休日、空白

すごろく

 ぼけっと薄汚れたベンチに座っている。夕暮れ時の公園。まだ肌寒い季節。
 俺はぼんやり眼前の光景を眺めている。中央で小学生くらいの子どもたちがドッチボールをして遊んでいる。ブランコには子どもではなくて、定年したてくらいの初老の男が腰かけてカップ酒を飲んでいる。ジャングルジムと滑り台には誰もいない。砂場には赤いプラスチックの小さなスコップとバケツが取り残されている。左隣のベンチにはホームレス風の中年男がいびきを掻きながら眠っていて、出入り口では立ち塞がるように近所の主婦だか遊んでいる子どもたちの保護者だかが井戸端会議に興じている。背後がやけにうるさいのでちらりと振り返ってみれば、木陰でサラリーマン風の男が携帯電話を耳に当て、表情を歪めさせてしきりに大声で謝っている。犬を散歩する老人が目の前をゆっくり横切っていく。
 兄貴はあのケバい女と一発ヤれたかな。今朝のことを思い出しながら、ふと思う。
 日曜日、兄貴は両親がたまたま仕事の都合で二人とも家にいないことを利用し、彼女らしき女を家に連れ込んできた。ずいぶん化粧がケバい老け顔の女で、どうにも兄貴と同い年には見えなかった。しかし、どうやら両親がいなくとも俺がいることは念頭に置いていなかったらしく、如何にも「出ていけ」と言いたげな嫌そうな目で俺を見てくるものだから、俺は居心地が悪くて特に何の用事もないというのに出かけざるを得なかった。他人の家だというのに、兄貴が引き連れてきたそのケバい女も似たような目で俺を見たので、まあ似た者カップルというかなんというか、兄貴にはあの程度でお似合いだなとは思った。
 俺の兄貴は中学生まで野球部で丸坊主にしていたくせに、高校に上がったら急に髪の毛とかを伸ばし始めて、おまけに毛先とか染め出したような男で、どうせあの女が初めての彼女がなんかだろうと思った。別に彼女ができて多少弟にでかい顔をしても可愛いものだとは思うのだが、家から追い出したりするのはやめて欲しいものだ。まあ家族が一人でもいると困るのだろうけれど。俺だってそのくらいはわかる。別に兄貴があのケバい女とどういう行為に及ぼうと興味はないのだけれど、兄貴の心情的に俺がそれを見たり聞いたりするかもしれない可能性が一ミリでもあることが許しがたいのだろう。
 そういう兄貴の気持ちを汲んだからこそ、嫌々ながら家から抜け出したわけで、兄貴には多少なりともこの弟心を理解して欲しいと思うのだけれど、あんな男にそんな期待を持っても仕方ないなということは重々承知なのである。
 兄貴に家から追い出された俺はそこらへんをぶらぶら歩きまわり、本屋に立ち寄ったりして時間を潰し、昼飯はコンビニでおにぎりとかを買って済ませ、また昼もぶらぶら時間を潰し、それでもう歩くのにも飽きて今こうやって公園のベンチにぼーっと座っていた。
 暮れていく太陽を拝みつつ、無駄な一日を過ごしたなあと思うのだけれど、よくよく考えてみれば、無駄でない休日を過ごした記憶もないと思わなくもない。家にいたところでどうせインターネットで動画をだらだら観たり、飽きて寝たりするのが関の山なわけで、そういういつもの休日と今日は大差ない気がした。運動になったぶん今日の方がましなくらいだ。
 学校のクラスメイトには、部活動に励んでいたり、塾に通っていたり、インターネットにブログ記事や絵などを投稿しているやつがいる。ああいうのはすごいと思う。皮肉でもなんでもなく、純粋に。俺にはそんなことをするエネルギーも気力も発想もない。何よりも興味や関心がない。兄貴にはよく「朴念仁」とからかわれる。「何をやっていても楽しそうじゃない。生きていることが楽しそうじゃない」そう言ってきたのは誰だったか。別に俺にだって楽しいことはある。好きなものもある。人並みに欲だって持っている。ただ単純に、のめり込めないだけだ。ある程度のところまでは入れるけれど、ある地点まで到達してしまうとその時点で飽きて引き返してしまう。ようは根性だとか根気だとかそういうのが致命的にない。例えば俺はゲームがあまり好きではないのだけれど、その理由というのが少しでも攻略に詰まったりすると面倒くさくなってもういいやと放り出してしまうからで、こういうところが俺の「楽しそうじゃない」風に見える理由だろうと思う。
