ラブ&ヘイト 見習い天使と見習い堕天使の物語(4)

第四章 堕天使へのファーストステージ

「さあ、誰から声を掛けようか」
 見習い堕天使は、羽根を折り畳んだ。降り立ったのは、JR駅前の円形の広場だった。そこは、電車やバス、タクシーのターミナルで、多くの人たちが行き交っていた。空から、見習いが降り立ったのにも関わらず、誰も、不思議に思わないのか、気付こうとしない。見習いが、こんなに数多くの人間を生で見るのは初めてだった。普段は、師匠の世話で一日が過ぎ、たまに、師匠とともに、堕天使たちの会合やパーティに参加し、空の上から、人間たちの愚かな行動を見ては、それを酒の肴にして、楽しい一夜を過ごすのだった。
 空の上から見ていた人間と、側で見る人間は、少し感じが異なっていた。パーティの余興として、人間の馬鹿げたやりとりを、天空いっぱいのオーロラ画面で見ることはあったものの、間近で、すぐ触れるぐらいの距離にいるため、初めて人間を見たたような気がした。やっぱり、本物は違う。人間たちが、全く環境の違う世界に住む、白クマやライオン、キリン、ゾウ、イルカ、ヘビ、トラ、カンガルーなどを無理やり一箇所に集め、もの珍しそうに眺める習慣を持つ変な趣味を、なるほどと思った。自分たち、堕天使ならば、世界中どこにでも、瞬時に行けるので、わざわざ莫大な経費をかけ、世界中の動物たちを集めたり、できるだけ住んでいた環境を作るために、寒い地域なのに亜熱帯にしたり、温かい地域なのに、氷を浮かべたりするような施設は作らない。人間の努力、営み、野望、欲望に感心した。だが、いつまでも、口を開けたまま阿呆面をしているわけにはいかない。見習いは、本音としては、特段、今の状況から堕天使への階段を上に登りたいとは思わないけれど、堕天使様の命令だから仕方がないと思っている。わざわざ、仲が良い二人の間を切り裂くなんて、堕天使様も意地が悪い。だからこそ、堕天使なのだろうと納得するけれど。でも、堕天使様は適当にやれとおっしゃっていたから、その命令にも従おう。
 おっと、これが堕天使ノートか。
 見習いはノートを手にする。
 本当に、このノートに名前を書いただけで、仲の良い二人が喧嘩別れするんだろうか。少し、試してみたいがする。それに、堕天使様の言うとおり、四組の人間の仲を引き裂いたら、空にどんな文字が浮かぶのだろうか。期待していないけれど、見てみたい気がする。さあ、早速、獲物を探さないと。おっ、あの二人だ。
 見習い堕天使が見つけたのは、駅前で、フリーペーパーを配る二人。
見習いは決めた。あの、二人にしよう。同じ、赤色の帽子と服を着て、いかにも、仲間という感じだ。二人で、連携・協力して、冊子を渡している。中には、受け取らない客もいるけれど、お互いに励まし合って、何とか、規定の冊数を配ろうとしている。うーん、青春だ。二人には、悪いけれど、これも運命だと思ってあきらめてくれ。
 堕天使見習いは二人の側に近付いた。

