水晶の黒い猫
黒猫幻想小説です。PDF縦書きでお読みください。
快(かい)は私の隣の家に住む鉱物のことなら何でも知っているという小学校六年生である。このあたりは昔から水晶の出る土地で、ここから少し遠いが全国的に知られている水晶峠がある。そこは石英がごろごろしており、素人でもそれなりの水晶を拾うことができることで有名である。そのせいか、この町には石を集めている子供たちが多い。快少年の休日も近くの山にいって石を採取してくることであった。
快は勘がよいのか、玄人も目を見張るような珍しい石を拾ってくることがよくある。そんなときは、「これ拾ったんだ」と、私のところにもってきて見せてくれた。
市の土木事務所に勤めている私は、ときどき石集めの手助けを頼まれる。
ある日、近くの山の椿の木の根元に水晶のようなものがあるが、大きくて掘り出すことができないと快が言ってきた。そのときは日曜日になったら一緒にいくと約束した。
五月の終わり頃、天気の良い日曜日であった。岩を掘る道具のはいったザックを背負って快と朝早くその水晶を掘りに出かけた。
快と私は家をでると、中央通りを北に向かい、北中学校の脇から山の頂まで続く道に入った。雑木林に覆われている何処にでもある特徴のない平凡な山である。山の名前もあるのかないのか分からない。しかし、手入れはよくされていて風通しが良い。地図をみると市有地になっている。このあたりで水晶が出るとは聞いたことがなかった。
私たちが歩いている道は車も通ることのできる整備された道で道幅もある。雑木林に囲まれた山道を三十分ほど登ったところで、快少年は私に手招きをした。そこで道からそれて雑木林の中に入った。下草を掻き分けながら十分も歩くとゲートボール場ほどの広さの草地に出た。
大きな水溜りといったほどの小さな池もあり、辺には空に向かって元気よく枝を張った椿の木が一本生えている。こんなところに椿の木があることが不思議である。
椿の下は草があまり生えておらず土が露出している。
「活人(いきと)さん、ここ」
快は椿の下を指差した。
活人が見ると、確かに土の上に六角形の水晶の頭が顔を出しており、何かで少し掘った跡がある。
「僕が掘ったんだよ、はじめは石英が落ちているのかと思ったのでスコップですくおうとしたけど動かなかった。それで周りを掘ってみたけどなかなか出てこなかった。ずい分大きいものだなって思ったし、石探しの帰りに通ったところだったので、遅くなるといけないから止めたんだ」
活人はその周りに軽く鶴嘴(つるはし)を入れた。すぐカチンと硬いものにぶつかった。水晶は地中で大きく広がっているようだ。
なぜこんなところにあるのだろう。昔は水晶の山だったのが土に埋もれたのだろうか。
大きなスコップで周りの土を掘った。快もスコップを握った。二人で周りの土をかき出してしていくと、水晶は直径が五、六十センチは優に超える大きなものであることがわかった。高さも相当あるようで、簡単には掘り出すことができないだろう。
今日一日でどこまで出来るか分からない。しかし、幸いなことに土はひどく固いわけではない。池の水を水晶にかけながら、少しずつ掘っていくことにした。
二十分も掘ると五十センチほどの穴が掘れ、水晶の頭が顔を出した。曇った水晶で、中が黒っぽく見える。
「大きいなあ」
快が、水晶をなでた。
「すごいものを見つけたな」
「うん」
「ちょっと休んで、もう少し掘ってみよう」
ペットボトルの茶を飲むと周りを歩いていみた。池の中を覗くと小さな石が敷き詰められている池の底から透明な水が湧き出しているのが何ヶ所かで見られた。しかし、生き物のいる気配はなかった。どこかに流れ出ているはずであるがと、水の出口を探したが、そのよう流れはない。おそらく池の底に浸み込んでいるのであろう。このような池は正式な分類では水溜りの仲間にはいるのである。水の綺麗なことで有名な摩周湖には水が出て行く川がないそうで、正式には大きな水溜りなのだそうである。
