雨とあの子と
どうしても書きたい何かがあって書きました。結果は…… 汗
今日は雨が降っている。雨は嫌いだ。きっとこのジメジメとした陰気くささが原因なのだろう。
この家は晴れの日でさえ陰気臭いというのに。
僕の家はとても静かだ。たまに誰かの声が聞こえるとしても、それはテレビの中から聞こえる声だ。それはそうだろう、だってここには僕一人しかいないのだから。
親は二人ともいない。僕だって信じられない。二人とも確かに二週間ほど前まではこの家の中で幸せそうにしていたのだ。近所でも中がいいと評判の二人だった。一日に三十分くらい二人きりで散歩をすることを日課としていた。そしてある日、その日課の最中に、暴走したトラックにはねられて、二人とも僕を置いて天国へ旅立ってしまった。
僕はもう学校を辞めてしまった。元々学校にはたまにしか行ってなかった。いじめられていたからだ。というのも、小学校の頃、右耳の後ろにある火傷の跡ようなあざのせいで化け物と呼ばれ、いじめられていた同じクラスの女の子をかばったからだ。その子が、いつのまにか転校してしまっていた後も、僕はずるずるといじめられ続けていた。
いじめの件に、両親の件。僕はもう外に出なくなっていた。まあ、さすがに食べ物を買いには行くのだけれども。
先生はいつも言う。
「何かあったらきっと相談してね」
……うるさい。
友達らしき人達はいつも言う。
「いつだって力になってやるからな」
……うるさい。もういいんだ。こんな世界大嫌いだ。こんなジメジメした世界なんて、この陰気くさい雨がよく似合っている。
相変わらず雨が降っている。僕は唯一の生きがいであるインターネットをしている。もしもインターネットが使えなくなったら、パソコンのコードで首をくくろうかなと本気で考えたこともある。
二時間くらいパソコンをいじっていただろうか。突然コンッコンッとドアがノックされた。どうせいたずらだろう。この家の前は小学校の通学路なのだ。どこかの悪がきが授業をサボって遊んでいるに違いない。
そう思いつつもドアスコープを覗き込んでみる。やっぱりだ。子犬の姿がかろうじて見えるだけで、ほかには誰もいやしない。僕はすぐにパソコンの前へ戻っていった。外で濡れている子犬をかわいそうだとは思わない。こういう世の中なのだ。
しばらくすると、ドアの方からすさまじい音が聞こえた。大げさかもしれないが、まるで世界のすべてがひっくり返ったかのような音だ。なんだなんだ! ドアのほうへあわてて向かっていくと、そこには僕と同い年らしき女の子がたっていた。誰かに似ている……気がする。女の子はにっこり笑って明るくこういった。
「ごめんごめん! ちょっとはしゃいじゃって!」
少しその女の子と話をしてみるといろいろなことがわかった。
まずその女の子は僕と同じ17歳だってこと。実は異世界の人間であるが、この世界に少し遊びに来られるようになったということ。
そしてこの世界に来られたのがうれしすぎて、少しはしゃぎすぎていたら何かの間違いで僕のドアを破壊してしまった……と。
なるほど言いたいことは理解した。僕だって馬鹿じゃない。自分がとるべき行動もすぐにわかった。
「一緒に警察に行きましょう」
「行かないわよ!」
女の子は心底困った顔をしている。僕のほうが困ってるんだけどな。
「お願い! 弁償はさせていただきますから! どうか許してください!」
参った。女の子に必死に頼み込まれたら、ノーとは言えない性格なのだ。それに弁償さえしてくれるならそこまで怒るようなことでもない気がする。
「別にいいよ。弁償してくれるなら。」
僕がそう言うと、女の子は感謝を表すかのようににっこり笑った。こんな笑顔はなんだか苦手だ。
女の子はにっこり笑っていたと思ったら、今度はいきなり怪訝な顔をしてじろじろと僕の家の中を見渡した。
「ずいぶんと汚いわね」
失礼な子だな。ほっといてくれ。
女の子は勝手に家の中に上がりこんできた。
「ごみもたまってるし……」
そういう女の子の後ろ姿はやっぱり見覚えがある気がする。
「きゃっ! ゴキブリ! ちゃんと掃除してないからよ!」
女の子がそう驚くと、髪が乱れてちらりと右耳の後ろが見えた。そこには火傷の跡のようなあざがあった……気がした。
しかしもう一度よく見てみると、次の瞬間にはもうなくなっていた。どうも僕はまだあの子のことを忘れられていないらしい。実はあの子のことが好きだった。いや、今でも好きなのだ。
そんなことをぼんやり考えていると、女の子は急に振り返り
「あなた最近外に出てないでしょ!」
あたかも自分が名推理をしたかのように得意げにそういった。
「いや、まあ」
