雪茸(せつじ)
前書き: 茸怪奇幻想小説です。PDF縦書きでお読みください。
雪がちらついてきた。村人たちは遠くの山々の真っ白な尾根を眺めて、これからしばらくは雪が止まないことを知った。
「亜栗山(あぐりやま)の天辺が霞んで見えねえ」
「んだ、雪は長いぞ」
村人たちは家の中で囲炉裏の脇に集まり、藁を編む日々となる。
「たま、こっちゃこ」
年寄りが猫を抱き上げた。胡座(あぐら)の上に乗せて、顎の下をなでる。猫はごろごろと喉を鳴らしはじめた。
亜栗山の麓から細い煙がのぼった。この雪の中で誰かが火を焚(た)いている。
雑木林の中には何本かの木が切り倒され、広場になっているところがある。そこでは雪がかき寄せられ土が見えている。
火を焚いているのは二人の白装束の女だった。女は火の様子を見ながら、木切れをくべ、煙の調子を加減している。
一人の女が切り株の上の雪を払うと腰をかけた。
「ちょっと休もうじゃないか」
「そうですね、具合良く煙が上っています」
もう一人の若い方の女も別の切り株の上に腰をかけた。
「これから雪空が長くなるよ」
「はい」
「煙を絶やさぬようにせねば」
若い女が立ち上がると小枝を火にくべて、再び腰をかけた。
「あんた、幾つにおなりだい」
「七つです」
「まだ、七百年かい、若いね、人を喰ったことがないだろう」
「はい、美味しいのだそうですが、ありません」
「私は八つの時に初めて食べたよ、男だったが、あまり味は良くなかった、若い方が旨いよ、そのあと、毎年一人食べている」
「姉(あね)さまはお幾つになられたのですか」
「十五さ」
「ということは、七百人食べたことになりますか」
「そうだね」
「どのように捕まえたらよいでしょう」
「捕まえる人間は自分じゃ選べない、教えてくれる方がいる」
「どこから食べるのがいいのでしょう」
「ふふ、まず、どこでもいいから、ちょっと噛みつくんだよ、そうすると、相手は、痺れがきて動けなくなる、そうしたら、足から食べてやるんだ」
「どこが一番おいしいのですか」
「ふふ、男ならあたしは咽仏(のどぼとけ)けさ、軟骨をしゃぶるのが好きなんだよ、だけど、美雪ばあさんは、肝臓だといっていたね」
「あの、三十三歳になる美雪姉さんですか」
「そう、人間だったら、三千三百歳ってことだね、だけど、あのばあさんは最近、猫ばかり喰らっている」
「どうしてでしょう」
「人間に飽きたのだそうだよ、それに猫なら自由に食えるからね、ほら、火を絶やさないように」
若い女はあわてて、枯れ枝をくべにいった。
「今年は食べることができるよ、私が連れていってやるよ」
「はい、お願いします」
白い煙が山の上にたなびいていくと、雪雲の中から、煙を伝わって、くねくねと白い大きな蛇が降りてきた。
「おお、来なすった」
女は立ち上がると、蛇が降り立つのを待った。
「雪蛇神さま、お久しぶりでございます」
女たちは腰を低くした。
降りてきた白い蛇は、とぐろを巻いて、上のほうから女たちを見下ろした。
「久しぶりだな、今年の煙はなかなか良かった、楽に降りることができたぞ」
「はい、それは喜ばしゅうございます、この娘が火を焚きましてございます」
「うむ、この娘か」
蛇は若い女を見た。
「はい」
「人を喰らうのは初めてのようだな」
「左様でございます」
「若い方がよいな」
「この娘山姥は臆病にございます、子供の方がよいと思います」
「そうか、糸の里に赤子が生まれた。寿命はもうすぐ尽きる、女の赤子じゃ、それにせい」
「ありがとうございます」
「おまえは、清見の村の樵(きこり)の息子がよいであろう、あの青年は今年中に木から落ちて死ぬ」
「はい、そういたします」
「糸の里にはお前もついていって、喰い方を教えるのだ」
「はい」
「雪蛇神さまここに用意してございます、心臓、お召し上がりください」
「うむ」
蛇はたき火の脇に暖められていた人間の心臓をひと飲みにした。
「うむ、去年お前の喰らった人間はあまり旨くなかっただろう」
「はい」
「ことしの青年は旨いぞ」
「楽しみでございます」
