蜜月

弦月と関連した小説です。

ささばに うつやあられの
たしだしに ゐ寝てむのちは
ひとはかゆとも
うるはしと さ寝しさ寝てば
かりこもの みだればみだれ
さ寝しさ寝てば



あの頃はまるで迷宮のなかで暮らしているような生活でした。夢は醒めることはなく、何処までもきりがない螺旋階段を昇りつめていくような果てしない記憶。わたしはある観念を、雌鳥が卵をひたすらあたためつづけるようにして、胸の底に抱えて毎日をすごしていたのです。あなたがこの世から肉体を消滅させた明朝、わたしはアメジストの空をみつめていました。あなたとわたしの絆は唯一無二で、わたしたちは本来一緒にうまれてくるはずだった。でも、あなたは365日先にコノヨに誕生しました。わたしをおいて。わたしは暗黒の星雲に似た世界におきざりにされてばかりです。肉体という容器におさまり、あなたを追ってコノヨの光ある世界へと這いでてきました。それなのにあなたは、成人前にアノヨへ出奔し、落雷の歓びと共に再びわたしの廃虚の城を訪問してくれました。だからこそわたしは、そのつかの間の夢を記述する必要を感じて、差出す当てのない手紙に似た、この途方もない手記を残すことにしたのです。あなたとすごした濃密な日々は、わたしの一生を決定づける程の力をもっています。わたしがその想い出のなかに囚われているあいだは、コノヨの重力からは解放されているのです。だから、生きていても苦しくはない。あなたは、わたしの不可能な観念を具現化してくれました。
あなたには、ドン・ファンの存在に憧れている、当時、専門学校生の恋人がいました。ふたりの出逢いは、真夏の太陽が灼きつけるG島の海岸でした。酷暑の盛りの赤裸々な季節というものは、青い果実も腐敗を急ぎ、麻薬的な快楽に溺れやすいのでしょうか。かれは、年少で恩寵のように調和のとれた端正な容貌と、明晰な頭脳と、うまれつきの白痴にも似た美しい無垢なタマシイを具えたあなたを選び、あなたは選ばれた人の恍惚に浸っていられるほど驕慢で自己愛の強い愚劣な人間ではなかったので、かれを歓ばせることに人一倍の情熱をもって、一見奴隷の忍耐を身につけていました。あなたが気まぐれに招いたせいで、ひと夏の残された貴重な休暇のあいだ、図々しくもわたしたちの家に居候を決めこんでいたかれは、わたしにとっては厚顔無恥な侵入者(盗人)にすぎませんでした。君主の仮面を不様に顔にはりつけ、得意満面な姿をみせつける毎に、わたしは本気でかれを撲殺したいと切望した瞬間もあります。かれは《インテリ》を気取っていますが、実際はオンナと狎れ合うしか能のない青ニ歳の卑小な男で、内心あなた(少年)の愛の寛容に怯えていたのです。
わたしはあなたがたのお遊戯の時間、必ず見張り役をかってでて、炎天下の真昼には、アイスクリームを3本は平気でたいらげ、体調をくずすこととは無縁の、健康を絵にかいたような少女でした。わたしたちの住んでいた家は、片田舎では珍しい、英国のチューダー様式を模倣しただけの醜悪な建物で、それは**市**岳の梺にあったので、せちがらい近所づき合いに悩まされる心配はなかったものの、完全に孤立してはいなかったので、しばしば数人の訪問者がありました。かれらはわたしたちの住居を《別荘》と呼び、父親不在で毛並のちがう家族が住んでいる、と羨望と軽蔑をミックスした不純な思いと膨らむ好奇心を抱いて、飽かず眺めていたようです。そんなわけで、うちから最も近い農家の人間たちは、たまに瑣細な用件にかこつけて住居をのぞきにきていました。それから、母の仕事の関係者か愛人かわからないような人間が、連絡もなく唐突にやって来ることも。わたしにとってこの見張り役という、一見屈辱的な仕事は、何かしら秘密に加担した罪悪感とともに、あなたの役にたっているのだといういわば奉行人としての心情で満足していました。あなたたちは、西日のよくあたる鍵のこわれた角部屋で、獣の戯れに興じていました。そこでは巷でいうアンビバレンツな湿っぽい《愛》という刃物もたちまち酸化し錆ついて使い物にはならないようでした。あなたの内部にある鉱物の結晶のごとき硬質の《愛》は、用途のない骨董品のように役たたずでも、審美的な価値さえあればこと足りるようです。わたしは、あなたたちの共犯者であるとあなたに堅い誓いをたてておきながら、同時にあなたを裏切るかもしれないという不均衡な危うい自分の立場を、実は内心得意がっている歳相応の稚拙な子どもでした。約束や契約をもちかけられず、強要されることなく自分の自由意志で宣誓したものです。あなたを陥れることは絶対しない、と。だからこそわたしの存在はあなたにしてみれば心からのあなたの信徒であったようです。キリストを売るユダでは決してないと。けれど、あなたが生存していた頃のわたしの《愛》は、やみくもにただあなたに仕え、精神的に昇華された性質ではありませんでした。無垢のまなざしをもつ慈愛に満ちた聖処女マリアよりも、わたしはカトリック教会からは疎外されたマグダラのマリアに同調します。あなたは、その真実をやっと承認してくれました。肉体が滅んでしまったあとになって。意識的に認めるどころか、わたしのひたむきな愛を甘受してくれたのです。少女期のわたしは、《愛》の告白も懺悔も必要と感じませんでした。みつめるだけで、想いを伝えられる術をわたしは知っていて、あなたに氷の情熱を気づかせた。それはちょうど、わたしが初潮を迎えた歳でした。でもあなたは清教徒的な横顔も兼ねそなえていました。凹というわたしの割れ目に侵入するほど放埒で下賤な欲情に支配される人ではなかった。世のなかには、美しくないincestも存在するものです。あなたは、そういったある意味ありきたりな禁忌や、陰鬱な山村の古びた慣習的な関係を、わたしたちのあいだで結ぶことは俗悪な行為だと知っていた。わたしたちに課せられた禁止をみすみす冒さなかったのは、異常に対する恐怖心や、血族同士の妊娠の虞れ故ではなかったはずです。それはあなたにとっては、美しい形而上学的な夢のひとつにすぎなかった。わたしの感情は、未発達な恋ごころが近親者に向けられているにすぎない、いわば外の広い雑多な世界に踏み出る一歩手前のレッスンにすぎないのだと、表面的にはそうとれました。それでもわたしは満足でした。あなたへの《愛》がコノヨにあって唯一無二で、永遠に変わることがないものと確信していられる限り。
