産まし茸
茸短編小説です。PDF縦書きでお読みください。
青森の山奥にある小さな村の、ある家族の話である。
雪国の冬は厳しい。春や夏、それに秋に採れた山菜や茸は塩漬けにし、雪が降り始めてから採れたものは、雪の中に埋めて保存をする。
「じいちゃん、この茸はなにするね」
五歳になった八平は祖父の権造に、今権造が採って来た青い茸の入っている籠をもってきた。
「そこにおいとけや、わしがやっとくで」
最近、八平は権造の手伝いをよくする。山から茸を採ってくると、樽に入れて塩をまぶすのを手伝ったり、味噌につけるのを手伝ったり、働き者である。
権造はもうすぐ七十になる。六十半ばまでかなり腕の良い猟師として働いていたが、足腰の衰えを感じて、山奥の猟はしないようになった。しかし、鉄砲を担いで近くの山に出かけたり、茸や山菜採りをして元気に働いている。
今も土間で、近くから採ってきた茸を塩漬けにしていた。
「こんな、青い茸初めてだべさ」
「おおや、そこおいとき、今手伝いいらんで、遊んどいで」
「ほいじゃ、ここに置いとく、でも、何で別にしちょったん」
「喰えるかどうか、分からんじゃに、与平爺さんのところに持っていくんじゃ」
与平爺さんはもう八十を越す村の長老の一人である。猟師としての腕も村一番であったが、茸についても物知りで、採った茸で喰えるかどうかわからんものは必ず与平爺さんのところに持っていく。だけど権造も茸についてはかなり詳しい。
「ふーん」
八平は爺ちゃんでも知らない茸があるんだなと不思議に思った。
八平は籠を権造の脇において庭に遊びにでた。
そこに、朝の畑を手伝いにいっていた母親のミツが戻ってきた。
「おっかあ」
八平が駆け寄った。
「八、あとで芋ふかしてやるからな、みんなどこにいる」
「兄ちゃんたちは、川で鯰こつかまえるんだって」
「七造はどこじゃね」
七造は八平のすぐ上の兄である。
「兄ちゃんたちと一緒に行った」
「九太は泣かんじゃったかな」
「うん、ばあちゃんのとこで寝てる」
「そうか」
ミツは土間に入ると、権造の脇においてある茸に気がついた。
「父さん、この青い茸、効きますかいな」
「わからん、クメさんに聞いて来るわな」
権造は農家の嫁にしては色の白いミツの顔を見上げた。
ミツはうなずいて、土間から上にあがった。
「お母さん、帰りました」
「ああ、ご苦労さんじゃった」
「庄屋さんとこ、今年は芋が沢山とれたんで、くださりましたで」
「そりゃあよかったの」
マツは子供たちの着物を繕っていた。
ミツの義理の母であるマツも働き者で、家の中のことはすべてとりしきっていた。ただ、六十を越えたころから、物忘れがはげしくなり、時々おかしくなる。そんなこともあり、外に出るのは苦手で、家の脇の小さな畑をいじる程度のことしかしない。ミツは活発で、村の中のいろいろな集まりにも顔を出し、村の女たちを引っ張っていく一人でもあった。田畑の管理も上手で、庄屋をはじめ、いろいろなところから手助けを頼まれていた。
ミツの亭主の猪造はまたぎで、半年、長いときには一年近くも家を空け、熊や鹿の猟をしながら旅をしている。ほんのたまにしか帰らないが、かなりの銭や町の珍しいものを持って帰る。
そのようなことで、ミツの家は裕福というほどではないが、喰うにも困るような家が多い中で、心配のない暮らしが営まれている。そういったことからであろう、九人の子供があり、長男の一造は十二になるが、まだ丁稚奉公にもでていない。猪造が家にほとんどいないこともあり、権造の茸や山菜採りに一緒に出かけたり、畑作業を手伝ったりと、男手としてとても役に立っている。川に鯰獲りに行ったのも、遊び半分ではあるが、鯰はこのあたりの重要な蛋白源であり、大切な食事の添え物である。しかし、ミツは次男の次太が十になったら、一造を町にだすつもりでいる。
「子どもたちが帰ったら、芋をふかしますで」
ミツはかまどに火をおこすため、権造のいる土間におりた。
