茸玉
昔話風の茸小説です。PDF縦書きでお読みください。
長野の山奥の村に、夏の夜に林の中に漂う光の玉の言い伝えがあった。
昔の人たちは、動物たちのさ迷える魂が、燃え尽きる数時間の間にこの世に輝く現象だと信じていたそうである。一般に知られているのは、人の魂が光って玉になり、歩いている人の後をついてきた、とか、墓場の墓石の間を青く光る玉がころころと転がっていたとかいうものである。いわゆる人魂、燐である。しかし、動物の魂が燐として燃えるというところは、その地方独特のもので、他では聞いたことがない。
今の世に、それを信じる村人はほとんど居ないであろうし、見た人もほとんど居ない。しかし、ほとんど、と言うことは、信じる人も、見たことのある人も、わずかであろうが居るということになる。
もう百に近い数野繁ばあさんは、林の中に青く大きな、ちょうどバレーボールほどの大きさの玉がふわふわ浮いていたのを十七、八の若い頃何度か見たという。それ以来出会うことはなかったということだ。ということは八十年以上前のことになる。
繁ばあさんの見た玉が、昔の言い伝えの玉なのかどうかはわからない。昔のものは赤や青や黄のほんの手の平に載るほどの大きさのものが、ぷかぷかと林の中を右へ左へと漂っていたというものであるから、ちょっと違いそうでもある。
その地方の伝承本などには、光の玉の話の起源が書き記されているが、それをここに再現してみようと思う。これは数十ある地方研究誌や個人の集めた伝承の本などを参考にして構築したものである。
その当時その地方が今のものとは別の名称で呼ばれていたことは確かであるが、本によってその呼び方は異なっている。茸がよく採れた場所であることはかなりの共通点であることから、茸村と仮に呼んでおこう。
茸村は猟と自然の恵みを糧として生活をしている小さな山間の村であった。誰でも好きな土地を耕したり、家を建てたりすることが自由だった土地柄、地主という者はいなかったが、誰彼に頼りにされる者は必ずいるものである。茸村でも青助というこの地方にしては色白で優男がそれにあたった。一般にはがっしりとした骨太でなにがあっても動じない機転の利く者が村の中心にいるものである。髭も生えない白い男がそのような立場にいるのは珍しいといえばは珍しいことである。想像するに、人間の白子ではないかと思われる。若いのに髪の毛が白く、瞳が青いと書いてあるのはそのためではないだろうか。おそらく、普通であれば村八分になってしまうような立場であったに違いないが、みなの相談相手になっていたということは、人柄がよいだけではなく、その男が機転のきく頭をもっていたことの証であろう。
青助は猪造と秋の間の子供である。兄弟は全部で六人、その中の唯一の男で、末っ子であった。姉たちは母親に似て皆よく働き、気だてが優しいことから、それなりにいいところに嫁にいっていた。
猪造は恰幅がよく、猟師として信頼の厚い男であった。しかし、豪放すぎて時に周りが迷惑することがある。青助は全く逆で、いつも静かだが、議論が始まると、それをうまくとりおさめる話術のうまさがある。もちろんそれだけではなく、話は道理が通っており、周りへの気配りも怠りがなかった。
青助は農作業もしたし、山へも行ったが、日光に長く当たりすぎると、皮膚が火膨れになることから、長くは作業ができなかった。猟には興味があったが、父親の猪造がさせなかった。猪造は真っ白な人間が生まれてしまったのは、自分が狩猟人だからだろうと思いこんでいた。随分沢山の動物を殺してきた。恐らく村で一番だろう。生きるためには仕方のないことであるが、動物たちの怒りをかって、真っ白な子供を産むはめになったのだろう。そう信じてから、青助には決して銃をもたせなかった。
青助には山で山菜、茸、木の実を採らせていた。彼は籠を背負って日が昇らないうちに山に入り、山の恵を採ってきた。そのため、青助は山のことは手に取るように知るようになっていた。いつ、どこの木にどのような実がなるか、いつ頃、山菜は食べごろになるか。茸の出来具合はどうか。
