。
 着物姿で踊る月人形。スカートを翻してスイスのダンスを踊る人形。まるで姉妹みたい。まるで友達みたい。
 どちらも、蝶々みたいだ……。藤の花房を舞わせて。
 そして月人形だけが回りまわって、あの青い渦の衝立を背後に回転する。あの髪もストレートになって回る……。悪戯に僕を惑わしているみたいに。
 僕は、微笑んでいた……。そちらへ歩いて行きながら。

★ To doll7-2

 気がつくと、世界は深い深い青だった。
 僕は辺りを見回す。
 そこにはカインも佇んでいた。だからそこまで走っていこうとしたら、何かに気づいて顔を向けた。
 ピンク色の小さな花弁が僕の横を通り過ぎて行ったからだ。
カイン「あれは紅葉の木だよ。今は初夏だから鮮やかな黄緑色だろう? それに、向こうの花の木は桜の木。あっちは春の間なんだね。その先にあるのは雪化粧を施した松の木だよ。その冬の間の先にあるのは秋の間。黄葉した山錦が裾を広げているよ……」
 黄緑の葉をつける紅葉はどこからとも無く差し込む日差しで鮮やかな光と葉の形の影を重ねていた。桜の花弁はどこからともなく吹く風に花弁をここまで渦を巻いてここまで舞わせている。沈静の冬の間はとても静かだった。秋の間の方からは動物たちの声が聞こえる。オオカミの遠吠え、トンビの高い鳴き声、鹿の高い鳴き声も。
 そして、僕がカインの横に来て桜の木を見ると、月さんが着物を翻して藤の花房を揺らしながらも舞っていた。花吹雪のその先で、桜の下で、雅に、厳かに。稀に世界の青と、彼女の着物の裾の青が溶け込んでいくようだ。
カイン「月お姉さんは日本舞踊を習っているんだ。僕も何度か見に行ったことがあるけど、本当に素敵だよ。琴を弾く人や、三味線を奏でる人、小鼓を打つ人、横笛を吹く人……」
 カインが言う毎に、それらの人たちが、ぽん、ぽんと太鼓を打った音と共に現れて、月さんが舞う。桜の先の日本……。
 僕らはうっとりと見つめていた。
 そこが、あの青い屏風の世界だとは夢の世界のように気づかずに。

分岐 ★僕はふと目を覚ました To doll8-3

 ふっと目を覚ますと、目の前には青い屏風があった。
僕「え!」
 その屏風はいつの間にか絵が描かれていて、冬の松、桜の木、夏の紅葉、秋の山錦が彩って、そして囃子とともに着物の女の人が日本舞踊を踊って、そして僕もカインも酔っ払ったみたいに動物たちと弧を描いて回っていた。銀の雲の先に。
 それが描かれていた。
 目をこすってまた見ると、桜や紅葉がさらさらと屏風を流れて行って、そして驚いた僕の横を桜の花弁が掠め流れて行った。
僕「………」
 僕は瞬きを続けて、呆気に取られていた。
カイン「ルイ? どうしたの?」
 一瞬をおいてカインを見ると、また屏風を見た。
僕「屏風が……、え?」
 その屏風は深い青に戻っていた。その瞬間何かが動く端の方を見ると、慌ててカラクリ人形の小さな絵が急いで屏風枠へとスーッと去って行ったところだった。
僕「………」
 瞬きを続けた僕は屏風に駆け寄った。
 青銅の行灯が掛けられている以外は何も無い。
僕「あれー?」
 首をかしげながら、僕は何度も「あれー?」と言い続けていた。

★ To doll9-1

 テラスの先に広がる草原を見た。
 イヴが白馬を乗り回していた。華麗に。ブロンドの長い髪を翻して。
 月さんも馬に乗れるんだろうか。着物で馬に乗れるのかは分からないけど、きっと勇ましいに違いない。
 僕は再び青い屏風を見てから、先ほど優雅に舞っていた着物の人形を見る。
 カインはテラスに出るとその棚から下がる蔦を弄んでは揺らして、僕を振り返って笑った。

 僕は帰り路、自転車を走らせながらあの幻想的な楽曲が脳裏を愉しませていた。
 異国の地の日本音楽。それらはイングランドの森の路で思い出されると、また違った趣がある。
 空は青い色から刻々と暮れはじめている。
 明日辺りはもしかしたらまた曇りが顔を覗かせて雨を降らせるだろうか。森を潤すために。
 ライトを点け始めて走らせる。すると、ひょうっと影になり始める木々の間からあの屏風に見た動物たちが舞いながら出てきて踊る。
 楽しくなって来て笑顔になった。夏の薫り、木々の薫り。若芽の薫り。そして行灯を提げて囃子に踊る動物たち。
 白い薔薇の生垣が見えてきた。その間を潜ると家に到着する。暖色の灯りが灯っていて自転車を置いて玄関をくぐった。
僕「ただいま」
ママ「あら。また出掛けていたの?」
 ママが不思議そうな顔で僕を見た。僕が使う食器を運んでいる時だった。食べた後がある。
僕「さっきカインの家から帰ってきたんだよ。今日はいろいろ歩き回ったんだ」
ママ「あなた三十分前に一度帰ってきてご飯食べたじゃない」
僕「えー? 本当ー?」
 僕は首をかしげてどういうことだろうと考えた。よく分からなかった。でも、屏風の世界で動いていた絵を思い出して、それが踊ってたのも思い出す。筆で描かれた僕だった。
 まさかその筆で描かれたままの僕が出てきてご飯たべるわけないし。僕はおかしくて笑っているとママが聴いてきた。
ママ「まだ夕食はあるわよ。どうする?」
僕「うん。食べる」
ママ「ふふ。くいしんぼうね。分かったわ」
 僕は席について今日あったことを話始めた。ママはおかしげに笑いながら聞いていた。
僕「合宿は臨海学校にしていい?」
ママ「アイルランドだったわね。それまでには棚からパスポートを用意しておくわね。」
僕「うん。ふああ。ああ、眠くなってきちゃった」
ママ「今日は本当いろいろ駆け回ったようね。ゆっくり休みなさい」
僕「はい。おやすみなさい」
ママ「ええ。良い夢を」
 ベッドに入って眠ることにする。
 すぐに眠気は来たから、そのまま目を閉じて眠りへと落ちていく。

★ To doll10-1

「 夢はお伽の
 恋は現の
 そして紡がれ
 音楽になる 」
 誰かの歌が聴こえる。
 僕は意識だけ目を覚まして、旋律の端っこを掴もうとした。
 僕も踊りたい。踊って飛びまわりたい。
 でも眠くて仕方が無いし、今日は睡魔が僕を眠りの奥に連れて行ってる。
 ああ、僕はなんてばかなんだ。
 スイスで出会った人形……エマの声じゃないか。
 僕は目を開いた。
 そこにはエマがいた。
 エマは今日の森を背景にしている。スイスの雪山とはまた種類が違う森。
 一緒に踊り始めた。
 夢でも会えるんだ。それがうれしかった。
 青い空に澄んだ声が響く。さらさらと頬を掠める光り。揺らめく木々は初夏の薫り。
 光と陰が乱舞する木漏れ日の間で二人踊り続けた。
 いつのまにか、カインも、それに人形の月さんも踊って小鳥が囀る。
 柔らかな草地のうえで。

