冒険譚
新しいシリーズ物です。
風が鳴いている。甲高く響く音が、すぐそばを通り過ぎては消え、また訪れる。この山を越えるには、この風を受け続けなければならない。岩肌がこれ見よがしに点在し、またそのいずれも獲物を待つ狩人の如く、尖りを見せている。草木は生えておらず、ただ時々舞う砂埃が、この山の風景として映るのだ。風とはいえ、それは強風を優に越し、かまいたちじみた鋭さで、登山者の目を襲う。故に眼下を覗けてやっと、という状態だ。
死体は当たり前のように倒れており、衣服のみを残し白骨と化している。その光景を見れば此処が人間の来るべきところではないことは、容易に理解できる。それでも、歩みを進める者がひとり、風に吹かれている。布地のローブはほつれが見え、程度こそあれど並みの寒さは耐えれよう品だが、この山の風は、その程度を軽く越え、どころかローブを引きちぎるようにして吹き荒ぶのだ。ローブの下には見慣れぬ紋様のある服が、毛皮も付き寒さにはうってつけであろう物だが、これも先ほど同様、不足に足るまでの服装である。
それをも無視して、歩く。強く、また灯りに惹かれる虫のようなその実直さで、歩き続ける。そして風が止み始めた頃合いを見計らうかのように、村が現れたのだ。
猛吹雪の最中の来訪者ならば、なるほど合点もいくだろうが、なにせ風が強くて、というのは流石に疑わしい。しかしそれはあの風を受ければ嘘ではないことは明らかだ。それ程までの風を受けた旅人を迎えたのは、村でこそあるが、明かりが灯っているのは高見台の塔以外には無く、また明らかな衰退を晒すまでの朽ちようがあった。
塔の扉前に立ち止まり、ノックをしようとした旅人を、皺枯れた声が出迎えた。
「人間だろうね。早く入りなさい。」
それはどんな日々を過ごせば出る冗談なのかは知らないが、旅人はひとまずそれに甘んじることにした。塔の中は蝋燭と暖炉の灯りが充分にあり、窓のない塔ながら暗闇を感じさせないその風景に、思わずため息が出た。
「気に入らんかね。」
その様子を見ていた老人が、不服そうに口を曲げた。だがそれは杞憂に終わる。
「いや、人間の家ってのはこう暖かでなくちゃ。さっきのは安堵の息だよ。」
すまん。と最後に言い添えた旅人は、暖かな明かりの元、この塔の住人を見る。声の主らしく、皺が目立つ顔立ちに、猫背のように折れ曲がった背中は、年相応の苦労とそれと並び立つまでの年月を感じさせる。老人はまた、自らが招き入れた客人を注視した。
「まだ若いな。20前後といった所か。」
見慣れぬ文様のついた服装、毛皮をあしらっているその身なりから、少なからず王都から来たのではないことは察せる。旅人としては何ら違和感はないが、違和感は服装に非ずその腰にさげた物からだった。
「その剣。いったいどこから来たんだね?」
ここらで盗賊が出るとは聞かない。ましてや野生動物の類もこのあたりには無縁だ。つまりこれを持っているということは、その危険性がある所からの来訪を意味する。
「南だ。ずっと南の国から来た。今はこの山を越えた先にある王都に向かっていた。」
なんら隠すつもりもないらしく旅人、青年は羽織っていたローブを脱ぐと、暖炉へと近づく。寒そうに手をこすり合わせながら、暖炉へ両手を向け、手を暖める。老人はその様子から、暖炉で温めていた鍋の湯で割った暖かい酒を差し出した。
「これ、酒だろ。おれまだ飲めない年なんだ。」
「それはお前さんのとこの法だろう。ここは西の国だ。ここじゃあ酒は赤子からでも飲める。それに入っているのはほんの数滴ぐらいだ。酔いはせんよ。」
その言葉を信じて、青年は一口そっと飲んでみた。どうやら果実酒だったらしく、ほのかに甘味がした。が、湯で薄めた酒はそうとう薄く、いっそ湯のままの方が舌触りが良かったが、そんな我儘は言えない。
「意外とイケるな。案外飲める体になってたのかも。」
「ああ、それな。酒じゃあなくてただの果汁飲料だった。すまんね。」
と、少しばかり馬鹿にしたように笑う老人に騙された青年は、苦笑いをしてから、老人から果実飲料のボトルを受け取る。
「冷たいから、あったまってから飲みなさい。」
「ありがとう。」
と、青年はそういえば、と思い出した。
「あの風、あれは何だ?かまいたちではないんだろう?」
「無論。ただの風だよ。いわくつきのな。」
わざとらしくはぐらかす老人に追求しようとした青年を、引っ張ってきた椅子に座るよう促し、青年が座ったのと同時に自身もまた椅子に座り、喋る。
「ここが何て呼ばれてるか知ってるか?」
「いや、あいにくここいらは初めて来たもんでな。さっぱり。」
「竜山だ。竜の住む山だなんだと言われとるが、竜なんぞ住んではおらんし、ただあんな風に風が吹いとるだけなんだがね。それを竜の羽ばたいた風だと広めた奴が居てな、この有り様だ。」
うなだれながら話す老人には、見るからに哀愁が漂う。一目見ただけでも、その噂がどんなに悪質なものだったのかは、村の様子と合わせ見ればなんら難しい話ではない。
「じゃあ、本当にただの風ってだけなのか。」
「それがな。正直な話、分からんのだよ。ただの風なのかどうかすら、ね。」
「それは興味深い。だが、真相はどうも知れそうにないな。」
