拳銃稼業
背広を着込んだままこなせるような仕事じゃない。車の後部ドアを蹴りあけ、雨に濡れたアスファルトに身体を投げ出しながら、私は同じ文句を頭の中で繰り返していた。
追っ手の車は鼻面を路肩の電柱に何度もぶつけながら漸く向きを変え、およそこの10分ほどの間我々の後を付けてきた元の方向へと逃げ出すところだった。運転手は、獲物の同乗者が拳銃を携えていた事に明らかに動揺していた。それは即ち、背後の車の床にうずくまった小男~我々の運の良い依頼人~を外見で判断するという失敗を犯してしまったことを意味していた。神代という名のこの小男は万事に無頓着に見える外見と裏腹に実際は非常に臆病であった。結果としてその欠点が本人の命を救う事になりそうだった。
私は尻を振りながら去ってゆく砂埃だらけの軽トラックの背後へ、もう一度引き金を引いた。ウィンカーらしき欠片が宙にはじけ飛ぶ様が遠目に見えたところで満足して、銃を握った右腕を身体の脇に下ろした。我々から遠ざかっていてくれればよい。タイヤを打ち抜いて連中を反撃に追い込むような危険な真似をするつもりは無かった。
我々の仕事は、銃撃を受けた瞬間私に指示されたままの体勢で律儀にバックシートにしがみ付いているこの美食家の小男を、契約期間中のあらゆる災厄から守りきることであった。調査や追撃が望みなら専門の業者を紹介する事もできるが、調査屋やガンマンといった連中と我々とはその辺りで上手いこと棲み分けが出来ているのだった。神代もフォークとナイフの使い分けぐらいは理解しているはずだ。
私は我々の車の進路を塞いだ車の傷だらけのフェンダーに抱きついた追っ手の一人の方へ向き直った。道路へへたり込んだ男のズボンの右膝からは、押える指の間から真っ赤な血が流れ出していた。ほんの一分ほど前に私の手の中のリヴォルバーが撃ち抜いた傷だった。男が自分の膝から私へと目を上げた。きつく引き絞った黄色い歯の間からはよだれが垂れ、薄い鼻ひげが脂汗で濡れていた。傷口から骨の破片と思われる白い小片が覗いているのが見えた。顔色は悪いが致命傷ではない。少なくとも苦痛に耐える合間から私に向かって唾を吐きかけるだけの元気はあるようだった。
さぞや社長が喜ぶことだろう。殺すな。戦闘能力だけを奪え。というのがこの一年の間社長の口癖になっていた。その不合理な指示の為に危険に晒された数は一度二度ではなかった。
上海の革命政府が反動化の兆しを見せ始めるのと期を同じくして、ガンマンと彼らを求める小金持ちの間を取りもっていた六田という名の抜け目の無いブローカーが上海市内に小綺麗な事務所を構え、警備業者として公の看板を揚げた。一方で革命騒ぎの混沌を飯の種にしていたガンマン達は政情の沈静可に従って次第に居場所を失いつつあった。六田は後見を必要とする無頼漢達を積極的に「会社」に取り込み、自ら日本人相手のボディーガード派遣会社を立ち上げたのだった。
政治が正常化されるまでの間に堅気の警備会社としての実績を作りあげ、役人どもが互いの殺し合いから民衆の統制へと目を移す頃には、優良企業として公的肩書の申請を待つ列の先頭に並ぼうというのが我等が社長、六田の目論見だった。
その野望の為に、ガンマン達の得意分野のうち荒っぽい部分は大幅に制限を受け、冗談の様な話だが発砲や死傷者の発生が想定されるかなりハードな任務においても背広の着用が義務付けられる事となった。社長に言わせれば、例え懐に拳銃を呑み、泥濘の中を這いつくばろうとも我々はれっきとしたビジネスマンなのだそうだ。
銃を構えたまま、男の目の前まで歩を進めた。乾いた道路を風が吹き抜け、路肩の砂埃を我々の上に撒き散らした。やはり、背広でやるような仕事ではない。反撃の可能性はまず無いと思ったが、それでも男の手の動きには注意を怠らなかった。
「財布を出せ。」
黙殺されたので、片言の中国語で同じ事を繰り返した。男は大きな目で私を睨みつけながらゆっくりとポケットに指を突っ込んで、それを私の足元に投げた。小銭が飛び散って、その中の一枚が通りの半ばまで転がっていった。とぼけているのか、それとも札入れを持っていないのか。だが、いかに経験の浅くとも襲撃の現場に身分証明書の類を持ち歩いているとは考えにくかったし、そもそもそれは我々の業務の管轄外だった。それに何よりも小銭入れと札入れを中国語で区別する方法が分からなかった。
膝を撃ち抜いた瞬間に男が放り出した拳銃の事を忘れていた。私は車の横手に廻って、疵だらけのオートマチック拳銃を拾い上げた。ロシア製のマカロフ自動拳銃のようだった。男の傍らに戻ると、その脂染みた髪にリヴォルバーの銃口を突きつけた。男の目の中で苦痛が恐怖へと転じる瞬間を見ることができた。
