帰って来たよ 風来坊

帰って来たよ 風来坊

初めて書いた時代小説である。

自分が木枯らし紋次郎になったつもりで書いた。

帰ってきたよ 風来坊

日光街道を今市宿めざして急ぐ一人の男があった。
宇都宮宿を出れば7里、宿なしで日のあるうちにつける距離である。
男の足は急ぎの足になる。江戸を立って草加の宿、古賀宿、宇都宮宿と泊まって来た。
三度笠を目深にかぶり、引き回しの道中合羽で身を包む姿は渡世人風であった。
渡世人にしては長脇差が見えない。代わりに背中に何やら大事そうな風呂敷包みがたすきにかかっている。

街道脇には菜の花畑が広がっていた。「春風紋太郎」、今市宿ではちっとは知られた渡世人であった。何故春風なのか、木枯らしが去って空っ風が春をつげ、菜の花の咲く頃吹くゆっくりとした春風を思わしめる男振りからついた名前だろうか、ともかく人はそう呼んだ。三年前に江戸に出て久しぶりの帰り旅であった。逢いたい人もあろうとて、急ぎ足になるのは致し方ない。杉並木に入った。今市宿はもうすぐだ。
今市宿は、この宿は一街道の単なる一地方宿ではなく、日光街道のほか、壬生道、会津西街道、日光北街道などが集まる交通の要衝に立地する宿駅であった。上州からの道、日光例幣使街道は楡宿(鹿沼市)で壬生道に合流している。天保14年(1843年)の『日光道中宿村大概帳』によれば、今市宿の本陣は1軒、脇本陣1軒が設けられ、旅籠が21軒あり、宿内の家数は236軒、人口は1,122人であったとされる。当然、これだけの街道が集まるのである、家数、人口よりは旅人の往来、投宿で町は賑わっていた。又、日光参拝を前にした歓楽の宿場町としても名を馳せていた。当然、女と博打はつきもので、遊女を置いた廓も2軒あり、旅籠には飯盛女と呼ばれる客引きが激しく客を呼び込み、男たちの接待に応じた。町を仕切るやくざが存在するのは致し方ない。
青屋一家と鬼怒川一家が今市宿を2分して勢力を競っていた。青屋一家は先代青屋次郎吉が作った組で任侠の徒であった。無頼、無宿者でも今市宿では大人しくする程の仕切りを見せ、人望浅からぬところを見せていたが、病に倒れた。後を継いだのが若頭だった男と一緒になった一人娘の歌子であった。勢力を伸ばすが、その方法に問題があった。

鬼怒川一家は宇都宮宿の峰屋馬之助の息がかかった新興勢力で今市の利権を我が物にせんとする武闘派であった。二つの勢力はことあるごとにぶつかり、揉め事は絶えなかった。
親分の名前は鬼怒川飛翔と云ったが、その姿は謎で見た者はないとされていた。もっぱら町衆が目にするのは代貸、山太鼓の音吉であった。 

春風の紋太郎が今市宿についてまず真先に向かったのが、町医者梅安先生宅であった。
梅安先生はこの地で朝鮮人参の栽培に成功し、安くそれを使えるようにしたのと、栽培農家に少しの豊かさをもたらせた。今は年老い、伏せる日が多く、診るのは一人娘の志帆であった。

「志帆さん、お久しぶりでござんす」
「あれ、紋太郎さん。いつ帰られたのですか」
「たった今でさぁー。何を置いても志帆さんの顔を見ないと、今市宿に帰った気になりませんや」
「江戸で3年も暮らせば、お世辞もお上手になられたこと」
「梅安先生のおかげんはどうなんです」
「ありがとうございます。起きたり寝たり。何分歳ですからね」
「後で挨拶できますかね」
「はい、紋太郎さんの顔を見たらきっと喜ぶでしょう」
「志帆さんにお見せしたいのがこれでさぁー」
紋太郎が差し出したものは、大事に背中にたすきに背たらっていた例の風呂敷包みであった。風呂敷を開けて見えたものは数冊の草子であった。
「お夏さんと〈かの〉さんが最近書かれた草子でさぁー。江戸で今人気の読み物女作家と云えば二人の名前をおいてごだんせん。志帆さんに真先に見てもらおうとお持ちした次第で」
「なつかしい。おふたりは元気なのですね。何よりの土産、早速に読まして貰いましょう。さー奥へ」

「先生おかげんはどうです」
「おおー、誰かと思ったら紋太郎じゃないか。お夏さん、〈かの〉さんも宿から姿を隠しお前までいなくなっっちまった。どうしたんじゃろうと、志帆とも心配してたのじゃ。わしはこの通り、何とか生きとるよ」
「心配かけてすいません。お夏さんも〈かの〉さんも元気ですよ。俺はほれこの通りピンピンでさぁー。先生も早く元気になってくだせぇー」