「それでは戻るとする」
「また、来年よろしくお願いいたします」
白い蛇は再び焚火の煙にのって、垂れこめた雪雲の中に消えていった。
「雪蛇神さまに差し上げた心臓は姉さまがお食べになった人間の心臓ですか」
「そうそう、言うのを忘れてたね、必ず心臓は食べないでとっとくのだよ、来年雪蛇神さまがきたときに差し出すのさ」
「雪蛇神さまは、姉さまが食べた人間は美味しくなかっただろうとおっしゃっていました」
「そうさ、昨年、雪蛇神さまがくださったのは、老婆だったさね、その心臓だったからね」
「さあ、これから、あんたの初めての人間喰いに付いて行ってあげよう」
姉さんと呼ばれた山姥は空中に浮かんだ。
「はい」
細身の若い山姥も空中に浮かんだ。
二人は雪の降りしきる宙を舞って、糸の里と呼ばれる村にむかった。
糸の里の庄屋の家である。
「おい、しのはまた熱を出しているのか」
「はい、微熱ですが、でも、お乳はよく飲みます」
「ああ、じゃが医者はあまりよくいわん」
「はい、できるだけのことはしてやりたいと思います」
「ああ、そうしてやれ、上の三人は元気に育ったのにのう、ちょっと不憫(ふびん)よの」
「はい」
赤いふかふかした布団の上で、女の子がちっちゃな手を胸の上で結んで、かわいい顔で天井を見ている。
「きれいな娘になるのにの」
父親は半分あきらめている様子である。
山姥が二人、天井裏からそれを見ていた。
若い山姥が姉さん山姥に尋ねている。
「あの子がもうすぐ死ぬ子なのですね」
「そうだね」
「かわいそう」
「そうだね、だからね、死ぬ前にさらってしまうのさ、そのほうがあの親たちにとって、幸せだよ」
「いつがよいのでしょう」
「明日あたりかね、弱る前がいいのさ、親は元気な時の子供の顔を思い出に残すことができるのさ」
姉さん山姥が屋根裏から外に飛び立った。若い山姥も後についた。
降りしきる雪は山姥のからだを通り過ぎて地面に落ちていく。
二人は林の中に入ると、杉の木の枝に止まった。
「わたしは、まだ動物を食べたことがありません」
「なんだい、それじゃ、なにを食べてきたね」
「はい、木の実や、若芽でございます」
「なんだね、それじゃ、鹿じゃないか」
「はい」
「お、あそこに兎がいる、半分ずつ食べようじゃないか」
姉さん山姥が枝から飛び降りると、すさまじい早さで兎をつかまえ、首筋に歯を食い込ませた。兎はぐったりして意識がない。
「先にもらうよ」
年をとった山姥は兎の頭をかじり、前足を食いちぎった。
「ほら」残った半身を若い山姥に手渡した。
若い山姥はおずおずと兎のからだにかじりついた。
「ほんと、おいしい」
若い山姥の顔に笑みが浮かんだ。あっというまに、兎の半身を食べた山姥はため息をついた。
「動物がこんなにおいしいとは思わなかった」
「人間はもっとおいしいよ」
「はい」
「特に小さい子は柔らかくてね」
今日も朝から雪が降っていた。
「朝早いほうがいいよ」
二人の山姥は暗いうちから庄屋の屋根裏に潜んだ。
女の子の脇に母親が寝ている。
「親が寝ているうちだよ、ほら、自分でやってごらん」
姉さん山姥が若い山姥に促した。
若い山姥は天井板をすりぬけると畳の上に降り立ち、女の子の首筋にちょっと歯をたてた。女の子は驚いて目を覚ましたが、泣きもせずすぐに目を閉じた。
若い山姥は子どもを布団から引き出すと、抱えて天井裏に運んだ。
「うまそうだね」
「はい」
「食べるところを見られるのはいやだろう、私は外にでているからね」
姉さん山姥は天井から雪の降る空中に浮かんだ。
若い山姥は女の子を頭からかじり始めた。
初めてのごちそうに若い山姥は夢中になった。手から体から足からあっというまにみんな食べてしまった。
「ほんとに美味しい」
そこに、あわてて、姉さん山姥が戻ってきた。
「あ、はやいね、もうみんな喰っちまったかい、もっと早く戻るべきだったね」
「はい、とてもおいしゅうございました」
若い山姥は何事かと姉さん山姥を見た。
「忘れちまったんだね、心臓は残しておいて、来年、雪蛇神さまに差し上げなければならなかったのだよ」
