恐怖”煉”愛

 どうやらお前は嵌っちまったようだねえ。
 えぇ? そうだろう。この”れん愛”に。
 なあに、ちょっとしたことで誰しも見つけて嵌っちまうもんさね。
 先刻も、ふって闇に魅入られた何処ぞのお嬢さんが、黒紅の夕時に江戸傘も落として、まるで桔梗でも見つけた時みたいに陰に見入って、落ちて来たんだ。
 ここは、それらの何かに囚われちまった心を集めた檻。だあれも出て行きたくはなくなっている、まあるい、棘が一杯の、鎖に雁字搦めにされた、だからこそ誰も触れられやしないし、囚われた煉愛人等も出てきたがらないような、眼下に紅い花畑の広がる居心地のいい場所なのさ。
 膝でも抱えていなよ。そうすりゃ、夜空と原で鎖で繋がれてる宙の丸い檻の上に停まる鷲も、お前さんを見下ろすだけで、わらわらと笑って飛んでいっちまうんだから、なあんにも恐れることなどない。
 集めて着物の袷に溜め込めばいいさ、舞い降りた鷲の羽根、鴉の羽根、どれも、あんたが忘れて行った記憶を辿るための札のようなもんさ。
 憐愛、廉愛、漣愛、煉愛、様々なレン愛をして来たのだろうさ。
 そんなもの等に疲れちまった人間が、ふと、ここに嵌っちまうんだとさ。
 若い頃、アタシもついと嵌っちまったもんだよ。今じゃ、ここの看守みたいに花の下で女郎蜘蛛やっては巣を張ってるがね、元は蜘蛛じゃなかった。前の魂の女はね。
 それじゃ、アタシの若い、人間だったころの記憶でも話そうかね。
 それとも、あんたが嵌った恋の巣を聞かせておくれよ。
 今はアタシや、あんたの方に興味がある。