次に向かったのがお夏の妹、お秋がお夏の後をやっている居酒屋『すずめ屋』であった。
お夏と始めてあったのはこの店であった。お夏の店は今市宿で知らない者はなく店は何時も繁盛していた。店奥には父親の弥之助がおり、器量はお夏に及ばないが愛嬌では負けないお秋が姉を手伝っていた。お夏は顔も売りだったが、気っ風のよさ、話の回転の良さで客を楽しませた。おキャンで飾らない下町娘は宿の同性からも人気があった。

「あれー、紋太郎さんじゃないかぁー」
「お秋ちゃん、しばらく見ないとすっかりいい女になっちまって、どうしたい」
「お姉さんほどでなくって悪かったわね」
「おやじさん、帰ったよ。お夏さんからの事付だ」
手紙と金すが入った包みとお秋への土産の反物であった。
「お夏さんは元気で、江戸で今売れっ子の人気作家だよ。志帆さんとこに置いてきたが又読まして貰えばいい。読めないだって。お秋ちゃんに読んで聞かせて貰えればいいや」
奥から出てきた弥之助は宇都宮宿の隣にある雀の宮宿の生まれで、なんでも若い時に上方で料理修行したとかで酒の肴に旨いものを食わせるので定評であった。料理の内には入らないが、上方味の〈きつねうどん〉は名物で、酒を飲めない男や、遊女や飯盛女も店にやって来て、それを目当てにさらに男達がやって来て店は何時も混雑していたのである。
そんな雑多な客を一手にさばくのがお夏であった。遊女や旅籠の女たちはお夏の書く
読本の贔屓が多く、「お夏ちゃん、あの続きはどうなるんだろうね」「お夏ちゃん、次は私のことも書いてね」と言われるのであった。お夏は彼女らの交わす話からヒントも得たし、
お夏の女ぶりを認めて身の上相談を持ちかける者もいた。お夏の書く「今市宿遊女評判記」は今市宿だけに及ばず日光街道の宿場町でも人気があった。

文化文政の時代、日本は識字率において世界一であったという。井原西鶴が「今時は物かかぬといふ男はなく」と言っているぐらいである。この文字が読めることで西鶴の浮世草子や、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』のように、庶民生活を面白おかしく描いた、滑稽本をはじめ色んな読み物が愛読された。

今市宿においても江戸に負けずに草子本に人気があり、版元、七文字屋重兵衛が発行する『今市宿評判読み本』が評判であった。出した尻から全てが売れ、次を催促される始末であった。
今市3美人と噂されるお夏、かの、志帆が常連の作家であり、そこに青屋歌子と鬼怒川飛翔が作家に入っているのであるから、今市宿の人たちにとっては堪えられなかった。この本を読むために女たちが子供たちに混じって手習いをしたというぐらいであった。

〈かの〉は尾州浪人山本兵衛の娘で、父がやっている寺子屋の助教をしていた。今紫式部と言われ、その教養の深さから滲み出てくる話は味わい深いものであり、その実力を疑うものはなかった。人見知りする性格で、お高くとまっている、冷たいと見られていたが、隠れてある熱いものに気づく者はいなかった。志帆はおとなしめの物語であるが市井の人々の日常を描いて静かな愛読者を持っていた。3人は歳も一緒でことの他仲が良かった。
歌子は和歌をたしなみ、歌の方の実力を持って、年増女の妖艶な恋物語を得意として、恋姫の名前で呼ばれるほどであった。鬼怒川飛翔はその家業の通り股旅ものや無宿ものを描いて定評があった。

そして何より読者に人気があったのが、感想や作家に当てた短い文が載せて貰える巻末であったり、季節ごとに発表される当節人気作家順位表であった。短い文は自分の名前が載ったことで作家になった気分を味わえたし、順位表は自分のお気に入り作家が1位にでもなれば、赤飯を炊く有様であった。書き手も発表される10位までに何とか入りたいものと文筆修行にこれ励む者多数であった。順位は巻末にある投票用紙と七文字屋重兵衛の裁定で決められていた。上位5人は順位こそ代われ固定していた。でも飛翔だけが何時も5位でこれが飛翔には面白くなかった。歌子にはこの人気作家順位に何か手練を使っているとの噂が絶えず、縄張り争いだけでなく、この件でもさらに二つの組は仲を悪くしていた。

これらの工夫を使って七文字屋は繁盛至極であった。二つの組は何とか七文字屋を自分側につけたいとあの手この手を使ったが、そんなことに乗ったら元も子もない版元の有り様を重兵衛は十分に心得ていた。

あくる日紋太郎は吉兵衛を伴って『すずめ屋』に姿を現した。吉兵衛は紋太郎の親友であり、近在の百姓であった。吉兵衛も仕事の合間を見ては七文字屋に投稿していた。畑仕事を通して知る、実りの喜びや、自然の木々や花々を歌う和歌に定評があった。又、その誠実な姿勢に町娘に一定の人気を得て、たまに10位以内に入ることもあった。

