蛍参り

蛍参り

家族間、親子間での「卒業」をテーマにショートショートを綴ります。

ショートショート作品。蛍とお墓と卒業。



「ああ、みっちゃん」

 お久しぶりね、と懐かしい声が背中から投げかけられる。振り返り確認すれば、俺を呼んだのは遠い親戚の小母さんだった。
 控えめに頭を下げる、記憶の中にある像と打って変わってその身長は低く思えた。なにせ数十年ぶりに顔を合わせるのだから成長した自分との身長差もでてくるだろう、皺の深い色白の手を数回、俺の肩に乗せ、感慨深そうにじっくりとこちらを観察する。

「……大きくなったねえ」

 昔と変わらず目を細める笑みを向けた小母さんから、懐かしい匂いがした。小母さんの家にある座敷の畳と線香が混じった独特の香り。しんみりとしていて、しんとした静かさというよりは穏やかな静寂が取り巻く空間の記憶。ついぞ思い出した時には、小母さんは他の人に呼ばれ姿は見えなくなっていた。
 周囲は賑やかではなくとも、あちらこちらから会話が聞こえる。最近起こった身の回りの出来事を語らう人達、思い出話に花を咲かせ盛り上がる人も、反対にしみじみと涙を流している人もいた。

 今日は、俺の父親の葬式だった。

 七十四歳で亡くなった。親戚の人は皆、早すぎると零していたけれど家族からすれば充分過ぎるものである。
 元々心臓を患っていた父は生い先あまり長くないと余命宣告されていたものの、七十代の大住来で、つい先日、自身の寝室にて息を引き取った。朝になっても部屋から出てこないから起こしにいって、と母親に言い渡され、仕方なく様子を見に行った時の事である。
 眠っていた。本当に、ただ目を閉じて呼吸をしていると見間違えるほどに。
 その手を取り、身体を揺すっても反応が返ってこない。それでも俺は、父親が死んでいるなんて実感がわかなかった。ひんやりとした体温も、筋肉の締りがない口も、死者のものであるからという結論に至るまで、ただただ呆然としていた。
 それからあちこちに連絡して、葬儀を執り行うにあたって今まで知らなかった物事を経験させられた。
 葬儀が無事に終わり、火葬まで行えたのは昼過ぎであった。
 人骨が一体分。目の前に引き出された衝撃はさほど大きくはなかった。ところどころ溶けて無くなってしまった部位は骨が脆かったであろう部分だという。歳だから、仕方の無いことなのだろう。丁寧に箸で一つ一つ摘まんでは骨壺に納めていく。
 ふとこの行為に既視感を抱いて記憶を一巡する。あれは確か、小学生の頃。夏の夜、家の近くにある川で蛍が飛んでおり、それを捕まえていた時のこと。
 あの時はその後、どうしたんだっけ。
 少しずつ人の形を失っていく骨を眺め、思い出す。そうだ、あの日捕まえた蛍はみな、次の日には死んでしまっていたと。
 虫かごの中、幾重にも積まれた小さな死骸を見て、幼かった俺は大泣きしたのだ。蛍はみな短命であり、それを知らぬまま籠の中に閉じ込めてしまった自分はさぞ悲しんだだろう。泣きながら、父親の元までいって事情を説明したのを覚えている。
 父親は俺の話を聞くと何も言わずスコップを二つ用意し、近くの山まで向かう。当然、俺もそれについて行った。山に着くと父親はスコップを一つ手渡し「墓を作るぞ」と一言だけ口にした。
 小さな穴をなるべく深く掘り、墓穴を完成させた。その中に箸で摘まんだ蛍の死骸を一つ一つ落としていく。どうしてこんな風に蛍を扱うのか聞いた気がするけども、どんな返答がきたかまでは明かに思い出せなかった。ただ、同じ土に還るものとして、俺が無責任に奪った命を偲んでいたのかも知れない。それは、今になってようやく気付けたことであった。
 そうこうしている内に、最後の骨を納め終る。父親は壺一つ分の存在となった。
 父親が亡くなってから今に至るまで、俺は一度も涙を流さなかった。泣けなかったのではなく、泣かなかったというのが正しいだろう。微々たる差ではあるが、その違いは大きい。
 俺はこれから家族を守らなければならなくなる。父親の代わりに、大黒柱のように何事にも揺らがぬようにしていかねばならない。家族は母親しかおらず、これから成人を迎えようとする息子を抱えたまま、生活をしていかねばならないのだ。
 大人の仲間入りをする成人という儀式。その姿を俺は父親に見せられないままである。きっと、父親の中では俺は子供のままなのだろう。どれだけ大人ぶっても、成長しても、父親の中にある子供という枠を卒業できないのだ。
 片手にはサイズの小さな骨壺に父親の喉仏が納められている。その壺を眺め、俺はようやく父親の存在を噛みしめた。
 子供のままでいられたならと、幼い頃の俺なら思っていただろう。いつかは骨になって、土に還るならと、駄々をこねただろう。

 それでいいのだ。父親の前でだけは、子供のままの、大人になれない俺でいいのだとそう言い聞かせて、父親の眠る墓石の前でだけ涙を流せる自分がいた。

 山の中、見通しのいい場所にて。父親の墓石と対になるように、蛍の墓がある事を、今は俺だけが知っている。

蛍参り

御覧くださりありがとうございました。

蛍参り

父親の葬式。唐突に訪れたその事象に気持ちが追い付かない「俺」は、懐かしい記憶をたどり、父親の姿を見た。墓石の下に埋まっているのは、なんだったろうか。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-02-20

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