せかいのはんぶん

ワープロデータの奥深くに眠っていた謎のやつなんですが、供養に晒します。

「くっくっく、勇者よ、よくここまで辿り付いた」
 芝居がかった言い回しで、金で出来た玉座にふんぞり返る魔王は言った。
 俺が黙っていると、魔王は構わず台詞を続けた。
「しかし、さすがのお前もここまでだろう。私は強いし、お前は先刻までの戦いでボロボロだ。お前の仲間もみんな死んだ。お前の味方はもうここにはいない」
 俺はなおも無言だった。頭の中で発言する言葉を選んでいるわけでもなかった。
「どうした? 先程から何も喋らんではないか。仲間を殺された怒りで物も言えぬか」
 そしてまた芝居がかった笑い声。それが酷く耳障りで、少しイラッとした。
 それに言っていることも的外れだ。
 俺の仲間は確かに先刻までの中ボスとの戦いで俺以外全員死んだが、怒りも悲しみもこれっぽっちも湧かないし、惜しいとすら思わないし、むしろ死んでくれてせいせいしたという気分でいるくらいだった。
 だって、あいつらが俺をどう思っていたかは知らないが、俺はあいつらのことが嫌いだったから。騎士のアーモスも、魔導士のイーカも、僧侶のダカンも、みんな大嫌いだった。
 アーモスは脳まで筋肉の馬鹿。俺がいくら注意しても、俺が嫌だと言っている癖を直そうとしないし、「心が狭い」と俺を責めてくる始末だった。
 イーカは見た目に関しては可愛いだとか美人だとか言われる容姿をしているが、中身は最悪。いつもお姫様扱いされないと気が済まなくて、少しでも機嫌を損ねると俺の過去の傷を抉るようなことをねちねち言ってきやがった。それも一回ではなく、ここまでの旅の中で何十回も。
 ダカンは大人しいやつだったし、特に俺の癪に障るような言動はしなかったが、如何せん影が薄かったため、死んだところで何も思わなかった。他の仲間二人が嫌いだったから、同じく嫌いというカテゴリーの中に放り込んだ。俺の中では、嫌いと無関心は同等の感覚だった。
 そういや、あいつらの死に様、今思い出しても笑えるな。
 アーモスは首をばっさり斬られて死んだ。足元まで転がってきたアーモスの首の顔は、まさか死ぬとは思っていなかったと驚くように両目が見開かれていて、それはとても間抜けで面白かった。
 イーカは毒ガスの中でじわじわ死んだ。「助けてぇ」といつもの偉そうな態度はどこへやら、弱弱しいか細い声を上げてのたうち回り死んでいくイーカの姿は、幼い頃に水の中に沈めて死んでいったミミズの姿を思い出すようで、懐かしさを覚えた。
 ダカンは――あまり記憶にない。なんか知らないうちに死んでいた。死に方も胸を一突きされるというつまらないものだった。まぁ元から無関心な存在だったからどうでもいい。
 何にせよ、アーモスとイーカが死んでいく姿は、とても滑稽で愉快だった。
「おい、この期に及んで何をにやにや笑っているのだ」
 魔王が初めて不満そうな声を出した。
 どうやら気づかないうちに、口元に笑みが浮かんでいたようだ。引っ込める。
「私が何を言ってもウンともスンとも口を開かないし、気味の悪いやつだ」
「お前にだけは言われたかねぇよ」
 ようやく俺の口から言葉が飛び出した。このまま黙ってもいない何の進展もないし頃合いだっただろう。
 魔王はいきなり喋り出した俺に少しびくつき、すぐににやりと笑った。
「ふん、何だ、元気ではないか。それで、私と戦うのか?」
「戦うために来たんだろうが。戦わないと話が進まねぇだろ」
 まぁこの話の進んだところで、俺にとってはどうってことはない。
 この魔王を倒せば、世界は平和になるそうだが、そんなことは俺の知ったことではない。
 正直な話、世界が滅ぼうが構やしないし、世界中の人間が救われたとこで、それが俺にとって何だと言うのだろう。その先にあるのは何か? 感謝? 褒美? 名誉? しょうもない。
 それならば、なぜ俺はここまで旅をしてきたのだろう? 勇者の称号なんて押し付けられて。
「何だ? ようやく喋り始めたと思ったらまただんまりか?」
 魔王はいい加減退屈したというような調子で言う。
「さっきから剣も抜かないではないか。私から攻撃した方が良いのか?」
「先に攻撃してもいいぞ。俺はどっちでもいいから」
「なんか変なやつだな。言っておくが、お前は私には勝てないからな」
「根拠は?」
「さっきも説明しただろ。お前はボロボロで仲間もいない。どう考えても私の方が優位だ」
「だからどうした? そんな御託はいいから早く攻撃してこいよ? 退屈してんだろ? それとも何か? 天下の魔王様は万が一俺に負けるのが怖くて時間稼ぎをしてんのか?」
 軽く挑発してみると、魔王はわかりやすいくらい眉を怒らせた。
「この――」
 そろそろ何かしら来るかな、と身構えたが、結局何も来なかった。
 魔王はすぐに怒らせた眉を戻し、またにやりと笑って言った。
「まぁいい。私は心が広いからな。その程度の安い挑発に乗ったりはしない。それよりもだ、戦う前に一つ、お前に提案がある。私にとってもお前にとっても良い提案だ」
「まどろっこしいな。早く本題を話せ」
「お前、私の仲間にならないか」
 少し、意表を突く申し出だった。私が無言だと、魔王はさらに台詞を繋げる。
「私の仲間になれば、私がこの世界を征服した暁に、世界の半分をお前にやろう」
「・・・・・・」
「どうだ? 悪い話ではないだろ? お前は世界の半分の支配者になれるのだぞ?」
「・・・・・・」
「そうか、やはり勇者にこの提案は無理だったか。それでは仕方ない。交渉は決裂――」
「――いや待て」
「うん?」
「お前の仲間になったら世界の半分、本当にもらえるんだろうな?」
「もちろんだ。二言はない。約束しよう」
「――よし、その話乗ってやろう」
 俺は魔王の目を真っ直ぐに見て言った。
「お前の仲間になってやるよ。世界の半分の代わりに」