「お秋ちゃん、お銚子2本、肴は何か見繕ってくれや」
「イワナの大きいのが入ったから塩焼きなんかはどうです」
「いいねー、それにしてくれ」
「紋太郎さんは和尚さんとこに行ったけぇ」
「まだだ、また行きゃ説教だ。急いで行くこともなかろぅーて」
「吉兵衛さん、久しぶりですねぇ」
「お秋ちゃん、しばらく見ない内に綺麗になったね」
「そら、言ったことじゃねぇー、吉兵衛はお世辞なんぞいわねぇー男だぜ」
「知らない、二人して私をからかって」まんざらでもない様子で、お秋は料理を注文しに奥に入った。暖簾が出たばかりで、他に客はいなかった。

「紋太郎さんは江戸で何をしてなすったがや」
「吉ちゃん聞いてくれるかね。俺は金輪際〈長どす〉を捨てる覚悟で江戸に行ったのだよ。
七文字屋の紹介で、江戸の大版元、蔦野屋嘉平のところに住み込んだ、辛抱なんて越山和尚のところを飛び出してからしたことのない俺等には少し辛かったが、仕事を覚えるのに必死だったよ。甲斐あってやっと作家さんとこに原稿取りに行かして貰うようになったのが一年前、江戸で今、人気作家の女作家さんとこに行ったら、お夏さんと〈かの〉さんじゃないか、俺等は喜ぶと同時に驚いたよ。江戸に出て二人に会えないかとそればっかり考えていたよ。江戸にいなきゃ何処に行ったろうと思ったものさ。それが、人気作家として活躍してるじゃないか。国に知らせているかと訊くと、してないという。3年の勤めが終わったら今市に帰って、七文字屋を手伝と言うと新作を書いて託けてくれたってわけさ。これからも年になんぼか書いてよこしてくれるという話だ。これで七文字屋も、もう一回息を吹き返せるってわけだ。吉ちゃんお前も何か書いておくれよ」
「紋太郎さんお前の思いが通じたんろうさぁ。いい修行をしたってわけだ」
「そうだね、版元に入ってなきゃ会へなんだわけだから、神も仏もあったってわけさ。お秋ちゃん聞いてたろう。お夏さんとの出会いはそういうことなのさ」
「紋太郎さんありがとう。もう姉さんとは逢えないと思っていた。夕べ志帆さんとこに行って一冊借りてきておとっつあんに読んで聞かせたら、おとっつあんも泣くし、私も泣いてしまった」思い出したのか、お秋の声は幾分涙声であった。
そうだ、〈かの〉の父、山本兵衛のとこに明日出かけて〈かの〉さんの無事を報告しなけばと、紋太郎は思った。

〈かの〉の父、兵衛は娘がものを書くことに反対であった。江戸で人気作家であると言ったっていい顔しないだろうが、ともかく元気でやっていること、良吉と仲良くやっていること、そして可愛い一粒種が出来ていることを知らせなくてはと思ったのであった。手紙はと〈かの〉に言ったのであるが、「元気でやっています」とだけ告げてくれたら結構と云われたのである。

寺子屋はお寺の堂を借りてやられていた。これが紋太郎が渋った理由である。仕方がない、「越山和尚に挨拶を入れなきゃなるまい」と思った次第である。授業中で熱心に子供たちが手習いの最中であった。中に母親らしき歳の女性も二人ほど混ざっていた。授業は中断され、次の間で兵衛に会い、江戸での様子を告げた。志帆さんのところに書いたものを預けて来たと告げたら、「紋太郎さん、志帆さんが読み終えてからで結構、書いた物を見せて貰えんじゃろぅーか」と云われた。「実は、〈かの〉の書いたものは全部読んでいたのじゃよ」と照れくさそうに言う、兵衛に父親の愛情を紋太郎は見た。

「自分の娘を褒めて恥ずかしいが、あいつは、小さい時から出来た娘で、唯一の楽しみも認めてやらず、その上に良吉との結婚にまで反対し、子供が出来たと聞いたときは逆上してしまって、汚い、顔も見たくないと云ってしまったのだよ。なんて父親だろう。あいつの書く恋物語は品があって良かった。思っていても言えなんだ拙者は馬鹿者だよ」と云って涙をポロポロと膝の上に落とした。紋太郎も思わず涙を落としてしまった。
「紋太郎さん、いい知らせをありがとう」と兵衛は畳に頭をついた。

