モノクローム
『風化』してゆく世界。それは余りに脆く、美しく。砂糖菓子のように、甘く、ほろ苦い、人間というものそのものの様で。廃墟の木立の中で生まれた人間模様は、歴史の残らない世界へ刻まれる。白く……白く……何処までも白い。そんな世界の終末の物語。
藍様の小説(http://slib.net/80477)の2次創作となっております。
Sugarless.
「西本部仮基地、『風化』の波により消滅。任務の続行は不可。よって、総員に帰還命令を下す。良い終日を。」
総司令官の任務続行不可の報せは、自衛隊関係者に留まらず、すぐに民間に口伝いで広がった。
斯く言う僕も自衛隊員であり、白い灰に塗れながら救助等の任務に当たってきていたが、先の命令で任を解かれたのだ。
今は、小豆色の満員電車に乗り、四年前に『第一次風化阻止計画』という名の延命任務へ発ってから会えていなかった彼女の元へ、向かっている。
電波が悪くなっている為、数日前に本部を通して『近頃、僕は帰る事になるだろうから暖かいココアでも入れておいてくれ。甘味が最近は足りてなさすぎるからな。君が健康でこの手紙を読んでくれている事を願います。』といった内容の書面を彼女に送っておいた。同年代の顔見知りだった担当の役員は書面を僕から受け取ると「帰る場所があって、いいですね。」と一言寂しそうに呟いて、封筒に納め郵送手続きをしておいてくれた。
*
次々と下車して行く人々は皆、様々な表情を浮かべていた。悲しんでいる人。それを誤魔化そうと笑っている人。目の下に隈を作り痩せこけた小学生程の少年も居た事に終末を感じた。
生憎、キャラメルの1つも持っていない僕に出来ることはなかったし、まず僕は彼女と会う事に対する不安で正常な思考状態ではなかった。
とうとう僕が目的の故郷にたどり着いた頃にはもう誰も乗っていなかった。下車して、辺りを見渡すと巻煙草を蒸かしながら運転手が帽子を深くかぶり突っ立って、何か思想に耽っている。
吐き出す煙に溜息も混じっている様だったのは気のせいだろうか。
改札を抜けると、そこは雪国のようだった。否、雪よりももっとさらさらとした砂糖と言った方が近いであろう白い粉に覆われていた。空からも白は降り注いでいる。任務の際に、あまり灰を吸い込むと人体の風化が進むと教わったのを思い出し、鞄に入れていた布で口を覆った。
「おーい」
*
突然、聞き覚えのある声が。耳に馴染んだトーンが風に乗って聞こえた。
声の方に目をやると、真っ赤な傘を差しネイビーのロングコートに身を包んだ彼女がいた。
彼女のチャームポイントである頬は相変わらず林檎のような良い血色。
だけれど、目は少し伏せ気味で何やら憂いを帯びていた。
不安な日々を僕が支えてあげられなかったのだし、弱ってしまうのも無理はない。
申し訳なさが、心の底から肺を満たすように上がってきて遂に口から漏れ出した。
「……ごめんよ。」
「……ううん、いいよ。忙しかったのは知ってるし……。あ……その、ひとつ聞きたいんだけど。」
風が彼女の嫋やかな髪を揺らした。
「風化を止められなくて悲しい?」
それは予想外の質問だった。そんなのYESという選択肢しか持ち合わせていないというのが世論の一般だ。いいや、統制された組織にいた僕だから、そういう考えが身についているだけかもしれない。
だけど
「うん。すごく自分の無力さを感じたよ。悔しかっ……」「私は」
「私は悲しくなんか無いよ!!」
彼女は僕の発言に被せるように、力強くそう言い放った。周囲の灰が少し揺らいだ様な気がするほど、力強く。
「……そうか、まあ人にはそれぞれ考えがあるもんな。」
圧倒されて、僕にはそう言うことしかできなかった。
「……。」
彼女は無言だったが、すぐに笑顔になって
「そうだよね……あなたは正義感に溢れてるから。あ、あとこれ。ココアはダメだったけど、町中探し回ってようやく手に入れたの『お汁粉缶』。丁度2つ手に入ったから、一緒にのも?」
「あ、ありがとう。」