 俺の産まれた家は、酷く貧乏だった。
 明日の飯もまともに確保できないような生活で、どうしても腹が減るときは家畜小屋の藁を口に入れたり、土から掘り出した何かしらの幼虫を生きたまま食らいついたりした。
 貧乏なだけならまだ良かった。貧乏にもう一つ、不幸要素が俺にはあった。
 俺が人間と悪魔の間に産まれた子供だったからだ。
 人間の父と悪魔の母がどのように出会い、恋に落ち、俺を産んだのは知らない。
 しかし俺がこの二人の間から産まれたのは事実だった。
 悪魔は存在するだけで近くの人間に災厄を振り撒き、不幸をもたらすものとして忌み嫌われていた。
 そんなわけだから、見た目はほとんど人間だったにも関わらず、俺は悪魔の血を引いているというだけで、母と同じく、また悪魔との間に子供を作った父と同じく、住んでいた村の村人たちから忌み嫌われ、虐げられた。
 外を歩くだけで後ろ指を指され、石を投げられた。
 食べ物を恵んでくれと頼んでも、悪魔に恵むものはないと断られた。
 道端で突然殴ったり蹴られたり暴行されることもあった。
 それでも俺は生きた。大勢のやつらから「死ね」と罵られても、そいつらの言う通りに死ぬのが癪で悔しかったから、ひもじくても、辛酸を舐めてでも生き延びた。
 ふと気づいたとき、俺は十五歳になっていた。
 父と母は死んでいた。父は急病で、母は村人たちからの暴力で。
 俺は十五歳になっても、一日を生き延びるので精一杯の毎日を送っていた。
 そんな中、俺の住んでいた村を含め、世界中が魔王の話題で持ち切りだった。
 魔王という存在は凡そ数百年前にあったという記述がとある書物に記されているらしく、何でもその数百年前に世界を征服しようと暴れていた魔王を、勇者と呼ばれる存在が封印したとされていた。なぜ倒すのではなく、封印だったのかは書かれていなかったという。
 とにかく、その魔王というのが、数百年越しに封印から目覚めて復活したという話だった。
 その証拠に、村に魔物と呼ばれる、普通の動物とは違う凶暴な生物が出没するようになって、村人を襲って殺したり、田畑を荒らしたりするようになった。
 ただでさえ陰気だった村は、魔物への恐怖でさらにどんよりした空気に満ちるようになった。もっとも、俺からすれば、村人に対しては「ざまぁみろ」という気持ちだったのだが。
 ある日、村に国王の城がある街から、使いの者を名乗る人間が何人かやって来た。
 そいつらの中から、代表に出てきた一人が村人たちに大声で言った。
「この村のすぐ近くの洞窟に、魔王を倒せるとされる伝説の剣が眠っている。そしてこの村の中に、伝説の剣を抜ける、勇者の称号を冠する人間がいると、城のお抱えの占い師の占い結果からわかった。この村の若い衆は、全員私たちとともにその洞窟についていってもらう」
 要約すると、そいつはそのようなことをぺらぺら話した。
 村の若い男たちは、村の中心にある広場に集められて、その洞窟に向かうことになった。
 俺はこの村の嫌われ者だし、どうせ伝説の剣なんか抜けやしないだろうから、どこかに隠れてやり過ごそうかと思ったが、使いの者の一人に捕まり、「お前もこの村の若い衆だろ? ほら、お前も来い」と連行される形で、俺も洞窟へと行く破目になった。
 山を一つ越えた辺りで、その洞窟に到着した。随分と大きくて深い洞窟だった。
 ぞろぞろその洞窟の中に入って、奥に進むと、徐々に通路が狭くなっていた。人が一人通るくらいがやっとの狭さになり出したとき、急に開けた空間に出た。
 どこからかは光が漏れ入ってくるのか、そこは洞窟の中にも関わらず少し明るかった。
 狭い通路と打って変わって、人が千人は入れそうなほど広い空間だった。その空間の中心に、地面が盛り上がっている部分があり、そこに一本の剣が刃を下に突き刺さっていた。
 不思議と古びた感じはせず、出来たばかりのような真新しい匂いのする剣だった。
「あれが伝説の剣だ」
 使いの者の一人が指差して言った。
 説明しなくとも、誰もがその剣が伝説の剣だと一目でわかっただろう。
 その剣は、それほどまでに異様な存在感を、その薄暗い空間の中で示していた。
「よし、まずはお前。あの剣を抜いてこい」
 使いの者は村の若い男の中から一人を適当に選出すると、剣を抜くように促した。
 選出された男はその剣を地面から抜こうとしたが、剣はびくともしなかった。
 その若い男が力を抜いているわけではないことは、その男の必死こいた表情を見ればわかった。
「ダメか、それでは次の者――」
 使いの者はそうやって、次々と若い男たちに剣を抜くように命じた。
 男たちは手柄を上げて街で出世できるチャンスだと、それはもう張り切って抜こうとするやつがほとんどだったが、どれだけ顔を真っ赤にして腕に力こぶを作ろうと、やはり剣は一ミリも動く気配はなく、まるでそこに固定されているように堂々と佇んでいるだけだった。
 とうとう、俺以外の全員が剣を抜くことができなかった。
「最後はお前だな」
 使いの者の目がついに俺に向けられた。
「いや待ってくださいよ。こいつには抜けませんよ」
 若い男たちの中から一人進み出てきた男が、使いの者に俺の告げ口を始めた。
 俺の家の隣に住んでいる靴屋のハンスだ。意地悪な野郎で、俺への嫌がらせも女々しくてしつこく、俺が村人の中でも三本の指には入るくらい嫌いなやつだった。
「なぜだ? なぜ試してみる前からそんなことがわかる?」
「こいつが人間と悪魔に間に産まれた、忌まわしいガキだからですよ!」
 ハンスは俺を指差し、洞窟いっぱいに反響するほどの大声で言った。
「悪魔の血を引いてるようなやつが、勇者になんかなれるわけがないでしょう!」
 ハンスは大袈裟な身振り手振りで、使いの者を説得する。
 俺はそれを呆れた目で眺めていた。
 結局のところ、悪魔の血を引き、村で嫌われている俺には剣を引き抜こうとする権利すらないのだ。
 どうせこの使いの者だって、ハンスの口車に乗せられて、それなら剣を抜かさなくてもいいな、という結論に達するのだろう。
 そう思っていた矢先、意外にも使いの者は首を大きく横に振った。
「ダメだ。剣を引き抜かせてみないことには、お前の意見は飲めない」
「で、でもですね――」
「これ以上我々の任務を邪魔するというのなら、特別な処置を取らせてもらう」
 使いの者は自分の腰に携えている剣に手を添えた。
「ひぃっ」とハンスは怯えた声を出し、「すいません」とぺこぺこしながら引き下がった。
「それではそこのお前、気を取り直してあの剣を抜いてみろ」
 使いの者に背中を押され、俺は一歩ずつその剣へと近づいていった。
 男たちは俺に、「お前になんか抜けるものか」と言いたげな嫌悪のこもった視線を向けていた。
 伝説の剣の前まで来た俺は、ゆっくりそれに触れた。
 金属の堅い感触。何人もの人間がすでに触れているはずなのに、とてもひんやりしていた。
 俺は一度深呼吸をし、力を込めて剣を引いた。
 果たして、そんなに力を込める必要もなかったかもしれない。
 伝説の剣は、今までの男たちの苦労が嘘のように、あっさりと地面から抜けたから。
 村のやつらの誰もが口を半開きにしたアホみたいな表情で、ぽかんと俺を見ていた。
 俺も難なく抜けた剣を片手に、ぽかんとその場に立ち尽くしていた。
 ハンスを突っぱねた使いの者がそんな俺に近寄ってきて、手を差し伸べてきた。
「よろしく――いえ、よろしくお願いします、勇者様」
 俺は頭の中が真っ白の唖然とした状態のまま、その手をそっと握った。

 引き抜いた伝説の剣を腰にぶら下げ、俺は街にある国王の城へと連れていかれた。
「やぁやぁ、よくぞ来てくれました、勇者様よ」
 国王は俺に対して最初から媚びた口調だった。そのわりには王座から俺を見下ろしていた。
 俺は城の中で歓迎され、豪勢な料理を振る舞われた。旨かった。夢中で腹の中に詰め込んだ。こんな料理は二度と食べられないかもしれないと思ったから。
「勇者様お一人では旅も大変でしょう。こちらでお供を用意しました」
 食後、国王が貼り付けたようなにこにこ顔で、俺にそのお供とやらを紹介してきた。
 そのお供というのが、騎士のアーモス、魔導士のイーカ、僧侶のダカンの三人だった。
 三人とも、城のお抱えの占い師の占いによって選出された面子だった。
 数日後、俺とその三人は城を出て、街を出て、森と山の向こうにある魔王の城を目指して旅を始めた。
 それからなんだかんだ冒険をしたりしたわけだが、俺にとってはどうでもいいエピソード以外の何物でもなかったから、一つも憶えていない。だからすべて割愛する。
 そうこうしているうちに、魔王の城に到着した。
 ここまではわりかし順調だったのだが、城内の攻略は結構きつかった。
 魔物が森にいるやつよりも三倍は強かったし、何よりも手強かったのは魔王の玉座のある部屋の前で待ち構えていた中ボスである。
 両手が刃物で、頭に巨大な角を生やしていて、口からは毒ガスを噴く、正直見た目からして魔王よりも強そうな魔物だった。
 この魔物との戦闘で、お供だった三人がいっぺんに死んだ。
 魔物は最終的に、イーカが毒ガスで苦しんでいるうちに俺がトドメを刺して殺した。
 そいつを倒した時点でイーカにはまだ息があったが、放っておいたら、じきに息絶えた。
 俺は玉座のある部屋に入り、玉座の上にふんぞり返る魔王と対峙した。
「くっくっく、勇者よ、よくここまで辿り付いた」
 そして冒頭のやり取りに続くわけである。

 まだ五歳の幼い俺は、村の外れにある山道を一人泣きながらとぼとぼ歩いている。
 身体は傷だらけだったし、口内は血の味で満ちていた。村のガキどもからリンチされたのだ。
 ガキどもは同い年にも関わらず、「お前なんか死んじまえ」「この悪魔の子が!」「気持ち悪いんだよ!」と好き勝手に罵り、怖がって無抵抗な俺を平気で殴りつけたし蹴りつけた。
「あいつら、殺す。いつか絶対殺す」俺は呪詛を吐きつつも、やはり涙は止められなかった。
 俺はこんな憂鬱を少しでも晴らすために、いつもの遊びに興じることにした。
 まず木の根元に行き、手で土を掘った。
 そうすると、土の中に潜んでいたミミズがうじゃうじゃ出てくる。
 俺はそのミミズを両手いっぱいになるくらいまで捕まえると、速足でその山道のさらに外れたところにある湖へと向かう。
 広々とした大きな湖だ。水はとても澄んでいて、湖の中で泳ぐ魚や水棲の昆虫なんかがよく見えるほど透明な水質だった。
 俺はミミズの一匹を、その湖の中に放り込む。
 ミミズはたちまちのうちに水の中でのたうち回り、溺れる。
 溺れるミミズには顔がついている。イーカの顔だ。そのミミズはイーカも顔をしている。
 苦悶の表情を浮かべて、苦しみもがいているイーカの顔だ。
 あれ? この頃の俺はまだイーカに出会ってなかったよな? まぁいい、まぁいいよ、別に。
 そのミミズが溺れ死に切らないうちに、もう二匹のミミズを湖の中に投入する。
 この二匹のミミズはそれぞれアーモスとダカンの顔をしている。アーモスミミズは随分と間抜けな顔をして溺れている。ダカンミミズはなんか表情までぼやけている。
 数匹ずつ投下するのもなんだか煩わしく、両手に集めていたミミズを一気にすべて湖へ。
 ミミズたちは皆各々村人の顔になる。先程俺をいじめたガキども。靴屋のハンス。少しも食べ物を恵んでくれなかった魚屋のヨージと肉屋のサーベと八百屋のイクライン。これみよがしに俺や俺の両親の悪い噂を広めた村娘のスミス。放任主義のクソ村長。その他色々。
 どいつもこいつも俺を虐げ、苦しめた連中だった。
 そいつらが今俺の手によって苦しんでいる。俺の口元から自然に笑みが零れた。
「ほらほらっ、溺れろ溺れろっ」
 俺はそう囃し立てながら、木の棒でのたうつミミズどもを突っつき回す。
 一匹、また一匹と、溺れ死んだ村人顔のミミズたちは湖の底へと沈んでいった。
 初めはくすくす程度の笑い声が、気づけばげらげらと山中に響くほど大きくなる。
 最後の一匹が溺れ死んで湖の底に沈み切るまで、俺の口から笑い声は絶えなかった。

