花時計

 春を迎えた石畳の街は『花時計祭り』が催され、街全体が花を纏っていた。甘い薫りが風に乗せて人々に迫りきて、誰もが明るい笑顔で挨拶を交わし、花を抱えて踊っていた。
 とある煉瓦の家の窓辺にも花が飾られ、その先の少女の薔薇色の微笑みさえも街の装いの一部となっている。
 少女オリビアは今、『花時計』の仕上げに入っている。彼女の白く細い指にも陽が差し込み、愛らしい生花を挿している。
「さあ。完成したわ」
 これは十七を迎えた『花乙女』の成人祭事の慣わしだ。祭りの行われる広場の噴水に自分たちで作った花時計が飾られ祭事が行われる。
「ついに私にも、待ち望んだこの祭事が巡って来たのね」
 幼いころの記憶に思い出されるのは、とある一人の女性。オリビアの憧れの人だ。
 幼かったオリビアは、姉とともに祭事の行われる広場に向かっていた。
 街の幼い女の子たちは、誰もが『花乙女』に頭をなでてもらえると、美しく健康に育つと伝えられていた。
 いつもと雰囲気を変えた噴水の前で、ひときわ注目を浴びる女性がいた。それはその年で唯一の十七の成人を迎えたシルビアという街娘で、シルビアの晴れ姿は本当の天使そのものだった。
 幼かったオリビアは目をきらきらとさせ、満面の笑顔で花乙女のもとへ走っていった。だが、石畳に足を取られてオリビアは転んでしまった。
 途端に大泣きした少女を見て、その花乙女はすぐに駆け寄りオリビアを抱え上げ、優しく微笑んで涙をぬぐってくれた。そしてポケットから甘く美しい花を閉じ込めたキャンディーを出し、小さな手に握らせてくれた。
 そのとき、オリビアは一瞬で花乙女の虜になり心の底からわきあがる幸福を得た気がした。
 そして時は経過し、オリビアは十七の花乙女になった。
 これから女性としての時を刻む花時計を祭りで捧げ、街からの祝福を受け、そして幼い少女たちに美と健康の笑顔を分け与える番。
 彼女は胸を躍らせて、完成した花時計を掲げた。窓から射す陽を透かして、とても可憐。
「オリビア」
 姉に呼ばれ、ドアを振り向いた。すでに彼女は祭りの装いである。彼女もわくわくして共に衣装の支度を手伝ってもらう。
 波打つ長い金髪にたくさんの花を飾り、白いヴェールの衣装を身に着け、花時計を手にした彼女を見た姉は、あまりに可憐で驚いた。
「オリビア。貴女を誇りに思うわ。こんなにも美しくなったのね」
 姉はぽろりと一滴の涙を流し、オリビアは姉のシニョンにまとめられた髪に花を挿した。
「リリーお姉さん。私もよ」
「さあ。行きましょう」
「はい」

 街ははなやいで、甘い薫りに充ちている。
 彼女、オリビアは花乙女たちと共に落ち合ってまるで妖精かのように軽やかに広場へと向かっていった。
「きゃ!」
 オリビアは花時計を落としかけ、しっかりとレースのロンググローブの手で持ち直し、顔を上げた。
「ごめん。大丈夫だったかい」
 ラテン系の青年がいた。心配そうに顔を覗き込んできて、オリビアは頬を染めてうつむいた。
「はい。心配はございません。わたくしこそまるではしゃいでいて」
 青年は安心して微笑み、他の友人に名前を呼ばれて振り返った。
「ああ」
 再び青年はオリビアを見つめた。
「じゃあ、気をつけて。僕はここで失礼するよ」
「はい」
 彼らは去っていき、しばらくオリビアはぽうっとしていた。

 乙女たちの成人の祭事にはその周りで成人した男の子たちが民族楽器を奏で輪になって踊る。噴水を囲って乙女たちがおり、花時計が飾られ、この祭りの日にだけ噴水の上に立てられるフェンスの櫓に一人一人登ってゆく。するとその上にいる司祭が祈りを捧げ、彼女たちを花乙女と認めるのだ。
 だんだんと夕べとなってゆく。
 花時計というのは、実際はゼンマイ仕掛けの時計が花に囲われているのではなく、花に囲われた一本のキャンドルが立っていた。そのキャンドルは花弁と精油から作られたものだ。
 花乙女たちがみな洗礼を受け終えると噴水を囲い、キャンドルに火が灯されていく。その蝋燭が時計となり、これからの彼女たちの時間が刻まれはじめるということだ。
 神聖な灯火は柔らかな花弁の先に揺れ、空には星明りがきらめき始める。
 花乙女たちが賛美の歌を捧げ、祭りは佳境に入った。