快が一人で掘り始めた。私も鶴嘴をもった。下がどこまであるのか分からない。七、八十センチほど掘り進んだがまだ下のほうが見えない。押してもびくともしない。
「どうやら岩などに埋もれたものではなさそうだね」
単独に存在する大きな水晶ということである。
快もうなずいた。
「もう少し掘ろう」
汗を流しながら我々は黙々と掘った。
一メートルほど掘っただろう。水晶を押すと少し動いた。もう少し掘り下げると引き抜けるかもしれない。しかし、相当重そうである。
片方の水晶の周りを広く掘り下げた。水晶を押すと前よりもぐらぐらと揺らすことができた。もう少し回りを広げてから水晶を押し倒した。底の幅が八十センチメートル、高さが一・五メートルほどもある大きな水晶が傾いて出てきた。
「こりゃすごい、とても重くて持ち上げることはできないね」
「どうしよう」快は心配そうである。
「何とかなると思うよ、ロープと運ぶものを取りに行って来るから、快君はここで待っていてくれないか」
いったん家に戻り運ぶ道具を持ってこなければ無理である。
「はい」
快は水晶の土を落としている。
家にもどった私は、ロープと台車と小さなリヤカーを持ち出して、リフト付きの軽トラックに載せた。車だとさほど時間はかからない。市道の脇に車を止めて道具類を下ろし、リヤカーで快の待つ場所へと急いだ。
快は水晶にまたがって待っていた。嬉しそうである。
「水晶に乗ったお天狗さんだな」
活人がそう言うと、快はえくぼを寄せて水晶から下りた。
「ロープをかけてなんとか引き出そう」
水晶を起こすと、ロープをかけ、周りをさらに掘って斜めの道をつけた。
水晶の下に台車を入れると、水晶をその上に押し倒し引っ張った。
少しずつだが台車が動いた。普通の人ではなかなか動かすことはできなかっただろう。幸い活人は町の力持ちの一人として知られている。彼は高校のときからウェイトリフティング部で活躍し、そのようなことから、市役所の土木課に採用されたのである。
穴の中からやっとの思いで水晶を引き出すと、池の水を水晶にかけて泥を落とした。白くにごった水晶で、中に黒い大きなものが入っている。水泡のようなものが動いて見えるのは、水入り水晶かもしれない。水入り水晶は水晶ができたときの原始の水がとりこまれており、パワーストーンとして人気がある。
「快君、君の家に運ぼう」
快は笑顔でこっくりとうなずいた。拾った水晶は本人のものになるのだろう。しかしこれだけのものであれば、市に届け出なければならないだろう。掘り出したところを写真にでも撮っておけばよかったと悔やんだがもう遅い。
リヤカーにやっとの思いで台車ごと水晶を乗せると、市道まで時間をかけて引き上げた。リヤカーから、そこまでくれば簡単で、リフトで軽トラックの荷台に水晶を乗せた。
快の家は代々の庄屋だった。父親は中学の理科の先生をしており、片足が悪く、快と一緒に石探しに行くことをしないが、快の石の分類は喜んで手伝っている。だから、快の部屋には父親が買ってきた鉱物の図鑑がたくさんおいてある。母親の陽(よう)は町の中心街で観光客目当ての手作りの小間物屋を営んでおり、快の集めた石の一部がそこに飾ってある。観光客の中には売り物と間違えて値段を聞く者もいるほどきれいなものである。陽の作る個性のある動物の人形はよく売れている。陽は四〇を過ぎたようにはとても見えない色の白い美人である。
隣に住む活人の家は代々の大きな農家であったが、活人の父親の代で農地の多くは手放し、一部は貸しており、もう彼の家では農業を営んでいない。父は県庁に勤め、活人も市に勤めた。母は早くに病気で亡くしている。祖父母はもういない。父も一年前に事故で亡くしている。そのようなことでは活人はかなり大きな家に一人暮らしであった。
助手席に快が乗ると、活人はエンジンをかけた。
「すごいものみつけたね」
活人は快に声をかけた。
「うん」快は嬉しさが隠し切れない。
「どこに置いておくの」
「父さんに相談するよ。きっと床の間にしろというな」
「それはいいね、でも自分の部屋におきたいだろう」
「ちょっとね、でも、僕の部屋だといっぱいになっちゃうし、みんなにも見せたいな」