「和尚さん、ご無沙汰いたしやした。紋太郎帰ってきやした。今は七文字屋にお世話になっています」
「七文字屋から出ていった経緯や、その後を聞いていたよ。無事帰ってきてよかった。もう争いごとはせんじゃろぅーね」
「へい、前回で懲りやした。七文字屋重兵衛さんを助けて、もう一度版元を立て直したいと思っておりやす。宿の皆さんにもう一度、楽しい読み物を届けたいと思っておりやす」と云って、江戸でお夏や〈かの〉さんに会ったいきさつを話した。
「そうかい、楽しみにしているよ、前回のことでお前もずいぶと学んだようだね」

書院から庭を見た、桜の花が散り始めていた。三年前の争いを紋太郎は思い出していた。
それはこうだった。

つづく



春の桜が満開の頃だった。歌子がやっていた廓の女がいじめられて小間物屋惣兵衛のところに逃げ込んだところから全ては始まった。廓の中でも七文字屋の出す草子本は人気があり、花魁は買い、下働きの者はそれを見せて貰っていた。歌子は、投票用紙は回収していた。二人ほどがこれに異を唱えた。見せしめにいじめられ我慢ができず、出入りしていた惣兵衛のところに泣きついたということであった。

「いえね、相談を持ちかけられて、あっしは関わりを持ちたくなかったのですよ。相手が悪いですやね。でもね、聞けば聞くほどやり方がひどいので同情していたのですが、家に逃げ込まれて来ちゃ、追い返す訳にもいかず。ここは紋太郎さんに知恵を借りたくってきたのですよ。何せあっしら〈かたぎ〉にはどうしたものか」と惣兵衛から相談を持ちかけられたのである。かたぎの惣兵衛に迷惑かけるわけにもいかず、逃げ出した花魁から話を聞けば青屋のやり方に腹が立ったが、ここは中を取り持つしかないと、紋太郎は乗り出した。

七文字屋重兵衛に相談すると、金で解決するしかない。宇都宮宿の廓の亭主に知り合いがあるから話して見ると言うことで、重兵衛に話を振った。
 
その話を惣兵衛にすると、「乗りかかった船です、金子なら上に何がしかは積んでよろしゅうござんす」と言ってくれ、宇都宮宿は引き取っていいという返事であった。惣兵衛が言ってくれた金子を上乗せして、歌子に話をつけに行った。
「ウチの子はどこにもやらないよ」と云っていた歌子であったが、紋太郎が「じゃー、仕方がない。鬼怒川に話を持ち込むぜ」と云ったら、歌子は渋い顔をしたが、紋太郎の話で手を打ってきた。それはそれで解決したのであるが、惣兵衛が歌子は頼母子講を使って順位表の票を買っていると惣兵衛から告げられたのだ。講とは当時身分や地域に問わず大衆的な金融手段として確立していた。青屋はこの講元を引き受けていたのである。掛金を少し安くしてやる方法で投票用紙を集めていたのである。

皆が、真剣になってこの順位に入りたいと研鑽、修行しているのに許せないと紋太郎は思った。
紋太郎は越山和尚のところに居た時に読み書きは教わっていた。書いてみたいと思ったこともあったが2行か、3行書いたらもう先には進めない。読むことに専念した。5位以下の人の作品も、毎回変わって楽しみにしていた。歌子の妖艶な恋物語は苦手であったが飛翔の股旅モノは好きであった。勿論、一番好きなのはお夏の文であった。何時も歌子がトップでお夏は2位か3位であった。あんなに人気があるお夏がどうして1番になれないかを紋太郎は知ったのである。たどたどしい文であったが、このことを巻末の文に投稿してみた。載ったのである。自分の書いた文が。七文字屋重兵衛もこのようなことは許されないと思ったのであろう。たどたどしい文だけ、読む人の心に響いた。次の本の巻末には紋太郎を支持する意見がズラーと載った。

鬼怒川一家はここぞとばかり、この事実をあちこちに立札で知らした。廓でのいじめの件もであった。役所以外の立札は禁止されていたが、代官は〈居眠り権兵衛〉と言われるぐらい能無しで、勿論、鬼怒川一家の鼻薬は十分に効いていた。
 歌子からはいじめの件は紋太郎が約束を破って鬼怒川に垂れ込んだと文句を受けた。いじめの件は小間物屋惣兵衛しか知らない。不思議だと思った。

紋太郎は青屋から睨まれるようになった。紋太郎は越山和尚の寺、方広寺に寄宿していた。
方広寺は紋太郎が5歳から12になる年まで育った所であった。紋太郎は中山道木曽山口村、馬籠宿の生まれで5歳になるとき祖父、嘉平次と共に旅に出た。何処か楽しいところに行って帰ってくるぐらいのものと思っていた。旅はそんなものでなかった。物乞いの旅であった。

やっと物心がつきだした幼い少年にも辛さが滲みた旅であった。中山道から日光例幣使街道に入り、この今市宿に来て、嘉平次は病に倒れ、この方広寺に2晩寝させてもらい息を引き取った。最後を看取ったのが越山和尚と、梅安先生であった。嘉平次はこの寺に無縁仏として葬られている。冬寒い中の朝のお勤め、広いお寺の掃除、大きくなっては賄いと和尚は年齢に関係なく厳しく教えこんだ。