「そんの茸はどこぞで採りましたかね」
権造はミツを見た。
「赤山」
「あんなとこにあったですか、なんちゅう茸ですかね」
「わいらは、産まし茸と呼んじょる」
「そんなに効くんかね」
「ああ」
「どうやってかねえ」
「細かく切って干すんじゃ、ドクダミ茶のように煎じるんじゃ」
「すぐにでも飲んだがいいですか」
「いや、もう少したったほうがいいようじゃ」
「そうですか」
ミツは鍋に水を入れ底に石を敷いた、その上に洗った芋をのせた。
それから一月経った。
ミツは権造に聞いた。
「あの茸はいつ飲み始めたらいいですか、おらは使ったことがないから、聞いただけだが、こういうこたあ、できるだけ早いほうがいいということじゃった」
「そりゃ鬼灯(ほおずき)じゃろう」
鬼灯の根は子どもを下ろすときに使う。
「そうだかね」
「この茸は三月の終わりごろでいいそうじゃ」
「そろそろですのう」
「それなら今晩からでも飲んだらどうじゃ」
ミツは黙ってうなずくと、台所の隅から袋に入った干した青い茸を持ち出してきた。干してしまえば青い色もただの薄黒いものになる。
「土瓶にそのままいれりゃあいいでしょうかね」
「それでいい、茶碗に一杯、朝と夜じゃ」
「母さんには差込みの薬と言っておきましょうか」
「いや、お前は病気など一つもしたことがないのじゃから、おかしいと思われちまうぞ、それよりゃ、婆さんと一緒に、長生きの薬とでも言って飲むだな」
「誰が飲んでもいいですかね」
「美味くはないかもしれんが、毒にはならん」
その様な経緯から、マツとミツは毎晩、毎朝、乾燥した青い茸を煎じて飲んだ。
あの青い茸をミツが飲むことになった顛末を話しておかなければならないだろう。もう三月も前のことだ。六月終りころである。山菜にはもう遅い時期である。
権造は時々山歩きをする。いつもは一人で行くのだが、その時は一造と次太、それに八平も行きたいと言った。奥山に行くわけではなし、半分山遊びのようなものである。権造は孫たちを連れて行くことにした。
権造が子供たちを連れて行くと言ったところ、ミツも行ってみたいと言い出した。ミツは権造がよく一緒に猟に行った隣村の猟師の娘である。その日は野良仕事がなく、天気も良かったのでそんな気になったのかもしれない。
気持ちのよい日であった。朝早く、残りの子どもたちをマツに預けて、五人で籠を担いで山に入った。何も採れないときでも、必ず籠を背負って出かけた。思わぬものを見つけることがある。
五人は赤山に入り、林の中の道をぶらぶら歩いた。やはりこの時期になると食べられる山菜はあまりない。しかし、子供もたちは、下草の中に入り、走り回った。
みんなでがやがやと登っていくと天辺にでた。赤山はそのあたりでは一番低い山である。周りの大きな山に囲まれているが、その山々の木々の緑がきれいだ。
登ってきた道とは反対側に、谷に向かって下る道が林の中にある。秋になれば茸には良さそうな斜面である。この時期にはなにもないだろうが、おりて行きながら辺りを楽しむのもいいだろう。
「あの道を下ってみべえ」
権造の声で、子供たちが一斉に駆けおり始めた。
「これ、もっとゆっくり、回りをよく見ておりねえか」
権造が声をかけた。子供たちは立ち止まり、道から外れて下草の中に入った。草の丈は低く、歩くのにさほど苦労しない。おりていくと、大きな?(ぶな)の倒木があった。
権造は折れたばかりの橅の根元に回ってみた。そこには、まさかの茸が大きく育っていた。舞茸である。橅の木は倒れたばかりのようだが、それにしても、六月に秋の茸である舞茸があるとは。しかも、普通は奥山でしか見つからないものである。
「もどりゃあ、みんな、おったまげたものが生えてるだ」
権造が大きな声をあげておりて行く子どもたちを呼び戻した。
「じいちゃんどうした」
子どもたちが権造のところにかけよった。
「父さん大丈夫かね」
なにかあったと勘違いしたミツもとんできた。