さらに、彼が尊敬される理由があった。彼は薬草のことをよく知っていたのである。薬師ではないが、病になると、彼に薬の調合を頼みにくる者も少なくなかった。
「青助、この茸は食えるけえ」
村の物知りの長老でさえ山の中で採ってきた茸でわからないものが混じっていると青助に聞きにきた。
「この茸なら食えるっさ」
青助は即座に答えた。どうして知っているのか不思議であった。彼に誰かが教えたということを聞いたことがない。父親にしろ母親にしろ茸のことをさほどよく知っているわけではない。自分でどのようにかして知ったのであろう。
ある時は村の子供たちが採ってきた茸を見て、
「おー、いい茸採ってきた。みんな食えるけ、だけんどこの白いのだけは塩漬けにしてから食え、そうしないと、腹下すぞ」
と注意をした。子供たちはうなずいたが、次の日腹を下した。青助に言われたことを言わなかったため、母親がそのまま茸を料理したからだ。
後で、親が子供からそれを聞いて、ますます、青助は信頼されるようになった。
子供たちは親にいわれて、青助と一緒に山に入り動物や植物のことを教わった。特に茸についてはいろいろと教わったのである。親もついてきて薬草のことなどを教わることがあった。
「青助は何であんなに山のこと詳しいんだべ」
集まりの席で長老の八助じいさんがつぶやくと、青助の隣の家の橋造が言った。
「ありゃ、熱心な奴だからな、夜中に山に行ってなにやら調べてるだ」
「ほお、夜中にかよ」
「ああ、おらが夜中にしょんべんに起きてよ、外の便所に行った時だわ、隣の家に提灯の明かりが見えてよ、山の方へ行ったんだわ、ありゃ青さんだ、何度か見たでよ」
「夜中に行かんとだめな訳があんのか」
「女だべ」と誰かが茶々を入れて、みんな苦笑をした。
「いんや、おそらく、青助は日の光がだめだから、夜の方が楽なんだべや」
「んだな」と、青助の話はそこで終わった。
ある日の真夜中、青助は床からでると、提灯に火を入れ、大きな麻袋を担ぐと、家をでた。
裏山の道を登っていく。提灯の火がいらないくらい月の光であたりが明るい。
中腹まで登ると、そこから林の中に入っていく。歩きなれた足取りで、羊歯(しだ)を踏みしめながら足早になる。
頼まれた薬をあと半年で作らなければならない。これができれば、おっ母とおっ父に楽な暮らしをさしてやれる。
青助は一年前に山の中の出会いのことを思い出していた。
青助が林の中で茸採りをしていた時である。味の良さそうな茸を選んで採っていると、木の繁みから二人の男が現れた。一人は脇に二本差しているれっきとした侍であり、もう一人は袴をはいた老人であった。
青助がぎょっとし、逃げ腰になるのを見て、老人が声をかけてきた。
「大丈夫じゃ、何もせぬ、安心してくれ、お主、茸の選び方をよく知っているな」
「へえ、いつもやってますで」
青助はこのあたりではまず見かけない立派ななりをした二人に怯えきっていた。というより、生まれてこの方、このような偉そうな人物と話をしたことがなかった。
「どうして美味そうなのがわかるのかね、毒かもしれないだろうに」
「鼠がかじったのは大丈夫でごぜえます」
「ほう、鼠がかじるのを見て判断しているのか」
「それだけではねえです。村のじいさんたちの茸採りをいつも見ていました」
「そうだろう、じゃが、毒茸でも虫が付くが、虫は死なぬ。鼠がかじれば大丈夫だとどうしていえるのじゃ」
「寺の和尚が鼠から猿ができて、猿が人になったと教えてくれました。鼠は人と同じように暖かい動物で、よその国では毒かどうか鼠で試すと言ったです」
「ふーむ、それはどこの寺じゃ」
「隣村の方丈寺でごぜえます」
「あの寺の住職か、五正和尚じゃな」
「知っておいででございますか」
「名前だけだが知っておる、昔は船乗りだったが、船が難破し九死に一生をえて、西洋に十年ほど暮らしておったそうじゃ、その国が東洋に船を出す時に、一緒に乗り、日本に寄港した際に戻ったそうだ、それから深山の寺にこもり修行をして、この地に参ったというご人じゃ。大名達もその僧を御伽衆、すなわち教育係りじゃが、それに取り立てたかったようだが、断ったという」