老人は黙ってうなずくと、立ち上がり、貯蔵箱から、緑色の野菜を取り、青年に手渡した。
「これは?」
「ナインという植物だ。王都では、キャベツと言われている。」
「これがキャベツ?それにしてはずいぶんと・・・」
手渡されたキャベツは、従来のものと比較すると、非常に薄く、小松菜に似てとてもキャベツには見えない。これがキャベツだと言うことが何を意味するのか。
「そう、見てくれはほかの野菜とそっくりだ。それは、最後にここで採れたものだよ。」
なるほど。青年は合点がいった。明かりのない村、そこで採れたという変わり果てた野菜。それは衰退を示すにはあまりに残酷すぎる現実だった。
「もともとこんな所に村があること自体が、間違いだったんだよ。成り立ちは南の国への輸送地点への途中補給を兼ねた軍付きの村だった。だが、南の国に魔物が出てからは、運ぶ物資もなくなり、軍は去り、また人も去って行った。ここから半日、山を下りてから北へ向かうと、小さいが町がある。軍はそこに移動した。そしてなにより、こんな所にいる必要もまた、なくなった。」
徐々に活力を失っていく老人の言葉は、青年に深く突き刺さった。衰退は今現在王都以外の国では、問題となっているが、その実態を見せつけられると、旅人であろうが、その郷愁をくすぐるには充分だ。青年は、それを経ても尚残るこの老人が、気になってしょうがない。
「なぜ、あなたはここに?」
「・・・ここには、あんたみたいな旅人がたまに通る。中には逃げてきた奴もいるが、そんなことは構いはしない。しかし彼らは君同様、あの風の中を抜けてここへたどり着いたのだ。そんな彼らを待つものが、廃村とは、物悲しかろう?それに、私ももう長くはない。山を下りるには体が持たんよ。」
そう語る老人に、青年はなんと声をかければよいだろうか。一度覚悟を決めたものへ、中途半端な同情は失礼にならないだろうか。が、それを見て取った老人は、にっかりと笑いながら、嬉しそうに続ける。
「まあ、そんなことは建前だ。本当は、待っていたのだよ。君の事を。」
「おれのことを?」
「そう、旅人は、少なからず物語を持ち歩いている。自らの目で見て、聞いて。そんな話を聞くのが楽しみで仕方ない。くだらん政治や情事の話なんぞは、なんらつまらんのだ。だから、私は残りたくて残っているのだよ。」
老人は言い終わると、青年からやせ細ったキャベツを受け取り、貯蔵庫から酒、果実飲料、肉など、食材を取り出した。
「ちょうどいい。いまから夕食なんだが、もてなすにはいささか足りない。代わりと言ってはなんだが、君の話を聞かせてもらってもいいかね?」
風は朝になれば止むから、と。老人はまたにっかりと笑いながら、どうかね。と青年を晩餐に誘う。青年もまた、ぜひ。と述べ、彼らは食卓をできる限りのごちそうで埋め、夜を明かした。その夜は、風が一段と強く、金切り声に似た風の音が、そこかしこで吹き荒れていたが、そんなことはつゆ知らず。彼らは夜を冒険譚で彩った。老人は昔聞いた伝説を、青年は自らの冒険を。そこには旅人が二人、酒場で飲み騒ぐかのような活気と、陽気さがあふれていた。少なからずそれは、青年にとって忘れられない夜だったことだろう。
夜も暮れた頃、疲れから眠気を催した青年へ老人はベットを譲った。なんでも眠れないらしく、自分はまだ酒を味わっていたいから、と、椅子に座りながら、酒を飲み、暖炉の火を眺め始めた。青年は老人も眠ってしまったら、ベットを返し、外の様子でも確認しにいこうと、青年は考え、眠りについた。老人は、一人酒をあおりながら、暖炉を見つめていた。
夜が明けた。それは天井から漏れてきた朝日で気が付いた。青年は目をさまし、老人を見やった。異変はすぐに見て取れた。暖炉の火は消え、暖炉の方を向いて椅子に座っている老人から、何も聞こえない。近づいて胸の鼓動を聞けば、それはすでに止まっていて。青年は驚き老人を揺さぶったが、反応はなく、うなだれるのみだった。昨晩食事をしたテーブルには、一本の果実飲料と添え書きが。
「旅の無事を祈って」
何かが引っ掛かり、貯蔵庫を確認すると、何も入っていなかった。予感はしていた。こんな高いところへ商人が来るはずもなく、ここで採れた最後の野菜、それがもうずっと前の話なのだということ。でなければ、補給もなにもできない老人が、もてなしの為にすべての食糧を使い切るはずがない。恐らく老人は、わかっていたのだろう。自分が、もう死ぬのだと。そこへ青年が来た。ならば、次の時代を生きる者へ、せめてもの贈り物を、と。
青年は涙ぐんだが、すぐに涙を拭い去り、添え書きと共に置いてあった果実飲料のボトルを荷へ詰め。老人をベットへと運び、身なりを整えてやってから、塔を出た。食卓には、置き書きを残した
「愛深き人、また一人の偉大なる旅人。ここにその生涯を終える。」
ドアを開けてすぐにわかった。昨日吹き荒れていた風はそよ風として朝の清廉さを感じさせ、また空は晴れ渡っていた。
竜亡き後の山には、あの風は吹かなくなった。
冒険譚
いってしまえば前日譚って奴です。作品ないのに前日譚って話ですが、そこは見逃してください。
願わくば、この話だけは自分でも忘れたくありません。