みんな権造の指差すところを見た。
「すごいなあ」
「舞茸じゃあないですか」
ミツも目を見張った。
子どもたちは、茸の周りを駆け回った。それこそが舞茸の名前の由来である。
「すごい茸じゃ」
権造は根本からゆっくりと舞茸をもぎ取った。それを八平の籠に入れると、八平はよろっとよろけた。
「おおこりゃ重すぎた。次太なら大丈夫だな」
八平から籠を取ると次太に背負わせ、次太の何も入っていない籠を八平の背にかけた。
「下までおりるべえ、ほかにあるかもしれねえ」
権造が下に向かって歩き出した。子供たちは今度は自分が手柄を立てるぞと、林の中を走り回って下っていった。しかし、舞茸はなかった。
谷川に降りると、水の流れがあった。大きな石がごろごろしており、水の量は多くなく、透き通り水底の石がよく見える。
「綺麗な水だ、水源が近いからな、ちょっと休むべえ」
子供たちは足を水に入れた。
「あ、あったかい」
八平が叫んだ。
権造は水の中に手を入れてみた。
「こりゃ、湯じゃ」。
ミツも手を入れてみた。
「ほんとですなあ」
子供たちは素っ裸になると、浅い水の流れに入り大騒ぎを始めた。ミツは危なそうなところがないことを確認すると、
「遠くに行くんじゃないよ」
そう言って、大きな石が転がっている上流に歩いてみた。
権造は石に腰掛けて、煙草を取り出している。
大きな岩を越したところに、石に囲まれた水溜りがあった。手を入れてみると暖かい。いい野天湯である。岩の陰で下流からはまったく見えない。ミツは着物を脱ぐと、ちょっとだけと思い湯に入った。いい湯だ。青空を仰ぎ見ながら入る湯は久々にゆったりできた。ミツのふくよかな白いからだが湯に揺れた。
目をつむっていると、いきなり、からだを抱きしめられた。声を上げようとすると、ごちごちした大きな手が口を塞いだ。振り向くと権造だった。口を吸われ、からだをまさぐられ、からだをとられた。短い時間だった。権造は何も言わずに離れ、湯からあがった。しばらくボーっとしていたミツも、湯からでると着物をつけた。
子供たちのところに戻ると、権造が川から上るように言っているところだった。
子供たちが流れから上がってくると、権造が立ち上がった。
「さー、戻るべ」
権造は何事も無かったように、戻ってきたミツを見た。
ミツは義父を見ることができず、下を向いたままうなずいた。
そんなことがあって二月(ふたつき)、ミツはまさかと思っていたが、月の物がこなかった。あれ以後、権造から困った誘いを受けることもなく、普通に振舞っていたミツも権造に言わざるをえなかった。
「父さん、おら、子供ができたみたいじゃ」
それを聞いた権造は驚きを隠さなかった。
「それで、からだは大丈夫か」
「そりゃ、おらは大丈夫だが、産めない」
「そ、そりゃ、そうだが」
「猪造が帰ってきたら大変じゃ、おら殺される」
「じゃが、帰って来る前に産んだらわからんじゃろう」
ミツはそれを聞いて驚いた。舅は自分の子供を喜んでいる。
「お母さんが知ったらどないなるじゃろ」
「あいつは、気がつきゃせん」
「おら、死ぬしかない」
ミツの顔を見た権造はその真剣な表情に圧倒された。
「わ、わかった、おろす薬をもってくる」
それが、青い茸である。
だが、五ヶ月経ち、六ヶ月過ぎても青い茸は効くことはなく、飲んだミツのお腹から子供はおりてこなかった。
「子共が出ないじゃないですか」
ミツは権造に言った。
「あの茸はお前には効かんじゃったか、困ったことだ」
権造はそうしか言わなかった。
ミツのお腹は膨らんできた。ミツ自身は「肥っちまって」といいながら外向きには元気にいつもの仕事をこなしていた。しかし、内心は猪造がいつ帰ってくるかびくびくしていたのである。
年が明け、七ヶ月に入ったある日、村の寄り合いから帰った権造がミツに言った。
「大丈夫だ、猪造はまだ帰ってこない」
「どしてかね」