「そんな偉い方には見えませんです、とても周りの民によくしてくださいますで、いろいろ教えてくだせえます」
「よい話を聞いた。儂も会いに行ってみよう、ところで、なぜ、鼠と人が温かい動物というのがわかるか」
「蛇をつかんでも冷たいのですが、鼠をつかむと暖かいからでございます」
「よく、気がついておるな、鼠も人も赤い血じゃ、鼠も人も暖かみを体の中で生むことができるのじゃ」
青助ははっと気がついて答えた。
「たしかに、死ねば冷たくなります。生きるためには暖かみが必要になります」
「その通りじゃ、鼠は人間の祖先なのだ」
「鼠から人間に変わったとおっしゃいますか」
「そうじゃ、だから、鼠が食えるものは人にも食えるもの」
「はい」
「どうじゃ、夜中にこの場所に参れ、いろいろな異国の薬について教えてやろう、それに、頼みたいこともある」
「はい」
「ほれ、これは、その支度金じゃ」
老人は紙に包んだ金子を青助に渡した。青助はその場で紙を開くと、黄金に輝く小判が一枚入っていた。今まで見たこともないものである。
「お手伝いできるかもわからないのに、こんなに、いただくことができません」
「大丈夫じゃ、お前には出来る、父母兄弟を楽にしてやれ」
父親、母親、それに姉たちの手助けになればと常々思っていた青助である。
青助は頭を下げて、「はい」と答えた。
「今日の夜からここに参れ」
「ここでございますか」
「そうじゃ、この林のなかじゃ、だが、このことは誰にも言うでないぞ」
青助はうなずいた。
老人は「殿いきましょう」と連れに声をかけた。
侍が何も言わずにうなずくと、周りから黒装束の男たちが音もなく現れ、侍と老人を囲むようにして山の上に登っていった。
青助は夢でも見ているかのようにその後を見送った。手元には一両ある。
本当にあったことだ。青助は金を握りしめて家に戻った。
それから青助は毎晩林の中に通うことになった。もらった金子は壷に入れて柿の木の下に埋めてある。とてもあんな大金使えるわけはなく、持っているだけで怪しまれる。この村を出るときがあったら持っていこうと考えていた。
老人と会ったその日、提灯片手に山をのぼり、その場所に行くと、老人が大きなずだ袋をもって切り株に腰掛けて待っていた。
「よく来た」老人は袋から茸の図譜を取り出して青助に渡した。
「これはの、このあたり特有の茸を儂が描いたものだ、それらはみんな毒であるが、使いようによれば薬になる」
青助は茸の図を見た。確かにこのあたりでよく見るものであり毒茸である。
「毒茸でごぜえます、よく見るものです」
「そうだろう、だがどのくらい食べたら死ぬかわかっておらぬ、それを調べてもらいたい」
「私が食べて試すのでしょうか」
ちょっと恐ろしくなった。
「冗談を言うでない、鼠に食わせるのだ」
「しかし、ただ食わせるだけではわかりません、どのようにするのでしょう」
「その通りじゃ、ほら、あそこを見てみよ」
老人が指差した先の、羊歯に覆われている山の斜面に大きな穴があいている。昨日はそんな穴に気付かなかった。青助が戻ってから掘るというのは無理であろうから、前から掘ってあって入り口を隠してあったのか。
「こっちへ来い」青助は言われるとおり、後に付いて穴に入っていった。
入り口に比べて中は異常に広かった。ところどころに油で明かりが灯っていた。だいぶ歩いて奥の方にいくと、冷たい空気が頬にふれた。そこは鍾乳洞になっていた。この地方にはこのような洞窟はいくつもある。しかし、こんな近くにあるとは知らなかった。
「儂らが見つけたのだ」
鍾乳洞には水の流れもあり、広々とした石の広場もある。何人もの人が住めるほどの環境である。村の家よりも住みごこちが良いかもしれない。
「ほれ、そこを見よ」
鍾乳洞には沢山の部屋があった。部屋の中には、鉄で作られた小さな檻がならんでいた。しかも、その中には真っ白いどぶ鼠が入っていた。大黒鼠である。大黒鼠は檻の中で寝ているのもいれば、与えられた餌を食べているのもいた。
「鼠じゃ」
青助は気持ちが動転していた。
「この鼠はどうしたんで」