スタート★臨海学校★森の奥へ行く★それは木と茂みの間にある洞穴だった

僕「綺麗な人形を贈られて?」
カイン「女の人のね」
 静かに僕の心にしまわれた大切な恋心は、いつだって誰かしらのふとした一言でいとも簡単に僕の透明の檻から掴み取られ、心の奥から連れ戻されるものだったんだ。
 それは本当、無垢な顔して見上げてきている。それが恋心であって、あの子の存在のようであって、僕のもう一人の悩める姿。
 粉雪が舞う間際で。
 あの冬のことを思い出して、僕の背は自然とまっすぐに伸びた。
 それは冬の帳もまだ深く深く地を凍らせている季節。
 僕はとある人形と雪原で語り合っては、そして恋をしていた。
 この伸ばした背と共に反射的に頬を染めてしまうこの心を、どうしたらいいというのだろう。
 だって、スイスの地にまでは子供の僕では簡単に会いに行くことは出来ない。
 大人になるまでにあの人形の肖像が心の内に揺らめいていってしまうのはいやだ。
 まるで不動の氷のようにずっとあり続けるならいいのに。
 そうしたら、人形への恋だって誰かに笑われずにいつか本物になるかもしれない。輝ける真実の恋心として。
 小学舎からの帰り路に立ち寄った初夏の緑が揺れる庭で今、僕らはいる。
 二年生の時からクラスメートのカインの家だ。透明の硝子にソーダ水をもらっていた。気泡が弾けてミントの葉が爽やかに薫る。
 泡の立つグラスを透かして光りと影の木漏れ日が揺れる、向こうの芝の鮮やかさ。
 カインは言う。
カイン「日本の親戚のお姉さんがね、モデルになった人形なんだって」
 人形といえば、名前。それが僕は気になって仕方がなかった。
僕「日本人の女の子の名前はなんていうの?」
カイン「瑠璃川 月っていうんだ。英語だと、Moon - River lapis lazuli っていう意味の名前なんだ」
 僕は一瞬にして夢想した。その日本の女の人はきっと、麗しい瞳をして黒くたゆたう長い髪をした人。
 瑠璃色をした雰囲気のよく似合う人なのだと。
 冬の夜も、この初夏の美しい季節だって、それに夏の紺碧の海だって似合うに違いない。
 それが、人形になっているというのだ……。
 カインは緑の森に囲まれる芝生の庭でにっこり笑った。
カイン「ルイ」
 僕は呼ばれてカインを見た
カイン「もう五年生の夏の合宿でどっちにするか決めた?」
 僕らの学校は林間学校ならエジンバラ、臨海学校ならアイルランドまで飛ぶことになっていた。
僕「どうしようかなあ。林間学校か、臨海学校かあ……」

分岐 ★臨海学校3-2

僕「うーん。僕は臨海学校にしようかな」
 もしもアイルランドでの合宿を選ぶなら、去年スキー教室に参加した人以外はパスポートを作るようにと先生にホームルームで言われていた。
 もともと僕はパスポートは持ってるからいいんだけれど。
 それに、海で泳いだり、キャンプを張ってバーベキューをしたり、砂浜でボールスポーツを愉しんでもいい。
 アイルランドの海は夏でも冷たいから、思い切り体育をしまくっていれば、さっきのカインの話で思い出した恋の思い出も癒されるかもしれない。
カイン「エリスも臨海学校って言ってたなあ……僕も海の合宿えらぼうかな」
 エリスはカインが好きな女子だ。
 どこかぼうっと笑っている子で、冬に行ったスイスのスキー教室でもカインが彼女に付き添って滑り方を教えてあげていた。
 僕はというと、そのスキー教室で出会った人形とずっと話していたのを思い出す。
 ロッジに置かれていた人形で、青い目をしていた。それは、深い海を思わせる。
 だから臨海学校を選んでたのかな。今はスキーシーズンではなくてその人形に会いに行けないその変わりに。

★ To doll4

 僕らは芝生の広がる庭を囲う森を歩くことにした。
 この時期は大きな広葉樹が揺れる下ですごすのが丁度いいこともあるし、ピクニックとか森を歩くのも楽しい。
僕「きっとエリスは泳げないから、一緒に泳ぐの教えてあげなよ。そしたらまた仲良くなれるんじゃない?」
 木漏れ日の下を歩きながら頬をうれしそうに微笑ませるカインを小突いて笑った。
 心では、自分には手に取れる場所に好きな子がいないことを考えていた。
 見上げる空は時々葉影から切り抜かれると深い青に見えて、海の色やあの人形の瞳の色に似ている。
 僕らの恋はカインの方は叶うかもしれなくても、僕の方は……夢か現かも不確かな相手なのだから。
 僕らはマザーグースの森の歌を歌いながら歩いた。
 僕は少しぶっきらぼうになって歌っていたのかもしれない。
「  森の中のジプシーと
   My mother said that I never should,
   遊んじゃダメと母さんは言った
   Play with the gypsies in the wood,
   森は暗く 草は緑
   The wood was dark; the grass was green,
   タンバリン持ってサリーが来た
   In came Sally with a tambourine  」 ※歌詞・マザーグースより引用
 まるで僕の気持ちはタンバリンを打ち鳴らして心を誤魔化そうと必死になるように焦っていた。
 というよりも、タンバリンみたいに心は早鐘を打っていた。足元は乱舞してるわけでも無いのに視線は今の僕を取り繕うようにキョロキョロしていた。
 きっと、みんなちゃんとした恋する相手を見つけるんだ。海に行って気を紛らわそうとするんじゃなくて。
 それでも初夏の森は僕を優しく包んでくれる。
 緑の蒸せる小川がくねって流れるところまで来ると、いつもはその横の小屋から釣堀を出してくる。
カイン「今日は小川を飛び越えてもっと先に行こう」
僕「森の先に行くの?」
 僕はあまりこの奥までは行った事は無い。カインの家の森だし、僕の家はかなり離れているから。
 一体どうなっているんだろう。たしか、泉がどこかにある話は聞いた。それに、洞窟もずっと先にあるって聞いたことがあった。