快の家の客間の床間には、富士の形をした黒い石が置いてある。先祖がどこかの川から拾ってきて磨いたものということである。富士の頂上には丸く磨いた水晶が乗っていた。活人も何度かその部屋には入ったことがある。
車はあっという間に快の家に着いた。活人は車を門のところで止めるとエンジンを切った。快が車から下りて家に駆け込んだ。
「父さん、大きな水晶みつけた」
父親の哲(てつ)由(よし)は自分の部屋からでてくると玄関から出てくると、活人に気がついた。
「あ、今日も快がお世話になったみたいで、すみません」
「いえ、快君すごいものを見つけましたよ」
哲由は軽トラックの荷台を見た。
「ホー、これはまた、大きな水晶ですね、どこでこんなものがとれたのです」
「市道から山に登る道に入り少し林の中に入ったところにありました。快君が見つけておいたものですが、こんなに大きなものとは予想していませんでした」
「こんな重いもの良く掘り出しましたね、活人さんのパワーがないと出来ませんね、曇った水晶だが、あ、水が入っているようだ」
哲由はさすがに理科の先生だけであって、すぐに動く気泡に気がついた。中には何か黒い大きな物も入っている。
快が「どこに置く」と言うと、
「活人さんが掘ってくださったのだから、活人さんどうしましょう」
と哲由は聞いた。
「いや、快君のものです、市には言っておきます。市の広報に載ると思いますよ、こんなに大きな天然水晶、近頃聞きませんから、市も驚くと思いますよ」
「本当にいいのですか、ありがとうございます。快はどこに置きたいのだい」
「床の間が格好いいよ」
「それでいいのかい」
「うん、みんなに見せたいから」」
「そうか、それじゃ、活人さんいいですか、うちに置かせてもらって」
「もちろんです、これは、快君のものです。それでは、これを運ぶ算段を考えましょう、僕一人では持ち上げることは難しい」
「この軽トラックを縁に近づけることができないから、いったん、リフトでここに下ろして、台車に載せて、庭にまわって縁側にのせましょう」
「それは大変だ、三井石材に頼みます、社長は私の同級生だし、慣れているから、職人をよこしてもらいます、来るまでお茶でもどうですか」
「そうですね、石材店ならお手の物でしょう」
活人はうなずいて、庭に回って、縁側に快と一緒に腰掛けた。
ほどなく、三井石材の職人が二人、小型のクレーン車でやってきた。
「親方に頼まれました、親方は組合のほうに行かなければいけないのでこちらに来れないということで、よろしくと言っておりました」
職人が玄関先で言った。
「ああ、それは親方から聞いております。門の前の車から水晶を移動してください」
職人たちは活人の車の荷台の水晶を見た。。
「こりゃすごい」
「快君が見つけたのですよ」
活人が説明した。
職人たちは手際よく水晶にロープをからませると、小型のクレー車を活人の車に近づけ、水晶を持ち上げると、もってきた台車にのせた。台車を二人で持ち上げると、門から中に入れて、裏木戸から庭に引っ張っていった。そのあと、ロープに六尺棒を通して、二人で担ぐと庭の水道の近くに運んだ。砂利の上に降ろして、バケツに水をくむと、水晶にかけて土を落とした。白く濁っているが、立派な六角柱の水晶である。
「こりゃ本当に見事だ、今まで見たことがない、中に黒いものが入っている」
職人の一人が、絞った雑巾で水晶をこすり、水気をとった。縁側に毛布を引くと、職人たちはロープをかけた水晶を持ち上げその上においた。
「だんなさん、残念だけどこのままでは立たないね、底が凸凹している。木の台座を作らないと無理だね」
水晶の底は少し斜めでもあり、立ったにしても、すぐに転んでしまうだろう。
「お宅で作ってくれないかね」
哲由が頼むと、「それじゃあ後で型を取りに来ます。作る木の種類で値が違うよ、いい木で作ると十数万もするね、もっとかなあ」と職人は言った。
哲由はうなずいた。
「それで、これはどこに運べばいいので」
「客間のほうに運んでください。その前に、床の間の石をどかさなければ」