かれはそうではなかったでしょう。実際、かれは成りゆきまかせとしかおもわれない婚姻をして、現在は一児の父親という役目に自らをおちつかせ、考えることは放棄して生活に奔走しています。イコールお金を稼ぐため。孕んだオンナは、かれとの情事を、ハリウッド産娯楽恋愛映画のごとき《運命の愛》という修辞で飾り、自己満足の振りをして自分を誤魔化し、かれの人生の舵取りをしてみせた。かのじょはきっとかれの夢のなかにさえ出現して、他のオンナが登場せぬように、眼を光らせて監視していることでしょう。生身のオンナという種族は所詮、自分の半径1メートル以内にしか関心を強くもたないいきものです。安全圏に居座り、難破しかかった船など容赦なく見捨て、舵取りを放棄して逃げだす、身の危険を先どる本能は、ネズミにも劣りません。安定した海など一時の顔にすぎず、そう長く続くわけもないのに。波瀾に憧れつつ打算で動くのが、一般的なオンナの傾向といえます。かれは、男気があると自惚れていたようですが、その点、オンナという種族に似た要素がありました。かれは、あなたの面影を真夜中の夢にはみるでしょうが、明るい陽光を浴びると水蒸気となってすぐに忘れてしまうでしょう。妹というわたしの存在があればこその、消滅したあなたへの思慕や感傷や追想であって、かれの人生にあなたの存在が深く刻印されたとは到底おもえません。あるいは、わたしの方が執念深いだけなのかもしれない。人はかれの結婚には賛美を送り祝福の盃をあげても、わたしの奇異な《愛》へは唾を吐く心情にしかなれないのかもしれません。わたしはおそらく、一生誰かの子どもを宿すことはないでしょう。母親という存在にはなれそうにありません。また、特になりたいという願望もないのです。これは《愛》には無関係のことのようにもおもうのです。わたしにも情はあり、絶対結婚したくないというわけでは実はありません。これはあなたへの《愛》にべつだん背く行為でもないとおもわれる。良識があって、愚劣すぎなければある男性を好ましく感じ、受けいれ、結婚することは可能です。子どもをつくることはその第一歩で、また、それが人によっては《愛》なのでしょう。わたしはあなたを選んだわけでも、わたしがあなたに選ばれたわけでもない。わたしたちが同じ母親からうまれ合わせることは、すでに何かみえない力によりあらかじめ決定されていたような気がするのです。だからこそ、あなたへ向けての《愛》という船をこころに漂泊させつづけたとしてもそれも自然におもわれる。そうしていられるあいだは、わたしはこころから幸福なのです。
わたしは、夢遊病者の足取りで日々をいきている期間も、症状が消えた現在でも、他人には悪い夢でしかないこの現実を口外したことはありません。あなたは何事においても、人に何かを強要したり、命令することは好みませんでしたから、この件に関しても、口止めなど野暮なことはしませんでした。だからこそ、このかきものに、起ったありのままのあなたとの《愛》の交歓をなるべく忠実に描くつもりです..。
あなたは、十七歳の秋に亡くなりました。自殺とも事故ともとれない奇妙な死でした。遺体が警察に収容され、わたしたちの家にあなたの亡骸が冷静に安置された時、朝日はいつもと変わりがなく緩やかに部屋を満たそうとしていました。深翠のビロードでできたカーテンを開け、わたしは朝焼けを持って、間延びしたような時間のなかで、不可解な想いを独り噛みしめていました。母親が赴任先から到着し、長年勤める初老の家政婦が姿を現す時刻まで、言葉にできない苦渋を味わい、反面、あなたと最後にすごす時間を惜しみつつ、ふたりきりでいられることを喜んでもいました。わたしは死体に接吻するほど浪漫主義者ではないし、ましてやnecrophliaの傾向のある人間でもなかったので、ただぼんやりとあなたの死顔をみつめていました。脳の内では不思議な恍惚の波が起ったりおさまったりしながら。いまだにわたしは、あの朝のうっすらとした穏やかな日射しが忘れられません。目の前のものいわぬあなたの不吉な死顔の蒼白さと、不均衡な柔らかい光の粒のなかで、わたしはあなたの亡骸に永遠のさよならを告げました。
あなたにとって最愛の恋人であると自認するかれは、あなたの死の知らせを受けると、受刑者の苦痛に顔をゆがませて、涙を必死にこらえているようでしたが、わたしにはその姿が何かB級映画の主人公じみた下手なお芝居にみえて吐き気がしました。かれを羨望したことなど一度もなかったのですが、あなたの目の前では、時に軽い嫉妬にかられた素振りをみせて、かれの自尊心を充たしてあげたものです。かれに対してある種のやさしさが生じたのは、わたしたちは恋敵であると同時にある相似形をもつ間柄でもあったから。あなたは、その事実にとうに気がついていた。あなたは、わたしとかれこそが媚薬を飲んだ男女のように発熱した恋におちる瞬間がくるのではないかと予想して、日記にわざと書き残していたのです。いずれわたしが読むことも予測して。あなたの思惑の矢は見事に的に命中しました。いや、むしろ、わたしにそう仕向けるために、日記で示唆したのだとおもいます。あなたは、かれがわたしと肉体的に愛し合うことを望んでいたから。あなたはなんて幸福な人なんでしょう。嫉妬や妬みなど解毒できる能力に長けている。それに比べるとかれもわたしも忙しく地をはう蟻よりももっとみじめな存在です。わたしもかれも人並みの嫉妬心はもち合わせている。あなたはさながら蝶々のように美しい羽をひろげて飛びまわっていられるのです。人々に採集されるほどに価値のある。