「ここで増やしたのよ、こいつらは大人しくてよく増える。これを使って茸の毒を調べるのだ、やってくれぬか」
「ですが、こんなに沢山の鼠の世話を一人ですることはできません」
「はは、大丈夫じゃ、鼠はこちらですべて面倒をみる、おまえは茸を採り、毒を調べればよいのじゃ。そのうえで、新しい毒茸を探すのじゃ」
「でも、畑をしたり家のことをしなければなりません」
「そこはうまくやるのじゃ、食べるための茸を採るときに、毒の茸も採ればよい、それを、夜中にここに持ってきて、すり潰し、餌に混ぜるのじゃ、与える量などを変えて調べよ、逐一書いておくのじゃ」
こうして、青助はそのときから、この穴に通うようになった。自分にとっても、暗い、光の当たらない洞窟は居心地が良かった。ただ、同類の鼠の白子に、餌とともに毒を与えなければならないのは、簡単には慣れることがなかった。与えた茸を食べた大国鼠があくる日は死んでいた。時にはまだ生きていてひくひくとからだを引きつらせているのを見るのは忍びなかった。そのことを言うと、もう死ぬとわかって居る時は、死んだものとして、これで首を落としてやれと、老人はよく切れる小刀をおいていった。
それでも、新しい茸を見つけ、それをすり潰し、鼠の餌に混ぜて毒の強さを見る仕事は、決していやではなく、むしろ、喜んでやっていた。
二月ほどたつと、何種類もの新しい毒茸を調べることができただけでなく、逆に薄めることで、薬に使えるものも見つけていた。
毒の占地(しめじ)の一種は、その量を少なくすれば、風邪を引いた鼠があっという間に直った。青助自身が風邪を引いたときに飲んでみた。飲んで一時も経たないうちに喉の乾燥が収まり、鼻づまりや、鼻水も止まってしまったのである。
それを見つけたときには老人も喜んだ。風邪に強い軍隊ができる。そう言った。そして、また金子をもらった。
そして、とうとう怖い茸を見つけてしまったのである。その茸を乾燥させ、ほんの一匁の百分の一を鼠の餌に混ぜてみたら、目の前でことっと死んでしまった。その茸の絞り汁も同様であった。それを十倍にし、二十倍にし、それでも、鼠は時間こそ、少し長くなったがすべて死んでしまった。人の重さが十貫とすると、大国鼠の百倍ほどだろう、とすると、その茸の乾燥したものを一匁食べると死ぬことになる。
ずい分薄くして与えても、鼠は病気になり最後には死んでしまった。これでは薬にならない、絞り汁を薄めて薄めて、もう入っていないほどになったとき、それを飲ませた雄の鼠が猛烈に攻撃的になって、一緒にしておいた鼠にかみついた。さらに驚いたのはかみつかれた鼠があっと死んでしまったのである。一緒に住まわしていた三匹とも噛みつかれて死んだ。青助は自分がかまれたらどうなるかわからないことから、その鼠に茸の入った餌を与えた。あっという間にその鼠も死んだ。雌の鼠にも薄めた茸汁を与えてみた。それも同じであった。一緒にいる雌の鼠にかみつき、皆殺にしてしまった。その恐ろしい雌鼠も茸で殺した。
青助がその茸を試すと周りには鼠の死骸だらけになった。青助はその死体を洞窟の中に墓を作って埋めた。
薄めた茸の汁をさらに薄めて雄鼠に与えた。
今度はほかの鼠を追いかけ交尾をしようとした。雌鼠と一緒にすると、強引に交尾し、あっというまに孕ましてしまった。
青助は?の木の下で見つけたその茶色の茸の絵を描き、試みたことをすべて書き留めた。
しばらくぶりに様子を見に来た老人に、その書き付けと、ギヤマンに入れたその汁を渡した。老人はその書き付けを読むと唸った。
「すごいものを見つけたものじゃ、手柄じゃ、この茸を集めてくれ」
青助はその後、一年かけて、その茸の生える場所、時期などを詳しく調査した。それは、この村でもほとんど見ることができず、洞窟の周辺の山に一番多く生えていた。
採った茸は洞窟の奥の涼しい場所に保管しておけば長く保存できた。
ある時、老人が言った。
「いろいろよくやってくれた。この茸はお前の名前をとって青(あお)茸(じ)と呼ぶことにした、殿が褒美をやろうとおっしゃっておる。なんでもよいぞ」