哲由は職人を客間に連れて行った。活人もついていった。
「だんなさん、台ができるまで、床の間の前に寝かしとくほうがよかないですかね」
職人は床の間を見ると言った。床の間の広さだと寝かすことができないし、立てかけて置くことになる。
「そうしましょう」と哲由がうなずくと、職人は床の間の前に水晶を横たえた。
「立派ですね」
活人が水晶の表面を見ると雑巾で拭いただけにもかかわらず、ずいぶんと滑らかで綺麗である。
快が横たわった水晶の中の小さな泡を見ている。
活人も泡を見た。ずい分たくさんある。
「何億年か前の水と空気が閉じ込められているんだよ」
快はうなずいてつぶやくように返事をした。
「気の遠くなるような昔だなあ」
「水晶の中に地球の歴史がはいっているんだ」
「それじゃ、親方のほうから、連絡しますので、わしらはこれで帰ります」
職人たちは客間を出た。
「どうも世話になりました、私のほうから親方に電話します」
哲由は二人の職人に何がしかの心づけを渡した。
「親方は六時ごろにはもどると思いますで」
「さて、私も帰ります」
活人が帰り支度をすると、哲由が夕食に誘った。
「後で来てください、夕飯を一緒にでどうでしょう、家内が帰ったら支度させますので、水晶を見ながらゆっくりとビールでも、快も喜びます」
「はい、そりゃ、喜んで」
「それじゃ、活人さん、ぜひ」
「後でお伺いします」
活人は何度となく夕飯に呼ばれている。活人が急に父親をなくし、一人暮らしになったこともあり、快の両親はよく気遣ってくれる。そんなこともあり、快も兄のように活人を頼るようになった。
夕方になると快が活人の家にきた。
「七時ごろ来てほしいと母さんが言っていました」
ああ、ありがとう、あの水晶はどんなものだか分かったの」
と活人がたずねると
快は首を横に振った。
「わかんない、でも、すごいものであることは確かだって父さんが言っていた」
「それじゃ、あとでね」
快の家に行くと、三井石材の親方が水晶の底の型を粘土でとり終わったところであった。
「すごい水晶を見つけたものですな」
「快君が熱心で、よく見つけましたね」
「いや、活人さんが一緒に行ってくれなきゃとても掘り出せなかったでしょう」
そこに、ビールを持って快の母親の陽が入ってきた。陽はコップを親方と活人の前に置くとビールをついだ。
「快が大喜びです、こんなに立派な水晶が今でも採れるとはね」
「不思議ですね」
活人はビールを一口飲んだ。
三井の親方は一気にビールを空けると言った。
「木の台は黒檀で作るんだろ。いくらかかるか分からないよ。六角形の台になると思うが、この水晶は比較的きれいに上に伸びているから、見栄えがするだろうな。快君の一生の宝物になるよ」
「そうしてくれよ、高くてもいいよ」
哲由がうなずいた。
快もジュースを飲みながらみんなの話を聞いている。
「まだまだ、山梨の水晶はすてたものではないですね」
活人は枝豆をつまんだ。
「石拾いも面白そうだな、俺もやってみるか」
三井の親方が言った。
「石屋さんだから、商売にもなる」
「そうだなあ」
「でも、てっちゃんは、もうやらないのだろう」
三井の親方は哲由をてっちゃんと呼んでいる。
「この足になったからな」
哲由は動かない片足をさすった。
「あれは、中学生のときだったな、水晶山からてっちゃんが落ちて片足をだめにしたのは、水晶少年だったからなてっちゃんは」
快の父親の足のことを始めて聞いた。
「哲由さんも石少年だったのですか」
「そうでしたね」
陽が口をはさんだ。
「そんなことがあったので、快が山に入るのは心配なのですが、父さんが行かせてやれって」
「あんなに楽しいことはなかったと思いますね。透明なきれいな六角形の水晶を拾ったときには本当に嬉しかった。小学五年の時だった、それから、快のようにいつも山に行っていましたよ」
「そうなんです、中学の理科部の五人と水晶探しに行った時に落ちたの」
陽が言った。さらに、
「熱くてふらついた私をかばって、自分が急斜面から転落したの」とも言った。