わたしを委ねる相手としてあなたが撰んでくれたかれとの性交は、馬鹿げたゲームににすぎず、体操ほども清々しくはなかった。わたしはあなたの予測どおりに、すぐにかれの誘いを受けました。頻繁なかれとの実験的要素を内包した肉体関係は、三ヶ月もすぎると怠惰にすぐさま汚染されはじめ、わたしは空っぽそのものでした。そればかりか、憎悪という悪性の腫瘍がいつのまにかわたしのこころを貪りはじめたのに気がつくと、わたしはかれの凡庸な存在がますます不愉快になりました。わたしは、彼に対しては、巷で行われる《愛》と同じ程度の反応しか起こせないようでした。人は人間的にみたら尊敬できないようなオトコやオンナに惚れこんでしまう厄介な感情や欲情に支配されやすい危うさを兼ねそなえています。かれはペテン師の色好みであり、即物的(sachlichではない意味)にオンナを欲しましたから、怠け者が、有酸素運動の手ごろな器械を身体の必要にまかせ通信販売で手に入れる気安さで、かれがオンナを入手するのを心待ちにして、かれとの一切の肉体の交渉を避けました。効果的面。かれは、まもなく一個のオンナを獲得し、Dr.フロイトのいう口唇愛期の幼児以上にオンナという玩具をなめまわしました。往々にして、リーズナブルに入手した器械はやがて部屋の粗大ゴミになる宿命のようです。しかしかれのオンナは、有害不燃物にならない手立てがあったよう。それが妊娠です。結果的にかれにとっては、軽い火遊びが大火傷となり、まだ望んでもいなかった《父親》という王冠をかぶってコノヨを渡り歩くことになったのでした。御愁傷様。
寝正月よりも退屈なかれとかのじょの恋物語の詳細は《小説》という形で披露する機会があるかもしれませんし、この手記上で必要に応じ再び記述するとおもいます。かれらとわたしたちは、影と光のようなものなのかもしれません。あなたはほんとうにはっきりと物事を浮き彫りにしてみせてくれた。深い闇のなかにいると、光の存在はよりいっそうひきたつものですから、あの驚異的な日は、暗いトンネルから抜けだせた輝かしい瞬間だったのです。
中国の古い異聞奇譚にでもでてきそうな幽玄の存在が、わたしの元へ突然姿をあらわしたのは、わたしが高校ニ年生の夏休みにはいる少し前のことでした。ひどい土砂降りの雨で、わたしは、雷鳴をまち望んでカーテンを開け放ち、猫足のカウチに寝転んで、荒れ模様の空を眺めていました。学校はいつもの仮病で休んでおり、ますます強くなる雨音を聴いているうちに、とりとめもなくあなたの面影を目蓋を閉じ脳内に描いていました。その頃のわたしは晴れ渡る空をみると、憂鬱が増長するおかしな症状を抱えていきていて、あなたの不在はそれに拍車をかけたのです。ただあの時は雷雨でしたから、その暗雲たる気分は吹っ飛んで爽やかでした。
幼年時代、あなたとわたしは、同じ部屋の木製の2段ベッドで就寝しており、夕方や夜中に起る稲光りにふたりして跳ね起きて、窓にはりついては飽かず眺め、互いに小さい指を折りながら数をかぞえ、雷の距離を計っていました。近づく度に、あなたもわたしも狂気せんばかりにはしゃぎました。興奮はおさまらず、あなたとわたしは、翌日にはよく学校に揃って遅刻したものです。
あなたの死は、わたしには残酷以上の現実です。時折わたしは自分の脳を破壊したい衝動に襲われました。わたしにとって雷鳴は、その衝動を少なからず鎮火してくれる自然の恩恵でした。悪天候になるとわたしは、あなたの若く美しいアポロンのような死顔を想起し、帯電したように硬直し、深い物想いに耽りました。
その夕方、龍が上昇するかのような稲妻をしばらくみつめた後、急な睡魔に引き寄せられて、わたしはベッドに横たわりました。そのままわたしは夢をみました。
荒れ模様の空を、窓辺に佇んで眺めている自分の後ろ姿。
わたしは、先日読み終えたばかりの古い小説にでてくる、落雷に遭って非業の死を遂げた美徳の高い女主人公を思い起こしている。
その瞬間、大音響の爆裂した雷が落ちた。老木が切り裂かれた幹のなかには、龍の子の宿る卵が一個ある。
背景としての空はピンクサファイアのような色。
ゴッホの絵画にでてくるような渦巻き状の雲の流れが早い。雲の色は紫芋。
これまでにまったくみたことのない空模様の下、わたしは、雨のなか燃えている木に近寄り、躊躇もなく割れ目から卵を取りだす。
ボイルドエッグのように熱い感触。
着ていた絹製の黒いカーディガンを脱ぎ、無造作にくるむと宝物のように大事そうに胸に抱え、ひたすら森林のなかを駆け抜ける。 肩を弾ませたわたしの後ろ姿は、辿り着いた海辺の洞窟の闇へと向かい、うっすらと消えていった・・・。 
息苦しい想いで眼を覚ますと、部屋の暗がりのなか、蛍光塗料が塗ってある文字盤の置き時計を探しました。午後六時半。耳を澄ますと、雨音はだいぶ止んで、静かな小雨におちついているので、わたしは独り、不安と快さの入り交じった奇妙な気分を感じました。
アイアン製のベッドから起き上がると、北側の庭先を見降ろせる方の、緋色のカーテンが開けっ放しの窓に近寄り、外の風景を眺めてみました。すると、シンボルツリーとなっている金木犀の木の周りを旋回する透明な球体が視野に入り、わたしはしばらくの間、まるで映像をみているような感覚になり、先程の夢の続きをみているのだと錯覚し、放心の態で、その不可解な物体の動きを眼で追っていました。リアル感がない現実の時間とは、あのような時をいうのでしょう。