「へえ、おっ母と、おっ父、それに、姉たちに楽な暮らしをさせてやりてえんで」
「そうか、そのためにはなにをしてほしいかな」
「この村がよくなればと思うです」
「よし、このことは殿に伝えておく、青助、そちはなにも望まないのか」
「へえ、茸が採れて、毎日おまんまが食えればそれでなにも」
村人たちの生活をまとめた郷土誌の一つにこのような記載がある。
ある年、この村が優遇され、ほとんど年貢を収めなくてよくなったとある。その理由が、あまりにも作物ができず、獣も少なく、人々の暮らしが貧しいため免除するとある。そこに、その村の人々がその措置に驚いて、むしろ、採れたものなどを城に献上したとある。なにか裏にあるのではないかと村人が心配した様子が書かれている。さらに、息子が神隠しにあった猟師の一家の柿の木の下から壷にはいった金貨が見つかり、届け出たところ、正直で天晴れと、その猟師に与えられたそうである。その際に、赤い酒と醍醐を賜ったということも書いてあり、ただ、一般にはそのようなことがあるわけはなく、なにか格別のことをその猟師がしたのだろうが、理由はわからないと書いてあった。その猟師は村の為に使ってくれと、金を村に寄付し、そのおかげで、井戸をほり、そこから豊富な湯がわき出て、湯治の建物が建てられ、村人の憩いの場となったことが記されている。
その湯治場跡は、村の遺跡の一つとなっている。
戦に関する郷土誌にはこんなことが書き記されている。その地方には五つの城があり、それぞれの場所を統治していたのであるが、ある年に、奇態な病がはびこり、一つの城を残して、住んでいる者たちは全滅したとある。いきなり、城の住人が凶暴になり、お互いに噛み付き、死に絶えたらしい。それは修羅場であったとある。残った一つの城の城主がそれらの城を統治したとある。その城の城主一族は大変精力が強く、次々と子供を産み、その子供が四つの城を統治し、大変大きな勢力としてその地をまとめていたとある。
さて、青助がある夜、洞窟に行くと、老人が一人で酒を飲んでいた。脇にはギヤマンにはいった葡萄色のきれいな酒がおいてある。老人の手にはギヤマンでできた器にその酒が満たされていた。皿の上には黄色っぽいものが乗っており、老人はそれを口に入れた。
「どうじゃ、青助飲まんか」
青助は集まりでも酒はほとんど口にしなかった。おいしいと思ったことがなかったからだ。
躊躇している青助を見て、「この酒は葡萄から造った酒でな、西欧から持ってきたものじゃ、あの寺の和尚など、向こうに住んでいるときには水の代わりに飲んだと言っておる、じゃが、これは特別なものでうまいぞ一杯やれ」
そういわれると酒を飲まない青助もうなずくほかはない。
「まあ、そこに座れ」
テーブルの前に座ると老人は空いているギヤマンの器に紫色の酒をついだ。
「いただきやす」
青助はグラスをとると口にもっていった。最初の印象は酸っぱいし、苦いし、旨いとは思わなかった。
「どうじゃ」
「苦いです」
「それじゃ、まずこれを食え」
老人は黄色い堅い食べ物を口に入れた。
青助も食べてみた。それは今までに食べたことのない味だった。少し牛の乳の匂いがした。
「美味いです」
「そうだろう、酒を飲んでみい」
青助は酒を飲んだ。今度はとても美味く感じた。
「どうじゃ、これは醍醐といって乳を固め、ねかせて作ったものじゃ、栄養のある旨いものじゃ」
老人は酒をまたついだ。
「青助、殿がすべてを聞き入れてくれたぞ、おまえの村も、おまえの一族もみな安泰に暮らせるようになる。この村の年貢をなくすとおっしゃってくださったのだ」
「年貢がなくなるので」
「そうじゃ、それも皆おまえの働きよ、じゃが、村人にはそれは言えぬ」
青助はうなずいた。
「お前の親には特別に目をかけるから心配するな」
「はい」
どうじゃ、もう一杯、そうだ、器を変えよう、こちらの器は特別なもので、西の国の王様が使うものだそうだ。
老人は足のついたギヤマンの器を青助の前においた。
「どうじゃ、あの茸のことは誰にも言っておらんだろうな」
「へえ、もちろんで」
「ほら、醍醐を食って、この酒をぐいと飲め」