「奥さんも同級生だったんですか」
活人はそれも始めて知った。快もへーっといった表情をしている。
「だから、この大きな水晶を快が見つけたと聞いたときは嬉しかったですな、活人さんには本当に感謝しています。自分で見つけたのと同じくらい嬉しかったですな」
目の脇にしわを寄せて哲由はビールを活人に注いだ。
「僕もよかったです」
活人も他人が喜ぶのを見て幸せを感じる人間のようだ。
「でも、陽ちゃんが哲由と一緒になるとは思っていなかったな、陽ちゃんは中学一の人気者だったし、哲由は石しかなかった石頭だったから、結びつかなかったねえ」
三井の親方が笑った。
「あら、いやだ」
陽が笑いながら三井の親方にビールをついだ。
快は両親たちの会話をなんとなく恥ずかしそうに聞いていた。
「この水晶は水が入っているようだし、黒い塊も入っている。何が入っているか分からないが珍しいと思うので、いずれ鉱物研究所で見てもらおう」
哲由が快に向かって言った。
快はうなずいて枝豆に手を伸ばした。
「黒檀の台ができるのに一月かかると思うけれども、その前がいいのじゃないかな」
「そうだね」
「こんな大きな黒檀を手に入れるのが大変だ、手に入れば早いけどな」
それから話は山梨の昔の水晶山のことになり、水晶は国の石なのだから日本の中心は山梨だという話になった。水晶の話で盛り上がり、活人は夜遅くになって家にもどった。
次の日から活人の仕事が忙しくなり日曜日も出なければならなかった。しばらくの間帰りも遅く、快とはなかなか会う機会がなかった。
二週間ほど経って、仕事も一段落し、いつものように土曜日に休みがとれた。
家の片付けに追われていたところに快がやってきた。
「活人さん」
「やー、快、久しぶりだね、水晶はどうだい、誰か見に来たかい」
「まだ誰にも言っていないんだ」
「そうだ、僕も市に届けていないな、忘れていたわけではないんだけど、ちょっと忙しかったんだ、写真を撮らせてもらおうかな、市の広報から見つけた時のことを快君に聞きに来ると思うよ」
「うん、それより、おかしなことがあるんだ」
「なんだい」
「夜になると、水晶の中からちゃぷちゃぷという水の音が聞こえてくるんだ。まるで誰かがお風呂に入っているような音だよ」
「快君だけに聞こえるのかい」
「父さんと母さんは何も聞こえないって言っている」
「水晶が振動して、水が揺れているのかな、夜だけなの」
「うん、ちょっと見てもらいたいのだけど」
快は嘘を言うような子ではない。ただ少し神経質のところはある。活人は快の家に行った。「お邪魔します」と声をかけて、快と一緒に客間に入った。
あれっと驚いたのは、床の間に立派な黒檀の台に支えられた水晶が立派に立っていたことである。もう台が出来ている。
「はやいね、立派な木の台だね」
「うん、三井のおじさんが運よくこの木を手に入れたからって、すぐ彫ってもってきてくれた」
黒檀の台はしっとりと黒く、水晶を際立たせている。
「中の水の泡がかなり頻繁に動いているね。ということは音が出ていても不思議はないね。快君は耳がいいのじゃないのかな」
「うん」
そこに陽が入ってきた。
「おや、いらっしゃい、また快が何かねだったのね、忙しいときすみません」
「ずいぶん早く台座ができましたね」
「そうなの、三井さんが偶然に甲斐門寺の住職から古くからあった黒檀の大きな木を譲ってもらったそうなの。寺の天井裏に乗せてあってほこりをかぶっていたのだそうよ。だから、ほとんど彫り賃だけでよかったの。本当に偶然って重なるものね。快にとってすごいお宝になりました」
「水の音がするって快君が言うので見に来たのですよ。確かに気泡が動いているので、音は出ているかもしれません」
「私たちには聞こえないけどそうかもしれないわ。それより、私はこの水晶が少し透き通ってきたように思えるのだけど気のせいかしら。お父さんもそう言うのよ」
「そういわれると、そのような感じもしないではありませんね」
「快は水の音は夜中に強くなるというの、私も夜中に起きてみたけど音は聞こえなかったわ」