私用電話の着信音で呼び覚まされない限りは、あるいはずっとその場に突っ立っていたかもしれません。受話器を取った電話の向こうの男の声はまったく聞き憶えがなく、知らない女性の名前を執拗に連呼していました。それが、まちがい電話だと気づくまでに数分かかるくらい、わたしは気が動転していたようです。しかし、無用の電話が現実への足掛かりとなって、わたしは階下へ小走りで降り、慌てて庭の金木犀の傍までいきました。雨に濡れることも忘れ、上下に反復しながら揺れまわるその物体に手をのばし、まるで鬼ごっこでもしているように、数分わたしとその物体は追いかけっこをしました。
「つかまえた」
わたしは、弾けたように叫ぶと、抵抗もなく胸におさまったその物体を夢中で抱きしめました。それは、ちょうど駝鳥の卵ぐらいの大きさで、半透明で軽量でしたが、人肌以上の温もりがあり、胸が熱くなるほどでした。
部屋に戻ると、濡れたその物体を丁寧にハンカチで拭き、ベッドから羽毛の枕を取ると、中央をへこませて物体をのせ、机の上に恭しく置きました。わたしは、とりあえず、目の前にあるものが現実に存在するものと信じ、水晶玉を重宝する占い師になったつもりで、その不思議な物体を恭しく飾ったのでした。
翌朝、わたしは睡眠から醒めても、しばらくは固く眼を閉じて机の方に背を向けて寝ていました。何故なら、昨日の夕方うたた寝をしてから、その直後眼覚めた訳ではなく、実は今朝までずっと夢をみつづけていたのではないか、という疑念が、起き抜けのわたしの脳裏をかすめたからです。
『小説にはよくあるパターンだ。不可思議な出来事はすべて夢だったというオチ・・・。でも、まちがいない、ちゃんとアレは存在しているはず』
わたしはおそるおそる机の方に寝返りを打ち、物体が存在しているのを祈る気持ちで目蓋を開けました。行儀よく座って待つ子どもの気配の物体は、周囲のオブジェの持つ日常性に馴染んだかのごとく、そこに鎮座していました。わたしはベッドの端に腰かけると、親しみをこめて話しかけました。
「おはようございます」
すると、物体は朝の挨拶に答えるかのように、わたしの左肩の上に軽やかに飛んできて柔らかい羽毛を持つ小鳥の感触で頬ずりをしてくれました。異常な事態に遭遇しながらも、一晩寝てみると、その物体がまるで長年一緒に暮らした家族の親近感があって、すっかり平静さを取り戻しました。15歳から離れて住んでいる母親よりも、身近な存在に感じたほどです。
「あんたが話せたらいいのとにね。そしたらわたし、ずっとあんたと一緒に暮らして、誰とも会わないでも平気」
わたしは、人形相手の独り遊びの幼女になって、物体に対して意志の疎通をはかるような心地になっていました。
「わたしは、ずっと独りぼっち。愛しとる人なんか誰もおらんし、好きな人もおらん。お母さんは自分自身の人生が結局大事な人だからね、自立していて、世の中では認められとるけどさ・・・。わたしは、放任されて自由がありあまっとるけど、自由すぎるとも、退屈さねえ。塔に閉じ込められて、庇護者から束縛されとった童話のなかのお嬢さんは、だからこそ、情交を深める他人に出逢えたとかもね。妊娠はごめんけどさ」
そんな風にして思いつくまま遠慮もなく話し、相手が人間以上の存在と思えばこそ、今までの孤独のツケを一気に解消するかの勢いでした。
「あんた、もしかしてエイリアン?地球外生物って大概似た外見のイメージがあるけど、あんたのような球体であってもおかしゅうないよね?もしそうなら・・・超能力みたいな交信とかできるとじゃない?」
わたしは、期待で鳥のように膨らんでいました。それでも、物体は空気中を漂うばかりで特別変化をみせず、わたしはパンクした自転車のタイヤのように急速に萎んでしまいそうでした。大抵の幼児は、同じ状態に飽きるのが早いものです。わたしの好奇心もその程度で、次第にまわりつづける物体に対して、熱烈な興味を失いかけていました。おまけに、その日の空は快晴で、わたしは既に学校に行く気力も無くしていました。最初は異常な事態も、慣れてくるとそれが日常だという感覚になるものなんでしょうか。わたしは既に、その物体を怪しむこころは消え失せていました。
ブランチを取っている間も、物体はキッチンのあちこちを浮遊していました。たまに、わたしの隣の椅子にじっと固定して動かない時もありましたが。そこは、亡くなった兄が、座る定位置でしたので、わたしは蓋をしていた喪失感が洪水のように流れだすのを、単調なテレビ番組に視線をやって、気をそらせる努力をしました。ひとりで食事することが日常だったわたしは、真剣にみないのに、食事どきだけテレビをつけておく習慣がありました。昨日の夕食用に家政婦がこしらえてくれたポテトサラダと焼いたクロワッサン二つにゆで卵一つとブラック珈琲という食事の終了を待っていたようにして、物体は俊敏に活動を開始しました。散歩にでも誘うかのように快活な動きをみせ、わたしもいつになく青空の明るさが楽しくなってきました。