老人は酒をなみなみと器に注いだ。
青助は醍醐、すなわちチーズを食べた。旨いものだ、こんなに旨いものがあるのだ。
「おやじたちにも食わせてやりたい」
「そうか、それもかなえてやろう」
青助は酒をぐーっと飲んだ。旨いと思った。そのとたん、青助は洞窟の床に倒れていた。
「よく効く毒だ、青助すまんな、秘密がもれてはまずいのでな」
青助の遺体は鼠を埋めた部屋に横たえられた。老人は葡萄酒と醍醐を遺体の枕元におくと、
「すまんな」ともういちど手を合わせた。
老人は行灯を手にして、周りの灯をすべて消した。
穴の外にでると、懐から黒い玉を取り出し、行灯の火を火縄に付けると、入り口に放り投げた。どずんという大音とともに、洞穴の入り口は土で埋まってしまった。半月もたつと草が生い茂り、なにもわからなくなるだろう。
その日から青助は神隠しにあったのである。
青助が死んだ夜のことである。青助の遺体の周りから、水の玉のようなものが浮かび上がってきた。赤く光ったり、青く光ったり、黄色く光ったり、ふわふわと青助の周りを飛び回ると部屋から洞窟の中へと漂っていった。それは埋めた鼠の死体から出てくるようである。次から次へと空中に漂い、部屋の中が明るく輝いた。
やがて洞窟の中にあふれんばかりの光の玉が浮かんでいた。その玉は、洞窟の岩の割れ目に吸収され、時として、地上に染み出し、林の下草の中を漂って、空中に躍り出ると、村里に下りていくようになった。
あるとき、青助の遺体から白く大きな光の玉が出て宙に舞った、鼠の小さな玉は次第に外へと染み出していったが、白い玉は洞窟の中をいつまでも彷徨っていた。
こうして、村の人々が光の玉を目にするようになった。人々はどうしてそれが飛ぶのかわからなかったが、ありがたい知らせなのではないかと、期待をし、小さな社を建てた。そのためかどうか分からないが、この村は年貢を払わなくて良いとのお達しを受け、村人たちは驚きに色めきたったのである。
秋になると、その社の屋根に赤い茸が生えた。たくさんの光の玉がふわふわと、茸の周りを回って、社に入っていった。それから、人々はその玉を茸玉と呼ぶようになったのである。
青助がいなくなったのは、村での大事件ではあった。村の指導者になるであろう若者がいなくなったことは、村人たちには寂しさよりも、頼るものがいなくなった時の一抹の不安をもった。しかも、それにあわせるように茸玉が飛び始めたのである。さらに、青助の父親は城からなにやら褒美を与えられている。不思議なことが一度に起きた。奇妙な一致であるが、急に人がいなくなることは今までも、いろいろな形で起きていることではある。しかし、人々の青助への思いは長く残った。
長い長い時間が経つと、この奇妙な出来事も、いつしか話題にのぼらなくなくなっていき、やがて細々と語られるだけになったのである。ただ、時々、夜になると、茸玉はふわふわと飛んでいたようである。
今、その村で茸玉を見ることはない。その百に近いお婆さんが見たという茸玉は、鼠の魂にしては大き過ぎるようである。古くなり崩れそうになった茸の社のあたりまで飛んだということも言っていることから、これも大いなる想像だが、それは青助の遺体から出たものではないだろうか。やっと洞窟より染み出すことができたと思ったら、時はもう何十年も経ってしまっていたのである。もし、それが青助の魂でこの世のことが見えたとすると、この社会の変わりように、何を感じただろう。
さらにおもしろい説を読んだ、その地方の中心都市にあった城の一族は、時代とともに離散し、ある一族は武田信玄につながり、ある一族は富山に行って、薬を作る店を構えたとの言い伝えがある。
その昔、本当のところはどのようなことが起こったのかわからないが、私はこれから、その恐ろしい茸、青茸の存在を調べることにしたところである。まず、その鍾乳洞を探すことからはじめようと思う。
(「茸女譚」所収:2017年自費出版 33部 一粒書房)
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