「あ、どうしましょう、忘れていました。すみません、心臓の味は格別でした」
「そりゃそうだろう、だから、雪蛇神さまに差し上げるのだよ」
「どういたしましょう」
「しかたないね、来年、お前に人間は与えられないだろうよ」
「はい、それは我慢いたします」
二人の山姥は亜栗山の麓に戻るため雪の降りしきる空を漂っている。
糸の里の庄屋の家では、赤ん坊がいなくなったと大騒ぎであった。
「おまえは、隣に寝ていてわからなかったのか」
「はい、目を覚ますと、しのはいませんでした」
庄屋の妻は目を真っ赤に腫れあがらせ、もう一滴の涙もでない。
そこに下男が庄屋を呼びに来た。
「だんな様、祈祷のばあさんが玄関に来ております」
「誰か呼んだのか」
「いえ、勝手に参りました。不吉なものがいるので、退治せねばならぬと言っております」
「そうか、通しなさい」
部屋に座ざしている祈祷のばあさんに庄屋がたずねた。
「なぜ来なすった」
「ここの子供が神隠しにあうというお告げがあった」
これを聞いた庄屋は驚きを隠せなかった。
「なんと、今娘がいなくなったところだ、どうしたら、見つかるかわかるのか」
「神様がのぞまれたのだ、安心してくだされ、お子さんの病もいえ、神の元で幸せに暮らすことになる、探すのを神は望んでおらぬ」
「そ、そんな」
庄屋は祈祷のばあさんの言葉に飲み込まれ、信じることもできない、だが信じなければならない、そんな気持になった。それに、医者に言われ、娘が死ぬことを一端は覚悟していたこともあり、子供が病から放たれたと言われ、どこかでほっとしていた。押し黙っている庄屋を見ながら、祈祷のばあさんは、座ったまま、なにやら呟きだした。やがて、床に頭を落とし、いきなり「もうこの家は大丈夫じゃ」と立ち上がった。
「しかたがあるまい、あの娘も病が癒え、今はしあわせじゃろう」
庄屋はそう、横で泣いている奥方に言った。
「あの祈祷師に、これを渡しなさい」
庄屋は金子を包んで下男に渡した。
外に出た祈祷師のばあさんは、真っ白な蛇になり、降りしきる雪のなかを、空に上っていった。山の上に来ると、もらった金子を放り投げた。
明くる日、二人の山姥は清見の森に住む、代々樵(きこり)を営んでいる家の天井裏に潜んだ。
「重蔵、この雪がやんだら、町に買いもんに行ってくれんかい」
「ああ、いいだよ、だけんど、雪がやむのは二、三日先になるべえ」
「爺様の薬が少なくなったでよ、まだあるから、急ぐことはないがよ、たのむよ」
「いいよ、このくらいの雪ならいつでもいってくらあ、ついでにちょっくら遊んでくらあ」
「去年は、一蔵とお前の両方が出稼ぎさいっちまったで、私が薬をもらいに行ってたのんだけんど、大変だったあ」
「ああ、兄やんと相談したんだよ、来年は俺が出稼ぎにいく」
兄の一蔵と重蔵の兄弟はこのあたりでも評判の腕のいい樵だった。父親の久蔵は病で死んで、今は母親と久蔵の父親の四人暮らしである。山の中の一軒家では冬越しは大変である。雪下ろしもままならない、今年は弟の重蔵がいるので、ずいぶん助かっている。
「明日いってくらあ」
「ああ」
重蔵は次の朝、雪がまだ止んではいないが町に向かった。
二人の山姥も空を飛んで重蔵の後に付いて行った。
町に着いた重蔵はいつもの宿をとった。
「おや、重蔵さん、雪が降る中、なんじゃね」
宿の女将が大仰にびっくりした顔をした。
「爺様の薬をもらいに来たのよ、ついでにちょっくら遊ぼう思ってな」
「誰を呼ぶかい」
「ウメがええな」
この宿では女も世話をしているようである。
「そいじゃ、ちょっくら、薬もらいにいってくる」
「はいよ、夕飯二人分用意しておこうかね」
「ああ、たのまあ」
その晩、二人の山姥は宿の屋根裏から、絡み合っている重蔵と女を見ていた。
「人間て面倒なことをしますのね」
若い山姥が年をとった山姥に言った。
「動物だからねえ、しかたないさ」
「ねえ、姉さん、いつ食べなさる」
「あの男の帰り道でいただきましょう」
「美味しそうですね」