 ブーンと耳元を羽虫の羽音が霞めた。
 ぼーっとした頭で瞼を上げると、真っ先に石壁の天井が目に入った。
 どこだ? ここ? 身体を起き上がらせて、辺りを見回してみる。
 石壁で出来ているところ以外、広さも天井の高さもごく普通の部屋だ。どこかの宿屋にもありそうな部屋。俺が寝ていたのもごく普通のベッドである。その他にも鏡台やタンスなどの家具が置かれていたが、すべてどこにでもあるようなありふれた普通のものだった。
 ベッドの横の壁には窓が設けられていて、その窓から眩しい朝日が室内に流れ込んできていた。
 それに目を細めていると、段々と昨日のことを思い出してきた。
 そうだ、昨日は魔王となんやかんやあったのだった。ということは、ここは魔王の城の中か。
 窓から外を見てみる。ひたすら森と山が広がっているばかりだった。
 急にこの部屋の木製のドアが、数度ノックされる。
「勇者様、お目覚めでしょうか?」
 ドアの向こうから、落ち着いた若い男の声が聞こえてきた。
 俺は一瞬逡巡したが、すぐに返答をした。
「あぁ、目覚めたぞ」
「部屋に入ってもよろしいでしょうか?」
「いいぞ」
 俺が許可すると、ドアが開き、執事服姿の二足歩行のヤギが入ってきた。
「ご朝食を用意してございます。どうぞ、食堂の方へ」
「その食堂には魔王もいるのか?」
「はい、おられます」
「わかった。案内してくれ」
 俺は執事ヤギに案内され、その部屋を出て食堂に向かった。
 その部屋から食堂へは、予想していたよりも遠かった。
 廊下は無駄に横幅も天井も広く、窓がなく灯りが蝋燭の火だけだから、暗がりも相まってどこまでも続いているように思えた。
 食堂は、俺が目覚めた部屋の十倍ほど広い空間だった。
 そんなに必要なのかというほど大きな長机が、どんと室内の中心に置かれている。
 長机の周りには、何人分あるかわからないくらい椅子が並べられている。
 その長机の周りに並べられた椅子の一つに、堂々たる態度で魔王が座っていた。
「おはよう、勇者よ」
 魔王は朗らかな笑顔で、俺に朝の挨拶を述べてきた。
「おはよう」と俺も小声で返した。聞こえていたかどうかはわからない。
「ほら、そこの席に腰かけろ。朝食を持ってこさせるから」
 魔王に促され、俺は魔王と向かい合わせになる席に腰を落ち着かせた。
 すると俺を案内した執事ヤギと同じ姿の家来どもがぞろぞろ出てきて、俺と魔王の前に朝食の膳を並べた。国王の城で並べられた料理と遜色がないほど豪勢な朝食だった。
「遠慮なく食え。もうお前は、私の家族のようなものだからな」
 魔王は豪快に笑うと、俺よりも先に朝食を食べ始めた。俺もまずスープを口に含んだ。
 旨かった。国王の城で食べた料理と同じくらい、いやそれ以上には。
 粗方料理を平らげると、魔王がやけにゆっくりした口調で俺に話しかけてきた。
「しかし、よく私の仲間になってくれたものだな」
「・・・・・・」
「なぜ決断してくれたんだ? お前は勇者なのに」
「――勇者なんか、人から押し付けられた称号だからだよ」
「ほう、勇者になるのは不本意だったのか?」
「・・・・・・」
 不本意では――なかったと思う。
 少なくとも、国王の城に呼ばれて、「勇者様、勇者様」と持て囃され、歓迎されているときは満更でもなかった。いや、嬉しかったし、俺はあのときは確かに自分に冠せられた勇者という称号に酔っていた。
 今は――今は違う。今は勇者という言葉の響きが、酷く空々しいものに聞こえて仕方ない。
「では質問を変えよう。お前は私の誘いを罠だとは思わなかったのか?」
「思ったよ」
 これには即答できた。
「罠の可能性を考慮した上で、私の誘いに乗ったということか?」
「罠だとは思ったけど、考慮なんかしなかったよ」
「それではなぜ私の誘いに乗ったのだ? 軽率な行動ではないか?」
「――別に、ここで死んでも構やしなかったから」
 今度は魔王が黙った。魔王は俺の顔をじっと真顔で見て、また笑顔に戻った。
「まさか勇者の口から出る言葉とは思えないな」
「だから勇者なんてのは、押し付けられただけのもんだっつってんだろ」
「いつから死にたいと思っていたのだ?」
「死にたかったわけじゃない。死んでもいいやと思っただけだ」
「死んでもいいと思いながら、私の城に着くまで旅をしていたのか?」
「――そうだ」
「死んでもいいと思ったから、私の罠かもしれない誘いに乗ったのか?」
「――そうだ」
「――お前、本気で私を倒そうとは思っていたのか?」
「全然、これっぽちも。魔王なんか死んでも生きててもどっちでもいいと思ったよ」
「旅をしている間も、私と対峙したときも、ずっとそう思っていたのか?」
「ずっとだ。この伝説の剣を抜いたときから、いやそれ以前から、ずっとだ」
 俺は自分の腰にぶら下がり、結局魔王に向けられることのなかった伝説の剣を叩いた。
 そう、俺は旅へと出発する前から、魔王なんかどうだっていいと開き直っていた。
 世界が滅ぼうが、世界が征服されようが、俺が知ったことではなかった。
 魔王さえ倒せば、この世界に平和と幸福がもたされるとか、そんな綺麗事にもうんざりだった。
 魔王を倒したところで、こんなクソみたいな世界が今更平和になるはずがない。
 今はどこの国も魔王という共通の敵がいるから一時休戦状態にあるが、魔王がいなくなれば魔王復活以前のように戦争をおっぱじめるに違いない。
 それに、魔王復活以前から俺に幸福の欠片も寄越さなかった世界に、幸福のお零れも恵んでくれなかったやつらに、何でこの俺が幸福をもたらさなきゃならない。なぜ俺が自己を犠牲にしなければならないのだ?
 だから俺は、元から魔王を倒す気もさらさらなかったのかもしれない。魔王を戦闘することになったら、適当なところで負けて殺されて、それで良いと思っていたのかもしれない。
 俺は色んな街へ行くごとにこう言われた。「勇者様は我々の希望だ」と。
 そのとき俺は思った。確かに思った。こいつらに希望なんかくれてやるものか、と。
 絶望をくれてやる。いくらでもくれてやる。希望を蓄えに蓄えたところで、一気に絶望をぶつけてやる。
 あぁ、だからか。だからここまで旅をして、魔王のところまで来たのか。
 俺に絶望ばかりを与えたくせに、俺からは希望をもらおうとする強欲で傲慢なこの世界の連中に復讐するために。復讐するためだけに、魔王に殺されようと。
「あー、わかった。お前と話してて、ようやくわかった」
「わかった? 何がだ?」
「全部だ。俺の考え、全部。お前の誘いに乗った理由も含めてな」
「はて? それは何だ?」
 俺は魔王に向かって、口を大きく広げて笑みを作った。この城に来て、いや産まれてから初めて、本気で笑った気がした。
「俺はこの世界の連中に、絶望を与えられれば何でも良かったんだ」

 それから俺と魔王は、世界の征服に勤しんだ。
 俺は魔物たちを引き連れ、先陣を切って街や村を襲撃した。
 逃げ惑うやつらを片っ端から斬り殺していくのは、とても胸が躍った。
 女や子供などの弱いやつを殺せば、その鳴き声や叫び声や悲鳴が心地よく鼓膜を揺らした。
 屈強な男を殺せば、剣を突き刺したときの歯応えがある感触が堪らなかった。
 熟練の戦士も騎士も、手強い魔物どもを次々と倒してきた俺には勝てなかった。
 村の長や国王どもは、最終的に俺、ひいては魔王に降伏せざるを得なかった。
 魔王と俺はそうやって、どんどん侵略範囲を広げていった。
 大抵のやつは俺が勇者であることに気付いた。
「ゆ、勇者様、何で――」
 全員そんな感じのことを呟いて死んでいった。
 大体言い終わらないうちに殺すから、最後まで話は聞かなかった。
 ただたまに急所を斬り損ねることもあって、とある男は俺に斬り付けられた腹部を抑えながら、「この裏切り者がっ!」と俺に向かって叫んだ。
「裏切るも何も元から仲間じゃねぇよ」と唾と一緒に吐き捨て、改めて殺した。
 中には俺を勇者だと気づかないやつや、元から知らないやつもいた。
 そういうやつは大抵がみすぼらしい格好をした貧乏人だった。
 俺と似た境遇のやつも多くいたに違いない。だが、俺はそいつらも殺した。
 俺は殺すやつを差別しなかった。農夫も、商人も、木こりも、騎士も、戦士も、魔導士も、僧侶も、貴族も、乞食も、男も、女も、子供も、老人も、白痴も、皆等しく殺した。
 普通の剣ならば数人斬り殺したところで、刃は零れるわ、人間の血液や油がべっとりと纏わりついて使い物にならなくなるが、不思議と伝説の剣は何十人を一気に斬り殺そうと、まるで新品のような輝きを放ち続けていた。そのため、俺は無遠慮に人を斬ることができた。
 一つの国を制圧するたびに、俺と魔王は城の中で祝杯を挙げた。
「いやー、勇者よ、今回もよくやってくれた」
 魔王は嬉しそうに頬を緩ませ、鳥の丸焼きにかぶりついた。
「お前は特に何もしてないな、魔王」
 俺が少し皮肉を言うと、魔王は照れるように頭を掻いた。
「お前が強すぎて、私の出る幕がないんだよ」
「まぁいいさ。魔王の名前と存在だけがあればな」
 俺は血のように赤いワインを喉に流し込みながら、ほくそ笑んだ。
 そういえば、ふと今更ながら聞きそびれていることを思い出す。
「なぁ、魔王」
「うん? 何だ?」
「何で俺に世界の半分をやるなんて言ったんだ? 罠でもなかったようだし」
「今更だな」
「今更だが、今まで訊いていなかったからな」
「・・・・・・」
 魔王は唐突に黙った。黙られたら余計に気になる。
「何だよ、何で黙ってんだ。今更隠すこともないだろ。教えてくれよ」
「――あれだよ、こいつなら私の世界征服の戦力になると思ったからだ」
「何だ、その適当な理由。もっと他にあるだろ」
「ただの勘みたいなものだったのだ。それにほら、実際に戦力になっているではないか」
「――なーんか、はぐらかされてる感じがするな」
「気のせいだ、気のせい」
 魔王は誤魔化すように手を振り、パンを噛み千切った。
 俺は釈然とはしなかったが、それ以上は追及もしなかった。