 深夜。オリビアは楽器の音色に目を覚ました。
 年季の入った大人たちはまだ酒屋で酒を楽しみ春風の街を出歩く声がする。祭りの後の静けさはまだ訪れない。
 その声を縫い、微かに聞こえる聴きなれない旋律。
 オリビアは部屋を出ると、音をさぐるために街に出た。やはり、誰もが浮かれて酒を手に踊ったり歌ったりをしている。
 彼女はふと暗がりの路地を見て、そちらへ歩いていく。そこはすでに人々の笑顔を照らしていた街のランプの届かない場所。
 石壁に囲まれた路地は静かになっていく。しかし、あの不思議な旋律だけは聞こえる。
「まあ……」
 彼女は驚いて昼に見た青年を見た。
「あれ。君は確か」
 笑顔で彼は彼女を見た。
「不思議な旋律が聞こえたから」
「ああ……これはアラビアの楽器」
「珍しいのね」
 彼女がそこまで行くと、彼は頷いた。
「僕らは西洋を旅して回っている流浪の民なんだ」
 爪弾きながら言い、いたずらに微笑し見上げてくる青年の瞳月明かりに照らされは野生的であり、異国の風雅に当てられてオリビアはめまいを起こしかけた。
「それなら、また行ってしまわれるの」
「ああ、そうだね……どれぐらい先になるかな」
 青年はまるでその先に青い海が見えるかのように、遠い目をした。
 いずれ去ってしまう。そんな寂しさにオリビアは肩を落とした。しかし顔を上げる。
「とっても素敵な演奏だったわ。共に踊って歌いたいぐらいに」
「いいよ。歌おうよ」
 彼女は踊り、彼は歌い、そして共に歌い、夜は流れていく。月が姿を隠しても、ランプの明かりに頼りながら。

 その後もオリビアは夜になると、彼に会うために家を出てあの広場に向かい、彼と共に踊り歌った。
昼には彼らは街の者に広場で踊りを見せていた。
 だが、流浪の民の旅立ちの日は必ず訪れるものだった。
 オリビアはその日が迫ることが怖かった。あの青年に会うことが出来なくなるのだ。
 一人、オリビアは明るい昼の林を歩いていた。気分は落ち込んでおり、頭は彼のことばかりだ。泉にさしかかり、寂しげな瞳で水面を見つめた。
 共に笑い合える時間。楽器に合わせて踊れる時間。二人で歌詞を作りあう時間。マナーの時間がどんなに厳しくても、彼に夜会いに行くと笑顔の内に元気になれた。全てが尊くて、貴重な時間。
「私の花時計は彼のために灯され始めたんだわ。そうならいいのに……どんなにか」
 瞼を伏せ、涙が滴り落ちた。
 彼からは奔放な心地よさを感じる。共にいるだけで楽しくて、かけがえが無い。
 けれど、許されないのだと分かっていた。だから思い悩むのだ。十七の大人になっても決して自由になったというわけではない。自分への責任と街への貢献の役目を与えられたのだ。流浪の民は流浪の人生がある。街娘には街娘の生活がある。
 そんなものも脱ぎ去って、自由に羽ばたきたい。
「ああ、空はこんなに青い」
 両手を広げた。胸いっぱいで張り裂けそうになるこの小さな胸が、自由に羽ばたきたいと言っている。
 彼女は、強く手を握ると腕を下げ、吹き上げる風に微笑んだ。優しげだが、強い笑みだった。

 「オリビア?」
 びくっとして彼女は肩越しに振り返った。
「あなた……、どこへ行くの?」
 オリビアは姉を見て、口をつぐんでトランクを持つ手を強くした。
「彼のところ」
 小さく言い、そして玄関から走っていった。
「オリビア?!」
 彼女は駆け出し、心から願った。彼が待ってくれていることを。待ち合わせをした。昨日の夜、林で落ち合おうと。彼は頷いてくれた。それは最大限の秘密を共有した二人だけの静かな目の交し合い。
 走り続け、息せき切って林にやってきた。
 昨日と同じ明るい林。
 頬が高潮するほど息を切らして見回し、また走る。金髪に囲まれる額の汗を手でぬぐい、笑顔で呼びかける。
「どこ?」
 木々の間を走って行き、またトランクから手を離して落としてしまった。
「もう、私ってドジね」
 また急いで拾って彼を探す。
「ねえ?」
 走ることで揺れる視界。だんだんと目がにじみはじめて、、笑顔が途絶えていきて、はらはらと雫が流れはじめた。
 その場に立ち止まって、泣きながら見回す。
「どこなの?」
 不安で張り裂けそうな胸に手を当てて、トランクをしっかり持って見回す。
「名前だって、教えてくれて」
 すでに嗚咽に変わり始め、うつむいて地面をぬらした。
「なんで?」
 狭い肩を揺らして泣き、しばらくそこから動けなかった。