「もったいないわね。こんなに素敵な世界に住んでいるのに」
きっとこの女の子は僕たちの世界のことをあまり知らないのだ。こんなにもじめじめとした世界のことを。
「そうだ! 一緒に出かけましょう!」
「嫌だよ。雨が降ってるのに。」
「そうと決まれば早速行くわよ!」
まるで聞いちゃいない。そもそもどこに行こうというのか。
「どこに?」
一応尋ねてみた。
「とっても素敵なところ!」
……気がつくと僕はどこかの山の頂上にいた。雨はやんでいて辺りは薄暗い。数個のベンチが僕たちの周りに設置されているが、誰も腰掛けてはいない。少し肌寒い風に吹かれ、僕は何か形容しがたい物寂しさに襲われた。
いったいどこまで来たのだろう。そしてどうやって来たのだろう。まさかここは女の子の言う異世界とやらなのだろうか。
「ねえここは」
そう言いかけると女の子は僕の言葉をさえぎった。
「そろそろよ!」
まるでその言葉を待っていたかのようにはるか遠くの地平線から太陽が顔を覗かせた。
太陽が姿を現すにつれて暗闇たちはそそくさと退散していく。冷え切ったものは温かさを取り戻し生き返っていく。
そんな太陽から僕は目を背けずにはいられなかった。
そういえば女の子が珍しく静かにしている。
ちらりと女の子の方を見てみると、女の子は太陽に見入っていた。そんな女の子の横顔から僕は目が離せなくなってしまった。
少しして僕の目線に気がついたのか、女の子はこちらを向いてにっこりと笑った。あわてて僕はそんな笑顔から目を背けた。
「とっても素敵でしょ?」
「……ただ眩しいだけじゃないか」
彼女は少しむっとしてこう言った。
「じゃあ次の場所よ!」
……気がつくとどこかの博物館の中の歴史コーナーらしき所にいた。
「歴史好きなの?」
「この世界の歴史はね!」
女の子はにっこり笑ってそう答え、いきなり僕の手を取って歩き出した。なんだか嬉しいような、恥ずかしいような複雑な気持ちだ。
「ねえ見て! 恐竜の化石よ!」
……ただの恐竜の形をした石じゃないか。
「これは大昔の人が書いた本ね!」
……読めない本なんか何の意味もないじゃないか。
僕は少しむすっとした様子で女の子のはしゃぎ様を眺めている。本当に楽しそうにしている。この世界が心から好きなのだろう。
ふと、ある展示物が僕の目にとまった。誰かの甲冑のようだ。その甲冑は怒っていそうであり、何だか悲しそうでもあった。
「ねえこの甲冑の持ち主の名前なんて読むの?」
「あら、学校の授業で習うじゃない……」
そう言いかけると女の子は口をつぐんだ。僕の顔が見るからに不機嫌そうになっているからだ。
「学校にはあんまり行ってなかった」
「……」
彼女は悲しそうな顔をしてただ黙っていた。
その顔を見ると、僕は少し罪悪感に襲われた。しかしもう僕は自分の言葉を抑えられなくなっていた。
「小学校からいじめられていたからね」
それを聞くと女の子はとても苦しそうな顔をした。
ああ、やってしまった。こんなこと言うつもりは本当になかった。唇を噛み黙ってうつむいていると、ある考えが頭に浮かんできた。
自分の今の悲しみを、なんの関係もないこの女の子にこのまますべてぶつけてしまおうか。そしたら何か変わるかもしれない。そうでなくても、ひょっとしたら慰めてくれるかもしれない。
「ごめんなさい ……ごめんなさい」
そう泣きながら言う女の子のかすれた声を聞くと、ふいに冷や水をかけられたようにハッと我に返った。いくら自分の境遇が辛いとはいえ、僕はなんて最低なことをしようとしてしまっていたんだ。そう思うと、居ても立っても居られなくなって。ぼくはある展示物の前まで女の子を引っ張っていった。
「見て! これは大昔の昆虫らしいよ!」
泣かせてしまったせめてもの償いに、出来るだけ明るくそう振舞う。女の子はまだ少し泣いているが、出来るだけ明るく返してくれた。
「すごい! でも少し気持ち悪い見た目ね!」
僕たちはもうその博物館をぐるりと一週回った。三時間くらい掛かっただろうか。その間、できるだけ明るく振舞った。少し疲れた。しかし本当に、本心から楽しかった。
もう彼女はすっかり元気になっていた。それにしても彼女はにっこりとよく笑う。そんな笑顔はやっぱり直視できないけれど、僕は大好きだ。ふと、女の子はちらりと少しごつごつした移動装置兼腕時計を見た。
「それじゃあ行きましょうか!」
「どこに?」
「次の素敵な場所よ!」
……気がつくと真っ暗な場所にいた。遠くに白い点々が見える。そうかプラネタリウムか。しかし何か違和感を覚え、足元を見てみると、それは間違いだと気づいた。
なんと宇宙まで来ていたのだ!