 洋子は思う。今日の午後も調子がいい。予想以上に、ハケがいい。だって、純子と二人で、共同戦線を張っているからだ。今まで、というより、ほんのさっき、午前中の後半まで、互いに単独行動で、競争のように、敵のように冊子を配っていたけれど、今は協力態勢を組んでいる。お客さんに、「フリーペーパーいかがですか」と、いくら大きな声で叫んでみても、なかなか受けっとってもらえない。「どうぞ」と声を掛け、無理やり体の前に突き出しても、無視するか、突然の冊子の出現に驚き、本当は欲しいと思っても、足が急いで職場に向かおうとしているため、手を出した時には、目の前を通り過ぎているのだ。
 あたしがフリーペーパーを配るように、みんな、自分のことで忙しいのだ。そう言う時こそ、ペアの力だ。二メートル前に、純子が「こんにちは」と言って冊子を渡す。欲しい人は手を出す。必要だけど、耳に栓をして音楽を聴いたり、会社や学校までの道のりを、ひたすら修行僧のようにうつむいて歩く人には通じない。でも、そんな中でも、あたしたちの黄色い声を聞いて、心の内から外に出てきた人は、少しは関心を持って、手を伸ばしてくれる。そんなチャンスを待つ。だが、折角、興味を持ってくれても、多人数の川の流れにとどまることができずに、冊子を受け取らず、まあいいや、いつでも手に入るわと思い、そのまま流れてしまう。その思った数秒後に、欲しかった冊子が、声とともに再び眼の前に現れる。彼女(彼)は、心の中で、ラッキーと思いながらも、声には出さずに、私を一瞥し、今度こそ、この幸せを、このチャンスを逃すものかとさっと手を出し、冊子を握りしめるのだ。
 そう、私たちは、赤い服を着た、真夏のツインサンタクロースギャルなんだ。パチパチ。自画自賛。二人で、一人。昔から仲のよかった、相棒、友人、姉妹、家族なんだ。あれ、純子とこんなに親しくなったのは、いつからだろうか?ずっと、前。いや、二、三日前?いいや、ほんのさっきのように思える。それまで、口なんかきいたこともなかったし、どちらかと言えば、商売敵だったはずだ。純子が一冊配るたびに、私の配る客が一人減る。早く終わらないといけないのに、時間がまた伸びてしまう。あえて言えば、純子は敵だったはずだ。でも、時代錯誤の白い服を着た自称天使、いや天使の見習い(わたしの眼には、ピエロかちんどん屋にしか見えなかった)が、やってきて、急に、仲よくなったんだ。気持ちの変化かな。女心は全天候の空だもの。いつだって、どこだって変わっちゃう。