「快君、夜中に迎えに来てくれる。そしたら、僕も聞いてみよう」
快は嬉しそうにうなずいた。
「そんな、大変なことお願いできないわ」
「いえ、いつも寝るのは一時か二時ですから、起きていますよ」
「快君どうだい、今日、呼びに来れるかい」
「うん」
その夜、十二時より少し前に快が呼びに来た。
活人はカメラとビデオカメラを持って家をでた。快の家の客間に行くと、水晶は少し透明度を増したように見える。中の黒い物体の形がはっきりしてきたようだ。水泡の動きが激しい。
「あ」、活人は声をあげた。
快も目を見張った。中の黒い物体が動いているようだ。水の中に浮かんでいる黒い物体は水が揺れると動くのだろう。泡がぶくぶくと黒い物体から出ている。それもなんだか気味が悪い。
活人はビデオカメラを水晶に近づけ焦点を合わせた。覗いてみると、黒い部分が確かに動いている。しばらく回し再生してみると、確かにぶくぶく、ぴちゃぴちゃと小さいながら水の音が入っている。
「快の言う通りだな、確かに水が動いている。泡も出ているようだ。化学反応をおこしているのかもしれないね。ということは水晶に小さな穴でも開いていて、周りの空気が入っている可能性がある。ずいぶんたくさん水が入っている水晶だな、それも珍しいね」
活人は水晶の天辺のあたりに小さな穴でも開いているのではないかと、くまなく調べた。ほんの十分の一ミリの穴でも、空気が中に入り、水が化学反応を起す可能性はある。
「目で見ただけでは分からないね、はやく鉱物研究所で調べてもらうといいね」
「父さんもそういっていた」
活人はさらに、何枚もの写真をとった。
活人と快の見ている前で水晶がぐらっと揺れた。
二週間ほど経った月曜日、毎月配布されている「市の広場」に水晶の写真が、快の顔写真とともに掲載され紹介されていた。
活人は県境で行われていた現場にカンズメになっていたために、土曜日になって久しぶりに家に帰り、そのパンフレットを見た。
[水の入った大きな天然水晶、小学六年生がみつける]
大々的なタイトルが目に留まった。写真の水晶の中の黒い影は生き物のような印象を与えている。記事には水晶を見つけた顛末が書かれており、活人の名前も載っていた。最後に水晶を快の自宅で公開していると書いてあった。
確かに快の家に見知らぬ人たちが時々入っていく。おそらく水晶を見に来ている客であろう。快の家の前に行って見ると、門柱には哲由が書いた[水晶をご覧になりたい方は呼び鈴を押してください]という札が貼ってあった。
見物客は子どもを抱いた若い女性が多かった。
乳母車をおした母親が連れ立って訪れたりしている。不思議なことである。
その後、その理由を市役所の職場で知ることになった。
子どもが生まれたばかりの同僚の話では、快の水晶は子どもを元気にしてくれるという噂が立っているのだそうだ。赤ちゃんを水晶の前に置くと、水の中の黒いものが動き出し、赤ん坊はその動きにつられて手足を動かして笑うのだそうだ。同僚の奥さんも子どもを連れていたったところ、まさにそのようなことが起きたということである。
しばらくして、活人は快の家の門をくぐった。
快が玄関に出てきた。両親はいないようだ。
「こんにちは、やっときてくれましたね。研究所の人も何度か来て調べていきました。穴が開いているかどうかも詳しくみてくれたのだけど、ないようだと言っていました」
水晶の黒い部分意外は透き通ってきている。
「黒いのは何だろうね」
「研究所の人もよくわからなけど、黒くて細い結晶が藻みたいに絡み合っているのではないかと言っていました」
黒い部分はくねくねと動いている。動物のように見える。
「赤ちゃんを連れた人がたくさん来ているね」
「水晶パワーだって、頭が良くなるって言ってたよ」
「それじゃ、快君はずーっとパワーにあたっているから、頭がもっと良くなるよ」
「活人さんまでそんなこというんだ、みんなにそう言われているよ」
快人は笑った。
呼び鈴がなった。
快は玄関にお客さんを迎えに行った。
案内をしてきたのは、子どもを抱いた二人の若いお母さんだった。
「どうぞこちらです」