分岐 ★森の奥へ行く To doll5-D

 僕らは森の奥へ進んで行く。
カイン「この森はね、けっこういろいろあるんだ。少し広めのステップが三箇所ぐらいあって、その一つはアスレチックがあるし、テントを張れるところもあるよ。洞窟には動物が住みかにしてるから近づかないけどね」
僕「それは楽しいね」
 僕があまり元気が無いから、カインがマザーグースを歌おうと言った。
 僕らはまたマザーグースを歌い始めた。
「 おサルが一匹 木の上に上った
  地面にいるのは 落ちたからさ
  カラスが一羽 石の上に止まった
  飛んじゃったなら もういないのさ
  おばあさんが一人 アップルをかじった
  二つ食べたら カップルさ
  お馬が一頭 水車小屋へ走った
  走ってる間は 止まっていないさ! 」 ※歌詞 マザーグースより参照
 進んで行くと、変わった形になった巨大な木がたくさんになってきた。
 根っこや幹がうねっていたり、いろいろな種類の葉が枝垂れるほど重く下がって来てたり、その間をカーテンを潜るように進んで行くのは楽しい。
 蔦が蔓延る岩や、幹、それに上から花を付けながら垂れ下がる蔦。その間を通る毎に花の甘い薫りを愉しんだ。
カイン「蜂には充分と気を付けてね。蛇もたまにいるから。蜂はブーンっていう音がするけど、蛇は無音だから。気配がするときはあるんだけど」
 どんどん深くなって行く森。大木が寿命で倒れたところには苔がびっしり生えて、その場所は明るい陽がさしていろいろな昆虫が歩いているのが見える。
僕「ねえ。カイン」
カイン「なあに?」
 歩き足も速いカインに合わせながら歩いていたけど、時々みたことが無い花がぱっと咲いていたりすると僕は足を停めていたのをカインに駆け寄った。
僕「鬱蒼としてきたけど、大丈夫なの?」
カイン「心配ないよ! 森番が目印をしっかり木に付けてあるんだ。それを辿って行ってるの。ただ、宵になる前には絶対に戻らないといけないけどね。それにここは僕の庭でもあるんだから、心配すること無いって」
 僕は頷きながら白い半袖シャツに膝丈パンツを支えるサスペンダーがかかるカインの背を追いかける。
 カインに花の名前や鳥の鳴き声の名前を聞くと、手短に教えてくれる。昆虫の名前にも詳しかった。
僕「あ。蝶だ」
 庭でも見かけた蝶がここでも美しい羽根を翻している。
 森に時々差し込む眩しい光りに空かされた薄衣に魅せられる。
 薄い水色の野花を見つけると、そちらへ行って蜜を吸い始めた。その花にもてんとう虫や蜜蜂、いろいろな昆虫が蜜を吸っている。
 いよいよ鳥の声は甲高くなって来て、涼しくなってきた。
 僕の気持ちは不安になってきたけど、少しずつ明るくなってきて、僕は走ろうとした。
カイン「待って! いきなり茂みに入ったらだめだ! 蜂の巣があったら刺激してしまうから。今の時期は巣を作りはじめていて小さいから目立たないし蜂も近くには少ししかいないから目立たないだけ。気を付けてあげて」
 僕はすぐに立ち止まると、カインについて行って茂みが一部だけ途切れた箇所を抜けて歩いて行った。
僕「アスレチックだ!」
カイン「遊ぼう!」
 結構難易度が高いアスレチックに僕ははしゃいで走って行った。さっきまでの不安は薄れていた。

★ To doll6-3

 大木から大木につり橋がぐるりと渡っていたり、木の上に大きな鳥箱みたいなのがあったり、長さの違うブランコからブランコに掴まり乗り移ったり、上から垂れ下がる縄を登るのを競ったりした。
 もちろんカインが勝ったけど、上まで来ると葉の屋根の先に揺れる青空が眩しくて、鳥達が飛んでいる。それで僕の頬をゆらゆらと白い光りが眩しく射した。
 縄を半分のところまで来ると身体を大きく揺らして向こうの台の上まで飛び乗った。カインは他の縄の所まで大きく揺らして短い縄、長い縄へと移っていく。
 台から梯子を登って行って、大きな木の上から太い幹の周りをぐるぐると降りていく滑り台を勢いよく下っていって、その間にも枝垂れたいろいろな蔦や葉枝が僕の頬を撫でて、いろいろな薫りを放つ花の薫りが風に乗って鼻腔をくすぐった。
 草地まで来ると蜘蛛の巣を縦横無尽にしたような立体の縄をカインと競ってあべこべに登ったり降りたりしていき、一番上の旗の所まで辿り着くとそこに停まっていた鳥が移動して行った。
 その旗の場所の上に来ると見晴台になっていて、森が一望できる。つり橋を渡っていくと、滑り台の所まで来たから滑っていくと、森を縦横無尽に駆け巡る滑り台で僕はきゃはははと笑いながら滑って行った。
 そしてその先の縄トランポリンに飛んでいくと、僕はその格子縄の先に何かを発見した。

分岐 ★それは木と茂みの間にある洞穴だった To doll70A

 僕はその縄トランポリンの上を四つんばいで歩いていって、首をかしげながら草地に降りた。
 その草地にはキノコの形の座れるオブジェとか、昆虫の形の座れるオブジェとかが幾つもあって、その間を縫うように進んで行くと茂みの前に膝を着いた。
 洞穴を覗きこむ。
 すると、いきなり顔をおずおずと覗かせたぬいぐるみに驚いて瞬きをした。
 そのぬいぐるみはまた引き返していったから僕はつられて洞穴に四つんばいでもぐりこんで行った。
 その時、きっとカインならいきなり穴に飛び込んだら蛇や何かに噛まれるし巣に入ったら持ち主が怒るよと言ってきたはずだと咄嗟に思って、その時にはもう僕の体はころころと転がって行っていた。
 暗がりの滑り台は怖かったけど、土と草の若い薫りがしていた。
 下に来ると、辺りに手をかざすけど何にも当たらない。
僕「ここ、どこ? さっきぬいぐるみがいたのに」
 ぼふっと何かが顔に当たって、さっきのぬいぐるみに違いないと思ったけど、よく分からない。
 森には洞穴はたくさんあるだろうし、それにぬいぐるみが出てくるなんて思って見れば見間違いでなにかの動物だったのかもしれない。
僕「誰かいるの?」
 噛んでこないし喋らないので手で探った。
 僕の声がするだけだ。
 「こっちだよ」
 間の抜けた声がきこえて、僕は声の方に歩く。
 もしかして不思議の国のアリスみたいにハートの国に迷い込むのだろうか?
 はは。まさかね。
ぬいぐるみ「今日は妖精の姫の宴だからね」
僕「こんなに真っ暗なところでじゃないんでしょ?」
ぬいぐるみ「もうそろそろさ」
 その先に蔦のカーテンが明るく枝垂れる場所に来て、ぬいぐるみを見ようと横を見ると、驚いて思わず「うおお、」と言っていた。
 そこには凄く格好良い男の人がいて、淡い金髪と青い目をしていた。背も高くて見上げていて首が痛くなったから項を撫でた。
僕「さあ。おいで」
 僕はアイルランド語がちょっとだけ分かる。おばあちゃんのおじいちゃんのそのおとうさんのおかあさんのおじいちゃんがアイルランド人で、僕もそれに興味を持ってアイルランドのことを図書館でよく調べていた。
僕「夏の合宿より一足先にアイルランドにきちゃった」
 男の人は古めかしい服装だ。この人もきっと妖精とかエルフとかそういう存在なのだろう。
 明るい森に出ると、リュートみたいな楽器を奏でて竪琴を奏でる人たちがいてみなで歌っていた。
 光が溶け込んで、とても美しい人たちだ。

