朝のノクターン
私の魔法薬です、ノクターンは。ノンフィクションになります。
夜想曲
私はいつも、心が不安定に波打つと頭の中でショパンのノクターンを演奏する。妙に静かで落ち着いたあのピアノの旋律は私の不安定を正してくれる。夜想曲と呼ばれるその曲は、午前の真っ黒な鬱な心を浄化させてくれているようだ。昨夜、大きくえぐられた傷口は幸い痛みを伴わずにいた。今朝になってようやく、胃や心臓が握りつぶされているような苦しみや痛みを感じるようになった。毎朝嗜む少し背伸びをして買ったコーヒーさえ、喉には刺激が強かった。
「おぇ」
試しに言葉にしてみたが、空っぽの胃袋は大人しくしている。私はすぐに携帯を手に取り、手早くノクターンをかけた。鍵盤に指をかけ、優しくシに触れたその瞬間緩やかに始まる音は、やはり私の求めていたショパンのノクターンそのものだ。私はおいしさを逃したコーヒーを味わうこともなく体内へ流し込み、お気に入りのマグカップをキッチンへ追いやった。今日は友達と会う約束をしている。私が、今後も付き合って行くと決めた、数少ない友達のうちの一人だ。彼女は遥遥とやってくる。そのために私は準備をしなくてはならなかった。今日という日に彼女に会えることは、私にとっては幸いだ。彼女は少なくとも傷口に絆創膏くらいは貼ってくれる。見えないように塞いでくれるはずである。
午後六時、私たちは散々遊びカラオケボックスへたどり着いた。世の中には愛を謳う曲が溢れている。私たち小娘が知っている曲のほとんどはそれで締めている。彼女はそれをよく歌った。その度に私の傷口はキリキリと痛み、顔を歪ませた。彼女はマイクを置き、私を抱きしめた。それから少し照れ臭そうに笑い、また歌う。私は昨日まで一滴たりとも込み上げて来なかった涙が、嘘のように、流れた。実感もしていなかった、心と身体の痛みの齟齬が一致したようだった。考えてもみなかった、強制的な気持ちの終焉。向き合う時が来たのかもしれないと、背筋が伸びた。
ああ、やっぱり苦しいな。笑って過ごすだけじゃ終われない事なのかもしれない。知っていた、全部そんなことを、考えたくなくて逃げていたのだと思う。では改めて、私は今、どういう状況に置かれているのか。そうだ、そうだった、
私の婚約者は消えた
居なくなったんだった。
朝のノクターン
イメージカラーはマラカイトグリーン。