 そのうち、俺は自分を勇者として送り出した国を制圧した。
 まず俺が生まれ育った村を襲撃したのは、単純に俺の私怨だった。
 俺から逃げ惑う村人どもの姿は、幼い頃に溺れさせたミミズよりも滑稽で、哀れで、弱弱しくて、とても胸が晴れるような気分を俺に味合わせてくれた。
 俺はあえて恨みがそんなにないやつから、恨みの強いやつの順に狙って殺していった。
 最後に残ったのは、俺が特に恨んでいるやつら。クソ村長。お喋りな村娘のスミス(すでにババア)。魚屋のヨージ。肉屋のサーベ。八百屋のイクライン。靴屋のハンス。俺をいじめていたガキ(すでに大人)。
 こいつらを魔物に命じて縛り上げ、村長の順から首を斬っていた。
 わざと力を抜き、すぱっと首が胴から切り離されずに苦痛を延々と味わう目にたっぷり遭わせてやった。
 あまりにも痛みと苦しさに、やられたやつは声を大にして、びゃあびゃあ泣き叫びながら死んでいった。
 後に殺されることが確定している連中はそれに震え上がり、顔面から耳の先まで蒼白しながら、がくがくと恐怖と怯えで縮こまっていた。
 途中で靴屋のハンスが逃げようとしたが、すぐに周りに待機していた魔物に殺された。
 惜しい、俺の手で殺したかったのに、と少し残念だったが、まぁ死んだならざまぁみろだ。
 気を取り直して、俺は最後の一人まで拷問兼処刑を楽しみ抜いた。
 村人を全員殺害した後、あまりの快感に射精していたことは、魔王には内緒だった。
 さて、この村を殲滅したならこの国にもう用はない。さっさと国王の城を制圧しよう。
 俺は魔物どもを引き連れて、俺を勇者として送り出した国王の城へと向かった。
 道中であの幼い頃によくミミズを溺れさせていた湖に行き当たり、つい懐かしさに駆られて、当時と同じように土から掘り出したミミズを湖の中に放り込んだ。
 村人どもを皆殺しにした後では刺激がなく、またミミズに村人の顔がついているようにも見えなかったが、あの頃の思い出に浸ることができ、いつまでも微笑みを浮かべて眺めることができた。
 辛いことばかりだった私の幼い頃にとって、やはりこの湖でミミズを溺れさせている瞬間は、生活の中で最も安らかになれて至福の一時だったのだ、と改めて実感した。
 俺は一時間ほどそこにいると、名残惜しかったが、国王の城に再び向かった。
 魔物たちに街を襲わせ、混乱に乗じ、一気に城内へと攻め込んだ。
 城内では護衛や騎士が城を守ろうと俺に立ち向かってきたが、一人残らず俺に掠り傷すら残せなかった。
 大して苦労することもなく、王座のある部屋に突入できた。
「お、お前は――ゆ、勇者、だと?」
 国王は玉座にしがみつくように座り、その上で真っ青な顔をしてがくがく震えていた。
 俺の顔を見るなりいっそ狼狽し、目を白黒させて驚いた。
 俺は構わずに祭壇を駆け上がり、王座へと上がった。
 俺を歓迎したときですら俺を見下ろした国王は、俺に見下ろされていた。
「う、ううう、裏切ったのか! こ、ここ、こんなことしてただで済むと思って――」
「つべこべ言わずに降伏しろ。そうしたら話は終わりだ」
「だ、誰が魔王の手なんぞに堕ちるものか!」
「変なとこで意地を張るんじゃねぇよ、クソ国王」
 俺は国王の鼻先に剣を突きつけた。国王は「ひぃっ」と情けない声を出した。
「――降伏するな?」
「こ、こ、降伏します――」
 国王は両手を上げ、歯を打ち鳴らし、股間を濡らしながら俺に屈した。
 こうして俺の故郷の国も、魔王の配下に納まった。
 俺には復讐ができ、あの湖にも再び行け、非常に満足のいく制圧だった。
 それからも色んな国を制圧した。暑い国、寒い国、広大な砂漠がある国、氷に覆われた国、ジャングルが鬱蒼と生い茂る国、小さい国、大きい国、人口の多い国、人口の少ない国、土地の広い国、土地の狭い国、経済力のある裕福な国、経済力のない貧乏な国、戦争に強い国、戦争に弱い国、治安の良い国、治安の悪い国、様々な国を支配した。
 しかし、故郷の国を制圧したときのような満足感を得ることはできなかった。
 人を斬り殺しまくっていると、ふと人を斬るという行為が馬鹿らしいことのように思える瞬間があったが、また次に人を斬ったときには忘れていた。
 そうやって、俺は魔物を斬るために作られた伝説の剣を、人の血で汚し続けた。

 どのくらいの歳月を費やしただろう? 少なくとも数年そこらではない。
 幾人もの邪魔者が現れたが、俺と魔王の敵ではなかった。
 何せ魔王を倒せるのは俺の持つ伝説の剣のみ。その伝説の剣を持つ俺に、勝てる相手などいるわけがなかった。
 とうとう人も暮らせぬ最果ての地まで制圧して、俺と魔王はこの世界を完全に征服した。
 目標を達成するまでに、世界人口の三分の二を殺したが、まぁ結果オーライだった。
 それよりも俺は随分と歳を取った。数えてはいないが、凡そ四十歳くらいだろう。
 さすがに筋力も体力も落ち、若い頃ほど自由に剣を振り回せなくなった。
 だが三十五歳を超えた辺りで魔王が主導してくれたおかげで、私はあまり矢面に立たずに済んだ。
 魔王はすでに何百年かは生きているが、人間ではないので歳は取らなかった。
 ちなみに伝説の剣は、何年経っても打ち立てのような輝きを放っていた。
 何はともあれ、目的を達したのだ。当然盛大な祝杯が挙げられることになった。
「よくぞ、ここまで来たものだ」
 魔王は感極まったとばかりに少し涙ぐんだ。
「案外苦労しなかったな。もうちょっと大変だと思ったんだが」
 俺はリンゴを齧りながら、四十歳になっても生意気な口でそんなことを言う。
「お前のおかげだ、勇者。お前がいなくては私の目的が達成されることはなかった」
「そんなことないよ。第一、後半は魔王の方が先頭だったろうよ」
「前半にお前が活躍してくれたおかげだよ。本当に感謝する」
 魔王はそっと握手を求めて俺に手を差し伸べてきた。俺はそれに応じ、その手を握った。
「約束通り、世界の半分をお前にやろう」
「そりゃ有り難いが、どうやって半分に分けるんだ?」
「北の世界と南の世界の間に大きな壁を作り、二つに分断しよう」
「なるほど。それで一つは俺の世界、もう一つはお前の世界ってことか」
「そういうことだ。お前はどっちの世界がいい? 私は残りの世界をもらおう」
「――それじゃ俺は北の世界をもらおう」
 北の世界には、俺の故郷の国があった土地がある。そこにはあの湖がある。
「良かろう。それでは私は南の世界をもらおう。いやはや本当に今夜は気分が良い」
 魔王はにこにことわざとらしく笑いながら、ブランデーを呷った。
 俺はふと食堂の窓から、夜空を見上げた。
 満月の光を際立たせるように、その周りをたくさんの星の瞬きが取り囲んでいた。