物体が先導したのは、学校をさぼった快晴の日によくいく隠れ家で、かつて兄と連れ立って出向いた秘密の防空壕あとの洞穴でした。小学生の頃、兄とわたしは好んでこのうす暗い闇の世界に耽溺しました。発見した最初、兄は探検と称して、肝試しの口調で洞穴に入るように促しましたが、それは口実にすぎず、ふたりとも見知らぬ所を探検するなどという無邪気な遊びは同級生の腕白坊主たちとは違って、もともと興味がありませんでした。わたしたちは、幼いながらも、逃避できる場所をコノヨに確保しておきたかった。いったい何からの逃避なのでしょう。わたしはすでに兄を特別視する気持ちが生まれていたので、ただたんに、誰にもみつからないふたりっきりになれる場所が欲しかっただけなのかもしれません。兄は、わたしの手をつなぎ握りしめ、傾斜を滑るように下降しました。わたしは、全然恐怖心がなく、まるで遊園地にでかける気分で、兄の手を握りしめていた。でも、ほんとうは兄が一緒だったから、怖くなかったのでしょう。わたしは、平らな地面を感じると、しばらく座っていようと提案しました。そこは、おおよそ幅二メートル半、入り口までの距離が、大体八メートルくらいの洞穴でした。明らかに、戦時中に防空壕として使用されたもののようでした。わたしたちは、大抵無口で、静けさのなかに浸っているのがお互い好きでした。孤立した空洞にいられることが、他の場所とは比較にならないくらい居心地よかったのです。それはまるで、大きな魚に飲み込まれてしまって、その体内にいるような現実との隔離がありました。近隣には主流の河川があり、防空壕あとの至近距離に小川が流れ、そこからのせせらぎの音が耳にはいってきて、道路からの車の雑音がシャットアウトされ、暗闇の空間にいるというのに目蓋を閉じて、飽かず聴き入っていました。暗闇には眼が直に慣れましたが、その秘密の場所に行く度に、次に何を持ってこようかと相談しました。棒状の蝋燭は三回目に訪れた際に持参し、居間に飾られてあった鉄製の蝋燭立てなどを勝手に持ち出して、洞穴のあちこちに置いて、ほのかな暖かみのある灯りを楽しみました。季節の移り変わりとともに、持参するものも変わりました。蚊取り線香、花火セット、海で拾った貝殻、駄菓子、フラッシュのついた写真機、二十四色のクレヨンと画用紙、正装した男女がくるくるまわるオルゴール、色とりどりの風船、ビー玉、リコーダーにハーモニカにピアニカ、自分たちで作った凧。母の大事にしていたキリムのマットさえ、わたしたちは惜し気もなく土の上に広げ、そこに寝そべり、時にはふたりうずくまって昼寝をしたものです。
幼少の頃の想い出が封じこめられた場所を知っているのは、わたしと兄ふたりだけのはずなのに、球体は、洞穴のなかへ、馴染みの場所のように、抵抗もなくはいっていきました。わたしは最初躊躇しましたが、数年ぶりに入った途端、ノスタルジックな想いが煙りのように辺りに立ちこめだすのを感じました。 球体は、そこでもくるくると旋回して、わたしを楽しませようとしていました。その瞬間、わたしはその球体が、わたしの兄であることを直感したのです。わたしの夢想が現実になったことを、実感するまでに少々時間がかかりました。わたしの唯一の夢。死んだ兄が再びコノヨに戻ってきてくれるという素頓狂な夢。わたしは突然むせび泣きました。兄のお葬式ですら、涙をみせることのなかった大理石の冷たい彫像だったわたしが。兄のタマシイらしき球体は、わたしを慰めようと、ワンピースの下から侵入してきて、大腿部あたりを滑り、撫でているかのようでした。わたしは、兄の変わらないやさしさがくすぐったくて、思わず笑いだしました。兄が傍にいる。わたしは、この事実故に、途方もなく朗らかな気持ちで、すべてに感謝したいくらいでした。
「お兄さん、来てくれたとね?」
球体の姿の兄は、テレパシーのようなものを発して、わたしの意識に働きかけ、わたしの脳内で、兄によく似た声が響きました。
『ソウダヨ、マリチャン』
「どうして、すぐにそうやってコンタクトしてくれんかったと?意地悪ね」
わたしは、恋人に向かって拗ね、甘える口調でした。
『ボクトキガツクマデ、マッテタンダヨ』 兄の言葉のトーンは、一度、録音された声をヘッドホンを通じて聴いているような感じがあって、生前の声の音程や話し方とは若干違っていましたが、それも仕方ないのかもしれません。なにせ肉体がないのですから。
「お兄さん、わたしのところだけに来てくれたと?」
わたしは、兄の不在の間に、思いのほかオンナ性が増しているようでした。
『モチロン、ソウダ。マリコイガイダレノトコロニモイカナイヨ』
「本当に?」
『ホントウニ』
わたしたちは、まぎれもなく、熱烈な恋愛中毒の恋人同士に変貌していました。
宇宙から無事帰還した飛行士に再会した、妻の悦びがわかるようです。わたしは、兄の不在中の出来事をかいつまんで話しました。
兄の恋人だったかれと寝たこと。
それは、たんに兄の遺言に従っただけのこと。
兄と通じたかれとの性交は、想像よりもつまらなくて、三ヶ月後には関係を絶ったこと。
兄の期待にはそえず、かれを本気で愛せなかったこと。 
その後、かれは田舎からしばらく消えていたこと。
わたしは、ある日衝動的に睡眠薬を多量に服用して死にそびれました。家政婦による手早い処置で一命はとりとめ(聞くところによると、彼女がまだうちにきたての歳若い時分、壮年期にあったわたしの父親の自殺も未遂でおわらせた功績があるという噂話があった)母の旧い知人である主治医に診てもらい自宅療養しましたが、その結果、母親の傍で監視下におかれて暮らすことや、その為に転校することは面倒でしたので、人情に篤い家政婦を味方につけ、母の命令をなんとか退けて、自殺騒動のあとはおとなしく暮らしていました。気紛れに喫煙しだしたのはちょうどその頃です。兄は、何もかも承知のようで、ただ静かに話を聴いているようでした。わたしは、兄がかれに対してまったく未練がないように感じられて嬉しかった。もしかしたら兄ははじめからおわりまでかれを愛したことはなかったのかもしれないと考えたほどです。それが事実なら、兄に対してだけは、わたしの冷静な洞察力は低下するようでした。
わたしたちは秘密の場所から帰ると、家政婦に目撃されないように、兄を懐におさめ、こみあげてくるくすぐったい笑いを抑えて、二階のわたしの部屋に駆け上がり、外食してきて、もう休む旨を大声で家政婦に告げると、勢いよく扉を閉め、鍵をかけました。それから早朝までふたりで閉じこもったきりでした。