快が大人びた言い方をして部屋に案内してきた。
「あら、大きな水晶、本当に黒いものが動いている」
お母さんたちは、子どもを畳の上におろした。
黒い影が動いた。
おちゃんこをしていた一人の赤ん坊が右手を前に出し、次に左手を出し、熊さんのような格好をすると、両手を畳から離してよろっと立ち上がった。
「あ、この子立った」
「初めてですか」
活人がたずねると母親がうなずいた。
「ええ、今までは、はいはいだけ」
すると、もう一人の子どもも立ち上がって、水晶の黒い部分の動きを目で追っている。
「あ、うちの子も、まだ、一歳にならないのよ」
二人の赤ちゃんは黒い影が動くと、キャキャッと笑って手をたたいた。
「本当に効き目があるのね、噂だけだと思っていたわ」
「わたしもよ」
母親は信じられない様子でわが子の変化を見守っている。
しばらく経つと、水晶の中の黒い影の動きが止まった。
赤ちゃんたちはまた、四つんばいになった。
二人の母親は子どもを抱き上げた。
「来てよかったわ、ありがとうございました」
このような奇跡に近い出来事を目の前にするのは活人も始めてである。雑誌にはしょっちゅう面白おかしく不思議な出来事が報道されているが、どれ一つ信じたことはなかった。しかし目の前で今のような出来事が展開すると信じてしまいたくなる。水晶の中の黒いものの動きは、赤ん坊の頭の中の、大人と違ったなにかを刺激しているのかもしれない。
母親たちを玄関まで見送った快がもどってきた。
「赤ちゃんはあの黒いものがなにか知っているんだよ」
「え、なんでそう思うんだい」
「あれじゃないかと思うのだけど、でもわかんない」
「あれって」
「赤ちゃんだって、あれがそばによってくると、喜ぶと思うよ」
「なんだい」
「猫」
「猫?、猫がこの水晶の中に入っていると思うのかい」
「うん、おかしいけど、黒い猫じゃないかなと思う」
活人は黒い影を見た。確かに、かたちは猫に似ているところがある。赤ちゃんには猫のように見えるのかもしれない。
黒い影は時々くにゃっとからだを捻る。それはテレビや映画で映し出される胎児の動きにも似ている。
快が言うには、生まれてすぐの赤ちゃんを水晶の前に置くと、ぐずっていてもすやすやと寝てしまうという。もう少し大きくなった赤ちゃんは口元をほころばせ、笑い声こそ上げないが、目をきょろきょろさせて上機嫌で手足をぱたぱたと動かし続けていたということである。一歳ほどの赤ちゃんでは、活人もみたように、立ち上がり、水晶を見つめて笑った。もっと大きくなった子供は水晶に話しかけ、はっきりとは聞きとれないが、出ておいで、と言っているように聞こえるということである。
哲由が帰ってきた。
「いらしていましたか、すごい水晶になりました。快のいうには中に黒猫がいるということですが、私もそうではないかと思っています」
父親までも快の言うことに同化している。
「そんなはずはないのですが、あの動きは確かに猫のような気がしますな、ありえないわけですが、ともかくそういうことにしておこうかと思います」
活人は理科の教師が言う言葉ではないと思いながら、ほほえましく聞いていた。
水晶が掘り出されてから半年ほどして鉱物研究所の結論がでた。この水晶は水ばかりではなく空気も多く含み、掘り出された衝撃で中に含まれた黒い鉱物の小さな結晶が泡の空気中の成分と化学反応を引き起こし、酸素を生みだしているのではないかということであった。水晶に亀裂などないことから、やがて反応は止まり、動かなくなるだろうということである。確かに、黒いものの動きは鈍ってきたようである。
活人はこの結論に納得したが、快と父親は動物が入っていると信じているようなそぶりであった。
しばらくすると水晶パワーの噂も薄れ、見に来る人も少なくなっていった。
寒かった冬も終わりに近づき、四月から快は中学生である。
山梨の桃の花が咲きはじめた頃のことであった。
夜の十二時はまわっていただろう。活人が布団に入って本を読んでいると快が呼びに来た。
「水晶が暴れている」
活人にはその意味が分からなかった。