 かくして、俺は北の世界の王になった。
 いや、王と称して正しいかは知らないが、とにかく北の世界の支配者になった。
 魔王の城は南にあったから、北の世界には新しく俺の城が建設された。
 俺の城は、魔王の城と大きさも広さも設計まですべて同じ造りだった。
 玉座も造らせた。それに腰かけてみると、なるほど、確かにここから人を見下ろすというのは優位に立っているような気分をより強固にするもので、俺や魔物たちが乗り込んできても、王座にいつまでもしがみついていた、あの国王の気持ちも、多少はわかるようだった。
 さて、せっかく世界の半分の支配者になったのだ。何もしないのではつまらない。
 俺はまず魔物たちに命じ、北の世界にいるありったけの魔導士どもを連れてこさせた。
 そしてその魔導士どもに命じ、俺に総出で若返りの魔法をかけさせた。
 嫌がった魔導士もいたが、そんな輩がその場で斬り殺した。
 一人を目の前で殺せば恐怖は伝染し、ほとんどのやつが俺に従わざるを得なくなった。
 魔法をかけられた私は、みるみるうちに若返っていた。
 顔に刻み込まれた皺は消え、半ば白くなっていた髪は再び黒々と染まり、落ちていた筋力も取り戻し、何よりも全身から若い頃のような活力が湧き出してきた。
 これはいいと味を占めた私は、魔導士どもをある一か所に監禁し、定期的に城の中へと連れてきては俺に肉体と精神を若返らせる魔法をかけるように命じた。
 もちろん嫌がる者、逃げ出そうとする者も続出したが、殺すことで大人しくさせた。
 肉体と精神が若返り、全身に活力がみなぎっているのはいいが、如何せんもう戦争や襲撃を仕掛ける必要も場所もなく、暇を持て余す破目になった。
 そこで、俺は城の隣にとある巨大なドーム状の建物を建設させた。
 そのドーム状の建物を『決闘場』と名付け、そこに北の世界の罪人を集めさせた。
 罪人は殺人、放火、窃盗などを犯した、凶悪犯ばかりだった。
 その罪人どもを『決闘場』の中に放ち、俺も伝説の剣を片手に入場した。
 持たせなくても良かったが、それでは退屈なので罪人どもにはちゃんと武器も持たせた。
 もうわかるだろう。俺がこれからすることは誰がどう考えても一つである。
 俺は『決闘場』の中を逃げ惑う罪人どもを、片っ端から叩き斬っていった。
 罪人どもは凶悪な悪事を犯したとは思えないような情けない顔をして、俺と伝説の剣を前に泣きべそを掻き、小便を漏らして股間を濡らしながら血塗れになって死んでいった。
 何だ、思ったよりも骨がない。何の抵抗もされないのではつまらない。
 俺は伝説の剣から粘り気のある血を振り払いながら、罪人どもを煽った。
「おい、罪人ども! そんなものか、腑抜けが! お前らは獄中で自分たちの過去の悪事を自慢し合っているようだが、そんな調子じゃあの世では自虐話にしかならんだろうな」
「何だと、てめぇ! 黙って聞いてりゃ調子乗りやがって!」
 狙い通り、ちょうど単細胞なやつが激昂して襲い掛かってきた。
 ここですぐに斬り殺してしまっては、やはりつまらない。
 わざと力を抜き、相手の攻撃を剣で受けてやる。ついでに後ずさりしてみたり、「くっ」と呻いてみたりして、意外と効いている小芝居も大サービスで演じてやった。
 そうしたら何を勘違いしたか、その罪人はにやりと笑みを浮かべた。
「何だ、元勇者つっても大したことねぇんだな」
 得意げにそんなことを抜かすものだから、笑いを堪えるのに苦労した。
 面白いから、もうちょっとだけ自由に泳がせてやることにした。
 罪人は眼球を血走らせて、持たされた巨大な剣を出鱈目にぶんぶん振るってくる。
 俺はそれをひたすら守りの姿勢で受け止めて、劣勢であるように演技した。
 本当は荒いし隙の多い攻撃で、いつでも一撃で倒すことができた。
 しかし、自分の方が優位だと思って暴れる人間の姿は滑稽で面白く、つい見入ってしまった。
 そうやって遊んでいると、周りも「これは今襲えば自分でも殺せるのではないか?」と察したのか、周りで遠巻きに眺めていただけの罪人も俺に向かって武器を振るってきた。
 ただどいつもこいつも歩く亀のようにのろく遅い攻撃だったので、避けるのは簡単だった。
 だが油断は禁物というもので、弓矢を放ったやつがいて、その矢が少し腕の部分にかすってしまった。
 これ以上遊んでいるのも飽きてきたので、そろそろ終わりにすることにした。
 まず血眼で剣を振り回していた罪人を、隙を見て一瞬でぶった斬った。
 罪人は腹の辺りを真っ直ぐ一の字に裂かれ、腸を垂らしながら死んだ。
 周りで息巻いていた連中が、息を飲み、怖気ずき、動きを止める。
 そこを見計らって次々と斬っていった。
 ほぼ作業をしているようで、案の定面白くなかった。
 五分もしないうちに、『決闘場』の中の罪人どもは全員血溜まりの中の死骸と化していた。
 俺は罪人の死体の頭を踏みにじりながら、とりあえずは満足だった。
 しばらくはそうして暇を潰していたが、そのうちそれにも飽き、また罪人もいなくなる。
 しかし、私の肉体と精神はまだまだ刺激と他人の血を欲していた。
 そこで今度は『決闘場』を取り壊し、新たに『拷問場』を建設した。
 文字通り、決闘をするのではなく、拷問をするところだ。
 その頃には罪人はもうほとんど残っていなかったから、俺は罪人の疑いがかかっている者を連れてこさせた。
 正確には罪人の疑いがかかっているが、犯行を否認している者だ。
 最初に来たのは青年だった。友人を殺した疑いがかけられているとか、まぁそんなのはどうでもいい。
 俺は試しにその青年の生爪を一枚ずつ剥ぐという、古典的な拷問を行ってみた。
 一見すると絵面は地味だし、さほど痛くもないように思えたが、青年は面白いように痛がった。
 それはもう顔を真っ赤にしたり真っ青にしたりして、文字にできない叫びを上げていた。
「さぁ、犯行を認めろ。そうすればこの拷問をやめてやる」
 お決まりの台詞を吐く。内心では認めるな、もう少し楽しませろ、と思っている。
 青年はふるふると首を横に振る。結構強情なやつのようだ。
 俺は鼻歌をうたいたいのを抑えながら、青年の生爪をすべて剥いだ。
 まだ青年は認める気配がないので、次の拷問へと移行した。
 お次は手と足に縄を括りつけて、四方に引っ張るというやつを試すことにした。
 青年の手足を縛り、四方に引っ張れば、青年はたちどころに耳を劈くような悲鳴を上げた。
「言いますっ、言いますからっ! 白状しますっ! だから助けてくれっ!」
「何を白状するんだ?」
「やりましたっ! 私がやりましたっ! お願いしますっ! だから助けてっ!」
 青年はついに音を上げ、絞り出すような声で喚いた。
 しかし、俺は四方に青年の足を引っ張る魔物に、引っ張るのをやめるようには命じなかった。
「何でだっ! 白状しただろうがっ! 認めただろうがっ! 助けろよっ!」
 鬼のような形相で怒鳴り散らす青年を、俺は冷笑のこもった目で見下ろす。
「お前は殺人を犯した。この世界の方で殺人は死罪だ。それを免れることはできない。それなら今ここで死罪にしても何の問題もない。遅いか早いかの違いだ」
「そ、そんな無茶苦茶な道理が――」
「道理? 馬鹿言うな。これこそが道理というもんだ」
「意味が――」
「俺はこの北の世界の支配者だ。世界の半分の支配者だ。道理や法は誰が決める? 答えは支配者だ。その世界を支配しているものだ。つまり俺だ。俺が道理や法を作る」
 青年はまた何を俺に言い返そうとしたようだが、それはできなかった。
 なぜなら青年が口を開いたところで、青年の手足は青年の胴体から引き千切れたからだ。
 青年は叫ぶこともなく、手足のない達磨姿で目を見開いたまま息絶えた。
 俺も青年の手足を引っ張っていた魔物たちも、腹を抱え、手を叩いて笑わざるを得なかった。
 これが予想以上に愉快だったので、俺はまたしばらくは拷問で遊んだ。
 犯罪の疑いがある者、俺に対して無礼な言動をした者、頭のおかしな狂人の類などを募って集め、全員に拷問をかけて認めるように白状させた上で、死罪にした。
 実際にそうかは関係なかった。『拷問場』に連れてこられた時点で死罪は確定していた。
 毎日ではなかったが、三日に一回は『拷問場』で遊ぶことができた。
 過去の文献を漁り、様々な拷問や処刑を試みた。
 膝の上に大きな岩を乗せて膝の骨を砕く拷問。シンプルに全身を槍でめったざす拷問。火あぶり。釜茹で。舌を引っこ抜く。針の上を歩かせる。熱々の鉄板を押し付ける。陰部にどろどろに溶かした銅を流し込む。じわじわ首に縄を縛って窒息させる。足の指の先をやすりで削る。毒蛇を――。
 ほぼ即死で逝くやつもいたし、少しずつ苦しみながら死んでいくやつもいた。
 どちらも俺に刺激を与え、そして血を騒がし、愉快な気持ちにさせた。
 下界の人々はそんな俺の暴君っぷりに恐れ慄き、俺のことを北の魔王と呼ぶようになった。誰も勇者と呼ぶやつはもういなかった。人間も、魔物も。
 もちろん、ただ拷問や処刑で遊んでいたわけではない。ちゃんと政治も行った。
 俺の政治のやり方は弾圧に次ぐ弾圧。言論の自由とやらの封殺。いわゆる独裁政権だ。
 俺は北の世界のやつらにあせくせ働かせ、その稼ぎをすべて税金として巻き上げた。
 これに文句や抗議を口にしようものなら、すぐさま『拷問場』送りである。
 人々は俺に逆らえず、毎日働くしかなく、北の世界はいつも重苦しく暗い空気がどんより立ち込める世界になった。
 人々の疲労に満ちた表情は、俺を非常に元気にさせた。
 拷問や処刑にすら飽きてきた頃、南の世界の魔王から食事会の招待状が届いた。
 拷問や処刑に夢中で、ここしばらく魔王と顔を合わせていないことを思い出した。
 俺はその食事会に出席した。場所は南の世界の魔王の城にて執り行われた。
 俺は魔王の城に向かうついでに、南の世界がどんな状態か視察することにした。
 こっそりと変装をし、一般市民に溶け込んで南の世界の街へと繰り出した俺は、愕然とした。
 南の世界の連中は、誰もが満面の笑みを浮かべて歩いていたからだ。
 北の世界とは大違いだ。あいつらが笑っている顔を俺は見たことがない。
 それだけではない。南の世界はみな裕福だ。商店はどこも賑わい、物を買うにしても値切る様子はない。笑顔で金を払い、商品を受け取っている。盗もうとする輩も見当たらない。
 これが北の世界なら、路上には浮浪者や乞食が溢れ、商店など始めてもありったけの商品を盗まれたり、強奪されるから、まるで商売にならないはずなのに。
 道端で世間話をしているやつらもいる。聞き耳を立てていれば、何と魔王の悪口をほざいているではないか。
 俺が支配する北の世界であれば、この時点で死罪であり、魔物たちがひっ捕らえて『拷問場』へと連れてくる手はずになっているが、そいつらの元に魔物が近づいてくる気配は一匹もなかった。というか、南の世界では魔物自体まったく見かけない。
 北の世界では、魔物は『拷問場』に連れていける人間を探して血眼で街を徘徊しているというのに。
 俺は驚き尽くめの中、魔王の城に到着し、食堂にて食事会は始まった。
 食事会といっても、豪華な料理が並ぶテーブルの前についたのは魔王と俺だけだった。
「勇者――いや北の魔王よ、その後はどうだ? 元気にやっているか?」
「あぁ、見ての通りぴんぴんでやってるよ。そっちはどうだ?」
「まずまずだ。別段問題もなく、平和にな」
 魔王の口から出た平和という単語は、一気に俺に動揺を与えた。
 先程まで見てきた南の世界の光景を思い出す。
 今訊ねるべきことではないのではないかとも思ったが、今訊ねなくとも、いずれ訊ねていただろう。だから今訊ねた。
「南の世界の様子を見てきたんだけどな――その――何だ、あれは?」
 上手く言葉にできず、曖昧な問い方になってしまった。
「うん? どういうことだ?」
「何であんなに平和なんだってことだよ」
「平和なことが可笑しいことなのか?」
「だってお前は魔王なんだぞ。この南の世界は、お前が支配する世界なんだぞ」
「それが何だというのだ?」
「魔王は世界征服を企み、そして世界を征服すれば暴虐無人の限りを尽くし、人々を苦しめ、この世を混乱に陥れる。そう噂されて恐れられてたから、勇者たる俺も派遣されたんだ」
「つまり私が支配する世界が、こんなにも平和なわけがないと?」
「そういうことだ。何でこんな平和な世界になった?」
「それは私が政治に世界が平和になるように働きかけているからな」
「方法を訊いてるんじゃない。お前の心情を訊いてるんだ」
「心情といったって、この南の世界が平和である方がいい、というのが私の心情だが」
「いつからそんな風に心変わりした?」
「心変わり? 心変わりなんかしとらんよ。元から私は私。それ以外のものではない」
「――何のために――何のために世界を征服しようなんて考えた?」
「何のために、とは?」
「お前は人間どもを苦しめるために世界を征服したかったんじゃないのか? 破滅へと導くために征服をしたかったんじゃないのか? それとも――最初から平和のためだったのか?」
「それをお前に説明する義務が、私にあるのか?」
 俺はカッとなり、がたっと椅子から立ち上がって、魔王の顔を指差し叫んだ。
「誰がここまで手助けしてやったと思ってる! 俺の協力がなけりゃ、お前は世界を征服なんかできやしなったし、そもそもあのとき俺に倒されているのが普通だったんだぞ!」