翌日、朝早く家政婦の家に、しばらく母と旅行にでるから、夏休み中は出勤しなくていいと電話しました。幸い、家政婦は隣町からの通いで、偶然にこの町ででくわす懸念もないことをふんでの嘘でした。母からは、今朝はやくに、赴任先の仕事の都合で夏休みに帰省できなくなって、次の休暇にならないと戻れる見込みがないという知らせがはいりました。でもそれは、口実にすぎないのでしょう。母との仲はもともとひび割れた間柄でしたが、兄が亡くなってからは、気立てのよい兄という仲介者がいなくなった為、気心の知れない厄介な存在にますますわたしは落ちぶれていたようでした。あるいは、何かわたしの想像外の秘密があり、母はそのことに関する罪悪感からわたしを遠ざけていたのかもしれませんが・・・。わたしはタイミングの良さに上機嫌で、長い夏休みの幕開けを嬉々として迎えたのですが、翌日、突然の来訪者によってその気分も損なわれました。かれがやってきたのです。かれは、この町に住みつく決意があって、春先に戻ってきていたようでした。わたしと再会すると、途端に肉体関係を復活させたがりました。度重なる執拗な訪問につくづく辟易してしまい、たまに会うのだけはかまわないが、金輪際、性交はしないと断言し、了承させて、かれは来た時とは正反対に落胆の色を浮かべて帰っていきました。
兄はその一部始終を知っていますが、特別かれの存在が懐かしいとは感じなかったようです。かれは、あろうことか、死んだ兄よりも、わたしを愛しているのだと口走りました。拒絶されての反動でしょうか。兄は、そんなかれを軽蔑も憐れみもしなかったようですが、ただ一言、アイカワラズダナ、とわたしの脳内に響く淡々とした声を発しました。
かれと会う時は必ず野外を撰び、(家から離れた公園がパターンでした)兄は上空に漂ってふたりのデートにつき添いました。だから、きっと何人かの視力のいい人には、奇怪な兄の姿が眼に映ったかもしれません。そんな噂は耳にしなかったけれど。兄もわたしももともと警戒心がうすい人間で、他人のことなどさほど気にとめませんでした。まるで自分が<カミ>のように気侭に振るまう質でしたから。人は外見で、ある程度その本質は判断がつくと、わたしは信じています。少なくともわたし個人は、自分の思いこみという偏りなしに、客観的にそれを見抜ける眼をもった人間だとおもいます。傲慢な人はそれが瞳にでているだろうし、明朗潔白な精神の持ち主は、動作に表れるものです。かれはその点、演技過剰の気障さが鼻につく色男でした。自分では、ディオニュソス的だと思いこんでいるようでしたが・・・。(兄こそが、調和と創造性という意味の破壊を兼ねそなえた希有なタマシイでした。)純粋な退廃よりも、怠慢な遊蕩を好み、ポーズが多く、ムードに弱く、明確なスタイルを好みませんでした。
かれを受け入れたのは、おそらく兄が完全なるホモ・セクシャルだったことで、その相手として(容姿が)充分だったという単純な理由だったのではないでしょうか。誘ったのは、かれなんですから。かれは、兄が同性愛者だと一目みた時から洞察していたんだとおもいます。かれとわたしの共通点は、他人の本質を見抜く力が備わっているということでした。もっとも、そうした稀な資質をそなえている人たちのなかでも、自分自身についてだけは誤った判断や分析を起こす場合が往々にしてありますが、かれはその典型です。
かれとの交流は、何かについて、誰かについての馬鹿げた議論を交わすことに終始するつき合いともいえます。わたしは無駄なおしゃべりにはあきあきしていましたが、まったくの孤独もやりきれない日がありました。かれは、肉体の欲求もあったでしょうから、ちょうどその頃、知り合った件のオンナと、関係を結んだようでした。そのオンナは、自分の渇いた肉体を男性たちに提供することで、安心を得るという、ちょっと風変わりなオンナでしたが、徹底した変わり者であろうはずもなく、かれにうってつけの、似たもの同士のカップルという形に定着したようです。ふたりとも、《スペシャル》でいたいという欲求が強い(虚栄心)くせに、本質的に《ラディカル》な質の人間の前になると、途端に表向き空疎な平等民主主義の看板をぶらさげて、中流意識を持つことで自足し、羊のように大人しく暮らせる人たちですから。羊は危険がだいきらいで、安全第一。狼と羊の性質ほどのちがいです。でも、狼にみられたいんですね。羊にかぎって。(実際の羊はそんな意識はてんからないでしょうが)
わたしは、兄の肉体を酷使したかれに復讐するつもりで、かれとの性交の不満足を訴えたものです。かれはわたしのことを秘かに冷感症だと信じていたようですが・・・。姑息な人間て、自分の都合のいいように詭弁を弄するものだとおもいます。かれも屁理屈で武装することが得意だった。比べると兄は論理的思考に優れた脳をもった人でしたし、運動能力も高い人でした。
わたしは、兄以外を愛することはないと断言できます。兄はわたし個人に限らず、人から好かれる美点を多く兼ねそなえていましたから、きっと生きていたら、様々な人々の憧憬の的になったことでしょう。早熟でもあり、神童と囁かれる高貴さがありました。もっとも兄自身は、そんなこと、どうでもよかったにちがいありませんが。
わたしは、そんな猥雑さに欠けた兄が自分の命より大切でした。だからこそ、兄の存在の消滅は、わたしの実質的な精神の死を意味しました。
兄は、神話のなかに登場する、大鷲にさらわれた羊飼いの少年のような瑞々しい体躯の持ち主で、身長はそれほど高くありませんでしたが、顔は、中心線をひいてみると、きわめてシンメトリーにちかく左右バランスが整っており、形のよい意志的にみえる濃い眉に、精悍な黒い瞳を持ち、はにかみをみせる長い睫毛に、すっきりととおった鼻筋は高すぎず低すぎず、饒舌を慎むレモンのような唇、海の匂いのする漆黒の短髪で、真夏の太陽の明朗な性質がありました。きっと兄は大人になっても、黒豹のような、筋肉に引き締まった肉体と俊敏な精神を保持したことでしょう。