しばらくふわふわ漂っていると、ふとあることに気がついた。彼女がいない。あの移動するための装置の誤作動なのか。
……いったい僕はどうしたらいいんだ。
ひょっとしたらこのままここで死んでしまうのかな。まああんな陰湿な地球で死んでしまうよりましか。
そんなことを考え、ふわふわと漂っていると、大慌てでこちらに向かってきている彼女の姿が目に映った。
「ごめんごめん! あんまり宇宙にくるのは慣れてなくて!」
「そんなことよりもなんで宇宙に居るのに僕たちは無事なの?」
「私の世界の技術のおかげよ!」
グッと親指を突き出しながら得意げにそう答えた。まあ、きっと詳しい話などを聞いても、僕にはよく分からないだろう。
「そういえばあなたが行きたい場所って何かある? もしあるなら私が連れて行ってあげる!」
「じゃあ、月まで行ってみたいな」
「お任せあれ!」
……気がつくと僕は月に居た。
彼女の住んでいる世界の技術は本当にとんでもないらしい。
それにしても月は堪らなく寂しい。あたり一面には灰色の風景しかひろがっていないし、なによりここには僕たち二人しかいない。
だけど、どういうわけかこの寂しい月を、僕はとても気に入った。
「どう?」
彼女は微笑みながらそう僕に尋ねた。
「どうっていわれても、言葉に出来ないよ」
月に立つということは僕の世界ではとても偉大なことだ。そんな偉業を僕が成し遂げるなんて…… 今なら何でも出来そうだ。
「君が住んでる世界ってどんな世界?」
ふと気になって尋ねてみた。
「別にそんなにいいところじゃないわよ」
彼女は少しさびしそうな顔をしていた。
「技術はとても発展しているのだけれど、その、なんていうか……」
彼女は次に発する言葉をしばらく捜していたかと思うと、いきなり大声になりこう言った。
「そう! みんな愛がないのよ!」
なんだそれ、僕は思わずふきだしてしまった。ぼくの微笑んでいる顔を見て、彼女はにっこり笑って嬉しそうに続けた。
「あなたの世界に来たときはそりゃびっくりしたわよ! なにせあなたの世界には愛があふれているんですもの!」
僕は笑いが止まらなくなった。
「確かに君から見たらそうかもしれないけれど、僕の世界だってそんなにいいところじゃないと僕は思うな。」
彼女はその僕の言葉を聞くと、少し首を振りこう答えた。
「私も十年位前に少しあなたの世界で暮らしたことがあったわ。私の両親が亡くなっちゃって、こちらの方に住んでいる親戚のうちに一時的に引き取られることになった時ね」
彼女は少しうつむいている。
「確かにあなたの世界で嫌なことはいっぱいあったわ。それでもそれ以上に嬉しいこともいっぱいあった。私は生まれて始めて、あなたの世界で愛というものを感じたの。そんな愛のある世界が、いい所じゃない訳がないと思うわ」
急に、両親と暮らしていたあの日々が僕の頭をよぎった。そしてなぜだかあの子の姿も頭に浮かんだ。
あの時僕は確かに幸せだった。いじめられていたけど、両親がいた。学校へ行くと、あの子がいた。だから幸せだった。
愛があるから幸せだったのかもしれない。しかしそれなら今の僕は幸せになんてなれるはずがない。そんな暗いことを考えていると
「せっかく月まで来たんだし、何かしましょう!」
何の前触れもなく彼女は僕にそう提案した。
「じゃあ探検していよう」
だから僕は咄嗟にそう答えた。
月面を歩いているとなんだか誇り高い気持ちになってくる。こんな僕でも胸を張って歩いていける。さらには今、僕の後ろには彼女が居るんだ。怖いものなんて何もない。
何か話がしたいなと思い振り返ってみると彼女がいない。またかよと思いつつも、頭がくらくらする。しかし遠くに、あるものが見えたのでなんとか気を保てた。
灰と黒と白い点々しか見えないはずの今の景色。その景色の中に何か動くものが見える。それはぴょんぴょんと飛び跳ねている。そして耳が長いようだ。そう、うさぎだ!