「わかっているよ。お前のおかげだと、よくわかっている」
 魔王はあくまでも冷静な態度だった。
「認めよう。私は平和のために、世界を征服しようと目論んだ」
 俺は魔王の告白に、ただ目を丸くするしかなかった。
「魔王が――あの極悪非道と文献にも記された魔王が――何で――」
「確かに、私は極悪非道だったよ。数百年間、封印される以前は」
「それが、何でこんな風に――」
「まぁそう慌てるな。ゆっくり話そう」
 魔王は一度ごほんっとわざとらしく咳払いをして、語り始めた。
「数百年前、封印される前の私は、それはもう魔王と呼ばれるのに相応しい振る舞いをしていた。人々を殺し、苦しめ、破滅に導くために世界を征服しようとした。そこに勇者がやってきた。君ではない。数百年前の、言うならば初代勇者だ。私はその勇者と戦った。お前のように世界の半分をやろうなんて誘ったりはしなかった。世界は私だけのものだと思っていたからな。しかし、私は結局その勇者に負けた。そして封印され、数百年間の眠りについた。その際に勇者の溢れる正義に犯されてな。それですっかり改心させられてしまった。封印が解け、数百年の眠りから醒めたときには、悪事をする気などこれっぽっちもなかった」
「でも街や村じゃ魔物が暴れてただろ? あれはお前の差し金じゃないのか?」
「確かに魔物どもは私の配下だ。私が仕向けたといっていい。しかし待て。まだ話は終わってない。封印が解けて復活を遂げた私は、人間に化けて街や村を見て回った。この世界で、人間に混じって余生を過ごそうと思ったのだ。しかし、私は人間界の実情を知って愕然とした。浮浪者や乞食が路地裏に溢れ、毎日のように国同士が戦争をしているのだ。街の人々も村の人々も、みな一様に暗い顔をしていた。勇者の心に触れたせいで、良心を開花されていた私は、どうにかしてこの世界の現状を改善させたいと考えた」
「まさか、その結論が世界征服だったとか言わないよな?」
「ご名答。私が辿り付いたただ一つの解答。それがこの世界を征服することだった」
「馬鹿な。お前は征服を完了するために、たくさんの人間を殺しただろ? あれだけの人間を殺しておきながら、どの口が平和なんぞとのたまってるんだ」
「多少の犠牲はつきものだったのだ。私も本意ではなかった」
「そんな言い訳が通用するか? そんなのはエゴだろ」
「確かにエゴだ。確かにエゴだが、私は頭に浮かんだ考えを実行せざるを得なかった」
「それで魔物たちを使わせて、国々を支配していこうとしたのか?」
「そうだ。そうしているうちに、お前が来た。勇者のお前だ」
「俺を仲間にすることで、さらに征服が捗ったと?」
「あぁ。まさか、ここまでお前が活躍してくれるとは思ってもみなかったがね」
「お前が世界の半分をやってでも俺を引き入れたのは、そんな理由か?」
「いや違うな。私は――」
 魔王はそこで一端黙り、どこか遠くを見るような目をした。
「――単純に同じ立場で話のできる仲間が欲しかっただけかもな、私は」
「は? そんなアホな理由で――」
「アホな理由かはともかく、お前が私の野望に大きく貢献してくれたのは事実だよ。お前がいなかったら、お前の言う通り私は世界を征服できていなかったかもしれない。それは本当に感謝しているし、有り難いと思っているよ、心の底から――」
 ありがとう、と魔王は頭を下げた。
 魔王の頭頂部を呆然と眺めながら、むらむらと怒りが湧いてきた。
「お前、今まで俺を騙してたのか?」
「騙してはいない。一言も征服の理由は説明していないだろう」
「だ、だが、魔王が世界を征服する理由が、平和のためとは普通は考えないだろが」
「私の征服を志す理由が、そんなにお前にとって重要なことだったのか?」
「それは――」
 俺は言葉を詰まらさざるを得なかった。
 なぜ自分がこんなに激昂しているのか、自分自身でもよくわからなかった。
 ただただ腹が立って腹が立って、どうしようもなかった。
「それより、お前の支配する北の世界の様子はどうだ?」
 魔王の唐突な話題変換に、俺はドギマギする。
「よ、様子はどうと訊かれても――」
「知っているぞ。相当酷いらしいな」
 魔王はそこでふと真顔になり、俺を睨むような目をした。
「配下の魔物に偵察に行かせたのだ。そして偵察した結果を伝えられて驚いたよ。北の世界の現状は、以前の世界――いやそれ以上に悲惨なことになっているとな」
「だから何だ? 北の世界を俺のものにしたのは、他でもない、お前だろが」
 俺は負けずと睨み返し、言い返した。
「そうだ。世界の半分をやると約束したのは私だ。だから北の世界はお前のものだ。しかし、今の北の世界の現状に目を瞑ることは、私には到底できそうにない」
「何をしようってんだよ? どう足掻いても俺のもんは俺のもんだ。渡さねぇぞ」
「渡さないなら、奪うまでだ」
 魔王はゆっくりと席を立ち上がり、もったいつけた口調で言った。
「北の世界に戦争を仕掛ける。勝った方がすべての世界の支配者だ」
「な、そんな本末転倒な。お前は戦争のない世界のために征服を――」
「それとこれとは話が別だ。私は目的を達成するためには手段を選ぶ気はない」
 魔王の瞳は、それが嘘ではなく本気であることを物語っていた。
 俺は決心し、溜息をついた。仕方がない。これはもう仕方がない。
「わかったよ」
「お? 戦争する気になったか? それとも大人しく北の世界を渡すか?」
「どっちでもねぇよ」
 決心した俺の動きは速かった。
 腰に携えた伝説の剣を抜き、一瞬で首を刎ねた。
 刎ねられた首は宙を舞い、数度回転すると、床に転がった。
 魔王の濃い紫色の血が、辺り一面に飛び散り、俺の顔や身体も返り血で汚した。
 残された魔王の身体は、ゆっくりとその巨体を後ろに転倒させた。
 しばらく食堂内を、鼓膜が痛くなるような静寂が占拠した。
「なんてことを・・・・・・」
 周りを取り囲んでいた召使いの魔物の一匹が、ぼそりと呟いた。
 俺は怯えた表情や、呆然とした表情を浮かべる魔物たちを見回して言う。
「今日から南の世界の支配者も俺な。文句はないよな?」
「良いわけないだろ」また別の魔物の一匹が怒りを露わにした声を上げた。
「あ、そう。嫌だっていうなら方法は一つだ」
 俺は魔王の紫色の血をまとった伝説の剣を、高々と掲げた。
 これで、もう俺が南の世界を支配することに反対の声を上げる者はいなかった。
 かくして、俺は殺した魔王に代わって、南の世界も支配した。
 つまり、俺は全世界の王、北の魔王ではなく、まさしく魔王になった。
 俺は北の世界の城を捨て、魔王の城で住むようになった。
 当然魔王の城の隣には、『決闘場』と『拷問場』の建設を開始させていた。
 それが出来るまでの退屈凌ぎに、さっそく南の世界の罪人どもを、大量に魔王の城に連れてきた。
 その罪人に片っ端から拷問をかけて遊んだが、ある違和感に気付いた。
 楽しくない。いくら罪人を殺しても、まったく楽しくないのだ。
 無理に楽しもうと笑い声を立ててみても、酷く空々しく、むしろさらに白けてどうしようもない。
 それどころか虚しさのような感情が胸に溢れてきて、拷問をする気もなくなった。
「もういい。今日はここらへんでもういい。俺はもう休む」
 そういって奥の広い自室へと引っ込み、ベッドの淵に腰かけてぼんやりとした。
 身体も精神もずっと若いままで、元気も体力もありあまり、刺激を欲しているはずだった。
 それなのに、胸のうちの虚無感は勢力範囲を拡大し続けているのだった。
 ただ、政治のやり方は変えなかった。
 世界の人間どもには、厳しい税を取り立てた。どれだけ市民の生活が圧迫されようが知ったことではない。
 北の世界同様、言論の自由は与えず、俺に少しでも不利になるようなことをのたまう輩はすぐさまひっ捕らえた。
 じきに、南の世界も北の世界のような暗い空気と感情が渦巻く場所へと変わっていった。
 これがいい。これが俺の望む世界だ、と俺は城の展望台から街を見下ろし、肩を落として歩く人々を見下しながら満足感に浸った。
 満足感に浸っているにも関わらず、やはり胸の内に貼り付いた虚無感は剥せなかった。
 まるで皮膚の一部になったように、ぴったりくっついていた。どれだけ高笑いしようと、誰かの首を刎ねようと、決して消えなかった。
 そんなある日、偵察係の魔物が慌てた様子で俺にこんな情報をもたらした。
「魔王様! 大変です! この城に勇者の一行が向かってきているようなのです!」
「なに? 勇者だと?」
 俺は咄嗟に自分の腰の辺りを見た。伝説の剣はちゃんと腰にぶら下がっている。
 もっとも、伝説の剣は今や禍々しいオーラを放つ、魔の剣と化しているが。
「勇者は俺一人じゃなかったのか?」
「どうやら伝説の剣は、この世界に二本あったようなのです」
「二本だと? そんなことは初耳だが?」
「最近見つかった古い文献に二本目の伝説の剣の在処が書かれていたのです。恐らく以前の勇者が、一本が使い物にならなくなったときのための予備として用意していたものと思われます。それでその剣を引き抜いた適性のあった少年が、仲間を引き連れてこちらに向かっているようなのです。魔王様、どういたしましょうか?」
「どうもこうもない。魔王なら魔王らしくするまでだ」
 俺は玉座から立ち上がり、威厳を意識した改まった口調で魔物たちに命じた。
「全力で勇者一行を向かい打て。そして殺せ」
 こうして俺は城の魔物も城の外の魔物も総動員し、新勇者一行に攻撃を仕掛けた。
 しかし、そこはさすが勇者とその仲間たち、雑魚の魔物など相手にもならないようだった。
 そうこう手を拱いているうちに、勇者一行は魔王の城の前へと到着してしまった。
 例によって偵察係の魔物が大慌てで俺に報告をした。
「魔王様! もうダメです! 勇者一行が城の中へと入ってきます!」
「案ずるな。城の中は罠だらけだし、まだ強い魔物がたくさんいる」
「そんな悠長なこと言っていたら、すべて突破されてしまいます!」
「大丈夫だ。何にせよ、最後は私が相手をする。だから大丈夫だ」
 俺は腰に差してある伝説の剣――いや魔の剣に触れ、にやりと不気味に笑ってみせた。
 実際に、俺は勇者になぞ負ける気がしなかった。つい最近伝説の剣を引き抜いて勇者になったやつと俺とでは、くぐってきた修羅場の数が違う。経験で俺が負けるはずがない。
 俺を屠れるのは、俺自身しかいない。俺はそう自負していた。
 勇者一行は魔王の城の中を突き進み、そして勇者一人のみが私の玉座の前に辿り付いた。
 金髪の髪に青い目をした、綺麗な身なりの青年だった。
 他の仲間たちは、ここに辿りつくまでに全員死んだようだった。
 ふと、自分が勇者として、この魔王の城にやって来たことを思い出した。
 そういえば、俺も仲間だったやつらがみんな死んだんだったな。何も感じなかったが。
 その新勇者は、正義感と怒りを宿した目で俺を睨み付けていた。
 今の境遇が似ていても、俺とは根本的に違う人間であることは、この時点でわかった。
 しばらく静寂が辺りを包み、俺と新勇者はただひたすらに睨み合っていた。
 このままでは埒が明かない。俺から何かを言うべきだろう。しかし何を言えば――。
 俺は初めて以前の魔王と対峙したときの、魔王の台詞を頭の中でなぞった。
「くっくっく、勇者よ、よくここまで辿り付いた」
 俺が口を開いたのに驚いたのか、勇者はさっと緊張感で身を強張らせながら剣を構えた。
 勇者はまだ何も喋らない。俺がまた何かを言うべきか。
 だが、次の台詞が思いつかない。以前の魔王の台詞も思い出せない。
 表面上は涼しい顔をして悩みながら、ぱっと頭に浮かんだ台詞を反射的に口にした。
「勇者よ、戦う前に提案がある。俺の仲間にならないか?」
 なぜかそう言ってしまった。
 勇者は意表を突かれたという表情で目を丸くしている。私も自分自身で驚いていた。
 なぜこのような提案をしてしまったのか。確かにあのときの魔王は勇者だった俺を仲間になるように誘った。しかしそれは、あいつ自身の目的のためだった。だが、俺にはこの勇者を仲間に引き入れる理由も打算も目的もない。仲間に誘う意味などない。
 それなのに、俺の口からはぽろりとその台詞が零れ落ちた。
 撤回しようかとも思ったが、俺の口はすでに続きの台詞を喋っていた。
「お前に世界の半分をやろう。どうだ? 仲間にならないか?」
 勇者は目を丸くし続けていた。俺は何も捕捉せずに返事を待った。
 またもや睨み合い、沈黙、静寂。
 勇者はこの提案を逡巡しているのだろう。かくいう俺も頭の中はフル回転だ。
 なぜ自分はあのときの魔王と同じ提案しているのか? それをずっと考えていた。
 しかし答えは一向に出ず、先に勇者が返事をした。
「いや、魔王の誘いになんか乗らない。俺は勇者だ! お前を倒す!」
 思ったよりも幼い声で、勇者は俺に拒否の返答を寄越した。
 やはり初めの印象通り、俺とはまったく別次元の人間だ、こいつは。
 別に残念な気持ちはなかった。半ば予想していたし、最初から結論は一つだったから。
 俺は一度息を吐き、そしてもう一度吸い、改めて吐くと同時に厳かな調子の声で言った。
「良かろう。ならば戦うまでだ。覚悟しろ、勇者」
 俺はゆっくり玉座から立ち上がり、腰の魔の剣を抜き、構えた。
「さぁ、どこからでもかかってこい」
「いざ、勝負!」
 勇者は俺に飛びかかってきた。俺はそれに応じた。

