バカ……
7時に駅前っていう約束だから、さっさと仕事を終え更衣室に入る。
まあ、一応礼儀として、それなりの服は準備してやったわよ。
「ずいぶん可愛い下着じゃない?」
嫌なヤツに見つかった。行き遅れってこれだからイヤ!
「え~、フツーですよ~」
どうせ月曜には有る事無い事、面白可笑しく吹聴するんでしょ。私は急いで着替える。
「さては、今夜デート?」
「違います~……お先に失礼しまぁす」
私は明日25歳になる、つまり誕生日ってこと。それなのに前の日に逢うってどういう事なの?
金曜日の夜は、街も心なしか華やいで見える。いつもの時計台の下に向かって歩くけど、なぜか100mも前から急ぎ足になっちゃう。あいつは待っているはず。時間だけは正確、2年になるのに一度も待たされたことがない。
今夜は、最近リニューアルしたホテルのスペイン料理レストラン、夜景と生演奏が評判らしい。こいつ意外に変な知識があるんだから。
「誰か連れて来たことあるの?」
慌てて否定する姿も、こいつらしいわ。まあ、蓼食う虫も好き好きって言うから……って私が?
ヴァレンシアの漁村をイメージしたと言う素朴で温かみのある店内。
エントレメセスから始まるコースは、私の好きなシーフードをメインに組み立てられてるし、香りの良い自家製のサングリアも結構ポイント高い。それにスペイン料理で鬼門のアリヨリ、今回は無いみたいで安心。デートでニンニク臭いのって、チョッとね。あれ、私何言ってんだろ?
デザートの頃からショーが始まった。アランフェスくらい私でも知ってるけど、本格的なフラメンコって初めて。床を踏みならすサパティアード、聴いてるだけでドキドキしてくる。情熱的でエラードとソルべの盛り合わせが溶けちゃいそう。酔ってきたかも。そうよ、こいつが調子づいてデキャンタでサングリア頼むからじゃないの。でも、明日CD見に行っちゃおうかな、フラメンコの。
アンコールには“アルハンブラの思い出”。風で蝋燭の灯が揺れるように揺れる音にチョッとうっとりしちゃう。
気がついたら時計は11時を回っていた。店を出てエレベーターホールの鏡で貌を見るとチークも直していないのに少し赤みが増している。
こいつがちょっと喉が渇いたって言って27階のバーに寄る。まあ付き合ってあげてもいいけど。
「僕はサイドカー、彼女にはシャーリー・テンプルを上げて下さい」
はぁ? シャーリー・テンプル? ノーアルコールのカクテルじゃないの!酔っ払い扱い? 頭来たから足を踏んでやった。本当はヒールで踏もうかと思ったけど、可哀想なんでトウで我慢した。
「いえ、キールにして下さい」
本当はキール・ロワイヤルって言おうかと思ったけど、値段が一桁違うから許してやった。
一杯だけでバーを出る。ちょっと酔ったふりをして左腕にしがみついてみた。
クソバカっ! 肩ぐらい抱きなさいよ!
廊下の厚いカーペットは、二人の足音を吸い込み静寂を撒き散らす。
エレベーターを待つ間に“送っていこうか”だって。私が呆れているとルームキーを出した。酔いが一気に冷めたじゃないの!
何でか知らないけどドキドキする。口惜しいからフクラハギを蹴ってやった。べつにパンツが汚れる程じゃないし、イイよね。
エレベーターに乗るとやっと肩を抱いてきた。遅いのよ! 階数のボタンを押す。はぁ? 21階? 客室じゃないの!
エレベーターのドアが開く、私は肩を抱かれたまま従った。不意に抱きしめられキスされる。
馬鹿ッ! 他人が来るかも知れないのに。心臓がフラメンコのカスタネットみたいになってるじゃないの!
部屋のドアが開く。
「部屋はツインなの?」
分かってるんでしょう? どうすれば良いかを。
「どうやって連れて行くつもりなのよ!」
お馬鹿!…私が両腕を首にかけたらやっと理解できたみたい。横抱きにベッドに運ばれる。背中にドアの閉まる音が伝わる。
「私の誕生日、明日なの分かってる?」
右手が私の髪に触れる。心臓がさっきよりドキドキいってきたじゃないの! それより、アウターとバッグどこへ置いたっけ。
「だから、世界中の誰より先に誕生日おめでとうって言いたかった…」
バカ!…ったく、あんたは。何を恥ずかしいこと言ってんのよ!
まったく……これ以上余計なことを言ったら、あとで背中に思いっきり爪を立ててやるから!
「あと少しで、明日だから」
秒針の音が響いてる。
「5…4…3…2…1…誕生日おめでとう…心から愛してます」
ばか、今更何よ、心臓止まるかと思ったでしょ! 私だって、あなたを
ブラウスのボタンが…
「レイトチェックアウトだから…」
私の背中に手が回る。
ばかぁっ……んっ……フロントホック…なんだから………。
二人の鼓動や息遣いと関係なく、時計は進み続ける。
バカ……