 わたくしは、夜ヶ観 アイ子と申します。
 今ではこんなに視野に花を戯れ、爪先で鴉の羽根を花札のように集めて数えていますが、それまでは列記とした奉公人、たった一人の屋敷の女中でした。
 夜ヶ観は、明治の今の世に細々と血を受け継いでは男は屋敷へ婿に、女は大きな所へ奉公に出ることで、どうにか夜ヶ観は名はアイ子とわたくしも受けて生きておりました。
 女郎蜘蛛さんが教えてくれたように、この煉愛檻に嵌るちょっと前、お屋敷の庭で箒を手に掃き掃除をしていたんですけれど、古い女中が畳で座って縫い物をする姿を端に、彼女から見え無いところで、わたくしはお屋敷の奥様を、ただ見つめていたのです。いいえ。未亡人なのですよ。けれど、このお屋敷でお生まれになったのです。婿養子に入った旦那様は、わたくしの知る範疇ではなく、既にいなかったのです。
 古い女中はわたくし等を取り仕切る役目もあって、もの厳しい人でしたから、恋愛なんぞはご法度。彼女に聞けば、わたくしも知らない旦那様のことも知れるものですが、何しろ興味はなかったもので。
 女が女に恋をするのかと? ええ。なんにもおかしい事ではございません。夜ヶ観家のいた村は、町へ降りてくるまではその村の地主だったのですが、そこでは村人調節の為に女同士だって恋愛は許されたんです。子を産んでいいのは村で決められた女数名、二人まで。それ以外、皆が家を手伝ったり、手分けして老人や子供の面倒を見るんです。
 ええ。お山の狼と同じですね。狼は一匹の雄に数匹の雌がいて、その一匹の雌が子供を産む事を許されて、他の雌が餌を持ってきたり、子供の面倒を見るんです。お山で節度を守るためにね。
 わたくしの村も節度を守っていたのです。
 それで、町に出てからも、夜ヶ観家は村の風習を守っておりました。
 わたくしが生まれたのもその町にある屋敷で、例に習って奉公に出されたのです。それまで、愛だ恋だ御大切は、稚児のお遊び程度もございませんでした。毎日お裁縫の練習、竹笛とお琴の練習、お唄やお花のお稽古を姉としてたんですけれど、わたくしは儀式に選ばれずに姉が選ばれましたので、わたくしだけが奉公人。それが数え十のころでございました。
 それからもう、五年が流れたのでございますが、それも、奥方が未亡人になられたんで、お相手で話をする聴き子が欲しいとのことで、わたくしが入ったの。
 奉公先のお屋敷は、合川家といって、江戸から続く織物問屋さん。今じゃ、百貨店に大きなお店も構えて、西洋のお客様や大使様方に大層に気に入られて、ちょっと名も知られてるのですよ。
 分家が色染めをして、そして織って、独特の絵柄もたんと考案して、江戸の時代はお殿様にも献上されていたのですって。なんだか難しい独自の染め方があるようで、友禅も、それに織る色の絹や仕様も素晴らしいのよ。
 けれど、それを奥方はいつもは最低限に地味なお色ばかりを召しているの。
 それは、社交にお出でのさいはそれは見事な、合川の奥方に相応な美しい合川の着物をお召しになるのよ。それに、お店に出られる時は、また上品なもの。
 なのに、お屋敷では「そんな派手なのは好かないの。こちらで充分」と、草で染めたものを着てらっしゃるその清楚さ。それがね、かえってとってもお色があるのよ。彼女自身の色香が、じかに現れて、なんともいえないなまめかしさを観ぜずにいられなくて。
 わたくしのことなどは髪結いなど解かせて、今の女学校のお嬢さん方のように髪を下ろさせることを奥方はお好みで、わたくしは頭に紫のリボンが似合うからと、特別に染めさせてあるもので飾らせていただいて、とても光栄に尽きるのだけれど、女中の一人でしょ? 他の方々には申しわけなくて。
 いいえ。わたくしだけが可愛がられてるんじゃありません。他の女中も、撫子色のリボンや、結い髪に朱鷺の形の簪や、桔梗の愛らしい帯留めを頂いて、いつも身につけているの。ただ、紫といったら高貴な色なのだもの。それは、わたくしも心くるしいことお分かりでしょう?
 それを聴いて、お分かりかもしれませんけれど、そうなの。奥方は若い女中たちを集めて、離れで鑑賞することを好んでらっしゃるの。合川の着物を着させて、おのおのにあう小物をつけさせて、所有して。お人形の様に思ってるのね。
 だから、わたくしたちの間でも自然と優劣がつき始めていたの。わたくし達のような奥方のお人形は皆、紫、撫子、朱鷺子、桔梗と呼ばれていました。ええ。わたくしが紫。ゆかり、と読むほうの、紫。撫子とあわせて、むらさきとお呼びになることもあるんですけれど、お供して馬車や歩きで出かける外ではいつもゆかりとお呼びになるの。そのほうが、名前らしいでしょう?
 わたくしがお話の相手、撫子がお花、朱鷺子がお唄、桔梗が日本舞踊を奥方に見せる役目なのだけれど、桔梗が何しろ性格が一にきついのと、色香があるので、大人しいわたくしのことがおいやだったみたい。奥方に一に気に入られているのがいけなかったのね。撫子はほがらかな子で鈍感で、いつでもコロコロ笑ってるちょっと変わった子。お花の腕前も変わってるのよ。朱鷺子さんは何かいつも世間などはどこ吹く風でひょうひょうとした静かな方で、一番上品な顔をしているの。わたくしはどちらかというと、目鼻立ちが深いものだから目立ってしまうのかもしれないけれど、桔梗さんの色香のあるあでやかな顔立ち、紅も合うし、引き締まっていて、それはまた美人なのよ。
 きっと、わたくしがただ静かにお話を聞くことが奥方はお好きなのね。
 母屋でお話やお花、お唄や日本舞踊を楽しまれるんだけれど、離れでも時にお楽しみになるのよ。その時はお茶や、お琴をわたくしは嗜んで奥方にお聞かせするんだけれど、他は貝合わせや、だいだいはちょっと、妖しげなお香ね。それをみなで楽しむの。お聴香をしている内に、だれも良くなってきてしまうの。
 その時に、一夜ごとに増すのが女の闘い。奥方は知らないのよ。なあんにも。
 その日もたくさんの友禅や織り物、美しい帯にわたくし等は離れで囲まれて、奥方があれやこれやとわたくし等の着せ替えをゆったり楽しんでらしたの。衣紋掛けや衝立に掛けられ、畳に流れ横切る帯など着物の柄の美しいこと。蝋燭に揺られて、障子にも孔雀の襖にも影が鮮やかに揺れるの。
 そこで、桔梗さんがわたくしに呟いたの。何だったかしら。けしかけられたのよ。いつものことですけれど、わたくしははたと真横の彼女の微笑する紅を見て、蝋燭に光る目を見たの。
 その時ね、閉じ込めていた感情というのが一気に菜種の油に火が誤ってそのまま落ちて小皿がぼっと明るくなった様に、心が言うに言われぬものになったの。桔梗さんの向こうにある鏡台に彼女の美しい友禅姿が見えて、わたくしはまだ何も召さずに白い身体が浮く状態。それは着せ替えのときのいつものことなのだけど、自棄にその時は、桔梗さんの背腰の絢爛な黒と金の花帯が恨めしくなったのね。
 翌日のお庭の掃き掃除をして、奥方が母屋のお座敷にいらしたお姿を視野におさめている時だったの。
 ふと、桔梗さんがなんともいえない人だと思ってしまったのは。
 上手に言い表せないのよ。言葉を知らないものだから。
 ただ、胸の辺りの心地のざわつきと言ったら、ええ、あれは、焦りというものなのだと思います。そんなこと、みっともないと思ってわたくし、すぐに心から打ち消そうと思ったのです。
 奥方をふいと見つめると、彼女はふと顔をおあげになって、それはそれは、とてもあでやかに微笑みなさるの。わたくしは胸のあたりがぽおっとなって、いつでも心囚われてしまう。彼女のみが生きる自分の価値と。
 だから、桔梗さんに取られたくない。
 わたくしは箒を持ったまま佇んで、それを視野の端に映る古い女中が視線を上げ、厳しい目つきで静かに見て来るものだから、すぐに奥方から視線を反らして、仕事をしなければと思ったのですけれど、動けなくなってしまったの。
 奥方の視線。独占されたい願望。それが足枷となって、明るいお庭で雁字搦めになって……。
 と、思えば、わたくしはここの檻に囚われていたのです。
 札を一枚一枚覗けば、ええ。奥方との愛情だけが思い出されるのです。他の誰もいない、素敵な思い出。それを、要る思い出だけ左の袂に、要らないのを右の袂に入れて、そして再び降ってくる札を手に、袷に仕舞って、まあるくなって眠りに就いて、花の香りで目覚めたら、また札を数えて……。
 ああ、わたくしは、まだ奥方の離れで戯れているのね。
 きっと、そうなのだと思うの。