 おぼろげに街を見つめる。歩きながら、けれど魂がどこかに行っているみたいだった。
「あれ。旅行かい」
 同い年の青年アルフレッドが微笑んで軽快に彼女に話しかけた。だが彼女はうつむいて首を横に振るだけだった。
「何かあったの?」
 アルフレッドは優しく聞いた。だが、彼女は首を横に振るだけで歩いていってしまった。
 街を歩き続け、ただただ悲しみが心を占領した。
 ふらっ
「あ、」
 石畳に足をつっかけ、彼女は転びかけた。
「危ないわ」
 腕をつかまれ、オリビアが顔を上げるとそこには美しい女性がいた。
「大丈夫?」
 懐かしい、どこかで聞いた声。優しげな瞳。柔和な雰囲気がその女性を包んでいる。
 それは、あの幼い日に見た花乙女。憧れの女性だった。
「シルビアさん……!」
 オリビアは彼女に抱きついていた。シルビアは驚き、だが微笑んで泣きはじめた彼女の髪を優しく優しく撫ではじめた。
「私、恋をしました。とても素敵な恋。シルビアさんが祝福してくれたように、とても大きな愛情を感じる恋」
 なのに、とオリビアは嗚咽をもらした。
「あなたはあのときの少女ね。よく覚えている。ちょっとおっちょこちょいで、愛らしい目をした子」
 シルビアはその後、街を離れて嫁いでいき、この街には長いこといなかったのだ。だから、この街での最後の思い出の日に出会った少女のことは鮮明に記憶に残っていた。
「流浪の人に恋をしたの」
「まあ。それは」
 泣きそぼるオリビアの頬をシルビアはぬぐい、しばらくして優しく言った。
「さっきね。街に到着する手前である一団を見たわ」
 オリビアは顔を上げ、シルビアを見た。
「一人の男の子が酷く泣いていて、街を離れるのを嫌がっていたみたいなの。キャラバンの人たちは困りきっていて、どうしたものかと頭を抱えていたわ」
「それはもしかして」
「私には分からない。けれど、急いで行ってみるのもいいかもしれない。それは、きっとあなたにとって辛い結果になるかもしれない。でもね、きっと行って、そのほうがいいから」
 オリビアは涙があふれ、シルビアを見つめた。
 お別れの言葉を言うことになるかもしれない。分からない。けれど、刹那オリビアは駆け出していた。街の出口へと。

 「待って!」
 青年はオリビアを振り返り、目を見開いた。
「オリビア」
 一団は顔を見合わせ、彼の断固として言う「運命の人」だという少女を見た。
「私」
 オリビアはまっすぐと彼のもとまで歩いていき、そして見上げた。
「私、あなたと共に行きたい」
「オリビア」
 だが、それは一団には許されない掟だった。それを青年は分かっていたというのに、彼女のほがらかな歌声に、おちゃめな笑顔に、ちょっとドジなかわいらしさに、一緒にいるそこはかとない安心感に、ずっと共にいたくていつづけた。彼女といると、心が充たされていた。
 彼は思い出す。花乙女のあの姿を。愛らしい焦り顔を。それが、洗礼式では崇高な歌声を乙女たちにとともに響かせ、大人びた顔を見せた。女の子は不思議なものだと思ったものだ。
 だが、流浪の旅は生半可な気持ちでは出来ないんだ。生活もその日暮し、危ないこともある。それも、分かっていた。
「オリビア」
 彼は大きく息を吸ってはくと、彼女の手に手を重ねた。
「僕は、去らなきゃならない。それなのに分からないふりをしたのが、君を傷つける結果になったんだ」
 オリビアは揺れる瞳で彼を見つめ続けた。望みは尽きぬほどに大きいというのに。それでもそれぞれの生活がここにはある。
 彼はそっと目を閉じ、彼女の頬に始めての口づけをした。オリビアの瞳から涙があふれ、強く包括をしあっていた。
 しばらく彼の家族は異なる一族の恋人同士を静かに見守った。
 人や人生というものは流れ流離うもの。それらの一粒でしかないけれど、それぞれが河底で強く光り輝く粒なのだ。ここで流れて海へたどり着くのも、耐えて流されずにさらに光り輝くのも、その人次第。
 春の野花が風に揺られる路で、恋人たちの別れがささやかながらも彩られた。せめても花乙女を元気つけようとしてだろうか? きっと、そうなのかもしれない。

花時計

花時計

2015,5。恋愛。西洋。中世。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-02-18

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