吉兵衛とは両親が墓参りについて来た時に知り合った。あまり遊び相手のなかった紋太郎にはかけがえのない友となった。お夏も両親と墓参りに来た時にその少女の姿を遠目で見て、綺麗な子だと紋太郎は思った。しかし勤行で滅多に町中に出してもらえない紋太郎には以降お夏と接することはなかった。〈かの〉は父、兵衛がこのお寺の堂を借りて寺子屋をやるようになって姿を見るようになり、言葉を交わすようになった。梅安先生と和尚は囲碁仲間でよく呼びの使いで行かされ、志帆を知った。

あるとき、庭の掃除をしていていい加減な掃除ぶりを咎められ、厳しく打擲された。大きくなって、それでなくても厳しい戒律のお寺の勤行に「あーん」をしていた時であり、その晩こっそり寺を飛び出した。生まれた地、馬籠に行って見たかった。幼い日両親に見送られたあの日、かすかにその景色を憶えている。

馬籠に行く途中であまりの空腹で倒れかかっていたのを助けてくれたのが洗馬宿のお時であった。2階屋の格子の手すりからひょろひょろ歩きを見かねたのか、「お兄さんどこまでお行きかねぇ」と声かけられた。諏訪、塩尻過ぎてこの宿に来たのであるが、三日三晩水だけではさすがに堪えた。「馬籠です」と応えた声もようーやっとであった。
「お兄さん、まだ11宿先だよ。その足では到底無理だよ。上がって休んでお行き」と食事を振舞ってくれた。お時はこの宿の遊女宿の女郎で、中でも一番の売れっ子であった。そこの宿(やど)の男しとして紋太郎は働くことになった。お寺仕込みのキビキビした仕事振りは重宝にされた。そろそろ大人に近づいていた紋太郎は初めて恋心を抱いた相手がお時であった。抱いたと言っても今で言う初恋のたぐいの域を越えないものであったが・・。

お時は馬籠宿の妻を亡くした旅籠の主人、周五郎に引かれて、旅籠の女将になり甲斐甲斐しく働き旅籠は繁盛した。紋太郎はお時の幸せを喜んでいた。しかしお時の幸せはそう長く続かなかった。お時に前から言い寄っていた、同じ馬籠宿の悪党、原田屋平次の手にかかって主人、周五郎は亡くなった。その平次を叩き切って紋太郎が渡世の世界に入ったのが16の時で、そして今市宿に舞い戻ってきたのが25の時であった。

お夏の店に吉兵衛と顔を出した時に「ひょっとして、紋太郎さん?」と声をかけられたのであった。
「俺はお前をお寺で幼い日チラッと見ただけだが、どうして分かるんだい」
「いい男は、少女でもわかるのさ」とお夏は応えたが、吉兵衛が、
「嘘だよ紋太郎さん。お前と俺が遊んでいた時、それを見ていたお夏ちゃんが『あの人誰』と訊くもんだから、お前の名前を教えたのさ。それから4、5日してお前がお寺を逃げ出したから余計に憶えているんだろうよ」
それが、お夏と口を利いた初めであった。

青屋の悪行がバレて、歌子の評判は読み物の世界でも落ち、宿の権勢にも陰りが見えた。ここを一気加勢に責めどころと考えた鬼怒川一家であった。宿の人には紋太郎は鬼怒川に加勢しているように見えた。これを境に青屋の凋落は激しく、廓からは足抜けの女郎が立て続き、これを助けているのが鬼怒川一家であると宿の人は噂したが、稼ぎの廓を歌子は手放した。親を勤める講にも抜けが目立った。こうなると青屋を抜けて鬼怒川に寝返る子分も出てくるのがこの世界であった。
勝負がついたと見た青屋の歌子は主だった子分を連れて今市宿を出ての長旅に立った。紋太郎は残された一党に恨みを買い、命まではといかないが隙あらば、腕の一本、足の一本を折ろうと狙われた。

青屋が去って、これで揉め事もなくなるだろうと思ったのは紋太郎だけではなかったが、紋太郎の見込みは大きく違った。両方が拮抗してあるときは世間の評判も気にした振る舞いであったが、一方がいなくなると、鬼怒川一家その欲の本性を遠慮なく剥き出したのだった。宿の人たちは青屋を追い出したのは紋太郎と見て、宿が鬼怒川の傍若無人振りを許すようになったのは紋太郎のせいだと言い出し、「これなら、前の方がなんぼか良かった」と言うもの者まで現れた。