 かといって、それを変えようとは思わないし、変えられるとも思えない。人には生まれ持った性質というものがある。そんな簡単に捻じ曲げられるものでもない。それに、誰も人生は楽しそうにしないといけないものなどという規定は作っていない。みんなそういうものだと勘違いしているだけだ。楽しそうにしている風に見えないやつは、何も楽しんでいなくて、もしかすると極端に死にたいと思っているなどと間違った思い込みをしている輩もいるかもしれない。生きたいとか死にたいとか、そんなにどっちかを思ってないといけないのだろうか。大体の人間は中間ではないのか。普段は何も考えていなくて、死ぬような目に遭えば生きたいと思い、生きるのが恥ずかしくなるような想いをすれば死にたいと思う。生きたいでも死にたいでもなくて、生きたくも死にたくもないというのが正しいのではないか。
 そんなことを考えて、俺は内心苦笑いをする。なんだ、哲学者かなんかにでもなったつもりか。こんな言い訳を思案する頭があるなら、英語の単語だとか古文の文法だとか数学の数式だとか歴史の年表だとか、そういったものを脳みそに叩き込んだ方が遥かにましだろう。
 あたりがすっかり暗くなっていくにつれて、公園の人影も一つ一つ消えていく。ドッチボールをして遊ぶ子どもたちが蜘蛛の巣を散らすように帰っていき、それに伴って公園の出入り口を占拠していた主婦たちの姿もなくなる。ブランコに座っていた初老の男はふらふらした危なっかしい千鳥足で出ていき、何やら下痢でもしているような顔のサラリーマンは小走りで飛び出していった。弱々しい街灯のあかりが点滅するころには、俺と左隣のベンチで眠り続けるホームレス風の中年男だけが公園内に取り残されていた。それと相変わらず砂場に放置されているスコップとバケツ、ブランコのそばにはあの初老の酔っぱらいが置き忘れていったカップ酒の空の容器が佇んでいた。細い風がびゅっと吹き付けてきて、くしゅんとついくしゃみが出た。鼻水がつーっと垂れてきて、しかしポケットティッシュも持ち合わせていないので、服の裾で拭って誤魔化した。
 そろそろ帰ってもいいだろう。このままこのベンチに座っていても風邪を引くだけだ。
 俺は一時間くらい座ってすっかり重くなっている腰を、もうそこそこ歳を取った老人みたいにのったりと上げ、亀みたくのろのろした足取りで公園から出ていった。
 公園の出入り口まで到着したところで、ふとまた振り返ってみたけれど、最後に残ったホームレス風の中年男が微動だにしない姿勢で眠りこけているだけだった。
 家路につく。耳元を何かの虫の羽音がかすめていく。どこかの家からカレーの匂いや焼き魚の匂いがする。赤ん坊だか発情期の猫だか判別つかない鳴き声が聞こえてくる。自転車を漕いでいる人やマラソンをしている人とすれ違う。歪な半月が雲に隠れたり出たりする。
 何の発見でもない。感動もしない。退屈な日常の隙間。空白。
 家に帰れば飯を食うだろう。そのあとは風呂に入る。テレビを観て、眠くなったら眠る。明日にはまた学校に行く。そうすれば空白は埋まる。でもまたこんな風に、無駄な時間を過ごすとき、暇を持て余すとき、生きたいだとか死にたいだとか気取った言い訳に頭を使うとき、この空白を実感する。だからどうということはない。そういうものというだけだ。
 自宅のあかりが見えてくる。母の自転車と父の車が駐車スペースに停められている。
 兄貴はあのケバい女と一発ヤれたかな。もう一度そう思った。

休日、空白

休日、空白

  • 小説
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