「おまえさん、もう味をしめたんだね、猫でも食べておいで、人間は雪蛇神さまのおっしゃる者しか食べてはいけないのだよ」
「はい、私は、猫か犬で我慢をします」
それから、重蔵は三晩その宿に泊まった。その間、若い山姥は夜な夜なでかけて、猫や犬を食べた。
「やっぱり、あの子供はおいしうございました」
「そりゃそうだよ、最初に子供っていうのはおまえさんついていたね」
「はい」
「明日、重蔵は帰るようだよ、途中で私がいただくからね」
「はい」
山姥の言うとおり、重蔵は朝早く家路についた。いったん止んだ雪がまたちらついている。
重蔵が山道を歩いているところを、空から年をとった山姥が襲いかかった。重蔵の首筋に山姥の歯が当たると、重蔵はあっけなく雪の中にころがった。山姥は重蔵を足からかじり、あっと言う間に心臓を残して食べてしまった。山姥は最後に残しておいた咽仏を口に放り込み、噛みしめた。
「なかなか、旨い男だったよ、腕の筋肉がなんともいえなかったねえ」
「いつか私も、あのような男を食べてみたいものです」
「そうだね、いつか雪蛇神さまがくださるよ」
「はい」
雪の上には、重蔵の着ていたものと、持ち物だけが残されている。
二人の山姥は亜栗山の麓に戻っていった。
その日、重蔵の家に客があった。白髪の老人であった。
「旅の者にございます、この近くで、このようなものを拾いました。一番近くのこの家に持参した次第でございます」
老人は手にしていたものを重蔵の母親に見せた。
「これは、お坊さま、そ、それは、うちのせがれの着物だあ、それに、爺様の薬じゃが、どうしてだ」
「いや、道で拾いましてな、このお方は神隠しにあわれたようですな」
「え、重蔵が」
「はい、名誉なことと存じます、空のお方がおそばにお遣わしになったのでございます」
「え、それは、戻ってこんということで」
「はい、しかし、もうすぐ、兄の方が戻られるようでございます」
「一蔵は遠くに行ってるで、すぐには帰ってこんよ」
「いや、明日には戻っていらっしゃいます、これは私の感ずるところ」
「でも、なぜ重蔵が神のところに」
「重蔵さんがなにか良いことをなすったので、神仏が自分のそばに引き寄せたのだと思いまする、名誉なことよ、では急ぎますのでな」
坊さまは重蔵の家の外にでると独り言を言った。
「あぶない、あぶない、神主に化けねばならないところを、坊主に化けてしまった」
坊主は白い蛇に変わると天に昇っていったのである。
次の日、重蔵の家に本当に一蔵が帰ってきた。
「お前、なぜ急に帰ってきたんだ」
「寝ているときにお告げがあった。重蔵はどうした」
「神隠しにおうた」
「そりゃ大変じゃが、お告げもそう言っておった、名誉なことなのだろう」
こうして、春になろうとしていた。
亜栗山のふもとで、二人の山姥が話をしている。
「私は赤子の心臓を残しておかなかった」
「はじめてのことだからしかたないよ、雪蛇神さまもわかってくれるさ」
「だけど、なぜこのように肉を食べたくなるのでしょう」
「まだ若いからじゃろう」
「でも、無性に、人を食べたい」
「それはだめじゃ、食べられる人は決まっておる、動物ならよい」
「人が食べたい」
「おまえさん、子供を食べたら顔つきまで変わってきたね、瓜実(うりざね)顔の雪女のようにきれいだったのに、なんだか赤ら顔になって、鬼に近くなってきたようじゃないか」
「あら、いやだ、ほんとですか、姉さん」
「うん、もうすぐ春だよ、私たちも茸に戻らなければならないんだよ、そろそろ食べるのはお終いさね」
「はい、でも、人が食べたい」
「困ったもんだね、明日あたり、茸に戻ろうじゃないか」
春から雪の降る季節までの間は、山姥たちは茸になって過ごす。
「はい、明日、茸になります」
と言いながら、若い山姥は兎でも食べようと宙に舞った。
「あの娘は将来すごい山姥になりそうだね」
姉さん山姥は動物を食べに出かけた若い山姥を見送った。
明け方近くなって、若い山姥が切り株に腰掛けている姉さん山姥を木の上からじーっと眺めていた。
その顔は確かに鬼でもあり、優しい菩薩のような顔にも見えた。