★ To doll8-A

 揺れる黄緑色の木々のような瞳、それとそれらに差し込む光の柱のような淡いブロンドの髪。
 彼らは僕を招いて宴が始まる。
 民族的な音楽はケルト音楽で、奏でられるケルティックハープは繊細な指の動きで爪弾かれた。
 この明るい森は妖精や精霊たちが何か記号のようなものを指でなぞり会話しあっていた。
 座る台や柱に彫られているドラゴンや怪魚を象るあの独特のマークとはまた別の、見た事が無いもの。
 彼らにしか見聞きしないものみたいだ。
 それを指でなぞりながら唱えるように歌うように僕も言われた。
 皆がクリスタルのような声で歌い、澄み渡って重なる声は幾重にも折り重なり天へ、そして森へと響き渡って行く。
 浄化されていく。

★ To doll9-A

 深い色をした美しい蝶が舞う姿。
 僕は追い始めた。
 綺麗な旋律が鳴り響く林のなか。
 不可思議な言語の歌。
だんだんと森は深く、木の背丈は高くなったりとても太くなったりしはじめた。まるで幽玄の霊が出てきそうな程の雰囲気に。
 濃密な空気が僕を包む。
 振り返ると、僕は一人になっていた。
僕「あれ……。どこかに隠れたの?」
 僕の声がこだましただけだった。
 また振り返って、見上げながら歩く。しとしとと、時々高い木の葉の上から水滴がぽたぽたと透明に落ちてくる。
 草花は湿り気を含んで苔むして来た。
 見回して歩くと、誰かがいる気配がした。先程追いかけていた蝶はどこへ飛んで行ったのだろう。
 向こうの岩の上に、何かの陰が見えて顔を向けた。
 凛とした眼差しを向けてくる、それはオオカミだった。
 とても深い森の奥で柔らかく長い尾を一振りすると、その長い足元に小さい子供のオオカミが現れて、オオカミはその子供の首をくわえてからすぐにまた岩の向こうへ走って行った。
 その奥のもっと深い深い森へ隠れるように走って行った。
 僕はずっとその光と葉の庇が揺れる先を見続けていた。
 鳥が羽ばたく音に顔を向けると、木の上から木の葉が舞い降りてくる。弧を描いてくるくると。
 顔を戻して巨木の間を歩いて行った。
 しばらく歩くと、河の音がさやさやと聴こえ始めるから走って行った。
 岩場を階段みたいにあっちにこっちに登っていくと、下に河が流れていた。音が大きくなる。
僕「……?」
 僕は河の向こう側に、ここにあるのには不自然な姿鏡を見つけた。
 それは森を映していて、そして、僕を映している。
 なんで鏡があるのだろう? この辺りにはもしかして誰かの小屋や舘がひっそりとあり、そこの女の人か誰かが運び込んだのだろうか?
 僕が僕を見ている。
 首をかしげると、鏡の僕は傾げなかった。
 え?
 鏡には僕以外にもいろいろと映っていた。
 妖精、瑠璃色のドレスの人形、背の高い精霊の男の人、黒猫、そして青い蝶が舞う。
 僕は振り返った。
 向こうで妖精たちは弧になって踊り、そして瑠璃色の人形を囲って花を舞わせている。精霊たちはクリスタルの声で不思議な言語の歌をうたい、ハープや楽器が鳴らされて、黒猫は浮かぶ光を追いかけ飛び跳ねて、蝶は軽やかに舞った。
 そして、その奥に、鏡に映っていたはずの僕がいた……。
 僕は同じ体勢で驚いて背後を見て」また顔を戻すと同じ格好で瞬きを繰り返す。彼らの歌い踊る間際は透明な空気があって。
 もとから鏡など無かった。僕は同じ僕を見ていたのだ。

★ To doll10-A

 その森は高い高い木のうえから雫が落ちてくる。
 僕は遥か上を見上げた。妖精が飛んでいて、小人が笑い話をしている。怪魚は河を何度も跳ねていた。
 向こうでは僕が一緒に踊っている。
 森はなんて不思議なんだろう。
 僕が歩いていくと、同じ顔と同じ背格好で僕がまるで元から双子だったみたいに手を取り合って回った。キノコを担いだ小人や胞子にくしゃみをするドワーフ、精霊は低い声で笑っていた。
 森の魂が宿って形になっているのだろうか?
 全ての森は本当な深い場所で繋がっているのかもしれない。
 僕らは現れたペガサスの背に乗って、天の川を駆け巡る。下に小さなカインを見つけた。カインに手を振り馬は駆ける。
 このままスイスまで行けるんじゃないだろうか。海を越えて、山を越えて。
 僕の望みは空を飛んで、ペガサスは巨大な羽根を広げ風に乗って滑空して行った。眩しいぐらいに大きな月が挙がる。山々を照らして、雪の山をきらきら光らせる月光。そして鋭い頂を越えた。
 僕は丘に降り立った。
 ペガサスは羽根を閉じて、こうべを垂れる。
 冬は雪に閉ざされた山は今の時期は遠くのアルプスを真っ白に染め上げて青くて、そして丘は緑だ。
 僕は駆けていった。
 歌が聴こえる。僕が名づけた人形、エマの声。
 ハミングが聴こえる。
 夜の緑の丘でエマはいた。山ヤギやマーモットと跳ねて踊っていた。
 そして僕を硝子の目で見た。
 会えるんだ。エマにはこうやって、会えるんだ。森と森を繋いで、ちょっとした声に気がつけば……。
 高原は涼しい。ずっと月明かりに僕等は踊る。