「もしもし」
「はい、どうぞ」
「あっ、ありがとうございます。ありがたくいただきます」
 彼女の眼の前には、黒いシーツのような衣服をまとった男が立っていた。どこかで見たことがある服だ。そうだ、さっきまで考えていた、あの見習い天使と同じ服の形をしている。でも、色は黒。それに、見習い天使と顔は違う。でも、仲間かなんかだろう。洋子はそう思った。
「忙しそうですね」
「ええ、これだけ配らないといけないんです」
 彼女は、手に持っている冊子と、観光案内板の下にまだ積み重ねられているフリーペーパーの山を指差した。
「あっ、ごめんなさい」
 彼女は、眼の前を通り過ぎていくおばさんに冊子を渡そうとするが、見向きもされない。
「無料なのに、もらって貰えないんですね」
「ええ、荷物になるからと、手にフリーペーパーを持ったままだと、かっこうが悪いんですよ。以前、記念号を出した時に、手提げ袋付きで渡したら、結構、持って行ってくれましたけど」
「現金なんだ」
「そうですね」
 苦笑いをする洋子。人間不思議なもので、ただでもらえるとなると、過剰なるエネルギーを平気で使う。以前、中央公園で行列ができていた。無料で、パンジーの苗がもらえるらしい。一時間以上も待つような行列。そこまで待って花の苗を貰っても、どうせ、家に帰ったら、庭に植えた後、最初は水やりをするけれど、翌日以降は、そこに花が植わっていることなんか忘れてしまい、そのうちに花は枯れてしまうのに。枯れたら枯れたで、あら、枯れちゃたの一言で終わる。あたしの人生をもてあそばないでよ、とドスの利いた声で、裾も露わに片膝ついて、パンジーが怒りそうである。
 彼らや、彼女ら、特に、高齢者の彼女らが多いけれど、ただで貰うことで、得をしたという感情だけが満たされて、飽和状態になってしまうのであろう。そのためだけに、彼ら、彼女らは、毎週末に、イベント会場を東へ西へ、南へ北へと彷徨うのだ。
 と言いながら、洋子自身も、機会あるごと、懸賞やクイズに応募している。その賞品が欲しいのもあるけれど、タイムマシンに乗って未来から使者がやってくるようで、それが楽しみなのである。未来の期限付きの懸賞。それに向けて、せっせとはがきを送り、インターネットをクリックする。発送後の未来で、何らかの不思議な力(単に確率の問題であり、偶然なのであろうけれど)が働き、未来から賞品と言う名のメッセージが届く。未来との会話。この楽しみのために、彼女は、今も、懸賞やクイズに応募し続けている。彼女がそんなことを考えているのを知って知らないでか、見習い堕天使は、彼女の後ろにいるもう一人の女性に気がつく。
「彼女は誰?」
 洋子は答える。
「同僚の山本純子。ホント、名前のとおり、純粋な子なの。午前中、あたしが冊子を配り終えていない時、手伝ってくれたんです」
 見習いは純子と呼ばれた彼女を見た。にっこり笑い、会釈をする純子。えくぼが両頬に二つ。今なら、全ての不幸も幸せの休憩地に佇みそうである。この二人の仲を裂くことなんかできやしないし、もし、仮に、そんなことができてもそうすべきなのか、見習い堕天使は気が乗らなかった。他人の不幸で、自分が出世(見習いから正規の堕天使になるということ)するなんて、そこまでしなくてもいいんじゃないかと思った。一生、見習いのままの方が、堕天使らしくていいんじゃないだろうか。堕天使の昇進なんて、可笑しいんじゃないかと思った。その時、頭の上にあったはずの、わっかが見習いの頭にすっぽりと入るや否や、ぐうーと締め始めた。
「いたたたたたたたたたっつた」
 頭を抱えたまま、その場にうずくまる見習い。
「大丈夫ですか?」
 洋子が心配そうに見守る。純子もだ。
「だだ、だいじょうぶです」
 痛みが少し治まったので、立ち上がる見習い。空の上から堕天使様が監視しているのだ。やはり、命令は、いやでも従わなければならない。見習いは、座りこんだまま、ポケットからノートを取り出すと、ずきずき痛む頭を押さえながら、白いページに二人の名前を書いた。
「私のことはさておき、もうすぐ配り終えそうですね」
「ええ、純子と二人でやれば、午後の部の仕事もじきに終わると思います。その後、二人とも居酒屋のバイトがあるんです」
 見習いは思った。やはり、この二人の仲を裂くのはやめよう。こんなに一生懸命頑張っているじゃないか。もっと他の人にするべきだ。何も、堕天使に昇格するのに期限があるわけじゃない。お師匠様が空から眺めているのはわかっているけれど、すっぺらこっぺらと言い訳を繰り返そう。堕天使様を騙すのも、修行のうちだ、そう決意すると、ノートに書いた二人の名前を消そうとした。
 その瞬間。強風が吹いた。ここ駅前は、港を再開発した場所である。フェリーの汽笛が聞こえる。海はすぐ側だ。そのため、北からの風は強い。また、近くには、三十階建と十二階建のオフィスビルが二棟建っている。風は、ビルの間を通り、より強さを増し、駅前のバスやタクシーを待つ人、電車から降りてきた人、オフィスビルのビジネスマンたちを吹き襲う。
「きゃっ」「きゃっ」