いきなり、若い山姥は木の上から舞い降りると、姉さん山姥の首筋に歯をたてた。
「な、なにをするの」
姉さん山姥の叫び声はあっという間に消えていった。
山姥は切り株の上にうつ伏していた。
若い山姥は姉さん山姥を頭からかじり始めた。今度は心臓を残して、きれいに食べた。
「おいしい、人間の赤ん坊よりおいしい」
山姥を食べた若い山姥は独り言をつぶやいた。こうも言った。
「人間は雪蛇神さまの指図がないと食べてはいけないのですよね、でもほかの物はいいのですよね」
若い山姥は、姉さん山姥が埋めた樵の心臓の脇に、山姥の心臓を埋めた。
「本当においしかった」
山姥の顔は元の若い細面の瓜実顔に戻っていた。
山姥は着ている物を脱ぐと、煙とともに白い茸になって切り株の根本に立った。
雪(せつ)茸(じ)と呼ばれる茸である。
こうして、次の冬になるまで待つのである。
次の冬を迎えた。
亜栗山一体には雪が舞い、木々が白く包まれ始めた。大きな雪が落ちるようになり、山並が真っ白になったときに、雪の中から、白い茸がムクムクと大きくなり、あたりに胞子をまきちらした。やがて、その白い茸は白装束の山姥になった。あの若い山姥である。
山姥はあたりの雪をかき、切り株の周りに広場を作ると、焚火を始めた。白い煙が立ち上り、天まで昇っていった。
やがて、煙に沿って、白い大きな蛇が降りてきた。
「雪蛇神さま、よくおいでくださいました」
若い山姥は腰を低くした。
雪白蛇神はとぐろを巻いて、上から山姥を見下ろした。
「ふむ、久しぶりじゃ、お前一人なのじゃな」
「はい、姉様はいずこへかお出かけでございます」
「お前は子供を喰らったのであろう、美味かったか」
「はい、大そう美味しくいただきました」
「初めてだったのだな」
「はい」
返事をしながら、山姥は焚き火の脇で暖めておいた二つの心臓を、切り株の上に並べた。
「心の臓にございます」
「ふむ、お前に変わった茸が、胞子を撒いておったようだが」
「はい、そのようでございます」
「まず、二つの心臓を味あわせてもらおう」
白い蛇は、一つの心臓を丸飲みにした。
「ふむ、若い男の心臓はしまっていて旨いのう、あの山姥も旨かったと言っておったであろう」
「はい、そう申しておりました」
「どれ、もう一つの方も喰うか」
白い蛇はもう一つの心臓も丸飲みにした。
「ふー、久しぶりじゃ、山姥の心臓はやはり旨いものじゃ」
「おわかりになりましたか」
「お前は、あの山姥を喰ったのであろう、山姥は一番うまい」
「申しわけありません」
「ふむ、赤子の心臓をも喰ったのであろう」
「はい、無我夢中であまりのおいしさに我を忘れました」
「心臓を喰った山姥は山姥が喰いたくなるのだ、だから、心臓だけはわしが喰うことになっているのだ」
「そうでございますか」
「これからは、心臓を必ず残しなさい、そうしないと、わしがお前を喰らう」
「申し訳ありません」
「まあ、これも成り行きだが、心臓を喰らった山姥の茸は胞子をまき散らし、山姥が増える。このような偶然がなければ山姥は増えない、増えすぎると人間を食べ尽くす、それを見張っておるのが、わしらの役目よ」
「そうでございますか」
「今年は、白滝の村の長老を与える、あまり旨くないかもしれんが、これから、何千年と生きることになると、何千人と喰らうことになる、いろいろな時がある、しかたがないだろう、あの爺さんは春近くに熊に襲われる、だから食してもよいじゃろう」
「はい、心臓をきちんと残して、来年差し上げます」
「そうしてくれ」
「姉さんを食べてしまったこと、なにかお咎めがあるかと思いましたが」
「ふむ、それも時の流れ、しかたがないことだが、くれぐれも二度としないように」
「はい」
「では、また来年じゃ」
白い大きな蛇は煙にそって雪雲の中に消えていった。
白い茸の胞子は雪の中を漂い、日本の隅々にまで達した。
あちこちで雪茸が生えることになる。
いずれ、神隠しが多くなることであろう。
(「茸女譚」所収:2017年自費出版 33部 一粒書房)
雪茸(せつじ)