七文字屋の草子本に百姓の貧乏を切々と訴える文が載った。読者はいたくこの文に感銘した。「私たちは泥田で米を作り、食べるのは町衆だ」という言葉がお夏の胸を打った。お夏は〈かの〉や志帆に「私たちで出来ること」を相談した。志帆は百姓の女たちに何か内職で稼がせる方法はないものかと提案した。お夏の意見はこうだった。貧しいのはまだいい、ともかく暮らしが成り立っている。土地を捨て一家離散ほど悲惨なものはないと。

その土地を捨てなければならない一つに男の賭博があった。日々の苦しい生活にある者たちは、助郷等で宿場に出てきたとき、僅かな酒となけなしの金を持って賭博でうさを晴らすのだった。結果は上手に煽てられ、僅かな金を貸され、それが払えず利息がかさみ、挙句が悲劇となるのであった。鬼怒川一家に取っては重要な入り元であり、これを助けるのが町の旦那衆、金持ちたちで、鬼怒川の博打の借金の立て替えを行い、田畑を取り上げるのであった。またこの賭博を本来取り締まらねばならない代官、役人たちであるが、見て見ぬふりしてこれを助けた。十分な鼻薬をかがして貰ってであるが・・。

お夏は店に張り紙を出した。「一杯の酒はよし。一振りの壺は地獄行き」と。
志帆は診療室に張り紙を出した。「賭博は最大の病なり」
〈かの〉は寺子屋で教えた。遊びでも絶対賭け事はしないこと。それがやがて身を滅ぼす元になると。紋太郎はそれをきっしょうに賭場への出入りはきっぱりと止めた。

張り紙ぐらいで賭博がなくなるとは思われなかったが、これが思い上がった鬼怒川一家の気に障った。お夏の店への嫌がらせが始まった。一党で来て料理に難癖をつける、客同士の話に割って入っては脅す。お夏やお秋に卑猥な声をかける。ようは店に客が来ないようにしたいのである。勝気なお夏は負けていなかった。一党といえ客である、言葉使いに注意をしながら切り返していた。
時にはお夏の切り返しにあってすごすごと一党が帰ることもあった。客たちはこんな時はお夏に拍手を送った。お夏はこれに応えて一杯の酒を振舞ったから、客は面白半分に店を覗き賑わいはまだあった。

ある日、一党の内の一人が執拗にお夏にまとわりついた。卑猥な言葉とともに身体に触れようとした。それをお夏が突き放し、男は土間にもんどり打った。男は持っていたドスを抜いた。来ていた紋太郎がその男の手を掴み、ひねり上げた。横にいた一人が脇差を抜いて斬りかかって来た。紋太郎は腕をひねり揚げていた男から脇差を抜くやいなや、男の腕を切り落とした。
悲鳴。血しぶき。客たちは一目さんに表に逃げ出し、お夏の顔は引きつった。それでも気丈夫に紋太郎に裏口から逃げるように合図をした。その翌日からお夏の姿は店で見ることはなかった。宿を出て行ったのである。これ以上は店が成り立たなくなり、父親やお秋に迷惑をかけると判断したのである。

それから、ひと月もした頃だろうか〈かの〉が宿場を出て行った。夏は一人であったが〈かの〉には連れがあった。紙や筆を商う上州屋の手代良吉であった。良吉は七文字屋に投稿していたが、たまに載るのであったが大人しすぎる文は目を引かなかった。〈かの〉の書くものの大フアンで、作品が出るたび、半紙や筆を届けに来ては感想を書いて渡した。積もればそれは恋文になる。〈かの〉の心に火が付いた。
そしてお夏がいなくなった今市の宿は〈かの〉には他人の町のように映った。静かに思慮深い〈かの〉。考えるより先に行動に移ってしまう夏。性格は反対であったが流れるものは同じ、人を思い遣る心であった。幼い時から双子姉妹のように仲良が良かった。
二人の道行となったのであるが、実は〈かの〉のお腹の中にもう一人いることは父、兵衛以外に知る者はなかった。

残された志帆の嘆きは深かった。友の悩みや困難に何も出来なかった自分を責めた。見ていた梅安もかける言葉もなかったほどであった。当然、ものを書くことも辞めてしまった。

歌子、お夏、〈かの〉、志帆と看板作家を失った七文字屋の本は売れなくなった。商家の女将から下働きの女、遊女や飯盛り女、百姓の嬶たちの唯一の娯楽もなくなった。
横暴になった鬼怒川一家をさけ、旅人たちは近在の宿場に泊まるようになり、今市宿は寂れ始めた。

恋しい人は去り、世話になった人たちは悲しみ、宿の賑わいまで失ってしまった。俺は何をしてきたのかと紋太郎は思った。紋太郎は父や母に捨てられたあの日を思い出していた。
俺は何をしに生まれてきたのか? 祖父、嘉平次との旅の日々、望まれずして生まれてきた自分を思い、「一体俺が何をしたのだ」と叫びたかった。