 すやすやとまあ、眠っちまったね。
 ここは紅の花の原に、星の天まで幾つも鎖に張られた丸い檻が点々と宙を飾ってる煉愛。
 なぜ、恐怖煉愛といわれてるかって? そりゃ、こいつ等が自分のほんとの怒りに気付いちまった途端に、始まっちまうからさね。檻からドザッと落ちて、それで般若のなりで髪も振り乱してこの紅の花の原も駆け抜けていっちまうのさ。恋という幻想をまだ見てたいから、怒りで汚れちまいたくないから、ここの檻にい続けるのさ。
 けれど、恋愛のその後の恐怖なんて、すぐそこに転がってるんだ。ここに閉じ込めておいてるだけでね。そして、それがどっちかの結果になると、この原にもう一輪、紅の花が咲くのさ。ここはそれらの怒りに触れちまった者等の紅さ。
 しかしね、天を見上げるといい、あの星は一つ一つ、気持ちに折り合いをつけて、この檻を抜け出せて昇天してった者等の汚れ無い純真の砦。死しても星。
 だからね、囚われたらいけない。
 そりゃ、生きてる内に激しい怒りもあるだろうさ、許せないほど汚い人間にであっちまうこともあるだろうさ。そいつ等はまた他の煉獄に落ちるんだよ。
 だから、そいつらの穢れなんかに付き合ってちゃいけない。女一人でも抜け出すんだよ。囚われないために。


 わたくしは目を開きました。
 眩しくて、目を細めました。いつもの小鳥の囀り。緑から木々に飛んで移る小鳥。
 ふと顔を上げて、見慣れた木々を見回しました。
 わたくしは佇んでいたのを、ふと顔を向けました。
 座敷では奥方が立ち上がって、襖から出て行きます。
「紫さん」
「はい」
 わたくしは箒を持ったまま、古い女中に体を向けました。
「心ここにあらず」
「今、ここに」
 ふと胸の辺りに手を添えました。
 古い女中はそんなわたくしに微笑んで、縫い物を再びいたしました。
 ふと、もしかしたらあの時見た女郎蜘蛛は古い女中だったのかしらと、変なことを思うのです。彼女だって老いてはいますが、美しい人なんですよ。若い頃はそれは恋波の一つや二つは心揺らしたことでしょう。
 何故か、こんなに天気のよろしい場所にいると、ふと心が軽くなったのでございます。
 花びらに落ちる光りと影、岩に蒸す苔の緑、白い砂利を飾る光り、松の鋭い影や、ユキノシタの葉、池を泳ぐアマガエルなどを見ていたら、心が和んで、木々が香ることが心を美しくするのです。
 奥方がいらっしゃって、今日もみなで馬車で出かけて、和菓子を買いに出かけましょうと、お声を掛けていただいたので、わたくしもお供することになりました。
 先ほどまでの箒も仕舞いまして。さっさっと。

2015.10

恐怖”煉”愛

恐怖”煉”愛

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-02-25

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