「次は」親指で撃鉄を起した。「・・膝だけじゃ済まんぞ。」
中国語は使わなかったが、意味することは明瞭に伝わったようだった。
私は男の頭からリヴォルバーを下ろすと、親指で撃鉄を押えながら慎重に引き金を絞りゆっくりと戻した。背後で黒田が車のクラクションを鳴らして催促した。私はゆっくりと後ろ向きに車の元へ戻ると、いつの間にかシートに身体を起して此方を見ていた神代の脇へ腰を滑り込ませた。ドアを閉める間もなく車が滑り出した。バランスを崩しかけた私を神代が背後から襟首を掴んで中へ引っ張り込んだ。
荒い舗装に小刻みに揺れる車窓から、男が座ったままの姿勢で、力なく道路に身体を横たえるのが見えた。
「・・置いて行くのか。」
神代が驚いたような声を出した。尤もこの男の話し方はいつも何かに驚いているように聞こえる。シートの上で横様になり、バックシートにしがみ付くようにして、襲撃の現場となった荒地を覗いていた。
「何処へ連れて行こうっていうんだ。」
口を開きかけた私の代わりに、黒田がミラー越しに答えた。病院。警察。神代が不機嫌そうに唸った。考えれば判る事を口に出してしまったのを悔いているようだった。黒田はしつこく続けた。もともと奴にはこの小男が気に障って仕方がなかったのだ。
「病院の方の心配はいらないだろう。もう数分もすれば、奴の仲間が状況の確認に戻ってくるはずだ。その上で連中が奴を見殺しにするのだとしても、あんたがそこまで気に病む必要はないさ。」
話しながら黒田が私に携帯電話を手渡した。黒田は激しいハンドル捌きで車を迂回路へ曲がり込ませた。私は非常用のではなく報告用の電話番号を選ぶと、ボタンを押して呼出した。二コール目で呼出音が録音待ちの機械音へと切り替わったので、襲撃の概要を機械に向かって報告した。半時間もすれば、なぜ非常用の番号で直接報告しなかったのかと怒りに狂った社長から、折り返しの電話がかかってくるはずだった。勝手にしてくれ。畜生め、背広の袖口が裂けちまっている。
「・・それに、警察に引っ張ってカタが付く類の問題でないことは、あんたが一番良く分かっているはずだろう。」
黒田はハンドルを握りながら未だくどくどと続けていた。拘置所は日々入れ替わる政治犯~つまり立ち回りの拙かったかつての役人達の事だが~で満員であり、武装襲撃程度の「軽犯罪」などをいちいち取合ってはくれないのだった。それに中国の官憲は例外なく金に汚れている。神代が我々を雇うのに使った金のほんの十分の一程度を掴ませるだけで、連中は警察署の正面玄関から堂々と立去ることができるのだ。
神代の方は黒田を無視する事に決めたようだった。懐から国産煙草の箱を抜き出し唇に咥えて火をつけると、ふと気がついたように私に一本薦めた。私は黒田に携帯電話を戻すと、シートに深くもたれて受取った煙草を唇に挟んだ。滅多に吸わないもので火を持っていなかった。神代に声をかけるのも面倒なので、結局火の無いまま咥えていた。
いつの間にか車は市街に入っていた。私は太股の上に置いていた拳銃に上着の裾を被せた。ここにも泥が付いていた。床に投げ出してあった追っ手のマカロフの方は爪先でフロントシートの下に押し込んだ。
「連中、どういうつもりだったんだろう・・。」
神代が半ば独り言のような声で呟いた。声色は低く抑えられていたが、よく見ると煙草の先端が小刻みに震えていた。
「さてね。ただ本当にやる気なら、もっと要領の良いやり方があったとは思いますよ。進路を塞ぐつもりなら見通しの悪い曲がり角を選ぶべきだった。それに追っ手役の一人を待ち伏せ組に廻しておけばあの下手糞な射撃でもタイヤぐらいは打ち抜く暇があったはずだ。」
現に正面から四発も撃ち込んでおきながら、弾はフェンダーの縁に小さな刻みをつけ、既に疵だらけの車体の塗装を一部剥がしただけだった。
「・・最初の二発か三発は威嚇だけだった可能性が高い。まずは車を停めさせて、何か貴方に直接の用事があったんでしょう。脅迫だけなのか、誘拐するつもりだったのか。その鞄が目的だとは思えないが。」
神代の手首に巻きついた黒革の手提げ鞄を顎で指した。神代は慌てて首を振った。
「財布とパスぐらいしか入っていないよ。」
「いずれにしてもどの筋からか心当たりはあるんでしょう。だから我々を雇ったんだ。多分それが当たりですよ。」
神代はそのまま黙り込んでしまった。黒田がラジオを点けて局を廻し始めた。中国語の歌謡曲が飛び込んでくると、舌打ちをしてボタンを連打した。音質の悪い日本放送を呼び出すまでそれを数回繰り返した。
(つづく)
拳銃稼業