人間カメラ

人間カメラ

 両目の見えない奴隷に使い道なんてないよ、と兄が笑いながら言った。

 私が人間カメラを初めて見たのは、たしか小学校に入りたての頃だったと思う。日曜日、父と少し遠くの公園に遊びに行った帰りに、大きな工場の駐車場でぞろぞろと一列になって進む、自分と変わらない年の子どもたちを見た。みな前の子どもの服を掴んでゆっくりと歩き、何人かのスーツを着た大人が子どもたちを誘導していた。誘導された子どもたちは工場の中へと入っていく。
「お父さん、みんな一列に並んで何をしてるの」
 父は困ったように顎を何度かさすった後、なんだろうねと曖昧に笑い、早く帰ろうと私の手を引いた。しかし、私は動かず、父は少し怒ったようにもう帰る時間だと言った。それでもまだ動く様子のない私に父はしばらくじっと何かを考え、その場にいた一人の人を指さした。その人は横顔のほとんどが髪で隠れているが若い男の人のようで、何をするでもなく、一列になって進む子どもたちをただじっと見つめていた。私はしばらくその人を見つめていたが、変わったことはなにもない。
「あの人がどうかしたの、ねえお父さん」
 父の言いたいことがわからなくて、幼い私はすこしぐずるような、子ども特有の甲高い声で父に呼びかけた。父は困った顔で、あのね、と話し出した後、すぐに言葉を探して口を閉じてしまった。すると、私の大きな声が気になったのか、父が先ほど指さしていた男の人がゆっくりとこちらを見た。細身で灰色の服を着た、まだ若いだろうその人の一点に私の眼はくぎ付けになった。眼がレンズだったのだ。
 私の兄は写真を撮るのが好きで、家にはいくつかのカメラ本体とたくさんのレンズがあった。当時の兄はたしか16、17歳ほどでアルバイトをして中古のカメラやレンズを集めていた。10歳も年の離れた私に兄は優しかった。私が頼めば大切なカメラを見せてくれたし、何度かカメラを触らせてもらったこともある。とはいっても、幼い私に兄が触らせるのは使い捨ての安いものだったが。それでも、カメラのレンズがどういう見た目の物かは知っていた。今、目の前の男の人の眼は紛れもなくそれだったのだ。眼球が収まっているはずの穴には筒状のレンズが埋め込まれ、それは太陽の光を反射し、無機物であることを示すように虹色に硬く輝いていた。ピントを合わせるためだろうか、人間の眼よりだいぶ大きいレンズの真ん中で黒目のようなものが伸縮を繰り返している。もう片方の眼にはレンズは埋め込まれていないらしい。瞼を閉じたままだったが、皮膚が変色し、くぼんでいる状態から、おそらくは瞼を開けても見えないのだろう。眼球自体もないのかもしれない。しばらくこちらを見つめていたその人は、子どもたちの列が工場に入り切るのを追うように工場へと入っていった。
「そろそろ帰ろうか」
 あまりの衝撃に完全に動きの止まった私の顔を覗き込み、眉を下げた父は穏やかに私を帰路へ促した。その表情を見て、父は私にこれを見せたくなかったのだろうとなんとなく感じた。
 それからしばらくは、こちらを見つめるあのレンズを思い出しては強い恐怖に包まれるのだった。そして、あの列になっていた子どもたちが何をしていたのか知るのはそれからまた何年か経ち、私が小学校の最終学年になった時である。
 
 私が暮らすこの国では奴隷の加工が盛んにおこなわれている。業者によって仕入れられただいたいの奴隷は、裕福な隣国へ輸出されるため、この国では奴隷に教育を受けさせたり、美容整形を施したりと奴隷の使い道にあった加工を施している。私が生まれる20年前ほどから盛んになった奴隷加工業は、この国が外貨を獲得するために欠かせないものである。なんの加工もされていない奴隷に一から全て教えるよりも、ある程度基本が身についている専用奴隷を購入したほうが値段は張るが、即戦力となることから奴隷の加工依頼は年々増加している。
 そんなこの国で奴隷たちはある程度自由に暮らしている。昔は無理やり連れてこられることもあったらしいが、今は本人の希望と適正を照らし合わせて人身売買は行われている。最近の流行は性格適性診断と軽いペーパーテストを組み合わせた試験で、買い手の多くが取り入れている。正直、そんなものにあまり意味はないが、その試験の結果が最終的な自分の買い取り先に影響を与えると多くの奴隷は信じているようだ。
 業者によって運ばれてきた彼らは施す加工によって細かく居住区や通う施設、この国に滞在する期間を決められる。その期間中は教育を受けたり、手術を受けたりで入院しているとき以外は、居住区の中であれば自由に生活することができる。入国した際に首の後ろに埋め込まれるICチップで、豪華とはいかないがまずまずの食事や日用品、基本的な医療なら無料で提供される。
 これは奴隷の買い付け金額が非常に高いためにできることである。人口の減少に伴い奴隷の価格は年々上昇しているが、それでも求める声は多い。特に加工を施した奴隷は非常に高値で取引される。奴隷を輸出した金でこの国はまわっているのだ。
 近年は特に自分の子どもの教育のために奴隷を購入したいという親が増えている。科学技術が発達し、人工知能を搭載したロボットなども発売されている中、奴隷を教育係として選ぶのはなぜだろう。たしかに購入費用としては奴隷のほうが安く上がるが、生身の人間であるから体調を崩す時もあるし、食費もかかる。もし死んでしまえば世間体的にそれなりの弔いをする必要もあるのだ。それでも奴隷を選ぶのは、いまだに強く残る生身の人間へのこだわりなのだろうか。
 私が生まれる前に15年間だけ奴隷が廃止されたことがあった。それなりに世界全体が裕福になり、奴隷になりたい人がいなくなったのだ。人によってはこの奴隷が廃止された15年間を黄金時代と呼ぶ人もいる。この黄金時代は世界の西側にのみ集中して相次いだ自然災害による大規模な飢饉で幕を閉じたわけだが、今でも根強い奴隷反対派はいる。
 この国の子どもたちは中学校に入る前、小学校の最後の年になると、奴隷とこの国について学ぶ。私もその時に奴隷についてと、この国がどうやって外貨を獲得しているのかを知った。だいたいの子どもはこれくらいの年齢になると、奴隷の存在は知っているが、この国と奴隷の関わりについてはほとんど知らない。私もその例外ではなかったから、学年主任の先生の口から何日かに分けて、いつもの授業とは比べ物にならないくらい重く、ゆっくりと吐き出される言葉を受け止めるのに必死で、自分で奴隷やこの国の行っていることを深く考えることはできなかった。ただなんとなく、奴隷や国についての授業がある間は多くの生徒がまとまって、団子のようになって、でも静かに下校していたのを覚えている。
 そして、この国が加工している奴隷のおおまかな種類を聞いた時に、私は知ったのだ。あの日、公園からの帰り道に父と見た一列に並ぶ子供たち。そしてあのレンズのような眼を持つ男の人。
 人間カメラ、それがあの男の人であり、あの子どもたちのその先である。

人間カメラ

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-02-22

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