正義感って何だろう。世界も、さらにいえば任務外では少年を助けられなかった無力。そんなものを全身に纏った無力の塊である僕にそんな大層な名は不釣り合いだろうか。
少し憂鬱になったが、そんな素振りばかりでは彼女が悲しんでしまう。笑顔に戻って、温いお汁粉缶を開けた。漂ってくる甘い香りは全てを許してくれるようで、自然と涙を誘う。
「ねえ……。来てくれて、ありがとう。もう会えないかと思った。でも、それならそれで良かったかも……なんてね。」
「おい、物騒なこと言うなよ……。それより、何処かへ行かないか?僕はこの街に、住もうと思う。だから君の……僕らの昔住んでいた……今は君の、家へ行きたい。」
「あ、うん。そうだね。でも、その前に買い物してきてくれない?はい、これメモ。先、帰っとくね。」
そう言って彼女は逃げるように雪……いや灰道を足早に立ち去った。僕は唖然として立ち尽くした。
メモに目を落とすと、「なにか美味しいお菓子と紅茶」と記してあった。仕方なく、近場にあったスーパーマーケットへ入る。僕が幼かった頃には無かった、見るからに新しい建物だった。
まずは、お菓子コーナーに向かう。やはり棚はほとんど空だ。仕方なく、余っていた二、三個の袋入りお菓子をカゴに入れる。どれもおつまみのようなもので、甘みのあるものではなかったけれど、仕方ない。
次に、お茶のコーナーに向かった。ここの棚はそれほど影響を受けていなかった。海外からの輸入が滞っている割には、よくやっている方だと思う。とりあえず、目にとまったダージリンをカゴに入れた。
レジへ向かう道中。幾人も、見るからに困窮した人を見た。任を解かれる時に頂いた資金を分けてやりたくもなったが、今は彼女のことが優先だった。
お会計を済ませ、記憶を辿り家へ向かう。
暖かい玄関に迎えられ、ゆったりと腰を下ろす……はずだった。
10数メートル先に倒れた人影と、その数歩先に転がる赤い傘を見るまでは。
*
彼女を背負い家を目指す。赤い傘の下には血溜まりが出来ていた。手袋の下の指は先から異常なほど白く変色していた。そして、何より体はあまりにも軽かった。これは自衛隊で僕が訓練を積んできたからというわけではどうやら無さそうだった。僕は涙を堪えて、家を目指す。
途中、人とすれ違う度幾度となく会釈をされた。中には手を合わせるご老人もいた。
内心、彼女との離別を印象づけられているようでとても苦しい。だけど歩く。
玄関口に立つ。暖かいどころか、涼しかった。寒いぐらいだった。
彼女の服のポケットに入っていた鍵を使って、中に足を踏み入れる。相変わらず小さな部屋。テレビの位置も、途中で曲がったカーテンレールも昔のままだった。けれど、ただひとつ違うのは机の上に置かれた『貴方へ』という紙の束。
*
「貴方は正義感に溢れているから、人々を救うことに尽力しています。だけど、私は悪い人間だから自分が死ぬまでに世界が灰に変わってくれたら、貴方を悲しませる事もないんじゃないかと思うのです。最近、私は『風化』の病に侵されています。もう息もだいぶ辛くなってきました。貴方はそろそろ帰ってくるようですね。上の方が諦めたという情報も口伝いで聞いてます。嬉しい反面、辛いです。一番、辛い存在があなたになることが辛いのです。いつ死んでもおかしくない我が身。もし貴方がこれを読んでいるなら、私はもう目を覚ますことはないでしょう。否、もし……なんて、そんな希望的なifは書かない方が精神のためので書きません。ただ、これまでの私の生活を纏めました。もしよければ、私がこの世にいたことを覚えておいてください。私の”記録”を読んでください。」
そこまで読んで僕の視界は、涙にジャックされて世界を映し出せなくなった。
「なぁ……。おかしいだろ。おい、嘘だろ……。嘘だって、なあ。なんで貴女が……。」
床に寝かせた彼女の顔がある方を見る。手首に手を当てるとまだ微かに拍動はあった。
涙を拭って、薬缶で湯を沸かす。