 その戦いはどれほど長く続いただろうか?
 勇者も俺も無言の中、暗い室内には剣と剣とがぶつかり合う音だけが響いていた。
 その合間に相手の荒い息遣いが聞こえ、剣と剣が触れ合ったとき、一瞬火花が散った。
 最初は俺の方が優勢に思えた。やはり経験の差だ。勇者は俺の動きに上手くついていけず、守りに徹する他ない様子だった。俺が勇者を斬り殺すのも時間の問題だと思っていた。
 が、じきに俺の方が劣勢になっていることに、気づくのが遅れた。
 剣だ。俺の奮っている剣が、みるみる刃毀れしてボロボロになっていくのだ。
 対して、相手の伝説の剣は、これだけ激しく剣同士をぶつけ合っても傷一つなく、暗闇の中で輝いていた。
 これが、伝説の剣の本来の力なのだろう、と俺は悟った。
 俺はあまりにも邪悪な心と人の血で、この剣を汚し続けた。
 その結果、俺の伝説の剣は伝説の剣と呼ばれるようなものではなくなり、また魔の剣と御大層な冠を被れるようなものでもなく、普通よりも劣る剣になり下がったと推測するのは、想像に容易かった。
 そして決着の瞬間は訪れた。何の前触れもなく、唐突に。
 もう何百回目かの剣と剣との接触の瞬間、俺の剣の刃が粉々に砕け散ったのだ。
 そしてその流れのまま、驚いている間に隙を突かれ、首を刎ねられた。
 それはもう見事に、首と胴体をばっさりと切り裂かれ、分断された。
 胴体はどさっと前のめりに倒れ、俺の首は宙を舞ったのちに床に転がった。
 胴体から切り離さ手もなお、俺には意識があった。ただ、息絶えるのは時間の問題だった。
 転がった拍子に頭が床についたところで止まってしまったらしく、俺の視界は逆さだった。
 その逆さの視界の中、俺を倒したことに歓喜の声を上げて喜ぶ勇者をぼんやり眺めた。
 脳裏を走馬灯が駆け巡った。
 ――あの村での虐げられ馬鹿にされた貧乏な日々、溺れさせて遊んだ湖とミミズ、あの洞窟で伝説の剣を引き抜いたこと、国王の城での料理、その後の名ばかりの仲間との冒険、魔王の城での戦闘、魔王との対峙、仲間になって魔王の城での食事、制圧のための戦い、勇者だと知って驚く人々の顔、あの村の連中の死に怯え絶望した表情、国王の情けない顔、圧制成功後の魔王との乾杯、世界の半分が俺の物になった瞬間、罪人や疑いのあるものを拷問したり処刑したときの血みどろの光景、魔王の本音を知りそしてその魔王を斬り殺した瞬間、そういう経緯を経て今、勇者に首を刎ねられる一瞬――。
意識は薄れていく中、記憶だけが昨日のことのように鮮明に目の前を駆け抜けた。
 思考まで薄ぼんやりしてきた。死ぬんだな、と思った。今まで好き勝手してきたが、ここで死ぬんだな、と。
 怖くはなかった。悔しくもなかった。ただ少しだけ、悲しかった。
 そのせいか、俺はどうやら首だけの状態で涙を流しているようだった。
 情けない。飛ぶ鳥あとを濁さず、といった感じで逝きたかったのだが。
 そこで気づいた。あぁ、そうか。そういうことか。
 俺があの勇者を、あのときの魔王と同じように仲間に引き入れようとしたのは――。
 単純に――寂しかったんだな。同じ立場で話ができる相手がいなくて。
 俺は馬鹿馬鹿し過ぎるのと情けないのとで、思いっ切り笑い出してしまいたい気分になったが、生憎口角はちっとも動かなかった。
 涙も、もう流れなくなっていた。
 もう一つ、死に際になって女々しく考えた。「もしも」のことを考えた。
 もしも、俺が魔王の仲間にならず、勇者として魔王を倒していたら――。
 そうしたら、俺はこんな惨めな想いを抱いて死なずに済んだろうか? 
 薄っぺらでも、表面上でも、反吐が出るほど偽善的でも、魔王を倒した英雄として迎えられたなら、褒め称えられたなら、俺はそちらの方が幸せだったのだろうか? 報われた気になれたのだろうか?
 後悔の念に襲われながら、情けなさに笑い泣きしたい気持ちで、最後の力を振り絞り、ぼそりと呟いた。
「世界の半分、もらわなけりゃ良かったかなぁ」