スタート★臨海学校★森の奥へ行く★それは茂みの間に光る石だった

僕「綺麗な人形を贈られて?」
カイン「女の人のね」
 静かに僕の心にしまわれた大切な恋心は、いつだって誰かしらのふとした一言でいとも簡単に僕の透明の檻から掴み取られ、心の奥から連れ戻されるものだったんだ。
 それは本当、無垢な顔して見上げてきている。それが恋心であって、あの子の存在のようであって、僕のもう一人の悩める姿。
 粉雪が舞う間際で。
 あの冬のことを思い出して、僕の背は自然とまっすぐに伸びた。
 それは冬の帳もまだ深く深く地を凍らせている季節。
 僕はとある人形と雪原で語り合っては、そして恋をしていた。
 この伸ばした背と共に反射的に頬を染めてしまうこの心を、どうしたらいいというのだろう。
 だって、スイスの地にまでは子供の僕では簡単に会いに行くことは出来ない。
 大人になるまでにあの人形の肖像が心の内に揺らめいていってしまうのはいやだ。
 まるで不動の氷のようにずっとあり続けるならいいのに。
 そうしたら、人形への恋だって誰かに笑われずにいつか本物になるかもしれない。輝ける真実の恋心として。
 小学舎からの帰り路に立ち寄った初夏の緑が揺れる庭で今、僕らはいる。
 二年生の時からクラスメートのカインの家だ。透明の硝子にソーダ水をもらっていた。気泡が弾けてミントの葉が爽やかに薫る。
 泡の立つグラスを透かして光りと影の木漏れ日が揺れる、向こうの芝の鮮やかさ。
 カインは言う。
カイン「日本の親戚のお姉さんがね、モデルになった人形なんだって」
 人形といえば、名前。それが僕は気になって仕方がなかった。
僕「日本人の女の子の名前はなんていうの?」
カイン「瑠璃川 月っていうんだ。英語だと、Moon - River lapis lazuli っていう意味の名前なんだ」
 僕は一瞬にして夢想した。その日本の女の人はきっと、麗しい瞳をして黒くたゆたう長い髪をした人。
 瑠璃色をした雰囲気のよく似合う人なのだと。
 冬の夜も、この初夏の美しい季節だって、それに夏の紺碧の海だって似合うに違いない。
 それが、人形になっているというのだ……。
 カインは緑の森に囲まれる芝生の庭でにっこり笑った。
カイン「ルイ」
 僕は呼ばれてカインを見た
カイン「もう五年生の夏の合宿でどっちにするか決めた?」
 僕らの学校は林間学校ならエジンバラ、臨海学校ならアイルランドまで飛ぶことになっていた。
僕「どうしようかなあ。林間学校か、臨海学校かあ……」

分岐 ★臨海学校3-2

僕「うーん。僕は臨海学校にしようかな」
 もしもアイルランドでの合宿を選ぶなら、去年スキー教室に参加した人以外はパスポートを作るようにと先生にホームルームで言われていた。
 もともと僕はパスポートは持ってるからいいんだけれど。
 それに、海で泳いだり、キャンプを張ってバーベキューをしたり、砂浜でボールスポーツを愉しんでもいい。
 アイルランドの海は夏でも冷たいから、思い切り体育をしまくっていれば、さっきのカインの話で思い出した恋の思い出も癒されるかもしれない。
カイン「エリスも臨海学校って言ってたなあ……僕も海の合宿えらぼうかな」
 エリスはカインが好きな女子だ。
 どこかぼうっと笑っている子で、冬に行ったスイスのスキー教室でもカインが彼女に付き添って滑り方を教えてあげていた。
 僕はというと、そのスキー教室で出会った人形とずっと話していたのを思い出す。
 ロッジに置かれていた人形で、青い目をしていた。それは、深い海を思わせる。
 だから臨海学校を選んでたのかな。今はスキーシーズンではなくてその人形に会いに行けないその変わりに。

★ To doll4

 僕らは芝生の広がる庭を囲う森を歩くことにした。
 この時期は大きな広葉樹が揺れる下ですごすのが丁度いいこともあるし、ピクニックとか森を歩くのも楽しい。
僕「きっとエリスは泳げないから、一緒に泳ぐの教えてあげなよ。そしたらまた仲良くなれるんじゃない?」
 木漏れ日の下を歩きながら頬をうれしそうに微笑ませるカインを小突いて笑った。
 心では、自分には手に取れる場所に好きな子がいないことを考えていた。
 見上げる空は時々葉影から切り抜かれると深い青に見えて、海の色やあの人形の瞳の色に似ている。
 僕らの恋はカインの方は叶うかもしれなくても、僕の方は……夢か現かも不確かな相手なのだから。
 僕らはマザーグースの森の歌を歌いながら歩いた。
 僕は少しぶっきらぼうになって歌っていたのかもしれない。
「  森の中のジプシーと
   My mother said that I never should,
   遊んじゃダメと母さんは言った
   Play with the gypsies in the wood,
   森は暗く 草は緑
   The wood was dark; the grass was green,
   タンバリン持ってサリーが来た
   In came Sally with a tambourine  」 ※歌詞・マザーグースより引用
 まるで僕の気持ちはタンバリンを打ち鳴らして心を誤魔化そうと必死になるように焦っていた。
 というよりも、タンバリンみたいに心は早鐘を打っていた。足元は乱舞してるわけでも無いのに視線は今の僕を取り繕うようにキョロキョロしていた。
 きっと、みんなちゃんとした恋する相手を見つけるんだ。海に行って気を紛らわそうとするんじゃなくて。
 それでも初夏の森は僕を優しく包んでくれる。
 緑の蒸せる小川がくねって流れるところまで来ると、いつもはその横の小屋から釣堀を出してくる。
カイン「今日は小川を飛び越えてもっと先に行こう」
僕「森の先に行くの?」
 僕はあまりこの奥までは行った事は無い。カインの家の森だし、僕の家はかなり離れているから。
 一体どうなっているんだろう。たしか、泉がどこかにある話は聞いた。それに、洞窟もずっと先にあるって聞いたことがあった。