「おーい!」
僕はどこかにいるはずの彼女を呼んだ。聞こえるかは分からないけど。
「おーい! 早く来てよ!」
すると、うさぎがぴょんぴょんとこちらに向かってやってくる。どうやら月のうさぎは人の言葉を理解できるのかもしれない。
「すみません! ここら辺で女の子を見ませんでしたか?」
自分で考えてもなんて馬鹿なことをしたんだと思う。うさぎに何かを尋ねるなんて、むしろ血迷っているという表現のほうが適切だろう。
うさぎは僕の言葉を聴いて、しばらくすると何か親しみのある笑い方で笑い始めた。なんだろう、覚えのある笑い方だ。
そうか、彼女の笑い方だ。
「あはははは! うさぎに話しかけるなんてあなた馬鹿じゃないの!」
そう言い、ひとしきり笑った後、うさぎはなんと彼女になった。
「え……」
状況が飲み込めない。彼女は笑いながらこう説明してくれた。
「実は私の世界の人はいわゆる変身能力があるのよ!」
やっぱりまだ理解しがたい。
「つまり自分以下のサイズなら私は何にだってなれるのよ!」
そう聞くと、僕は一つ、とても悪趣味ないたずらを思いついた。
「それなら今の君の姿は、本当の君の姿じゃないわけ?」
「え……」
彼女はどうやら嘘はつけない性格らしい。
「じゃあ君は僕を騙していたというわけだ」
「そんなこと……!」
「あるだろ! 僕はそう思ってるよ!」
彼女はうつむいた。そんな彼女を見ていると、僕は我慢が出来なくなって、とうとうふきだした。
「ごめんごめん! でもさっき僕をからかったお返しだ!」
彼女は始めの方はぽかんとしていたが、しばらくするとプンプンと怒り始めた。その様子を見て、僕はさらに笑いが止まらなかった。彼女が元はどんな姿だったかなんて僕には関係ない。そんなの関係なしに彼女といる時間は楽しいのだ。
そう考え彼女を見つめていると、彼女膨れた頬を元通りにしぼませ、僕の顔を見つめ返し、にっこり笑った。それにしてもこの笑顔はやっぱり苦手だ。
「ねえ、どこかに座ろうよ」
照れくさそうにうつむきながらそう提案する。そしててごろな岩を見つけ出し、二人並んで腰掛けた。こうすればあの笑顔に遭遇する確率も激減するだろう。
しばらくの間二人して足をぶらぶらさせている。なんだか少し気まずい。
「君はどうしてこの世界に来たの?」
沈黙に堪えかねた僕がそう尋ねた。
「留学制度みたいなやつよ。私が通っている学校では、成績優秀者は色々な経験のためにこちらの世界で三年間好きに暮らす事を許されるの! 私の世界の人達は、あなたの世界の人達にすっごく関心があるのよね」
「君が成績優秀者?」
思わず口に出してしまった。なんて失礼な奴なんだ。それでも彼女は笑顔で応対してくれる。
「まあね、こっちでしたいことがあったし、とりあえず今日は下見みたいな感じなんだけれど……、あ! 見てあれ!」
そう彼女が指を指した先には何か大きい黒い球体があった。たぶん地球だろう。彼女は身に付けている例の腕時計を覗き込み
「そろそろね」
この彼女の呟きを合図に、地球の裏側から光り輝くものが現れた。きっと太陽だ。
その太陽の光のおかげで、暗い地球も光り輝いていく。さっきまでただの球体だったものが、何か一つの生き物になっていく。
あの太陽を見ていると、なんだか誰かを思い出す。
ふと隣を見てみると、彼女はやはり太陽に見入っている。しかし今回は何だか目に涙を浮かべている。その涙は、僕にはとても尊いもののように思えた。
彼女は自分を見つめている僕に気がつく。そしてこちらを向き、例のごとくにっこり僕に微笑みかける。その微笑みを直視なんて出来るはずがなかった。だってあの太陽のようにまばゆいんだもの。
「素敵でしょ?」
「……うん」
今度は素直になれた。そんな僕の様子を見て、