放心状態で座っているとすぐにピーッという音が鳴って我に返る。
静かに2つ分のカップにティーパックを入れ、お湯を注ぐ。
「気持ち良さそうに眠りやがって、起きたらそこの紙の束に書いてあるお前の思い出とやらを一緒に紅茶でも飲みながら一晩中話してくれよ?なあ。」
なあ、頼むよ。
それから2時間ほどが流れ、部屋には青ざめた顔で紙に埋もれる男と白い綺麗な顔で床に倒れ込む女がいた。
冷めた紅茶に入れる砂糖はない。いっそ、外の灰を砂糖の代わりに溶かして彼女と共に旅立ってしまおうかとも考えた。だけど、それも余りに辛くて、何も答えを出せないまま家の近辺を逍遥した。
さっきまで苦しむ人が目立っていた路地、何故だか笑顔の男女が目立つようになっていた。
僕の心のメガネが変わってしまったのだろう。そんな感じだった。
只管、何も考えずに辺りをくるくると歩いた。
そうしてる間にも、まるでフォークで切込まれたケーキの様に建物の屋根が崩落する。
彼女のいる家ももう少しでダメだろう。
その前に戻らなくては。意志を強く持って僕はようやく、帰路についた。
「おーい、帰ってきたぞ〜」
玄関で一言声を掛ける。しかし、当たり前ながら返事はない。
ノブに手をかけ、足を踏み入れる。相も変わらず彼女は眠って……
「おか……えり」
「お、おい!!今、おかえりって言ったか?なあ、喋れるのか?突然倒れたから心配で……。」
「う……ん。なん……とか。って、あーもうそれ読んじゃったんだ。」
「……。」
「私が……風化を望んだ理由が……わかった?」
彼女はか細い声で、同意を求める。証拠を揃えた弁護士の様に自信ありげに僕を見る。
けど、僕は
「僕は全く、分からない!!」
「え……。そう……。」
彼女は目を伏せた。僕は続ける。
「確かに、君は僕が悲しむのを阻止しようとして願ってくれた!!それは分かっている。だけどな、もっと広く考えたらどうだ!!仲良く楽しそうな人もいるじゃないか!!そんな人の未来まで奪う『風化』を僕は認められない!!」
「また……正義感?」
彼女の指先から手首までが粉末状になってさらさらと崩れていくのを救いながら僕は言う。
「いや、これは正義感じゃない。僕は世界に抗う。だって、君の将来を奪おうとしている世界だぞ。そんな世界に従属してどうする。僕はもしこれが正義に反するとしても、しなくては収まらない。決めたよ。僕は最後の最後。終点の終点まで、生を望む人々の光でありたい。……とか、バカみたいかな……ごめんよ。」
「……ふふ、あなたらしい。最後にあなたの考えが聞けてよかった。安心したわ……それじゃ……。」
彼女はもとより砂像だったかのように、笑顔でさらさらと崩れていく。
刹那、彼女は部屋から消失した。残ったのは白い灰のみだった。
*
「本当に良かったんですか?彼女さんと一緒にいてやらなかったんですか?居場所があるじゃないですか、あなたには。」
「いや……次は僕が彼女の居場所を作ってやらなきゃならない。出来ることはやらないとな。」
今、僕は小豆色の列車で、再建された作戦指定部へ向かっている。途中で偶然合流した、この間手紙を預けた同年代の郵送の担当役員と窓際の席に座って、消えゆく都市の惨状を見ている。
来る時は満員だったのに帰る時はスカスカだ。
乗っているのは、この車両には5人ほどだった。
「本当に……次は僕が居場所になってやらないと。」
ポケットに入れた小瓶を優しく掌で包んだ。中身は彼女の灰だ。不思議と温もりを感じる。
明日を願う人々をできるだけ救わなければ。
終わりゆくシナリオは確定したような世界でも、僕はただ指を咥えて見てることは出来ない。
小豆色の列車は野を横切り、トンネルを抜ける。君に最後に放った言葉が嘘になりませんように。願いを乗せて列車は行く……。
*
『正義感に溢れた』彼は、歴史の途絶える世界で歴史に名を残したそうだ。
『モノクローム』
モノクローム
かなり、異色な感じになってしまい。申し訳ありませんでした。
この世界観、好きです。