分岐 ★森の奥へ行く To doll5-D

 僕らは森の奥へ進んで行く。
カイン「この森はね、けっこういろいろあるんだ。少し広めのステップが三箇所ぐらいあって、その一つはアスレチックがあるし、テントを張れるところもあるよ。洞窟には動物が住みかにしてるから近づかないけどね」
僕「それは楽しいね」
 僕があまり元気が無いから、カインがマザーグースを歌おうと言った。
 僕らはまたマザーグースを歌い始めた。
「 おサルが一匹 木の上に上った
  地面にいるのは 落ちたからさ
  カラスが一羽 石の上に止まった
  飛んじゃったなら もういないのさ
  おばあさんが一人 アップルをかじった
  二つ食べたら カップルさ
  お馬が一頭 水車小屋へ走った
  走ってる間は 止まっていないさ! 」 ※歌詞 マザーグースより参照
 進んで行くと、変わった形になった巨大な木がたくさんになってきた。
 根っこや幹がうねっていたり、いろいろな種類の葉が枝垂れるほど重く下がって来てたり、その間をカーテンを潜るように進んで行くのは楽しい。
 蔦が蔓延る岩や、幹、それに上から花を付けながら垂れ下がる蔦。その間を通る毎に花の甘い薫りを愉しんだ。
カイン「蜂には充分と気を付けてね。蛇もたまにいるから。蜂はブーンっていう音がするけど、蛇は無音だから。気配がするときはあるんだけど」
 どんどん深くなって行く森。大木が寿命で倒れたところには苔がびっしり生えて、その場所は明るい陽がさしていろいろな昆虫が歩いているのが見える。
僕「ねえ。カイン」
カイン「なあに?」
 歩き足も速いカインに合わせながら歩いていたけど、時々みたことが無い花がぱっと咲いていたりすると僕は足を停めていたのをカインに駆け寄った。
僕「鬱蒼としてきたけど、大丈夫なの?」
カイン「心配ないよ! 森番が目印をしっかり木に付けてあるんだ。それを辿って行ってるの。ただ、宵になる前には絶対に戻らないといけないけどね。それにここは僕の庭でもあるんだから、心配すること無いって」
 僕は頷きながら白い半袖シャツに膝丈パンツを支えるサスペンダーがかかるカインの背を追いかける。
 カインに花の名前や鳥の鳴き声の名前を聞くと、手短に教えてくれる。昆虫の名前にも詳しかった。
僕「あ。蝶だ」
 庭でも見かけた蝶がここでも美しい羽根を翻している。
 森に時々差し込む眩しい光りに空かされた薄衣に魅せられる。
 薄い水色の野花を見つけると、そちらへ行って蜜を吸い始めた。その花にもてんとう虫や蜜蜂、いろいろな昆虫が蜜を吸っている。
 いよいよ鳥の声は甲高くなって来て、涼しくなってきた。
 僕の気持ちは不安になってきたけど、少しずつ明るくなってきて、僕は走ろうとした。
カイン「待って! いきなり茂みに入ったらだめだ! 蜂の巣があったら刺激してしまうから。今の時期は巣を作りはじめていて小さいから目立たないし蜂も近くには少ししかいないから目立たないだけ。気を付けてあげて」
 僕はすぐに立ち止まると、カインについて行って茂みが一部だけ途切れた箇所を抜けて歩いて行った。
僕「アスレチックだ!」
カイン「遊ぼう!」
 結構難易度が高いアスレチックに僕ははしゃいで走って行った。さっきまでの不安は薄れていた。

★ To doll6-3

 大木から大木につり橋がぐるりと渡っていたり、木の上に大きな鳥箱みたいなのがあったり、長さの違うブランコからブランコに掴まり乗り移ったり、上から垂れ下がる縄を登るのを競ったりした。
 もちろんカインが勝ったけど、上まで来ると葉の屋根の先に揺れる青空が眩しくて、鳥達が飛んでいる。それで僕の頬をゆらゆらと白い光りが眩しく射した。
 縄を半分のところまで来ると身体を大きく揺らして向こうの台の上まで飛び乗った。カインは他の縄の所まで大きく揺らして短い縄、長い縄へと移っていく。
 台から梯子を登って行って、大きな木の上から太い幹の周りをぐるぐると降りていく滑り台を勢いよく下っていって、その間にも枝垂れたいろいろな蔦や葉枝が僕の頬を撫でて、いろいろな薫りを放つ花の薫りが風に乗って鼻腔をくすぐった。
 草地まで来ると蜘蛛の巣を縦横無尽にしたような立体の縄をカインと競ってあべこべに登ったり降りたりしていき、一番上の旗の所まで辿り着くとそこに停まっていた鳥が移動して行った。
 その旗の場所の上に来ると見晴台になっていて、森が一望できる。つり橋を渡っていくと、滑り台の所まで来たから滑っていくと、森を縦横無尽に駆け巡る滑り台で僕はきゃはははと笑いながら滑って行った。
 そしてその先の縄トランポリンに飛んでいくと、僕はその格子縄の先に何かを発見した。

分岐 ★それは茂みの間に光る石だった To doll6-3

 その光る石はまるで草に咲いている濃い色の花が陽を受けて光っているようにも思えて、僕はそこへ駆け寄っていた。
草の間に光るその石を拾いあげた。
僕「?」
 背を伸ばすと、その珠はいろいろな色の石があってたくさん落ちている。まるで、ストロベリーだったりラズベリー、ブルーベリーやクランベリーのかの実が木から熟して草地に落ちたかのように。
カイン「ルカ? 何かいたのか?」
僕「綺麗な石がいっぱい落ちてるんだ」
カイン「え? 本当? ドワーフやノームでも現れて落として行ったのかな」
 カインが笑いながらやってきた。
僕「あ、ほら! あっちにも落ちてる。行って見よう!」

★ To doll8-B

 綺麗な石を拾い集めていく。僕らはそれでどんどんと森の奥へと入って行った。
 我も忘れたようにはしゃいで石を拾って行っていたから、いつのまにか自分がどこにいるのかが分からなくなっていた。
 そして、まさか暗くなりはじめていた事さえも。
 カラスの鳴き声で我に返って、辺りを見回した。夕暮れ色の空はもう宵に突入する暗い色に差しかかっていた。
僕「カイン?」
 すっかり暗くなっていて、どうしたら良いのか分からなくなってしまった。
僕「どこ?」
 森は静けさが横たわっていて、どんどんと夜は深みを増していく。
 僕は走った。綺麗な石もそこに散らばって。
僕「どっちから来たっけ? どこから?」
 走りながら見回す。どこだろう。
 バシャン
 いきなり驚いて水飛沫が上がったから立ち止まった。
 咄嗟に尻餅をつくと、暗くて分からないけれど池か何かがあるみたいだった。
カイン「よっと、ああ、冷たい。必死で走って宝落ちちゃったよ」
 カインの声がした。僕は走って行こうとしたけど足が動かなかった。カインの声はいきなり驚いたことで低くなっていた。
 誰かを引き上げている。その誰かを連れて歩いて行ってしまう。
 僕も追いかけて走った。
僕「カイン。その子誰? 待ってよ!」
 カインはその子をとにかく速く連れ戻したいのか、きっと庭のある方へ森を突っ切っていく。
 僕はしばらくしてアスレチックのある場所に戻った。一安心したけど、暗くて足元の遊具に気づかずに転んだ。
僕「うわ!」
 うなって目を開けると、そこは明るく戻っていた。
 あれ。昼に戻ってる。
僕「おかしいなあ」
 さっきのはカインだったはずなのに、もしかして僕をここまで連れ戻してくれた森の精の化身だったのだろうか。
カイン「ほら! こっちにも美味しそうな実が落ちてる」
 カインの方を見た。すると、さっきまでは確かに色が着いた石だったはずが、木の実になっていた。それを拾い集めている横で小鳥とかもそれをついばんで飛んでいく。
僕「あれれ。おかしいなあ……」
 カインは十個ほど手に集めると、それを食べながら戻ってきた。
カイン「丁度良いおかしがあったな」
僕「うん」
 僕の手は空になっていた。さっき白昼夢で驚いて綺麗な石を落としてしまって。