「ねえそろそろいかなくちゃ」
急に彼女は寂しそうにそう言い出した。
「どこに?」
そう質問しつつも、彼女が言うだろう言葉は予想できた。
「最後の素敵な場所よ」
でもこんな言葉なんて、聞きたくなかった。
……気がつくと僕はある学校の校舎らしきところに来ていた。ここは。そうか。見間違えるはずも無い。僕が通っていた小学校だ。
「ここはね私とあなたが始めてであった場所よ」
そうか……やっぱり君は
「おい! やめろよ!」
遠くで小学生が喧嘩をしている声がする。なんだかとても親しみのわく声だ。
「行ってみましょう」
彼女がそう提案した時には、すでに僕の足はその声のする方向に向かっていた。
声がするところまで来てみると、それは喧嘩というより、いじめという方が適切な表現だということが分かった。複数の男の子が一人の男の子を容赦なく叩きのめしているのだ。そして、その叩きのめされている情けない男の子の背後で、一人の女の子が座り込んで泣いている。その女の子の右耳の後ろには、火傷の跡のようなあざがある。
「なんで? これ……」
僕はもはや頭が働かなくなっていた。
「これは映像なの。さすがに過去にはいけないわね」
彼女はそう答えると、今度は少しもじもじしてこう言い出した。
「あの女の子はね」
「……君なんだろ」
「気づいてたの?」
彼女は決まりが悪そうに微笑した。そして一度うつむいて、もう一度顔を上げると、あの子の面影が確かにある顔になっていた。しかし、元々あまり顔を変化させてなかったのか、少ししか顔は変わってなかった。
「まあついさっきだけどね」
「早い段階で気づかれなくてよかったわ! だって私だって気づかれてたら、恥ずかしくてあんなにはしゃげなかったもの!」
彼女はふふふと笑う。でも僕は笑えなかった。違うことを考えていたからだ。
「知らない間に転校なんてしてたから心配してたんだぞ。一つ連絡をくれてもよかったじゃないか」
「ごめんなさい……。禁止されていたの。本当は私だって連絡したかった。だって」
その時、まるで僕達の話をさえぎるかのように、情けない男の子がこちらの方に投げ飛ばされた。集団でいる男の子たちは悪口を言いながら帰って行く。しばらくするとさっきまで泣いていた女の子が、男の子のそばへ駆け寄ってきた。
「ありがとう。ごめんなさい」
「君は悪くないんだし謝る必要なんてないよ」
僕にもこんな時期があったんだと、その光景を眺めている。まだ戻れるかもしれないという淡い期待を胸に、彼女に問いかけてみる。
「ねえ、三年間僕の世界にいるならさ、たまにでいいから会えないかな?」
「大丈夫だけど……、実は今から私は、あなたの私に関する記憶を全部消さなくてはいけないの。だからきっとその時はもう私のことはおぼえてないわ」
それを聞いて胸が苦しくなった。僕のとても大事な、この頃の思い出までもが消えてしまうのだろうか。
「何で消さなくちゃいけないの」
「私の正体を知ったからよ。ルールなのよ」
……なんだよそれ。
「じゃあ自分の正体をばらさずに、昔のままで僕に会いに来てくれたらよかったじゃないか」
「だったらきっとあなたは私に依存したわ。今はいいかもしれない。でも私が自分の世界へ帰った後あなたはどうなるの?」
「……」
何も言葉を返せない。
「謝らなくちゃいけないことだけど、私ね、心配だったからあなたの生活をたまに覗いてたの。そしたらあなたはあまり外に出てい無いようだった。自分の世界のことが嫌いになっていた。そんなあなたを見ていられなかった。時間をかけてなら、ほかに賢い方法はいくらでもあったと思う。でも、今すぐにあなたを助けたいって思っちゃったのよ!」
彼女は途中から泣いていた。僕だって泣いていた。