「与平爺さんが、猪造たちが北海道にわたっていると言っておった。今回は三人で出かけたで、遠出をしようとなったらしいぞ、与平爺さんの孫が一緒だで、どこからか連絡があったらしい」
「そりゃ、ほんとかね、それなら、いくらか安心じゃが、おら、どうしたらいいのじゃ」
ミツは目に涙をためた。
「大丈夫じゃ、わしが何とかするから、良い子を産むんじゃ」
権造は、さらに続けた。
「あと、一月経ったら、里に行ったことにして、わしの知っているところで子供を産むんじゃ」
「なぜ、里に行くんじゃ」
「おっかさんが病気とでも言っておくさ」
「じゃが、生れた子供はどうするじゃ」
「家の前に捨てられていたと言えばいい」
「そんなに簡単に」
「わしが拾ったと言おう」
そして、ミツは三つ離れた村の一人暮らしの産婆の家に引き取られ、春になり、女の子を産んだ。
産んだ子を連れて、ミツは家に帰ってきた。
途中まで権造が迎えにきて、ミツから女の子を受け取った。
権造は家の近くの地蔵の脇に女の子を置いた。
ミツだけ家に戻った。
「おっ母が、帰ってきた」
八平が迎えに出た。子供たちがみんな出てきた。
「おじいちゃんはどうした」
「すぐ、戻ると言って出て行った」
「おっ母が帰ったと、迎えに行っといで」
ミツが言うと、八平は「うん」と、はうなずいて、元気よく走っていった。
地蔵のところに来ると、じいちゃんが立っていた。
「じいちゃん、母ちゃんが帰ってきた」
「そうか、ほら、赤ちゃんが捨てられている」
八平が見ると女の赤ちゃんが地蔵の脇にいた。
「ほんとじゃ、どうする」
「連れて帰らにゃ、死んじまう」
権造は赤ん坊を抱きかかえ、八平と家に戻った。
家ではマツや子どもたちに囲まれて、ミツは茶を飲んでいた。
「今もどりましたじゃ、留守中すみませんでした」
帰ってきた権造にミツが言った。
「おー、よく戻った、おっかさんは良くなったか」
「はい、喜んでおりましたで」
マツは権造の抱いている赤子を見た。
「その赤ん坊はどうしたのじゃ」
権造ではなく八平がかわりに答えた。
「地蔵のところに捨ててあった」
「可愛そうに、おらが面倒見てやるで」
ミツが赤子を受け取った。マツも赤子の顔を覗き込んだ。
「めんこいのう、こんな女の子を、誰が捨てよったのかな」
「駐在さんに届けねばな」
「おらがやっとくで、親が見つかるまで預かるべ」
権造が言うと、
「それがいい」
マツもミツもうなずいた。
こうして、十番目の子供が誕生した。それから半月、夏になり、猪造が大金と北海道の土産を担いで意気揚々と戻ってきた。一人子どもが増えていることなど、猪造は気にも留めず、ミツはまた子供を宿した。
猪造は再び、またぎとして出かけようとしている。北海道に行くという。
「よほど北海道がよかったんね」とミツは猪造に言った。
「ああ、広くていろいろなものが獲れる、今度も戻るときにゃ、もっと稼いでくる」
権造は土間で、十番目の拾い子、ウメをあやしている。
ミツは土間におりると小声で言った。
「父さん、また、あの産まし茸を採ってきてくれんかの」
「うーん、鬼灯の方がよかだろう」
「どうしてじゃ」
「あの茸はぼけの薬じゃ」
「それじゃあれは」
ミツは続きを言わなかった。
ミツは結局十一人目を産んだ。男の子だった。
権造のウメのかわいがり方は尋常ではなかったが、孫の中の唯一の女の子でもあり、周りの者は不思議とも思わなかった。
その権造はウメが五つのときにはやり風邪で死んだ。
マツは権造の死より二年前にボケがひどくなり川にはまって死んでいる。
またぎの猪造は北海道に行ったまま帰らず、時々、銭と北海道のものを送ってよこした。きっと女でもできたのだろうと、ミツは気に留めもしなかった。
からだの丈夫な働き者のミツはすべての子供を元気に育て、長生きをし、十一人の子供と大勢の孫たちに囲まれて、楽しい一生を終えたということであった。
(「茸女譚」所収:2017年自費出版 33部 一粒書房)
産まし茸