★ To doll9-B

 カインは庭にも植えると言っていくつかの種類の実をハンカチに包むとポケットに入れた。
カイン「秘密基地にテントセットがあるんだ。それに望遠鏡もあるあら、今日は夜泊まって行って星見ない? この分だと今宵は星が綺麗だよ」
 僕はその秘密基地がある木の上に梯子で登って行った。テント作りはボーイスカウトで慣れてるからお手の物だった。
 いろいろな物が揃ってて、カインは縄を締めながら秘密基地からテントや道具をつるして下ろしていった。僕は下で待っててそれをほどいた。
 箱にはキャンドルやジッポーやナイフ、カゴには食器と瓶詰めの保存食やドライフードが入っている。
 地面にある箱小屋をあけるとマウンテンバイクが入っていて、それに乗ってメットをかぶると森を駆け抜けた。
僕「泉だ!」
 夢に現れたあの泉とは違う泉だった。それか暗がりで見えなかっただけかもしれないけど、その泉は森に幾つもある。数えると五つぐらいあって、其々が青い色味が少しずつ違った。深さが違うんだろう。透明な泉は僕の立てるぐらいの深さだった。
 僕はマウンテンバイクを停めてカインを振り向いた。
カイン「夏になったら泳げるよ。一番青い所は到底足が着かないけどね、でもパパが少年の頃にもぐっていったら、人魚の形の石造が沈んでいたらしいよ。我が家のちょっとした伝説になってる」
僕「どんな伝説なの?」
 カインはその泉が全て見渡せる、いろいろな種類の山の花が咲き乱れる花畑にいくつか布石のようにある小振りの岩に座りながら語り始めた。
 元々森には目印としていろいろな種類の石造が置かれていたらしい。妖精やドラゴン、グリーンマンや小人、ペガサスなど。洞窟への目印、奥にある石造の涼室への目印もいろいろとあった。水場の近くはやはり怪魚や水鳥、それに人魚。
 それらの内の人魚がある日、海に帰りたがって毎夜寂しげに美しい声で歌を唄い、森から家にそれが響いていたという。始めは正体も分からなかったそれを少年時代のカインのパパと兄弟はよく冒険に出ていたそうだ。
 月夜に聴こえる声に、もしかしてオオカミが遠吠えをあげているのがそれに聴こえるんじゃないかと言われ始めていたのをカインのパパがいつもの探検で泉まで来ると、何故かもう少し離れた場所に目印で置かれていたはずの人魚が置かれていて、驚いて森番の小屋に行ったと言う。
 そしたらその森番はまさかそんなはずはと笑って信じてくれなかった。誰かの悪戯だろうと。なので兄弟は真意を確かめるために夜に茂みの先にテントを張って、寝ずの番で葉影の庇下から石造の人魚を見張っていた。
 だがやはり兄弟は眠ってしまい、何かの歌声で目を覚ますとすぐに人魚を確認した。しかし、その時には既にあの人魚の石造はどこにも見当たらなくなっていた。
 そこで兄弟は興奮気味に語り合い、月の明りが充ちた刻に石造が解けて生身の人魚になって、美しい尾を引きづりながら少しずつ泉へ近づいていって、そして海と錯覚して入水したのだろうと。月に照らされた青白い肌はきっと美しかったに違いなく、あの先ほど聞いた歌声はよろこびの唄だったのだろうと。
 結局人魚の真相は不明でその後見当たらないまま、二年後にカインのパパが泉で遊んでいた際に潜って行ったらまさかの石造を見つけ、その形は明らかに幼い頃から見ていた人魚の体勢とは違ってまるで泳ぎ回るかのような姿だったので本当に驚いたのだという。
 その時の唄は言葉というのではなく、木霊するようなコーラスにも聞こえたから、仲間が泉で繋がって呼びに来ていたのかもしれないし、洞窟の何かの生き物が歌って声が反響していたのかもしれないとも言われていた。
僕「石造は今は目印にはなっていないんだね」
カイン「森番が息子に代替えした時に他の所にある大き目の公園とその横の林に運び込んだんだって」
 僕は泉を見渡した。水面は風が撫でていくと心を持って生きているみたいだった。
カイン「人魚だけ、やっぱりここに閉じ込められたままなのさ」
 僕はカインの横顔を見た。風で眩しいブロンドが揺れて、湖面の光りが反射する頬ま真っ白くて、光る目を細めている。
カイン「さっき月お姉さんの人形の話したときのルイがちょっと頬染めたみたいにさ、僕もここの泉の人魚に思いを馳せてたことがあったんだ」
僕「えっ」
 僕は両手で口をおさえカインを見て、カインはそんな僕がドン引きするのを見て笑って小突いてきて僕も笑った。
僕「なーんだー。知られてたんだ」
カイン「独り言喋ってたからなあ。前から変な奴だって思ってたんだ。立ちながら眠ってるし人形と話してるししまいにはこの前は給食に瓶詰めの食べ物五個もどんどん出してさ、食べはじめてて、笑ったよ」
 カインが立ち上がると伸びをした。
僕「引き上げてあげないの?」
カイン「もうその頃から何十年もたってるんだ。大変なんじゃないかな。砂もさらさらしてるだろうし、既に埋まっちゃったかもしれないよ。泉は沸き続けているんだからね」
僕「じゃあ、泉の底を通っていつか海に帰ってたかもしれないね」
 カインが頷き、微笑んでから「そろそろ戻ろう」と言った。
 僕らはマウンテンバイクでカインが言う場所に走らせて行って、大きな木に辿り着いた。そこではしゃぎながら木登りをして競争した。
 戻るとテントを組み立てた。元からあるティッピー型の布テントはいろいろなおもちゃとかが入っている。
 カインはさきほど森番の男の人に言ってきたみたいで、瓶詰めやドライフード以外にももって来てくれた。
森番「ああ、その話かあ。親父もよく俺を脅かそうと言って来てたな」
 森番は僕にもカレイドスコープを見せてくれて三人で箱に入ったいろいろな種類を回してみていた。
僕「じゃあ、人魚以外でも何かあったの?」
森番「洞窟に行くまでにいたペガサスが夜の森の上を飛びまわる話を先代の奥方から聞いていただとか、だんな様の趣味小屋からランタンが見当たらなくなってると思うと枝に吊るされていてその下には小人の石造があったりしたらしいよ」
カイン「僕が生まれて数年後に石造が公園に映されて、変わりにパパがこのアスレチックを作らせたんだ」
森番「その時は俺も張り切って作ったよ。ここ楽しいか?」
僕「楽しい!」
 森番はうれしそうに微笑んだ。
 夜は星が見え始める時間。動物たちの鳴き声の種類も変わってくる。流れ星が幾つも駆け巡って数を数えあった。それは天の川を森から見上げていたら、ペガサスだって見えたって不思議はない。今にも青い陰が射す森を純白の馬が羽根を閉じ静かに現れて、こちらを見つめてきても不思議じゃなかった。
 少し霧が出始めたけど、どれぐらいかしたら流れて行った。葉に落ちた露は月を背景に光り今にも滴る程だ。花の密かな陰には乙女の妖精が隠れて思われる。
 僕らはランタンを囲って話し続けた。眠くなるまで。

