競争の中で

 ボーッとしてマラソンのテレビ中継を見ていたら、私の頭が「競争」というバトンを受け取って出鱈目に走り出した。
私は生物の生態や行動の大部分は究極的に競争に帰結すると考える。花は色、香を競って蝶を呼び、動物は捕食や繁殖で生存競争をする。人も生まれた時から人生レースに組み込まれ、苦労する。    
 人の世の雑多な競争の中でも学生の受験地獄は厳しい。結果次第では気の毒に、それまで瑞々しく真っ直ぐに育って来た若木が枯れたり歪んだりしてしまう。
職場では企業戦士が競争に駆り出され、あまりのストレスで命を落とす人もいる。痛ましいことだ。
賞というニンジンがぶら下がる所は競争心を煽られた人達で活気づく。評価されようとして、スポーツ界では0.01秒でも速い記録を作り、学術界では0.01秒でも早い発明、発見を目指す。しかし、このような所は栄光と挫折が渦巻いてドロドロとしている。成果があがらない選手がオリンピック代表をめぐってライバル選手を落し入れようとした。また、有名大学の研究室では論文の捏造がちょくちょく見られた。人並み以上の能力を持った人でさえ栄誉が欲しいとなれば、嫉妬と焦りが高じて不正をやる。競争には捨てがたい魅力と落とし穴があるようだ。
国際間では経済摩擦、民族紛争、宗教対立、イデオロギー対立が常態化していて、それが元で戦争が起る。戦争という国の存亡をかけた競争は昔から繰り返され、これによる無益な破壊と殺戮は人々を限りなく深い不幸と悲しみに突き落とす。人類滅亡を望む者は居ないと思うが、核戦争になったらどうなるか分からない。周辺国家のきな臭さが心配である。
 人生も後半になると自分は何時まで生きられるかに関心を持つ。老いても健康に工夫を凝らす人が増えて平均寿命は伸びて来た。それでも人生レースを「ピンピンコロリ」のハッピーエンドで終わるのは難しい。私のような難病持ちの「末期高齢者」が走る最終区間(いばらの道)は「生きやすい、死にやすいコース」になっていないから、へばりながら完走するのは大変だ。途中リタイアの規則がない国で、ゴールインするまで付きまとうストレスにどう対処すべきか悩ましい。たとえ仏門に入って「色即是空、空即是色」の境地に達したとしても病苦からは解放されないと思う。
そうなると、苦しさから逃れるために、失格覚悟でコースアウト(自死)やドーピング(安楽死)に思い至る人が出て来ても不思議ではない。
 私も自分の為にストレス回避法を考えなければならない。簡単な方法はないか。おお、そうだ、「競争」のバトンを次に渡して、全てを諦め、寝ることだ。そして家族旅行の夢でも見たらどうか。よし、これなら苦しくない。これで行こう。(そのまま目が覚めなければいいのだが) 1018/2/8

競争の中で