寺の縁側に腰を落とし、悄然と月を見ていた紋太郎に越山和尚は声をかけた。

つづく


「紋太郎、お前が月をしみじみ見ているなんて、珍しいことだね」
「夢も見ます。星も、月も見まっさぁーね」
「なんか悩みごとでもあるなら聞くよ。恋悩み以外ならね」
 紋太郎は先程 まで考えていた事を述べた。

「思いとは違って、全て逆さに出たというわけだ」
「・・・・・」
「お前、小間物屋惣兵衛が金子を上乗せしてくれたって言ったけど、商人が難儀な女郎のために金を出したりするかね」
「・・・・・」
「お前には後先がない。そして人をぼかぁーと信用してしまう悪い癖がある」
「・・・・・」
「そして裏切られて、人の醜いとこを見て慌てふためく」
「・・・・・」
「挙句が刃物を取り出しての逆上になる」
「・・・・・」
「人に醜いとこがあっていけないかね。正しいことをしたら全ていいようにならんといかんのかね。お前には醜いとこがないというのかね。お前がいつも正しいと言えるのかね」
「だって、和尚・・」
「やも、たってもいられなかったと言いたいんだろうーが、もう少し黙って聞いてくれるかい。どうせ坊主は口だけだ。お前が云ったいいセリフだ。口だけなら、口を使うしかない。後先がないというのはこうだ。人には何らかの欲がある。邪か正しいかは、今は問わない。
そして、行えば何らかの結果が生まれる。出来るだけ結果がよく出るように考えねばならない。惣兵衛は鬼怒川の息のかかった者とは考えられなかったかね。お女郎娘の駆け込みをそそのかし、お前に話を振る。お前が矢面に立って歌子を、青屋を攻撃する。鬼怒川は懐手でほくそ笑むと云う筋はどうだい」
「あのやろうー!鬼怒川飛翔め、許せねぇー」
「それがいけなねぇーのよ。お前は飛翔を見たのかね。逢って話したのかね」
「だって、和尚・・」
「誰にも姿をみせねぇーって言うんだろう。見せないには見せられない理由があるとは思わんかね。飛翔が女だったとしたらどうするね」
「ええー、そんなこと・・」
「そうさ、この世は魑魅魍魎がうごめいている世界さ。何があったって可笑しくない。
男が女で女が男だって一向に構わない。名前だけで判断してるお前が可笑しいのだよ。
これからいいものを見せてやる。今のお前には必要なようだからな」

和尚は庫裏の裏手の裏にある小さな堂に紋太郎を連れて行った。そこは近寄ることが厳禁されていた場所だ。大抵なら興味半分でそんな禁など犯す紋太郎であったが、そこだけは近寄れば本当に災難が起こりそうな不気味を感じていた。

「さぁー覗いて見ろ。暗いだろうがすぐ目が慣れるだろうよ。よぉーく、見てみな」
一つだけの窓から明かりが射している。向こうを向いて一人の人物が机に向かって何かを書いている。こちらを振り返った。女だ。よぉーく、見ると若い娘のようだ。歳は紋太郎と同じぐらいだろうか、横を向いた時、顔に窓からの光が射した。
紋太郎は思わず一歩下がった。

「あの顔で、手が一本ない。あれが飛翔だ」
紋太郎は和尚の言っていることがにわかに信じられなかった。

「お前がここに喜平次さんと来る2年ほど前だったろぅーか。お前が来た時と同じぐらいの女の子を連れた瞽女がやってきた。昔はそれなりの綺麗を思わせる顔つきであったが、今は見る影もない。連れていた女の子も母親に似て美形の口だったが顔半分がお前の見た通りだ。そして左の手が手首からない。物乞いしょうとて誰も気味悪がって近寄らない。
余りにも哀れなのであのお堂でしばらく面倒見たのさ。女は何をしてしのいで来たかは分かったよ。それも出来なくなった成れの果てだった。ひと月もして女は息を引き取った。
さて、この子をどうしたものかと思っていたら、あの鬼怒川の山太鼓が噂を聞きつけてやってきた。