「水晶ががたがたと揺れだしたんだ」
快が言い直した。
活人は快の後について水晶を見にいった。
確かに床の間で水晶が右へ左へとかなり大きく揺れている。今にも倒れそうだ。何が起きているのであろう。水晶は透明になり中の黒いものの輪郭がくっきりとしてきた。
活人は驚きをかくせなかった。
「地震でもないのになぜ揺れるのだろう」
活人が言い終わらないうちに水晶は台座ごと跳ね、床の間から畳の上に飛び出すと横倒しになった。
「あぶない」
前にいた活人と快はあわててよけた。
横倒しになった拍子に水晶の底が、蓋が外れるように割れ、水が音を立てて流れ出た。
黒いものも水とともに滑り出てくると、畳の上ですっくと立ちあがり黄色い目で活人を見た。
活人の大きなからだがすくんでしまっていた。
黒猫だった。大きな黒猫は髭を震わせると身づくろいをはじめた。一心不乱にからだをなめ、やがて快を見た。
黒い猫は近づいていくと、大きなからだを快に擦りよせた。
快は黒猫の頭をさすった。黒猫が目を細めた。
「お父さんとお母さんは、どこにいるの」
活人はやっと声が出た。
快は無言のまま指で居間のほうをさした。
活人は快の両親を呼びに行った。
電気の付いている居間を覗くと、両親は向き合って、テーブルの前に腰掛けていた。
「黒い猫が、水晶からでてきました」
活人は搾り出すように言った。
快の両親が活人のほうに振り返った。
活人は一歩後ろに下がり、首の辺りから鳥肌が立った。
快の父親と母親の顔は茶色に煤けた骨であった。二つの頭蓋骨は、こっくりとうなずいて、「ありがとうございました」、と言った。言い終わると二つの骨は崩れ落ち、粉になり、空気の中に散って行った。衣服が床に残った。それもやがて消えていった。
黒い猫と快が居間にやってきた。
快も活人に「ありがとうございました」と言った。
黒い猫がミューと鳴いたようだが、活人の耳には、「快を連れて行く、感謝している」と聞こえた。
活人はどこへと聞いた。
黒い猫は、
「水晶の山へ行く」と言った。
「何万年も先になるが、子どもの入った水晶が掘り出されるだろう」
とも言った。
黒い猫が快を従えて廊下にでた。活人も後を追った。玄関をでると、快が笑って手を振った。
黒い猫も黄色い目を活人に向けると、笑ったようだ。
彼らは、暗い道をしっかりと歩いて行った。
やがて、後姿も見えなくなった。
活人は家にもどり、布団に入ると今の出来事を無理に解釈するのはよそうと思った。この出来事を世間は一つの不思議な事件として報道するだろう。
それはその通りになった。水晶を盗みに入った賊が水晶を落とし壊してしまった盗難事件として、一家の不思議な消滅の事件として、数年は話題をさらっていた。
活人にはいくつかの問い合わせや、警察での証言以外は何も降りかからなかった。
見たことを警察には何一つ言わなかった。
水のでてしまった水晶は一緒に見つけた活人のものとして戻ってきた。今でも、活人の部屋の隅に水晶は立ててある。三井の親方が黒檀の台座を作り直してくれた。
快は何をしているのだろうか。きっと、あの黒い大きな猫に見守られ、水晶の中に封じ込まれるのをいつかいつかと楽しみにまっているのだろう。水晶の中で眠りにつき、何万年という時を越えて、地球がどのように変わっているのか見ることができるのだ。山梨があるのだろうか、日本があるのだろうか。
そのようなことがあって数年後、活人は結婚し子どももできた。
ある日、三歳になった活人の娘が公園の椿の木の根元で、生まれたばかりの真っ黒い猫を拾った。
黒い子猫はまんまるな黄色い眼を大きく開けて一緒にいた活人にむかってミューと鳴いた。
活人は快が水晶の中に入ったことを感じた。
娘たちが二十歳になると活人は必ず水入り水晶をお守りにプレゼントした。
黒い子猫は大きな猫になり三人の娘は兄のよう慕って大きくなった。
黒い猫は末娘が成人するまで子どもを見守り、二十七歳という長寿を全うし静かに死んでいった。
(「黒い猫」所収、自費出版 2015年 33部 一粒書房)
水晶の黒い猫