わたしのなかで、兄は死んでいないも同然でした。 わたしは、兄の遺影をみつめては、自分の死体をひきずりつつ、あてのない生活を営むしかなかった。わたしには、拠り所となるものが一切なかったのです。子ども時代を共有した兄との清らかな想い出も救いになってはくれず、死んでしまった相手に対してのわたしの未消化の恋ごころは、いっかな消失しません。いくら時が過ぎようと、兄への恋慕はどんどん深まるばかりでした。そんなわたしの為、兄は現れたのかもしれないのです。
わたしたちの生活は、真夜中が中心でした。 兄は散歩を好んだので、満月の夜になると月明かりをたよりに、ふたりで外出することもありましたが、大概は室内ですごし、居間では兄のための専属ピアニストと化し、ひがな一日ピアノを弾いていたこともあります。 わたしたちは、特に音楽が好きだったので、1000枚は収集していたLPやCDも流し、なかでも兄は好んでグレン・グールドの演奏やエリック・サティのgymnopediesや、セロニアス・モンク、シド・バレット、ラウンジ・リザーズやソニック・ユースなどをリクエストしていました。
ある時兄は、海に行こうと誘い出し、昔こっそり泳いだことのある、遊泳禁止の内海の海岸までピクニック気分ででかけました。
そこは岩石海岸で、引き潮になると、点在する岩をつたってかなり沖合いの方へと歩けたので、わたしは兄と連れ立って、人気のない岩場まで行ってみました。
兄はわたしを導くかのように前進し、わたしは、たくさんの海藻がからまる干潟を用心して歩き、兄が適当な岩陰におちつくと、そこで持参したお弁当をひらきました。兄は、食事を取る必要がなかったのですが、わたしはそうはいきませんから、もっと沖の方へ飛んでいく兄の姿を眺め、幸福な気持ちで、夏の容赦ない紫外線を浴びつつ、おにぎりをほおばっていました。わたしはもともと肌が小麦のように浅黒く、おまけにショート・カットで、身長が高い方ですので、子どもの時分から男の子によくまちがえられていました。兄と並ぶと身長がほぼ同じで顔も似ており、ニ卵生双生児だと勘違いされることも度々でした。わたしは、それがことのほか嬉しかった。
波間すれすれを漂う兄の姿は、日光の反射で海水の表面と共に輝き、眩しくて直視できなかったまぼろしじみた情景が、昨日のことのように脳裏に浮かびます。
兄は、わたしの傍へ戻ってくると、麦わら帽子で顔を隠し仰向けに寝ていたわたしの素足をくすぐりました。
わたしは、眠った振りをして、そのままの体勢で、ごつごつした岩の感触を背中に感じながら、片方の足を曲げて、はだけるフレアースカートにも頓着せず、下着を露出させていたようです。
兄は、ゆっくりとした動きで、くるぶしから腿のあいだを滑るようにあがってきました。わたしは、冷ややかな感触が気持ちよくて、そのまま黙って兄のするままにまかせていると、兄はわたしの意識に、マリコノナカニハイリタイ、という言葉を送ってきました。わたしは、それがどういうことなのか、承知できないまま、夢見心地でイエスと答えると、わたしの下半身の中心の割れ目のあたりに、熱い塊を感じて、一瞬胸が高鳴りましたが、すぐに合点して、もう一度、了解の言葉を発しました。兄は、ゆっくりとわたしのなかに侵入をはじめ、つかの間痛みが走ったあとは、ゆるやかな快楽がわたしを襲いました。
眼を閉じて、微睡んだ状態のわたしの耳に、海猫の鳴き声が突然響きました。
目蓋を開けると、日射しがいっせいにわたしへ向かって放射してきて、目眩を感じ、外界の光に慣れるまで数分かかりました。
兄は仰臥するわたしの胸の真上辺りに浮かんで、わたしの表情を観察していたかのようでした。わたしは、露な声を発した憶えに羞恥心が沸きあがりましたが、兄に接吻した時の冷ややかな感触がわたしを確実に覚醒させ、身体のほてりも鎮まっていくようでした。
「お兄さんは、そうやって浮かんどるときは、透明な膜が張ったような球体で軽量やろ?触れると冷たいし。けど、わたしのなかにきたときは、何か違う感触したけど、なんで?」
わたしは、衣服の乱れを直しながら、あらためて岩場に座り、兄と交信しました。
『オオキサモスコシチガウンダヨ、アノトキハ。ヒトマワリチイサクナル。マリコハ[メンリン]トイウコウブツヲシッテイルカナ?ムカシノチュウゴクカラワタッテキタ、セイテキナガングノヒトツデ、ソノチイサナタマノヨウナイシヲ、ジョセイノチツノナカニオサメルト、ヒトリデニウゴキダシ、カイカンヲアタエルトイウシロモノナンダ。ボクハチョウドソノコウブツノヨウニ、アノトキダケハ、ジユウニソウテンイシテコタイニチカイヨウニナルンダ』
わたしには、その鉱物がどんなものなのかその時点ではわかりませんでしたが、後々になって調べてみました。確かに役割と見た目を考えたら、その緬鈴というものに似ていたかもしれません。あいにく、実物などみる機会はないですが。でも、双方とも一般常識で考えても、不可思議で奇異なものという共通項はある。兄らしい喩えだなとおもいました。
わたしは、肉体のない兄との性的なつながりなど、望むべくもないと、兄のタマシイがわたしの元を訪れたのだと当初おもっていたのですが、想像外の形で、兄はわたしの肉体を歓ばせてくれました。これは、近親相姦の名に値する事柄なのでしょうか?わたしにはわかりません。幼少時、兄を愛しはじめたときから、あの甘美な出来事に帰着することはあらかじめ決定されていたのかもしれない。そして、わたしは、その現実を超えた夢のような日常が、ずっと継続してほしいという希望までも胸中に隠しもっていたのです。