「親分がその可哀想な女の子を引き取りたいと言っております」と用向きを云った。
鬼怒川は、今程は悪くはなかった。養育して下働きにでも使うものと思っていたよ。それがどこを気に入ったのか、その内養女にしちまったのさ。先代がなくなり跡目を継いだのがあの山太鼓だよ。あの養女になったあの娘に婿入りする形で跡目になったのだよ。これなら誰も家内でも文句はでやしない。一家の頭は飛翔、代貸、山太鼓となった次第だ」
「何で、飛翔はこのお寺に」
「お前が出て行って何年経っただろう。飛翔、〈おかよ〉というのだがね。右側だけを向いて見ていたら綺麗な娘に育っていたよ。どこにも行きようのないあの子はこの寺に逃げこんで来たわけだ。山太鼓との夜が辛いとだけ〈おかよ〉さんは、絞り出すように言ったよ。
後を追いかけてきたのがあの山太鼓だ。話を聞けば惚れていないわけでもない。惚れ方に問題があったようだ。坊主にはわからん世界だよ。月々の入用は十分に持ってくる、月に一回だけは逢わして欲しい。決して手荒なことはしないと約束したわけさ」
「どう云ったらいいのか・・」
「男と女の世界はわからんもんだよ。1年たち、2年たち〈おかよ〉さんも、山太鼓に気を許す様子が見えた。そのうち山太鼓を待つようになった。何せ世間と繋がっていると云えばあいつとだけだ。形だけと云って夫婦には変わりない。待つようになった一つにあの七文字屋の草子本があったのだよ。山太鼓が出た度に持って来ていたのだよ」
「それで、書きたくなって書いて出した」
「そうだ。あの子は頭のいい子だ。鬼怒川からも文字も教えて貰っていたし、ひと通りのことは教えられていた。でもね、外に出たことのない子だ。あの育った世界しか知らない。
鬼怒川から聞いたこと、山太鼓から聞いた話。あいつらやくざ渡世を悪くは言うはずがない。それで書くのは股旅ものだ。お前もいっとき夢中で読んだと云っていたやつだ。本当は〈おかよ〉さんは、お夏さんのようなモノを書きたい。憧れていたが、恋も知らない育ちをしたあの子には書けない世界だった。あれを読んだら飛翔が女だと、そう悪い奴ではないと読まなくっちゃいけない。お前はほんに本が読めない人だ」

紋太郎は飛翔の書いたものが好きだった理由が今、分かった。
そして、唸った。そして半月もした頃、お夏、〈かの〉の後を追うように今市宿を旅立った。
そして3年。方広寺の書院で庭を見ている。

七文字屋の『当世今市宿評判草子』は、お夏、〈かの〉の江戸の人気作家が載った本と話題を呼び、昔の勢いを取り戻した。志帆もまた書き出し、新しい才能も紋太郎によって発掘され、七文字屋重兵衛が亡くなった跡は、七文字屋紋太郎を名乗り、そしてお秋と所帯を持った吉兵衛も七文字屋を手伝うことになり、今市宿に限らず近在宿場まで引手があって、
繁盛これ至極で、今は吉兵衛の息子、吉太郎が跡を継いでいる。

仕事を引いた紋太郎は、今は方広寺の住職として墓守をしている。ほとんどの人は亡くなった。明日は明日の渡世人暮らしであった。こんなに長生きするとは思ってもみなかった。
越山、梅安、兵衛、重兵衛、お夏の父弥之助、〈かの〉、良吉、お夏、の墓がここにはある。今しも吉兵衛、お秋の老夫婦が墓参りに出向いてくれている。帰り寄るだろう。

お夏のその後であるが、ある大店の息子と恋仲になり、反対され仲を裂かれそうになった二人は千鳥が淵に身を投げて心中を図ったが、お夏だけが生き残り、江戸から姿を消した。
〈かの〉からの手紙に「お夏さんは筆さえあれば生きていけるひと。今、上方では『千鳥が淵心中』が評判であるらしい。まだ読んではいないが遊女が身を投げる話になっているらしいが、ひょっとしてお夏さんではないかと思っている」と書かれてあった。あの手紙を貰ったのは何年、いや何十年前だったか。

お夏の書く女は、花街で働く花魁、遊女、下働きの女が多かった。儚い運命に読手は涙した。
一つだけ違った作品を紋太郎は憶えている。それは商家の娘が幼馴染みの百姓の青年と恋仲になり、反対を押し切って所帯を持ち、百姓の嫁として働く姿が生き生きと描かれていた。
百姓の青年とは吉兵衛でなかったかと紋太郎は思った。

飛翔、〈おかよ〉のその後であるが、読本から姿を消していく馴染みの作家、聞こえくる噂で〈おかよ〉の中の渡世人の群像は消えた。最後に『日光街道瞽女の旅』を残して今市宿を旅立った。

紋太郎は俺が生きているんだ、お夏が死ぬ筈がないと思っている。江戸で会えたから今の紋太郎があると思っている。

今しも、石段を登って来るあの老婆は・・・・・・・・

帰って来たよ 風来坊

ある投稿サイトに属しているが このような 作品でも 無断で削除になった。

理由 あまりにも 下手だから(笑い)

帰って来たよ 風来坊

日光街道を今市宿めざして急ぐ一人の男があった。 宇都宮宿を出れば7里、宿なしで日のあるうちにつける距離である。 男の足は急ぎの足になる。江戸を立って草加の宿、古賀宿、宇都宮宿と泊まって来た。 三度笠を目深にかぶり、引き回しの道中合羽で身を包む姿は渡世人風であった。 渡世人にしては長脇差が見えない。代わりに背中に何やら大事そうな風呂敷包みがたすきにかかっている。

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-09-10

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