 行きも長かったが、帰りはさらに長い道のりのように感じた。
 しかし故郷の村が見えてきたときには、足や腰の痛み、疲労も忘れて走り出していた。
「おーい、みんなー! 帰ってきたぞー! 魔王を倒して帰ってきたぞー!」
 僕は思わずそう叫びながら、村へと走り込んだ。
 村の人たちがぞろぞろ住居から出てきて、僕を盛大に出迎えてくれた。
「おー、マルコ、帰ってきたのか!」
「魔王を倒したってのは本当か?」
「すごい! さすがは勇者ね!」
「これでもう莫大な税に悩まされずに済むぞ!」
「いつ目をつけられて処刑されるかとびくびくする必要もない!」
「これは平和な世界が訪れるぞ! 魔王になんか支配されない、自由で平和な世界だ!」
 村人たちは僕を胴上げし、口々に歓声を上げた。
 僕はあまりの嬉しさに、我も忘れて「僕はやったぞー!」と叫んでいた。
 お供だった三人が死んだのはみんな悲しんだが、それを差し引いても、僕一人が生き残ったことだけでも喜んでくれた。
 しかも魔王はもう倒された。人々の言うように、これからは魔王の支配に苦しませられることはない。魔王から世界は奪還されたのだ、僕の手によって。
「お前はこの村の誇りだし、世界を救った英雄だ!」
「そうよ! あなたはよくやったわ! 私たちの最高の宝物よ!」
 父と母はそう言って、僕を抱き締めてくれた。感動でほろりと涙が零れた。
 国という概念は魔王に支配されてから滅んでいたから、国王の城へと招待されて歓迎や褒美を受けることはできなかったが、今はこの村人の喜びようと達成感だけでも満足だった。
 村に帰ってきてから一週間は非常に穏やかで安らかな日々を過ごした。
「さぁ、魔王は死んだし、この世界を束縛するものは消えた! 今こそ新しいリーダーを決めるときだ。支配者でも、独裁者でもない。この世界のリーダーを、だ」
 そう誰かが言い出したのを皮切りに、世界の新たなリーダーを決定しようと議論の動きが高まった。それで、各村から一人代表者を集め、誰か最も相応しいか議論し合うことになった。当然、僕の街からは僕が代表として出席することになった。
「何せ魔王を倒した勇者だぞ。どう考えても決まりだな」と誰もが言った。
 僕もそう思った。新たなリーダーは僕が最も相応しいと。
 しかし、各村の代表者と集まって議論を始めてみれば、話は思わぬ方向に転がり出した。
「代表として来た身でなんだが、リーダーは勇者でどうだろう?」
 一人が開口一番にそう言い、ぱらぱらと拍手が起こった。
 これはもう決まりかなと思ったとき、「異議あり!」の声がどこからともなく上がった。
「何も一人でなくともいいだろう」
 その声を上げた人物は、顔を顰めてそんなことを言った。狐顔の男だった。
「王を一人決めるというのはこの世界の古くからの習わしだが、そんなものは今すぐ捨てた方がいい。王一人に全権を任せるということは、第二第三の魔王を生み出す結果になりかねない。第一、魔王が支配する国王だって似たようなものだっただろうが」
「それではどうしろと?」
「政治にこの世界の人間全員が関わるんだ。一人に全権を与えるのではなく、この世界の人間全員に平等に権利を与えて、格差をなくす。そして権力を一つに集中しないようにすることで、独裁政権を防ぐ。どうだ? 名案だろ? 俺はこれを民主制と名付けたんだ」
 その男は自分に酔い痴れるように、持論を熱弁した。
 代表者たちはみんな黙って聞いていたが、一様に困惑顔だった。
「全員平等に権利を与える――そんなことができるんでしょうか?」
「できるかではない。やるんだよ」
「いや、俺は反対だな。どれだけの時間と労力がかかるんだ。今は早急にリーダーを決定することが求められてるんだぞ。その民主制とやらは落ち着いた頃にしてくれ」
 反対の声を上げる者が現れた。太い眉の者だ。
 狐顔は太眉をキッと睨み付ける。
「何だと? 俺のせっかくの名案に、なんて言い草だ」
「何が名案だよ。そんなに名案だと思うなら、一人でやってみろよ」
「てめぇ、人並みの意見しか言えないくせに偉そうにしてんじゃねぇ!」
 狐顔は太眉に飛びかかった。それに太眉が好戦的な態度で応戦するから始末に終えない。
 狐顔と太眉は殴り合いの喧嘩を始めた。今にもどちらかを殴殺してしまいそうな勢いだ。
 人々は呆気に取られた様子だったが、僕は持ち前の正義感で仲裁に入った。
「やめてください! もっと冷静に話し合って――」
「うるせぇ! 邪魔すんな!」
 怒り狂った二人の力は異様に強く、僕はなぎ倒された。
 倒れた拍子に胸の辺りに痛みを感じ、そして見下ろし、驚愕した。
 胸に大きなナイフが突き刺さり、そこからどくどくと血が溢れ出していたからだ。
 ぐらっと視界が揺れ、その場に倒れた。血は容赦なく地面へと流れ出ていく。
 力を振り絞って見上げると、狐顔の顔面が蒼白になっていた。
 狐顔がナイフを出したところで僕が仲裁に入り、そのナイフが僕に刺さったようだった。
「た、大変だ! 勇者様がー!」
 人々は叫び、騒ぎ立てながら僕の周りを取り囲んだ。
「勇者様、今医者を呼んできて手当てをしますので! お気をしっかり!」
 そう呼びかける声も、段々と遠ざかっていく。意識ごと段々と遠ざかっていく。
 ようやく魔王を倒したというのに、こんな最期を迎えるとは――。
 僕は死の恐怖と人生への絶望、いっそのことという後悔の念をごちゃ混ぜにした感情を抱いた。
 一瞬のうちに脳裏で走馬灯の上映が終わり、思わず呟かずにはいられなかった。
「世界の半分、もらっときゃ良かったかなぁ」

せかいのはんぶん

せかいのはんぶん

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青年向け
更新日
登録日
2018-02-19

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