国道*号の海岸線をのぞむ浅瀬の岩場の陰で行われたはじめての兄と妹の愛の行為。
真夏の太陽の熱に侵されたようにして、海岸で、洞穴で、わたしの部屋で、繰り返しその愛の儀式は敢行されました。そこには、怠惰や倦怠などという病気は発生しません。刹那の愛の快楽にかける賭博者のわたしたちは、人生のタブーなど問題外でした。
タマシイというものは、色も形もなく不滅なのだと、キリスト教は教えます。しかし、兄は、空気のような気体ではなく、わたしの眼に映る存在でした。無臭で、球体という特質は変わらないが、通常の大きさから小さくなることだけはできる。わたしは、不滅という概念だけを拾って、それだけを信じたかったけれどまったく不毛な願いでした。
モウジキキエルダロウ、とある朝兄は予告しました。
「わたしの傍から、またおらんようになるとね。わたしは同じ苦しみを、ニ度味わうことんなる・・。」
別れが確実になると、その時のわたしは、それまでの甘美な日々を惜しむあまりに、妄執の化身としての鬼の様相を呈していたかもしれない。なにせ、タマシイが物体化したものが、オンナとしての自分の身体のなかに侵入し、兄の意識とも交わるという狂気の沙汰のような日常を暮らしていたのだから。より素晴らしい体験をした後では、その分量の喪失感が襲ってくるのではないかという想像が、わたしを苦しめました。
相対的な体験をこなして、人は人生という行路を進んでいくものとしたら、わたしは、兄との結びつき以外には、他の誰とも満足のいく交流はもてないことが既にその時点で予感されていました。あるいは、運命論的にいいかえると、わたしの人生という御芝居は、兄と出逢うためだけに用意された舞台にすぎない。限られた単調な有限の時間において、兄との交流だけが、精華された一幕だった。わたしはどうあがいたところで、これ以上、純粋なこころの状態で、他者との交わりなどもてるはずもないと、締念というよりもそれがあたりまえのことのように感じていました。
そう考えると、わたしは、わたしにとって最高の欲望を果たしたことになる。究極の望みが叶えられたという実感があれば、むやみに欲望は膨張はしないものだということが今ならわかるのです。あるいは、わたしはそんなに欲深い人間ではないのかもしれない。バベルの塔は完成できず崩壊するのです。兄が消滅するように、わたしも確実にコノヨから退場するのです。
『ボクハキミニナニモノコシテアゲラレナイ』
兄は、生殖のことを示唆しました。わたしには、そんなものは必要がない、兄との想い出で充分だと告げました。兄は、かれのオンナが妊娠したことを知っていて、わたしがこの先誰とも性交しないと確信しているので、オンナとしてコノヨに生まれ、身にそなえた自然の能力を発揮できないことが不憫だったようです。確かに、兄の忘れ形見ともいえる兄の遺伝子は受け継がれることがないけれど、わたしは、兄との愛の記録をせめてコノヨに遺したいと願い、誰も信じない現実ばなれした内容の手記を綴った。万が一、誰かひとりでもそのこころに響いてもらえたら、すくなくとも兄の存在は救われるような気がして。ほんとうはわたしだけが救われるのかもしれないけれど。
兄のタマシイが気体のように眼に映ることがないものへと還元した日は、秋が深まる一歩手前の鮮やかな夕暮れどきでした。通常のタマシイたちは、肉体が消滅した直後に、大体直径20センチから10センチの例の球体の形をしたうす透明の人魂になり、約一週間から長くても一ヶ月ほどでガスのような状態になり、さらにだんだん稀薄になり、果ては消えていくのだそうです。兄は自然のシキタリを犯して、球体の姿でいる期間をひきのばし、わたしの傍にいてくれたにちがいない。行き場がないわたしの存在の重みを軽減してくれるためだけに顕われ、許されぬ愛の告白を受け入れ、愛される悦びを与えてくれた。完全に燃焼しきった愛の記憶は決して重荷にはならないということ・・・。兄がひとりきりで逝った意味をようやくわたしはおもい知りました。
こぼれんばかりに花をつけた金木犀の香しい匂いが漂う庭に佇み、別れの微笑さえ浮かべて、兄を見送ることができたのです。いつか再び会える時まで、とこころで囁いて。
兄と共有した十七歳の夏の想い出は、こうして幕を閉じました。これからも生きて、もしわたしが老年期を迎えても、色褪せることなくむしろ鮮烈な色彩をもち、金木犀の香りとともに記憶のうちに蘇ることでしょう。眠りにつくと兄のやさしい感触は、繰り返しわたしのものになるのです。自分自身のなかの愛が息絶えてしまうことこそが、カナシミに値することだと兄は教えてくれました。わたしは、兄から贈られた愛を発見し、自分のなかにもようやく確かな愛がうまれて、すこし強くなれたこと、宿命の不思議に感謝すら感じて、現在三十歳になった今はこころ穏やかに、兄の肖像画や心象風景や、自然や孤児院で育つ子どもたちを描くことを生業として、花や緑や愛猫と一緒にに死ぬまで暮らしていけるのです。

わたしたちがまだ小さな子どもだった頃。現在は塞がれ進入禁止になってしまった防空壕あとの周囲の咲き乱れる草花を夢中で摘んで、冠をふたつ編みました。
シロツメグサとレンゲソウ。
沈んでいく太陽だけが祝福するなか、朱色に輝く草原の絨毯の上、両膝をついて、お互いの頭に花冠をのせ合って、ふたりは誓いをたてました。
「あなただけを一生愛します」と。

蜜月

蜜月

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 成人向け
更新日
登録日
2018-01-30

Copyrighted
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