 洋子と純子が悲鳴を挙げた。身をよじって、顔をそむける。そむけた方向に、フリーペーパーが、ページをめくりながら飛んで行く。
「あっ、お金が、じゃなくて、アルバイトが」
 すぐ側で、純子の声もした。一冊、二冊、十冊、数十冊と、フリーペーパーは自由を得たかのように、駅の広場に飛び広がった。その後を追う純子と洋子。近くに飛んだのはいいけれど、中には、一ページ目がめくれ、そのページが風に煽られ、二ページ目がめくられ、更に地面を滑る。フリーペーパーは、風車の羽根のように、海に浮かぶヨットのように地面を滑り、広場の中に自分の居場所を確保した。中には、港の海水を引き込んだ池の近くまで吹き飛ばされている。海水の中に落ちてしまえば、商品価値はゼロだ。お客様には渡せない。純子と洋子、それに、何かの縁かも知れないと、見習い堕天使も冊子を拾う。集めて元の場所に戻しても、再び、強風により吹き飛ばされる。この繰り返しだ。それなら、いっそのこと、台風並みの強風が吹いて、全ての冊子を空に舞いあげ、道行く人に配って欲しいぐらいだ。そうすれば、バイトは一度に終わってしまえるのに。純子と洋子は回収しながら呟く。
 やっとのことで、冊子を集め終えた二人。
「純子、これ、あなたの分でしょ」
 洋子は、自分が集めた冊子の一部を純子に渡す。
「ありがとう」
 礼を言って受け取る純子。確かに、純子の分は元の数に戻っている。洋子は、自分の分を見た。かなりの数が減っている。誰かが持って行ったわけじゃない。まだ、回収できていないのだ。純子の後ろの地下駐輪場への階段の入り口にまで、冊子が飛んでいる。それは、純子に近い。
「ちょっと、純子。あたしは、あんたの分まで拾ってあげたのに、あなたはあたしの分は知らん顔なの」
「そんなことないけど・・・」
「そんなことあるじゃない」
 頭に血が上る洋子。最初は、下手に出ていた純子も、
「いちいちうるさいわね。自分のことぐらい、自分でしなさいよ」
と言い返す。
「何、その言い方」
 洋子からは髪が立たんばかりに頭から湯気がでる。この様子を見ていた見習い。
「まあ、まあ」
と仲裁にはいろうとしたが、
「何が、ママよ、あたし、あんたの母親じゃないわ」
「そうよ、あんたなんか関係ないんだから、さっさといなくなってよ」
 二人から強い口調で責められ、たじたじとなり、後ろに下がる見習い。こうして、さっきまで、仲睦まじかった洋子と純子は、元の黙阿弥、佐渡に配流となった世阿弥のように、昔の関係に戻ってしまった。二人の間には、日本海ほどではないけれど、瀬戸内海の桃太郎に出てくる鬼の伝説で有名な、女木島、男木島のように離れてしまったのだ。(これは、女木島と男木島の住民の仲が悪いという意味ではない)
「私は何もしていないのに」
 見習い堕天使は少し肩を上げて、代わりに首を引っ込め、空に向けて手の平を広げた。俺は知らない、どうすることもできない、のポーズだ。洋子と純子の二人は、そそくさと荷物を片付けると、まだ、冊子を全部配り終えていないのに、広場から立ち去った。もちろん、二人とも反対方向に。純子はJRの駅の構内に、洋子は私鉄の駅の方向に。一人残された見習い堕天使。胸に抱えていたフリーペーパーを近くの人に手渡す、それこそ、自由の身となる。
「これでよかったのかなあ」
と思うと、急に、空が黒くなった。日差しの一部が隠される。生温かい風は吹かない。ここは広場。墓場じゃない。それに、堕天使と幽霊はなじまない。そう思いながら西の空を見上げる。地上に降り立つ前に空から見た時には、雲ひとつない青空だったが、今は違う。何か文字のような白い塊が浮かんでいる。
「なんだ、あれは」
 眼をこらす見習い。
「あれ、あれは、アルファベットのHか?なんで、Hなんだろ。お姉ちゃんたちと会話はしたけど、やましい気持ちは持っていなかったはずだ。そりゃあ、他人から見たら、俺が、お姉ちゃんたちを口説いているように見えたかもしれないけどな。でも、相手からは、セクハラだなんて、言われなかったぞ。それでもHかな」
 見習いはいろいろ考えた。でも、答えは見つからなかった。
「きっと、次の課題をクリアすれば答えがわかるだろう。ここで考えていても仕方がない」
 もちろん、自分の力で課題をクリアしたなんて思っていない。たまたま強風が吹いて来て、冊子が飛んで、自分が人を助けるために回収したら、二人の仲が悪くなっただけだ。
「風が吹いたら見習い堕天使が儲かる、そんな諺ってあったかなあ。まあ、いいか。偶然も実力のうちだ」
 そう思い直し、見習いは次のターゲットを探そうとした。

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見習い天使と見習い堕天使が、天使と堕天使になるための修行の物語。第四章 堕天使へのファーストステージ

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-09-10

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