★ To doll10-B

 緑が揺れる世界。僕は目を奪われて、佇む瑠璃色の着物の女性を見た。
 ゆらゆらと柳や楓、白樺や小楢、ケヤキの葉が重なり合って明るく揺れる。太陽の陽が斜めに差し込んで、彼女はいた。
 一瞬で蘇った。ムーン・リバーラピスラズリの名前が。
 今日は火曜日。カインの家にまた遊びにやってきたのだ。すっかりカインの家の周りに薔薇が咲きはじめていた。
 薔薇色の頬の女性は光沢を浮ける長い黒髪を下ろしていて、まばゆく光る大きな目をしている。顔立ちはカインのママに少し似ていた。黒髪と黒い瞳をして若くなったカインのママという感じだった。
月「カイン。お久しぶり」
カイン「あれ……月お姉さん! イギリスに来たの?」
 僕はうれしげに笑うカインを見た。何故なら、なんて言っているのか分からなかったから。
カイン「僕の友達のエド・ルイ」
 僕の名前が呼ばれたから、自己紹介をした。
僕「僕はエドワルド・ルイ・フォードです」
 綺麗な女の人は英語で話してくれた。
月「カインの従姉の瑠璃川月です。はじめまして、エドワルド」
 僕は満面に微笑んで握手を両手でかわした。
僕「カインからお話し聞いてて、会いたいと思ってたんだ。その日本の服、とっても綺麗ですね」
月「どうもありがとう。お人形を差し上げたお礼にと、本日頂いたの」
カイン「月お姉さんの人形の衣装は、ママが大切にしていたドレスをリメイクした時の残り布をいただいて製作したものだったんだ」
 瑠璃色のその着物は、新月から下弦の月、半月、上弦の月、満月が挿絵で描かれて、たゆたう水流の渦巻く文様が入っている着物だった。深いこげ茶色の帯はまるで樹木の幹みたいで、黒い帯締めは薔薇の帯留がしてあった。漆塗りの
下駄が緑の草花に映えて、鏡みたいに映している。
月「カインにね、これを持ってきたのよ」
カイン「わあ、何?」
 月は日陰に置いてあったものを持ってきた。僕も覗き込む。
月「紅葉の苗木。今の初夏は美しい新緑でしょ?」
カイン「ありがとう! ずっと楓の同じ種のこれが気になってたんだ。京都や寺院によくあって綺麗だったから」
月「ふふ。よろこんでくれると思った。あなた、木が好きだものね」
 カインが横の僕を見た。
カイン「一緒に植えよう。森番に教われば植え方を教えてくれるよ」
僕「うん!」
 可愛い葉をつける苗木を掲げ見た。
僕「子供の木だから葉も小さいの?」
月「紅葉はこの葉の大きさのまま、高く横に広く大人になるのよ。楓とはまた樹形が違うの」
カイン「種はよく似てるんだ」
 僕らはカインが森から呼んできた森番と一緒に道具を用意して紅葉の苗木を植え始めた。月さんは着物が汚れてしまうといけないから、テーブルセットで僕らのために日本のお茶をいれてくれている。
カイン「ママの姉妹が嫁いで行った時、プラタナスとメタセコイアの木を日本の家の庭に植えたんだよ。日本の庭師さんは洋木の管理の勉強もしたみたい」
 カインの家の若い森番は言った。
森番「俺も日本の庭をモチーフにしたボタニックガーデンに親父に連れて行かれたことがあったんだが、その時から日本の木の勉強もしてたんだ。イングリッシュガーデンに植えるなら、紅葉は色が変わるから黄葉するプラタナスや楓は陽樹だがその間に植えると色合いも良い。日本とは気候が違うから紅葉の色づきに差は出てくるんだけどな。水と半日陰を好むから、これらの高木の横なら丁度夏も陰になるからね。グランドカバーになる草花も地面を覆ってるから良いんだ」
 カインはそれらのことをよく聞きいて頷きながら苗植を手伝う。スコップで穴を掘って植えると、森番は森で見かける苔も持ってきて苗木の周りに移植し始めた。
カイン「紅葉はね、赤、橙、黄、黄緑って同じ時期同じ木でグラデーションを楽しめるから、葉も細かいし綺麗だよ」
森播「幼木も黄葉するから今年の秋、だんだんとゆっくり移り変わる様を見るのも良い」
 僕らは背を伸ばして小さな苗木を見た。
僕「可愛いね」
カイン「うん」
 僕らは月さんを振り返った。彼女はうれしげに微笑んで僕らの横の苗木を見た。そしていれてくれた新緑色の日本茶をいただくことにした。甘いお菓子も。黒い練り菓子が入っていて美味しい。それはあんこだと月さんが言った。
 テーブルセットでお茶を頂きながら、森を背景にする苗木はゆるい風に吹かれて揺れていた。木漏れ日を浴びて……。

DOLL ~Louis and doll~

DOLL ~Louis and doll~

初夏。イギリス。少年ルイは友人カインの家の庭でとある美しい人形の話を聞く。人形に興味を持ったルイは森や庭でロマンティックで不思議な体験をする。大人はもちろんのこと、児童向けでもあります。 ※本作は2015年5月に分岐型サウンドノベルとして発表された作品のノベルバージョンです。ルートは全9通り。エンド種類は4種類。タイトルに分岐内容を書きました。(一つのルートは10分程度で読める長さです。)

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-02-28

Copyrighted
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Copyrighted
  1. スタート★林間学校★カインも林間学校★人形が僕を見て微笑んだ
  2. スタート★林間学校★カインも林間学校★人形は薔薇のベッドに倒れた
  3. スタート★林間学校★カインは臨海学校★また眠りへ戻る
  4. スタート★林間学校★カインは臨海学校★部屋を出る
  5. スタート★臨海学校★森の奥へ行かない★僕はそのまま倒れこんだみたいだ
  6. スタート★臨海学校★森の奥へ行かない★僕は立ち止まって膝に手をついた★紅い急須に入れられた甘酒を着物
  7. スタート★臨海学校★森の奥へ行かない★僕は立ち止まって膝に手をついた★僕はふと目を覚ました
  8. スタート★臨海学校★森の奥へ行く★それは木と茂みの間にある洞穴だった
  9. スタート★臨海学校★森の奥へ行く★それは茂みの間に光る石だった