「今は少しでも自分の世界のことが好きになってくれたようで嬉しいわ。少し安心した」
僕はうつむいて言葉を発せない。僕が本当に好きになったのは……
言うことを聞かない僕の体とは違い、意識だけは嫌にはっきりとしている。すすり泣いている僕ら二人をよそに、まだ幼い二人は無邪気に会話している。
「これ僕の家の電話番号だから、また何かあったら相談くらいはしてくれよ」
「うん……、ありがとう」
とうとう電話がかかってくることはなかったな。そう考えふと彼女のほうを見る。すると彼女の身体は透け始めていた。何か理由があるのか、移動装置を起動させたのだろう。
「ねえ、きっとまた会えるよね」
そう聞かずはいられない。たとえ会えたとしても、もう彼女のことは忘れているだろうというのに。
「ええ、きっとまた会いに行くわ。だってたとえ記憶が消えたとしても、決して消えない、もっと大切なものがあるじゃない!」
涙を流しながらも彼女は明るく振舞ってくれる。そんな彼女の姿を見て、僕は一つ、彼女に言わなくてはならないことがあることに気がついた。昔からずっと言いたかったことで、今しか言えないこと。今言えないと、それこそ一生後悔するようなこと。
「僕は……ずっと……君が……君が……」
なんでだろう。言葉が出てこない。涙は困るくらいに出てくるというのに。
言葉を心の底の底から引き出そうと彼女の方を見てもがいていると、彼女は微笑んで
「私も」
そう言ってくれた。それを聞いた僕は泣きながらも、できるだけの笑顔で彼女を見た。彼女はそんな僕を見て、あの笑顔でにっこり微笑んだ。それが僕が見た、彼女の最後の顔だった。
……気づくと僕は自分の部屋の中にいた。急いでドアの様子を確認しに行った。元通りになっていた。しかし彼女との事は夢ではない気がする。だって今こうしている間も、彼女に関する記憶はなくなって言ってるんだもの。急いで僕は彼女の名前を近くにある紙にメモをした。メモをし終わるとそれを冷蔵庫の扉に貼り、ふと窓の外を見てみる。
まだ雨が降っていた。でも何だかいつもの陰気くさい感じはしなくなっていた。
次の日僕は久しぶりに外に出てみた。彼女のことはまだ何とか覚えている。彼女は会いに来てくれるといった。だからきっと会いに来てくれるだろう。いまだって、変身していて彼女であると気づけていないだけであって、身近などこかに彼女はいるのかもしれない。そう考えていると、僕に関係してくるあらゆる生き物が、何だか彼女であると思われた。だから僕は何にだってやさしく出来たし、何だって愛することも出来た。僕はこの世界の人じゃない彼女に恋をして、この世界のことが好きになった。
今日は雨が降っている。こんな日はインターネットで仕事を探す。中卒では働くことが困難な時代だ。いつも挫けそうになるが、冷蔵庫の扉に貼っている、紙の上の三文字を見ると何故だか知らないがやる気が湧いてくる。
一、二時間くらい求人情報を探していただろうか、コンコンッとドアがノックされる音がした。いたずらだろうか? そう思いながらもドアスコープを覗いてみる。子犬の姿がかろうじて見える。僕はドアを開けて子犬を中へ入れてやった。かわいそうだもんな。
その子犬の体を洗ってやっていると、右耳の後ろに火傷の跡のようなあざがあるのが分かった。きっと前の飼い主の不注意だろう。
今日は久しぶりに雨が降っている。雨は嫌いじゃない。何か懐かしい気持ちになれるからだ。最近仕事はかなり順調だ。もう十九だから思い切って結婚してみてはどうかと周りの人は勧めるが、今はなぜかそんな気にはなれない。いつか結婚するのかもしれないが、今はただ子犬と幸せに暮らしている。
雨とあの子と
完全処女作で、反省の多いものとなりました!
批判大歓迎です!