#リプでもらった台詞でお話を書く
「君は冷たいね」
しとしと、と、静寂を躊躇うみたいな雨がずっと降っていた。春の夜。身を上手にほぐせなかった、ぐちゃぐちゃに残された魚の骨のような気分だった。食卓には、まだ片付けていない夕食の皿が、その上にはぼろぼろの魚が、待っている。痛い、のだろうか。じぶんの身を崩されていると思ってしまうほどに。自分の呼吸。曇る空気。濁った天井。いつもどおりの空間。不明瞭な空間で耳に入る音から、ただ、雨が降っているな、と、思った。
窓にそっと目をやると、濡れた硝子の奥には鈍い、昏い空間が広がっている。室内は蛍光灯の、淡い橙色のひかりに照らされている。橙色に似合わないほど、この部屋は冷たかった。ひかりの前で揺れる埃。外から見れば、この部屋の中は温かいひかりに包まれているのだろうか。
見えているものだけがすべてとは限りない、と、ありふれた、それでいて忘れてしまいがちなことばが頭をよぎった。
「風呂、あいたけど」
濡れた髪をそのままにした恋人が、橙色の下に照らされる。「うん」と、私の返事を聞いているのかもわからない恋人は冷蔵庫の扉を開けて、ミネラルウォーターを取り出す。そのくちびるが、蓋のあけられたペットボトルを咥えて。水分を吸収する恋人は、その髪の先から水滴を落とすのだから不思議だ。ぽた、ぽた、と。恋人が歩いた後にはちいさな水滴が残されている。
「雨、降ってんのか」
「さっきから、ずっと降ってたよ?」
「まじ? 全然気づかなかった」
恋人は、窓のほうを見やった。でも、きっと、恋人は窓の外なんてちっとも見ていなくて、その隣の壁に掛けられた時計を見ている。おそらく。時計の針は、22時10分を示していた。
今日が終わるまで、あと2時間足らず。
そんなことを考えさせる時点で、恋人は失格なのかもしれない。
「君は冷たいね」
私はこんなに、熱いのに。
恋人は、そうかよ、と、私の肌に触れる。その手のひらは熱い。「お前のほうが冷たいじゃん」と、恋人は可笑しそうに笑った。本当に、体温のことを言っていると思っているのか。私には、そのことのほうが、ずっと可笑しかった。そのゆび先は、いとおしそうに私の上を揺れる。それは本当にいとおしそうなまなざしで、でもたしかに偽物で、輪郭をわからなくさせるように眩暈がする。
恋人は、まちがいなく私の恋人だ。でも、それは永遠ではない。
今日だけの。恋人代行サービス。一日限りの愛情をもたらすのが恋人の、彼の仕事。歳をとれば、愛情にさえも値段がつくのか、と、初めて知った。
「 」
雨に濡れる、朝焼けのような声が、私の鼓膜を揺らす。
偽物みたいなくちびるで、本当みたいな愛をささやく彼の首に腕を回した。
残された時間で、彼は必死に代金分の愛を支払ってくれるのだろう。3時間で1万5000円。きっと、残りの1万円くらいの愛情を、優しくてけだもののような行為で私に注いでくれるのだ。おたがいの切れ目がわからなくなるくらい、一緒になって、日が変われば、また、ふたつになる。それなら、いっそのこと、骨すらも残らないほど、ぐちゃぐちゃにしてくれればいい。私だけが傷つけられて、ひとつに戻れないからだで、また、新しい恋人を。
私を見つめた彼が、優しく瞳を細める。睫毛がさらり、と、音をたてて、瞼の上に口づけを落とされる。彼のくちびるが動くのを見つけて、静かに瞼を下した。
誰かと一緒に居たい夜。かたちを失くすほど、痛い夜。
了
颯陽さんより
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